街を騒がすうさぎさん
もうすぐ日入りの時刻となる夕方、誰も居ない街の大通りを疾走する白い影が一つ。
ある十字路を渡ったところ、彼の耳がピンと立つ。
「どうだった?今日の収穫は」
十字路からもう一つ新しい白い影が加わる。形は最初のと何ら変わらない。
「いいや、あんまだよ。兄貴」
そう言うと、その『兄貴』は少し頭を悩ませながら、
「やっぱりか。俺もだよ。というより人間が全く居ない。もう次の街に行くべきか……」
彼らは盗み……特にスリで生計を立てている兄弟である。そうしたのは、境遇からか、それとも単純にスリの能力が高かったからか。それは分からない。
再び十字路に通ると、2人の長い耳がピンと立つ。
「来たか、お前はどうだっ……」
2つの白い影に更にもう一つ白い影が合流しようとこちらへ向かってきている。三兄弟だった。2人のように盗品の確認をしようとする。が、その弟の声によってかき消された。
「兄貴たち、ごめんなさい!!ヤバいの引き連れちゃった」
そう言われて、2人は身構えたが、彼らの弟の後ろには人っ子1人もいない。
彼らの活動するこのシェラタンは一応、国の中でもかなり大きい街の1つである。
そのため、街にはそれなりに裏路地や小道が多い。
「どうしたんだ。追手なんか一人もいないぞ」
声を張り上げて、数十メートル離れた弟に
現状を伝える。
だが、弟の真意とは少し異なっていた。
「ちっ…違うんだ兄貴!!あいつは……あいつは……」
鬼ごっこの鬼は逃げる側の背中を直線上に追いかけることはあるだろう。しかし、逃げる側が自分と同等かそれ以上の場合、それは失態となる。
その場合は逃げる側の行き先を予想して回り道をするのが定石。
今回の場合も、逃げる側を追いかける鬼はそうやって捕まえようとする。
「ミッケ」
例え、境遇が悲惨なものだとしても、誰かに迷惑をかけるならば、懲罰が下る。
そんなことは、脱兎達も重々承知だ。
「逃げるぞ!お前達!!」
だからこそ、彼らは逃げる。
法や秩序よりも大切なものがあるから。
兄の言葉を皮切りに、弟2人も一斉に走り出す。
何かが彼らの背中を後押ししているのか、さっきよりも数段足が速くなっている。
「……速いなぁ、全く。まあでもこれはこれで想定内だけどねぇ」
この光景を鬼は少しだけ寂しそうに見つめていた。
「おい、ボサッとするな。あれで捕まえられなかったんだから、"あそこ"まで追い込まないといけないんだろう?」
ブラッドの言葉で 戻ってきた。だが、今、『鎧』を纏っているので、外套から声が出ている状態である。いまいち締まらない。
しかし、ブラッドの言っていることが正しい。
生身では目で追うことすら叶わず、存在を認識できるだけ程度のレンが、『鎧』を身に着けても回り込んで追いつくのがやっとなあの3人がさらに早くなっているんだ。多少の工夫をしないと絶対に、退治まえることは無理だろう。
「なあ、何か変じゃないか?」
鬼が見えなくなり、スピードを落とした長男がそう問いかけると、弟2人も連動して答える。油断するのも無理は無いだろう。
「変って何が?」
「特に変わったことはないと思うけど」
確かに特段変わったところはない。街の様子にも、自分達の身にも。
だが、長男の感か、今にも自分達を陥れるような『違和感』が働いている。
「いや、違うんだ。何か誘い込まれているというか……このまま前に行ったらヤバいというか……」
そう言いながら、大通りを突き進んで自分達の住処へと帰ろうとしている中、長男はある路地に目をやる。
そこには、ギロリ、と自分達を見る光があった。
「ん〜、8割正解、2割間違いだね」
「兄貴!危ねえ!!」
血の気の引いたその声とともに自らの身体が前に押し出されるのを感じた。
だが、それは目の前の狩人の蹴りによってはではなく、愛弟によって突き飛ばされたからである。
「ゴオス……!?」
そう名前を呼んだ次の瞬間、彼の身体が宙を舞う。
「ワァァァァァァァ!!!!」
断末魔を上げながら斜め上へと打ち上げられる。
かつてこの世界を恐怖に陥れた、らしい魔王の鎧だけあってか、ゴオスは思ったよりも長く吹き飛ばされた。蹴り飛ばした本人が一番驚くぐらいに。
「あっ……やっべ」
「……ッゴオスを追いかけに行くぞ」
落ちていたスピードを取り戻すように加速をする。
次男の飛ばされていった方向に突っ走る。それをレンは追いかける。
そうして少しの間……といってもお互い全速力で走っているので、距離的にはかなり長く、追いかけっこをしていた。
追いかけっこの中、ある建物が3人の目に入る。
白を基調とした立派な建物。レンには見覚えがあった。
あの女神に遭った教会である。
だが、そんなことは今はどうでもいい。目の前の獲物をとっ捕まえることだけを考えていた。
それが色々とダメだった。
起こり得る事を想定できないほど視野が狭くなっていた。
ガチャリ。
そう音を立てて、清き扉は開かれる。
壊れてもいないのに、勝手に扉が開くことはない。当然、中から外の空気を吸おうとする輩がいる。
だが、その輩はレンには見覚えがあった。
見覚えのある建物から見覚えのある人が出て来た。
その人は白と黒の修道服を身に着けていた。
「やっとできました!折角ですし色々と教えてもらったあの人にこの本を店に行きましょう!まだ……いらっしゃるかしら?」
と、大きな声で彼女は独り言を呟く。
あのシスターさんである。
その右手には表紙がまだ新しいぶ厚い本が抱えている。
しかしながらそれは最悪のタイミングであった。
「えっ?」
レンの前に居るのは脱兎達。そしてその前に居るのがシスターさんだ。
兎達はものすごい速さで駆け回っている。それこそ、人間が肉眼でまともに認識できないくらいに。
力積は速さに起因する。
今の彼らに思わずぶつかってしまったらどうなるだろうか。
まず、『ごめんなさい』なんてことは言う時間もないだろう。
答えは明快。ただの肉塊と化す。
それは、兎達もよく分かっていることだ。
「飛ぶぞ」
「分かった!」
だからこそ、力強い言葉とともにそれを避けた。
なんせ彼らは『盗人』であるから。
「ひぇあああああ?!!………あれ?」
そう叫ぶシスターさんを盗人2人は飛び越えていく。
一瞬走馬灯が見えたようで、腰を流している。
一連の流れを兎達を追い掛けながら見ていたレンの口元は少し綻んでいた。
「……へぇ。なるほどね」
時は戻って、十数分。
兎達……おそらく末弟に、小袋を強奪された後だ。
「この騒動の犯人……ってまさか今のひったくりなんですか?」
右眉を傾けながら怪訝な顔をするレンに羊飼いは変わらず飄々と、加えて楽しそうに語る。
「そうだよ。あイつらは兎印。この星印はとにかく足が速い。並の人間には、追いかけるどころか視認できないほど速くね」
「でも、それは真っすぐに走るときだけの話よ。あの兎どもは角を曲がる時は全速力は出ないの」
と、カプリは間に入って補足をする。
それらを聞いて、レンの頭に、ピカーン、と電球が照らされる。
「あ、いいコト思いついた」
その言葉とともに、レンの掌から何本か縄が出てきた。
何も知らない人から見ると大分珍妙というか、怪奇な光景である。
「おォ〜!新手の手品?」
断じて手品ではない。だが、この現象について"は"わけの分からない羊飼いからすると割と真っ当な反応である。
これはレンに与えられた『スキル』だ。
縄の長さは丁度この道の、レン達の立っている所からその向かいまでの長さぐらいだった。
「ねえねえ、2人とも。ちょっと手伝ってくれない?」
絶対的な勝算があるからこそ、誰かに助力してもらうものである。
場面は戻って、教会前。
「だ、大丈夫ですかね?お怪我とかは……?」
「は、はい。特にありませんね。ありがとうございます」
と、お互いオドオドした雰囲気のやりとりをレンとシスターさんは繰り広げる。
特にレンは3つのことで頭がパンクしそうなのである。
1つはシスターさんの身の安全。2つ目は兎達を早く追いかけなけれ場ならないこと。3つ目はある考え事だ。
「あの……さっきのうさぎさん達を追いかけてるのですよね?なら早く行ったほうが良いと思います。私はもう大丈夫なので」
「ありがとうございます。お大事にしてください」
シスターさんの言葉を聞いて、問題の1つが消え、内心ホッとする。
そして、すぐさま、狩人としてのスイッチが入る。
黙って過ぎ去る彼に向かって、修道女はポツリと呟く。
「あ、完成したの見てもらってなかったでした……」
レンは教会を出てから羊飼いと共にギルドへ行った。
ついさっき、そこ教会の前を通った。
つまりはこのまま進めば、一周して帰ってくるということだ。
そんなことを考えながら、兎達の後を追いかける。
同時刻、兎2人は最高速度で誰もいない道を駆けている。
散々自分達を追いかけ回していた、狩人はすっかり見えなくなり、少しの安寧が訪れている。
これからどうするか。
そんなことを互いに考えている。
しかしながら、考える必要はない。
何故なら彼らは、生まれてから今まで支え合ってきた兄弟であるからだ。
「兄貴、ゴオス兄を探しに行こう。流石に置いて帰れない」
そんな愚問に兄は答える。
「当たり前だ。俺たちは兄弟だか……………は?」
長男の台詞途切れさせたのはある光景である。
自分の弟が突如として地に伏せた光景。
それは弟も同じだった。同じような光景を目にした。
2人して転んでしまったのだ。
2人を転倒させたのは何かというと。
「縄?しかも………」
彼らの足元の高さに一本縄が。彼らの首元の高さにも一本。建物と建物を道を跨いで一本。更に一本、もう一本と、
「あの狩人余程手際がいいみたい。鬱陶しいくらいに多いよ」
道を疾走している時は全く気づかなかったがちゃんと前を見ていれば見えていたものだ。
だが、そんな感傷よりも先に長男の喉に何かが引っかかる。彼はそれがどのようなものかちゃんと理解していた。
「本当にあいつだけなのか?」
地に伏したまま、自問自答に等しい台詞を何処かへ投げかける。
だがその答えは、存外帰ってきた。
「妙に鋭いわね、感。それをもうちょっと早く発揮してたらこうはならなかったのに。おつむが弱いからかしら?」
自らを縛る不自由とともに。
長男には足首あたり、末弟には腕の自由を奪うように縄が絡みついている。
「チッ、足がやられたか……。で、お前はなんで、人殺し《ハンター》なんかに肩入れするんだ?」
口調自体はもちついているが、その額には冷たい汗が数滴滲み出ている。それに声だって足だって、指の至るところまでが震えている。
彼らにそう話しかけたのはカプリである。
だが、その後ろにも人がいることが長男には感じられた。
いや、人の気配かどうか怪しかった。前に居るカプリと同じような気もするし、普通の人間とも変わりがない。そんな歪さを感じている。
「理由なんてないわよ。まあ強いて言えば、あいつを見ていて"面白い"からかしら?」
顎に人差し指を押し当てながら考える。
そうして出た答えも、さほど今は関係ない。というかどうでもいい。
「それに、私のことよりも自分の事を気にしたほうがいいわよ?なにせ貴方達は詰みなんだから」
「………………ちくしょう」
そう何処かへ吐き捨てるように呟いた次の瞬間、自分達の元へ誰かが駆けてくるのが、その長い耳に伝わった。
「ありゃりゃ。もう済んでたのね」
縄で縛られて身動きの出来ない兎達の後ろにその人物は立つ。
もちろんレンである。
兎達の間を跨いで話しやすいように正面に向き合う。
そして、きちんと目を見ながら口を開く。その態度は自分にも相手にも言い聞かせる意図でもあるのだろうか。
「何か言いたいことは?」
その声は熱くなく、けれども冷えてもいない。ゆるい声であった。
そんな声で問いかけられた質問に、長男はフッ、と笑う。だが、真剣な目つきだ。
「俺はどうなってもいい。弟達を逃がしてやってくれ」
「兄貴?!」
突然の言葉に末弟は誰よりも驚いた。当然である。
長男は続けて、
「こいつらは俺に無理矢理付き合わせられただけだ。一番悪いのは俺だ。だから俺は煮るなり焼くなり好きにしろ」
誰も動いてはなかった。口も開いてなかった。
それは何故か。人によって違っている。
どうでも良かったり、兄弟愛に感心したり、欠伸をしていたり。
「その頼みを聞く前に1ついいかい?」
長男の頼みを欠伸をしながらマジマジと見ていたレンが問いかける。
「なんだ?」
「君たち、人は殺してないでしょ?」
「はァ?」
脈絡のない台詞に思わず声が出る。だが、その声は、カプリと一緒に潜んでいた羊飼いの声帯から出たものだった。
「なんであなたが驚くんです?」
走り回って割と疲れているのか、話を早く終わらせたいのだ。だから、少々面倒くさそうに言い放った。
「君モ狩人だろ?それなら、さっさとこの二人をあの世に送ってやるのが使命ってやつだ。まさか、人を殺してないからって取り逃すってわけじゃないよな?」
落ち着いてるレンとは対照的に、羊飼いは殺気立っている。ただの羊飼いであるはずなのに。
だけど、それを逆撫でするように理路整然と語る。
「『取り逃し』はしないですよ。殺さないだけでね」
それを言ったら、羊飼いはレンの意図を察したようだった。
「マあ、確かに記録上ではこいつらの人的被害は確認されてないけどさ……」
呆れた表情から、感情がひしひしと伝わってくる。
「じゃあ別に僕たちが手を出す必要なんか無いんじゃないですか?」
その感情がどのようなものか、どのような方向のものかを理解した上で結論付けた。
だが、論点達のほうが置いてきぼりになっていた。
「おい、狩人」
長男が口を開く。弟の方は絶望半分、罪悪感その他諸々半分といった感じで、黙りこくっていた。
「ん?なんだい?」
「何で俺達が人間に手を出していないと決めつけられる?俺達にはそんな理由なんてないぞ」
そう、質問を投げかけられると、レンは地に伏せている長男と目線が合うようしゃがんで話した。それは、多少なりとも好感があったからか。
「なんだ、そんなことね。1つ、君達がわざわざスリだがひったくりやらをやる必要がないから。2つ、さっきのシスターさんを君達が飛び越えたこと」
ギクッ、と鳴る音がする。図星であった。
その様子を含めて、レンは軽薄に、けれども柔らかく続ける。
「どちらも、人を殺して強奪するだけでもいいし、さっきだって、あのシスターの人を押し通して進むことが出来たはずだしねぇ……?」
それを聞いた途端、長男は顔を地面に突きぼこりに疼くます。
そして、再び顔を上げた時には、その面には二文字の言葉が浮かんでいた。
『降参』の二文字である。
でも、同時にあるものが込み上げている。
「……もう一度言う。弟達だけは助けて"ください"」
その顔には『覚悟』があった。
それを悟って、少しだけニヤけた。何せ、自分には無いものだからである。
「それは君達の反省の色次第かな。あと、弟には兄が必要さ」
この2人の行動には、大義や思想、それに主張がいるわけではない。
ただ、自分のやりたいこと、したいことをしているのだ。
そんな生き方はいつか清算が来る。
「……ありがとう」
それでも、その時は今ではない。
そう、狩る者は信じたかった。
自分にはないものをもっと大切にしてほしいから。