21話「金色の鳥 黒色の鳥」
魔物の話 38
目の前が暗く、歪んでいる。意識は虚ろで、たどたどしく歩く姿はまるで亡霊のようだと自分で思った。
痛みに痛みが重ねられ、もはや満身創痍になりながら、それでもレイは『ホテル クラーケン』の両開きの扉を静かに押し開いた。
鼓膜を引っ掻くような軋んだ音とともに、人1人が入れるかどうか、という程度のわずかな隙間が扉に生じる。レイは足元をふらつかせながら、生じたそのスペースに体を滑り込ませた。
疲労に蝕まれた心と体を迎えたのは、生温い空気と明りのない景色だった。電灯の類がなく、カーテンは閉め切られているため、非常に視界が悪い。レイは頭を振って、髪の水気を少しばかり取り払った。服はむらなく水を吸いこんでおり、歩くだけで滴が道を作るようだった。服が破れ、剥き出しとなった腹部に汗がじわりと浮かんだ。
溶解液を被り、ボロボロになった衣服やスカートから露出した素肌に熱気が滲む。棒のように固く動かない足を、それでも何とか引きずりながら、ホテルの奥に向かって歩みを進める。
徐々に目が慣れてくると、ここがホテルのロビーにあたる場所であることに気付いた。足元に広がる赤い絨毯は埃や鳥の糞などでひどく汚れている。隅のほうに透明のガラス板の張られたディスプレイテーブルと2人掛けのソファーが置かれているが、それも同様に汚れを被っていた。
暗闇の中、レイの頭上を甲高い鳴き声が駆けている。ばさばさと翼をはためかせる音も聞こえた。鳴き声と、目の前を流れるように落ちてくる羽の色から、天井に潜むものの正体がカラスであることが分かる。同じ黒い色の羽を持つ者同士、もしかしたら自分を歓迎してくれているのかもしれないな。レイは天井を見上げながら、そんなことを自嘲気味に思った。
黒い鳥の力――。
広げた掌をじっと見つめ、レイは己の力について思いを馳せる。
戦闘の途中、封印しておきたかった怪人の力を自分で増幅させ、手に入れた能力だ。それは確かに窮地に立たされていたマスカレイダーズを救済し、活路を開く手段になり得た。この力を使わなければおそらくレイが、この場所にたどり着くことはできなかっただろう。
最終的に白衣の男の思う壺にはまってしまったことには、わずかながら煮え切れないものはあるものの、自分の中の黒い鳥の力を覚醒させたことに対して、後悔は微塵もない。
ただ、命を賭して手に入れた力であるのに、それでも仲間を救えなかったことに罪悪感を覚えていた。秋護はレイを守るため、このホテルに導くため、自らを犠牲にしてもあの怪物に立ち向かった。
レイは何もできなかった。体を貫かれ、喘ぐような呼吸を浮かべながらも必死に怪物と戦おうとする彼を、止めることも、この怪人の力を使って助けることもできなかった。
この罪を償う方法は分かっている。このホテルの中で怪人の根源に近づき、そして、潰すこと。そのための力を、たとえほんの少しだとしても、レイは温存しておく必要があった。ここまできたら後ろを振り返っても仕方ない。
多くの仲間たちの意思を背負い、レイの中に強い決意が滾っていた。自分は1人じゃない。多くの人の心が背を押してくれている。その思いだけが、とっくに力を失くしたレイの体を前へ前へと進めさせていた。
この地に訪れてから継続して感じていた、脳の端の方を摘まれるような痛みは上方を示している。そこにいる何者かが、レイの意識に何かを訴えかけようとしているかのようだった。その声に導かれるようにして、自分のできることを体の内で噛みしめながら、進んでいく。
階段はすぐに見つかった。
高級ホテルの様相を残した、豪奢な造りになっている。闇に沈んだその階段を、浅い深呼吸の後、一段一段昇っていく。錆びきった手すりを掴み、体を手繰り寄せるようにして進んだ。2階に近づいてくたび、少しずつ空気の重さが増していく。それに応じて、レイの体にのしかかる疲労も高まっていくようだった。額にはとめどなく汗が流れ、もはや服の湿りの大半を占めているのが汗なのか雨なのか分からなくなってきている。
額を手の甲で拭うと、その時、腕が頬にぶつかった。途端にレイは目を見開いた。骨の髄まで痺れるような痛みが走り、小さな悲鳴をあげた。口内の出血はいつの間にか止まっていたが、頬はまるでおたふく風邪にかかったかのように腫れていることが感触だけで分かった。
本当に体はボロボロだった。こんな状態の自分に一体、何ができるのだろう。心の片隅に控えていた自尊心がわずかに揺らぎをみせる。
弱気な方向にぶれる心をごまかすように、左手首に巻かれた、球体の乗っているリストバンドに目を落とした。
ゴンザレス曰く、これがあればいつでもレイの位置を観測でき、ピンチの時には助っ人を自動的に向かわせるための装置らしい。おそらくレイがホテルに侵入したことも、ゴンザレスに伝わっていることだろう。だとすれば、そろそろ仲間が来てくれる頃合いだ。レイだけの力では無理でも、もう1人いれば、なんとかなる。そして目的の最終地点であるこの場所でならば、今度こそ駆けつけてくれた仲間が犠牲になどならないように、躊躇いもなく力を尽くすことができる。それを考えると、わずかだが心が軽くなった。
2階にたどり着くと、すぐに3階への階段に足をかける。さらに声が強くなる。瞬くような痛みが頭に走り、思わず眉間に皺を寄せた。
あともう少しの辛抱だ、と自分を奮い立たせ、昇っていく。しかしあまりの痛みに意識が朦朧とし、前のめりに膝をついてしまった。手すりを掴み、身を引きずりながら進むが、それでも耐えきれず、ついに動けなくなってしまった。
這うように階段を昇り、踊り場にたどり着いたところで身じろぐこともできなかった。頭を万力で締め付けられ、頭を上から凄まじい力で押しやられているような感覚がある。その見えないプレッシャーを押し退け、這いあがる力は、もはやレイに残されていなかった。自分の心音が遠くに聞こえる。ぜえぜえと唸る自分自身の呼吸が、聴覚を占めていた。
階上から足音が聞こえたため、レイは首をわずかに傾け、上目遣いにその方角を窺った。初めに見えたのは、いかにも動きやすそうな、白いスニーカーだった。
やがてそこからすらりとした足が伸び、さらに泥で汚れたホットパンツに繋がっているのが見えた。
「こんばんは、何日かぶりですね」
その声は足音を置き去りにして、階段を下りてくる。次の瞬間、目の前が眩い光に照らされた。空間に突如出現した光の渦は、ホテル内の暗闇を一度に取り去っていった。
明りの中に浮かび上がるそのシルエットに、レイは瞠目し、それから息を呑んだ。
そこには手を後ろで組みながら、悠然とした佇まいで降りてくる華永あきらの姿があった。
「華永、あきら、さん」
手をつき、顔を上げるレイにあきらはわずかに眉をあげ、柔和な笑みを浮かべた。喫茶店ではあれほど魅力的に映ったその笑顔も、この状況では、ひどく不気味で歪なものにしか見えなかった。
「覚えていてくれたんですね、名前。嬉しいです、黒城レイさん」
あきらはレイの眼前に立った。わずか10センチの距離に、彼女の履くスニーカーのつま先が見える。レイは首をほぼ垂直に持ち上げ、陰影をくっきりと表情に浮きあがらせたあきらを見上げた。
「まさかあなたがマスカレイダーズだったなんて、驚きです。ボクを監視するために、あの店に来たんですよね? すっかり騙されました」
「……あなたも、怪人を作っている人たちの、仲間? 白衣の男の人とか、橘さんもここにいるの?」
レイが掠れた声で尋ねると、あきらは笑みを表情から消した。彼女はあまりにも冷たい視線でレイを見つめ、そのまま唇だけで微笑みを作った。
「奇遇ですね。ついこの間、同じようなことを訊かれました」
あきらの雰囲気が一変した。もちろん明るい方向に、ではない、深淵のようにさらに深く暗いものへと傾いていく。
「でも。そんなこと、もうどうでもいいんです」
あきらの後方に宙を泳ぐ蛍のような、白い光が舞う。それは細かな粒子のように見えた。レイはそこでようやく、この闇を剥がし取っている光の正体がそれら無数の粒子にあることを察した。
「あなたたちが、ボクたちを疑おうが、信じようが、もうどうでもいいことなんです。どう転んでも、ボクの気持ちはもう変わりませんから」
あきらの瞳が不穏な光を帯びた。そこに宿った色は、明確な憤怒。そして憎悪。レイはそんな彼女の態度に戦慄を覚え、咄嗟に身を起こそうとする。しかし、力を入れた手をあきらに踏まれ、レイはその機会を失った。顎を打ちつけ、再び踊り場に伏せられる。
「マスカレイダーズは、みんなの幸せを奪う悪魔の集団です。光を遮り、不幸の雨を降らせる、この世にあっちゃいけない存在。あんな組織がある限り、誰も幸せになんかなれない!」
あきらは激情を顕わにし、レイの手を踏みつける力をさらに強くする。その足の裏でぱきりと小さな音が響いた。指先に激痛が走り、レイは呻き声をあげた。
「だからマスカレイダーズをボクは、潰します。残念ですけど、あなたもそれに加担するなら、容赦はしません」
無情な言葉を吐くと、あきらは自身の周囲に纏う白い粒子の濃度を濃いものにした。そしてその粒子量が薄らいだ時、あきらはその向こうで、白と桃を基調とした体躯をもつ怪物へと変容を遂げていた。
その肉体には傷が多く、中でも右腕は多大な損傷を受けているようだったが、それでもその怪物のもつ威圧的な雰囲気は少しも損なわれてはいなかった。怪物は膝を曲げ、レイの手から足をどけた。ようやく解放されたレイの右手の人差指は、爪が無残にも割られ、小さな血だまりでカーペットを染めていた。
怪物はレイの片腕を乱暴に掴むと、腕一本で持ち上げ、その体を壁に押しつけた。一方向から圧迫される痛みに肩が悲鳴をあげ、たまらずその表情も歪む。
その美しくもある怪物の肢体を、薄く開けた瞼の隙間から覗き見ながら、レイは確信を強めていた。その手を伝って体に流れ込む感覚。脳内に切りこんでくる情報。胸で淀む情動。違う、と思った。やはりあきらが変化したこの怪物は、自分たち怪人とは根底の部分から異の存在だ。
怪物は鉄格子のような体皮に覆われた眼球で、じっとレイを見つめてくる。その物言わぬ眼差しを見つめ返しながら、レイは言った。
「あなたは、怪人じゃない。……感覚で分かる。人の死体から作られた、生物じゃない」
レイの唇から紡いだ言葉に、怪物は一瞬、動揺をみせた。その発言の真意を図り損ねている様子だった。自分の腕を掴みあげる手の力が少し緩まったのを察すると、レイはさらに続けた。
「じゃあ、あなたは一体、何者? その姿は一体……」
「それはこっちが訊きたいです。感覚って、どういうことなんですか? この前は怪人に狙われていたし、レイさんあなたこそ、一体何者なんですか。なにか、人間とは思えないものを、感じます」
怪物は反問すると、レイの体を押しつける力をさらに強めた。奥歯を噛み締め、苦痛に耐えながら、レイは少し考えた後で答えた。
「私は、黒い鳥から作られた、怪人なの」
はっきりと言葉にして伝えると、途端に怪物はハッと息を呑んだ。それからレイをじろじろと見やる。あまりに正面から熱意のこもった視線を突きつけてくるので、レイは何だか決まりの悪い思いを抱き、彼女の目から逃れようとその場しのぎに顔をそらした。
「人間にしか見えないから嘘だと思うけど、この姿で一応、そうなの。私はお父さんに作られた、怪人、なの。私も最初は知らなくて、びっくりしたんだけど。でも、本当」
「父親、に?」
怪物は呆けるように呟くと、突然、レイを掴む手を離した。支えを失ったレイの体は壁を伝うようにして床に滑り落ちていく。
壁に貼りつき、天井に伸びるレイの影が、人のものから翼を広げた鳥類のそれへと変化していく。その影を前にして、怪物はまたも困惑した様子をみせた。
「……分かりました。確かにそれが正しいなら、色々なことに納得がいきます。黄金の鳥も、だから……確かに、人間型の怪物。矛盾した表現ではありますけど、そんなようなものも作ることができると、聞いた覚えがあります。ですけど」
怪物の言葉や態度には迷いがあった。その語調にはいまだ予断を許せぬ、警戒心が滾っている。彼女は疑わしそうにレイを見つめながら、こほんと、1つ咳払いをした。
「なら、あえて尋ねます。黒い鳥は、いま、どこにあるんですか? 探しているんです」
レイは眉をひそめた。彼女の口から放たれた質問は、レイにとってあまりに意外なものだった。
「知らない。……本当だよ。私たちも、探してるところ」
正直に答えると、彼女はレイの目を食い入るように数秒の間見つめ返し、それからわざとらしく肩を落とした。
「まぁ、でしょうね。そんな簡単に手に入るものじゃ、なさそうですから」
「だから、あなたたちは、怪人を連れ去っていたんだね。黒い鳥を、探すために」
「なかなかうまくいかないですけどね。まぁ、気長にやりますよ。今さえ凌げれば、ゆっくり時間はとれそうですし」
「一体、何のために?」
傷の痛みを堪え、彼女から漂ってくる迫力に耐えながら、レイは核心に触れようと尋ねた。
「何で、黒い鳥を、求めるの?」
すると怪物は一瞬だけ天井を見やった後で、指を口の前で立てて、きっぱりと告げた。
「内緒です。そこまでは、話せません」
そのどこか可愛らしい仕草と、言葉の強さとのギャップにレイは戸惑う。そしてそのまま、ぼんやりと彼女を見上げ、これまでの彼女との会話の中で得た、ある確信を口にした。
「でも、今の話で、分かった。華永さんは怪人について知らない。無関係。あの白衣の男の人も、二条裕美も……多分、ここにいない」
レイの告げる言葉を、怪物は無言で受け止める。その能面のような表情から思考を読みとることは、やはり困難だった。
「なら、あなたは、あなたたちは一体何なの? 怪人じゃない。だけど、どこか似た匂いがする。一体、あなたたちは、何者? その姿は、何?」
レイは疑問を重ねる。怪人でないのであれば、一体その異形の姿はどういうことなのか。想像することすらできなかった。だからこそ、ここで彼女の口から真実を聞きださなくては、その謎が二度と明かされないような予感があった。
怪物は推し量るようにレイを見つめていたが、その背後で尾を引く、鳥の形をした影に視線を運んだ後で、浅いため息とともに口を開いた。
「いいでしょう。あなたも話してくれたから、こちらも話します。ボクも、あなたと同じなんです」
「同じ?」
「父親から、もらった力ということです」
怪物は自分の右手首に装着された、三角形の石板に目をやった。それはS.アルムの腕にもまた付けられているものだった。彼女はそれを恋人でも見つめるかのような愛情のこもった眼差しで見つめながら、誇らしげに言った。
「そう。ボクは黄金の鳥に選ばれた人間なんです。この姿こそが、何よりの証明。この石板は、黄金の鳥の体の一部です。そして普段は……ボクの体の中に埋め込まれています」
怪物は瞳をぎらつかせ、わずかに興奮のこもった口調で言葉を連ねる。レイはどこかそら恐ろしい思いで、その話を聞いている。
「そうです。ボクは、黄金の鳥と1つになれたんです。こんなに幸せなことはありません。この力は、黄金の鳥からの、素晴らしい贈り物なんです」
「黄金の、鳥……」
怪物の口から放たれたセリフを、レイは無意識に復唱している。記憶を辿らずとも、空に走る稲光のように、頭の中にその言葉は閃いてきた。
それは段田右月やゴンザレスが口にしていた言葉。マスカレイダーズの起源に関わる、そして何故かレイや父親の耳に触れぬよう、ひた隠しにされていた単語。ここに怪人の創生主はいないと確信が得られた以上、自分がここにきた理由は、その存在と接触することにあるような気がした。
気づいた瞬間、頭の中の痛みがひときわ激しさを増す。それはまるで自分の名を不用意に呼ばれ、苛立ちを顕わにした者の叫びのようだった。
この地を訪れた時からずっと続いている微かな痛み。そして誰かに呼ばれているような掴みどころのない感覚。いまその呼び声は、このホテルの上階から聞こえてくる。
おそらく、この声の主こそ、ゴンザレスの言う、そしてあきらが声高に叫ぶ、黄金の鳥という存在なのだろうと、すでにこの時にはレイは理解していた。そして、その黄金の鳥と接触することが自分の目的なのだろうということも何となく察していた。
「黄金の鳥は誰も見捨てません。命を守り、命を愛し、命を尊ぶ。誰よりも、何よりも、慈悲深く、そして神聖な存在なんです」
蜘蛛の巣の張った天井をすり抜けて伝わってくる、声に含まれた命の鼓動。その音色と怪物の声がそっくり重なる。詰るようなゆっくりとした足どりで接近してくるこの怪物を、レイはもはや華永あきらと思うことはできなかった。取りつかれている、と思った。怪物が纏うそのオーラは、瞳の輝きは、紛れもなく狂信者のそれだった。
「黄金の鳥を信じてください。黄金の鳥を信じてください。そうすれば、頭の上にある雲を晴らし、光を注いでくれる。そうすれば、みんな幸せになれる。ボクはその担い手になりたいんです。だから……」
彼女はそこで一旦、言葉を切った。怪物はレイの左手の方を一瞥し、それから改めてレイの顔を見た。
「黒城レイさん」
フルネームを軽やかに呼ばれ、レイはその声の方向に目をやった。すると怪物はこちらをじっと、透き通った瞳で見つめながら、あの喫茶店で見せたのと同じような、慈愛と親しみのこもった口調で思いも寄らぬ提案を持ちかけてきた。
「ボクたちの、仲間になりませんか?」
レイが瞠目すると、怪物は穏やかな気配を表情に宿しながら、諭すように言葉を続けた。
「ボクたちは、命を無駄にしません。仲間も犠牲にしません。ボクがレイさんをきっと幸せにします。あなたを苦しめるあの組織も、全力で潰します。……どうですか?」
あまりに突然すぎる勧誘に、レイは面食らった。真偽を求めて怪物の表情を見返すが、その眼光は殊勝な輝きを放っていた。
「もちろん、あなたへの攻撃は中止します。同士として歓迎しますよ。ボクもあなたをこれ以上、傷つけたくないんです。初めて会った時から、どこか似たものを感じていましたから」
まさかそのセリフを、あきら自身の口から聞くことになるとは思いもしなかった。レイも同じ気持ちを抱いていたからだ。自分とは似ているが、自分の持っていないものを持っている。レイはあきらに対してそんな印象をもち、親近感と一種の憧れを抱きながらこの地に足を踏み入れたのだった。
彼女も同じ想いでいてくれたことを思うと、胸がきゅっと絞めつけられるような感覚に襲われる。素直に嬉しくもある。そんな彼女の申し出は、確かにレイにとって自分を成長させてくれ、自分の進むべき道を導いてくれるという意味でとても魅力的だった。
しかし、レイは断固とした態度を取った。力強く、首を横に振る。
「……ごめんなさい、華永さん」
怪物は目を細めた。おそらく、眉間に皺を寄せているに違いなかった。
レイは鉛を背負っているかのように重く、水中にいるかのように気だるい意識を無理やり覚醒させながら、身を起こした。手、肘、肩と順々に腕の力を用い、さらに腰を持ち上げ、己の体の構造を確かめるようにして、ようやく二本の足で立つ。
「私は、みんなを裏切るわけにはいかないの。自分だけが助かるなんて……そんなこと、できない」
レイにはここで引くわけにはいかない理由がある。先に進まなければならない覚悟がある。知らなければならない真実がある。
佑と病室で誓い合った約束を、必ず助けてやると言ってくれた父親の表情が、自らの身を挺してレイを庇ってくれた狩沢が、そして命を空に解き放ちながらそれでもレイを先に進ませてくれた秋護の声が、走馬灯のように次々と頭に過っていく。
確かにゴンザレスは信頼するに足りぬ存在かもしれない。だからといって、組織を裏切っていい理由にはなり得なかった。組織とは、総員の意思で成り立っているものなのだから。
だから、レイはこの誘惑に立ち向かう。自分だけが助かろうとなどという甘い選択肢は、初めから存在しない。目の前に壁があるなら、それを乗り越えるだけ。レイは相対する怪物を鋭く睨みつけた。
「それでも、私をここまで命がけで守ってくれた人たちがいる、届けてくれた人たちがいる。だから私はこんなところで止まらない。まだ、止まるわけにはいかないもの」
鳥の形を成した自分の影を壁に這わせる。相変わらず頭痛はひどく、立ち上がるのもままならない程体のあちこちが痛む。コンディションとしては最悪と言う他なかったが、それを補って余るほどレイの心は気力に満たされていた。命を燃料に、気持ちに光を灯し続けようと決心する。骨が砕かれ、爪を剥がされ、皮膚を焼かれようとも、心まで折られるわけにはいかなかった。
「私はマスカレイダーズの黒城レイ。あなたの敵だよ、華永さん」
「……それは残念です」
レイの宣言に、怪物はようやく言葉を発した。落胆と諦念がどちらも勝ることなく、純粋に混じり切った声だった。その足元から蒸気のように、白い粒子が沸き起こる。濛々と彼女を包むその白銀の風は、彼女の憤怒をそのまま視覚化しているようにレイの目には映った。
「なるべくなら、あなたを傷つけたくはなかったんですけど。もう1度訊きます、ボクたちの仲間になる気はないんですね?」
そう尋ねてくる、背中に黄金の翼を生やした怪物の影が、鳥の形に見えることにレイはふと気がついた。それは猛々しく大翼を広げ、獲物に慧眼を突き立てる鳥のシルエットだった。その勇ましい姿はいま、彼女の背後の壁にくっきりとした輪郭をもって浮かびあがっている。
鳥の影を持つ者同士が、くたびれたホテルの踊り場で対峙している。レイならずとも、その異様な光景に何か因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
「最初は、華永さんにヒントをもらおうと思った。私がどう生きればいいか、どうやってこの力を使えばいいか。分からなくて、悩んでて。だから、ちょっと会うのが楽しみだった」
彼女の粒子に対抗しようと、レイもまた背中に漆黒の翼を展開し、同色の瘴気を肌に浮きあがらせる。
皮膚を通して、体に力が注入されていくのが分かる。しかしその一方で、意識が淀んでいくのもはっきりとしていた。覚えたての力ではあり、どれだけ彼女と渡り合えるか不安な要素はあるものの、啖呵を切った以上、何もせずに無防備で突っ立っているよりは幾分かましに思えた。
「でも、それじゃダメだって。戦いながら気付いたの。私と華永さんは似てるけど、違う。だからヒントをもらっても多分それは、全然見当違いで……。だから、やっぱり自分で見つけようと思った」
己の意思で、力で活路を開く人たちを見て、そして何もできないと嘆いてばかりだった自分を悔いて、レイは自分を変えたいと願った。その願いはまさしく、暗闇の中を彷徨っていたレイにとって何にも代えがたい大切な光となり、レイの行く道を燦々と照らしている。
レイは自分を庇って死んだ、ディッキーのことを思い出す。
あんな小さな体で、あまりにも頼りない力で、しかしレイのことを必死に守り抜いた。あなたのその勇気を、お母さんに少しだけ分けて。レイはここにはいない息子に願う。すると少しだけ、体の芯から力が沸いて出てくるかのようだった。
「もう怖がるのは、やめた。怯えてたんじゃ、何も始まらないもん。だから、私はあなたを恐れない。ここまで私を助けてくれた人たちのために、先に進みたい」
レイが一息に言うと、怪物は白い燐光に巻かれながら、短く息を吸い込んだ。そして吐き出す息を宙に浮かべると同時に、細かくざわめく粒子の間から覗き込むようにして、レイを凍てつく視線で突き刺した。
「なら、もう容赦はしません。黄金の鳥を汚す者は、みんな、ボクが殺します。あなたたちを黄金の鳥に指1本触れさせません」
怪物は左腕を突き伸ばすと、人差し指をぴんと立て、レイを指し示すようにした。その先端に少量の粒子が絡みつく。そして燃えるような光を帯びたかと思うと、指先から白い光線がレイ目がけて飛び立っていった。
明りに飢えた空間に、まるで黒板に引かれたチョークの跡のように、真っ白な直線が横切る。
レイは正面からそれを見据えながらも、少しも怖気づかなかった。
これまで、レイは最高の怪人という評価を重荷としか感じることができなかった。自分にはそんな力などない。自分にそんな称号は似つかわしくないと、どこか決まりの悪い思いを抱いていたものだった。
しかし内臓を串刺しにされながらも、自らの意思を貫き、最期まで笑い続けた秋護の姿を見て、考えが変わった。彼の絶対的な自信がレイの感情に変化をもたらしたのだった。
自分の現状を掛け値なしに受け入れ、そして与えられた誇りを正面から受け止めること。他の怪人とは一線を画しているというプライド。自らを信じ、黒い鳥を受け容れるとは、そういうことではないのか。
最初は自覚すること。次は受け容れること。そして次の段階、己の力に矜持を持つが、さらなる高みへとレイ自身を誘う鍵となる。確証はあった。体の内側に滾る力の奔流こそが、その答えだった。
「私は、死なない。約束したから。必ず、戻ってくるって」
背後に突如現れた小柄なシルエットが、レイの前に飛び出し、迫りくる熱線を弾き飛ばした。
床に叩き落とされた攻撃を目にし、怪物は心底驚いたように息を呑んだ。ハッと息を漏らす音を、耳触りな羽音がかき消していく。
レイの目の前には、青い体色と全身に生やしたぎざぎざの突起物が特徴的な怪人が、小さな翅を振るわせて宙に浮かんでいた。
「ぶんぶーん、ただいま参上! それで、お母ちゃん、あれがネイの敵? パンダみたいだねー」
忌憚のない豪快な物言いと、舌たらずな声。胸には蠅の絵が刻まれている。それは先ほどの戦闘でレイと戦った蠅型怪人、ベルゼバビーだった。ベルゼバビーはレイの怪人掌握能力の効かない、特殊なタイプな怪人にカテゴライズされていたが、覚醒したレイの力の前では無力だった。“お母ちゃん”という彼女の呼称の仕方から分かるように、完全にその意識は術に落ちている。これまで言葉を喋れない怪人にしか使用していなかったので分からなかったが、どうやらレイの怪人としての力は、“怪人の親の書き換え”まで及んでいるらしい。
娘の1人を白衣の男から奪い取ったレイは、ベルゼバビーの背中越しに怪物を見やりながら、不敵に微笑んでみせた。
「あなたが黄金の鳥なら、私は黒い鳥」
自らの影を、レイはベルゼバビーに重ねた。黒い陰に覆われたその小さな怪人の体色が、夕暮れ時の空の如く変化を始める。足元から頭頂部に駆けあがるようにして、その体はむらなく青から薄い橙に移ろいだ。
「最高の、怪人だから!」
怪物はまたも熱線を放とうとした。粒子を左腕に蓄え、その指先には閃光が迸る。しかし次の瞬間、彼女のそうした動作すら打ち消すかのように、ベルゼバビーの全身から獰猛に燃え盛る炎の渦が噴出された。
火炎の奔流はレイの全身をすっぽり覆うほど巨大なものだった。空気が歪むほどの熱気を発散しながら、床と階段を巻き込んで破壊していく。怪物の放った熱線は、横に突き出した炎の柱の中へと、いとも簡単に呑み込まれていった。
怪物は粒子を両腕にかき集め、咄嗟に防御壁を作り上げたものの、炎の勢いに負けて大きく吹き飛ばされた。怪物の体を壁際まで押しきった炎はあらゆる方向に拡散し、わずかな余韻を残して霧消していった。
しかしレイは、炎が完全に空間に溶け込み、消えていく様を目にしなかった。
その時にはすでに、レイはベルゼバビーの片足に掴まっていたからだ。レイの両足は、上昇していくベルゼバビーに引っ張られるようにして、揺れながらゆっくりと床を離れていく。
階段は荒んだ瓦礫と化し、カーペットの敷かれた床は汚れ大きく陥没している。巻き起こる埃の中に怪物のシルエットを認めると、レイは頭上を仰ぎ、天井に向けて進行するベルゼバビーに向けて叫んだ。
「天井、突き破るよ。いい?」
「うーん。痛そうだけど、お母ちゃんのためなら、いっくよー!」
意気込み、大きく息を吸い込むベルゼバビーに、レイは鳥の形をした影を再び重ねた。するとその体色がまたしても、まるでペンキを被ったかのように、鮮やかな変化を遂げる。
今度は橙色から、目も眩むような金色に移り変わった。同時にその体皮の質感も金属のような、滑らかなものへと変わる。レイは黄金に変わり果てた怪人の足首を少し強く握ってみた。しかし、びくともしない。指先に返ってくるのは、紛れもなく、見た目通りの硬質な金属の感触だった。
それはキャンサーから、黒の光を通じて吸収した力だった。先ほどの火炎はケフェクスのものだ。怪人から特殊能力、身体能力を取りあげ、それを自分の力とする。または、ベルゼバビーに対して行ったように、奪い取った力を指定の怪人に譲渡することも可能だった。
なぜ、光を浴びた2体の怪人が急に動きを鈍らせたのか。なぜ、ケフェクスは火炎を吐き出せなくなり、固さ自慢のキャンサーはガンディの攻撃にダメージを示すようになったのか。その答えが、ようやく見つかった。真相を知れば何でもない。彼らの力を全て、レイが吸い取ってしまったからだ。
そしてレイは自分に関するそういった情報を、まるで何年も前から知らされていたかのように、なんの滞りもなく理解していた。これもまた、心の中で封印されていた黒い鳥の力の一部なのだろう。レイが成長したことで、その一部がまたも顔を見せたにすぎないのだ。
それこそが、最高の怪人としてのプライドを身に宿したレイが得た新しい力。自覚し、受容し、信頼する。レイの進化は着実に段階を踏んでおり、その成長度合いの激しさに一番驚いているのはレイ自身に他ならなかった。
ベルゼバビーは一度、宙を蹴ると、ロケットのような勢いで天井目がけて突進していった。鳥の影を通して、ベルゼバビーには体の硬質化だけではなく、二条兄弟から奪った身体能力も加えておいてある。溢れんばかりのパワーをその身にこめて、凄まじい勢いで、その小柄な体はレイの体を引き上げていく。
レイの眼下で、怪物はすでに身を起こしていた。両腕に閃光を溜め、決死の表情でこちらを見上げている。
「私は確かに、あなたには勝てないかもしれない」
鳥の影をベルゼバビーに這わせ、ケフェクスの力も追加しておく。真っ赤に光り輝いたベルゼバビーの頭が天井を一撃で叩き壊した。
「でも、逃げるぐらいのことはできる。声の方に、向かうことならできる」
怪物の両手から光が放たれた時には、レイの体は天井に大きく空いた穴の中に入り込んでいた。天井裏を突き進み、上階に近づいてくごとに、その頭の中に広がる声も大きさを増していく。こめかみをつねられるような頭痛に顔をしかめながらも、レイは意識を保った。殊更強く、ベルゼバビーの足首を掴む。
「着いたー!」
そして3階の天井を突き破り――レイとベルゼバビーは上のフロアへとついに到着した。
しかし天井を突貫した勢いをぴたりと、申し合わせたかのように殺すことなどできず、手が汗で湿っていたこともあって、レイの体はベルゼバビーから豪快に振り落とされた。床に背中から落ち、ごろごろと転げる。ベルゼバビーもまた気の抜けた悲鳴をあげながら天井にぶつかり、頭から床に突き刺さった。
レイは自分の体の感覚を確かめるようにして、身を起こした。影を素早く伸ばし、ベルゼバビーをその中に沈ませる。「お疲れ様」と心の中で唱える。鳥の影は当初に比べ、大分細くなり、その色も薄らいできている。限界が近づいているのは、明らかだった。それは覚醒した力に頼りきり、無暗に使いすぎた代償に違いなかった。体はひどく気だるく、少しでも気を休めようなら倒れてしまいそうだった。虚ろな頭で、何とか意識を繋ぎとめるのが精いっぱいだ。自分の体が自分のものではないような浮遊感の中、周囲に視線を巡らせる。
足元には緑色の整ったカーペットがあった。廊下やロビーに敷いてあったもののように埃が固まって落ちていることもなく、美しい様相を残しているのが印象的だった。窓のカーテンも全て開かれているため、廊下のように暗くて何も見えない、ということもない。
どうやらここはホテルの居室の1つのようだ。おそらく、遊戯スペースか食堂だったのだろう。学校の体育館程度の広大なスペースが広がっていることから、レイはそれを察知した。カーペットが敷かれていることから、食堂の線が正しいのかもしれない。
そして室内には、なぜか懐かしい香りが漂っていた。数秒考えて、すぐに結論に達する。それはカレーの香りだった。ただでさえ蒸し暑いこの空間に充満するカレーの匂いは、さらに体感温度を上昇させる要因となっているようだった。
くらくらする視界を周りに運び、レイは部屋の奥の方に目を凝らした。
すると、そこに人影を見つけた。
金髪の男だった。プリントの半袖Tシャツとダメージジーンズというラフな格好で、こちらを見つめている。狩沢には及ばないものの、その二の腕には隆々とした筋肉が窺えた。
レイは息を呑んだ。男の前には椅子が置かれている。背もたれとクッションのついた立派な装いのものであるが、そこに今、1体の怪物が座していた。
足を組み、片手にスプーン、もう一方の手にカレーのよそられた小皿を持っている。このむせ返るような匂いはそこから流れ出していたのかと、レイは沈黙した頭でぼんやりと考えた。
その怪物の体色は紫。その胴体には金色の川が流れている。顔には銀色の仮面を付け、左目だけが真紅に染まっていた。そこに漂う、気品すら感じさせる雰囲気は紛れもなく、あきらの変化した怪物と同類のものだった。
怪物は手首に金の輪っかをくぐらせていた。輪っかには同じ色をした太い鎖が結ばれている。その鎖の先は床に丸まった黒い塊に繋がっていた。とてつもなく大きく、それはまるでゴミを詰め込んだ真っ黒なビニール袋のようで。
そこまで考えて、レイは自分が以前にも同じような場面に遭遇したことを思い出した。確かあれは2週間ほど前だったはずだ。スーパーでライと一緒に買い物をした帰り道。通りかかった公園の片隅でレイはそれを発見した。
まさか、と思った。するとその動揺に応えたかのように、もぞもぞとその黒い物体は動き、縦に大きく膨れ上がっていった。
それは膝を抱え、頭を垂らし、体を団子虫のように丸めた人間だった。耳や頬を塞ぐくらい長く伸びた黒髪と、その身に纏った黒いコートによって素肌が隠されていたため、何かの塊にしか見えなかったのだった。その人物は顔をあげた。黒に塗りつぶされていた青白い肌が、そこで初めて顕わになる。前髪が空き、そこに覗いた眼差しがレイの姿を捉えた。
間違いなかった。真夏にも関わらず厚手の黒コートを着込んだその男のことを、レイは知っていた。
「おじさん……」
夜の公園でファルスに襲われたレイの前に颯爽と姿を現し、助けてくれた。あの背中は記憶に深く刻み込まれている。彼はあきらと同じように、体に金の道筋をたどらせた怪物に変化し、ファルスと怪人をまるで赤子のように捻り潰した。
彼は自分を、河人真と名乗っていた。壁の向こう側からきた、とよく分からないことを口走っていたような気もする。
その後、レイの前から姿を消し、一体どこに行ったのかと時折空想を巡らせてはいたが、まさかこんなところで再会するとは思いも寄らなかった。河人からはファルスを撃退した、あの気迫はまるで見られず、出会った当初のようなくたびれた雰囲気に包まれている。しかし、レイを見つけて瞠目したその瞳には、野獣のような鋭さがいまだ健在だった。
河人は首輪をされていた。その鎖は椅子の上でふんぞり返った怪物の持つ輪っかに繋がっている。まるで飼い犬と飼い主の関係のように、大人しく鎖に繋がれた河人を前にして、レイはしばし、自分がどういう行動をとるべきか分からなくなった。明らかにそれは、禁断に塗り固められた異様な風景だった。
「可愛い女の子の、匂いがするね」
怪物が静かに言った。その声が少し甲高い、女性のものだったのでレイは驚く。その見るものを震いあがらせることに特化した外見と、その柔らかい声音とはあまりにも不釣り合いだった。
「まさか、この部屋にこんな可愛い女の子がくるなんて思いもしなかったよ」
頬杖をつき、はぁと艶やかなため息をつく。反対の手の指はこつこつと皿の隅を叩いている。
「あなたが、霧を消したんだよね。凄いよ。私は小さな女の子も、可愛い女の子も好物だけど、強い女の子もまた、大好きなんだよ」
レイを見て怪物は舌舐めずりをした。レイは背筋に冷たいものが走るのを感じながら、怪物から逃げるようにして、床に転がった河人に視線を転じた。よく見れば、彼の前にも皿によそられたカレーライスが置かれている。しかし、彼はそれに少しも口をつけてはいないようだった。河人はレイが初めて会った時よりも、明らかに衰弱していた。
「なんで、おじさんがこんなところに。おじさんも、仲間じゃなかったの?」
河人と怪物との間にある関係は、仲間のものであるようには思えない。そこにあるのは捕えている者と、捕えられている者。裁きを下している者と、下されている者という一種の上下関係がその様子からは窺えた。
しかし鎖に繋がれた河人は恨みがましい目で、じとりとこちらを睨んでくるだけだった。代わりにレイの質問には、怪物がカレーを頬張りながら答えた。
「その辺をうろうろしてたから、私が捕まえてペットにしたんだよ。薄汚くて私好みじゃないから、本当はあなたみたいな、可愛い女の子のほうがいいんだけど。まぁ、拾った以上、お世話しなくちゃいけないからね。飼い主は大変だよ」
怪物はやれやれというように肩をすくめると、レイを上目遣いに見つめ、「どう? 代わりに私のペットになってくれないかな? カレー三食付きだよ」と冗談みたいなことを、真剣な語調で言う。レイは身を摘まれるような恐怖を覚え、全力でかぶりを振った。
「それは残念だよ。新しい盲導犬が欲しかったところなのに。この子は頑固だから、なかなか調教がうまくいかないんだよ。やっぱり私が従えるには、もっと綺麗で、従順じゃないと」
怪物の発する、盲導犬、という響きにどこが人間臭い違和感を覚えた。そういえば先ほどレイがこの部屋に入ってきたときも、レイの存在を“匂い”という感覚で表現していた。
もしやこの怪物は目が見えていないのではないか。それを意識してみると、確かに怪物の仕草にはそれを窺わせる箇所がところどころ見られた。
「私に、攻撃してこないの?」
マスカレイダーズの一員を前にしてもなお、悠々とした態度でカレーを食べ続ける怪物に、レイは尋ねる。異形の姿を晒したあきらと似たような姿をしているが、この紫色の怪物からはレイに対する敵意も、アジトの最深部まで的に侵入を許したことに対する、焦りや憤りも感じることはできなかった。怪物の背後に立つ金髪の男も、先ほどから一言も言葉をかわすことなく、じっとレイを見つめている。
「私も、マスカレイダーズなんだけど」
「知ってるもん。あきらちゃんとの会話は、ここにも届いていたんだよ。可愛い女の子の形をした、怪人でもあるんだよね」
怪物は肉食獣を思わせる、獰猛な口元で小さな人参を噛み砕きながら、落ち着き払った物腰で言った。
「私は何もしないよ。ただ、この椅子に座って、見ているだけだもん。ずーっとずっと、そうしてきた。だけどね、結構、物事は私の思い通りに進むものなんだよ」
薄茶色に汚れたスプーンをタクトのように振りながら、怪物は続ける。
「偶然なんて、この世にはないんだよ。誰かが誰かのためにそれを願ったから、それが絡み合って、すべてのことは起きるの。大切なお友達に恋敵が生まれれば、その相手が都合よく死んじゃったり、大切なお友達の友達の知り合いが、黄金の鳥の啓示を受けていたり。全部ご都合主義で、偶然で、運命みたいに思えるけど、全部それも誰かが頑張ってそうした結果なんだよ。誰かが願った結果が、回り回って、隣の人に影響を与えてる。なるべくして、そうなった。私はそれを見ているだけ。でも、それでも、状況は刻々と変化していくんだよ」
怪物の話す内容を、レイは1つも理解できなかった。しかし、偶然などない、という理屈には惹きこまれるところがあった。自分が生まれたことも、黒城和弥という人間が父親であったことも、ライと公園で出会ったことも、すべては必然なのかもしれない。レイという怪人が生まれたことも、偶然ではないのかもしれない。
その時、レイは頭の隅に強い光が接近してくるのを感じた。背後を貫かれるような感覚が走る。まるで何かに引っ張られるかのように、そちらに首を巡らした。
突然、頭の中をもやもやと覆っていたしつこい頭痛が消失した。とって代わるように、今度は胸を突かれるような痛みが走る。爪の割れた手で胸を抑え、少し前のめりになりながら、目の前の景色を改めて認めた。
鳥の仮面で表情を隠し、体に黒いマントを巻いた、人間大の置物がそこにはあった。浮世離れした異様な空気が漂っており、どこかの民芸品のようにも見える。威圧的なオーラに溢れ、見るものの心を抗う余地さえ与えず、屈服させるような力強さが漲っている。レイもしばし、全ての意識をその置物に持っていかれた。背中に半ばまで突き刺さった銀色の剣と、全身に巻かれた鎖も、その置物の儀式めいた雰囲気を増長させるアクセントになっているようだった。
自分の心にずっと呼びかけてきた声の正体が、この置物であることが対峙した瞬間、分かった。マントの隅から枯れた手足を伸ばすそれは、喉を震わすことも、腰を浮かせることもなかったが、確かにレイの心に形のない言葉を投げかけ続けていた。
「あなたも、それに導かれてここに来たんだよね?」
怪物が言った。言葉の合間にもにょもにょと、くぐもった音が混じる。どうやらカレールーを絡ませた白米を口に含みながら喋っているらしい。
「黄金の鳥も、あなたを待っていたんだよ。だからあなたはここに来た。誰が、というわけでも、何が、というわけでもなく。そういう風に、できているんだよ」
「黄金の、鳥……」
レイは目の前の置物を、改めて見やった。沈黙を身に宿しながら、それはわずかに首を傾け、こちらの動向をじっと見守っているようでもある。レイがこの場所に来たことで納得したのか、もう頭の中に具体的な声は届いてこなかった。今となっては、なぜ自分がここに呼ばれたのか、黄金の鳥はなにを伝えようとしていたのか、まるで分からなかった。
ただ、これがマスカレイダーズの本当の目的、ゴンザレスがこの場所に戦場を作り上げた理由。自分がその根源に正面から対峙していると思うと、言いしれない緊張が体に走った。レイは1つ身震いすると、一歩、一歩と壁にもたれかかる黄金の鳥に向けて、足を踏み出していく。無意識のうちに、そして誘われるようにふらふらと黄金の鳥に吸い寄せられている。その間、全身を蝕むすべての痛みを忘れた。柔らかいクッションの上で寝そべっているような至福が体の芯まで染み込んでいく。
「どう、何か感じるかな? 黄金の鳥は、何か言っているのかな?」
紫色の怪物に問われ、レイは意識を集中させた。すると心の奥底に、黄金の鳥から流れてくる声の断片が、そっと触れてきた。些細ではあるものの、じわじわとその声は、ある感情を伴ってレイの心に広がっていく。レイは黄金の鳥と対峙したまま、胸の中で見つけたその声をかき集め、たどたどしく言葉にした。
「……何か、足りないような気がする」
「足りない? 何がかな?」
「分からないけど、自分でも何言ってるのか……。でも、この鳥は完全じゃない。何かが足りないような、そんな気が」
「それ以上、黄金の鳥に近づかないでください」
ぴしゃりと、空気を打つような鋭い声が耳朶を打った。レイは最後まで言葉を言い終えることなく、そちに素早く視線をやる。
そして埃をまきあげ、空気をうねらせて、レイの作り出した穴から鳥の形をしたシルエットが飛び出してきた。宙でくるりととんぼを切り、レイと黄金の鳥の間に一寸の狂いもなく着地したのは、華永あきらから変化した、白い体躯をもつ怪物だった。
「あなたに、黄金の鳥に触れる資格はありません。もっと離れてください。あと1ミリでも前に出たら、殺します」
痛ましい傷跡を全身に刻み、荒い呼吸をつきながら、怪物は剣幕をたてる。その視線にはどす黒い殺意が纏われており、彼女の放った言動がけして脅しではないことは明らかだった。もしレイがあと一歩でも足を踏み出したならば、彼女はレイの首から上を問答無用で吹き飛ばすだろう。自分の視界が肉片と血飛沫を映しこみながら闇に閉ざされていく、そのイメージが眼前に浮かぶようだった。
「黒い鳥なんて、しょせんは紛い物。偽物が本物に触れようなんてそんな、おこがましいこと、ボクは許しません」
「偽物? どういうこと?」
鼻の頭に浮かぶ冷や汗を拭いながら、レイは眉根を寄せる。怪物は冷徹な声を発した。
「黒い鳥は、黄金の鳥を模して造られたコピーなんです。できそこないなんです。ボクたちのもつ力が完全なら、あなたのような怪人はその劣化版。不完全なんですよ。そんなのが、ボクたちに勝てるわけがないじゃないですか」
怪物の自信に溢れた告白に、レイが動揺しないわけはなかった。しかし心のどこかで察していたためか、それほど衝撃を受けることはなかった。
レイは恐れなかった。怪物を正面から見据え、けして目をそらさないよう気を張りながら、右足を前に出した。
カーペットに足の裏が踏みこまれ、ぎくりと軋むような音を発する。
怪物が何をしたのか、レイの肉眼では捉えることができなかった。目の前が白く塗りつぶされた、次の瞬間には、衝撃が頭部を貫いていた。
どうにもならない力によって後ろに押しやられ、レイの体はカーペットの上を滑った。人工芝のように美しく整えられたその表面がレイの通過した部分のみ荒々しく削れ、緑色の細かい毛が室内に舞っていく。
しかし、イメージで見た光景とは異なり、レイの意識が途切れることはなかった。ダメージも想定していたより大分少ない。自分の鮮血を見ることも、肉が抉れる痛みもない。仰向けになって倒れるレイの首から上は、少しの傷も増えてはいなかった。
「確かに私は、不完全なのかもしれない」
レイの体から金と黒の混じった、重厚な色の光が立ち昇る。レイは怪物の攻撃が身を打つ寸前、覚醒したばかりの能力を発揮させ、自らにキャンサーの防御力を付加したのだった。そのおかげで敵の一撃に耐え、何とか一命を取り留めているが、もはや限界をはるかに超越した体は電池の切れたおもちゃのように動かなかった。
だが、それで良かった。もはやレイ自身が体を動かす必要はなくなったからだ。呼吸をするのも苦しく、指先を震わすことすら叶わない。しかしレイは、燃え尽きた自分自身に充実感すら覚えていた。
「だけど、私は1人じゃない」
椅子に座る怪人は、この世に偶然などないと言った。
皆、誰かの掌で操られていて、この世で起こる全ての事象は誰かの行動が実ったうえでの、必然的な結果であると断言した。その話が本当ならば、ここでこの男と再会したことも、きっと見えない何かによって定められていたことなのだろう。
怪物の足が止まった。その表情が苦々しく移り変わっていくのが分かる。同時にそれとは逆の方向で、金属の引きちぎられるけたたましい音が響いた。
「また、お前に貸しを作ったようだな」
床に砕けた鎖の鉄片をばら撒きながら、レイの視界の端で、黒い物体が縦に伸びた。
そこに片目を前髪で覆い隠した、河人真が立っていた。
手足を束縛していた拘束具は無残に引きちぎられ、足元に散乱している。彼はそれを裸足の足裏でうさを晴らすように踏み砕くと、軽く頭を振った。それだけで、むせるような埃が宙に舞った。
レイは唇の端を持ち上げるようにして弱弱しくほほ笑み、応える。河人の足の下にはレイの影が敷かれている。鳥の形状に切り取られた特殊な影。それに身を重ねた彼は、まるで先ほどまでの衰弱した様子が嘘のように、身を起こしていた。
これもすべて作戦だった。河人をこの場に認めた瞬間、レイは前に彼が「レイに触れているときだけ、何故か力が漲る」と言っていたのを思い出したのだった。レイ自身としても、なぜ自分が触れるちと彼が元気になるのか判然としないままであったが、とにかく、それが事実であることは前回の経験からも確かだった。
ならば、この場から生きて戻るには彼の力を借りる他ない、と思った。だからこそ、レイはあきらの攻撃をわざと受け、あえて河人の近くまで吹き飛ばされたのだった。前回は自分の力を知らない段階だったので直接触れるより方法がなかったが、今なら己の影を操れる。その影さえ彼に重ねることができれば、効果を発揮することも可能なのではないかとも考えた。
その予測は現状を見る限り、見事に的を射たようだ。河人は鼻を鳴らし、レイを見下ろし、それから隣で椅子に座る紫色の怪物を睨んだ。
「ずいぶんと世話になったな。だが残念ながら、やはり飼い犬は好かん」
河人のノーモーションからの鋭い回し蹴りが、空を裂いた。しかし怪物は足元に落としてしまったものを拾い上げるかのようにひょいと腰を屈め、その攻撃を頭上に通した。男も咄嗟に横にのけ、それをかわす。成り変わるように椅子の背もたれが、衝撃を浴び、一撃でへし折れる。背もたれの砕けた上半分が吹き飛び、壁に当たって大きな音をたてた。
「獲物を追い、狩り、求める野獣。そのほうが、俺にはやはりふさわしい」
黒コートを翻す、河人の体から漆黒の粒子が沸き上がる。渦巻く黒の光は、むらなく彼の姿を覆い隠し――その身体を、どこか狼を思わせる怪物へと変化させた。
胸から腹に金のラインを刻み、腹部にはカレー好きな紫色の怪物と同様に、三角形の石板が装着されている。捩じれ、逆立った皮膚はまるでそれ自体が鋭利な刃物のようだった。つぶらな瞳は赤く灯り、牙の揃った口は頬まで大きく避けている。爪は長く、敵の肉を抉り、裂くのに特化しているようだった。
紫色の怪物はゆっくりと上半身を起こすと、スプーンについた汚れを赤黒い舌で舐めあげながら、瞳をわずかに細めた。
「あーあ、お気に入りの椅子が壊れちゃったよ。また買い直さなくちゃ。私、飼い犬に手を噛まれちゃったよ」
「安心しろ。次は、その頭を噛み砕いてやる。カレーの味を口に残したまま、一瞬で楽にしてやろう」
「それは嬉しいんだよ。カレーは人生の友達だからね。でも、あなたが私に敵うのかな?」
「I.ヴォルフ。お前がどれだけ、自分に自信持っているのかは知らねぇが」
初めて、怪物の背後に立つ男が口を開いた。野太く、地鳴りを感じさせるような渋い声調だった。彼は“I.ヴォルフ”という単語を、河人の変化した怪物に向かって使用した。それがこの怪物に付けられた名前なのかもしれない。そういえば、先ほどガンディに槍を突き立てたあの怪物にも、S.アルムという名があったことを今更のように思い出す。
そんなレイの思考も視線も、まったく興味がないとでも言うように、男は青と銀の体色をもつ、狼然とした怪物、I.ヴォルフに険しい顔を向けていた。
「こいつは、強いぞ。しかも、こいつに手を出すなら俺も手を出さずにはいられない。傍観者気取ってるこいつと比べれば、俺はそれほど自分の役目に忠実じゃないからな」
「気取ってる、なんて失礼だよ。私はそういう風に生きることを強いられているだけなんだよ。何も分かってないんだから」
紫色の怪物が、すかさず指摘する。男はばつの悪そうな表情を浮かべた後、気を取り直すようにして言葉を続けた。その視線の先がわずかに揺らぎ、反対側の壁へと移る。
「それによ、お前はあいつを怒らせちまった。こいつが手を上げるよりも、俺が動くよりも、お前はよっぽど詰んでるみたいだぜ」
I.ヴォルフは振り返った。その胸に白い光線が突き刺さる。
レイは光が去来した方向に、顔を向けた。そこには左腕を前に突き伸ばした姿勢で、真っ直ぐに敵を睨む白い怪物が立っていた。大きく肩で息をしているが、その身から溢れでんばかりに膨れ上がった、憎悪の気配は少しも失せていない。むしろ、そのオーラはさらに強度を増したようにも思える。
I.ヴォルフはレイの襟首を掴むと、背後に投げ飛ばし、自分の背中に載せた。そのごつごつとした体は乗り心地としては最悪であったし、腹にちくちくと刺さって少し痛かったが、その感触はどこか懐かしく、そして頼もしく、悪い気はしなかった。
「しっかり捕まってろ。振り落とされたく、なければな」
そんな忠告をレイに投げかけ、そしてその答えを確認する前に、I.ヴォルフはカーペットを蹴った。レイは怪物の首に慌てて腕を回した。彼が左手を背中にまわしてくれなければ、まずその初速で弾き飛ばされてしまいそうだった。精神力も体力も完全燃焼してしまった今のレイには、しがみつく力さえ残ってなかった。
白い怪物とI.ヴォルフは幾度もぶつかり合い、離れ、そしてまた正面から激突しては離脱する。そんな攻防を繰り返していた。向こうは左手、I.ヴォルフは右手しか使うことができず、単純にみればパワーダウンしているに違いなかったが、それをまったく感じさせなかった。
残像を引いて、壁を蹴り、床を踏み、縦横無尽に部屋全体を跳び回っていく。相手は光線を要所要所で撃ち放ってくるが、I.ヴォルフはそれをすべてギリギリまで引きつけ、すんでのところでかわしていった。しかし、I.ヴォルフの攻撃も相手に致命傷を負わせることは叶わず、拮抗する力によって、相殺されてしまう。
I.ヴォルフは足技を多用し、相手を攻め立てていく。回し蹴りやハイキック、かかと落しなどを組み合わせた複雑な体術で、相手に付け入る隙を与えない。
一方で怪物は粒子を巧みに操った光線で、反攻に転じていた。光が舞い、その度に壁や天井が焦げ付いた音をたてて破壊されていく。
怪物の背に乗り、他の誰よりも近い位置でこの戦いを観ているにも関わらず、レイには2人の激しい攻防を見切ることなど、到底できなかった。怪物は、なんでこんなところに、という地点から突然現れ、こちらもなぜかそれに追いつけている。目まぐるしく変化していく展開にまったくついていけず、頭がショートしそうだった。そのうち、戦いを眺めるのを止め、レイはそっと瞼を閉じた。
I.ヴォルフは後ろに飛び退きながら、口を大きく開け、そこから黒い光線を吐き出した。しかし怪物は左手に集めた粒子でそれを正面から、容易く防ぎきると、お返しとばかりに光線を指先から発射する。空中で素早く体を反転することができないI.ヴォルフの肩を、焼きつくような光の線が掠めた。
「さすがに、一筋縄ではいかんか」
足元に火花を走らせ、滑るように着地しながらI.ヴォルフが唸る。白い怪物は黒い粒子の残滓を振り払うように左手首を軽く上下に動かすと、低い声で尋ねた。
「河人さん。その子を、庇うつもりなんですか?」
「色々と売られた恩があってな。それにこいつが死んだら、俺も困る。そういう事情だ」
レイの背中をぽんぽんと叩きながら、I.ヴォルフは憮然と返事をする。怪物は景色がくぐもるのではないか、というくらい深いため息をつくと、掌を上にし、こちらにその腕を差し伸ばしてきた。
「なら、石板を返してください。それはボクたちの、黄金の鳥を信じる人だけに与えられた力なんです。マスカレイダーズの味方をする人に、それは不要です」
あまりに唐突な、しかし有無を言わせない迫力を持った要求。それに対し、I.ヴォルフは手で腹部の石板をゆっくりと撫でつけながら応じた。
「そういうわけにもいかん。こいつは目的を終えるまで、もらっておく。どうしてもそれが許せないというなら、奪ってみろ。だが」
I.ヴォルフは片手でレイの体を支えながら、もう一方の手の人差し指を立て、挑発するようにくいと動かした。その声には昂揚の響きが多分に含まれていた。
「俺を負かすのは容易なことではないことだけは、覚悟するがいい、小娘」
「それは、ボクのセリフですよ。あなたが、ボクに勝てるんですか?」
怪物は金に縁取られた翼を雄々しく広げ、低空飛行でI.ヴォルフに躍りかかった。全身が白く発光しており、その姿は夜空を過る流れ星を彷彿とさせた。
ヴォルフは迫りくる敵を前にして薄く笑うと、黒い粒子をその身に浮かび上がらせた。後ろ足を引き、片腕を胸の前でかざし、独特な戦闘姿勢をとる。
「自信に満ち溢れた獲物は、嫌いじゃない。それが、過信でなければいいがな」
光を瞬かせながら突っ込んできた、怪物のその体をI.ヴォルフは正面から受け止めた。タイミング良くに後ろに飛び退き、衝撃を殺す。
背後には壁があった。I.ヴォルフはその壁を蹴りやるとその反動を使って前に飛び出し、空いている方の手の爪を振るって怪物に躍りかかった。
しかしその攻撃は、難なく回避される。横にステップを踏んだ怪物は、さらに機敏な動きで前に跳ぶと、I.ヴォルフの背後に回り込んだ。ただそれだけで、彼に背負われたレイの全身が怪物の前に晒される。
彼女は始めからこれを狙っていた。あきらの目にはやはり、憎むべきマスカレイダーズの一員であるレイしか映ってはいなかった。怪物は光を拳に宿し、レイ目がけて殴りかかってくる。
しかし、I.ヴォルフは素早くそれに反応すると、右足の踵を軸に体を反転させ、右手でその拳を受け止めた。しかし粒子を纏ったその一撃は予想以上に重かったらしく、彼の体は背後へ押しやられた。
「この力を黄金の鳥にいただいてから7年……経験があるんです。一朝一夕で得たあなたに、ボクは負けません」
「それが、過信だ。俺とお前では、基礎が違う」
I.ヴォルフは強気なセリフを吐く。しかし、レイは彼の肩越しに見た。
怪物の拳を防いだI.ヴォルフの掌がひどい火傷を負ったようにただれている。そこから生え伸びた自慢の爪はへし折られていた。彼の吐く息にも、どこか苦痛の色が見える。I.ヴォルフでさえこの有様なのだ。あの攻撃がもし直撃していればレイなど塵も残らなかっただろう。想像を傍からせるだけでも、背筋に怖気が這いあがるようだった。
怪物は河人の発した不遜な一言に、こちらをなお一層、鋭く睨みつけた。その背から何かが伸びる。植物の蔦のような形をしたそれは、金色の鎖だった。左右で2本ある。先端にはキリのような太い針が備えられている。鎖はまるでそれ自体が意思をもつ生き物のように、怪物の腰背部と繋がったまま、宙を泳いでいる。
鎖は1度、大きくしなると、残像を引き連れるほどの勢いで射出された。
襲いかかる2本の鎖を、I.ヴォルフは機敏な動作でかわしていく。カーペットを蹴り、左右に跳ぶようにして回避しながらも、前進することを止めない。鎖が床を破壊し、壁を裂くたびに、古い埃が砂嵐のように舞い上がった。
蛇のように地を這い、猛禽のように鋭く宙を切る。狙い澄まされたその針の驟雨は、直撃こそしなかったが、じわじわとI.ヴォルフの体を削っていった。その度、その口から吐息が漏れる。幽閉されていたという事実は、レイが思う以上に、彼の体力を容赦なく削ぎ落としたようだ。レイの目から見ても明らかなほどに、彼の動きにはきれと迫力が圧倒的に不足していた。
そんな重くのしかかる体の不調を振り払うように、彼は咆哮する。その甲高い声は背後に貼りつくレイの鼓膜を痛いほどに震わせた。
空を切り裂いた金の鎖を、I.ヴォルフは踏みつけた。それを踏み台にして、前方目がけて飛び込む。その身体が落ち行く先には、怪物の姿があった。
ついに懐に飛び込んだ、と思いきや、しかし、そうではないことをレイは瞬時に察した。怪物の腕に装着されていた三角形の石板が、ぐにゃりとその輪郭をおぼろげにさせていき、やがて重厚なデザインのガトリング砲へと変貌したからだ。傷ついた右腕で、彼女は重たそうにその銃口を持ち上げ、こちらに向ける。
誘い込まれたことを知るのに、それほど時間は要しなかった。髪の逆立つような銃撃音とともに、その幾重もの銃口が火を噴き、I.ヴォルフの体を打ち据えた。衝撃が彼の背中を貫き、レイの体までをも揺さぶる。
弾丸の雨を浴び、たまらずI.ヴォルフは吹き飛んだ。だが、それでも彼はレイがその身を離れぬよう、片腕で抱き、両足で滑るようにして着地した。ぜえぜえと荒い呼吸がレイの耳に届く。肌に感じるI.ヴォルフの体温は焼きつくような熱さを持っていた。
Z.アエルは鎖を背中に引き戻すと、目の前から姿を消し、瞬間移動と見紛うほどの速度で眼前にまで接近してきた。
その足が高く掲げられ、そしてまるで鎌首を傾けるかのように振り抜かれる。I.ヴォルフは軽く体を屈めることで攻撃を回避すると、お返しとばかりに回し蹴りで応じた。
だがその一撃にも、以前のような敵をかなぐり倒してしまうかのような威力はない。その足をZ.アエルはガトリング砲の装着された腕でいとも簡単に防いでみせた。その腕を大きく振り払って足を跳ね除け、彼女は不敵に吐息を漏らす。
I.ヴォルフは片足でバランスをとりつつ、口を顎の骨が外れそうなほどに大きく開いた。そこから敵目がけ、黒く太い、空間ごと抉るような威力をもった熱線を迸らせる。だが、その攻撃はZ.アエルに届かなかった。彼女は先ほどと同様に、左腕に白い粒子を収束させると、それで熱線をまたも軽く弾き飛ばしてしまった。
「あの塔で、河人さん。あなたを見つけた時は、あなたもまた黄金の鳥に選ばれた人間だと思ったのに」
Z.アエルは粒子を全身から発生させると、靄のように広がったそれを、前方に向けて一斉に放った。I.ヴォルフは横に跳んで、それを避ける。だが、彼女の狙いは端から河人ではなかった。レイは視線を自分の背後へと送り、そこにいつの間にか鎖に縛られた黄金の鳥があったことに驚き、そして彼女の思惑に感づいた。
白い怪物の走らせた粒子の軍勢が、黄金の鳥に吸い込まれていく。黄金の鳥の、生気のない眼差しに赤い光が宿った。その体が細かく震顫を始める。
「ボクの、勘違いだったみたいです。あなたたちは、黄金の鳥に触れるにふさわしくありません」
彼女が心底憐れむような口調でそう言った直後、黄金の鳥から射出された白い環状の衝撃波が空気を揺さぶった。
「なに……」
I.ヴォルフはそれもまた、得意の俊敏な動作でかわそうとした。だが、光の波はそれを許さなかった。まるで彼を捕まえようとするかのように、衝撃波は彼に追いすがるとI.ヴォルフの体に激突した。その光が痺れるような衝撃を空気に残し、彼の中に吸い込まれていく。
「黄金の鳥は、あなたを許さないとおっしゃっています。確かにあなたはボクよりも強い。だけど、状況と場所が悪かったです。鳥の前で反逆の意を示したのが、あなたの敗北の理由ですよ、河人さん」
Z.アエルがふっと、重たい息を吐きながら言う。その直後、I.ヴォルフの体が固まった。その筋肉の強張りをレイは彼の背中から感じた。
最後に彼は何かを呟こうとして、空中でもがこうとして、だがどちらも許されずに、宙を走る衝撃に身を叩かれ、そのまま激しく背後へと吹き飛ばされていった。
さらに空中で河人の姿へと戻り、受け身もとれずに床に墜落する。レイは河人の背中から剥がれ落ち、カーペットに肩から叩き落とされた。
もんどり打ち、しかしもがく体力は残されておらず、レイは全身に着せられた痛みに、無言で悶えた。その身を影が包み込んだ。うっすらと瞼を開くと、そこには身を震わすような威圧感を持ってこちらを見下ろす、白皙の怪物の姿があった。
「言ったでしょう。もともとあの力は黄金の鳥のもの。ボクの力を注いで、半覚醒させれば、あなたの動きを封じることくらい、できるんです」
怪物は勝ち誇った態度で、河人に毅然と言い放った。それから今度はレイの方に首を巡らせ、ふふん、と傲岸な息を漏らした。
「レイさん、どうしましょう。打つ手、なくなっちゃいましたね」
憐れむように、悲しむように、怪物は華永あきらの声でレイを見下ろす。
すでに彼女の手から無骨なガトリング砲は姿を消していた。しかしその代り、無数の銃口よりもさらに威圧的な、凍てつくような視線がレイの身を貫くようだった。まるで体を氷に浸されたかのような怖気が駆け、一瞬、すべての思考がストップした。彼女から少しでも逃れようと、そんなことをしてもどうにもならないことを知りつつも、目を逸らす。自分でも最悪の悪あがきだと思った。
そうして転じた視線の先に、自分の手首に巻かれたあのリストバンドが飛び込んでくる。半透明の球体が取り付けられた、あれだ。自分の位置を知らせるレーダー機能を備えているとゴンザレスから説明されたそれは、レイにとってとっておきの手であり、希望であり、拠り所だった。
これまで目の前のことに必死すぎてつい存在を忘れていたが、自覚すると、骨の髄まで響くような重みが手首に伝わってきた。
ゴンザレスはレイがここにいることを知っているのだろうか。そして助っ人はまだこないのだろうか。そんなことを考えながら、縋るように、その球体を見つめる。
するとそれは突如、レイの思いも寄らぬ変化をみせた。
球体から小さなヒビの割れる音が聞こえ、まるで電気の通った電球のように発光を始めた。球体を覆う半透明のカバーごしに、赤く明滅が繰り返されているのが見える。さらに球体に十字型の切りこみが入り、四分割に展開され始めた。やがてカバーが外れ、その中心部から姿を現したのは、小指サイズの小さな長方体の物体だった。
レイが驚くのを待つ間もなく、腰を屈めた怪物はそれを上から鷲掴みにした。彼女の指先から肘までが、螺旋形に渦巻く白い粒子によって覆われる。レイは彼女の取った行動の意味が分からず、そしてこの状況に頭がついてこられず、思わず怪物の顔を見つめた。その表情は強張り、鉄網ごしの眼球は血走っていて、そこからは恐ろしいほどの決死さが窺いしれた。
喩えるならば、知恵の輪の絡んだ部分を力任せに無理やり引きちぎるような。そんな強引な衝撃音がレイの手元で響いた。手首に与えられた、激しく揺さぶられるような振動が胸のあたりまでせり上がってくる。むず痒いものが喉もとを過り、思わず咳き込んだ。
怪物は大きく手を上に掲げた。荒い呼吸で、しかしそこには何かをやり遂げたかのような達成感が滲みでているようだった。その天井に向けて突きあげられた掌には見慣れたシルエット――球体のついた腕輪が載せられていた。
レイは自分の腕が急激に軽くなったのを認めたと同時に、その手首からつい数秒前まであったものがすっかり取り去られていることに気がつく。間違いなく先ほどの鈍い音は、怪物がレイの手から球体を奪った際に生じたものだった。
「あ……!」
レイの焦燥も驚嘆も置き去りにして、怪物は腰を捻ると、手に掴んだそれを窓目がけて投げ飛ばした。だが、空を切ったリストバンドが向かい側に並んだ窓ガラスに達することはなかった。それは室内からはじき出されることなく、空中で眩いばかりの光を発すると――。
ホテル全体を揺るがすような大爆発を起こした。
肌を焼くような一陣の風が吹き、この部屋に存在する窓ガラスが、ほとんど同じタイミングで粉々に砕け散っていった。地震のような衝撃が地を這い、天井から吊り下がった電灯が、次々と落下し、床に叩きつけられていく。衝撃波に切り裂かれたカーペットは表面がめくれ上がり、舞い上がった毛に火が付いて、宙を火の粉のように散っていった。
天井に与えられた破壊の切り口は、まるでドミノの初めの1枚を指で突いたかのように、みるみるその被害を広げていった。そして粉々に砕けた天井が、ついに部屋に降り注いだ。次々に調度品が直撃を受け、有無もいわせず叩きつぶされていく。
爆風で壁際まで体を押し流されたレイは、部屋中を席巻していく黒煙の中で、わけもわからず状況を眺めていた。
理解が追いつかなかった。わけがわからなかった。静寂に満ち俗世から置いてけぼりにされたようなこの空間が、瞬く間に、炎渦巻く地獄絵図に変わってしまったことが、レイの中でどうにも解釈できなかった。どこか別の世界にワープしてしまったのでは、と素っ頓狂な考えが、まず始めに浮かんでしまったほどだった。
そしてここがこれまで自分がいた食堂であることに気付くと、段々何が起こったのか、ビデオテープを巻き戻すように、思いだしていった。
リストバンドが爆発した。その光景が、まず目の前に蘇る。この戦闘が始まってから肌身離さず持ち歩き、お守りのように扱っていたあの球体が食堂を瞬く間に焼き尽くした。
事実が自分の中でじわり、じわりと浸透していくにつれ、レイは腹の底から昇りつめてくるような吐き気を催した。口にした錠剤が胃液で溶け血液を巡り、その効果が体に影響を及ぼし始めるのと同じように、じわじわと状況を理解できるようになると、体の底から沸き上がるような恐怖が襲いかかってくる。
重みのなくなった左腕を見やる。バンドの当たっていた箇所がかすかに赤らんでおり、くっきりと跡が残っている。白く浮き上がった網目模様が、いまでは、蜘蛛の巣じみたおぞましいものにしか感じられなかった。
室内をうねりながら広がっていく火の海と、降り注ぐ瓦礫の雨を前にしてもレイは動けずにいた。体力がすでに残されておらず体が動かない、というのももちろんあるが、それ以上にリストバンドに爆弾が仕掛けられていたという事実に打ちのめされていた。
騙された。組織から見放された。ゴンザレスに裏切られた。様々な考えや感情が心の中に蠢き、その体内を黒く粘ついた液体が満たしていくようだった。与えられた衝撃はあまりに大きく、知らず知らずのうちに体が震え、呼吸が詰まった。
ショックだった。
何より、自分の命を軽んじられたことがレイの心を震わせていた。レイを欺き、安心させておいて、躊躇なく目的を達するための人柱にする。疑いはしていたものの、仲間であることを信じていた。自分もその一員であると、少なからず自負を抱いていた。
それなのにゴンザレスは、レイを殺そうとした。今、すべての思惑を知れてから考えてみると、初めからそういう算段だったのだろう。
ゴンザレスはレイの怪人察知能力に着目し、この作戦を立案したに違いない。レイは敵の反応を察知してホテルにもぐりこみ、腕輪に搭載された爆弾で、レイもろとも華永あきらを殺害する――そういう筋書きをゴンザレスは用意していたに違いない。
結果的にあきらがそれを阻止したため、その策略は失敗に終わったものの、ショックであることに変わりはなかった。盲目に絶対的な信頼を組織に置いていたわけではないものの、いざというときには自分を救ってくれるだろうと考えていたレイにとって、それは最大の裏切りだった。
しかし、なぜあきらはレイの命をこの土壇場で救ってくれたのか。彼女の考えが分からず、その答えを求めて怪物に視線を移す。
怪物はレイに背を向けていた。炎の照り返しを受けるその白いボディは、触れることさえ躊躇うような神聖さを帯びている。レイは一瞬、発する言葉を忘れ、彼女の立ち姿に魅入った。
「紫苑さん。鳥の仮面の人たちは、もうここにいませんよね」
彼女は、絶えず降り注ぐ瓦礫の雨の中でも、尚悠然と椅子に座する紫色の怪物に尋ねた。紫色の怪物は少し驚くような仕草をみせた後、スプーンを齧りながら言葉を返した。
「うん。みんなもう、逃がしてあるから大丈夫だよ」
「医師にも少し前に脱出するよう伝えておいた。例の患者も一緒にな」
金髪の男が付け加える。白い怪物は2人に向って、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。つまり、このホテルにいるのは、ボクたちだけということですね」
怪物はレイの方を振り向いた。その表情には憐みと悲しみがない混ぜになっており、その暗い視線はレイの胸を深く穿った。
「分かりましたか? これが、マスカレイダーズという組織です。あなたの信じた、心の拠り所の本性です」
レイを見下ろす怪物の声は、不気味なほどに冷静だった。背後では重たいものが落ちる、けたたましい音が絶えず響いている。しかしその大音量の中でも不思議と、彼女の声は透き通ってレイの耳に届いてきた。
「関係のない人の命を、それが仲間であっても、簡単に切り捨てる。昔から、そういう組織なんです」
「昔、から……?」
気付けば額は冷や汗で湿り、貧血を起こしたようで、意識が覚束なくなっていた。それでも尋ねたのは、彼女の口から発せられた“昔のマスカレイダーズ”という言葉が耳に止まったからだ。
彼女の背後にひと際大きなコンクリート片が落ちる。灰色の埃に巻かれながら、怪物は小さく顎を引いた。
「7年前まで、“白馬”とその組織は呼ばれていました。未知なる力、黄金の鳥を崇め、その力の恩恵を受けようとする人たちを一方的に敵視し、打ち滅ぼそうとするために作られた組織です」
レイは目を丸くした。ようやく頭の中でふわふわと浮いていた様々な要素たちが、互いの繋がりを見出した。そんな感覚だった。カニかまの男、段田とゴンザレスたちがかわしていた会話の内容の意味がようやく意識の中に入り込んでくる。
黄金の鳥。
やはりそれが組織の本当の目的だったのだ。そのためにゴンザレスは華永あきらを標的に絞り、この路地裏を戦場に選んだ。その意味を、レイたちには隠して。愚かな人形として利用するために。
怒りも悲しみもいまは、まだ浮かんではこない。打ち鳴らされた衝撃だけが身も心も痺れさせていた。この部屋にある黄金の鳥に目をやろうとするが、この位置からではそれさえ叶わなかった。
怪物はどこか遠くを見るような表情を浮かべていた。それからすっと息を吸い込み、吐き出すのと一緒に、一気に言った。
「それからずっとずっと、マスカレイダーズとボクたちは、戦いを続けてきました。だけど、そろそろ終わりにしなくちゃいけないときがきたんです。この戦いは、その始まりなんですよ」
怪物の語調にはレイの質問など受け付けない、とでも言うような一種の脅迫めいた雰囲気があった。彼女は両腕をまるで鳥の翼のように広げ、揺らめかせると、紫色の怪物と男に向けて言った。
「2人はもう逃げてください。黄金の鳥は、ボクが連れて行きます」
凛とした響きが、瓦礫の海と化していく室内に広がる。しばしの沈黙の後、男は肩を少しだけすくめ、こめかみのあたりを掻いた。
「あぁ、分かった。そう言うなら、黄金の鳥はお前に任せよう――あんたは、それでいいのか?」
男は目線だけを移し、紫色の怪物に尋ねる。怪物は綺麗にカレーの取り去られた皿を床に落とし、スプーンを器用に2本の指を使ってくるくると回しながら、あっさりと答えた。
「ああなったあきらちゃんは、頑固だからね。言ってもきっと聞かないよ」
怪物は何でもないように言ったが、喋る言葉にはわずかな不安が滲んでいた。怪物自身も己の動揺には気が付いているらしく、それを跳ねのけるため、磊落さを繕って言った。「ま、じゃあお言葉に甘えて逃げ出そうよ。あきらちゃんなら、大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
白い怪物は礼を言うと、黄金の鳥のほうをちらりと見やった。崩壊の続くこの室内の中で、埃を浴び、炎で身の端を焦がされながらも、それでも黄金の鳥は同じ姿勢を保ち続けていた。そこに漂う神聖な趣は、少しも劣化しておらず、むしろ砂を被りながらもレイたちを見つめ続けるその様には、さらに尊大な雰囲気が宿っているようだった。
その鳥から数メートル離れた壁際に、河人真は倒れ伏していた。
うつ伏せの状態で片頬をカーペットに押し付けている。目は開いているものの、体はぴくりとも動かない。その身にはまるで小麦粉をまぶしたかのように、白い粒子が巻きついていた。河人の目は鋭く、片足を引きずりながら歩み寄ってくる男を捉えていた。
「そう睨むなよ」
男は耳をほじくりながら、眉を上げる。しかし河人は何かを狙い澄ますような表情で、その男から視線を外さない。長い前髪の隙間から覗く、その眼差しの焦点は少しも揺らぐことはなかった。
「お前はこんなところで死ぬような奴じゃない。俺たちと一緒に来るんだ。大丈夫。まだ、間に合う。あいつだって、鬼じゃねぇ」
真剣味のこもった口調で男は言った。その手を河人に差し伸ばす。浅黒いその手の甲を、頭上から噴き出した砂埃が包んだ。
この窮地の最中に立ちながら、それでもこの男は河人を説得しようとしていた。その物腰は極めて柔らかで、落ち着き払うのを飛び越えて、無感情のように映る。そしてそれと相反するように、河人は無表情のまま、したたかな光をその瞳に含ませていた。
男の背後にひと際大きな、コンクリートの塊が落下する。それはホテル全体を激しく揺るがした。レイの体が1センチほど、宙を浮いた。窓枠が震え、埃が渦となって室内を掻きまわす。
かびた臭いが吹き抜けた瞬間、河人は動いた。
上半身を起こしたかと思うと、きっちり指先を揃え、黒い粒子を纏わせた右腕を男目がけて突き伸ばした。タイミングを虎視眈眈と狙った末での、完全な不意打ちだった。レイは目を見開いたその時には、もはや全てが終わっていた。
「……残念だ。お前がもしフルパワーだったら、俺はここで死んでいたな」
身をのけぞらせた男の頬から、血飛沫があがる。口元を這う血筋を舌で舐めとり、手で擦りながら、彼はスッと目を細めた。血を拭う指先からは、硝煙がもうもうと浮き出ていた。
その視線の先で、河人は崩れ落ちた。手の先から粒子が消え、その体は白い靄に絞めつけられて、再び床に転げる。コートによって覆われた彼の腹部からも、男の指と同様に、灰色の煙が吐き出されていた。
男の咄嗟の反撃によって、河人は今度こそ意識を吹き飛ばされたようだった。男は動かなくなった河人のコートの首根っこを掴むと、片手でそれをいとも簡単に引き上げた。
レイには目の前の光景が信じられない。自分の中で無類の強さを誇っていたあの男が、これほどまで容易く敗れるなど、想像すらできなかった。その衝撃はこれまで当たり前だと思っていた常識が、一晩でいきなりひっくり返されたような、言いしれない不安を覚えるほどだった。
一方、紫色の怪物は最後まで、あきらのことを気にかけていた。男と河人との攻防など心底興味がないようで、その視線は絶えず白色の怪物に注がれていた。憂いのこもった瞳で、一心に彼女を見つめている。だが、白い怪物が決意を示すようにもう1度頷いて見せると、観念したかのように、ぐったりと肩を落とした。
紫色の怪物から、その体と同じ色をした、バイオレットの粒子が舞いあがる。その妖艶さに満ちた輝きは男と、男の手に引きずられた河人をも包み込んでいった。そしてひと際輝きが増したかと思えば、まるでカメラのストロボのようにすぐさま霧消し、光が消え失せたその後に人影は一つも残っていなかった。
割れたカレー皿と、背もたれの折れた椅子を置き去りにして、紫色の怪物も、男も、河人真も、まるで最初からそこになかったかのように、消失していた。
これで、この崩れゆくホテルに残るのは怪物とレイのたった2人だけになった。
白い怪物は大仰に肩を落とすと、床に倒れ込むレイを改めて見下ろしてきた。その体は夜に舞う蛍のような光輝を纏っており、綺麗だな、とレイはこんな状況にも関わらず心の底から思った。それは幻想的で、儚げな美しさだった。
「レイさん。もう1度、聞きます。ボクたちの、仲間になる気はないんですね?」
怪物の背後で、瓦礫の雨あられが降り注ぎ続けている。すでに天井の一部には完全に穴が開き、そこから小降りの雨が入り込んでいた。建物のいたるところから破砕音が聞こえてくる。床が沈み、割れ、無慈悲な石の塊が下の階層をも崩壊に導いていた。
レイは数秒、思案した後で、ゆっくりと目を閉じた。首を振る力さえないので、瞼で肯定の意を示そうとした。再び目を開けると、怪物は神妙そうな顔つきになっていた。どうやらレイの答えは、彼女に伝わったらしい。
確かにゴンザレスは、マスカレイダーズは、レイを殺そうとした。それは本当に恐ろしく、悲しく、そして許せないことだと思う。
だが、それでもレイは華永あきらの仲間になることを選ばなかった。ここであっさりと組織を裏切り、彼女に命を救われ、今度はこれまでの仲間たちを相手取って戦うという道を選んだ自分を全く想像できなかった。
そんなことをしたら、ここまでレイを庇い、守り、導いてくれた人たちの気持ちはどうなるのか。彼らが負った傷は、削った命は、無駄なものになり果ててしまうに違いない。
だからレイは、彼女の申し出を、再度拒否した。自分の命を天秤にかけたとしても、それより重いものが、今のレイにはあった。だから、命を捨ててでも、自分の気持ちを守り抜きたいと思った。
気持ちを伝えると、彼女は本当に悲しげな表情をした。怪物はその感情を隠すように踵を返すと、背後を振り返らぬまま、凛と透き通った声を発した。
「あなたに、最後の慈悲をかけてあげます」
怪物は歩きだした。動けないレイを放置して、少しずつ離れていく。ぱらぱらと天井から降り注ぐ砂の礫を手で払いのけ、瓦礫を光の粒子で破壊しながら、黄金の鳥の方に歩みを寄せていった。
「黄金の鳥の住まいしこの建物と一緒に潰されてください。このホテルは、あなたの墓標として差し出してあげます」
室内を跋扈する大量の煙が、レイの意識を蝕んでいく。もはや視界は揺らぎ、聞こえてくる彼女の声も遠かった。自分のすぐ真後ろで砕け散る、瓦礫の音を耳にしたのを最後に、その聴覚は急激に覚束なくなっていった。
「さようなら、レイさん。黒ひげ危機一髪、楽しかったです」
怪物が、懐かしみの籠った口調で言う。それが意識を失う前にレイが聞いた、最後の声だった。
鳥の話 38
空を切り、青色の粒子を曇り空に振り撒いて。
仁は『喫茶店 しろうま』の前の芝生の上に着地した。肩に背負った速見拓也は、いまだ気絶したままだった。
人1人分を抱えての空中遊泳は、超人の姿であってもさすがに腕が痺れた。もう少しだ、あとちょっとだ、と自分を騙すように鼓舞させ、V.トールは拓也をもう片方の腕でしっかりと支えると、意を決して『しろうま』に歩を進めていった。
葉花は無事だろうか、と思う。無事であってほしい、と願う。
心臓は早鐘を打ち、知らず知らずのうちにその体は震えていた。雨の滴が体から垂れていく。雨は一時期の激しさから比べれば、大分落ち着いていたが、それでもだらだらと降り続いていた。粒子に乗って空を駆けてきた、その道中に広がる街並みを見下ろすと、傘を差している人たちの姿がいまだ多くみられた。
血を血で洗うような激しい争いが行われていたことを、眼下で生活する人々は知るよしもない。いったんそんな思いが胸に過ると、なぜ自分はこんなに傷ついているのだろうと少し惨めな気分になった。
何も知らなければよかったのかもしれない。だが、あの頃に戻る気もない。葉花の危機を知りながらも、慌てふためくことしかできず、泣き叫んでばかりいた、あの頃の自分とは違うんだ、という自負が仁の中にはあった。それを証拠に、葉花の危機を前に、仁は圧倒的な力を持って駆け付け、立ち向かうことができている。
青い粒子を全身から発散させ、そして木の板で塞がれた扉の前で立ち止まった。始めこそ段ボールで補強していたが、それではあまりにも不用心だということで、急きょ、家を出る前に大きな板をドア代わりに打ちつけておいたのだった。
その板がまだここにある、という事実に仁は少しだけ安堵する。ここから見る限り窓ガラスも割られているということもなく、侵入の形跡は見当たらなかった。しかし裏口や、ここから見ることのできない場所から強引に中へ入ったという可能性も捨てきれない。油断することはできなかった。
店のひさしの下に、拓也を丁寧に横たえる。ここなら雨に当たることもないだろうと考えたからだった。それから仁は義父から受け継いだ、この店と改めて対峙する。
いまやこの店は、仁にとって光そのものだ。自分がいて、葉花がいて、佑がいる。そんな日常を守り抜くため、粒子を固めて作りだした光刃を、今、扉に向けて降り抜く。一拍置いて、切り裂かれた板はあまりに呆気なく倒れ、店内を外気に晒した。
むわっとした大気が室内から一斉に押し寄せてくる。仁はそのあまりの熱気に圧倒されながらも、意を決し、内部へ足を踏み入れた。
店内は静かだった。
客も店員もいない喫茶店にはどこか寂れた雰囲気が漂っている。丸テーブルの上に置かれた花瓶の水は今朝換えたばかりだ。それにも関わらず、中の花はしなびていた。カウンターの奥にあるキッチンから、ぽつ、ぽつ、ぽつと水滴の落ちる音が聞こえてくる、どうやら水道の蛇口をきちんと締めていなかったらしい。時計が秒針を刻む音が、この沈黙の空間の中へ、射し込まれるようにして響く。
床を軋ませながら、一歩、一歩と恐る恐る店内に足を踏み入れていく。その店の中にあるもの全てが仁の日常であり、その店にいる人全員が仁にとって失いたくもない、大切な人々だった。
その音も、光も、匂いも、花も、山を映した壁掛けの写真も、射し込んだ西日から生まれる陽だまりも、その全てが仁を迎え入れてくれる。父親の残してくれたこの店が、この場所が、葉花や佑と過ごしたこの家が、仁は他のどこよりも好きだった。
しかし、店の中に侵入を果たしたV.トールはぴたりと足を止め、そのまま膝からくず折れてしまいそうになった。
香るのは鉄の臭い。しなびた花は床に落ち、潰れ、零れた水が広がっている。花瓶の破片は飛び散っており、その一部はV.トールの足元にまで到達していた。
窓から射し込んだ陽によって照らし出されたのは、店の床に倒れている2人の人物。どちらもスーツ姿で、顔は鳥のお面で覆っている。見る限り、燕と白鳥のようだ。
双方とも、背中に鋭利な刃物で切り裂かれたような跡が刻まれていた。そこから溢れだした血が、床を汚していく。燕のお面の方はかろうじてまだ意識があるようだったが、白鳥の方は身じろぎもしなかった。うつ伏せに倒れ、何かに縋るように腕を真っ直ぐ突き伸ばした体勢で固まっている。
そしてカウンターの真下、木製の床の上に、葉花の小柄な体が横たわっていた。
まるで置き忘れた高級な人形のように、彼女は長い黒髪をカウンターに滑らせ、眠りについている。彼女の大きな瞳も、聞けばそれだけで元気にさせてくれるようなその魅力的な声が飛び出す口も、今では固く閉じられている。表情は少し青褪めているように見えた。
「葉花……」
震える声で、彼女の名前を思わず口に出す。胸が息苦しく、自分を取り巻く全ての景色が白くぼやけているように感じられた。この店内で葉花が倒れていることに、現実感がまるで掴めなかった。
そして仁の意識は、すぐに別の対象へも向けられた。店の中心、倒れ伏す2人の男のすぐ側に銀色の装甲服が立っていた。その装甲は返り血を浴び、ところどころ赤く、斑に染まっている。
両肩にそびえる龍の形をした飾り物。首のまわりに巻かれたファー。そして右手首から直接生えた、鋭い刃。その刃先にもまた血液がこびり付いている。その刃で足元に転がった鳥の仮面の男たちを切り裂いたのは、間違いなかった。
左手首には球体のついたリストバンドのようなものが巻かれている。その腕はまるで脱臼でもしたかのように、だらりと肩から垂れ下がり、いかにも具合が悪そうだった。
その装甲服が、こちらに顔を向ける。それだけで心が潰れてしまいそうになるほど、その視線はV.トールに対する鋭い殺気に満ちていた。憎々しげにこちらを見つめ、それから世界を曇らせるかのような深く、重たい息を吐く。この世の絶望や失望を一身に背負い、歩き続けた岐路の途中で、ようやく吐き出した一呼吸目、という感じだった。
「気を付けろ」
燕のお面の男が、掠れ切った声で突然、そう忠告してきた。V.トールは目の前の装甲服から伝わってくる憤怒から逃れるようにして、そちらに視線を転じる。男は顔を仰ぐようにしてこちらに目を向け、切迫した声で早口に言った。
「気を、つけろ、そいつは、フェンリルだ」
「フェンリル……」
それが、この装甲服の名前なのか。V.トールは男からフェンリルに目を移す。
男の口から言葉が出終えた、その直後、フェンリルの足が彼を黙らせた。フェンリルは足裏で男を踏みにじると、背中から先端の黄色く着色された一振りの剣を引き抜いた。
V.トールも連戦を終えた後で疲労していたが、相手もどうやら万全の状態ではなさそうだった。肩を激しく上下させながら、擦り切れるような呼吸をしているのが、何よりの証拠だ。その足元はよろめき、いかにも調子が悪そうだった。足元に落ちた『スーパー丸橋』の紙袋を踏みつけ、背後に蹴りながら、ゆっくりと顔を起こす。
だが、その表情を覆った仮面越しに放たれる、V.トールに対する殺気は尋常なものではなかった。それだけで気圧されてしまいそうだ。フェンリルは鳥のお面の男を苛立ちのままに蹴り飛ばすと、V.トールに歩を刻んできた。V.トールは腰からサーベルを引き抜くと、まだ痛みの残る左腕でしっかりとその柄を支えた。
電撃も粒子も、そろそろ底が尽き始めている。利き腕もうまく効かない。サーベルと自身の身体能力のみでこの敵と渡り合う他、手はないようだった。
最終決戦を前に、V.トールはフェンリルと静かに対峙をしながら、そっと呼吸を整える。
そして仁はちらと、床に寝そべる葉花を見やった。
その安らかな寝顔を、そして彼女の幸せを守ってみせる。そして元の、何も知らずにいた頃のような日常を必ず取り返す。そんな気持ちを胸の中に抱きしめる。そのために、フェンリルを倒す。傷つけることも、傷つくことも、もう怖くはなかった。その戦慄を超えるほどの覚悟が、仁の中で滾っている。
V.トールは願いを左腕に乗せ、一息に切りかかった。
フェンリルも咆哮をあげながら、その手の剣を薙いだ。装甲服で覆われている首のあたりがその瞬間、赤い輝きを発する。
双方の剣は中空で激突し、瞬くような火花を散らした。互いに後ろへ弾かれ、フェンリルは丸テーブルに、V.トールは壁に背中から突っ込んだ。
自他共に負傷をしているためか、そのやり取りは傍目から見れば、子どもの遊戯のように見えたかも分からない。だからこそ拮抗した力は互いに互いの傷を嬲るようで、剣を振る度に自身にダメージが跳ねかえってくるかのようだった。
砕け、積まれたテーブルの破片の中からフェンリルはすぐさま身を起こした。汚れを払うかのように剣で宙を切ると、鬼神の如き迫力を背負い、跳びかかってきた。
V.トールがぶつかったことで、衝撃に負けた山の写真たちが次々と床にたたき落とされていく。父親の撮影した大切なものであったが、それらに気を向ける余裕は仁に残されていなかった。
再び激闘が始まる。V.トールは左手1本でサーベルを高く掲げると、敵の脳天目がけて唐竹割りを繰り出した。フェンリルもまた剣を振りまわし、こちらの首を掻かんと襲いかかる。
――L.エッジは粒子に身をくるみながら、その去り際に、仁を挑発してきた。
マスカレイダーズの中でも選りすぐった精鋭をしろうまに置いてきたと、自信ありげに言っていた。お前に勝てるか、とも発言していた覚えもある。
僕には勝てる。仁は心の中で気付けば答えている。勝たなければならない。自分が葉花を危機から救う使命を負っているということを、仁は強く自覚していた。
覚悟が力を与えてくれ、力が自信を授けてくれた。それらの思いをサーベルに宿らせ、そしてV.トールとフェンリルによる正面からの激突は、金属を激しく打ち鳴らすような甲高い音と共に、鍔迫り合いへと持ち込まれた。
21話 完