4.アーキ=オ=プリタリク
明けて翌日。
太陽が東の山から顔を出す前の薄明かりの中。旅人がこっそりと城から出て行った。
ビィーとフレイの二人組である。どこから見ても、ただの行商人だ。
このまま、二人は帝都の外へ出る予定だ。
帝都ゴッドリーブの城門は、この二人のためにだけ、少しの隙間を開けた。
冬がそこまで迫った季節。早朝の空気は冷たい。
ビィーはズボン履き。腰を布で巻き絞めている。そうやって体のラインを強調し、第一撃を少しでも躱そうというデフォなスタイル。
腰布の上から新たにベルトを通し、そこに二本の刀を差している。
フレイはありきたりな商人の姿。背にいつもの薬箱を背負っている。
二人とも山歩きを想定して、足元をガチガチに仕上げている。
そんな二人がしばらく歩いていくと、止まっている馬車が目に入ってきた。
二頭立ての馬車が、二人を待っていたのだ。
「よう! 朝早くからご苦労さん!」
軽く手を挙げて挨拶したのはフレイだ。
軽く挨拶されたのは親衛隊副隊長オルティア嬢である。旅姿で御者台に座っている。
「早く乗りなさい」
上から目線で言葉を吐き出した。
「荷物は?」
「昨日のうちに積んである。出かける前に再確認した。心配しないで」
「さすが完璧親衛隊。これから四日間よろしく頼むわ」
軽口を叩きつつ、フレイが馬車のドアに手をかけようとして……。
ビィーに襟首をつかまれ、仰向けに転がされた。
「久しぶりだなヲイ!」
明るくなりつつある空を見上げるフレイ。
匍匐前進をするビィー。馬車の車体の下に引きずられていった。
いつの間にか、オルティアがフレイの真横に体を伏せていた。
「今度は何があった?」
「上を見ろ!」
ビィーは車体から顔だけを出し、顎で空を指す。
「げっ!」
空を黒い影が舞っていた。
巨大な鳥……に見える。
「空の要塞……アーキ=オ=プリタリク」
正体は、本能が伝えた。
それは6つの災害魔獣の1つ。
その大きさは……3等分されたジズの1個分。……目測で。
魔獣使いが操るワイバーンが上空へ舞い上がる。迎撃のつもりなのだろうが、あまりうまくいってない。
魔獣使い達が精一杯手綱を操るが、当のワイバーンが怯えて言う事を聞いてくれない。
アーキ=オ=プリタリクを恐れ、低空を逃げ惑っているのだ。
フレイが口を開く。声が震えている。
「何で? こんな時に、こんな所へ?」
ビィーとフレイが旅立つ日。目的地は災害魔獣が支配する土地。そして災害魔獣アーキ=オ=プリタリクの出現。
キーワードとタイミングが揃いすぎている。
「まさかと思うが……ジズの格納庫を覗き見できるのか?」
高空を飛ぶ猛禽類は、地上を這うネズミを見る能力を持つ。災害魔獣ともなれば、地を透視する事ぐらい、可能なのかもしれない。
翼を思う存分広げ、優雅に上空を舞う巨鳥。ワイバーンは完全無視。時々、首を下方に向けている。
「それがどういう意味かは、……情報不足で解答が導けない」
何かを感じたのか、ことさらビィーは首を引っ込めている。
何週目かの円を描いた後、満足したのか巨鳥は顔を西に向け、翼をはためかせた。
周回飛行を終え、直線運動へ切り替えた。この場を離れるつもりらしい。
ビィー達が潜む馬車の上空を過ぎ……、巨鳥は、ふと顔を下へ向けた。
真正面からこちらを見られた。
フレイとオルティアは、ビィーの顔に目を向ける。二人の理由無き勘は、ビィーを見ている、と告げていた。
確かに、ビィーと巨鳥の視線は合わさった。
遙か上空から、巨鳥はビィーの瞳の奥を見た。
ビィーは地べたに這いつくばりながら、巨鳥を見返した。
巨鳥は視線を外さず飛行している。
ビィーは……息を止めていた。
――インフォメーション――
――メインシステム、アイドリング終了。出力10%で起動可能――
――モーフィングパワー封印解除。レベル1で使用可能――
――モーフィングパワー解除に伴い、オーガニック・ディフェンサーがレベル1で解放されました――
ドクン!
大きな鼓動が1つだけ打たれた。
ビィーの中で、新たな力が目覚めたのだ。
その瞬間、災害魔獣アーキ=オ=プリタリクが目を見開いた。
数瞬のにらみ合いの後、先に視線を外した巨鳥は、上空を通過していった。
羽ばたきを一つくれると、あり得ない速度で急上昇。一本の線と化してジグザグな軌道を描いて姿を消した。
「UFO?」
ビィーは受けた印象を言葉にして声に出した。
小さく呟いたのと、意味が不明な事もあり、フレイとオルティアは、その意味を聞きそびれてしまった。
アクシデントにより、出発はいくぶん遅れた。
人の目に付きにくい早朝に出発するつもりだった。
アーキ=オ=プリタリクが出現した時間帯は、人が活動を始める前だった。
人気の無い時間帯故、目撃した人数も少なかったのだ。
これが夜だったら一人として目撃者はいないだろう。
……夜だったら鳥目で見えないか……。
意外と使えない災害魔獣である。
もといして……。
ビィーとフレイを客室に乗せ、馬車は走る。二人しか乗ってないが、こっそり7人程乗ってんじゃね? 的ながんばりで、懸命に馬が走っていく。
ビィーの体重は乙女の秘密なのである。
そんな馬の努力もつゆ知らず。ビィーは車内でくつろいでいた。
「馬車とはまた豪勢だな」
「行けるところまで馬車で行く。いずれは馬車を捨てなきゃならないだろう。その後は歩きになる。少しでも体力を温存しておこう」
温存と称して、フレイが口に運んでいるのは琥珀色の液体。アルコール臭が車内に蔓延する。
そんなフレイの態度へ、ビィーは溜息をつく事もなく刀の手入れを始めた。
大小の宝石が埋め込まれた柄に、隠す様に革紐を巻いていく。
「もったいないね。宝石を見せないのかい?」
「宝石云々より滑らない工夫が肝心だ」
「ビィーちゃんが持ってた黒い武器は使わないの?」
「弾が……弓で言うところの矢が尽きた。特殊な矢なので、今ここで手に入らない」
「ふーん」
酒瓶を片手に何か考えているフレイ。
ゴトゴトと音を立て、馬車は順調に南下していく。
昼を過ぎた頃である。
良い感じになってウトウトしはじめたフレイが、正気に戻った。
馬車の速度が落ちたのだ。
ビィーは刀の整備を終えていた。斜め前方に顔を向けている。
視線の先は馬車の内張なのだが、ビィーの超感覚は外の現状を捉えているのだ。
「どうしたのオルティアちゃん?」
フレイは御者席に座るオルティアに声をかけた。
「敗残兵どもの一群です。一番先に逃げた連中と、間もなくすれ違います」
なかなか手厳しい表現だ。親衛隊は正規軍を小馬鹿にしているフシが見られる。
小さな窓から外を見る。
足の重たげな戦士達が列を成して歩いていた。誰も彼も、防具が薄汚れている。武器防具を捨てた者も目立つ。
「想像以上の激戦だったようだな」
兵士達とすれ違った。ビィーは窓から直接姿を確認した。
「損傷率は少なそうだな」
大怪我をした者や、担架で運ばれている者はいなかった。
「ふふふ、今のところはね」
オルティアは意味深に笑った。
いかに親衛隊といえど、負けて落ち込んだ兵士達を馬車で跳ね飛ばしてしまっては、寝覚めが悪い。
オルティアは速度を落として馬車を進ませる。
白紙委任の森までは、町や村がいくつかある。オルティアは親衛隊の名と皇帝の勅命をたてにして、屋根の下での寝泊まりを手配し続けた。
3日も進むと、すれ違う兵士達の様相が変わってきた。
槍や木の枝を杖にして歩く者。兄弟縁者らしき者を負ぶって歩く者。
重傷者とすれ違う回数が増えてきた。道ばたで倒れている人の数も多くなってきた。
ビィーはそれが気になりはじめていた。
「オルティア」
ビィーが窓から首を出す。
「なんだ?」
御者席のオルティアが応じた。
「この国の軍隊は、重傷者を先に後方へ運搬しないのか?」
死体となった若者を年老いた男が泣きながら運んでいる。
「馬鹿か? 動けない者を運ぶには2人必要だ。足も遅くなるし、疲労も激しくなる。追い打ちかけられたら、こっちの命が危なくなる。だれが足手まといな者を運んだりするか。それとも……」
オルティアは細い目をさらに細め、冷たい笑いの形にする。
「あなたの国では、動けなくなった重傷者を真っ先に運び出すのか?」
「そうだが」
二つ返事で返された。
予想外の答えに、オルティアは用意していた言葉を飲み込んで黙り込んでしまった。
「重傷者でも、回復すれば戦力になる。動けなくなっても必ず仲間が助けに来ると決まっていれば、怪我を恐れず踏み込める。国が専門の治療施設を要すればなお良い。わたしが所属していた軍部は、確かそうだったと記憶している」
「……綺麗事だな」
「そうかもしれないな。兵士に忠誠を求めるには、これくらいしてやっても割に合わないからな」
オルティアは、ビーの言葉を疑っている。
「それにより犠牲者が出てもか? いや、確実に犠牲者がでるぞ」
「そうそう、怪我をして動けなくなった兵士を助けるために、特別編成を組んだ事もあったな。わたしも陽動部隊で参加したぞ」
オルティアは生娘のような顔をしていた。次ぎに口を開くまで。
「まるで戦争ゴッコだな。よほど弱い軍だと思うが?」
「確かに」
ビィーは否定をしなかった。
「だから、どこで戦っても一進一退を繰り返すんだろう」
「だろうね」
オルティアも納得がいったようだ。
これ以上話す事は無い。
ビィーも馬車の中に引っ込んだ。
「戦争なんて始めたときから打算が始まるのさ」
オルティアは馬に鞭を一つくれてやった。
符牒……。
ふと、そんな言葉がビィーの頭の中をよぎった。
神を狩る狼フェリス・ルプル、迷宮の黒霧・魔王アンラ・マンユ、空の要塞アーキ=オ=プリタリク、そして創世の空影ジズ。大物が四つも出てきた。さらにこれから土地神カムイが登場する。
人間界は人間界で、コア帝国とゼクリオン公国間の戦争が続いている。
どれか一つだけでも、人類社会の滅び、および大幅な文明後退に直結するワードだ。
ひょっとして、人間界の動乱に乗じ、魔獣共が良からぬ事を画策しているのでは?
アンラ・マンユは人間を上回る知能を持っていた。だとすると、他の災害魔獣達が今の人類を下回る知能の持ち主とは考えにくい。
人類滅亡のため、災害魔獣達が連携をとっていたとしたら?
「人類に勝ち目はないだろう」
言葉に出てしまった。
「なにが?」
フレイが聞きつけてしまった。
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
それだけ言うと、ビィーは明後日の方角を向いてしまった。
この態度をとったビィーは、何も喋らなくなってしまう。それを知っているフレイは、肩をすくめて、会話を諦めた。
馬車は走る。負傷兵とすれ違いながら。
次話「威力偵察」
とうとう、あのお方が…。
ご期待ください。