1.白面の殺人機
0.縁
ここは、とある世界。
神の目から見下ろせば、作り損ねて欠損させた上、油鍋の中で爆発したドーナッツ状の超大陸と、小さい大陸と、いくつかの諸島から成り立っている事が解るであろう。
だが、未だ世界の果ては海の水が滝となって奈落に落ち、大地の周囲を星々が周回する不思議世界となっている。
人がそう認識している以上、丸かろうが滝だろうが関係ない。
ここは、剣と魔法と汗臭い鎧と理不尽が支配するステキ世界なのである。
薬の行商を営む男フレイは豪雨の中で、荷物を背負わせたロバを牽いて山道を下っていた。
年は二十代の前半。男前なのだが、前髪が長くてチャラい印象を与える。
山向こうの平原は、大国同士の戦場となっている。加えてこの天候である。
危険を伴うが、この狭い山道以外に、ディオンの町へ抜ける手立てはない。
大小の礫が転がる道は、川のように雨水が流れていた。片側の崖下は、本物の川であり、濁流を轟々と音を立てて流れている。
「これはまずいな」
フレイは道の先を思い、溜息をついた。
この少し先、山道を下り終えると川と同じ高さになる。あふれかえる川の水により通行の遮断を予想したからだ。
「何とかなるさ。何とかなるって。何とかしてくださいよお~」
懇願しながら、道を下りきった。
「何とかなった!」
川幅が広くなっていたので、予想より遙かに水嵩が少なかった。
とはいえ、危険地帯に違いは無い。早く過ぎ去るのが安全だ。
ロバを急き立て、再び登り道に入ろうかとしたとき、目の端に、動く白い色を捕らえた。
「人か?」
この雨と激流だ。人が流されたのかもしれない。フレイはロバから離れ、走った。
人だった。髪の長い女の人?
女は自力で上がってきた。見た目、さほどダメージは負ってなさそう。
それが証拠に、激流の中から岸へ上がった女は、平然とした顔をしている。
彼女と目があった。
背の高い女だった。不思議な女だった。
白い顔、銀色の長い髪。
何より不思議なのは……。
「裸? なんで裸?」
全裸である。長身である。
小さいながら形の良い胸の膨らみの先端に、挑発的なチェリーが一対。
水分を含んでべったりした銀髪は、腰までの長さ。
右手に、無光沢ブラックの複雑なデザインをした金属を握っていた。
ランタンの明かりのみ、降りしきる雨、渦を巻いて流れる川。その光景と女の裸がミスマッチ。とても怖い。
「裸?」
女が口を開いた。
「裸なのは、あなたも同じ」
フレイも裸だった。全裸だった。
「いや、俺はいいんだ! ほら、雨だろ? 服濡れるじゃん? だったら裸で良いよね?」
「なるほど」
女は納得した。素直である。
そんな女に、フレイは毅然とした態度で優しく声をかけた。
「こんな山の中に女性一人じゃ危ない。どこに変態がいるかもしれない。僕が町まで送って上げましょう」
フレイは隠し事のない紳士であった。
「私はフレイ・ブラウン。薬の行商人だ。君は?」
「わたしの名はBBK106.JP。……無職だ」
1.白面の殺人機
剣は、人がなくした爪と牙の名残である。そう言う者がいる。
銃は、腕をとてつもなく長くしてくれるデバイスである。そう言う者もいる。
石のナイフは金属製の槍となり、刀となった。投石用の石は、弓となり銃となり、ミサイルとなった。
逆に言えば、武器を持たぬ人間はひ弱なのである。
それ故、人類が武器に対する思い入れも強い。
古くは魔剣、聖剣の伝説。体が武器と称する武芸者。
武器に意思の存在を認める思考。
それは果たして正しいのか?
人を斬れば刀。魚を調理すれば包丁。
短刀なら魚を捌ける。出刃包丁なら人を殺せる。
刃物に何ら変わりはない。刃物は対象を選ばない。
使う人間の目的により、刃物は武器となり道具となる。
武器に心など無いのだ。
現世では二つの巨大な国家集合体と、一つの小さな経済圏に分かれて覇を競っていた。
西の大国リクルト国家集合体と、東の大国ベルファルト共和国集合体の戦いは、今年の4月で5年目を迎えた。
主立った戦場の一つ、ガラマ境界線における現在の戦況は、俯瞰的視点で見る限り、動きが鈍いといえよう。
ガラマ山岳地帯内の局地戦のため、もっぱら人力で運搬可能な火器による応酬戦となっていた。
両陣営の歩兵が複雑に入り交じってしまったため、大火力機動兵器、および航空機戦力の投入時間は終わった。
現状は、リクルト国家連合がやや押し気味か? ベルファルト共和国が粘り強く前線を維持するか? そういう体であった。
木の陰、岩の陰。山には自然の陣地が無限にある。
攻略するには、一つ一つ敵の陣地・陣形を潰していかねばならない。
リクルト国家連合が、なんとか攻勢にでられている原動力たる戦力の1つにザック小隊がいる。彼らは、今まさにベルファルト軍の脇腹を切り裂こうとしていた。
「共和国の連中に陣地を築かせるな! ここがこの戦いの山場だぞ! けっぱれ!」
ザック小隊五十五名を率いるザック少尉が部下に檄を飛ばす。
機銃を撃ち込み、空間を空け、空いた空間に兵が飛び込み敵を制圧していく。
実に泥臭い戦いだが、この戦場ではそれが最も効率的であった。
戦場に突入して二時間。ザック小隊は一人の脱落者も出す事無く、リクルト軍の切り込み隊として、めざましい功績を挙げていた。
練度の高い兵。完璧な連携。どれをとってもトップクラスだった。
トップクラスだったのである。
彼の者たちが戦場に姿を見せるまでは!
一つの陣地を潰し、物資を補給し、仮の拠点を築き、さあ止めの進撃と意気込んだ時、それが戦場へ投入された。
斥候に続いた部隊主力の目の前に、いくつかの白い影が空から舞い降りた。
ゲルバ伍長がバーストモードの自動小銃をポイント。だが引き金は引かれない。
美しい瞳。細い顎をした色白の顔。プラチナに輝く長い髪。カチューシャに見えるパーツは、頭部のプロテクター。
動きやすそうな、それでいて体のラインを浮き立たせたツナギに武器は隠せない。いわゆる丸腰。
「女?」
歴戦の戦士が躊躇した。
「いや、ちが――」
ゲルバの意識はそこで潰えた。
白い少女がゲルバの懐に飛び込み、左の拳を伸ばす。顔面にヒットした拳がゲルバの頭部を吹き飛ばした。
「白面機が出たぞ! 数3――」
コンビを組んでいた兵士の声がそこで途絶える。数の報告ができただけが救いである。
白い少女の手には、兵士が持っていた軽機銃が握られている。
同じ姿形をした少女達は、全てザック小隊の兵士達から奪った武器を装備していた。
「敵は『白面機』だ! 女じゃないぞ!」
ベルファルト軍の奥の手。悪名高き白面機。
その正体は、少女の姿を持つ戦闘用アンドロイドBBK.JPシリーズ。
正式名称、デスロイド。今回、投入された機体ナンバーは、106、107、108の3機。
コードネームは順にサクラヒメ、アヤメゴゼン、キッカ。特に意味は無い。
戦闘不能になると自爆する厄介な兵器。
兵士の七割が男性である。現場に出る兵士は9割が男性。すぐバレるが、美しい少女の容姿は、ほんの一瞬だけ引き金を引く指を躊躇させる。
それがアンドロイドをもって、少女の顔と体型を採用させた唯一の理由であった。
彼女達は同じ形をしていても髪の色が違う。一人は先ほどのよく目立つプラチナ。もう一人はくすんだ金色。最後の一人は黒髪である。髪は放熱装置に過ぎないのだが……。
なかでもプラチナの白面機が他の二体より目立っていた。
他の二体のバディカラーがマットなオフホワイトなのに比べ、艶有りの薄ベージュ。
他の二体の髪は背中までの長さに対し、腰まで長い。
特別な機体なのかもしれない。
「全員、白面機に対応!」
ザックが声を張り上げる。
ファーストコンタクトで数を減らしたといっても、ザック小隊は五十名あまりの戦力を残している。
対して白面機は三人、……いや三体。ランチェスターの法則を持ち出すまでもなく、数の上で圧倒的に不利。
白面機三体が動く。セオリーを無視して、敵兵の最も集中する中央部へと走った。
走った線上に戦死者の山が築かれる。
ザック小隊は、相当数の銃弾を白面機へ命中させるが、彼女達は倒れない。
彼女の装甲は、携帯兵器程度なら通さない堅さを持っている。
足を止める事すらできず、犠牲者が増えていく。
「散開だ! 散開しろ!」
怒鳴り声が戦場に響く。
恐怖を知らない人形達。
彼女らの体重は三百キロ超。その体重に見合う白っぽい装甲に体が覆われている。
伸ばした手足が当たるだけで、柔な人体は破壊される。両手で扱うべく作られた大型銃器を片手で振り回す。
白面機の一隊が伸ばした腕。兵士の機銃を掴んだ。
「ぐあっ!」
彼女らの手から200万ボルトの電気エネルギーが流れ出る。スタンフィストを受けた兵士はまともに立っていられない。
対人戦闘に関し、生身の人では歯が立たない。装甲戦闘車両が立地条件を無視し、高速で走り回っているようなもの。
それが三体。同期させたような見事なコンビネーション。
ザック小隊が陣形を整えるまでに二十人の兵士が戦場に散った。
「喰らえ!」
無反動砲三門から砲弾が飛び出す。
命中、爆発。
「やったか?」
爆風がザックの視界を塞ぐ。
黒煙が盛り上がり……プラチナの髪を持つ白面機が飛び出した。
「くそったれがー!」
ザック少尉その人が分隊支援火気を構える。人力だけで、どうやって持ち込んだのか理解に苦しむ20ミリガトリング砲だ。
直径20ミリ、全長110ミリの弾丸が三秒間に渡り360発も発射された。
凶悪な弾丸は、プラチナ白面機の右ボディに吸い込まれていく。最後の一秒で右腕が肘から吹き飛んだ。
「やっ――」
ザックは勝利の快感に浸ることができなかった。
左右から黒と金の白面機に挟撃され、首と骨盤を砕かれて即死したからだ。
ザシュッ!
プラチナの白面機が一歩前に出る。右腕の損傷は大して気に掛けていない。
彼女は、白面機のボディに損傷を与える事が可能な火器の出現に対し、わざと正面に出て囮となったのだ。
指揮官と重火器を失ったザック小隊。そこを追撃するため、ベルファルト軍の通常部隊が突入してきた。
入れ替わりに、白面機三機が後退した。彼女達に新たな戦場が用意されたのだ。
やがて、戦場に日は落ちた……。
戦いを終えた白面機ことデスロイドBBK100シリーズ三機は体を休めていた。
ベルファルト軍宿営地内に中型のコンテナがある。その中に彼女達の整備施設が整っていた。
通常、六名の専属整備士がデスロイドを整備する事になっているのだが……。
すでに時計の短針は、文字盤の右側に移動を終えていた。
そんな深夜、一人の整備士がプラチナの髪を持つBBK106.JPに張り付いていた。戦闘の中核にいた機体である。
整備士は、若いが小太りで背が低い。汚い無精髭が伸び、髪はくしゃくしゃだった。
一言で表現すると、臭さそう?
「うひひひ」
小太りの青年が何か言った。
「チェルニーの練習曲はマスターしたかい? 今日はベートーヴェンの楽譜を全部入れてあげたよ。昨日はシューベルト入れたよね? クッキング全集はアップロードしたし、あ! 安心おし。メモリーも増設したし、クロックアップもしたから三倍は性能アップしたはずだよクヒヒヒヒ」
青年の目付きがなんかおかしい。
「これで元通りだよ、ビィー。……あとでワックス塗り塗りしてあげるね」
一人の献身的な整備によって、最も損傷が大きかったBBK106.JPは元通り、いや元以上に復元されている。
整備の効率を良くするため、戦闘服は着用していない。
各関節の節目が剥き出しである。排気口兼点検口である、小く膨らんだ胸の偽装も剥き出しだった。
BBK106.JPは目のシャッターを閉じ、スリープモードで待機していた。
目の下にクマを作った青年は、私物で持ち込んだ超高級天然カルバルナ蝋100%のワックスを取りだし、掌に擦り付けた。スポンジではなく、掌にである!
ビィー、もとい……BBK106.JPの髪の艶も、小太りな彼の手によるヘアワックス処理のおかげである。
余計なものを塗りたくるので冷却効果が30%悪くなっているのだが、そこは髪の長さを30%以上長くすることにより性能を保っているのだ。
ちなみにカチューシャ型ヘッドパーツは彼オリジナルのものである。
深夜の作業に付き、小太りで小汚い青年の他に人はいなかった。みんな疲れて眠っている。ちょっとやそっとの騒音で目を覚ますことはないだろう。
どうやら、日本はベルファルト共和国集合体に属している模様である。
「ワックスを塗り塗り……はぁはぁはぁ……」
息を荒くしだした小太りで小汚くて匂いそうな青年は、ズボンのベルトを外し始めた。
ついで、ズボンを下げ、パンツに指を掛ける。
その時、明かり取りの小窓から強烈な光が差し込んだ。
尋常では無い。青年はパンツを下げたまま次に行うはずであった行為を中断し、緊急マニュアルに従った。
「BBK106.JP、起動!」
プラチナのデスロイドが目を開けた。異常に早い起動。これは彼の組んだショートカットプログラムの恩恵である。
素早くハンガーから立ち上がる。
床から振動が伝わってきた!
「第一種装備!」
デスロイド専用大型ハンドガンを手に取るBBK106.JP。弾数を確認してから指示を待つ。
小太りの青年は一度下げたズボンを上げようとしたが、突き出た何かに引っかかって苦戦している。
彼には、最後まで知るよしもなかったことであるが、昼の敗戦にパニックとなったリクルト国家連合の現地士官の一人、スリーウッド大佐が、上司の許可を取らず、止める部下を殴り倒し、超磁力戦略ミサイルを発射したのだ。
無能な彼はこの後軍法会議にかけられ公開銃殺刑に処せられるのだが、それこそ青年の知ることではなかった。
青年の目の前で、コンテナーの壁が吹き飛び、黄色い光の渦が中へなだれ込んだ。
BBK106.JPに抱きついたが、そこは安全な場所ではなかったようだ。
「な――」
なんだ、という言葉を発する前に、青年とBBK106.JPは白い光の繭に包まれた。
それっきり、青年は意識を失ったのである。
次話「転生の儀」