10.そして冒険が始まった…
薬の行商人フレイは、コア帝国の帝都ゴットリーブへの道をのんびり歩いていた。
旅の道連れは、運搬用のロバ一匹。
懐には銀貨がいっぱい。
ロバの背には大量の傷薬。
自然と顔がニヤケだす。
幸せな気分に浸っていたところ、後ろから騒がしい荷馬車がやってきた。
「おーい! フレイ君! 待ってくれー!」
御者席の隣に座っている小男が、せわしげに手を振っている。
あれは……。
「麗鈴館の親父、アンビス?」
土煙を上げながら、見る間に近づいてくる。
「ああ、やっと追いついた! フレイ君、頼みがある!」
泣きそうな顔をしたアンビス。御者席から飛び降りた。
荷台を見ると――無表情なままのビィーが、明後日の方向を向いて座っていた。
嫌な予感、という文字を顔に浮かべているフレイの手を、アンビスがとった。
「返品だ!」
「返品はききません」
「代金はそのままでいい」
「承りました!」
軽くなった分、逃げる様に速度を上げて荷馬車が走り去っていく。
見送りながら、ぽつねんと立っているビィーとフレイ。
「どうしたんだビィー? いや、聞かなくても大体わかるが……」
「これは推測だが、戦闘力の高い者は、あの館に就職できない規則らしい」
ビィーがフレイに顔を向けた。顔の半分が真っ赤だ。
これは血だ。それも他人の血だ。
「なるほど」
フレイはちょっとの間、商人の顔をして考えていた。
「ま、損したわけじゃないし。旅は道連れって言うし、最後まで面倒見てやるよ」
「何から何まで世話になって申し訳ない。感謝の言葉もない」
律儀に頭を下げるビィー。
フレイは、今日の青空の様な爽やかな笑顔をして、こう言った。
「私は最終的にコア帝国の首都まで行く。そこで再就職活動をしよう。当てがあるんだ。麗鈴館よりもっと大きな店だ。私の顔で斡旋してやるよ」
フレイは商売用の笑顔で、悪巧みを巧妙に隠していたのだった。
「助かるが、それはフレイばかりを働かせることになる」
「じゃあ、就職先が決まるまで用心棒でもしてくれるかい?」
「おやすい御用だ。なんなら旅人を襲って路銀でも稼ごうか?」
「それは止めようね。とにかくよろしく頼むよ」
狐の様な目をしたフレイが手を差し出した。
「商人は、握手で契約成立とする習慣がある」
小犬の様な目をしたビィーが握り返した。返り血を浴びたままの顔で。
「フレイは善人なのだな」
契約成立なのであった。
「まずは、血の付いた体と服を洗おうか」
一方、ギオウ流王級免許のヴァシリスは――。
故郷とも言える、ギオウ流道場へ戻っていた。
まだ朝とは呼べぬ闇の中。道場の真ん中で剣を構えたまま彫像の様に動かないでいた。
空の色が黒から紫に変わった頃、彼の瞼がぴくりと動いた。
「一皮剥けたか、ヴァシリス」
後ろから声が掛かった。
ヴァシリスは剣を収め、背後に立つ人物に一礼。
顔を上げる。目には挑発的な赤い色。
「師匠は……真剣白刃取りを戦場で使えますか?」
「相変わらずいきなりだな」
師匠と呼ばれた男はまだ若い。といっても中年の坂を下りはじめた頃合いだが。
免許を受け取った足で道場を出て行ったヴァシリスとは、最初から馬が合わなかった。
「あれは鍛錬の一つに過ぎぬ」
今回も嫌がらせだと判断しての口調で答弁した。
「実戦に導入しようとは思わない方が身のため……」
師匠の顔が引き締まった。ヴァシリスの目が尋常でない熱を帯びていたからだ。
「いたのか? 使い手が?」
こくりと頷く。
「知らない流派です」
師匠は、ヴァシリスの目を覗き込む。
そのまま二人は黙ったまま突っ立っていた。
外が明るくなった頃、師匠から口を開いた。
「ギオウ流剣法の免許は、お前が十分だとした王級、その上に帝級がある。これは私が持っている」
王級は全ての技を習得した物の証。
帝級はそこから一歩進んだ者に与えられる免許のことを指す。
よって、帝級免許を持つ者。それがギオウ流の最強剣士の証とされている。
ヴァシリスは王級免許さえ取得すれば、後は自力で帝級を超えられると思っていた。だから、王級免許を取得したその足でこの道場を出て行った。
「お前に教えることが一つだけ残っていた」
師匠は嬉しそうな顔をしている。それは皮肉ではなく、本気で喜んでいる顔だ。
「帝級の上に神級がある」
「まさか! いや、やはりと言うべきか」
ヴァシリスは驚きの後、期待の予感に身を震わせた。
「言っておくが、神級を極めし者の前では、王級や帝級など児戯に等しいとされている。当然、その高みに上れる者など、万人に一人。故に修行は生半可なものではない。私ですら諦めた」
師匠はニヤリと笑った。
「噂に聞いたことがあろう? ギオウ流の聖地」
ヴァシリスは目を見開いた。
「紹介文、書いてやろうか?」
「何故、俺に?」
ヴァシリスの問いに、師匠は答える。
「帝級免許を持つ者は教師である。教え導く者だ。お前の様な生意気なガキを地獄の訓練所に叩き込むのを至上の喜びとする」
その言葉を聞いてヴァシリスが口の端を笑いの形に歪めた。
「では一つお願い致します」
頭を下げるヴァシリス。
すぐに頭が上がったが、悪者の顔で笑っていた。
「礼には及ばぬ。実を言うとな、私の敵わなかった夢を代わってお前に叶えてもらいたくてな」
師匠の笑みは極悪人のそれだった。
「ふふふふふ……」
「うふふふふふ……」
真っ黒な笑い声が、すっかり明るくなったギオウ流道場に低く響いていた。
もう一方。ビィーに蹴り倒された男。スイオウ流のレヴァンは――。
南の海で小舟を漕いでいた。
目指す島は見えている。とても小さな島だ。
ゼルビット地方の、とある巨大半島の南端。そのすぐ向こうに見える濃緑色の島である。
時折首に手を置く仕草をする。まだ傷が癒えていないのだ。
「あの女、顔はしっかり覚えたからな! 体格も……」
そこで、とある体の部分の目撃記憶を思い出し、頬を赤らめる。
「もとい! こけにしやがって!」
記憶をかき消す様に意地になって艪を漕ぎだした。
「こんなのアリかよ! 俺は認めねぇ!」
もうすぐ島に着く。そこはスイオウ流の神級免許を持つ者がいると聞く、地獄の島だ。
さらに……。
ライオウ流抜刀術の王級免許保持者、ディノスは診療所で目が覚めた。
目が覚めたのだが、片方の目が覚めない。
「気がついたか?」
医師と思われるひげ面の男が、隣の患者を診ながら話しかけてきた。
一緒に担ぎ込まれてきた騎士を診ているのだろう。ディノスより重傷だった。
「右手はすぐ治るが、右目は諦めろ。こっちの男はもう剣を握れない体になった。その程度で済んで運が良かったと思え」
それだけ言うと、隣の部屋へ消えていった。
「ふむ、確かに運が良かった」
利き手である右腕を顔の前に上げてみる。
ちゃんと動くし痛みも走る。痛みを感じるということは、神経が生きているという事。
全ての指が動くことから、筋は切れていないと思われる。
槍の穂先が、筋肉に沿って突き刺さったのだろう。太い血管も切れずにすんだのだろう。
確かに医師の言うとおり、しばらく療養に専念すれば、すぐ元通りになるだろう。
ディノスは剣士である。片足と利き腕が残っていれば、あとは何もいらない。
目だって、色と形が判る程度に残っていれば十分だ。
「そう、目だな」
ディノスはあの時の記憶を脳内で再生させていた。
白い女は、俺の剣を抜き取った。抜き盗ったのだ。
目では捕らえられなかった。だが、抜き盗られたシーンの認識があった。
「これだな。物を見るのに目は必要ない」
ディノスは喜んでいた。もう一段上があった事に気づかせてくれた、と。
代金が片目だけなら安いもの。嬉しくなってきた。
「確かに俺は運が良い」
これであの女を斬ることができそうなんだから。
―― 第1章 終わり ――
1章終了。
2章から、話の流れが変わります。
注)ギャグには走りません。