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5.お誕生日パーティ

 第三古代言語の解読が始まりそろそろ一ヶ月が過ぎようとしていたある日の朝。

 ビィーとフレイは、久々に長い筆談をしていた。


『辞書の編纂は終わりが見えてきたのだが、このまま終わると我らは危険な立場になるのでないか?』

『確かに。目先の時間だけは稼げたんだがな』


 ビィーが持つ羽ペンは、ペン軸に取り付けられていた。このペン軸は、最近宮廷魔術師長アンセルムが「開発」し、大々的に販売を始めた商品である。


『良いアイデアは浮かんだか?』

『有るには有るが、状況が揃わない』

 フレイが持つペンにも、大ヒット商品になりつつあるペン軸が装備されていた。


『わたしは何度か抜け出している。だから、この城の構造は理解している。一人なら脱出は簡単だ』

『いやいやいや、城を抜け出しても、指名手配されるから、ずっと命を狙われる事になる。逃亡生活中は金が入ってこない。地獄だぞ』


『24時間戦闘状態は慣れているから心配いらない。ゼクリオン候国へ入れば命を狙われる危険もない。と思うのだが?』

『いや、いやいやいや! ゼクリオンへ辿り着くまでに命を落とす可能性はゼロではない。そうそう、ゼクリオンは俺の故郷だ。逃げ出したら真っ先にそちらへ兵を向けるだろう。いや、もうすでに戦力はゼクリオンへの街道沿いに配備されているはずだ。その数は一千万人と推測される』

 置いてきぼりを喰らわないため、フレイは必死である。


『それはちょっと大変かもしれない』

『だから、もう少し待て。良い案がいくつかある』


『冒頭と祖語がある。どんな作戦だ?』

『そ、そうだな。たとえば、命を狙われるのは、何の力も権力もない無名の貧乏人だからだ。貴族だったり有力者だったり、せめて社交界で有名人だったり、立場が上の方だったりしたら、滅多な事では殺されない。むしろ仲間になれと誘われる。狙いはそこだ』


『どうすれば上の者になれる?』

『それだ。そこが問題なんだ』


 二人の秘密の会話は、そこで終了した。

 この部屋を人が訪れたのだ。


 仕事をしている風に、ごく自然に筆談用のメモ用紙を燃やすビィー。顔を上げて訪問者を迎え入れた。

 ドアを開けたのは、いつもどおりクリスト殿下だ。いつも通り騎士隊長が後ろで背後霊の様に控えている。


 ただし、いつもより早い。


「どうされたのですか殿下? 今日はいつもよりお早い時間ですが?」

 意図的にペンを持ち上げ、仕事してましたよ感をフレイは醸し出していた。


「お仕事中申し訳ありません。すぐにおいとま致します。」

 クリストは暗い顔をしている。今日、ビィーと剣を交えられない事を残念に思っているのだ。


「今日は僕の14歳の誕生日なんです」

「そ、それはおめでとうございます」

 慌てて椅子から立ち上がるフレイ。膝を付いて礼をつくす。


 クリストの暗い顔が続く。

「夕方からパーティーがあって、その準備に忙しくて、今日は修行ができません。帝都に詰めているほとんどの貴族が招待されています。抜けるわけにはいかないんです」


 ああ、それかと納得するフレイである。

「ビィー、お祝いになんかプレゼントでも見繕ってやるか?」

 思案顔のビィー。手にペンを持ったまま、腕を組む。最近覚えた、考える仕草だ。

 おもむろに手にしたペンをインク壺につけ、クリストの顔をじっと見つめる。


「え? なんですか?」

 なぜか腰を引くクリスト。頬がピンクに染まっている。

 ビィーは小首をかしげた。何も思いつかなかった模様。


 しかし、クリストは満足だった。

 とっても可愛い仕草だったからだ。


 桜色の形良い唇が開かれた。

「何かプレゼントを考えておこう」

 彼女がおぼろげに考えていたのは、剣技の一つ、三段突きのお手本あたりだった。


「本当ですか! ありがとうございます!」

 満面の笑みを浮かべるクリスト。もの凄いプレゼントを想像している。例えば「ピー」とか「削除されました」とかである。


 クリストは、何度も頭を下げ、振り返り振り返り部屋を出て行った。

 騎士隊長は苦虫を咬み下しているが何ともないぜ、といった顔をして、一緒に出て行った。


「さ、仕事を始めようか」

 フレイは、顔を真面目に戻し、ついでに体も机に戻し、仕事のフリを始めた。

 ペンを手にして、紙にこう書いた。

『状況が揃ったようです』







 パーティーが始まったのは、日が西へ傾いた頃。

 時間が過ぎた今、西の空には先端を刃物の様に尖らせた大きな月がかかっている。

 遠くから音楽も聞こえてくる。


 ビィー達の座敷牢はすでに暗かった。

 今宵は、気が散って仕方ない、とばかりに早仕舞いしていたのだ。 


 見張りの兵士達は、気もそぞろ。だって、対象人物は早くに寝てるんですもの。

 部屋が真っ暗なので、監視もへたくれもない。

 後で、監視の兵が大変な事になるのだが……。




 音もなく、明かり取りの窓が外された。

 音もなく、人の姿が抜け出ていく。


 外された窓が元に戻されるまで約2秒。今回で10回目だから手際が良い。

 ベッドの上で丸まっている影が二つ。一つはフレイ。もう一つはいろんな布をまとめて偽装した山。

 気づく者は誰一人としていない。今のところ。


 ビィーは影から影へ高速移動していた。背には小さな荷物。


 中庭を走り抜け、宮廷の壁に沿って走る。ずらりと窓が並んでいて、そこかしこから明かりが漏れている。

 空の星だけで夜の闇を見通せる目を持ったビィーにとって、これは充分明るい光源だった。


 ビィーの足が止まった。少しだけ開いた窓を見つけた。

 ベリーロールの要領で、するりと体を忍ばせた。

 中は暗いがこの程度ならどおってことない。背中の荷物を下ろし、中身を取り出した。

 それは娼館を出る際、餞別として渡されたサテンのドレスであった。


 宮廷が誇る大広間は、着飾った大勢の男女を余裕をもって収納していた。

 下は準男爵から上は公爵・親族まで。


 広間は優雅な音楽が流れている。堅苦しいお祝いの言葉や挨拶は一段落した。各所で談笑が交わされ、和やかな雰囲気になっていた。

 一方の壁際にコア帝国の紋章である怪鳥が刺繍された、巨大なタペストリーが飾られている。その下が三段の階段が付いたひな壇となっている。

 ひな壇に、二脚の豪華な椅子が備え付けられ、皇帝と皇太子が座っていた


 クリストが主人公なので、今宵は彼が中央に位置している。

 隣の席が帝王アイアコス。帝王の脇に親衛隊長が立ち、クリストの脇にはウォルト騎士隊長が立つといった、コア帝国の古式に則った儀礼的な配置。


 この宴の主人公、クリスト皇太子は、半分だけ楽しんでいた。残り半分は、……ビィーへの想いだった。


 アイアコスも、表面上は柔和な笑みを浮かべ、機嫌良さそうに振る舞っているが、実のところ飽きていた。

 酒を飲むペースも安定してきたし、腹も空いているとまではいかない。


 長時間にわたる演奏が続き、宮廷付き楽団も、奏でる曲が尽きた。今は単調な音を繰り返し奏でているだけだった。


 最初に気づいたのはクリストだった。


 はじめは色を認識した程度。

 プラチナ色と薄いブルーグレー。


 飲み物を口に含んだ時、ようやく形が目で像を結んだ。

 クリストは、あやうく口の中の液体を吹き出すところであった。


「ビィー?」


 光沢感溢れるブルーグレーのドレスは、アップに結い上げたプラチナ色の髪を映えさせる。白い肌と色白の顔がより美しく見える。

 彼女は、ごく自然な動作で、人混みに紛れ楽団へと近づいた。


 ここで、アイアコスとウォルトがビィーに気づいた。

「よい」

 ウォルトが飛び出そうとするのをアイアコスが押さえた。


「座興じゃ」

 アイアコスは嬉しそうに笑っていた。


 何をするつもりだ? 殺害する相手はここにいる。向かう場所が違うぞ。

 何を考えている? 大変興味がそそられる。



 ウォルトは親衛隊長に目で合図する。親衛隊長は警備の配置を変更するため、静かに下がった。

 クリストは、危険な状況を配慮するより先に、ビィーに目を奪われていた。

 ビィーの腕前からすれば、この場にいる重要人物を全て殺すことができるはずだ。

「何をする気だ?」


 彼女は楽団の者と話を交わしている。どういった交渉をしたのか、ピアノ奏者と席を替わった。


 ここまでの異変は、特定の人物しか気づいていない。

 ビィーの白い手がピアノの鍵盤におかれた。


「ピアノ弾けるの?」

 クリストは不思議な物を見る様な目をしていた。彼にとってビィーは学者であり、剣士である。楽師という言葉は頭になかった。


 しばしの静止の後、ビィーの指が跳ねる。

 弱く優しいロンドから始まった。


 既にそのパートで分散和音。この世界にない演奏技巧。口を丸くする宮廷付き楽団員。

 優雅で克つ洗練された上質な曲。今まで至高とされていた、あまたの演奏技法が児戯に聞こえそう。


 その和音が奏でる心地よさに、広間の客人達の談笑が途絶えた。


 水の流れの様に音楽を奏で、プラチナの髪を持ち、じっとしていれば気品溢れる絶世の美女。

 あれは誰だ? きっと由緒正しき家で高度な教育を受けたレディだ。クリスト殿下の誕生日に関係あるのか?

 といった声がそこかしこで聞こえる。


 ピアノ独奏(ソナタ)は、次第に音が大きく力強くなっていく。人々は初めての音楽に引き込まれていく。広間のざわつきが、引いていく波の様に消えていく。


 何回かの繰り返しが終わると主題が現れた。

 オクターヴ奏、トリル奏。どれもこれも、この世界にない演奏法。

 主題をベースに繰り返し繰り返し、それでいて常に変化させた輪舞曲(ロンド)。和音化され音階を変え、主題が計画的に千変万化する。


 即興で弾いている様で、実は完璧な設計図を元に建築された曲。

 ベートーヴェン作曲ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調「ヴァルトシュタイン」第3楽章。


 声を発する者は一人としていない。あのアイアコスですら、身動き一つせず聞き入っている。

 ウォルトも柄に手を置いたまま聞き入っている。


 クリストは、ある言葉を思い出していた。

 「何かプレゼントを考えておこう」

 これが……、危険を冒してまで……。


 目の奥が熱くなってきた。唇が震えてきた。

 彼は一音一音を脳に焼き付けるかの様にして聞き入っている。


 広間中の老若男女は、息をすることすら忘れていた。

 人々の思いをよそに、予定通りに演奏を続けていくビィー。曲はクライマックスへ入る。

 演奏技巧上、極めて困難なパートを危なげなく通過。主題の反復をこれでもかと続け曲の締めくくりに入る。


 人々は曲の終わりを認識しだした。終わらないでくれという思いと、終わりがどんな音で締めくくられるのかという興味に(さいなや)まれる者が続出。


 そして曲が終わった。


 ビィーが立ち上がり、帝王に頭を垂れ、客に頭を垂れ、楽団に頭を垂れ、ピアノから離れて歩き出した時、人々はやっと曲の終了に気づいた。


 そして、礼儀として行わなければならぬ対応も思い出した。

 それは、万雷の拍手。


 ビィーの存在が、コア帝国を動かしているありとあらゆる貴族に、強烈な印象をもって知られることとなった。




次話「格納庫」


第3章の最終回です。

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