5.魔窟の魔王、アンラ・マンユ
「魔王、迷宮の黒霧、魔窟の魔王。災害魔獣の一つ。な、なんだよ。なんでこんな所に? なんで俺たちなんかに?」
狼狽えまくるフレイと対照的に、ビィーは魔王をしっかり見ている。
フレイの体に手を回し、匍匐前進で森の中へ逃れようとしている。
『逃げずとも、とって食わぬわ』
ビィーの頭の中に声が響く。状況から判断して、アンラ・マンユなる魔物が発した言葉と思われる。
「喋れるのか?」
ビィーの顔は無表情ながら、驚いているのがよく伝わる。
『ほう、女、おまえ、我の言葉が聞こえるか?』
「真意はなんだ? 簡潔に述べよ」
「おい、ビィー! 何独りごと言ってんだ? 気は確かか?」
フレイにはアンラ・マンユの声が聞こえないようだ。
今この時点、この場所はレッドゾーンだ。ビィーはフレイよりアンラ・マンユへの対応を優先した。
「お前は何者だ? どの陣営に属する?」
ビィーの顔をその黄色い目でじっと見つめる魔王アンラ・マンユ。やがて口を開く。
『今のお前に、我へ質問を出す権限はない。我の質問にのみ答えよ。そこを動くなよ』
アンラ・マンユは片腕を振った。
ビィーの周辺に、血のように赤い粒子が舞い始めた。
「うわわわわ!」
フレイは素早い動きでビィーから離れた。
赤い粒子は、ビィーの体に螺旋を描きながら纏い付く。
ビィーは、腕を振ってみるが、赤い粒子は消えない。
粒子が集まり、いくつかの筋となる。植物の蔦となり、ビィーの体を締め上げた。蔓に薔薇より尖った棘が無数に出現する。
左胸、心臓の上で白い蕾が鎌首をもたげた。付け根には、より鋭い棘が、胸に向かって生えている。
もう一度力任せに引き千切ろうとするが、出力が足りない。
”出力、メイン・ジェネレーターへ移行。メイン、アイドリング中に付き出力不足”
ビィーは、ミノタウロスと互角に戦えるパワーを出力した。
しかし、蔦はビクともしない。
ビィーは力任せの解決を放棄した。他の脱出法を探りはじめる。
『その蕾より花が咲くと、棘が心臓に刺さる。なに、嘘さえつかなければ花は咲かぬ』
トラップである。外装が柔らかくなったゆえ、今のところ、ビィーは刃物を弱点としている。
『我に嘘は通じぬぞ。我は嘘を見抜く力を持っておる』
「嘘をつくのは苦手だ。質問を受け付ける」
アンラ・マンユの目が赤く輝きだした。
『全ての問いに、ハイかイイエで答えよ』
「承諾した」
ビィーは無表情のままだ。アンラ・マンユの隙をうかがっている。
『この近くに、ミノタウロスの迷宮がある。それは知っていような?』
「ああ、知っている」
知っているか否かなので、知っていると答えた。そこを通ってきたか? とまでは聞かれてないので答えていない。もちろん胸の蕾は開かない。
『ハイかイイエで答えろと申し渡したはずだが? まあよい。嘘はついておらぬな。そこで何かを手に入れなかったか?』
「いいや、何も」
ビィーの見解では、手に入れたのではない。預かったのだ。
今回もつぼみは開かなかった。
『……ハイかイイエで答えよ。よいな? 今回も嘘はついておらぬな。では次の問い』
アンラ・マンユの顔がビィーのすぐ側まで近づいた。顔だけでビィーの数倍はある。
この状態で噛みつかれたりしたら、ビィーの頭骨は簡単に砕けてしまうだろう。
『お前、迷宮よりの品を持っておるな?』
「持っていない」
ビィーは即答した。
彼女感覚では、所持しているのはフレイだ。彼女は「持っていない」。
蕾は開かない。
『あれほどハイかイイエで答えよと申し……もとい。嘘はついておらぬようだな。しかたない。では最後の問いだ。そうだな……』
アンラ・マンユの目の色が赤から黄色に変わった。どうにか最大の危機が去ったようだ。
『そこの男が、迷宮よりの品を持っておるのだな?』
今までのが振り。最後の問いが本命だった。
「いや、持っておらぬが?」
ビィーはしれっと否定した。
胸の蕾は開かない。嘘ではないと判断された。
『ハイかイイエで……もうよい。嘘はついておらぬようだな』
花を咲かせる事なく、蕾がポトリと音を立てて落ちた。ビィーを戒めていた赤い蔓が消える。
『もうよいぞ。お前らに用はない』
近づいていた顔が遠くへ去る。風が吹き、黒い霧が渦を巻く。
ビィーとフレイは砂埃を避けるため目を閉じた。
目を開けた時には、アンラ・マンユの姿が消えていた。
「なんだったのか?」
ビィーは最後の質問に対し、首を捻っていた。
フレイは迷宮よりの品を「持っていない」。迷宮よりの品は、ロバの荷物に「しまいこんである」のだから。
フレイは、アンラ・マンユとの経緯を聞いて、呆然として佇んだ。
ビィーは先にお昼をすませ、水を口に含み、荷物を片付けだした頃。
「危ないところだったじゃないのー!」
フレイが復活した。
「魔王まで出てくるなんて……あの袋の中には何が入ってるんだ?」
「フレイ、この世界の神話を教えて欲しい。特に魔王の辺り」
「神話? ああ……」
フレイは少し考えた。
彼女が神話を知らない事にいぶかしんでいるのか? 系統づけて話すために頭の中を整理しているのか?
「この世界を作った神がいました」
フレイの話が始まった。
「空と大地と海を作ったとき、その影から魔物が生まれてしまいました。空の影から巨鳥ジズが生まれ、陸の影から巨人ベヒモスが生まれ、海の影から巨大魚リヴァイアサンが生まれました」
「なかなかやるな、神」
「……ちょっと意味が解りませんね。……話を続けます。暴れる魔物に、神は手が付けられないでいました。なぜならこの神は体が弱かったのです」
「神は万能ではなかったのか?」
「まあ、黙って聞け。そこで神は助けを求めました。すると、新しい神が海の向こうからやってきました。その神は強い神でした。新しい神と三つの魔物との戦いが始まりました。七日間に渡った言語を絶する戦いに勝利したのは、新しい神でした」
「その神は背が高くて変な髪型をしていなかったか?」
「知り合いに神様がいるのかい?」
「二人ばかり」
「……黙って聞け。三つの魔物は倒れるには倒れましたが、魔物の血や肉片、毛や鱗などから、小さな魔獣達がたくさん生まれました。でも三つの魔物より遙かに弱く、人間の手でも狩ることができました」
「レックス……巨大なトカゲも魔獣か?」
「ドラゴンね。ありゃ最強の魔獣だ。魔獣使いか騎士の一団でも繰り出さなきゃ倒せない。……まさか?」
フレイは、ビィーの無表情な顔をじっと見つめる。
「まさかね。コホン! ……そして、古い神は、新しい神にこの世界を任せ、隠居する事にしました。新しい神は、空に、地上に、海に生き物を沢山作りました。隠居した神を旧神、新しい神をまんま神と呼ぶようになりました。おしまい」
フレイはビィーの様子を見た。彼女は俯いて考え込んでいる。フレイは肩をすくめてみせた。
「オリュンポス山脈の向こうのどこかに、人の顔をした山があって、その下にベヒモスが眠ってるとか、遠い島の火山にジズが眠っているとか、南にリバイアサンの眠る深い海があるとか、それっぽい噂話や伝承はある」
ビィーは顔を上げた。
「災害魔獣は人の手で狩れないはずだが?」
「あれらは別格だ。後の世で出てきたんだ。たまたま強い個体が六体生まれたんだろうな。普通は、人が数と武器を集めれば狩れる生き物だ。3世代の内、災害魔獣1体出現の話を1回聞けるかどうかってのが災害魔獣さ」
「3日間で2回遭遇したから、その辺をウロウロしている魔獣かと思ってた」
「……この遭遇率は、たぶん、俺の遭遇率じゃなくて、ビィーの遭遇率なんだと思うよ。いずれにしろ、この事は人に話さない方が良い」
「了解した」
フレイは不安な表情を浮かべたまま、旅の準備をするため、立ち上がった。
どうしてもビィーを相手にすると、調子を狂わされるようだ。
現に、フレイは今も、商売用の仮面を被り忘れている。
神に会ったとか、ドラゴンを狩ったような思わせぶりをしたし、……神話を知らなかったり……。
「いけない、いけない」
フレイは頭を軽く振り、商売用の微笑を口に浮かべた。
「ちなみに、ビィー。君の土地の神話とか聞かせてくれるかい? そっちには災害魔獣とか、世界を滅ぼす魔獣とかいるのかい?」
ペースを取り戻すため、ビィーに喋らそうと仕向けた。
「神話はデーターベースにない。だから知らない。災害魔獣はいない。世界を滅ぼすという括りで、破滅兵器なら知っている」
「どんな?」
「昔、小さいので一つの都市を壊滅させ、長い年月人に害をなす……呪いを振りまく兵器が使われた。それの何倍もの破壊力を持つ、同じ兵器がたくさん作られたが、最後は管理が難しくて廃棄した」
ビィーは放射能という言葉を知らないフレイに、この世界で分かりやすい言葉に置き換えて説明した。
「現代では、超磁力によって……特殊な物質を圧縮し、同様の効果をもたらす兵器が運用されている。……いまから思えば、超磁力兵器の爆発でこの世界へ飛ばされたという仮説が有力に思える」
フレイは、彼女の話を半分も理解してなかった。理解はしてなかったが、とんでもない国からやってきた事だけはわかった。
「ま、まあいいか。旅を急ごう」
フレイは、また仮面を被り忘れていたのだった。
次話「帝都ゴッドリーブ」
人が集まるところに仕事がある。