6.帝都ゴッドリーブ
迷宮の魔王アンラ・マンユと遭遇してより45日後。
ビィーとフレイのコンビは、コア帝国帝都ゴッドリーブを目の前にしていた。ご多分に漏れず城塞都市の様相を呈している。
入出を管理する役目を果たす門の一つ。その前で列に並んでいる所である。
45日は長かった。薬の行商をしつつ、帝都を目指していたのだから、日程的にはこんなもんだ。
各地でフレイが薬を勧める。渋る男性客にビィーが薬を勧める。
ぶっちゃけ昨年度より売上高30%アップであった。
「ビィーちゃん、ここが帝都ゴッドリーブ。ここには就職先が沢山ある。良い所を紹介してあげよう」
「迷惑をかける」
ビィーは、相変わらず殊勝な態度であった。
「いやいや、途中で私の商売をずいぶん手伝ってもらったし、それは言いっこなしだよ」
商売用の笑顔を顔に貼り付けるフレイである。
順番待ちをしている間にも、大量の荷車が帝都より出ていく。荷物の往来が激しい。
大変賑やかで活気に溢れている町だ。
ビィーの目が荷車を追って、左右に動いている。
「ずいぶん人の出入りが激しいな?」
「ここから歩きで二刻(約二時間)の場所で離宮が造成されてるんだ。元々は魔物が住む迷宮だったんだ。あまりにも帝都に近いんで、五年前に帝国の騎士団が総出で攻略破壊したんだ。でもって、その跡地に離宮を建設してるんだ。いっぱい人を雇ってるんで、金が回って好景気らしいよ」
「……一応聞いておくが、そのダンジョンの主は何者だったんだ?」
「……ミノタウロス」
「縁があるな。ミノタウロスは、この地方に多く生息しているのか?」
「ミノタウロスのダンジョンは、こないだの所と、俺の里の近所。ゴットリーブの近くに、ここから南のゼルビット半島の真ん中。この4つだ」
「……見掛けたら20倍はいるとされておるまいな?」
そうこうしている内に、順番が回ってきた。
「よし、次! 薬の行商人か?」
順番が来て、係員に呼ばれた。
「いつもお世話になっております。薬ギルドより派遣されました行商人、フレイ・ブラウンです」
フレイは慣れた手つきで、決められた関税を払う。薬の行商人は、その社会的役割上、関税が割安になっている。薬ギルドの圧力にも因るが。
「おい、そこの美人は何だ? 連れか? こっちは別の入国税がかかるぞ!」
言葉は厳しいが、顔は緩くなってる。ビィー効果であった。
「こっちはね、田舎の貧乏な武家のお嬢様でして。口減らしのために、私に預けられたという経緯が御座いまして……」
すかさず答えるフレイ。流れるようなしゃべり方。
「なるほど。なら無税だな」
係員は、下卑た笑いを顔に浮かべた。
ちなみに、この世界、奴隷となる予定の者、または身売りされる予定の女子は、入国税が免除される仕組みとなっている。
体を売る者は金が無い。だから税が払えない。しかし、中で稼いで税を払ってくれる。
よって、特別処置がとられるのだ。
「後で店を教えろよ! 通ってよし!」
二人は巨大な門をくぐる。
門の上には、恐ろしい形相をした鳥の模様が彫られていた。鳥の前にVの字になった二本の剣。意味不明の文字が一個。それを鳥が掴んでいる。
ビィーは、珍しい物を見る様に顔を真上に向けている。
「あれは、コア帝国の紋章だ。あの鳥は、鷹だともジズだとも言われている」
ちょっとした豆知識をフレイが披露した。誰でも知ってるレベルの知識だが、ビィーが知らないと思ってドヤ顔だった。
そうこうしている内に、二人は門を通過した。
「そういえばフレイ。さっきあの官憲が店とか言っていたが?」
「え? あ、ああ、アレだよ、普通、女子は店に勤めるだろ? 店の看板娘になるとか、大店に勤めるとか。けっして変な店じゃないんだからね!」
何か肝心な所を隠している様なフレイであるが、気のせいである。
「なるほど、理解した」
ビィーは素直に信用した。
フレイは、商売用の笑顔を顔に張り付かせている。
一時間後、変な店に二人はいた。
「おおフレイさん、これはなかなかの上玉ではありませんか!」
帝都ナンバーワンの高級娼館「麗しき春の日」亭の主、ゼペットが。顔を輝かせていた。
「よろこんで頂いて、私共も幸いに思います」
フレイは、とびっきりの商売専用笑顔で答えていた。
ここは「麗しき春の日」亭の一階フロア。帝都で一番と呼び声が高いだけあって、大変広い。アイマラ村の村長宅と同じ面積だ。
ふかふかの絨毯。待合い用のソファーとバーカウンター。
そこかしこに絵画、美術品、ピアノ、リュートなどが、絶妙な配置で設置されていた。
綺麗な女が二人、ピアノを弾いていた。教師役一人が手本を弾き、生徒一人が習っているのだろう。奏でる旋律は単旋律。この世界はモノフォニーしかないのでる。
音楽が流れているので、そこはかとなく雅な空気がロビーに流れている。
普通、女を持ち込むと奥の部屋で面接が行われる。昼前で人がいないので、ここで顔でも見ておこうと、軽く考えての事だった。
それがどうだ! 想像を超えた上玉じゃないか!
「フレイ、上玉とはなんだ?」
相変わらず無表情のビィー。聞き慣れないワードが出てきたので、フレイに聞いてみたのだ。
「美人の隠語だ。よろこんでいいぞ」
フレイは軽く流した。
「背の高いところが良い!」
ゼペットは背が低かった。オマケにカッパハゲだった。この外見に騙されて痛い目にあった者たちは多い。しかし、個人的な女子の嗜好だけは変わっていた。
本来、それを表に出してはいけないのだが、どうにもビィーがドストライクだったらしい。
「どこから持ってきた?」
待ってましたとばかりに、フレイは揉み手をする。
「この子は可愛そうな身の上でして……、田舎の武門の出なんですが、事情がありまして詮索はご勘弁願います。一応、武門の出ですので、嗜み程度の武芸は習得しております」
「うむうむ、武門ね。良いぞ良いぞ。ここは体を売る女より、芸を売る女の方がよく稼ぐ。何か特技は持っているか? 知的なのとか芸術的なのが点数高いぞ」
ゼペットは身を乗り出した。高貴な身分に憧れているのだろう。
フレイは鼻高々に答えた。
「リュートの名手です」
アイマラの村でみせたビィーの隠し技の事だ。
「リュートねぇ……。ありきたりなんだよねぇ。それとアレは庶民が弾く物だ。ウチじゃちょっとそぐわないねぇ」
フレイの顔に影が差す。ビィーは、就職に激しく危機感を覚え始めた。
「チェスが王級免許的に強いとか……」
ゼペットは、後ろで練習しているピアノをチラ見した。
「ピアノを弾けるとか――」
「ピアノなら弾けるぞ」
言い放って立ち上がるビィー。ピアノまで歩いていく。
「おい、代わってやれ! 面白そうだ」
ゼペットは奏者に、交替を命令した。そして煙草を口にくわえた。
ビィーはピアノの前に座り、両手を鍵盤に置いた。
今まで習ってい女は、興味津々といった目でビィーの手元を覗き込んでいる。教えていた女は、やれるならやってみなさいと睨んでいた。
いくつかの鍵盤を指で叩いてみる。非常に原始的だが、たしかにピアノだった。この世界は中世のようだが、楽器だけは、近世あたりまで発達している模様だ。
リュートの時のように、ビィーは動きを止めた。傍目には精神を統一しているように見えるのだが、実はアプリを起動しているのだ。
ビィーは考えた。最初は何から弾こうか?
持っている曲は、ベートーヴェンとチェルニーの全曲。モーツアルトを少々。
さっき奏でられていた曲は単旋律だった。ならば、簡単で短い物が好まれるだろう。
ビィーの白くて長い指が動く。
――ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作「エリーゼのために」――
演奏が始まる。
ゼペットは煙草に火を付ける手を止めた。
小さくて可愛い旋律から始まった演奏は、主音の激しいバージョンと対比されつつ、優しく繰り返されていく。
ある時は優しく、ある時は強く。優しくいたわるように、激しくたたみ掛けるように。ビィーは、愛の歌を奏でていく。
やがて演奏は終了した。最後の音が小さく消えていった。
例えば……現世で聞くべき者が聞けば、「感情移入が全くできていない」と批評し、眉をしかめてくれるだろう。
しかし、この世界では違う。
教師と生徒の女は目と口を丸くして突っ立っていた。
フレイは中腰になって間抜けな顔をしていた。
ロビー内外で掃除や作業をしていた働き者たちは、仕事の手を止めていた。
ゼペットは、火の付いていない煙草を灰皿に擦りつけた。
「す、素晴らしい! この演奏法はいったい! 宮廷付き楽士でも弾けないだろう。これは革命だ! 音楽界に革命を起こすぞ!」
立ち上がって両手を強く握りしめている。興奮のあまり、首から上が真っ赤になっている。
「両手です! いえ、両手と何本かの指が同時に鍵盤を叩いてました。指の芸術です!」
ピアノの教師も感動していた。間近で見ていた彼女は、テクニックに感動していた。
「是非教えて! 今の曲を教えて!」
上下に厳しい娼館で、あり得ないほど彼女の興奮は激しいものだった。
「い、いかがですか? ゼペットさん。通常の価格だと他をあたらせてもらいますよ」
甘噛みしながらフレイはビィーを高く売り込んだ。
「当然だとも! それなりの金を積ませてもらうよ!」
ゼペットはフレイを見ていない。ピアノの前に座って平然とした顔をしている、ビィーだけを見ている。
顔は良い。髪も綺麗。知性的。そして物怖じしない度胸。この特技に、シックススパン。これは宝物だ! 国宝級の宝物だ!
ゼペットの興奮は収まらない。
「それより、何曲弾ける?」
「……ピアノなら1700曲」
「な、なんと……」
ゼペットは素直に感動した。
「もう一曲、違う曲をもう一曲弾いてくれ!」
「……もう一曲」
ビィーは考え込んだ。
さっきは可愛い曲だった。次は複雑で激しい曲が良いだろう。
ビィーの綺麗な指が、再び鍵盤に置かれる。
ロビーにいる人々の息を呑む音が聞こえた。
そして演奏が始まる。
――ベートーヴェン。ピアノソナタ第17番ニ短調作品31-2、第三楽章――
ベートーベンを表して建築家と言わしめたピアノソナタ。その名もテンペスト。
「麗しの春の日」亭ロビーは、文字通り感動の暴風に見舞われることとなる。やっちまったな。
「フレイ、あなたのおかげで無事就職できた。何と礼を言って良いか、わたしの語彙のなかに適切な言葉が入っていない」
麗しの春の日亭の玄関前で、ビィーはフレイの出立を見送っていた。
「いいてことよ。また縁あったら会おう。じゃあな!」
営業用スマイル、爽やかバージョンを浮かべたフレイは、軽く手を振って別れの挨拶とした。
「フレイ! 困ったことがあればわたしを頼ってくれ。必ず助けに行く」
「ああ、その時は頼むよ」
絶対この館からは出られないだろうけど、気持ちだけは有り難く受け取っておくフレイであった。
こうして、ビィーは、高級娼館「麗しの春の日」亭に高値で売り飛ばされ……もとい、就職したのであった!
次話「王宮」
次回、第2章の最終回です。
諸事情により、投稿は16日(月)になります。