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《エーテリアルアカデミー》とも呼ばれる国営の公立魔法学園。
この世界の人間なら誰しもが持つ魔力の正しい運用方法を学び、一人前の男性魔法使いや女性魔法使いを育てるための公的機関だ。
その高等部への入園資格は、魔法科の中学校を卒業し編入試験に合格すること、もしくは同校、中等部の卒業検定に合格していること。
シセン・ラスピリアが、そのどちらになるかというと前者だ。
家は世に名立たる魔法使いの名門――なんて他者が羨むような事実はなく、ごく一般的に地方の魔法科を卒業し、国立魔法学園に入るために上京してきた。
中学では、お世辞にも成績は優秀だなんて言えもしないのだが、合格にありつけたのは僕が持っている『とある素質』のせいだと思っている。
――魔力の最大保有量。
その最大値は、どれだけ鍛錬を積もうが伸びることがない――と研究の末に結論付けられている。
まさに生まれ持った素質そのものだ。
どういうわけか僕はこのキャパシティが並み外れて高く、それゆえ小さい頃から周囲に将来を期待されて育ってきた。
しかし、その期待が長く続くことはなかった。
天は二物を与えず、僕が魔法を習得する能力は人並み以下だった。
素質はあるが、才能がない――それがシセン・ラスピリアという人間だ。
◇
「おっ、決闘きたぞ」
国立魔法学園のとある教室。
あちこちから小さく、しかし無数に鳴り響く電子音。
声を上げた男子生徒が、その音源である左腕に嵌められた四角い携帯端末を覗き込む。
その端末の名前を【エーテリアルゲージ】という。
この学園の生徒ならば誰もが例外なく着用を義務付けられているものだ。
「場所は……ふむふむ。中庭だな。組み合わせは……っと」
その言葉につられ、他の生徒たちも自分の腕に嵌められた携帯端末へと視線を向け、指をかざして操作を行う。
「どっちも一年――って、おいおい……入学初日からかよ」
「しかも、中級対初級……番外だぜ? 何考えてんだこいつは」
その言葉はどちらに向けたものか、或いは双方に対して言ったのか……別の男子生徒が訝しげな表情を浮かべる。
この学校では、個人の能力に応じて、上級・中級・初級の魔法使いとして分類される。
中学で魔法科を卒業していれば自然と中級に配属され、高校から魔法科に進む生徒は初級に分類される。
つまるところ、初心者魔法使いだった。
それをさらに細分化したものに“順位”がある。
もちろん、それはエーテリアルゲージにも入試成績として反映されており、
「初級の方は、九八/一〇〇位……ド素人じゃねぇか」
魔法科を卒業していない一般生徒からの合格枠は百人。
公立魔法学園に合格できるだけでも素養としては充分なのだが、それはあくまで一般人から見た時の話だ。
在校生からすれば、ほぼドンケツの合格者など落ちこぼれ以外の何者でもない。
「まぁ、入学当初の順位なんて……マークシートや数字から適当に分けただけの曖昧な部分もあるからなぁ」
「そうだけど、相手は中級だぜ?」
内容とすれば、中学生と小学生の喧嘩に近い。
入学初日という異例の事態かつ異例の組み合わせに、上級生が呆れるのも、そして話題に挙げるのも無理はない。
「ただの物好きか…………よほど気に食わないことでもあったんだろうよ」
「そりゃそうだ。初級に勝ったって得られるもんどころか、失笑もんだしな」
上級生たちが笑い合う。
「……んで、どうする?」
「初級戦なんて見る価値もねーが……なんか面白そうじゃね?」
「じゃ、とりあえず見に行ってみるか」
生徒たちが顔を見合わせて席を立った。
◇
どうしてこんなことになったのか。
シセン・ラスピリアはただ首を傾げていた。
人間関係のトラブルというのは、大抵は誤解から生じるものだ。
「お、落ち着いて話し合おう」
そう思い、彼は何とか説得を試みてはいるのだが。
「さっきからスカしやがって……この俺相手に随分と余裕みたいだなぁ、初級風情が!」
いきり立った男が声を張り上げた。
【Battle】アイコンが点滅したエーテリアルゲージを見ると、相手の名前はフラッドというらしい。
ランクは中級、順位は――なんと二四一/三四四位だ。
数字だけ見ると分かりにくいが、中級からは在校生を順位も上位に含まれている。
入試における中級合格者数は一五〇人なので、在校している中級魔法使いは一九四人という計算だ。
つまり、彼の入試順位は九七/一五〇……いや、初級枠までも含めれば九七/二五〇位か。
(参ったなぁ……)
シセンは頭を悩ませた。
順位云々はともかく、入学初日から目立つことは避けたかった。
しかし、生来の性格が仇となって何かあると首を突っ込まずにはいられない。
「えーと……色々と誤解があるようなんですけど……」
発端を振り返ると些細なことだとは思う。
校内でボヤを見つけたので延焼を防ぐ為に慌てて消火した。
何やら頭を下げて去って行く小柄な生徒。
ふぅ――と安堵しているのも束の間、いきなりこの男子生徒に掴み掛かられたのだ。
何が何だかよく分からなかったので、とりあえず初対面である彼に「初めまして」と挨拶をした。
そしたら何故か絡まれた。
(おかしいな……)
上京のしおり『友達を作ろうマニュアル』では、最初の印象が肝心だと書いてあったではないか。
自分の笑顔に難があったのだろうかとシセンは考える。
しかし、そこで考え至ったのは、別の結論。
走り去って行った小柄な生徒とは、全く挨拶をしていないではないか。
「大変です、彼……いや彼女? ――まぁ、どちらでもいいです、挨拶をしなければ!」
「待てよ!」
すぐに後ろを向いて駆け出そうとしたシセンは襟首を掴まえられ、「ぐえっ」と情けない声を上げてしまう。
「あ、危ないじゃないですか、いきなり絞殺しようとするなんて!」
「今の流れをどう捉えたらそうなるんだよ! つか、勝手に逃げようとすんじゃねぇ!」
「逃げるだなんてとんでもない! 僕は、さっきの生徒をですね――」
そこで、シセンははたと気が付いた。
マニュアルにあった一文、“思春期の男子の嫌がらせは、好きな証拠”という言葉を。
「はっ――そうか!」
利き手である右手を顎にかける。
そして、正面から相手の目を見据える。
「君は、僕のことが好きなんですね――!?」
「は?」
停止した空間に、一陣の風が吹いた。
「残念ですが、僕はノーサンキューです!」
「ちょっと待て、いきなり何言ってんだテメェは!?」
「こんな外見なので不本意ながらも格好によってはたまに女の子と間違われたり変な誤解されたりもしますがれっきとした優良男子なんですごめんなさい」
「うるせぇよ、つか誰もそんなこと聞いてねぇだろ!?」
騒ぎを聞きつけて集まってきた――いや、エーテリアルゲージのせいか。
人垣からひそひそ声が漏れ始める。
フラッドの顔が紅潮し、プルプルと震え出した。
「――図星ですか!?」
「違ぇよ! 死ぬか!? 死にてぇんだなテメェは!?」
「死にたいと思うほど、僕は生活に困難していません!」
「あぁ、もう、イライライライライラ……!!」
男がバーニングエフェクトを纏っているのは、目の錯覚ではないだろう。
何せ、ここは魔法学園だ。
フラッドの身体から魔力が漏れ出しているに過ぎない。
「もしや…………先ほどの生徒も、君の毒牙に?」
シセンの言葉に、ブチン! という音が聞こえたのは空耳か。
「――あぁ、分かった。もう分かっちまったよ、俺ぁ……」
急に、フラッドの声が殺意の篭もったものへと切り替わる。
「テメェと話が通じねーのがな! もう死ねよ!」
ポツリ、とそう呟いた直後、フラッドが右手を開いてこちらに振りかざす。
「フレイムボルト!」
「ええぇっ!?」
どうしてこの流れで“また”魔法が飛んでくる――!?
などと思いつつ、シセンが思考する。
フレイムボルト――四大属性のひとつである火属性ランクⅡの【フレイム】と風属性亜種である雷属性ランクⅠの【ボルト】との多属性攻撃魔法だ。
さすがは中級魔法使いと称えるべきか、初級であるシセンに使えるランクの魔法ではなく、直撃すればただでは済まない。
「――っ!」
だからシセンも唱えた。
「ウィンドシールド!」
紡いだ言葉によって彼の身体の前に風の盾が生じる。
ウィンドシールド――防御魔法【ウィンド】は風属性のランクⅠという初歩のものだ。
風属性は火属性とは相性が悪く、加えて相手は中級の多属性魔法。
普通に使えば、フレイムボルトを防ぐような防御力はないのだが、
「はっ!」
シセンが右手を振るう。
ジュアッ! という空気が焼ける音と共に、フレイムボルトはシセンの身体を横に滑るように通り抜けていった。
火が風を好むなら、あえて空気の壁で挟んでそちらに誘導すればいい。
そちらの気圧を下げれば、放電された雷とて同じことだ。
「――なんだそりゃ!?」
「無駄です!」
シセンは、ずびし! と指を突きつける。
納得がいかずの再度放たれたフレイムボルトを同じ要領でいなすと、
「てんめぇ、そりゃどういうイカサマだ! あぁ!?」
中級魔法使い、名前はフラッドと言ったか――が、納得のいかない状況に困惑とこれまで以上の怒りを露にする。
相対するシセンは、現状にただ困っていた。
「イカサマとは失礼な。逃げ道を作る為に大気の壁を作ってですね……。あ、ちなみに壁ひとつ作るのに盾を十枚くらいで、それを――」
「そんな説明で納得できるか! 俺は火の中級だぞ!? テメェは初級の風使いだろうが!!」
理解できない事象を前に逆上するフラッドに、シセンはさらに冷静な説明を行う。
「確かに、風は火と相性が悪いですけど……魔力の使い方次第で、それ以上の密度があれば一応は防ぐことも可能で……」
「そりゃ、初級のそよ風より俺の炎の方が弱いってことか!? 百円ライターだって言いてぇのかゴルァ!?」
「あはは、ナイスジョークですね。面白いです」
「ぶちこーん!」
妙な掛け声と共にフラッドが開いた両腕を前に伸ばし、大きな呪杖を両手で横一文字に掲げた。
呪杖に漲っていく魔力に、フラッドから今まで以上の殺意を感じる。
「ハハハ……キれちまったぜ。俺ぁキれちまったよ……?」
では、今まではキれていなかったのだろうか――なんて考えるシセンだが口には出さなかった。
ゴゴゴゴゴ……! という擬音でも聞こえてきそうなくらいに、男の表情が怒りで歪んでいく。
「学園の医療設備に期待しておくんだなぁ……」
シセンとしては、ユニークな冗談を褒めたつもりだったのだが、どうも火に油を注いでしまったようだ。
「消し炭になりやがれ――フレアアロー!」
フレアアロー――火属性のランクⅢで【ファイア】や【フレイム】よりも上位にあたる。
【アロー】系は攻撃力を一点に集中させたもので、攻撃範囲こそは先のフレイムボルトに及びもしないがその破壊力は段違いだ。
間違っても丸腰で受けていいような生易しい魔法ではない。
一点に集中した熱気を前に、先に反応したのは決闘を見守る生徒たちだ。
「……お、おい。あいつ初級相手にとんでもないもんぶっ放してんぞ!?」
「これ、止めなくて平気なのか?」
「まぁ、消し炭にさえならなければ……魔法学園なら何とかするだろ。たぶん」
集まった生徒は、各々好き勝手なことを呟いていた。
しかし、当事者であるシセンは堪ったものではない。
(これ、当たったら痛いじゃ済まないでしょ……!)
自身の成績も成績だし、決闘の勝敗には特に関心もなかったシセンだが、具現化した魔力を眼前にこれを受けて負けるという選択肢はなくなっていた。
そうなると、何とかしてフラッドが発動した攻撃魔法を防がなくてはならない。
言うのは易いが、実行するとなると別――相手は純粋な火属性魔法のランクⅢ、こちらが使えるのは純粋な風属性魔法のランクⅠのみだ。
「僕もあんまり痛いのはごめんだし、申し訳ないけど……」
シセンは、自分の右手にある小さな杖を見つめた。
片手杖よりもさらに小型のそれは、指揮棒とも呼べるサイズだ。
愛用するタクトに軽く目を閉じて祈ったあと、それを相手に向かって振りかざした。
「いきます、ウィンドブレード!」
ウィンドブレード――風属性の初歩であるランクⅠ【ウィンド】系の攻撃魔法だ。
【アロー】が攻撃力を点に集約した魔法なら、【ブレード】は線に特化した魔法といえる。
その魔法を耳にどよめいたのは、やはり周りを取り囲む生徒たちだ。
「しょ、正気か――!?」
「フレアアローにウィンドブレードだって!?」
周囲の生徒たちがそう喚くのも無理はない。
火属性Ⅲの【フレア】に対抗するのなら、最低でも同ランクである風属性Ⅲの【エアリアル】――相性を考えれば、同じ威力ならそれでも押し負けてしまうのだ。
【ウィンド】で相殺するとなると、上級クラスの魔力でも疑わしい。
「ハッハァーッ! 終わりだな!」
シセンが唱えた魔法名を聞いたフラッドが、今度こそ自身の勝利を確信したように歓喜の声を上げた。
「はい、そのつもりです」
シセンがうな垂れたように囁いた。
そのか細い声も続く言葉も、フラッドに届いたのかどうかは分からない。
彼は、身体の前に形作った風の力をタクトで軽く叩いた。
「“エーテリアルバースト”」
見る目を疑う領域で膨張していく緑色のエネルギー。
吸い上げられた魔力がタクトに収束し、そして弾けた。
もはや音として知覚できない巨大な風の刃――いや、そんな形容では収まらない暴風の塊が、一直線に目の前のフレアアローを、対戦相手を、“全て”をなぎ払う。
あまりの衝撃に、その場に居合わせた観客が咄嗟に自身の腕で顔を覆い、中には自発型の防御魔法まで展開する者までいた。
眼前の腕を下ろし、見ていた生徒の内のひとりが、誰にともなく問いを発する。
「…………何が起きたんだ?」
その問いに答えられる者はいない。
普通に考えれば、為す術もなく初級魔法使いがフレアアローに撃ち倒されるだけのはずだ。
しかし、目の前にある結果はそうではなかった。
風が止み、舞い上げられた粉塵が落ち……その場に残っていたのは、地に横たわる男子生徒――フラッドと、“柄”を残して破片になった元よりも小さなタクトだけ。
ピピピ、と小さな電子音が鳴り響く。
エーテリアルゲージだ。
そこに表示されたのは、決闘の終わりを告げる勝者の名前――
『W is Shisen』