星印《サイン》
「ありゃ?戻ってきた?」
悪趣味な女神に落とされたのを最後の光景として、そこから先は記憶がなかった。どうやら意識を失っていたようだった。
だが、違和感がある。
先程まで女神のいる天国か何かにいたはずなのに、今はまるで夢から覚めた様な体勢である。女神が自分達を"転移"させたのと同じ様に、身体ごと移動したにしては何故意識がなかったのか。その答えを状況的に判断してみる。
「夢とか幻覚の類かな?」
そう首を傾げて、返答のない質問を口に出す。だが、返ってきた。
「もしかしたら、そうなのかもしれませんね。私はここ数分前の記憶がないのですが……」
答えたのはあのシスターさんである。
シスターさんについて、完全に視界の外だったため、その声を聞いた瞬間、レンは若干ビックリした。
シスターさんは続けて、
「お尋ね申し上げたいのですが、私は何故ここで倒れているのですか?」
「貴方の宗教、この石像の女神を信仰しているんですよね?」
国語のテストじゃあ0点の答えに、シスターさんは若干どころかかなり不思議な顔をしながらも答える。
「はい。確かにこの『アイオーン星教』は世界の創造主たる女神様を信仰しておりますが……。それがなんなのですか?」
その言葉を聞き、合点がいく。何の合点かというと、あの女神の像が何故こんなところにあるのか、だ。
「先程まで僕たちは、貴方方の信仰する女神様に会ってたんですよ、要は」
頭に靄のかかっているシスターさんにありのままのことを伝える。
「え?」
シスターさんの身体が固まる。突拍子のないレンの台詞に。
だが、それが嘘だとはシスターさんには思えなかった。
「えエェぇぇェェ゙ェ゙ェ゙ェ゙!!??」
だから、穏やかな雰囲気をぶち壊して驚いた。
興奮しているのか、困惑してるのか、どちらとも取れるような様子でひたすらに質問で攻める。
「女神様に会ったというのは?倒れていたのと何か関係あるんですか?女神様はどんなお姿でしたか?あぁ!ここしてはいられない。手帳を取っています!」
そう言った後、奥の方へ駆けていった。
シスターさんに、尋問という名の軽めの拷問を受けた後、ゲッソリした様子で教会の大きなドアを開ける。
因みに、解放された時のシスターさんの去り際の言葉は、
「ありがとうございます!お陰で良い外典が書けそうです!」
であった。
扉を開けると最初に目についたのは、小一時間ぐらい律儀に待っていたカプリとブラッドだった。
「あら、案外早く終わったのね。今頃、あの修道女に歯の一本や二本抜かれてると思ってたわよ」
冗談なのか、本気なのか分からないカプリの言葉が、開口一番にレンへと降りかかる。
「あの人をなんだと思ってるわけ?まあ、あながち間違いじゃないのかもだけど。後そう思ってるなら引き留めなさいよ」
怪訝な顔をしながら、カプリに言い返す。
しかし、その顔もすぐにいつもの淡々とした顔に戻して、
「割と待たせちゃったみたいだし、それはごめんよ」
一応誠意の込めたレンの謝罪の言葉を、聞き、カプリとブラッドは顔を見合わせる。それは、レンの言葉がよく分からなかったからだ。
それは何故かというと、
「何言ってるの?五分ぐらいしか私達待ってないわよ」
「え?」
カプリの発言に違和感が残る。
シスターさんに尋問を受けたのは五分ぐらいだったが、女神との会話は少なくともそれ以上はあったはずだ。
そうして、疑問が浮かび上がり、ふと街の時計塔を見てみると確かにカプリの言う通り、五分しか経ってなかった。
そこから考えると、先程目覚めた時に立てた、『夢や幻覚の類なのかも』というのはあながち正解なのかもしれない。
そうやって勝手に自己完結をするレンにブラッドが水を差す。
「小僧、こんなとこでウダウダとしてて良いのか?」
「大丈夫だよ。吸血狩り《ハンター》は基本的にある程度自由で、各個で成果上げれば良いらしいしね」
まあ、ギルドからの要請で動くこともあるみたいだけどね、と登録の際に、ウェイトレスから聞いた受け売りを付け足す。
吸血狩り《ヴァンパイアハンター》について、会社員のように『勤めている』のではなく、企業系のストリーマーのように『所属している』という認識のほうがイメージしやすいだろう。
レンの説明を受け、へぇ〜、という顔をしているカプリとブラッド。だが、2人も現在自分達が知り得ていることをレンに共有する。
「おい、小僧。観光業に力を入れてるとか宣っている癖に見掛けた人間はあの修道女だ。この街、何か変だぞ」
観光客どころか、観光客をもてなすのを代わりに金を落とさせる店の人すらいない。
街を形作るのは人である。それは、企業や国にも言えることだろう。
ここが本当に観光街なのか……いや、それどころかここが街であるかが怪しくなってきたところ、突如としてカプリとブラッドの後ろの通りから大量の気配を感じた。
「ん?ありゃなんだ……?」
カプリとブラッドに向き合っているレンにとっては、その大勢の気配の正体が分かる。分かるからこそ、この反応である。
『メェ~メェー』と鳴きながら彼らは次々に、一人を先導者として行進をしていく。そう、正体は羊だ。そして、その先頭に立つ者は羊飼いだろう。
町中を羊の大群が行進する、その珍妙な光景に目を奪われる。それと同時に先導している羊飼いにもスポットが当てられる。
そうやって少し離れたところからまじまじと眺めていると、羊飼いはまるで、こっちを察知したかのようにこちらに顔を向けてきた。
その視線は、興味深そうに見ていたレンの目とかち割る。
次の瞬間、羊飼いは引き連れている羊達を制止させ、こちらへ身体を振り返る。
スタスタとこちらへ向かってくる。
行進をしていた大通りから、レン達の今いる教会の入り口から微妙な距離があるので、羊飼いの姿も見えてくる。
童話にでもいそうな装いをした青年であり、妙にガッシリとしている。そして髪色は黒。だが、一言で黒と言ってもレンと同じ様な色合いではない。絵描きに使うパレットに色々な色を継ぎ足した結果、出来た黒。言い表すならそんな感じだった。
やがて、こちらへ近づいてくると、流石にカプリ達も気づいたようで、羊飼いの青年へ不信な目を向ける。
だが、羊飼いはそんなものには目もくれず、レンへと向かい合って、こう言った。
「まさかあんたら、観光客?久々だナぁ。今のこの街に来客が来るなんて」
羊飼いの行動の一部始終をバッチリ見ていたレンにとっては割と拍子抜けした台詞だが、傍から見れば友好的といえば友好的だ。少なくとも、いきなり、わけの分からない事を言い出すあのシスターさんよりかはマシである。
身体を強張らせるのを解いたレンは羊飼いの発言で気になった部分を指摘する。
「確かに観光客といえば観光客ではありますけど……この街って何かヤバいんですか?」
レンの言葉を受け、何かを思い出したかのように耽け、質問に答える。
「別にこの街自体に何か問題があるわけじゃないんだけどネ……今、街の中で暴れ回ってる奴らがいるんだ」
「吸血鬼……ですか?」
ヤケに感よく答えたレンに、羊飼いは二重に驚く。一つは今の発言だけで、吸血鬼だと断定する鋭さと豪胆さ。もう一つは……羊飼いでも上手く言い表せないものである。
少し感心されられた羊飼いは僅かに微笑み、レンへと再び語りかける。
「……そう、吸血鬼だ。もしかしてあんた、吸血鬼に興味があンのかい?」
その質問の返答に、少々戸惑う。
戸惑いの結果、利き手の左手でよく分からないハンドサインを作りながら、こう答える。
「まあ、僕"コレ"なんで、あるっちゃありますねぇ」
それを聞いた羊飼いは、レンのそのハンドサインですべてを察したようだった。
レンがハンドサインで表そうとしているのは『自分は、吸血鬼狩り《ヴァンパイアハンター》である』ということだった。だが、別に、ハンターにはハンドサインなんてものはない。つまりは、レンは適当なハンドサインで伝えようとしたのだ。
本来ならば、当然意味が伝わるはずがないのだが、何故か羊飼いには、その意味が分かっていた。余程、察しが良いのだろうか。
レンの言葉を聞いて、若干嬉しそうに声を張り上げる。
「じゃあ、立ち話もなんだし、茶でも啜りなガら話さない?俺がこの件に関して知ってることは全部教えよう」
ピクッと、レンの身体が若干動く。
理由は、情報と、お茶の時間だ。
レンが食いつくのを感じ、少し嬉しそうにする羊飼い。
少し離れたところにある建物を指差しながらレンに伝える。レンもその建物を見る。が、少し見覚えがあった。
「あそこ。多分話の内容に一番良いのは、あそこだと思う」
じゃあさっさと行きましょうよ、と言わんばかりに足早に進み、羊飼いもそれを追いかける。だが、その手には羊を誘導するために使う、曲牧杖が握られており、羊飼いの後には大量の羊の群れが疾走していく。
割とルンルンで駆けていったレンが、後ろを振り返り、この光景を見たら、ウキウキ気分も一瞬で恐怖に変わるのだろう。
「……」
「……」
先程から会話に挟まれずダンマリだったカプリとブラッド。レンと羊飼いの会話を眺めているだけだったため、彼らは拗ねていた。見た目は少女のカプリはともかく、400年以上生きていることが明白なブラッドはこの態度は、傍から見れば妙である。
だが、2人とも別に人のいないこの街でやりたいことはないので仕方なく、羊の大群の後ろについていく。
だが、道中こんな会話をする。
「ねぇ、ブラッド。あの羊飼いってまさか……」
「いや、だとしたら臭いがおかしい。……もしかしたら俺たちはかなり珍しい者に遭ったのかもな」
少しブラッドはニヤつきはするが、すぐに『こんなことあり得るのか?』という疑問に
胸がゾッとする。かなり小さいが。
レンとカプリ、羊飼いとブラッドは、先程の建物の中のロングテーブルに互いに向かい合いながら、座っていた。だが、他に中にいる人は、複数人のウェイトレスぐらいであり、やけに閑としている。
テーブルの上には3杯のミルクの入ったジョッキと、仄かに香る紅茶の入ったステンレスカップが置かれていた。ステンレスカップがレンのものだ。
「まず、街がこんな閑散としているのは、3匹の吸血鬼共のせいなんだってことを言ってオく」
説明を始める羊飼いに、レンは紅茶を飲みながら、訝しげな目を向ける。
理由は2つ。一つは『茶でも啜ろう』と言ってきたのは自分の癖に何故かミルクを頼んでいることに対する疑問と、もう一つは……
「話遮って、ごめんなさいだけど、何でギルドで話すんです?喫茶とかはないんですか?」
まあ、確かに羊飼いの判断は正しいのはレンにも分かる。
吸血鬼に関する情報なんて、一般市民を驚かせるのでそんなことの無いようにギルドで話すというのは辻褄が合っている。だが、平和な国育ちの現代人のレンとしては、もうちょっと、こんなカビ臭いとこではなく、品のある所で飲みたいという我儘が肥大する。辛うじて、飲んでいる紅茶が、知らないフレーバーで新鮮なのである程度平静なのだ。
「そう言わないデくれ。それにここぐらいしかこんな話ができないんだ」
「あんま、我儘言うんじゃないわよ。もう子供じゃないんだから。それにいろいろと失礼よ」
そう言って、ミルクを口元に付けたカプリの正論で殴られ、大人しくなる。
それを見て、羊飼いの方は話を再開する。
「さて……話を戻すよ。騒ぎを起こしてるのは、3人の吸血鬼だってのは言ったね?奴らはある日突然、この街に出て来てね。好き勝手やって行ったんだ。そレで、街の住民も、外からの人も怖がって、あんなガラガラだったんだ……」
今度こそは蚊帳の外にならないよう気を付けるカプリは、羊飼いのその発言に違和感を持つ。なんなら、ブラッドも共にだ。
それは、吸血鬼の生態を、吸血鬼だからこそ来る詳しいからだった。
「おかしいわよ、そんなの。吸血鬼は昼間は基本的には、星印を使えないはずよ。夜に誰もいないならまだしも、昼間に誰もいないのは、どうゆう理由?!」
声を迫り上げるカプリと、それをまじまじと見る他3人。
もし、ギルドの中が、最初にいた街のように、騒がしかったら、カプリの声もこんな響くことはなかっだろう
「無知……だね。住民たちは吸血鬼の星印についてまるで分かってない。だから、騒ぎ立ててこの有様だ」
さっきから出てくる『星印』という単語。レンには何のことだが分かっていない。
ブラッドを見てみると、特に戸惑った様子は無いので、どうやらブラッドもご存知らしい。
羊飼いとカプリの会話の内容への認識が『星印』という言葉で瓦解し、頭に入ってこない。
とはいえ、これから大事なことを言おうとしていそうな2人の話の腰を折ることは些か憚れる。
どうしよっかなぁ〜、と冷汗を書きながら戦慄をする。
レンがいるギルドから打って変わって、スグル達のいる王城。時間帯としては、カプリ達が街の掲示板を見ているぐらいの時、
スグル達四人は、学校の授業のように、机と椅子が用意され、筆記用具もその上に置いている。といっても、スグルに馴染みのある鉛筆やシャーペンではなく、映画でしか見たこと無いような羽根ペンである。
そんな四人の前に立っているのは先程、王に紹介された自分達の指導役、カトルスだ。
いつもの学校で言うなら教師の立ち位置である。
「はい。じゃあまず最初に座学だゾ」
これに対して、四人は不思議な顔をしながら、教壇の位置に立つ『先生』の目をまじまじと見つめる。
当然、カトルスが気づかないはずはなく、戸惑い半分、混乱その他諸々で聞いてみる。
「何?お前ら。座学はお嫌い?」
本心から不満げな顔をしている先生に対し、大原がバンッ、と立ち上がりながら、言葉要らずで伝わってきた皆の総意を伝える。
「先生、いきなり座学なのが意味分からん。皆を助ける、英雄になるんだったらやっぱ訓練じゃないのか?」
曲解なく伝えた大原に、他三人も「うんうん」と頷いている。
彼らの様子から、その意向を感じ取ったカトルスは、「ハァ〜……」と呆れたように溜息をつく。そして、身を案じているからこその諭しを見せる。
「その、『ひーろー』とやらは知らないけど、まあ、確かに肉体を高めるのも重要だ……。でも、肉体と同じくらい、もしくはそれ以上知識も重要なんだゾ」
命が惜しいのなら黙って俺が言う事を紙に写すことだな、と付け足して教卓に添えられている羊皮紙を四人に配る。
やけにテンポよく進行していくカトルスに、四人は先程とは打って変わって素直に彼からの羊皮紙を受け取る。カトルスの言葉に誰も異論がないからだ。
その様子を肉眼と審美眼に焼き付けたこの兄貴気取りは、若干声のトーンを張り上げて授業を再開させた。
「よ〜し。じゃあ始めるゾ。座学ではこの世界に来てヒヨッコのお前らに、この国、大陸、吸血鬼、果ては神話まで叩き込むんだ」
これを聞いた小澤は、授業を止めるのを承知で不安げな部分を指摘する。
「あの〜だったら大分時間要りませんか?体力の訓練も含めたら下手すれば1年はかかると思いんですが……。ほら、僕達全くの素人ですし」
対する先生は妙に自信ありげに、高らかに宣言する。
「安心しな、大丈夫。戦闘訓練合わせても1週間で事足りる。俺は有能なんだ」
と、喧しさを醸し出す一言を付け足しながら、先程から左手に持っていた、持ち主の握り拳ぐらいの厚さのある本を開く。
「最初の授業だし、折角なら飽きないような内容にしよう。今日は『星印』についてを教えてあげよう」
「サイン?」
そう聞き返したのはスグルだった。まあ、聞いたこともない単語だし、無理もないだろう。他三人も全く同じ感想である。
「そう、星印。それは吸血鬼と相対していく中で一番大事なことだゾ」
「というと?」
その言葉を聞き、先生は生徒たちへ、その分厚い本の中を開き、見せてきた。
見せられたページには、恐らくはこの国の公用語と思われる文字で書かれた文章がツラツラと並べられているのと、五芒星を模られた絵が載せられている。その絵はどこか魔法陣っぽく、今までファンタジーらしいファンタジーが片手で数えるぐらいしかないスグル達には、新鮮さが感じさせられる。
兄貴気取りはこの円を指差しながら、なまじ教育者としての喜びに浸る。
「こいつが『星印』。吸血鬼達を人外たらしめる、"神からの"授かり物だ」