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17話「金銀戦争」

始まりの話 1

 そこは暗くじめじめとした、下水道のような部屋だった。

 窓のない室内に、照明はない。自分の手足を眺めることすら叶わないほどの真の闇が、一帯を覆い尽くしている。鼻に微かに香るのは、薬品の匂いだ。コーヒーの芳しい豆の匂いも混ざっているように思える。人の気配はあるが、物音1つしない。

 錆びたドアの開く、軋んだ音が闇に響いた。そのドアは引きずられるようにして、外側から少しずつ開かれていく。同時に室内に凝る暗幕を、ドアの隙間から射しこむ一筋の光が少しずつ切り裂いていった。

「いるのかい?」

 足音ではなく、布を引きずるような音が室内に侵入してくる。続けて、ドアの閉まる物々しい音が反響した。暗闇を貫く光の道が、その先におぼろげな円を作り出している。その光の円がまるでスポットライトのように、室内の限られた範囲を少しずつ切り取っていた。

「あなたはやっぱり、暗い場所が好きなんだね。ゴン太くんも、大好きだよ」

 部屋に入ってきたのは、全身をすっぽりと狼の着ぐるみで包んだ人物、ゴンザレスだった。ところどころ糸がほつれ、片目のない狼はおそらく道端で出会えば卒倒してしまうくらいの不穏さと怪しさを秘めている。室内を照らす光は、彼の持つ懐中電灯から放たれているものだった。

 手首を振り、ふわふわと光の円を動かしながら、ゴンザレスはその闇の中に潜む何者かに向けて言葉を発し続ける。

「君のおかげでできたマスカレイダーは、なかなか優秀な働きを、してくれているよ。やったね。凄いね。ゴン太くん、大満足だよ」

 無機質で、機械的な、抑揚のない声でゴンザレスは手放しの賞賛を口にする。彼の向けた光の先が、古いテーブルの上に広げられた数枚のA4用紙を照らし出した。そこにはおそらくパソコンを使って描かれたマスカレイダーの線画があり、隅にはその装甲服のスペックが細々と記されていた。一番上は黒城和弥が所持する“アーク”のものであり、同じ紙面に彼が用いるバズーカ砲の絵も描かれている。

「でも、これからだよ。ゴン太くんたちはね、いつまでも同じ場所に留まってちゃいけないんだよ」

 光の円が泳いだ。空間に放物線を描き、次に懐中電灯の切っ先がたどり着いたのは、先ほどのテーブルとは部屋を横切って逆側に置かれたキャビネットだった。その上にも同様にA4用紙が載せられている。

「そして次の段階、“マスカボム”。ぶっつけ本番になっちゃったのがちょっと残念だけど、きっとうまくいくよね」

 その紙面には設計図のようなものが記されていた。腕時計のような形をしたものが、薄い青色のペンで書かれている。しかしその図の時計に盤面はなく、代わりにピンポン玉サイズの球体が乗せられていた。その絵にも無数の矢印が引かれ、隅に機能の詳細が羅列されている。紙の上部には、“マスカボム”と黒の太文字ではっきりと書かれていた。

「奴らの信じた光で、奴らの全てを焼き尽くす。我ながら、素晴らしい作戦だよね、ゴン太くんの性に合っている気がするよ」

 再び光が移動する。今度は、部屋の角に置いてある羊の着ぐるみを照らし出した。ゴンザレスが纏っているものと同様に、それも埃と黒染みで酷く汚れ、おどろおどろしい姿を晒している。光に浮かび上がるその様は、一見すると朽ちた人間の死体のようにも見えた。

「醜い鳥の足なんかにしがみつく奴らに、光なんてぜいたくすぎるんだ。過去にしがみついて動けないあんな奴らよりも、未来を切り開こうとする、ゴン太くんのほうが使うにふさわしいよね」

 初めて、ゴンザレスの語調に感情が混じった。ボイスチェンジャーで作られたがらがら声に、わずかな歪みが生じる。懐中電灯を握る丸い手がかすかに震え、光の円がわずかにぶれた。

「そうだよ。蘇生よりも、ハクバスよりもゴン太くんのほうが凄いんだ。ゴン太くんが一番うまく、光を操れる。これから始まる戦いは、それを証明するための、儀式でもあるんだよ。分かってるよね?」

 彼の声に表出した感情は、紛れもなく、怒りと自負だった。何者かに確かめる、というよりも、それは自分に言い聞かせているような強い声だった。中空を旋回する懐中電灯の光が次に掠め取ったのは、マスカボムの設計図の隣に置かれた写真立てだった。

 そこにはメガネをかけた神経質そうな男と、ピースサインを作りながら、こちらに向けて無邪気な笑顔を浮かべる女性、そしておそらく5,6歳とみられる小さな女の子が並んで写っている。背景に巨大な観覧車が見えることから、遊園地で撮影されたものであることが分かる。かけがえのない幸せな家族の様子を切り取った1枚だ。ゴンザレスは光に浮かんだその写真をしばし見つめると、それからつまらなそうに息を吐いて、さらに光の先を動かした。

「口だけじゃないよ? ゴン太くんにはね、覚悟だってあるんだよ。分かってるんだ。目的を遂行させるためには、大切なものを失わなきゃいけないこともあるってことぐらい。でもね、どうしても、この戦いに、勝ちたいんだ。だからゴン太は犠牲にすることにしたんだよ。考える限りで、一番大切なものをね」

 椅子の引かれる音が、甲高く響いた。衣擦れの音、そして服の埃をばたばたと払う音が続けざまに聞こえてくる。ゴンザレスは床に転がった聴診器を舐めるように照らしながら、その音の方へ光を傾けた。

「だからそのために、3つ目のマスカボムを頼んだんだ。使わせてもらうよ、あなたの力を信じているんだからね」

 光が床を伝って壁を這い、その人物の影を見つけ出す。埃舞い散る暗がりの中で1人、息を殺して立つその男の全身を、ゴンザレスは完全に光の円の中に射止めた。

「だから、頼りにしているよ――佐伯先生」

 着ている白衣の襟を直し、メガネを中指で静かに押し上げる男性。白いものの見える髪と、肌に刻まれた小さな皺が老いの始まりや、彼が人生の中で味わった辛苦の大きさを物語っているかのようだ。

 その男は紛うことなく、先ほどの写真立ての中で母子と一緒に映っていた父親だった。しかし今の彼に浮かんだその表情は、写真の中の男とは似ても似つかない。

 幸福とは無縁な、ある種の切迫感と悲壮感、そして漆黒の覚悟に満ちた男の相貌がそこにはあった。

 男は冷たい眼差しで、ゴンザレスの方を窺う。そしてテーブルの上に載せられていた“マスカボム”を手に取ると、唇を引き攣らせるようにして歪んだ微笑みを浮かべた。




始まりの話 2

 幅の広い国道から1つ外れた小道をしばらく進んでいくと、こぢんまりとしたラーメン屋に突き当たる。

 その店の裏手には、不法投棄されたゴミ袋や粗大ゴミが積み重なる、乾いた大地が広がっていた。背丈の高い草が存分に生えているのにも関わらず、その場所に砂漠のようなイメージを抱いてしまうのは、風のせいかもしれない。その地にはいつも、死の匂いのする風が吹く。それは捨て去られたゴミの腐敗臭と混じって、道行く人の心まで歪めさせてしまう。

 その道をさらに進んでいくと、タンスやテレビなどのくたびれた家財に囲まれた、巨大な建物の威容が見えてくる。それが『ホテル クラーケン』だ。数年前に、不景気の煽りを受けて倒産したそのホテルは寂れた外観だけを残し、いくつもの季節を潜り抜けながらも、同じ場所に建ち続けている。その周囲にはたとえ晴れた日でも鬱蒼とした霧が立ち込めており、まるで建物が外目に晒されることを防いでいるかのようだった。

 埃っぽく、鳥の糞の散乱したロビーを通り過ぎ、色の変わったカーペットを踏みながら階段を昇る。踊り場にあるステンドガラスは曇り、ヒビが入っているものも珍しくはない。さらに1階、2階、3階と順調にホテル内を上に上に移動していく。

 ところが4階に進もうとしたところで、誰しもがその足を止めることになる。

椅子やテーブル、壊れたキャビネットなどの調度品で執拗なまでに敷かれたバリケードが立ちはだかるからだ。それは階段の半ばあたりに積み上げられ、さらに上階へ挑もうとする人間を拒む。

 乗り越えていくことも可能だが、その手段をとった者は、これまでに1人としていない。それはおそらく、このバリケードにこめられた強い脅迫を無意識のうちに誰しもが感じ取っているためだろう。4階から踊り場を伝って下の階までなだれ込んでくる、体の奥底から恐怖を呼び起こされるような瘴気にあてられ、ほとんどの人は気力を削がれてしまうのだ。死ぬなら、引き返した方がましだ。皆、バリケードを前にして、深く思考を働かせる間もなく、あっさりと踵を返してしまう。

 4階。廊下を右手に折れた一番奥に、その部屋はある。

扉の上に掲げられた薄汚いプレートには、『第2食堂室』と書かれているのがかろうじて見えた。

 その室内は名前に反して、食堂としての機能や装いを一切欠いていた。破れたカーテンや埃の浮かんだ床には衛生の欠片もなく、大人数で食卓を囲むために必要なテーブルも、食材を貯蔵しておく冷蔵庫も、そこには存在していない。広さの割に、置いてある物が少なく、見る者にがらんどうとしたイメージを印象付けた。

 薄暗く、とても静かだ。降りしきる雨音だけが空気にしんしんと沁み渡るかのようだ。

 そのためか窓は閉め切られており、悪天候も相まって、室内は非常に蒸し暑い。さらに食欲を誘うようなカレーの香ばしい匂いが充満しており、それがますます暑苦しさを助長しているかのようだった。

 縦に長いすりガラスの窓の前で、怪物が椅子に腰かけている。その怪物は紫色の体色で、人間のように二本の足で立ち、人間と同じくらいの背丈をもっている。顔面は鋭角状の仮面のようなもので覆われ、右目に当たる部分は赤く染められていた。体には金のラインが引かれ、何らかの模様が描かれているように見える。腹部には三角形の石板がはめこまれていた。

 その怪物は椅子の背もたれにゆったりと体を預けながら、スプーンを片手に、皿に盛られたカレーを食べていた。怪物が自分の口元にスプーンを運んでいくと、その鋭い牙の覗く口が大きく開く。緑色の舌でスプーンの端についたカレーすら逃さず舐め取ると、常人なら目にするだけで卒倒してしまうような恐ろしい異形の外見に似合わぬ、至福の笑みを浮かべた。

「雨が、降ってきたみたいだよ」

 怪物が、その凶暴な口から声を発した。それは甲高い、けれど落ち着いた女性のものだった。

「いい演出だね。晴れ渡っていたんじゃ、今から始まる戦いに似合わないもん。おてんと様も、空気を読んだんだね」

 怪物の背後には、いつの間にか男が立っていた。鮮やかな金に染まった髪は短く、タンクトップにジーンズというラフな衣装に身を包んでいる。袖口から覗く腕は太く、健康的に黒光りしていた。

「これから、もっと、もっと強くなるよ。きっと。わくわくするよね、こういうの」

 怪物はカレーを食しながら、背後の男に話しかけ続ける。男は一歩足を前に踏み出すと、スッと目を細めて、窓の外の荒れた天気を改めて窺うようにした。その表情が、悲しげに歪む。

「雨の日には、あまりいい思い出がない」

 雨雫を払いのけるような、けして大声ではないが力強さを孕んだ声を、男は発した。やはりその声色にも、悲愴の色が混じっていた。

「大切なものを失う時は、いつも雨だった。俺は、雨が嫌いだ」

 怪物はひたすら食事を続けるだけで、男の言葉に何の反応も示さない。スプーンと皿がぶつかり合う、カチンという高い音が返事のように響く。男は嘆息すると、首を捩り、背中側の壁際に置かれた物に視線をやった。

「そういえば、あれは完成したのか。何日か前から、あいつと作っていたようだが」

「あれじゃないよ。私とあきらちゃんの、愛の結晶って呼んでよ。2人で夜通し、頑張ったんだもん」

 冗談めいた怪物の言葉に、男はどう受け取ろうか困惑したように顔を歪めた。怪物は器用に2本の指を使ってスプーンをくるくる回しながら、目線だけを背後にやった。

 その先には、パイプ椅子の上に乗った漆黒のマスクがある。人間の頭をすっぽり覆ってしまうようなサイズで、マスカレイダーズが持つ装甲服の仮面の部分を、そこだけ切り取ったかのようだ。頭からはネコ科の動物を思わせる耳が生え、口元には銀色のクラッシャーがあてがわれていた。

「もう少し、ってところだよ。途中でトールの剣の修理もあったからね、私だって多忙なんだよ。今回はダメだから、また次回、ってところかな。あるか分かんないけどね」

「ここまで奴らがきたら、どうする? 俺たちも戦うのか?」

 男の質問に、怪物はふっと息を吐いた後で答えた。それは空気を凍らすような、冷淡の籠ったため息だった。

「何度も言っているように、戦わないよ。私たちは裏方であり、いつまでも傍観者なんだよ。私が戦うことは、あきらちゃんへの裏切りになるからね。その時は大事なものだけ持って、さっさと逃げるよ。そんなに持っていくものがあるわけじゃないし。その辺は、肝に銘じておいてほしいよ」

「あぁ、分かってるさ。ただ確認したかっただけだ。事態が事態だからな。悪かった」

「あきらちゃんは、強いから。私たちが心配することは何もないと思うけど。それでもサポートするに越したことはないからね」

 怪物の発言を受けながら、男は装甲服の頭部の置かれた椅子があるのとは、逆側の壁に目を向ける。そこには鎖によって体を固く縛られた人影が1つあった。

この季節にはそぐわない、厚手の黒いコートを羽織っている。髪は長く、中でも左目は伸びた前髪で隠れてしまっている。肌は病人のように白い。鎖の末端は壁に打ち付けられた楔と繋がっており、男が逃げ出すことのないよう堅牢に固定されていた。男はコートにくるまるようにして、縮こまって眠っているようだ。目を深く閉じたまま、身じろぎもしない。わずかに肩が上下に揺らいでいることから、生きていることは確かだった。

「その時は、奴も連れていくつもりか?」

 鉄の鎖によってがんじがらめに縛られたその男を見やりながら、金髪の男は怪物に尋ねる。怪物もまた壁際に目をやると、わずかに首を傾げるようにした。

「まぁ、せっかく捕まえたしね。このまま解放しても面白くないし、連れていってもいいんじゃないかな。なにか、問題ある?」

「いや、俺は別に。ただ気になっただけだ」

「まず運び出すべき第一はあれだろうけどね。向こうもそれが目的なんだろうし。だから、そのついでに運んでいこうよ、ね?」

「そうだな」

 頼んだよ、という怪物の後押しの声を耳に受けながら、男は最後に部屋の中央に置かれた物に目を向ける。

 それは鷹の仮面で顔面を覆い隠し、背中には銀色の剣を突きたてられ、ミイラのように乾ききった細い手足を床に投げ出している。黒コートの男と同様に、体は鎖で拘束されているが、胸の前の南京錠で留められている点が異なっていた。

 威圧的なオーラを振りまき、周囲の空間を丸ごと歪めてしまうような禍々しい迫力に満ちたそれこそが、この組織の創造主であり、目的でもあり、守るべきものでもある存在――“黄金の鳥”だった。

 ホテル全体を揺るがすような爆音が、唐突に轟いた。一瞬、窓の外が赤く染まる。ガラスが振動でぴりぴりと怯えるように震えた。

「始まるよ、金銀戦争が」

 霧で覆われた眼下の景色を眺めながら、怪物が表情に笑みを宿す。その口ぶりはいかにも愉しげで、自分と目の前の展望を意図的に剥離させているような、無責任さに溢れていた。

 男は窓の外に顔を向け、怪物の背後で腕を組みながら、激しい雨音に混じって聞こえてくる戦闘音に耳を傾ける。二度、三度と聞こえてくる破裂音を皮切りにして、ついに戦いの火蓋は切って落とされたようだった。

「楽しみだよ、とっても」

 怪物の手から空になった皿が滑り落ちる。それは床に当たり、粉々に砕け散って、甲高い音を部屋中に鳴り渡らせた。




鳥の話 32

 どしゃ降りの雨が地面を揺らし、削っていく。頭上を仰げば白みを帯びた空気が、灰色の空を覆い隠していた。

雨を天からの恵みだとはよく形容するが、仁には、この雨は悪魔からの贈り物のようにしか思えなかった。痛みと死を運んでくる、血の味のする雨だ。V.トールの姿をした仁は、その雨で濡れた硬い皮膚を黒光りさせながら、水滴を払うようにサーベルを持ち上げた。

 V.トールの周囲には深い霧が立ち込めている。それはホテルを覆い隠すばかりか、この路地全体を大きく包み込んでいた。V.トールの周りにも纏わりつくようにしてその真っ白な霧は存在していた。ただの人間ならば1メートル先の景色さえも視認することはできないだろうが、怪物の姿に変わった仁の目には、はっきりと自分の周囲を見渡すことができていた。

 この霧は自然発生したものではなく、背後のホテルから人為的に発生させているものだ。乳白色の霧は入り込んだ者の方向感覚や知覚を狂わせ、中にあるものの気配を外から完全に遮断することができる。

 今、この霧は、仁たちが所属する組織のアジトを守るベールとしての役目と、これから始まるであろうと激しいいさかいを、外部に漏らさないようにするための役目を担っていた。この地から市街地は、目と鼻の先だ。関係のない人間に、戦いの危険が飛び火することは避けたいというあきらの配慮の結果だった。

 そして霧は現在――V.トールの姿を、敵から隠す役割もまた持ち合わせているようだ。互いに気付いていい距離にいながらも、きょろきょろと忙しなく周囲を窺っている装甲服の戦士の姿がその予測を裏付ける、なによりの証拠といえる。

 今、目の前を横切ったのはV.トールがトンネルの中で遭遇し、激しく身をぶつけ合った装甲服、“ダンテ”だった。腰から吊り下がった、ロングコート状の黒い布がやはり目を引く。

 ギリギリの接戦を展開し、相手の首に電撃を突き立てたことを仁はよく覚えていた。あの生きている肉を焼き、毟るような感触を思い出すだけでも、寒気がする。ダンテを葉花の担任教師、速見拓也ではないかと予想したこともあったが、真偽の定は今でもはっきりしていない。

 それにそんなことを、今は考えてはいけないと仁は自分に言い聞かせていた。あの装甲服の戦士は、自分たちのアジトに踏み込んできた敵なのだ。あきらを狙い、仁やその仲間の命を奪いに相手はここまでやって来た。殺さなければ殺される。中の人間に対する感傷はできるだけ排除し、事に当たらなければ自分だけではなく、仲間までも命の危険に晒してしまう。

 ――こんなの、許せますか? ボクは……絶対に許せません。

 あきらの怒気を孕んだ声が、脳裏に蘇る。

 ――この戦いで、ようやく俺はマスカレイダーズをぶっ潰すことができる。俺の弟を殺した奴らに、復讐することができるんだ。

 復讐が達成できることへの、喜びと憤怒を同席させた菜原の表情が思い起こされる。

 ――だから俺は、自分を犠牲にしてもこの男を救いたい。特にこれといった理由はない。それだけだ。親だから、救うんだ

 犯罪者である父を守ってくれと請い、そのために自らの身を捧げることも厭わないと宣言した、ケフェクスの悲痛さの籠った笑みが目の前を過る。

 そして最後に仁の意識を支配したのは、石化する葉花の姿。それと重なって、笑顔で仁を出迎えてくれる彼女の可愛らしい笑顔が浮かびあがる。あんな葉花の表情を、これからもずっとずっと見ていたいから、だから――。

 仁はV.トールの体に気持ちを載せた。決意を右手に、熱意を左手に宿す。力強くサーベルの持ち手を握り締める。そしてV.トールはぬかるんだ地面を蹴り、泥を弾き飛ばしながら、ダンテ目がけて特攻した。霧を全身で突き破り、得物を手にした右腕を大きく頭上に掲げる。

 足音を聞きつけ、ダンテがこちらに反応する。しかし彼が体をこちらに向ける前に、V.トールはサーベルを大きく振り抜きながらそのすぐ横を駆け抜けた。

 サーベルについた泥水を大きく振ることで払いのけ、腰に収めるV.トールの背後でダンテの肩装甲が切り飛ばされた。

 一閃された衝撃によろめきながらも両足で強く地を踏み、咄嗟に首を捩ってこちらを睨むようにするダンテ。V.トールは右足をぴんと前に伸ばし切ると、彼の腹目がけて、つま先から雷の槍を打ち放った。

 轟音と、空中に白色の軌跡を描きながら発射したそれは見事、ダンテを背後に退けた。V.トールは浮かせていた右足を地面に戻すと、片足で大きく跳躍し、貫くような驟雨と共にダンテの脳天目がけて、兜割りを繰り出した。

 両手でサーベルを握り、頭の後ろから大きく振り下ろしたその攻撃は渾身の一撃になるはず、だった。

 しかしダンテは腰から吊り下がった布をばさばさとはためかせながら、後ろに大きく跳び、V.トールのサーベルを地面に打ちつけさせた。手に僅かな痺れが走ったことと、自信のあった攻撃が難なくかわされたことで、仁は一瞬たじろぐ。その隙をうまく拾われ、ダンテは雨風を正面から突破するようにして、こちら目がけて疾走しながら、耳元のダイヤルをいじくった。

 するとその頭部に光が満ち、眩いほどに輝き始める。その光はダンテの全身を真っ白に塗りたくるかのようだ。彼の歩む道すがらにある、湿ったゴミが、炎を上げて燃え始める。黒い煙をもうもうと空に浮かべ、降りしきる雨に混じって消えていく。それだけで、光に込められた熱の凄まじさが理解できた。あの一撃をまともにくらえば、ただでは済まないだろう。

 しかし、仁の中に逃げるという選択肢はなかった。けしてもう逃げはしないと、この前の戦いで自分自身に誓ったからだ。これは横やりから入ってきた敵をいなすための戦いではない。明確な殺意を纏って、目の前の敵をせん滅しなくてはならない。守るために。勝つために。眼前に伸びる修羅の道を、仁はいま、この鋼の肉体と共に駆け抜ける。

 V.トールはサーベルを大きく頭上に放り投げた。空いた両手で自身の腹部にはめこまれた石板に触れる。石板の中心から噴き出した青色の細かい粒子が、その指先まで舐めるように覆っていく。

 両足をしっかり踏み込むと、V.トールは粒子を付着させた両腕に、電撃をさながらゴム手袋のように纏った。青白い光が、火花を散らしながらその肘のあたりまでをすっぽりと包みこむ。V.トールは四股を踏むように腰をしっかり据えると、両腕を前に突き出し――神々しいばかりの光を吐き出すダンテの頭部を正面から受け止めた。

 掌を広げ、がっちりと敵の頭を鷲掴みにする。迸る電撃と光が衝突しあい、ガラスを爪で引っ掻くような甲高い音ともに、2人を囲む空気がちかちかと瞬きだす。斥力に退けられた熱と衝撃が雨粒を落ちてきた側から蒸発させ、大量の水蒸気を周囲に生みだしていく。流れ出した電撃が地を伝い、空気を貫き、次々と辺りにあるゴミや雑草を燃焼させていった。

 やがて拮抗していた2つの力は、双方の間に小規模な爆発を起こした。ダンテは大きく弾き飛ばされ、派手に水たまりの中に転げる。V.トールは軽く後ろに跳ぶことで降りかかる衝撃を殺し、両の足で着地することに成功した。よし、と心の中で呟く。

 ちょうど頭上から落ちてきたサーベルを片手でキャッチすると、V.トールはそれを掴み直す間も惜しむように、地面を蹴った。まだくず折れたままのダンテに接近すると、今度こそ回避されることのない間合いで、サーベルを横薙ぎにする。

 戸惑いはその手になかった。両の眼を見開き、しっかりと敵に狙いを定めながら、サーベルを振り切る。その刃の到着点は、ダンテの首だった。

 しかしその一撃が届く前に、V.トールの体は横に吹き飛ばされた。視界の隅に膨らんでくる光を認めた瞬間、膨大な熱量がその全身を襲っていた。

 仁は何が起きたのか分からず、手から零れたサーベルを手繰り寄せながら素早く起き上がった。攻撃を受けた右肩が少々痛んだが、問題はなさそうだ。軽く腕を回しながら光の飛んできた方向に視線をやった。

 晴れゆく土煙の向こうに、ダンテとは違う装甲服が立っていた。その装甲服は埃を、腕をふるうことで一蹴すると、悠然たる態度でV.トール目がけて叫んだ。

「貴様の相手はこの私だ……ミスターイカロス!」

「世界、大統領……!」

 目の前に現れたのは、またしてもマスカレイダー。両肩にひっくり返したボートの船底のような装備をもつ、銀色の装甲服、アークだった。

それを纏う人間が数日前に“新宿の事件”の石碑の前で出会った、髭の男であることを仁は知っていた。その男が自らを世界大統領と称し、仁をイカロスと呼んでいたこともよく覚えている。

 抗うことのできない現実に肩を落とし、親友を間接的とはいえ、事件に巻き込んでしまったことへの自責の念に押し潰されそうになっていた仁に言葉をかけ、その心を少しでも軽くしてくれたのもこの男だった。

 この男には、返しきれない程の大きな恩がある。

しかしその感情を拳に乗せるのは違うと思った。彼もおそらく、仁にさらなる躊躇いを呼び覚まさせるために、恩を着せたわけではないだろう。あの男がマスカレイダーであったことに最初こそ戸惑ったが、男が敵であり、向こうも仁を潰して自らの目的を達しようと拳を振るってくるのであれば、全力で応じるのが礼儀だろう。

 アークはスッと右腕をV.トールの方に持ち上げると、その手首のハンドガンから銃弾をばら撒いた。退くV.トールを尻目にアークは、尻もちをついたまま状況を窺っているダンテに顔を向けた。

「ここは私に任せるといい。お前には、やることがあるのだろう? 自分の目的を果たせ。分かったならば、さっさとここから退くがいい」

 アークから発せられた言葉に、ダンテは一瞬戸惑った様子をみせたが、すぐに頷いた。彼はアークに軽く頭を下げると地を蹴り、灰色の空に飛翔していった。

 飛び立っていくダンテを、空を仰いで見送るアーク目がけて、V.トールは突進する。走っている間も指先から電撃を迸らせることを忘れない。教会での一戦から、仁は自分とアークとの間にある大きな力の差を感じ取っていた。ならば自分の勝率を少しでも上げるためには、相手の隙を縫うようにして戦うしかない。

 卑怯だと蔑まれようとも、仁はこの戦法を取り下げる気持ちは毛頭なかった。これが、あまりに戦闘経験の浅い自分の戦いだという強い自負があった。

 青白い光が空中に稲妻の形を描いて、敵に到着する。しかし船底のような形をした肩のバインダーで、アークは小さな衝撃音とともに容易くそれを防ぐ。こちらに顔を向けるなり鼻で笑う彼を視界に捉え、V.トールは地をひと蹴りして素早く接近すると、雄たけびをあげながらサーベルを横に一振りした。

 次の瞬間、アークの姿が仁の視界から消えた。さらに続けて腹部を衝撃が襲う。後ろに弾き飛ばされながら視線を下方にやると、腰をかがめたアークが正拳突きを繰り出した姿勢で固まっていた。

 アークは、あの男は、咄嗟の判断でしゃがみ込み、こちらの攻撃を回避したのだ。さらにそれを次なる攻撃に繋げてくるとは、隙を突いたつもりが逆手をとられた形になってしまった。やはり仁が予想した通り、あの男はかなりの強敵だ。

 アークはハンドガンから銃弾を撃ち放った。すげなくV.トールは刀身でそれを防ぐ。そして弾丸の雨が止むと同時に再び走り、今度は下から上に、居合抜きの要領で右に切り上げた。先ほどと同じ手段で避けられないようにと考えた方法だったのだが、今度は後ろに跳び退かれる。少し躍起になり、さらに一振り、二振りと斬撃を重ねる。しかしそんながむしゃらな攻撃が通用するわけもなく、2つとも難なく体を左右に振られただけで回避された。挙句の果てに三振り目の袈裟切りは、ハンドガンの銃身に容易く受け止められた。

 そのまま押し切ってしまおうと銃身に、サーベルの刃をめりこませながら、持ち手に力を込めるが、アークの腕はびくともしなかった。たった片腕だけで、V.トールの全力に対抗している。力の差はここまであるのかと、ギリギリと軋んだ音を鳴らし合うサーベルとハンドガンの音を聞きながら、仁は絶望的な思いを抱いた。

「ミスターイカロス……こんなものか、貴様の力は!」

 膝でしたたかに腹を打たれ、V.トールは退いた。さらに首を何かで絞めつけられる。いつの間にかアークの左腕から伸びた白いワイヤーが、固くV.トールの首に絡みついていた。

 もがく暇もなく、肩を掴まれアークが大きく腰を捻るのと同時に、ワイヤーごとV.トールは投げ飛ばされた。空中でワイヤーは首から外れ、掃除機のコンセントじみた動きで地面を這いながらアークの手に戻っていく。

「ならばその名の通り、この私と言う名の太陽で、塵と化すまで焼きつくしてやる! 感謝したまえ!」

 泥まみれになって倒れ込むV.トールに向けてアークは宣言を果たしながら、両肩のハッチを物々しく開いた。そこから黒くて太い、重厚なカラーリングの砲口がその姿を晒す。

 腕組の姿勢で仁王立ちをするアークの、その砲口に光が宿った。熱が周辺の空気を歪ませ、膨大なエネルギーがその一点に収束しているのがV.トールの目にもはっきりと分かった。

「僕は……」

 V.トールは泥の中で立ち上がった。サーベルを構え、指で刀身についた汚れを軽く拭い去る。どんなに力量差が歴然としていようとも、どれほど身を打たれようとも、その結果泥水の中でもがく結果になろうとも、けして怯まない、諦めない。そう、誓いをたてたからだ。

「僕は、イカなんかじゃない!」

 V.トールはサーベルの刃で、自らの腹部にある石板を叩いた。再び膨大な青い粒子が剣先に纏わりつき、鋭利な電流が迸り始める。

 同時に、アークの両肩から球状に変化した巨大なエネルギーの塊が吐き出された。上向きの回転をかけながら、地面を裏返すような速度で迫ってくる。V.トールはその場から動かず、青白い光の帯びたサーベルを大きくスイングした。するとその刀身から、刃状の青白い輝きが飛沫のように射出される。

 空中でぶつかり合う、光の塊と宙を切り裂く斬撃。そしてサーベルから放った一撃は見事、アークのエネルギー弾を打ち消した。生まれた爆煙に乗じてV.トールはサーベルを肩に担ぎ、跳躍する。電撃を片腕だけに纏いながらアークの眼前に着地すると、同時にサーベルを横に振り抜いた。

「イカって言った奴が、イカなんだ!」

 仁の叫びは木霊となって、どしゃ降りの雨の中に打ち響いた。アークの胸装甲を切りつける乾いた音が、その叫喚の隙間を鋭く抜き去っていく。




魔物の話 33

 レイは手首のリストバンドにはめこまれた球体を掌で撫でつけながら、落ち着かない気持ちで地団太を踏んでいた。ぬかるんだ地面が足の形にへこみ、周囲に泥水を弾く。

 リストバンドをした方の手で赤い傘を差し、レイは突然振り出した大雨をしのいでいた。しかしそれでも、地面に跳ね返った雨飛沫は防げず、スカートの裾や服の袖などはじわりと湿り気を帯びている。

 雑草が伸び、腐った木が寝転がっている、古びた屋敷の裏庭だ。蔦の絡みついたフェンスの向こう側では、立ち込める霧の中で激しい戦いが展開されている。

 争いの音が聞こえる。各々の得物同士がぶつかり合う甲高い金属音が、心臓を飛び上がらせるような大音量の爆発が、ぬかるんだ地面を蹴る音が、薄ぼんやりとした景色の中から耳に届く。その光景を文字通り陰から見つめながら、レイは己に与えられた役目をもう1度頭の中で復唱する。

 レイの役目はこの庭で秋護を待ち、時間をみて彼と一緒に霧の中へ突入。そこで黒い鳥の力を発揮し、敵のアジトをあぶりだすことだった。ゴンザレスたちはレイが怪人であることも、黒い鳥の力を色濃く受け継いだ“最高の怪人”であることは知らないはずだが、怪人を索敵する能力の応用を期待しているらしかった。

 マスカレイダーたちは、レイの進む活路を切り開くためにこの戦場にいる。

開かれた道を駆け抜け、敵の拠点を丸裸にしてから、マスカレイダーズで一気に攻め入る。レイの存在こそが、この作戦の要となるだろう――それは、けして自意識過剰ではなく、ゴンザレスの口からはっきりと伝えられたことだった。

 黒い鳥の力が、果たしてそこまでの効果を生み出してくれるのだろうか。肩に背負わされた期待の重圧に、レイは人の形をした、己の影を見つめながら不安を覚える。怪人としての能力を無力化する敵が頻出し、その度に自分の無力さを思い知らされ続けていたために、その自信はすっかり揺らいでいた。

 ポケットにおずおずと冷たい手を入れ、そこにある黒い鳥の羽を指先で撫でる。この羽を体に刺せば、自分はさらに大きな力を得られるだろう。世界を崩壊に導くことも可能な力、と貝の意匠を胸に刻んだ怪人、イストが鼻の穴を膨らませていたことを思い出す。

しかしまだ、レイの中では恐怖が勝っていた。この羽を腕に刺す勇気を持てない。その場面を想像するだけで、イストの裂けた口が脳裏に浮かび、体に震えが走る。この力を行使した後、自分で自分を制御できる確信が持てなかった。

だがその反面、やるしかない、とも思う。時にはその覚悟も必要だと。レイは、託されたのだ。自分にしかできないこと、できること、その役割を受け容れてしまった。ならば、ゴンザレスの、マスカレイダーズの仲間たちの、レイに期待するその気持ちに答えるしかないではないか。

 レイは胃の辺りをそっと摩った。腹部に登りつめてくる滾るような感覚をしっかりと体内に据え、やる気と自信を蓄積させる。大丈夫だ、大丈夫だ、と幾度となく己に言い聞かす。

 緊張で強張った体を少々無理やりに昂ぶらせ、それから、レイはきょろきょろと周囲を窺った。

しかし耳を澄まそうともバイクのエンジン音は聞こえてこなく、目を瞠ろうともそのシルバーの車体は見えてこない。苛立ちすら抱いて、レイは秋護の姿がみえるのを待った。佑の安否も気にかかる。傘を掴んだ指先は冷え切っており、ぴりぴりと痺れが生じていた。

 その時、レイの視界、フェンスの向こうに広がる霧の切れ端から、装甲服の背中が現れた。そのカブトムシの甲羅じみた後姿は狩沢が纏うエレフのものだ。ついついレイはその視線を彼に向けてしまう。雫のたれるフェンスに顔を近づけ、傘を持っていないほうの手でわしづかみにし、網目から覗き込むようにした。

 エレフは銃を片手に構え、その狙いを霧にさ迷わせていた。横歩きをしたかと思えば、後ろに下がり、また前に1歩2歩と進んでいる。どうやら自分の立ち位置を探っている様子だ。空中戦が得意なダンテや、身のこなしの素早さの長けたアークと異なり、エレフはその強固な装甲ゆえに、スピーディーな動きは不得意だ。そのため、攻撃を行うポジションが重要となる。狩沢は野獣のような勘で、戦闘中、常に動きながら自分の適切な位置をはじき出し、エレフの力を存分に発揮できる場所を見つけて攻撃をしているのだと、以前ゴンザレスが話していたことを思い出す。

 エレフが立ち止まった。レイを背にし、霧に向けて、銃を掴んだ腕をゆっくり突き伸ばす。

「この位置なら、霧を払える、か」

 レイの耳にどうにか拾えるくらいの声量で、彼はぼそりと言うと、銃の側面に備えられたツマミを軽く捻った。すると銃身全体がほのかに輝きを帯び、そして一瞬膨らんだ光が、銃口に向かって収束されていく。その輝きがあまりに大きいのでエレフの右腕全体が閃光を放っているかのようだ。

 エレフは片足を後ろに引くと、霧の中目掛けて、焼けつくような光の奔流を銃から吐き出した。

 そこまできて、レイはようやく狩沢の行動に納得がいった。彼は霧の中に潜む敵の気配を、その“野獣の勘”で察知したのだろう。そしてその敵に、容赦なしの強力なビームを打ち込もうというのだ。相手にとっては、これ以上とない奇襲となるだろう。それに加えて狩沢の発言から、霧を少しでも攻撃の爆風で払おうとする目論見もあるようだった。

 純白の光がレイの視界を染め上げた。フェンスがぎしきしと軋んだ音をたてて震える。地面を削ぎ、雨を弾きとばす衝撃がエレフを中心にして空気に波及し、レイもよろよろと後ずさった。先ほどまで冷え切っていた指が、途端に体温を取り戻す。

 銃口から太いビームを撃ちだしたエレフも反動で、少しずつ地面の上を背後に滑っていった。

膨大な光は霧目掛け、一直線に飛び込んだ。じりじりと空気を焦がす音が聞こえてくる。降る雨が矢先に蒸発し、水蒸気に巻かれながら、エレフはなおも引き金に指をかけ続けた。

 しかしビームはあまり遠くに届くことはなく、霧の中からゆらりと現れた、巨大な影によって防がれる。光はあらゆる方向に弾かれ、無数の矢のように分裂して、空に地面に飛び散った。あちこちで爆音が響き渡り、泥水を宙に投げ出していく。

 エレフの息を呑む音が聞こえてくるようだった。強烈な光の爆発に顔を手で覆っていたレイは、うっすらと瞼をあげ、目の前の光景を窺った。そして、体を一度ぶるると震わせた。

 エレフの前に、黄金の怪人が立っている。背には赤いマントをはためかせ、刀身が剣のように長い高枝鋏を片手に、血のような真紅の眼で真っ直ぐエレフを見つめていた。牙の覗く口を開いて笑む。その怪人の胸には、鋏を広げた蟹の絵が描かれていた。

 レイは表情を強張らせた。その怪人のことはよく知っていた。自分の前に突如現れ、最高の怪人の意味や怪人に関する情報を自信ありげに説明してくれ、そしてその圧倒的な実力で速見拓也を意識不明にまでおいやった。“キャンサー”、二条の息子、そう彼自身が話していたことはまだ記憶に新しい。

 キャンサーはあの天地を揺るがす威力をもつビームを、正面から受け止めたにも関わらず、少しも怯んでいなかった。わずかに焦げ目の生じた胸を手の甲で撫でることすらしている。その様子からは、ダメージを受けている様子は、まったく見受けられなかった。

「ロリコン! やっぱりあの人も仲間だったんだ……」

 父親の話していたことを思い出しながら、レイは思わず小さな叫び声をあげてしまう。父親は二条裕美をさらった怪人、ケフェクスとこの蟹怪人が教会で一緒にいたと話していた。

 この怪人の強さは悔しいが、よく知っている。あのダンテに重傷を負わせてしまうほどのパワーを持っている。そんな怪人がこの場に姿を現したことに、レイは強い緊張感を覚えていた。

 固唾を呑んでエレフを見守るレイの前で突然、キャンサーの背後に炎が浮かんだ。篝火のようにうつろなそれは1つ、2つと徐々に数を増やしていく。大きさは硬球の野球ボールほど。それがキャンサーの頭上に5つ並んで浮き、土砂降りの中で淡い輝きを発している。状況を度外視してみれば、それはぼうと見惚れてしまうような、あまりに幻想的な光景だった。

 しかし次の瞬間、その炎は表情を豹変させ、途端に牙を剥いた。

 赤々と燃えるそれらが光の尾を引いて、次々とエレフ目がけて落下していったのだ。わずかなタイムラグを刻みつつ、5つの火球は順々に雨を突き破るようにして急降下していく。その様はさながら、大気圏に突入しても尚、燃え尽きず地上に突っ込んでくる隕石のようだった。

 エレフは咄嗟に反応し、ステップを踏みながら銃口を火炎弾に向ける。しかし、エレフにとって回避行動は苦手分野であり、さらにその銃も連射速度は高いとは言い難い。結果、火炎弾を1つだけ銃弾によって打ち落とし、さらに1つを横に跳んでかわしたものの、残りはその鉄色の装甲に勢いよく激突した。凄まじい衝撃だったらしく、エレフの体は後ろに弾き飛ばされた。両足を踏ん張り、倒れることは何とか阻止したものの、それでも彼の足はふらついている。

 しかしエレフは顔をあげると、ぬかるんで不安定な足場をしっかりと固め、銃を構えた。けして焦らず、追いつめるように歩み寄ってくるキャンサーに照準を合わせ、引き金を絞る。

 だが、キャンサーの足取りは緩まない。一撃で敵の手足を削ぎ、肉体に風穴を空けるほどの威力を持つエレフの銃弾がこの怪人の前では豆鉄砲も同然だった。1発、2発と銃声音が鳴り響くが、キャンサーの体表に着弾した途端にひしゃげるような音をたてて、地面に打ち落されてしまう。キャンサーは鋏を大きく振り上げながら、口元に笑みを浮かべる。

 その背中から、影が飛び立った。

 影はキャンサーの肩を踏むとさらに高く跳躍し、見上げるほどの高さまでくると、その身から炎の直線をエレフに打ち放ってきた。攻撃に集中していたこともあって、エレフはその鋭い槍のように変化した炎によって、まともに体を貫かれた。エレフの重装甲が宙を舞う。ぬかるみに背中から落ちた。空から降り立った影は、泥まみれになるエレフを見下ろしながら、不敵に笑った。

「やはり生きていたか、狩沢。まぁ、あんなもので死んでもらっても興ざめだが」

「……段田」

 エレフはやわな地面から体を引っ張りあげるようにして身を起こすと、震える手で銃を構えた。

「いや」

 引き金に指をかける。しかし、やはり右腕の傷が痛むのか、その手に力はなかった。レイは公園で目にした、狩沢の腕に巻かれていた包帯のことを思い出した。あの傷は、狩沢の身を現在進行形で蝕み続けているのだ。エレフは手首をかるくぶらぶらと揺すると、深く息を吐いてから、銃を左手に持ち替えた。

「ケフェクス、だったな」

 キャンサーの背後から現れ、炎を放った影の正体は馬の怪人だった。体色は見ているだけで、吸いこまれるような錯覚を覚えそうなほどに深い黒。肩からは馬の臀部から足先にかけてのパーツが生え、背には馬車の車輪を負っている。その口から紡がれる声に、レイは聞き覚えがあった。

 段田右月――きつねのような顔にテンガロンハットを乗せた、男の姿を思い出す。ゴンザレスたちの昔の仲間であり、レイにカニかまを手渡した、謎多き男。彼の声と、この馬型怪人の声はレイの中で完全に一致した。

 船見家に忍び込み、二条裕美を奪っていった犯人。そしてこの怪人もキャンサーと同様、自らを二条の息子と称していたと、申し合わせの時に話を聞いていた。

 エレフの目の前を塞ぐように、並び立つケフェクスとキャンサー。レイはフェンスから離れると、傍らの植え込みの陰に素早く隠れた。窮地にたたされる狩沢を前にして自分だけ身を隠すのは気が引けたが、ここで敵に見つかりでもしたら、この作戦自体が丸ごと狂ってしまう。悔しさを覚えながらも息を殺して屈みこみ、顔を少しだけ草陰から出し、神経を尖らせながら、事態を見守る。

「狩沢、残念ながらお前とタイマンを張っている暇はない。今の俺は、雇われている身分なんでな。卑怯だろうがなんだろうが、全力で立ち行かせてもらう。文句言うなよ」

「ケフェクスの言う通りさ。俺たちが、貴様を叩きのめしてやる。さあ、存分に覚悟するがいい!」

 キャンサーは意気揚々と鋏を振り上げ、エレフに切りかかった。エレフは銃でその攻撃を受け止めつつ、雨雫を払いながらの鋭い蹴りで敵の体を後ろに押しやる。

「望む、ところだ」

 エレフは強い口調で呟くと、銃弾をキャンサーの肘関節に狙いを絞って撃ち込んだ。やはりそこは人間と同様にやわな部分らしく、金色の怪人は唸り声をあげると、その表情を憎々しげに歪ませた。

さらに続けざまに、手の鋏に向けても発砲した。

 利き手とは逆であっても、狩沢にとってそれは大きなハンデにはならないらしい。見事に弾は命中し、キャンサーの手から鋏はもぎ取られた。宙を舞いながら、鉄の破片をまき散らして四散する。銃撃を続けようとしたエレフの手元から、乾いた音がした。彼が引き金を絞っても、一向に弾が銃口から出てこない。どうやら弾切れのようだ。

 しかし、狩沢には息を休める暇さえ与えられない。再び雨空に球状の火が灯り、火炎弾が彼に向って降り注いだ。さらにくの字を描いた炎の線が、エレフの右わき腹を抉ろうとするかのように迫る。全てあの馬の怪人、ケフェクスが放った攻撃に違いないが、その姿をレイの場所から見ることはできなかった。

 ケフェクスはキャンサーの大柄な体の後ろに隠れながら、炎を噴出させていたからだ。キャンサーが攻撃を受け、ケフェクスが敵に攻撃を放つ。そういう役割分担が2人の間ではなされているようだった。そしてそれは恐ろしいほどに、的確な連携といえた。事実、狩沢はその戦法にすっかり苦戦を強いられている。

 エレフが肩で銃のつまみを回すと、彼の周囲を半透明の円が囲った。炎の攻撃はエレフに行き着く前にその膜によって弾かれ、空中で霧散していく。

「いくぞ、ケフェクス!」

 突然現れた強固な壁を前に、キャンサーは大きく跳び上がった。その背後から現れたケフェクスは、鬼火のようなおどろおどろしいイメージを帯びた炎を右手に纏いながら、エレフに向かって駆けだしていく。

「ああ、兄上!」

「これが!」

 キャンサーは空中で自分の膝を抱えると、体を小さく丸めた。巨大な球体と化したその様は、遠目から見るとそれは黄金のくす玉のようだ。そこにケフェクスの背から放たれた炎が引火する。火に包まれ、赤く燃えたキャンサーは弾丸のように、眼下のエレフへと飛び込んでいった。

「これが、僕たち二条ブラザーズのコンビネーションだ!」

 銃弾をものともしないほどに固いキャンサーの装甲と、落下速度、そしてケフェクスの火炎も加わったその衝撃は、はかりしれないものとなった。半透明のシールドにその身が触れた瞬間、軋んだ音が一気に空気を駆け抜ける。そしてやがて、破壊の振動はシールド全体を脅かし、その圧倒的な質量を前にあえなく粉々に砕け散った。

「狩沢!」

 地上に落ちるキャンサーを足蹴にして、颯爽と跳び、エレフにジャンピングパンチを繰り出すケフェクス。その拳は炎に包まれ、灼熱に赤く染まっていた。大きく肩を後ろに引き、そして、体ごと前に振りだす。

「……ケフェ、クス!」

 エレフは震える右手で銃のつまみを捻り、目盛りを3に合わせた。その右腕に光の奔流が流れ込む。白い光をその拳一点にかき集めると、全体重を傾けたストレートを、迫りくるケフェクス目がけて打ち出した。

 2人の男の、胸を揺するような咆哮が雨音を掻き消す。炎と光。爆発的なエネルギーを纏った拳同士は、正面衝突し、大音量の破裂音を響かせた。




鳥の話 33

※※※

 光の軌跡を曇り空に引きながら、装甲服が飛翔を続けている。

豪雨の中を突っ切って、ばしゃばしゃと音を立てながら空中を進むのは両肩から光の翼を生やしたダンテだ。腰から吊り下がった布をはためかせ、時折旋回を取り混ぜながら、濃霧に囲われた戦場の空を飛び回っている。

その姿は、空に落とした何かを必死で探しているように見える。時折動きを止め、きょろきょろと周囲を見渡しては、またぐるぐると宙を巡る。そんな動作を彼はひたすら繰り返していた。その動きは、大規模な戦闘が展開されている空域で犯すべき行動であるとは思えず、傍から見れば異様な姿であることに違いなかった。陽動にしては、あまりに不格好で、規則的なものが何も見当たらない行為だった。

 その時、まるで曲芸飛行のように慌ただしく駆けまわっていたダンテの動きが、突然ぴたりと停止した。翼をほのかな光で輝かせながら、空中で棒立ちとなって、ひたすら雨に身を打たれている。

 その視線の先には変わらず、方向感覚を狂わすような濃い霧が立ち込めている。だがそこに彼は何かを見つけた様だった。拳を少し緩め、その後できつく握りしめる。その体に滾る緊張の波が、空気を震わすようだ。

 ダンテは薄氷の上を歩くようにそっと翼をはためかせ、足を踏み出す。慎重に慎重を重ねた、コンクリートで塗り固められた橋を金槌で叩いてから渡るような、臆病ともとれる気配を滲ませ、彼は足裏で宙を叩いた。

 その瞬間、横合いから吹き抜けた一陣の風が、ダンテの体を大きく突き飛ばした。装甲をへし曲げるような凄まじい一点の力が、彼の全身を背後に押しやった。

ダンテは不規則な軌跡を描いて舞う自分の体を、とんぼを切り、片足で強く空を蹴ることで無理やり制動し、これ以上遠くに吹き飛ばされるのを何とか食い止める。

 体勢を戻すも何が起こったのか理解できない様子で戸惑うダンテの前に、緑色の燐光に照らされた怪物が現れた。怪物はダンテと同様に、漆黒の翼を揺らめかせて宙を浮遊していた。

「おっと危ない。この先はイケメン以外通行禁止だぜ?」

 蝙蝠を思わせる黒く巨大な翼と、暗雲の下で爛々と輝く蛍光グリーンの瞳が特徴的な怪物だった。漆黒の体躯をもつその様相はどこか、悪魔然としたイメージを振りまいている。片手には細身の槍が握られていた。その体には金色の線が何かの模様を描き出すかのように刻まれている。

「ま、マスカレイダーズは言語道断だがな!」

 怪物は、片腕を広げ、ダンテの前に立ちはだかるようにした。そしてもう片方の腕に鋭く構えた、禍々しく銀に光る槍をダンテの喉元に突きつけ、言い放つ。

「俺はS.アルム。お前はダンテ、だったよな? あの変態蟹にのされた奴だろ」

 翼をばさり、と小さく奮わせたかと思うと、その次の瞬間には、S.アルムはダンテの眼前にまで接近していた。ダンテは拳を構えようとするものの間に合わず、槍の先端で顔面を穿たれた。鈍い音と共に、その体がさらに背後へと押しやられる。

「奴も詰めが甘い。今日こそ、地獄に送りつけてやる。覚悟しろよ、マスカレイダー」

 ダンテは呻き声をあげ、突かれた左目のあたりを軽く手で押さえる。だが痛みをふっ切るように腕を横に振ると、逆の手で耳元のダイヤルを回転させた。そして頭頂部を再び燃えるように輝かせ、まるで己をミサイルに見立てるかのように、頭からS.アルムに突っ込んでいく。

「そんながむしゃらな攻撃が……俺に通用すると思うな!」

 S.アルムは意気揚々と叫ぶと、鋭い爪を自分の胸に突き立てた。ずぶずぶと音をたてて、それは指の第一関節まで皮を破り、肉を貫き、押しこまれていく。S.アルムの口からため息に似た、快感の吐息が漏れる。同時にその耳や鼻から蒸気のような白い靄が吐き出され、その身体をつたっていた蛍光グリーンの体色が白に染め上げられた。

「菜原、スペシャル!」

 通り道に振る雨を気体に変えながら突っ込んでくるダンテ目がけ、S.アルムは大きく左拳を振り下ろした。白い蒸気を纏いながら放たれたその一撃は、ダンテの後頭部をしたたかに打ち据え、その身を真下に突き落とした。

 S.アルムの姿が、白い残像を残して消える。その体はいつの間にか、墜落していくダンテの傍らに移動していた。S.アルムはまるでゴルフクラブを構えるかのように槍を両手で掴むと、大きく腰を捻り、長柄のそれを全力でフルスイングした。

 ダンテはつま先を突きだし、蹴りで応戦しようとしたようだが、彼の足先が空を切る音と、槍がダンテの体を打ちのめす音は、ほぼ同時に空を駆けた。

 土飛沫、とでもいえばいいのだろうか。ダンテの叩きつけられた地面から、地を揺るがすような轟音と共に、土埃が柱のように昇った。この高さから突き落とされたら、たとえ装甲服を纏っていてもただでは済まないだろう。

 S.アルムは、黒い翼をはためかせ、眼下に渦巻く土埃を見下ろしながら、勝利を確信したかのように満足げに微笑んだ。

※※※




「この私を相手に、よそ見をしている余裕などあるのかね!」

 ダンテとS.アルムによる空中での攻防を、敵の攻撃をしのぎながら観戦していたV.トールの耳にわずかに怒気の孕んだ声が届いた。

 そちらに顔を向けると同時に、息が詰まった。胸を衝撃が襲う。衝撃の中心にアークのつま先が、深くうずめられていた。V.トールは体から電撃を発して反撃しつつ、後ろによろめいた。

 アークは電撃を装甲に走らせながらも、背後に跳び退く。どうやら苦し紛れに放った電撃の効果は限りなく薄いようだった。苦悶を漏らすわけでも動きを鈍らせるわけでもなく、彼は平然としていた。アークは左足を軸にして、その場でくるりと回転すると、両肩から覗く砲口から光の塊を放出した。

 咄嗟にV.トールはサーベルを構える。柄で腹部の石板を小突き、その刀身に電撃を送り込んだ。アークの放った2つの光弾は空中で合わさり、巨大な球体となって、こちらに迫ってくる。V.トールは足を踏み込むと、青白い光を纏ったサーベルを光の球体目がけて横薙ぎにした。

 V.トールはサーベルの刀身で、飛んできた白い球体を迎え撃とうとした。しかし、その結果、弾かれるような勢いでサーベルは手からすっぽ抜けていった。

 どうやら真正面から光の球を受け止めるには、あまりにこの武器はたよりなく、そして電撃の量も不足していたらしい。衝撃に負けたサーベルはくるくると宙を回転し、V.トールから10メートル近く離れた地面に突き刺さった。

 右手全体に痺れを覚えながら、V.トールはサーベルの方に視線をやる。次の攻撃に備えるために拾うのには、どうみても距離が離れすぎていた。これはまずいと内心で舌を打つ仁の前で、アークが爆風に乗じるようにして、高く跳び上がった。

「これは、必然だ」

 地上からおよそ6、7メートル。ひと飛びでその高さまで到達したアークの手には、丸太のような形をしたバズーカ砲が抱えられていた。

 いつの間に、そしてどこからそんなもの取り出したのか。戸惑いながら、仁はその銀色に鈍く光を帯びたその不穏な得物を見つめる。しかし、その大きな砲口をこちらにかざされると、すぐにそんな疑問は頭の中から吹き飛んだ。

 バズーカ砲には螺旋状にパイプが巻かれている。そこに純白の光が注ぎこまれているのが、灰色の空の下だからなのか、ここからでもはっきりと分かった。パイプの中をむらなく光が埋め尽くすと、今度は砲口に光が宿る。

見る者の瞳を焼き、喉を干上がらせるほどに、その輝きは強かった。V.トールは息を呑み、ただ立ち尽くして、その光景を見つめている。身動きがまったく取れず、完全にアークの威圧感に呑み込まれているのが自分自身で分かった。だが、分かっていても、砲口に射すくめられてしまったかのように体は言うことを聞いてはくれない。

「この私が放つ断罪の炎に焼き尽くされてしまうがいい、ミスターイカロス!」

凝った視界の中で、バズーカ砲の中からまろびでてくる白い光だけがスローモーションになって動いている。これまで対峙した経験のない圧倒的な質量を前に、仁はゾッとするものを覚える。この光がもし解き放たれたら、一体どういうことが起きるのか。

 もちろん自分は生きてはいられないだろう。あの光に焼かれ、死ぬという自覚すらないまま、この世から影だけを残して消滅してしまうに違いない。それだけに留まらず、他の仲間や『ホテル クラーケン』にも危険が及ぶだろう。空は焼け、大地は崩れ――それはマスカレイダーズに、侵略の活路を開かせてしまう結果となる。

 それだけは避けなければならない。V.トールの心に浮かぶのは使命感。そしてそれ以上に仲間を、このデビルズオーダーを守り抜きたいという強い気持ちが、体を動かしていた。

 特に対策を頭で練ったわけではない。しかし、気付けばV.トールは腹部の石板を小気味よく掌で2回、3回と叩いていた。

 4回目を力強く行った直後、その反動を利用して手首を返し、掌を迫りくる巨大な光に向けてかざした。アークのバズーカ砲から放たれたその一撃は、彼の肩にそびえるキャノンから撃ちだされる光球とは比べ物にならないほど、広く、大きく、人知をはるかに超越した攻撃だった。

それはもはや光の弾丸などではなく、雷の鋭さと、業火の熱量を持ち合わせたオーロラのようだった。

 その線ではなく、面で襲いかかってくる光を受け止めるように、両手を上に突き出した、V.トールの全身から膨大な量の青い粒子が噴き出した。それはV.トールの体を瞬く間に染め上げた。

 これしか対抗の術はないと、直感的に思った。粒子はさらに大きく広がり、周囲にたゆたう霧と混ざるように大きく拡散していく。さらに上昇していく青い粒子の波は、じりじりと空を焦がしながら地上に降りてくるオーロラともぶつかり合い、内と外の両面からそれを巻きこんでいった。

 V.トールは指先に電撃を這わせた。そして自分を取り囲む粒子に向け、小さな火花程度のスパークをそっと走らせた。この状況を何とか打破しなくてはということに気持ちが働いていて、恐怖は微塵も覚えなかった。

 その瞬間、視界が青白い光に包まれた。まるで道に零れたガソリンを火炎が追っていくかのように、部屋に充満していたガスに炎が引火するかのように、ほんの爪先くらいの微細な電撃は、一瞬で粒子を伝い、波及した。ドミノ倒しの如く、一斉に粒子へと電撃が引火し、鼓膜を破るかのような爆音と共に視界が今度は真っ赤に染め上げられた。

 爆音は2度、3度と連鎖的にこの戦場に響き渡る。宙を走る火炎はオーロラさえも呑み込んだ。空を埋め尽くす光と、上昇していく炎の陣地取りが目の前で繰り広げられている。曇天の下であるにも関わらず、空は目を覆うほどの明るさに満ちていた。

 V.トールはその光目がけて、飛び込んだ。右手に粒子と電撃を纏わせ、青い光を刃の形に変化させる。

 仁はいとも容易く自分が、こんなことをできてしまったことに軽く驚きを覚えながら、手首から伸びた青白い光の刃を軽く宙に薙いだ。

 まるで太陽のように輝く巨大な光のうねりの中に、ぽつんと黒点の如く浮く、アークの姿があった。V.トールはひと飛びで彼に接近すると、光の剣を一閃し、腕に抱えたバズーカ砲を一刀両断した。

 半ばから真っ二つに切断された、土管のようなそれをアークはV.トール目がけて放り投げてきた。空中、しかも大きく得物を振りかぶった直後という隙を晒したV.トールに、その不意打ちが避けられるはずもない。それらはそれぞれ、V.トールの顔面と腹に埋められた。

体が落ちていく、という感覚の中で、意識が白く染まる。そして派手に地面を転げ、背中を強く打ち付けたことで、無理やり覚醒させられた。歪んだ視界の中で、全身に襲いくる痛みをこらえながら、V.トールは地に手をついて起き上がる。

「これは、効くっ……」

 強打した腹部に手をやりながら、顔をしかめ、身を起こす。痛みは強かったが、立ち上がることができない程ではなかった。ゆっくりと深呼吸をすると、少しだけ苦痛が和らいだ。

歯を食いしばって痛みに耐え、アークの追撃に備えて、全身に電撃を滾らせる。

するとその時、光が潰え、再びもとの薄闇を取り戻しつつある景色の中に、漂ってくるものがあった。仁は頭を二度三度と振り、意識を保った後でそれを認める。

 真紅の煙が、霧で塞がれた景色を浸食していた。

もし気化した血液に色がつくならば、こんな光景が目の前に浮かび上がることだろう。その赤は生々しく、不気味な輝きを放っていた。

 煙は薄く、それによって視界が奪われるということはなかったが、瞬く間に広がっていくその様は仁の胸に不穏な予感をもたらした。自分の身に絡みついてくる鮮血のような気体には困惑を通り越して恐怖を覚えた。煙によって照らされた地面もまた、赤く染まり、水たまりも着色されて深い血だまりのように見える。

「黄金の鳥を守るみなさん、こんにちは」

 突然、どこからか声が聞こえ、V.トールはびくりと全身を引きつらせた。それは機械で作り出したような、抑揚の少ない、明らかに不自然な声調だった。

「マスカレイダーズからの、連絡だよ。せっかく話してあげるんだから、ちゃんと聞いてね」

 マスカレイダーズ。その言葉にV.トールは身構え、周囲に視線を運んだ。だが、霧と漂う赤い煙に巻かれた視界に、声の主らしき者の姿は見えない。

「君たちに、大事な話があるんだ。一度しか、言わないからね。ちゃんと聞いていたほうがいいよ。君たちにとっても、有益な情報だろうからね」

 またもや声が聞こえる。神経を集中させればさせるほど、その声がどこから発せられているものなのか不明瞭になっていく。地の底から響いている気もするし、天から降りてくるような気もする。右からである気も、後ろからである気も、前からである気もした。

V.トールは声の発信源を求めようと、煙を腕で払いのけ、そして気付く。煙をのかした自分の腕に、大きさわずか1ミリほどの赤い点が打たれていた。それを見つめ、その後で煙を眺め、それら2つを見比べて、息を呑む。

目を凝らせば、すぐに分かった。それは煙などではなく、赤い微粒子の集合体だった。一旦気付いてしまえば、わずかに気体がさざめいているのが分かる。色こそ異なるものの、それはV.トールや他の仲間が操っている粒子に、ひどく似ていた。

「実はね、君たちのリーダーの、お友達を預かっているんだ」

 V.トールは思わず声を零し、振り返った。後ろを見ても、そこに声の主がいるわけでも、そちらから声が聞こえてくるわけでもなかったのだが、とにかく声を探さずにはいられなかった。

「そのお友達をね、ちょっと確保しちゃった。護衛がいたみたいだけど、そんなの無駄だったよ。あんなの何の役にも立たないんだ」

 赤い粒子のすき間を縫うように響く不気味な声に、仁は、心の底から震えた。

ついにこの時が来てしまったのかと、絶望的な気持ちに声も出せなくなる。仁が予想した展開が、悪い方向に当たってしまった。予想は、杞憂で終わってはくれなかったらしい。しかし現実は非情で、去来する悪い予感に、歯の根が合わなくなる。全身の血液がすっと冷めていくのを止められない。

「まさか」

「みんなみんな可哀想だね。でも、みんな君のせいだから、仕方がないよね。いまはまだ大丈夫だけど。早く行かないと、死んじゃうよ。お友達が、死んじゃうよ」

 その声の主は人の心を嬲るように、そしてそれを心底愉しむかのような、声を出す。

 あきらの友達。そこから連想される人物は、仁には1人しか思い当たらない。

 葉花だ。

とうに分かってはいたものの、頭の中で改めて言葉にしてみると、目の前が暗くなるようだった。マスカレイダーズはあきらと彼女の仲がいいことを知っている。あきらはそれを危惧していたが、まさか実際に葉花に手を出してくるとは思わなかった。マスカレイダーズの底力を、少々甘く見積もりすぎていた。

仁の脳裏に葉花の姿が過る。最後に目にした葉花がどんな表情をしていたのか、すぐに思いだすことはできない。だが、仁の網膜に焼き付いている彼女はいつでも笑っていて、明るくて、そして強かった。

自分が一番辛いくせに、その気持ちを胸の内に封じ、仁のことを心配してくれた葉花。母親がいないことも、父親に突然見放されたことも、そして仁が自分に触れてくれなくなったことも。全て受け止めて、何でもないように振る舞って、彼女は笑顔で仁を迎えてくれた。

だから仁は、彼女を守りたいと心より思った。自分の人生も命もすべて投げ打ってでも、彼女のもとに光を捧げたい。その想いに突き動かされ、仁は剣を手に取ることを決めた。

葉花はいつだって、仁の日常だった。その日常がいま、再び浸食されようとしている。それを思うだけで、いてもたってもいられなくなる。葉花が危険に晒されていると考えるだけで、焦燥感が胸に充満してしまう。

この戦いが始まる直前、仁は『ホテル クラーケン』の食堂で葉花に電話をかけた。彼女は『しろうま』にいた。佑も、仁もいない家で1人、オレンジジュースを飲みながらテレビを見ていると言っていた。

彼女を1人にするのは危険だ、とは思っていた。鳥のお面の人たちがいる、とあきらは言っていたがそれでも心配は晴れなかった。だからやんわりと、もうちょっと安全な場所に行った方がいい――たとえば、人がたくさんいるところのような――と提案したのだが、そんな仁の懸念とは裏腹に、葉花はこの場所に留まると言って聞かなかった。

「私がちゃんとお留守番してるから、大丈夫。私がいなくなったら、ここに誰もいなくなっちゃうじゃん」

「でも」

 携帯電話をぎゅっと握りしめ、言い淀む仁に、受話器の向こうから葉花は柔らかな口調で言った。

「大丈夫大丈夫。白石くんは心配性だなぁ」

 彼女は笑っていた。葉花は自分に迫る危機を知らない。日常の裏で一体何が起こっているのか知る由もない。だからかもしれない、そんな彼女の屈託のない笑い声を耳にしているうち、だんだん、大丈夫なのではないか、という気持ちが仁の中で湧いてくるのが分かった。

 戦いは戦いで、日常は日常で。その日常が浸食されることなど、太陽が西から昇ることと同じくらいあり得ない。葉花の声にはそれを確固たるものとするくらいの、魔力があった。

 だが、その魔法は今、たちまちに消えて。

 現実が、鋭い爪を研ぎながら、顔を覗かせてしまった。

「葉花……!」

 声がなくなると同時に、赤い粒子も波が引くようになくなっていった。いくら叫ぼうが、問おうが、声は返ってこない。最も重要なことさえ、声は聞かせてくれなかった。

 葉花が今、一体どこにいるのだろう。留守番をしていると言ったが、どこかに連れ去られ、軟禁されている可能性のほうがおそらく高い。

マスカレイダーズの狙いは分かっていた。このタイミングで敵に情報を開示した目的はただ1つ。戦力の分断だ。葉花を救いだすため、誰かが動けば、その分この戦場での戦力は弱体化する。もとより、互いの個々の戦力にそれほど差があるとは思えない。そうなれば、動員数の差だけ戦況はマスカレイダーズの有利に傾くだろう。

 いまは発生させた霧によってアジトを隠せてはいるものの、この状態がいつまで持つのか、仁は半信半疑だった。だからこそ、一刻も早くマスカレイダーズの進行を止めなくてはならない。ここで、1人でも欠けるわけにはいかなかった。

 葉花と、組織とを天秤にかける。どちらが自分にとって重要なのか、どちらが上に掲げられるのか、心の底の平坦な場所で審議する。数日前であったら、判断するまでもなく、間違いなく葉花の命を持つ腕の方が下に沈んでいたことだろう。

 だが、今、その天秤はゆらりゆらりと波を打つように揺れている状態にあった。葉花も、仲間も、捨てることはできない。どちらも仁にとっては、かけがえのないもので、同じくらい大切なものだった。

 どんと、地を揺らすような衝撃音が響いたため、そちらを見やる。すると土煙を隆々とあげて地上から飛びあがる小さな影が、S.アルム目がけ突っ込んでいくのがみえた。光の翼をはためかせながら接近するそのシルエットは、先ほどS.アルムの攻撃によって地上に沈んだはずのダンテだった。

 突然のことに、S.アルムは明らかに反応が遅れていた。槍を突きだそうとするが、その前にダンテの拳がその胸部に叩きこまれている。そして続けざまにダンテの全身から発散された光が霧を覆いつくし、その強烈な輝きの中に2人の姿はかき消されていった。

 S.アルムも必死に目の前の敵を薙ぎ払おうと尽力している。キャンサーやケフェクスも今頃、他のマスカレイダーズと交戦していることだろう。

 そして先ほどから姿を見せないあきらもまた、戦禍に身を投じているに違いなかった。そうでなくとも彼女はこの組織のリーダーであり、最後の砦である。彼女がこの場から離れることは、少なからず情況の混乱を生むに違いなく、あまり望ましいことではないはずだった。

 ならば、仁のやるべきことはただ1つしかない。

仁は乾いた足音を聞きつけ、前方に顔を戻した。そこには霧に巻かれながら両肩のバインダーを開き、そこに覗いた砲口をこちらに突きつけるアークの姿があった。

 アークを倒す。

この世界大統領を名乗る男と戦い、打ち勝つ他に方法はない。

できる、できないの問題ではなかった。やらなければ、この男に勝たなければ葉花を守ることはできない。

 仁は歯を食いしばった。腹部の石板をバックルから外し、手に取る。それを力強く握りしめ、掌中で、巨大な金槌へと変化させた。

「僕には時間がないんだ」

 金槌を掴み、土の上に円を描くように引きずる。そしてV.トールは、すでに臨戦体勢をとっているアークを力強く睨んだ。

「倒させてもらう。どんな手を使ってでも」

「やってみるがいい。言っておくが、この私は一筋縄ではいかないぞ、ミスターイカロス。貴様のような輩に、神に等しきこの私を倒せるか!」

「倒せなきゃ、守れないじゃないか! だから僕は」

 V.トールは金槌を地上から浮かせると、つま先で地を蹴った。一息に駆け、そしてアークの目前まで接近する。金槌を、全身を使って振り回し、打ち降ろした。

「もう、躊躇は、しない!」

「面白い! この私を地べたに這いつくばらせてみるがいい!」

 アークは仮面の奥で笑いをたてると、至近距離で肩のキャノンから光弾を撃ち放った。V.トールは構わず胸でそれを受け止めると、まったくひるむことなく金槌を叩きつけ、アークの右肩のバインダーを一撃で粉砕した。


17話 完

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