四節 シュークリーム
「椿、待っていたぞ」
「……しつけえ……」
昼間に外出すると当然のようにノーマンと遭遇する。ストーカーされているのが分かるが、慣れというのは恐ろしく、椿はあまり動じなくなっていた。
今日もアルヴィに頼まれた買い物がある。西区にある菓子店で甘いものを買ってきてほしいそうだ。椿は甘いものは特に好きではないが、疲れていると食べたくなるのは分かる。クリームたっぷりのケーキを買うつもりだ。
西区への道すがら、ノーマンが質問責めをしてくる。
「椿の本命はどんな人なんだ? いつから付き合ってる?」
隠す理由もないので淡々と言った。
「出会ったのはガキの頃で、そこからずっと好きだよ。最初は嫌われていて、仕方ないから俺が一方的に付きまとって……」
そこまで言って黙り込んだ。過去の自分はアディアのストーカーだった。つまり隣のノーマンと同じことをしている。
椿が内心で呻いていることに気付かず、ノーマンはにこにこしながら聞いてくる。
「素敵な人なのか?」
「いや、性格が悪くて捻くれ者で暴力的だ。だがそこがいい」
「椿と似たような人だな!」
「似てな……う……違うはずだ」
ますますノーマンと同じだ。こんな共通点など気付きたくなかった。否、椿は殴られることに興奮する変態ではない。絶対に違う。
「椿も殴られているのか?」
ノーマンは瞳を輝かせていた。同族だと思って喜んでいるらしい。
「やめろ、俺まで変態のような扱いをするんじゃねえ」
「しかしまずいな……俺は椿のことをべたべたに甘やかしたい。加虐趣味はないんだ」
「俺もだよ」
「被虐趣味はちょっとある」
「だから欲望を隠せって言ってるだろ!」
隙あらば性癖を晒してくる。こんなどうしようもない奴と同じことをしていることが、たまらなく悔しい。
話している内に菓子屋に着いた。ちょうど菓子が焼き上がったのか、店の前まで甘い香りが漂っている。この辺りでは有名店らしく客も多いようだ。
「おまえは外で待ってろ。そのガタイじゃ邪魔になる」
「俺はシュークリームがいい」
「はいはい」
適当に相槌を打って店に入った。狭い店内に所狭しとお菓子が並んでいる。クッキーなどの焼き菓子からケーキまで様々だ。本日のおすすめを描いたお品書きがあったので、それを見て菓子を買った。ふと目に止まったシュークリームもついでに買っておく。
店を出るとノーマンがすぐに寄ってきた。
「好きなものは買えたか?」
「ほら、シュークリームを買ってやったから食ったら帰れ」
シュークリームを押し付けると、ノーマンは思った以上に喜んでいた。まるで尻尾を振る大型犬のようだ。
「椿、ありがとう! 嬉しい! シュークリーム大好きなんだ!」
「そうかよ」
「本当にありがとう!」
男前のくせに人懐こい笑顔だ。ほんの一瞬可愛いと思ってしまい、そんな自分を殴りたくなった。こんな筋肉バカが可愛いわけがない。もしや、毎日のように迫られて感覚がおかしくなってきているのだろうか。初めてノーマンに対して危機感を抱いた。
しかしノーマンは呑気にシュークリームを食べている。それにしても食べ方が綺麗だ。なんとなく品の良さを感じる。
「……おまえ、貴族なの?」
「ああ、子爵家の三男だ。だが貧乏で平民と変わらなかった」
その辺りはソレンセス兄弟と同じだ。あの二人も教養はあったが暮らしは平民同然だった。
「椿は貴族ではないのか?」
「生まれも育ちも王都の南区だ」
「南区は治安が悪いだろう。そんなに綺麗な顔をして、よく無事に成長できたな」
「育てのババア共が強かったんだよ」
実母はただの娼婦だったが、育ての母二人は只者ではなかった。詳しいことは知らないが、裏に犯罪組織の幹部がいて、さりげなく椿のことを守っていたらしい。彼らの存在がなかったら椿はとうに死んでいる。
「戦技は誰に教わった?」
「質問が多いぞ」
「すまん、つい。椿のことをたくさん知りたくて」
ノーマンは少し黙ったが、シュークリームを食べ終えるとおずおずと言う。
「もう一つだけ聞いていいか?」
椿は返事をしなかったが、ノーマンは身を乗り出して尋ねてきた。
「その髪は自分で手入れしているのか」
「別に、手入れというほどのものはしてない」
「綺麗だ」
ノーマンは椿の長い髪を見つめ、そっと目を細めた。
「陽の下できらきらと輝いている。こんなに綺麗な髪は初めて見た」
そんなことを呟きながら手を伸ばしてくる。反射的に叩き落とそうとしたが、ケーキの箱を持っているせいで動けなかった。髪に触れられそうになったが、ノーマンは何故か寸前で手を止め、固まってしまう。
どうしたのかと思って見上げると、ノーマンは顔を赤くして椿を見つめていた。
「何だよ」
「いや……改めて見ると本当に綺麗だなと」
これまで散々押してきたくせに、本気で照れてぎこちなくなっている。こんな反応をされると椿の方も困る。変態だから躊躇なく殴れたのに、真っ赤になって照れる奴は少し殴りにくい。
「離れろ筋肉バカ。おまえの手、甘い匂いがする」
「シュークリームの匂いだろう。美味しかったぞ」
照れながら笑う。こんな顔をされると調子が狂う。椿はノーマンから逃げるように顔を背け、足早にアルヴィの家へ向かった。ノーマンが何か言っているが、聞こえなかったことにして歩き続けた。
アルヴィの家を知られるわけにはいかないので、いつも通り適当な場所でノーマンを撒いた。ケーキの甘い匂いを辿られないよう、念入りに逃げ回ったので大丈夫だろう。
テーブルにケーキの箱を置き、深々と溜め息を吐く。俯くと金髪がさらりと流れ、反射的に自分で鷲掴みにした。切ってしまおうかと思ったが、この髪はアディアも気に入っている。
アディアは椿を椅子に座らせ、櫛を入れて髪を整えながら穏やかに笑うのだ。
――綺麗な髪だな。
椿にとってはどうでもいいものでも、他の誰かにとってはそうではない。それが大事にされるということなのだと思う。
「くそ、面倒くさい」
鷲掴みにした髪を放し、ソファに座り込んだ。
夕方、アルヴィが帰ってくると泣きついた。
「アルヴィ〜、俺の髪どう思う?」
「何ですか、いきなり」
「ばっさり切ってくれない? 色々と面倒くさくて」
「嫌ですよ。そんなに綺麗な髪を切れるわけありません」
「どいつもこいつも俺の髪を大事にする」
本来なら喜ぶべきところなのだろうが、今は複雑なだけだ。人の心がないヘイスター教授なら切ってくれるだろうか。
「変なことを考えてないで、佳姫の嫁救出の為に頑張りましょう」
アルヴィは仕事終わりで疲れているだろうに、きびきび動いて準備をしている。椿は不貞寝したいのを堪え「はいよ」とやる気のない返事をした。