1.交渉
「はあ? 今何と仰せられました?」
ここは帝都一番の格式と規模と売り上げを誇る「麗しの春の日」亭。
カエルにションベンを引っかけらた様な顔をしているのは、そこの主、ゼペットである。
「身請けすると言っているのだ」
コア帝国騎士隊長自らが、銀貨がパンパンに詰められた大きめの袋をテーブルに置いた。
ビィーを身請けするに十分な金額だ。
ちなみに、騎士隊長ともなれば、皇帝の名代を務めることもある。公爵クラスの身分を持っている。
騎士隊長の背後には、正装した騎士一個小隊が、直立不動で突っ立っている。表には一個中隊が実戦配備で展開していた。凄いプレッシャーだ。
「まだ粘るか?」
同じ重さの袋が、もう一つテーブルに積み上げられた。袋の口が緩んでいたため、中身である銀貨が音を立ててこぼれ出た。
「いや、あの、ビィーはついさっき身売りをなされたばかりで――」
「貴様、我が帝国の財政を破綻させるつもりか?」
もう一袋テーブルに乗った。
ゼペットは、騎士隊長の意味する所が判らなく、ただただ狼狽えていた。
何故、娼婦のタマゴ一人に帝国騎士隊長が、真っ昼間からこんな所までやってきたのか?
「これでは不足か?」
テーブルに、4つめの袋が騎士隊長の殺気と共に乗せられた。
「おい! だれかビィー……さんをここに連れてこい!」
身の危険を感じたゼペットは、ビィーを呼んだ。
「早くしろ!」
怒声と共に、5つめの袋が乗せられた。
ここまで来れば、脅迫である事は明白。
「早く連れてこいッ!」
ゼペットも怒鳴る。
「いったい、あの娘に何が――」
「口止め料まで要求するか? この強突く張りのハゲが!」
「ひぃいー! ご免なさい! ご免なさい!」
テーブルに6つめの袋が乗せられた時、ゼペットは万国共通の最終兵器、土下座をしてしまった。
日が暮れかけていた。
ここは王宮の一室。フレイが首を撥ねかけられた部屋である。
後ろのドアが開き、鞄を手にしたビィーが入って来た。
「ビ、ビィーさん! 遅かったじゃないですか! 待ってたんですよぉ!」
ビィーよりも白い顔をしたフレイが、勢いよく飛んできて彼女の手を握った。
「うむ、フレイ、元気な様でなにより。聞いてくれ。わたしは転職する事になった。ヘッドハンティングだ。花街ではよくある話だそうだ。主は転職だけに天職だと意味不明の言葉をこれ見よがしに自慢していた。これを見よ。選別だと言ってドレスまでくれたぞ」
プラチナの髪によく似合う、黒と紫をベースにしたロングドレスを鞄の中から出して見せた。
どうやら、うまい事丸められた様である。
ビィーの後ろから、騎士隊長と宮廷付き魔術師長アンセルムが入って来た。
続いて、ひな壇の脇からアイアコス皇帝がお出ましとなった。手に、例の書物が握られている。
ドサリと音を立て、椅子に腰を落とす。そして横柄に足を組んだ。
フレイは額を床に擦りつけて平伏する。ビィーはさっき教わったばかりの正式な挨拶をする。
皇帝は、ビィーの姿を認め、ほう、と声を上げた
「フレイ、その者がここに書かれている難解な言語を解読できる者なのだな?」
古代語で書かれた書物を胸の前でヒラヒラさせている。
「なかなかに美しき者ではないか? 気に入ったぞ」
「はっ、ははー。恐れ入ります」
フレイは床にめり込むまでに額を擦りつけた後、頭を上げた。
上げた顔は、もはや怯えていた今までとは全くの別人。商談に望む商人がそこにいた。
「この者は、読み解く作業に秀でた者。私がユリウス様より授かった解のヒントを教え、ともに協力して事に当たりたいと思います」
ここが大勝負の一番。はったりにはったりをかます。
ビィー1人でも解けるのじゃないか? お前はいらないんじゃないか? と疑われるのを防ぐためである。
だが、それを見抜けぬ様では皇帝の位になぞつけぬ。
「それは誠か? ビィーとやら」
皇帝が問いかけたのはフレイではなくビィーである。
無表情で、どこかぼーっとした印象を与えるビィーは、どれほどの知恵者なのか疑わしい。
聞く所によると、フレイに騙され、娼館に売り飛ばされたというではないか。ビィーにとってフレイは憎き裏切り者。
必要無き者として、フレイを切るには十分な背景がある。彼女1人で解読できるのなら、これ幸い。秘密を知る者が少なくなってなお結構。
ぼーっとしていたが、ビィーは一生懸命考えていた。
皇帝が持つ本をじっと見つめていた。
この状況はなんだ? レッドゾーンに位置するのか?
あまりにも状況判断の材料が少なすぎる。
まず、フレイは、何らかの危機に陥っている。
彼は、ミノタウロスの迷宮近くで手に入れた革袋を王宮に届けると言っていた。
革袋の中身は本と宝石の様な手触りだった。だとすると皇帝が持つ本が、その中身の一つであると推測してよいだろう。
迷宮を使ってまで隠されていた古代の遺物。
騎士が個人の命を捨ててまで守った遺跡。
国家的な秘密。
「理解した」
明瞭だが、小さな声でボソリとそう言った。
「ミノタウロスの斧に書かれた文字は、すでに解読を終えている」
ゆっくりと首を巡らせ、フレイの顔を見る。
「フレイの知識と手助けが、必須条件だ。この条件と、残り幾ばくかの条件さえ飲んでもらえれば、解読は高確立で可能と推測される」
彼女のセリフに淀みは無い。
「いつまでに解読できる? そうそう待てぬぞ」
皇帝はまだ目を離さない。
「お言葉ですが!」
フレイが口を挟んだ。
「中も拝見しておらぬ者が、如何様にして期日を設定できるのでしょうか? もし許さぬと仰せならば、如何様にでもお裁きください。我らには答える術がありませぬ」
フレイが立ち上がった。意を汲んで、ビィーも立ち上がる。
ビィーに関しては、今にも皇帝に背を向けて部屋を出て行きそうな空気まで纏わせていた。
「なかなか言うではないか! 判った。中を見れば予定は立つのだな?」
フレイには答えられない内容の問いだった。
これに対して答えたのはビィーだった。
「実際に解読を始めねば、予定は立てられぬ。あなた方が役に立つ資料を持っていれば解析も早くなる。持っていなければ遅くなる。書き出し用の紙が無ければ解析はさらに遅れる。自明の理であろう?」
堂々とした態度だった。二人の間に連携が生まれている。
それを見て、皇帝は満足そうに頷いた。
「よろしい。ではこれより解読にかかってもらおう。成功した暁には報酬は望みのまま。そなたが求める条件は、後でアンセルムに話しておけ」
皇帝は古代語の本をビィーへと乱暴に放り投げた。
それをビィーは片手で軽く受け取る。
居並ぶ国家の権力者を前にして、また、命の危機を感じ取りながら、今まで表情一つ変えていない。冷静なままだった。
さらに機嫌を良くした皇帝は、豪快に笑いながら部屋を出ていった。
「これより条件を述べる」
ビィーは、古代語の本を開きながら、宮廷付き魔術師長アンセルムに物を言いつけだす。偉そうに。
アンセルムは、不遜な態度をとられているが、解読が終了するまでの話だと割り切って耐えてみせた。
自慢の口ひげと顎日髭を整えながら、平然を装った。
「場所は明るい部屋がよい。この部屋と比較して倍は広い部屋が必要だ。そして筆記具と用紙。用紙は紙に限る」
「なにゆえ紙だ?」
アンセルムは訝しんだ。なぜ高価な紙を必要とするのか?
「秘密が漏れても良いのか? 不必要になった資料は、片端から燃やした方が良いだろう? そうそう、燃やすための火も欲しい。火元は任せるが、我ら二人が煙に巻かれて死なない様な環境だけは考えて部屋を選出して欲しい」
明るい部屋は、明かり取りの窓が必須。さらに換気用の穴。脱出しやすい条件は多い方が良い。
「わかった」
それに気づいているのか気づいてないのか。アンセルムは二つ返事でOKをだした。
次はフレイが口を挟む
「寝台は上質な物は求めません。ただし、寝る度ごとに体調が悪くならない様厳選してください」
「わかった!」
お前達はとらわれの身だぞ? 上下関係が判っているのか? どこまで顔の面が厚いのだ?
アンセルムの顔が赤くなり出した。
「日に一度は体を動かしたい。部屋が小さければ外へ出してもらいたい。健康維持のため日光にも当たりたいですし」
「見張り付きでいいなら考えよう」
「食事に気をつけて――」
「わかった! 三食だしてやる。三食とも野菜と肉と白いパンにスープをつけてやる! だから早く解読に取りかかれ!」
とうとうアンセルムの堪忍袋の緒が切れてしまった。
「あなた達が持ってる資料の中で、役に立ちそうな物を選んで提出してほしい」
ビィーは、怒声を全く気にする事無く、条件闘争を続けている。
「おまえら……」
アンセルムは真っ赤になりながらも、ビィーの要求する物の正当性を認めねばならなかった。
「あと、必要になりそうな資料や物資は都度求める。なるべく早く融通してくれると助かる」
もう一段階底の緒が切れそうになっていた。
「解読を早く終わらせるために、あなたの協力が必要だ。我々は『等しく協力関係にある』のだからな」
あくまでも冷静なビィーの物言いに、かつ至極まっとうな要求に、アンセルムは深呼吸して怒りを抑えるよう努力した。
口ひげと顎髭を整えながら、気持ちが落ち着くのを待った。
「わかった。要求は全てのもう。他に気づいた事があったら、何でも言ってくれ」
魔術師長だけあって理知的な人物だった。
「ならば一つだけ気づいた点が……」
ビィーが真摯な態度に出てきた。
思わずアンセルムは構えてしまう。
「その口ひげは似合わない」
アンセルムは切れてしまったようだ。
次話「解読開始」
世界は数学で説明できる。