腐った輝き、清潔な汚れ
人の気持ちは、空模様に喩えられることが多い。晴れ渡った心で、とか頭に靄がかかったようだ、とか。
あれっ靄は空じゃないっけ?
まぁいいや。言いたいことは別の事だ。今、空模様が怪しくなっている。私の気持ちではなく、実際の天気で。
慌てて私は木の下へ逃げ込んだ。雨が止むまでここで雨宿りをさせてもらおう。木さん、ありがとう。
座って一息ついている私のそばにやっぱり猫が集ってきた。猫達も濡れたくないのだろう。当然だ。びしょ濡れの形容方法の一つに「濡れ鼠」があるからだ。猫達は宿敵の鼠で表されたくはないだろう。
ぼんやりと灰色の雨を見ていると、何故だか思考力が充実してくる。
そういえば、雨についての詩があったな。なんだっけ、詳しくは思い出せないけど中学生の時好きだった気がする。えーと、雨の中で馬が立っている...もう思い出せない。
確か、「雨が少々降っている」とか何とかあった気がする。 、、、なんかものすごく間違っている気もするが、うろ覚えだから仕方がない。それに、今の天気模様だって、「少々」と言えるくらい「シトシト」なのだ。
静かに、絶え間なく聞こえる水の音。景色に灰色のフィルターがかかっている。そんな景色の中で、猫達が寝そべっている。一塊になって、寒さを凌ぎながら。そんな猫達を見ていると、つられてこっちも眠くなってーーー...
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、、、。。。
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いつのまにかぐっすりと眠り込んでいたようだ。寝ぼけた目に朝日が眩しい。
雨は、晴れた。全身に朝露がびっしりとついていて、猫達がそれを舐めとっている。
これで分かったことは、いくつかある。まず、外で寝ると体に朝露が付く、という事だ。湿度が高い屋外では、明け方に冷やされた水蒸気が身体に付くのだ。昔得た理科の知識が役に立った。
そして、もう一つ。ここは、おそらく夢ではないということだ。「夢から覚める方法は、夢の中で眠ることです」という噂(説?)があるほど、夢の中で眠り、また目が覚める事は無いのだ。もしあるとすれば、また別の夢への幕開けか、薄汚れた現実への片道切符なのだろう。往復切符は、現実→夢の時にしか発行されないのだから。
なんかそれっぽいことを言ったが、何のことはない、大学時代の知り合い(才能あるポエマー)の言葉を引用しただけだ。
ああ、彼のことはずっと忘れてた。忘れてたのにふとした事で思い出し、微かに胸に懐かしさが滲んだ。突然薄く笑った私を見て、側の猫達はギョッとした目で私を見ているけど。
こんな大平原の真ん中にいる理由は分からないが、住んでいたあのビル街で味気ない日常を過ごしていた時より、遙かに心が澄んでいるのがわかる。
ここは、良い所だ。とても綺麗な所だ。
だから顔を洗おう。猫の毛が何本も張り付いている気がする。
私が清らかな川で顔を洗っている間も、猫達はずっとそばにいた。綺麗な大地で育ったこの猫達も、やはり綺麗だ。
白いのも、黒いのも、虎柄も、三毛も、みんなそろいにそろって目がキラキラしている。その視線の先には、水滴のついた私の顔がある。
昨日と今日とですっかりストレスが無くなった私は、大きく伸びをした。
ここに、ゴミゴミした人間社会の中で最も清潔な物と言われる物よりも汚い物があるだろうか。あそこの水道水よりここの川水の方が清らかで、あそこの変な食品よりここの魚の方が美味しい。それを疑う者が居るだろうか。
ここは、陽射しの匂いも感じられるくらい空気もきれいだ。本当に、本当にこの世界に来れてよかった。
私の精神的疲労が少なくなってゆくと同時に、胃袋の中身も少ないのだと気づくのにそう時間はかからなかった。