09 私は侯爵令嬢よ
悠里は案外、涙もろい。
素晴らしいダンスにハンカチで目頭を押さえつつ、陰ながら見守っていた。
しかし、それも途中までだった。
同じ人と3回目まで踊るのは良いのだが、次は他の人とチェンジしなくてはならない決まりがある。
レミージョは3回連続でヘリアンと踊り、3曲目が終わりそうになると、ヘリアンを狙った他の男性にとられないように、ヘリアンの父と兄に絶妙に交代するのだ。
勿論自分も親戚の女性を相手して、曲が終わりそうになるとヘリアンに近付き、手品のようにヘリアンの手を引きそのままダンス。
それはそれはレミージョが幸せそうに踊るので、誰もレミージョやヘリアンにダンスを申込もうとはしなくなる。
そして、ヘリアンが疲れるのを見越して、飲み物を取ってくるスピードも速いのだ。
「ヘリアン、ごめんね。俺、嬉しすぎて何曲も付き合わせてしまった。疲れただろう?」
「いいえ、とても楽しかったです。レミージョ様が、ダンスの練習に付き合ってくださったお陰で、どんなに踊っても疲れませんわ」
「ああ、そんなに可愛い台詞を言うと、ここから先ずっと君と踊っていたくなるよ」
周囲の生徒たちはこの甘ーい雰囲気に当てられ、たじたじである。
そう、悠里もさすがにお腹いっぱいで、テレビを消したのだった。
数時間後、披露会が終わり、部屋に帰ってきたヘリアンと悠里は、お互いに涙を流しながら今回のことを話していた。
鏡とテレビに向かって・・。
「ユーリ様がいなければ、私は今の私ではなかった。きっと今日もこの部屋で泣いてました。ヒック・・グスグス」
「あら、やだ、そう言って今も泣いてるじゃない。グスグス・・ズズ・・。でも本当にダンス・・素敵だったわよ。レミージョって男は酷い奴だと思っていたけど、いい男じゃない。これからは、ちゃんと気持ちを確かめながら二人で頑張るんだよ」
「はい、ユーリ様ありがとうございました。ユーリ様に教わったことを忘れずにレミージョ様と頑張ります」
悠里はボックスティッシュから、2枚抜き取り、鼻をかみながらヘリアンと最初に会った時のことを思い出していた。
「うんうん。初めて会ったときは辛気臭くてどうしようって悩んだけど、良く私のレッスンについてきたわ。元々根性があるんだから、大丈夫よ」
「うふふ、ユーリ様のお墨付きがあれば、心強いです。そうだ、明日、レミージョ様をこの部屋にお連れしますので、近くで会ってください。ユーリ様とレミージョ様は気が合うと思うのです。是非、私の恩人のユーリ様を紹介したいんです!」
「彼には言いたいことが沢山あるから、レポート用紙にまとめておくわ。じゃあ、また明日ね」
二人はそれで明かりを消して眠りに就く。
だが、次の日も、その次の日も鏡とテレビにお互いが映ることはなかった。
◇□ ◇□
一か月以上経つと、悠里は女優業が忙しく、テレビに向かってリモコンをカチカチと鳴らしヘリアンを探す、ということを諦めていた。
「幸せになったんだから、もう私がいなくても大丈夫。それよりも私に誰か幸せを運んでよ」
自嘲気味に言ってみた。
「・・リ様・・助けてくだ・・」
テレビはついていないのに、そこから声が聞こえた。
「ひいいいいい! 出た!幽霊? ご先祖様!助けてぇぇぇ」
悠里はクッションを頭にかぶり、ブルブル震える。
声はもう聞こえない。
よおーく思い出すとあの声は、ヘリアンのようだった気がした。
「ヘリアンに何かあったの?」
慌ててテレビをつけて、チャンネルを変えていく。
だが、何度変えても映るのは、現在の番組だけだった。
バンバンとテレビが壊れそうになるくらいに叩いたが、ヘリアンらしき人影は映らない。
30分チャンネルを変えたり、鏡に向かって呼び掛けたがダメだった。
諦めてベッドに入る。
眠ろうと思ったが中々寝付けず、次の日の仕事は、腫れぼったい目蓋になって、実留にまたお小言を言われることに・・。
しかし、ちょうどタイミング良く、メイク室に岩田遥が入ってきたので、お小言は中断し助かった。
「うふふ、また実留くんに注意されていたのかなぁ?」
遥にふわっと覗き込まれ、悠里は彼女をじっと凝視する。
「あら? 悠里、どうしたのぉ?」
こてんと小首を傾ける仕草が、34歳になっても似合う女優は、遥くらいだと思った。
柔らかい仕草でたおやか。しかし、この業界で長くやってるだけに、芯はしっかりしている。
だが、その優しい雰囲気に皆は大人しいと思い込んでいるのだ。
「気になる子がいてね。それで眠れなかったの」
遥の顔が面白いことを発見した子供のようワクワクした顔になっているので、慌てて付け足した。
「男性じゃないわよ。健気な女の子がいたからその子が幸せかなって、心配になっていたのよ」
途端に唇をつきだし「なあんだ。浮いたお話じゃないのか・・。つまんないわ」と拗ねている。
「遥のその雰囲気はどうやって出しているのか、知りたいわ」
「どうもこうも、私、これが素だから分かんないな~」
悠里は完敗だった。
この女優の真似は一生できそうにないと・・。
仕事が終わり、家路に着いた。
家に帰るとやはりヘリアンが気になり、テレビをつける。
「良かった!ユーリ様だわ!」
テレビの向こうは何やら、大騒ぎだ。
ヘリアン一人ではなく、もう一人女性がいた。
ヘリアンは嬉しそうだが、黒髪黒目の女性は、敵対心を露に腕を組んでこちらを睨んでいる。
「ヘリアンさん、そちらはどなた?」
悠里はヘリアンに尋ねたが、黒髪の彼女がぐいっと前に出てきて答えた。
「私はニルセン侯爵の娘、サーガ・ニルセンと申します。以後お見知りおきを」
そう言うと見事なカーテシーで挨拶を見せた。
「これはこれはご丁寧に、私は麻生悠里。よろしくね」
だが、この物言いがサーガには気に食わなかったようだ。
あからさまにきつい口調に変わる。
「あなたのお父上の爵位をお教えください」
「爵位? ないわね」
サーガが口を開く前に、悠里はピシャリと言った。
「私の住んでいる国は、貴族制度は廃止されているの。だから爵位はないのよ。何か相談事があって、私を呼んだのではないの?」
「うっっ・・」
サーガが怯んだ隙に、悠里は言いたいことを言う。
「もし、あなたよりも爵位の低い者からの助言を受けたくないなら、私は消えるけどいいかしら?」
「待って・・失礼な物言い、申し訳ございませんでした。今とても困ったことがあって・・それをヘリアン様に相談していたのです」
「で、私の相談しようってなったのね」
ヘリアンはこの状況にハラハラしながら後方で、サーガを見守っている。
「ヘリアンさん、お久しぶりね。どうやってもここに来れなかったから、会えて嬉しいわ」
後ろのヘリアンに悠里が声をかけると、ヘリアンがサーガを横にずらして前に出てきた。
「私もです! あの日、ダンス披露会の次の日、レミージョ様と一緒にこの部屋で待っていたのですが、全然お姿を見ることができなくて、本当に辛かったです。でもこうして、またお会いできたこと、本当に嬉しいですわ」
もう、以前のような小さな声ではなく、ハキハキと答えるヘリアンに、悠里はほっとした。
「レミージョさんとは仲良くしているの?」
気になっていることを尋ねた。
「ええ。とっても。この前も二人で街に出て、初めてのデートをしたんです」
「きゃー。いいじゃない! で、で、どこに行ったの?」
「レミージョ様ったら以外と甘党で、二人でー」
「ちょっと、私の相談をお忘れじゃないですこと?」
サーガがいることをすっかり忘れていた二人は、「「あっ・・」」とサーガを見た。
侯爵令嬢が蔑ろにされるなんてことが今までになかったのか、プンプンという表現がぴったりな感じに、サーガがむくれている。
今日も、読んでいただきありがとうございます