―― ビィーの件 ――
帝都へ向かう。そうは言っても普通の旅ではない。
薬の行商人たるフレイの仕事は、各地に散らばる村々を根気よく回ることである。
いわゆるルートセールス。小さい村々が相手だ。
とは言うものの、たまには大きな町を経由する事もある。理由は二つ。そこを通過しないと目的の村へ行けない場合。もう一つは、たまには羽を伸ばしたい場合である。
今回、フレイとビィーが寄ったのは、幾つかの街道が合わさる、大きな町であった。
二人が訪れたのはビルギットと呼ばれる町。地方都市と呼んでもよい。大規模な町であった。
そして、ビィーにとって初めての大都市だった。
意外に思われるかもしれないが、ビィーは市街戦の未経験者。現在のスキルでは市街戦を苦手としている。
前世の戦場は、ほとんどが野戦、山岳戦であった。ちなみに、最も適化しているフィールドは森林戦である。
……今回の一件に関係ないが。
周囲をぐるりと囲む石の壁。防衛力が高い。
つまり安全な町。
物流が便利で、安全に暮らせる。人が増えるには十分な理由だ。
「栄えてしまった町は、ある時点で欠点が出現するんだ」
町と野の境である防壁をくぐり抜ける前に、フレイが豆知識を披露しだした。
「この町は2階建てはもちろん、5階建ての家も沢山ある。町の外縁部、つまり、貧乏街は木造の2階か3階建てが多い。中心部の貴族や金持ちが住む地域は石造りの3階建てが多い。縦に建物が伸びているんだ。それはこの町の欠点に由来する」
二人は境界をくぐり抜けた。
目の前に背の高い建物が現れた。
「なぜだと思う?」
ビィーはフレイの話を聞いていないのか、周囲に視線を配っていた。
なぞなぞの答えを探しているかの様に見えるが、実は違っていた。
彼女は、背の高い建物の屋上部分を気にしていた。
「聞いてる? ビィー?」
ビィーはフレイの顔に視線を戻した。
「土地に制限のある町で人口が増えると、横へ広げるのに限界が生じる。ならば住居は上に伸ばすしかあるまい?」
正解である。
無感動に正解を返されて、フレイはバツの悪い顔をしていた。
「それより、あそこ」
目で、とある建物を指し示す。
「どこ?」
木造3階建て。3階部分の小さな窓だ。
「あそこから狙われると厄介だ」
「え?」
「それとあそこ」
反対側の屋上。そこを鋭い目で睨んでいる。
「居るな!」
「いねぇーよ! 何好きこのんで俺たちを弓矢で狙うんだよ! こんな人通りの多い通りで!」
「弓か……無音だな。厄介だ」
「おまえが厄介だよ!」
フレイの苦労は続く。
ビルギットの大通りは煉瓦敷きである。入り口から中央の領主館までずっと続いている。
「なあフレイ。何で煉瓦がこうも歪んでいるのだ? 歩きづらくないか?」
うねっているのが一目でわかる。出自がメイドインジャパンなためか、ビィーは妙に気になっていた
「作った時は真っ直ぐだった。いわゆる経時変化だな。穴が空いてるわけじゃなし、問題ないだろう?」
フレイは気にしていない。
「修理などの対策はとられないのか?」
「去年、領主の命令で荷車や馬の通行が禁止になった。これ以上壊れないためだ」
「煉瓦作りの意味がないな」
所々、土が煉瓦の上に浮いている。崩壊するのも時間の問題だ。
ビィーに町というものを理解してもらうため、近くの店に入った。
いわゆる慣らし運転である。
「なんだここは?」
「ここは金物屋だな。鍋とかフライパンとかヤカンとかの大きいのとか……ビィー? 何をしている? ビィー!」
ビィーはダッチオーブンタイプの鍋を警戒していたのだ。
「圧力釜爆弾テロ」
「いや、何言ってるかわけわかんねーし!」
フレイはビィーを外へ引きずり出した。
300キロを超える体重を引きずり出した火事場の馬鹿力は目を見張るものがある。
「むっ!」
ビィーが三軒隣の屋根の上を見上げた。
「伏せろ!」
「またかよヲイ!」
フレイの襟首を掴んで倒した。そのまま引きずって店先の物陰へ隠れる。
通行人が二人を物珍しそうに見ている。とっても恥ずかしい。
「こんどは何だ?」
「屋上で黒い影が動いた」
「カラスだ!」
「店先でそんな大声出しちゃこまりますね?」
「すんません!」
店から顔を出したオヤジに怒られた。もの凄く怖いオヤジだった。
立ち上がったフレイは、商品を手に取った。
町娘が頭に巻くスカーフだった。
「これください」
「まいどあり」
客となると態度も変わる。
「お連れさんにプレゼントですかい?」
「そんなところだ」
迷惑行為を受けた果てに、安くもないスカーフを買ってやる。
いまいち釈然としないが……。
町娘っぽくスカーフを巻いているビィーの姿を想像。可愛いかもしれない。ちょっとうきうきしてきた。
「ビィー。君にこれをあげよう。巻いてみてくれ」
「ありがとう」
ビィーはスカーフを三角に折って頭に乗せ、左右に垂らす。右側のスカーフを捻り顎の下に通し――。
ここまでは普通の巻き方だった。
多めに余らせておいた左のスカーフを右へ持って来て……。
口の前へ回して後頭部へ。殺気の端っこと首の後ろで結ぶ。
口を隠し、目だけを出したシュマグ巻のできあがり。
どこから見ても砂漠地方の危ないテロリストのできあがり。
「だれが覆面にしろと言った!」
フレイが怒った。
「ここの通りを抜けるといつもの宿屋だ」
今度は石畳の道だ。
相変わらず凸凹しているが、メインストリートより頑丈そうだ。
荷車や馬車の往来が激しい。
「表の大通りより賑やかだな」
それなりの速度で荷車が行き交っているので、気をつけないと危ない。
「あそこが通行禁止になってる分、こっちに流れて――おっと危ない!」
人をひき殺しかねない速度の荷車が後ろから通り過ぎた。
「もうちょっとで宿なんだが……おや?」
道をふさぐ様に荷車が止まっていた。
それなりに広い道なんだが、道の片側に穴が空いている。敷かれた石が割れて穴が空いているのだ。
穴が空いている間は、ほんの数メートル。
「なあフレイ、争ってる声が聞こえるんだが?」
「そうだね。ああ、向こうからも荷車が来ているんで詰まってしまったんだ」
荷車を牽く人夫同士が怒鳴り合っていた。
「狭くなってるのはほんの少しだ。どちらかが何歩か下がれば行き交う事ができるだろう?」
「どちらかにそれをする気があればね」
見る間に人が集まっていく。大停滞が始まった。
「どうして譲り合わないのだ?」
「なんで譲らなきゃならない?」
フレイが何を言ってるのかビィーには理解できなかった。
「……深い意味があるのか? 例えば道徳的な何か……」
「無いよ」
「無いのか?」
「下がるのがめんどくさいのと、下がると負けるからじゃないのか。下がったって相手は礼なんか言わないし、逆に文句の一つでも聞かされるのがオチだ。誰が下がるかね?」
”ぷつん”
ビィーが走り出した。
彼女の中で何かが切れた模様。
ジャンプ一閃、両足を揃えた跳び蹴りが荷車に突き刺さった。
3百キロの跳び蹴りである。一撃で荷車がバラバラになった。
それだけでビィーの怒りは納まらない。対向車にも同様の裁きが下される。
見る間に二台の荷車は廃車となった。
「なにやとんだ? よそ者が!」
運悪く、そこを警邏の一団が通りかかった。
事情を聞きたかったが、荷車の持ち主は、顔に痣をこしらえて意識を無くしている。
ビィーに質問が集中するが、「民意が」とか「マナーが」とか、警備員にとって理解不能な概念を持ちだしている。
ぶっちゃけ話しにならない。
「あ、すんません。これどうぞ」
フレイは幾ばくかの銀貨を警備員の隊長に握らせた。
「なんだこれは?」
「解体業の税金です。荷車を往来で解体しちゃったんで、当然のこと税金を払わなければと思いまして」
見つめ合う目と目。
「そういう事なら受け取っておくか」
隊長はポケットに銀貨をしまった。
「おい。人夫共をしょっぴけ!」
スピーディーに解決した。
フレイに腕をつかまれ、ビィーはその場を足早に後にした。
「なんだ今のは? 賄賂か?」
「税だ、税。全国共通の解決方法だ。気にするな」
「いいのか?」
「地方の風習だからな。仕方ないんだよ」
「そうか、風習なら仕方ないな」
フレイは道筋を変えながら、早足で歩く。まるで追跡者を振り切る様に。
「やっと宿に着いた」
宿屋の2階。二人部屋の前まで辿り着いた。
まさに辿り着いた。フレイはもうヘトヘトだった。
人気の屋台に群がる人を見て、「並ばないのか?」と聞いたり、あげくに暴動化して屋台を破壊し始めた人の群れに突っ込もうとしたビィーを必死に止めたりとか、後何件か騒ぎがあったが思い出したくもない。
とにかく疲れたのだ!
「……何をしている?」
ふと見ると、ビィーの腰が引けていた。
怖がっている?
宿代節約のため、二人部屋をとったのだが……。
まさか、フレイに襲われるとか考えてないだろうか?
「怖いのか?」
「中を確認していない。奇襲やトラップの危険性が――」
「ねえよ!」
いい加減にしろ。であった。
次章、無慈悲なる最期――コア帝国へ
第一話「ミノタウロス」
たぶん、9日更新予定。