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九節 最後のデート




 翌日、椿は約束通りの時間に待ち合わせ場所へ行った。今日も良い天気で風が穏やかだ。ぼうっと青空を見上げていると、ノーマンがいそいそとやって来た。


「来てくれてありがとう。これ、受け取ってくれ」

「飴玉?」

「花束より食べ物がいいと言っていたから」


 飴玉が入った小袋を受け取り、試しに一粒口に入れてみた。飴玉なんて久しぶりに舐めたが、仄かな甘みと苺の香りが良いと素直に思う。


「美味い」

「そうだろう。ケネス様御用達の飴玉なんだ。疲れた時に良いらしい。では行こう」


 ノーマンが向かったのはどこにでもありそうな料理店だった。前々から言っていた食事デートになるのだろうか。それにしては庶民的な店だ。客も近所の常連が多いようだ。


「ここは俺が一番好きな店なんだ。とにかく美味い。量もある。だが何より懐かしい味がする」

「懐かしい?」

「家庭の手料理という感じだ。……もしかして、椿は孤児だからそういう感覚がないのか?」

「そうでもない。育てのババアがよく飯を作ってくれた」


 娼館のマルチナは料理が苦手だったが、もう一人の育ての親である老婆は家庭料理が上手かった。椿が腹が減ったと訴えれば、適当な材料で美味しい料理を作ってくれた。


「それに今は色んな奴の手料理を食べてる。同居人がいてさあ」


 注文を済ませた後、自分の現在の生活に軽く触れた。ディアスの診療所では食事は当番制で、レオンやカイトが来た時は彼らも作ることになっている。王都に泊まる時はアルヴィの手料理を食べることが多い。


「皆で色んな料理を作って食べるのは悪くねえよ。失敗しても仕方ねえなって笑えるし」

「すごいな。俺は料理はほとんどしたことがない」

「それが普通だろ。護衛士なんだから」


 護衛士の仕事は主人に尽くすことで、料理は含まれない。椿もマリスに行くまでは料理なんてしたことがなかった。


「しかし椿の手料理か……食べてみたいな」

「別に美味くないぞ」

「味の問題じゃない。好きな人の手料理なんて死ぬほど嬉しいだろう」


 ノーマンは瞳をきらきらさせて熱弁してくる。相変わらず暑苦しい男だ。頬杖をついて適当に相槌を打っていると、店の者が料理を運んできた。ラジエラの家庭料理で、スープとサラダ、野菜とベーコンのピラフ、鶏肉を柔らかく煮てハーブで香り付けしたものだ。この他にも色々と注文している。


「へえ、美味そうだな」

「そうだろう。さあ、食べるぞ」


 ノーマンはピラフを一口食べて美味しいと喜んでいる。幸せそうな顔で食べるなあと感心してしまった。こういう無邪気さはアディアにはない。そんなことを思ってしまい、慌てて頭から消した。

 ノーマンは楽しそうに食事しながら次の予定を話し出した。


「前々から気になっていたアクセサリー店に行きたい。椿は昔からピアスが好きだろう? 俺にプレゼントさせてくれ」

「え、要らない」

「なんでだ!」

「たくさん持ってるから」


 椿は気が向いたらピアスを買うので、下手をしたら百セットくらいある。保管に困って定期的に売っているが、気付いたらまた増えている。


「じゃあ指輪は?」

「戦闘の時に邪魔だから指輪は付けない。同じ理由で腕輪も苦手」

「う……じゃあネックレス!」

「ネックレスもたくさんある」

「椿のわがままめ。何だったらいいんだ」


 悔しそうにするノーマンに苦笑してしまった。試しに椿も聞いてみた。


「おまえはアクセサリー付けないの?」

「昔、ネックレスをうっかり壊してから付けるのが怖くなった」

「不器用かよ」


 ノーマンは見た目通り無骨なところがあるらしく、これまで様々なアクセサリーを破壊してきたらしい。護衛士の正装でも何度かやらかしており、その度に主人のケネスから叱られるそうだ。


「俺の主人は真面目すぎて困る。いや、椿の元主人の方が真面目か」

「ジーンはだいぶ適当だぞ」

「騙されんぞ」

「騙してどうすんだよ。俺と仲良くしてる奴がまともなわけないだろ」


 ノーマンは「それもそうか」と頷いている。ジーンが聞いたら怒りそうだが事実なので仕方ない。

 食事を終えると予定通りアクセサリー店に向かった。椿は再三要らないと言うが、ノーマンは何かをプレゼントしたいらしい。理由を聞くと、苦笑しながら答えた。


「今日の記念だ。ピアスを見て、俺のことをたまには思い出してほしい」

「心配しなくてもおまえみたいな強烈な奴は忘れねえよ」

「え? 嬉しい。でもいいのか?」

「嫌な出来事だったら忘れるけど、良い思い出として残しておくつもりだ。逆におまえはどうなの? 今日で忘れる?」


 椿は深く考えずに聞いたが、ノーマンは椿を見つめて頬を赤くしていた。何かに照れているらしい。


「そうか……忘れないでいいのか」

「あれ、俺がおかしい? こういうの初めてだからよく分からない」

「いや、それでいい! 良い思い出にしてくれ!」


 ノーマンはそれはもう嬉しそうに笑った。


「そうしたらまた会いたいと思ってくれるかもしれない」


 椿はノーマンの笑顔を見つめ、また複雑な気持ちになった。こんなに真っ直ぐで良い男にそんなことを言わせるなんて、すごく申し訳ない気がする。罪悪感で胃が痛くなってきた。

 最初は鬱陶しいだけだったのに、今はノーマンに好印象を持っている。そのせいで一緒にいるのがつらい。本当に限界だ。


 ノーマンとアクセサリー店に来たが、心が沈んで集中できなかった。ノーマンからピアスやネックレスを勧められても曖昧な返事をしてしまう。やがてノーマンが気を遣って肩を叩いてきた。


「無理に贈ろうとは思ってない。店を出ようか」


 促されるまま店を出た。気まずくてどうしようかと俯くと、前髪がさらりと流れた。最近切っていなかったせいで、髪がだいぶ長くなっている。椿は指で髪を梳き、ぽつりとノーマンに言った。


「髪を結ぶものがほしいかも」


 髪紐でも髪留めでも何でもいい。それなら今日の記念になるし、たまにノーマンを思い出すことができる。

 ノーマンは椿の「わがまま」を喜び、早速髪紐を売る店を探した。


「椿の髪は癖がなくて綺麗だから、どんな髪紐も髪留めも似合うぞ」

「念の為言うが、女っぽいのは却下だ」

「それは勿論。椿に似合うのを探す」


 しばらく街をうろつき、女性向けの店で髪紐が並んでいるのを見つけた。しかし男二人が入るような店ではない。ノーマンは乗り気だが、椿は躊躇してしまった。


「この店はちょっと」

「じゃあ俺が一人で行こうか」


 ノーマンは店に入ろうとして、ふと足を止めた。


「どうした?」


 椿を見つめて何かを考え込んでいる。ノーマンは椿の方へ戻り、細い路地に移動した。怪訝に思って付いて行くと、ノーマンが静かに見つめてくる。


「以前、髪は手入れしていないと言ったな。では髪が伸びた時はどうしているんだ。自分で切っているのか」

「いや、それは」


 アディアがやっている、と言おうとして沈黙した。

 髪を梳いたり切って整えるのはアディアの役目だった。丁寧に、優しい手つきで髪に触れ、綺麗だと呟く。椿は自分の髪を邪魔だと思うことはあっても綺麗だとは思わなかった。それでもアディアから褒められると嬉しかった。髪を整えてもらいながら、二人で他愛ない話をするのが好きだった。

 ノーマンも椿の髪を綺麗だとよく言った。だから髪紐や髪留も喜んで買おうとした。

 しかし――椿の髪をいつも整えてくれるのはアディアだ。

 アディアでなければならない。何となくそう思う。


 黙って立ち尽くしていると、ノーマンが深く息を吐いた。はっとして顔を上げると、ノーマンが寂しそうに笑っていた。


「これまで何度も玉砕したが、今の椿を見てはっきり駄目だと分かった。どうやら俺に勝ち目はないらしい」

「……悪い」

「本命がいることは聞いていた。椿のことを大事にしている良い人なんだな」


 椿はアディアを想いながら頷いた。凶悪で捻くれていて口が悪いが、椿のことを誰よりも好きでいてくれる。何があっても一緒にいたいと思うほどにアディアのことが好きだ。


「おまえのことは良い奴だと思う。でも、俺にはもっと大切な人がいる」

「そうらしい。これまで散々強引に迫って悪かった」

「違う。俺が中途半端なことしたからだ」


 互いに謝り、やがて苦笑した。良い思い出にしたかったのに、切なくなってしまった。椿はノーマンと向き合い、改めて本音を伝えた。


「俺はおまえの気持ちに応えることはできない。ここで別れよう」

「分かった。それが互いの為にいいだろう。……ただ、最後にキスをしてもいいか」


 ノーマンは頬を指した。頬にキスならば浮気にはならないはずだ。ノーマンは椿の肩に手を置き、そっと身を屈めた。頬にキスをされ、これで終わったとほろ苦く笑う。寂しいような、区切りがついて安堵したような、不思議な心地になった。――が。


「……? どうした」

「やっぱり諦めたくない……!」

「え?」

「椿、好きだぁ!」


 がばりと抱きつかれてぽかんとした。さっきまで綺麗に別れる流れだったのに、ノーマンは男泣きしながら抱きついてくる。我に返ると慌てて否定した。


「いやいやいや、何言ってんだ! 俺には本命がいるんだよ!」

「でも好きなんだ! 恋って怖い!」

「おまえが怖いわ! 離せバカ!」


 ノーマンの腕を振り解こうとするが、レオンほどではなくとも腕力がある。仕方なくいつも通り殴り飛ばし、地面に転がるノーマンに説教した。


「円満に別れて良い思い出にした方がいいだろ!? 何を考えてるんだ!」

「別れたくないし思い出にもなりたくない!」

「わがまま言うな!」

「もう一回! もう一回チャンスをくれ!」

「ねえよ!」


 二人で騒いでいると、通行人からいつぞやのようにひそひそされた。また男同士の修羅場と勘違いされている。椿はノーマンの胸ぐらを掴み、ぎりぎりと締め上げた。


「一瞬でも切ないと思った俺がバカだった。おまえをどこかに埋めてやる……!」

「その前にもう一度キスさせてくれ。今度は頬じゃなくて唇で少しエッチなやつ」

「させるか! 死ね!」


 容赦なく殴ったが、ノーマンは頑丈だ。鼻血を流しながらも諦めずに叫ぶ。


「俺は思い出にならない! 絶対に諦めない!」


 椿はまた拳を振りかぶったが、ノーマンの必死そうな顔を見て脱力した。色んなことを考えたが、最後には笑ってしまった。


「俺もバカだけど、おまえはもっとバカだな」


 ノーマンは笑って頷いている。

 二人でしばらく笑い、椿は優しく言った。


「繰り返すが俺には本命がいる。おまえに惚れることは絶対にない。それに、会うのは今日が最後だ。それでも俺のことが好きか?」

「好きだ」


 ノーマンの答えに迷いはなかった。椿はノーマンを見つめ、久しぶりに心から笑った。


「バァカ」


 こんなにどうしようもないバカな男と出会えて良かったと思う。

 椿はゆっくり踵を返してその場を去った。これでお別れだ。

 ノーマンと過ごした時間はきっと忘れないだろう。殴られて鼻血を流しながらも笑うノーマンの顔も。

 忘れない。大切な宝物だ。






 椿が去った後、ノーマンは路地に蹲って鼻血を拭った。


「はは……椿は乱暴だな」


 困った男だが、そこが好きだ。殴られた頬が痛むが、最後に見せた椿の優しい笑顔を思い出すと胸がいっぱいになる。

 両想いにはなれなかった。しかし、椿があんな笑顔を見せてくれるくらいには仲良くなれた。

 良かった。それで良かったのだ。

 そう思おうとしたが、気付いたら目の前が滲んで涙がこぼれてきた。


「諦めたくない。思い出になりたくない」


 振り絞るように呟き、必死に泣き止もうとした。しかし心が言うことを聞かない。悲しくて、つらくて、もっと恋しくなる。

 椿のことが学生の頃から好きだった。凛とした姿に惚れて、ずっと忘れることができなかった。

 きっとこれからも忘れることなどできない。

 あの笑顔を思い出して、また会いたいと思う。

 何度でも好きだと伝えたい。

 けれど、頭では分かっている。もう椿には会えないのだと。

 人生で初めて失恋を経験し、顔をくしゃくしゃにして泣いた。





 ケネスは悄然としながら帰ってきたノーマンを見て、ついにフラれたかと溜め息を吐いた。夜、仕事を片付けるとノーマンの部屋に行き、上等な酒瓶を贈った。


「飲め。こういう時は飲んで酔っ払って寝るのが一番だ」

「ケネス様……」

「話し相手が欲しければ俺が聞いてやる」


 ぽんぽんと肩を叩くと、ノーマンは机に突っ伏して泣いてしまった。椅子を移動させて隣に座り、グラスに酒を注ぐ。ノーマンはぐいと酒を飲み、泣きながら失恋の悲しみを語った。一時間後には立派な酔っ払いの出来上がりだ。


「フラれてしまったが諦められない。つらい。失恋がこんなにつらいとは思わなかった」


 敬語も忘れて泣きながら愚痴っている。ケネスも酒を飲みながら励ました。


「今回は相手が悪かった。既婚者に恋したようなものだ」

「学生の頃にアプローチしておけばよかった……! 臆病だった自分を殴りたい!」

「おまえは頑張ったよ」

「まだ好きだ! フラれてもずっと好きだ!」


 叫びながら机を叩いている。机が破壊されないか心配しつつ、ずっと疑問だったことを尋ねた。


「椿はそんなに良い男だったか?」


 ノーマンはのろのろと顔を上げ、酔って真っ赤になりながら微笑んだ。


「格好良くて、綺麗で、自由な男だ。俺はそんな椿に憧れた。……これからも椿は自分の生き方を貫くのだろう」


 そこが好きだとまた叫ぶ。ケネスはグラスに酒を注ぎ、苦笑混じりに呟いた。


「フラれてしまったが、良い恋をしたんだな」


 ノーマンはその通りだと頷いた。


「良い恋だった。両想いになっていたら最高だった! くそぉ……!」


 また机を叩いて悲しんでいるが、良い恋だったと言い切れるのは幸いなことだと思う。長年の部下が苦しいだけの恋をせずに安心した。

 しばらく荒れるだろうが、いつか昇華して前を向いてもらいたい。その為なら何度だって一緒に酒を飲むし、愚痴を聞くし、励ましてやる。

 ノーマンは大切な部下であり、良い友人なのだから。






 こうしてノーマンの初恋は終わった。熱く燃えるような恋だったからこそ悲しみも深く、完全に打ちのめされている。


 それでも、あの太陽のように眩しい男に恋したことは後悔していない。


 きらきらして、楽しくて、かけがえのない時間だった。

 

 

 

 

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