五節 魔力切れ
佳姫の嫁救出作戦が国を揺るがす大事件に発展しつつあった頃――。
「王城の様子がおかしい。何かあったんだろうか」
ケネスは怪訝に思いながら父の仕事を手伝っていた。父の子爵は中央の貴族の下っ端で、様々な雑事を押し付けられている。最近は魔石の分配について寝る間も惜しんで計算していたが、今度は市場の農作物の価格のことまで計算しろと言ってくる。ケネスは屋敷の執務室でひたすら計算の毎日だ。
王城で何かあったようだが、下っ端には関係ないことだ。ケネスは黙々と仕事していたが、使用人から裏口に来るよう頼まれた。
「どうした?」
「ノーマン様がその……お客様をお連れしました」
「客?」
そんな話は聞いてない。それに使用人がかなり気まずそうだ。嫌な予感がして急いで裏口に回った。
裏口にはノーマンが蹲っていた。どうしたのかと問おうとして、誰かを抱きしめていることに気付く。
「ノーマン、それは誰だ」
ノーマンは困った様子で顔を上げる。無駄に逞しい腕に抱かれているのは、意識のない金髪の男だった。ケネスはぞっとして後ずさった。
「誘拐したのか」
「ち、違います! 彼が魔力切れで倒れてしまったので、介抱する為に連れてきました」
「本当か? おまえが変態なのはもうバレているぞ」
「なんて酷いことを! いいですか、俺が彼を誘拐することは不可能です。元一級護衛士なんですから」
三級護衛士のノーマンは一級護衛士の彼に敵わない。納得したが、彼の正体を察して冷や汗が出た。
「そいつは椿か……」
この派手な金髪は戦技科の狂犬で間違いない。人形のように整った顔も昔のままだ。椿は完全に意識を失っており、ノーマンに抱き上げられても目覚める気配はない。
「魔力切れなのか? こんな街中で?」
「契約精霊が魔力を喰っていると言っていました。ケネス様、椿を俺の部屋で休ませてもいいですか」
ケネスは頷きかけて、はっとした。
「変態の部屋に寝かすわけにはいかない」
「さすがの俺も意識がない人は襲わないですよ」
「いいから客間の寝台を使え」
ノーマンは不満そうだが、椿はあのジーンの元部下だ。何かあったらケネスがジーンに殺される。
椿を休ませ、ノーマンには居間で待機するよう命令した。ものすごくごねられたが、暴走気味のノーマンは信用できない。再三待機を命令すると、しゅんと項垂れて小さくなっていた。
「まったく、どうなっているんだ」
ケネスは客間に書類を運び、椿のことが見える場所で仕事した。目覚めた時にある程度事情を聞かなければならないし、逃亡されたら困る。一時間ほどで椿は目を覚まし、ふらふらしながら起き上がった。
ぼんやりと壁を見つめる椿は綺麗だった。学生の頃から美形だと持て囃されていたが、二十代後半になって大人の色気が出た気がする。ノーマンがおかしくなるのも仕方ないと思えるほどだ。ケネスは咳払いし、寝台の隣に立った。
「目が覚めたか。魔力切れで倒れたそうだが、体調はどうだ」
椿は黙ってケネスを見上げる。あの狂犬が不気味なほど静かだ。大人になって落ち着いたのかと思ったが、違う。冷たい殺意を研いでいた。
「てめえ、誰だ」
殺意にぎらつく瞳に背筋が冷えた。
「……ノーマンの主だ。うちの護衛士が迷惑をかけたな」
途端に殺意がすっと消えた。
「ということは俺はあいつの前で倒れたのか? それでここに? くそ、やっちまった」
椿はすぐに状況を理解し、心底悔しそうにしていた。なんだかんだで椿は頭が良い。椿は戦闘の天才として有名だが、一定以上の賢さがあった。でなければジーンの護衛士など務まらない。
ケネスは殺気が消えたことに安堵し、丁寧に言った。
「俺はケネスという。おまえが何者かは知っているが、関わりたいとは思わない。ジーンに目を付けられたくないんだ。魔力が回復したら出て行ってくれ」
「そうだな、互いの為にそれがいい。休ませてくれた礼はする」
「要らん。迷惑料と相殺だ。……ノーマンが馬鹿なことをしてすまない」
「本当だよ」
椿は溜め息を吐き、髪紐を解いて金髪を梳いた。学生の頃と一番違うのは髪の長さだ。昔は肩くらいまでだったのに、今は腰近くある。櫛でも貸そうかと思っていると、客間の扉が勢いよく開かれた。
振り返るとノーマンが駆け込んでくる。
「椿! 目覚めたか!」
ノーマンは椿に抱きつこうとしたが、片手で顔面を掴まれて阻止されていた。
「痛い……! すごい握力……ぴくりとも動かない……!」
筋肉の塊のようなノーマンが、椿の細腕に止められている。これが一級護衛士の力かと感心した。そしてノーマンが「痛い」と言いつつ頬を赤く染めて興奮している。思ったより変態だ。頼りになる護衛士の知らなかった一面にほろ苦い気持ちになる。
「筋肉バカの前で倒れるなんて不覚だった。念の為聞くが、俺にセクハラしてないよな?」
「してない。意識のない人を襲うのは人として最低なことだ。……だが今は意識がある……つまり!」
「何をする気だ!」
ケネスもノーマンの後頭部を殴った。目の前で犯罪行為を見たくない。それに相手はジーンの元部下の椿だ。
「椿からは手を引けと言っただろう。ジーンの元部下だぞ」
すると椿の方が首を振った。
「ジーンのことは気にしないでいい。俺はおまえらのことを報告するつもりはない」
「しかしジーンとは仲が良いんだろう。学生の頃、よく二人で話していた。それから後輩の……田舎の男爵と商人の卵だったか、彼らとつるんでいた」
「やけに詳しいな」
「俺はおまえと同学年だったからな。兵学科だから知らんだろうが」
椿は怪訝そうにしている。間違いなく覚えていない。興味がないものには心が動かないタイプなのだろう。
「魔力切れならば睡眠や食事が必要だ。手配できるがどうする?」
「うーん……食事を頼みたいが、これから異界に行くから野菜類がいい。俺の契約精霊が異界で暴れてるんだ」
「分かった。パンとスープを用意させる」
今日は春なのに寒いので、身体を温めるスープがいいだろう。
「ノーマン、行くぞ」
「俺は椿の傍にいます」
「挙動が怪しいから駄目だ」
「ケネス様が俺に厳しい……!」
ノーマンはごねたが、腕を掴んで無理矢理連れて行った。大柄な男なので引っ張るのも大変だ。苦労して扉の前まで来た時、ふと椿が言った。
「運んでくれてありがとよ」
ノーマンが動かなくなった。椿を見つめて感動している。
「普段は冷たいのにきちんと礼を言うなんて……! これこそがギャップというやつか! 好きだぞ!」
「うるせえ! さっさと行け!」
椿に向かって突撃しようとするノーマンを、ケネスは必死で押さえ込んだ。文官のケネスには荷が重すぎることで、他の護衛士と使用人を総動員してノーマンを連れ出した。ようやく客間の扉を閉め、ノーマンに説教する。
「なんでおまえはすぐ暴走するんだ。あの椿が引いていたぞ。初恋の人が生きていて嬉しいのは分かるが、少し抑えろ」
「抑えてコレです」
「堂々と言うな!」
説教がまったく効いていない。どうしたものかと頭を押さえるが、ノーマンの嬉しそうな顔を見ると脱力してしまう。
「これはノーマンと椿の問題だ。俺はこれ以上何も言わん」
言っても無駄だと思うし、椿ははっきりした性格なので妙なことにはならないだろう。
椿は食事をとって少し休むと屋敷を出て行った。ノーマンは「明日も会いたい」なんて笑っている。絶対フラれると思うが、黙って見守ることにした。