幼馴染の関係に終止符を
私――アメリア・ノーティスには、異性の幼馴染がいた。
異性の幼馴染というと、とても親し気で甘美な響きに聞こえるが、私にとってはそうでなかった。
その理由は、
私の幼馴染の相手は、この国の皇太子だからだ。
「待たせてすまない。」
そう言って、いつものように庭園にやってきた男。
この男こそが、私の幼馴染であり、この帝国の皇太子――。
レオン・オルディス皇太子殿下。
レオンは、ゆっくりと息を吐きながら私の向かいの席に座った。
そして、そのまま紅茶の入ったカップを持ち上げて口元へと運ぶ。
レオンがそこに座るだけで、とても絵になる。そう思うくらいに端正な顔立ちをしている、所謂イケメンというものだった。
そんなイケメンと幼馴染ならば、親の取り決めで婚約する展開もあるんじゃないか、なんて思う人もいるかもしれない。
しかし、残念ながら、そんな展開はなかった。
「わたくし、レオン皇太子殿下と婚約することになりましたの。」
以前から噂として上がっていたキャンベル公爵令嬢との婚約の話を先日、キャンベル公爵令嬢本人から聞かされた。
レオンは、カップを受け皿の上に置くと、私へ視線を向けた。
そして、少しムスッとしている私の顔を見て小さく笑った。
「何をそんなにむくれているんだ?」
少し揶揄いを含んだ声。
それと同時に瞳が柔らかく弧を描く。
そんな些細なことにも胸が高鳴ってしまうくらいに、私はレオンの事が好きだった。
そんな想いを胸の奥に押し込めて、私はいつも通りを装いながら言った。
「堂々と遅刻してきたことに怒っているだけよ。」
そう言いながらそっぽを向く。
いつも通りの私がどんなだったか分からなくなってきた。
どんなに胸の奥に仕舞い込もうとしても、それは虚しさと哀しみを帯びながら無理やり出てきてしまう。
レオンは、私がこんな感情を持っていることを知らない。
だって、物分かりのいい、親しい友人であるようにずっと頑張ってきたから。
彼がまだ私より身長が低い頃。
厳しい家庭教師から泣きながら逃げてきたレオンを宮廷の空き部屋に匿って、厨房からコッソリ頂いてきたクッキーをあげて慰めてあげた。
初めての舞踏会を目前に控え、"公爵令嬢と踊らなければならないから練習に付き合ってほしい"と言われた時も、快く引き受けて何度も練習に付き合ってあげた。
そのお陰で、本番の舞踏会でもレオンは一度もミスをすることなく、公爵令嬢と踊ることができた。
その優雅な光景を、今でもよく覚えている。
そして、レオンが皇太子に就任した後は、政務官や貴族たちに対する日々の鬱憤を、こうやって二人で紅茶を飲みながら定期的に聞いてあげている。
「お前といると、他の令嬢たちのように気を使わなくて済むから気が楽だ。」
そう言われた時は、「何よそれ」と笑って返しながら、心の中では酷く傷ついた。
彼にとって、私は都合の良い女。
異性として意識されることのない、ただの幼馴染。
どうして、幼馴染なんだろう。
何度そう思ったことか。
私は、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせると、静かに庭園に咲く花々を眺めた。
手入れの行き届いたこの庭園は、いつ見ても美しい。
醜い感情を抱く私の心を浄化してくれているようだった。
……なんだか、どうでも良くなってきた。
私は、小さく微笑みながらレオンを見た。
「まぁ、今回も許してあげる。……それで?今日はどんな話をしてくれるの?」
そう言って、いつものように笑いかけながら、いつもの言葉を彼に投げかけた。
きっとこれが、貴方と会える最後のお茶会になる。
だから、最後まで都合の良い女であろう。
そう思いながら……。
* * * *
「ブラウン公爵との縁談をお受けします。」
私は、屋敷に戻ってすぐ、父と母に言った。
先日から熱烈に求婚の手紙を送って来ていたブラウン公爵。
一度だけ社交界でお会いしたことがあるが、伯爵令嬢である自分への縁談には勿体ないくらい家柄も人柄も良い。
断る理由など皆無だった。
「……本当に、いいのかい?」
父が険しい表情で尋ねた。
意外な反応に小さく笑う。この縁談話を嬉々として何度も伝えてきたのは彼である。
私は頷いた。
「えぇ、勿体ないくらい素敵なお誘いだもの。これを断ってしまったら、私一生お嫁にいけないかもしれないじゃない。」
「でも、もしかしたら他のところからも縁談が来るかもしれないだろう?」
「"もしかしたら"なんて、そんな確証のないもので断れないわ。」
私が笑いながら言うと、父は険しい表情のまま口をつぐんだ。
縁談が決まりそう。嫁に行くかも。そう思うと嫁に出したくなくなるのが男親の性なのだと、以前誰かが言っていたことを思い出す。
そんな感情が、我が父にもあるのかもしれない。
「とにかく、縁談をお受けするお手紙は早めに書いて送るようにするわ。」
私はそう言って、自室へと戻った。
この決断が揺らがないように、早めに動かなければ。
必死に引き留めようとする恋心を振り払いながら机に向かって座る。
そして、便箋にペンを走らせた。
ペンを動かしながら、色んなことが頭をよぎった。
泣いているレオンを慰めてあげたこと。
誰もいないホールで、二人でワルツを踊ったこと。
いつもの庭園でお茶会をした、楽しくて幸せな日々……。
結局、今日のお茶会の時に、レオンの口から公爵令嬢と婚約したという話は聞かされなかった。
いつも通り、他愛もない話をして、終わった。
公表される前に幼馴染の私には婚約したことを教えてくれるんじゃないかと思っていたが、レオンにとって私はただの親しい友人で、幼馴染という特別な枠でも無かったのかもしれない。
……勝手に涙が流れていた。
便箋に落ちた涙で、やっと自分が泣いていることに気付いた。
「……っ」
辛い。
悲しい。
長年胸に抱いてきた、恋心。
この手紙を書き終えたら、この想いに終止符を打てる。
やっと、この苦しみから解放される。
そう思うのに、涙が止まらなかった……。
バタンッ!ガタガタッ……!
慌ただしい物音が、玄関から聞こえてくる。
それと同時に、足早にこちらへ向かって来る靴の音が聞こえてきた。
バンッ!
「アメリアッ!」
「!!」
部屋のドアが荒々しく開けられたと同時に、名前を叫ばれた。
驚いて振り返ると、ドアを開け放った体勢のまま、こちらを見ているレオンの姿があった。
必死の形相で息を切らしている彼に、私は目を見開いた。
「レオン!? どうしたの……!?」
すぐに涙を拭って椅子から立ち上がりながら尋ねた。
レオンが私の屋敷に来るのは、一体いつ振りだろう。そんな場違いなことを考えながらレオンを見ていると、私の涙の跡を見て彼の表情が険しくなった。そして、段々とその表情が怒りを帯びたものへと変わっていく。
レオンは、部屋のドアを閉めると、低い声で言った。
「……ブラウン公爵から縁談が来ていることを何故俺に黙っていた?」
怒りを抑えた声。
何故それを知っているのかと驚いたが、親が友人同士なのだから聞かされてもおかしくない。
でも、なんてタイミングが悪いんだろう。
私は、そっとレオンから視線を逸らした。
「……別に、貴方に言う必要はないでしょう?」
だって貴方だって、私に婚約した事言わなかったじゃない。
そんな思いが全面に出て、自分でも驚くくらい低く冷たい声が出ていた。
レオンの顔が、さらに険しくなった。
「それは、どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。」
「……なら何故、泣いていた?」
レオンの問いに、言葉が詰まった。
泣いた理由なんて、言えるわけがなかった。
私は、震える声を抑えながら口を開いた。
「……貴方には、関係ないわ。」
きっぱりと、言えた筈だ。
肩が震えないように抑えられた筈だ。
もう、この恋を引き摺りたくない。
早くこの苦しみから解放されたい。
その一心だった。
暫くの沈黙の後、レオンがゆっくりと息を吐いた。
「……もう、終わりにしよう。」
聞こえてきた呟きに、私は顔を上げた。
何を……?
そう尋ねるよりも先に、腕を掴まれて引き寄せられた。
そのまま強く抱き締められる。
突然の事に、私は目を見開いた。
「レオン!? ちょっと、何してーー……」
「ずっと、抑えてきた。」
レオンは言葉を遮って言った。
「君に理解のある、頼り甲斐のある幼馴染になろうと努力してきた。その関係が、幼馴染である俺だけの特権なのだと思っていた。……でも、もういい。」
レオンは体を離すと、私の顎に手を当てて上を向かせた。
彼の瞳が真っ直ぐ私に向けられている。
レオンの口が動いた。
「君の事が好きだ。愛している。」
「!」
「アメリア。君が俺の傍からいなくなってしまうなら、君と幼馴染であり続ける意味なんてない。こんな関係、俺が今すぐ終わらせてやる。」
レオンはそう言い終えると同時に、私にキスをした。
荒々しい、感情に任せた熱いキス。
一体何が起きているのか。
必死に考えても分からなくて、ただ流されるままにそのキスを受け入れてしまっていた。
ようやく唇を離された時には、互いの息が上がっていた。
ぼんやりとする頭でレオンの服を握り締める。
胸が苦しくて、すごく哀しかった。
彼の"愛してる"という言葉に、喜んでしまう自分がとても惨めに感じられた。
また涙が溢れ出しそうになって私は必死に涙を堪えながら言った。
「……っ、なんで、こんな事をするの? 貴方、婚約者を裏切るような事をしてるって分かってる?」
怒りを込めた私の言葉に、レオンの眉間に皺が寄せられた。
「婚約者……? 一体何のことだ?」
首を傾げているレオン。
この期に及んでとぼけるつもりなのだろうか。
私は近距離にあるレオンの顔を見据えて言った。
「キャンベル公爵令嬢と婚約したんでしょ? 昨日ご令嬢から聞いたわ。」
「!」
「私が知らないとでも思った?」
そう言って小さく笑った。
もう、都合の良い女でいる必要はない。
一線を越えてしまったのだから、どのみち この関係は壊れてしまう。
半分やけくそになっている私に対し、レオンは私を抱き締める腕に力を込めながら口を開いた。
「キャンベル公爵令嬢と婚約などしていない。それは事実無根だ。」
「!」
「俺は父上に、アメリアを妃に迎えるつもりだと何年も前から伝えている。」
「……え?」
レオンの言葉に、私は固まった。
理解が追いつかない。
一体何を言っているのだろうかと混乱する頭で必死に思考を巡らせていると、それに気付いたレオンが私の頬を掌で包み込むように触れて言った。
「……アメリア。俺は君の事が好きだ。ずっと前から、君の事を一人の女性として愛していた。」
「……っ」
「アメリア。俺の妃になってくれ。」
レオンの熱い眼差しと共に、愛を伝えられた。
その言葉が少しずつ心に染み渡ってきて、自然と涙が溢れてきた。
レオンと私は、同じ気持ちだった。
私のことを、好きだと思ってくれていたのだ。
私は、両手で口元を抑えながら何度も小さく頷いた。
レオンからのプロポーズに、私も言葉で返事をしなければならないのに、口を開くことができずに、ただ頷きながら涙を流した。
そんな私を見てレオンは小さく笑うと、今度は優しく抱き締めて額にキスをしてくれた。
* * * *
部屋を出ると、リビングにいた父がこちらを振り返った。
「お! 仲直りできたかい?」
父は寄り添いあっているレオンとアメリアを見て満足そうに笑みを浮かべた。
この父の様子を見る限り、レオンが私を妃にしようとしていた事を知っていたのだろう。
知っていた上で、ブラウン公爵からの縁談を推していたのだと分かると怒りが湧いてきた。
「お父様、一体どう言う事なの?」
怒りを極力抑えながら問いかけると、父はニコニコと笑顔を浮かべたまま言った。
「いやぁ、なかなか二人とも進展しないからさ、みんなで話し合ってスパイス代わりにブラウン公爵に縁談の話を持ちかけてくれるように頼んでたんだけど、まさかこんな形になるとは思わなかったよ!」
そう言って声を上げて笑った父に、私は頭を抱えた。
結局、キャンベル公爵令嬢の婚約の話は、彼女が勝手に周りに言っていただけで、レオンの言う通り事実無根だった。
彼女も外堀を埋める事に必死だったのだろう。
幼馴染という疎ましい私の存在を遠ざけたかったのかもしれない。
私――アメリア・ノーティスには、異性の幼馴染がいた。
そして、色々あって……
結果、私とレオンの幼馴染の関係は、終わった。
そして今度は、レオンの妻として彼の傍にいる。
私は皇太子妃のドレスに身を包んで、隣に立つレオンを見上げた。
「……レオン、愛してるわ。」
まだ、貴方に伝えられていなかった愛の言葉をそっと送ると、レオンが幸せそうに微笑んだ。
きっと、私も貴方と同じ顔をしているだろう。
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