4.皇太子クリスト
クリストとビィーが並んで立っていた。
「あなたがビィーさんですね。初めまして」
クリストはまだ少年の域にいる。
僅かな空気の動きで揺れる金髪。美少年である。
一方、背の高いビィー。白い肌。腰まであるプラチナ色の流れる髪。
「ふう。やはり絵になる」
一人フレイが悦に入っている。ソファーに腰を埋めて、目を細めるその姿は、美術品を鑑賞しているコレクターに見えない事もない。
「ごっほん!」
咳払いしたのは騎士隊長。身長2メートルはある。広い肩幅、太い眉。ライオンの様な大きな目。
そんな顔がフレイを睨み付けている。
フレイは居ずまいを正し、首元のボタンを止めだした。
「それで、殿下はどのようなご用件で堅苦しい座敷牢までご足労いただいたわけで?」
アンセルムと騎士隊長は黙ったまま。話をするのは皇太子クリストらしい。
クリストは意を決した様にして口を開ける。
「フレイ殿の話では、我が師、ユリウスがミノタウロスと差し違えたという」
声が震えている。
「あの後、よく考えてみました。それは本当の事なのですか?」
目に疑惑の色が浮かんでいた。
「失礼ですが、なぜそのような事を?」
フレイの眉が微妙に動いた。見くびっていた子供に嘘を見抜かれたのだ。
「そなたは、ユリウスがミノタウロスの懐に飛び込んで、これを斬ったと申していたな?」
「いかにも」
ユリウスは、腰の剣を抜いた。
刀身が半分の所で折れている。騎士ユリウスの遺品である。
「この剣は、それほど切れ味が良くないのだ」
「は?」
フレイが間抜けな声を出す。
剣は敵を切る刃物。なぜ切れ味が良くないのか?
「この剣は、切りつけて両断するタイプだ。包丁の様に肉を切る用途には作られておらぬ」
まずいことになった。
「だから、半分に折れた時点で、この剣は無用の長物となったのだ。ミノタウロスを倒す事など出来ぬ」
クリストは、何を思っているのか、剣の切断面を覗き込んでいる。
「何より、いかな剣豪といえど、ミノタウロスを一人で倒す事などできぬ芸当」
そして嘘を見抜こうとする様に、フレイの目を覗き込んでくる。
「教えて欲しいのです。真のユリウス様の最後を!」
クリストの態度は真摯なものであった。彼は単純に真相が知りたいだけもようだった。
どうにもフレイが悪者に見えてくるから不思議だ。
だからフレイは悩んだ。
一矢も報いる事無く、はらわたを覗かせて倒れていた姿を伝えるべきか否か。
全く刃が立たなかったミノタウロスをビィーが簡単に倒してしまった事を。
「構えよ」
後ろから声がかかった。振り向くと、ビィーが蝋燭を手にして立っていた。
「え?」
意味する所がわからず、クリストは狼狽えている。
「模擬戦だ。その剣の元の長さは知っていよう? 折れる前の長さである前提で、わたしに斬りかかってくるがいい。わたしも同じ得物を持っている」
ビィーが蝋燭を片手に構えた。蝋燭はちょうど両手剣の柄の長さと一緒だった。
「女、控えよ!」
騎士隊長が怒鳴る。そして前へ出ようとして、クリストに止められた。
「よい、隊長。これは戯れ事だ」
そう言いながらも、クリストは剣を構えた。なかなか様になっている。さすが帝国一番と言われた剣の使い手、ユリウスを師に迎えているだけの事はある。
互いに、間合いの外で立つ。
クリストは息を吸って、吐いて、吸って、飛び込んだ!
体を開き、右腕を伸ばし、抉る様に剣を突き出す。
一気に間合いへ入る突きだ。狙いはビィーの鳩尾。
そこへ幻の切っ先が突き刺さる。と思いきや、剣は空を突いていた。
クリストの顔が風を受けた。
目の前に蝋燭の柄がある。
さっきよりも近い所にビィーの顔がある。
ビィーは、どうやって体をかわしたのか?
見えなかった。消えた様にしか見えなかった。
「これが真実だ」
ピンク色の形良い唇が動く。
クリストは別の意味でドキドキしながら、ビィーが言った言葉を理解した。
「わかりました。あなたがユリウス先生の仇を討ってくれたのですね」
ビィーはすぐには答えず、机に歩いて行く。蝋燭を燭台に立て、椅子に座る。
「わたし達が駆けつけた時。すでにユリウス氏は虫の息だった。死亡する直前、フレイに荷物を渡した。ミノタウロスが現れたのはその後だ」
ビィーは紙を広げペンを手にした。
「その剣は、私が使った。ミノタウロスの筋肉を断ち切る事ができず、折れてしまった」
クリストは黙って聞いていた。じっとビィーの目を見ながら。
話が終わると、クリストは大きく息を吐いた。
「ありがとう御座います。心が落ちる所に落ちました」
ビィーの返事は無い。
そのまま机に向かってペンを走らせている。
「ビィーとやら」
野太い声。騎士隊長がビィーを怖い目で睨んでいる。
「次は私と勝負しろ」
よく見ると、騎士隊長の額に、汗が浮かんでいる。腰も落として剣に手をかけていた。
先ほどの立ち回りを見てから、ずっと臨戦態勢なのだ。ビィーの物腰に、並々ならぬ力を感じたのだ。
「やめよウォルト隊長!」
クリストが制止した。キツイ口調だ。
「しかし、殿下!」
「レディに対し、失礼なき様!」
「ぐっ!」
騎士隊長ウォルトは、今すぐにでも斬りかかりたい衝動を、歯を軋ませて耐えた。
この「レディに対し」という言葉が存在する事。すなわち、その言葉が無いと「レディに対し」失礼な事ばかりする、という世相を反映している。
レディに対し、不躾な行為が行われない国であれば、こんな言葉は必要ないし生み出す必要もない。
つまり、この世界はこういう世界なのだ。
強姦、乱暴、人身売買。
人身売買が社会に組み込まれている社会とは、いかなる社会か?
売られた先で一人前の礼儀作法と手に職をつけて年季が明けたら里へ返す……そこまで人道的に成熟した社会なら、奴隷という身分は存在しない。貧乏な田舎向け専用の口入れ屋だけで十分。奴隷に優しくするという、独りよがりな優越感に浸っておればよかろう。あなたの奴隷は、ご主人様の事をこれっぽっちも感謝してないだろう。
「いずれ」
ビィーが隊長の要求に応えた。我慢した子に対する褒美だった。
「しかるべき時に、しかるべき場所で」
先延ばしとも言う。
「約束である」
乗ってくる男がいた。
ビィーがゆっくりと目を伏せる。見ようによっては頷いているよう。見ようによっては。
「お願いがあります」
今度はクリストが前のめりになっている。ウォルト騎士隊長の熱が移ったようだ。
「僕に剣の稽古をつけていただけませんか?」
熱い視線をビィーに送るクリスト。それを無表情な顔で受け止める。
「昼食後、少しの間だけ休憩時間がある。それで良ければ」
以後一ヶ月間、クリストはビィーの元へ……もとい、この部屋へ通うのであった。
夏も盛りを過ぎようとしていたが、まだまだアツイ少年の日が続くのであった。
次話「お誕生日パーティ」
静かな攻撃が始まる。