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13話「それが私のお母さん(後篇)」

魔物の話 26

 しばらく前から不穏な空気を感じてはいた。

 明確なものを察していたわけではない。それでも誰かに後をつけられ、物陰から視線を突き付けられているような感覚があった。皮膚の内側まで沁み入ってくるような眼差しに、レイは鳥肌をたてながら腕をさすって歩く。気がつけば手首に巻かれた探知機を、お守りのように撫でていた。

 トラックの振動にも大分耐えられるようになってきたので、表の歩道を悠々と歩いた。東京の町は今日も混み合っている。つい先ほど『しろうま』に攻め入ってきた怪人、"グリフィン"の前例があるので一概にはいえないが、おそらく人目につく場所で怪人が襲いかかって来るようなケースは稀有だろう。

 レイは久々に気の休まる思いで、人混みの中を進んでいく。直射日光と密集した人々の体温で暑苦しく、また右から吹き抜ける風も強くて、とてもじゃないが快適な環境とは言い難い。しかしそれでも、日常の中に溶け込むこの瞬間を、レイは大事に胸の中で抱くようにする。店の前のウィンドウに映り込む、制服姿の自分を見つけると思わず口元が緩んだ。人々のすき間から入り込んだ平穏の風が、髪を掬いあげて去っていく。町はこんなにも静かだったのか、と騒音を耳にしながらも感じた。

 しかしそんなレイにとっての平穏な情景が覆されたのは、病院の前まで来た時だった。人の波から外れ、狭い路地をしばらく歩くと、そこに病院の広い駐車場が見えてくる。偶然だろうが、そこに人の姿はまったくなかった。ただ色とりどりの車が、静かにひしめている。

 珍しいこともあるものだと特に気にかけることもなく、駐車場を突っ切って、病院の玄関に向かおうとした。その時だった。気配を感じて振り返ると、空を切る音が耳に届き、それとほぼ同時にレイの足元に黒い鳥の羽が突き刺さった。

 さらに続けて、レイの背後に停車している白いセダンの窓ガラスにも刺さった。どこからこれが飛んできたのか、慌てて周囲を見回すが相変わらず人の気配はない。頭の中の怪人センサーも特に反応を示してはいない。

 するとまた背後から羽が飛んできた。肌の粟立ちに引きずられるようにして、素早く首を捻る。それは病院の玄関のある方角だった。やはり、そこには何者の姿もない。予想外の方向から来た攻撃だったので、反応がわずかに遅れた。回避行動が間に合わないことは、乱れなく一直線に飛び込んでくる羽を視界に認めた瞬間から、分かっていた。

「レイちゃん!」

 少年の声が鼓膜を震わせた。そしてそちらに目を運ぶ前に、レイは横に押し倒されていた。羽がつい数コンマ前までレイの体があった空間を削ぎ、アスファルトの地面に突き刺さる。

「レイちゃん、大丈夫?」

 尻もちをついたレイの前で、逆光を背に浴びながら起き上がる影。それは強張った表情の佑だった。

「お兄さん」

「危ないところだった。窓から姿が見えたからさ。降りてきてみたら、まさかこんなことになってるなんてな」

 当惑した様子で話す佑の説明を聞きながら、レイは身を起こした。スカートをはたきながら、彼と向き合う。

「ありがとうございます。またお兄さんに助けられましたね」

「悪運があるだけだよ。それに俺ができるのはその場限りの解決だけなんだ。俺は何もしていない」

「そんなことないです。って何回言わせるんですか。少なくとも私はお兄さんに助けられて、凄く救われてます。今だって……」

 レイは自分に放られた3本の鳥の羽を見回す。佑という部外者が現れたためか、攻撃の手はぴたりと止んでいた。相変わらず何の気配もなく、何の意思も感じられないことがどうしようもなく不気味だった。アスファルトに刺さった1本に、触れてみる。特に力を入れたわけでもなく、それはケーキに刺さった蝋燭のように、すんなりと抜けた。レイは怪しげな光沢を振りまくその羽をしばし見つめた後で、それをスカートのポケットに入れた。

「とりあえず、病院の中に入りましょう。ここにいたら、お兄さんも危ないです」

 レイは佑の肩を掴んで強制的に回れ右をさせると、前屈みの姿勢でその背中を玄関に押しやった。佑は僅かに眉を上げると、笑みを零した。

「ああ。そうだな。悠も待ってるよ。早く病室に行こう」

 どこか疲れきっている彼の声に、レイは違和感を覚えた。不安が胸の中でざわめいている。肺を鷲掴みにされ軽く握られているような感覚が走る。途端に息苦しくなり、軽く咳き込んだ。

「どうしたレイちゃん。……まさか、今のでどっか怪我でもした? 大丈夫?」

 レイの怪訝そうな顔を不審に思ったのか、佑が小首を傾げる。レイはすぐに動揺を顔から消し、佑の腕を掴んだ。

「なんてことないです。へっちゃらです。ミミゴンです。とにかく早く行きましょう。早くしないと悠が狼に食べられちゃいますよ」

 捲し立てるように言って、戸惑う佑を引っ張っていく。体の内側に押し寄せるこの重みは、先ほどよりもその重量を増しているように思えた。それを悟られないように、隠すように、レイは無表情でずんずんと玄関へと歩を進めていく。

 駐車場の静けさが嘘のように、院内は混雑していた。待合室のソファーはいっぱいで、廊下を患者や見舞いに来た人々、看護師や医師が慌ただしく動き回っている。怪人を相手取るマスカレイダーズと同じように、病院にも夏休みは訪れない。外とは異なる時間、異なる季節が巡っているかのような違和感がこの白亜の建物の中には確かにあった。

 玄関をくぐって間もなく、駐車場の時とは逆にレイは佑の背中を見ていた。中に入ってから一言もまだ会話を交わしてはいない。佑の背中からは物を言わせぬ、一種の脅迫めいた迫力が放出されているようで、なかなか口火を切ることができなかった。

 しかしこのまま縦に並んだ状態で、黙り込んだままなのも、やはり気まずい。レイは意を決しエレベーター乗り場に歩みゆく佑に小走りで近くと、声をかけた。

「お兄さん。私、ゴンザレスさんに言われてここに来たんですけど」

「……ゴンザレスさんに?」

 佑は足を止めぬまま首だけでレイを振り返ると、眉をひそめた。意外、というよりも不服そうな反応だった。

「マスカレイダーズに入れたそうですね。おめでとうございます。正直、あんな簡単にゴンザレスさんが許可するとは思わなかったです」

「うん。こっちこそ、ありがとう。入れたのはレイちゃんのおかげだよ。これで俺は、悠もレイちゃんも守れる。安心したよ。もうこれで自分の非力さに悩む必要なんてないんだなーって思うとさ。なんつーか、晴れ晴れとしてる」

 しかし言葉とは裏腹に、佑の表情には少しも安堵の色がみられなかった。むしろゴンザレスと出会う前よりも、暗澹とした影がその濃度を増しているように思える。本当に佑にゴンザレスを紹介したのは、正解だったのだろうか。レイは胸にちくりとした痛みを覚えた。

「ゴンザレスさんと知り合いだったのは、びっくりしました。着ぐるみの友達なんて、なかなかいないですよ。むしろいらないですよ」

 胸を片手で軽く押さえながら言葉を紡ぐ。そうしていないと佑の輪郭が霞んでいってしまいそうだった。このイメージの覚束なさはなんなのだろうと、自分のことなのに心底不思議に思う。

「3年前」

 前を向いたまま、佑ははっきりと通る声で言った。あまりに唐突で、しかも周囲のざわめきにさらわれてしまいそうなほど覇気のない声だったので、レイは思わず「え?」と問い返した。

 佑はレイを振り返り、わずかにはにかむと、再び前に向き直った。

「3年前にさ。悠が誘拐されそうになったんだよ。車に連れ込まれそうになったんだ。今でもそのときの光景を想像するとゾッとするし、一歩間違えれば……って思うだけで夜も眠れなくなる」

 その話なら知っている。レイは頷いた。悠の口から聞かされ、佑にもその詳細を尋ねた覚えがある。車の中に引き込まれかけた悠を、佑は命がけで救ったのだ。ちょうど先ほど、レイを羽からかばったのと同じように。佑は他者のために自らを犠牲にできる人間だった。

「その時に俺、見たんだ。その犯人に、鳥みたいな刺青があるのを。悠を引きこもうとした奴の方じゃない。あの時、車の助手席に、もう1人男がいたんだ。そいつの体に、それがあったんだよ」

「それ?」

「タトゥーだよ。この、胸のところに。随分とはっきりしてて、しかも珍しい形だったから凄く覚えてる」

 佑は自分の鎖骨のあたりを、指先で軽く引っ掻くようにした。おそらく彼が目撃したのは怪人を生み出している白衣の男ではないかとレイは予測した。タトゥーというのはもちろん、黒城や二条、橘看護師にも刻まれていた黒い鳥の痣。スティグマの証のことを指している。

「でも、そんなちっぽけなもん。犯人逮捕に繋げるには難しいだろ? 実際警察にも言ったけど、あまり捜査の参考にはならないみたいだった。それで俺は途方に暮れて、何もできない自分が悔しくて……そんな時、出会ったんだ」

 ゴンザレスに。佑は背を向けていたが、レイはその名を呟いた時の彼の口の動きまではっきりと見て取れたような気がした。それほど明瞭な、輪郭を伴った声だった。

「そうなんですか」

 どう応じるべきか分からず、レイは適当に相槌を打つ。3年前に起こった出来事の全貌が、佑自身の口から暴かれようとしていることに微かな緊張を覚えていた。

「出会っちゃったんですか」

「ああ。それで、俺は……」

 佑は足を止めた。気付けばエレベーター乗り場に到着していた。彼は壁のボタンに指を伸ばしかけたが、階数表示を見上げると、「やっぱり階段で行こうか」と提案してきた。

 ここまできて、とは思ったが、反対はしなかった。二つ返事で了承し、階段に向けて再び歩き出す。相変わらず縦一列。互いに互いの顔を見ずとも話を交わすことのできる陣形のままだった。

 陽の当らない階段には、人の姿はなかった。2人分の足音だけがリノリウム製の床に反響していく。最初の踊り場にたどり着いた時、突然、佑がはたと立ち止まった。レイはたたらを踏みながら、何とか己の体を制止させる。顔をあげると、振り返った佑が真っすぐにこちらを見つめていた。

「レイちゃん」

「な、なんですか?」

 その揺らぎのない視線にレイは動揺する。思わず視線を逸らし、それから恐る恐る顔を上げて彼と目を合わせた。

「あの怪人は、悠を襲おうとしてる悪い奴なんだよな。俺たちはあいつを倒さなきゃいけないんだよな?」

 それは尋ねているというよりは、確認をしているかのような口調だった。その問いの真意が読めず、レイはしばらく彼の顔をぽかんと見つめる。佑はそんなレイの両肩に手を置くと、顔を近づけ、切迫した様子でさらに言った。

「頼む。答えてくれ。あいつは、悠の病室から逃げたあの怪人は、敵なんだよな」

「お兄さん?」

「あいつを、倒さなきゃ、悠が危ないんだよな? そうなんだよな?」

 レイに詰め寄る佑の声は悲観的なものが含まれていた。いきなりの豹変に、レイは慄然としたものを覚える。そして彼から身を引きながら、こくんと顎を引いた。

「はい。です。と、思いますけど……」

「……そうか、ありがとう」

 佑は答えを聞くと、レイからあっさりと離れた。その表情は憑き物が落ちたかのように、若干、影が薄れているように見えた。

「レイちゃんに話して良かった。ちょっと、楽になった。そうだよな。あいつは敵、なんだよな。倒さなきゃ、いけないんだ」

 自分を納得するように独りごちる彼を見ながら、レイは自分の心臓が激しく脈打っていることに気付いた。この胸の奥の高鳴りの正体が分からず、この場から動くことすらままならない。目の前に立つ佑がどうにも遠く感じるのは、ただの気のせいなのだろうか。その蜃気楼のような佑が唇を離し、そっと言葉を発する。

「そういえば今日の夜、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど、いい?」

「手伝って、欲しいこと?」

「悠を、救わなくちゃいけないんだ。頼む」

 自分を見つめる佑の眼差しに黒く滲んだものを見つけて、レイはまたも身を竦ませる。今、目の前に立っているのは本当に佑なのか、わけがわからなくなる。そして気付いた。悠が言っていた3年前の"怖い佑"とはこの姿のことを指していたのではないか。

「レイちゃんに、側にいて欲しいんだ。俺だけじゃ多分、揺らぐから。見てて欲しいんだよ」

 誰もいない階段。目の前で佑が手を合わせている。レイはその弱弱しくも、力強い雰囲気を振りかざす彼の姿に、違和感を拭うことができない。

「そんな。私がいても、多分、大して役には立てませんよ」

「そんなことない。俺はレイちゃんにいろんな意味で何度も助けられてる。もし今、俺が1人だったら多分へこんで、何もできないで、おろおろするだけだったと思う。ここまで冷静でいられるのはきっとレイちゃんのおかげなんだよ。だから、頼む。多分迷惑はかけないから。悠が一時退院する前に、どうしても決着をつけたいんだ」

 そこまで言われたなら断るわけにもいかない。レイは吐息を、湿った階段の空気に浮かばせる。それに佑とゴンザレスを引き合わせてしまった選択は本当に正しかったのか、それを見届ける責任が自分にはあると思った。華永あきらのことは気にかかるが、あの件については、秋護に一存するほかないだろう。自分は自分の仕事に、取り組むだけだ。

「分かりました。何時ですか? 女の子を夜中に呼びだすんだから、あとでそれなりの見返りを期待してますよ」

「……ありがとう。礼は、必ずするよ」

 レイの返答に佑は表情を綻ばせた。それが今日初めて見た佑の笑顔であることに、今更ながら気付く。それを前にした瞬間、胸の中に陽だまりが落ちたような、驚くほどの温かさが全身を伝うのを感じた。




鳥の話 27

 仁がケフェクスに連れて行かれたのは、教会からは少し距離のある、しかし町はずれであることには変わりのない灰色の建物だった。プレゼント箱のような立方体の外観をしている。倉庫かもしれない、とその無骨な様相を見上げながら見当をつける。周囲にも同じような形をした建物が並んでいたが、そのどれからも人の気配は皆無だった。

 建物には南京錠で施錠のしてある緑色のドアが見える。しかしケフェクスはそのドアには寄りつかず、建物のすぐ脇に置かれた下り階段に足をかけた。どうやら地下にいくらしい。いまだV.トールに姿を変えたままの仁は、1人で歩けるようにはなったものの先ほどから黙りこくったままのS.アルムと目配せし合うと、意を決してその階段を下っていった。

 階段を降り終えると、赤銅色のドアが待ち構えていた。ケフェクスは難なくドアノブを捻り、押し開ける。V.トールとS.アルムもその後に続いた。

 室内は薄暗く、しかも非常に埃っぽかった。むわっとした暑さが皮膚を蝕むようだ。四方はなにも乗せられていない棚で囲まれ、そこにロープの詰め込まれた大きな袋や、救命用の浮き輪や、農作業に用いるのであろう機械が立てかけられていた。

 錆びた鍬と、座る部分の破れた椅子に挟まれるようにして置かれている、奇妙な物体に目が止まる。それは石像だった。おそらく4,5歳くらいの小さな女の子を象ったものだろう。頭にはベレー帽のようなものも被せられていて、芸が細かい。

 石像の女の子は柔らかな、それこそつきたての餅のような笑みを浮かべていた。まるで今にも動きだしそうなその迫力に、仁は心を奪われる。芸術に詳しいわけではないが、これまで公園等で見てきた石像とは一線を介する、不思議な魅力がその女の子の象からは溢れているようだった。

 足元を見やれば、灰色の床のところどころに金の模様が塗りたくられていた。金色のスプレーを適当に吹いたように、掴みどころがない模様だ。法則性も何もあったものではなく、その色は壁や天井にまであちこちに飛散していた。

「悪いが、ここには電気が通ってなくてね。でも2人なら見えるだろ? もし不自由があるなら蝋燭を灯すが」

 確かに人間の目なら1メートル先も視認できない暗闇の中でも、V.トールとしての目ならばまるで暗視ゴーグル越しに見る景色のように、隅々まで鮮明に把握することができる。事実、採光もされておらず照明も見当たらないにも関わらず、室内の様子やケフェクス、S.アルムの姿をはっきりと見ることができていた。

「何とか、大丈夫みたい。見える見える」

「俺も、大丈夫だ」

 2人で答えると、ケフェクスは満足そうに頷いた。そして部屋の中央に置かれたビリヤード台に飛び乗る。両肩から伸びる2つの馬の足が衝撃にぶらぶらと揺れた。

「ここは最近見つけた秘密基地でね。まだ片付けが済んでないのは、許してくれ。結構そこら中埃っぽい」

「秘密基地なんて、ずいぶんワクワクする響きだね」

「男なら心踊るよな。当然、この建物の持ち主に許可は取っていないが、どうも長年使われていた形跡がないんで、勝手に利用させてもらってるってわけだ」

 室内を見回しながら、どこか自慢げに話すケフェクスに、仁は会話を合わせた。

「ま、許しをもらって作っちゃ秘密じゃないもんね。確かに人によっちゃ犯罪だっていうかもしれないけど。僕は夢があって、こういうのもアリだと思うな。誰にも迷惑かけてないしね」

「なかなか分かるクチじゃないか。えーと」

「トール――こっちは、アルム。一応そう名乗っておくよ。僕も小学生の時によく友達と、林の中とかで秘密基地をよく作ったもんだからね。共感する」

 ケフェクスと何気ない話に花を咲かせながら、ちらりと隣を窺うと、S.アルムは憮然とした表情で部屋を眺めまわしていた。女の子の石像に目が向かうと、すぐに汚いものを見てしまったかのように視線を別の方角に逸らす。彼の子ども嫌いというのは、よほど重度のようだ。

 ケフェクスは所在なさげにしているS.アルムに気がつくと、彼を指差し、申し訳なさそうに言った。

「アルム、だっけ。どうやらうちの兄上が失礼なことをしたらしいな。兄の無礼は弟の無礼。代わりに謝らせて欲しい。兄上はロリコンで変態でいつもご乱心だが、けして悪い人ではないんだ」

 彼の提示した特徴と、戦闘中の会話内容から導き出すに、兄上とはあの装甲服を纏った怪人、"キャンサー"のことを指しているらしかった。S.アルムは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ケフェクスの側に寄った。

「お前がいくら謝ろうとも、何の解決にもならないし、奴のイメージが変わるわけじゃない。奴に頭を下げさせろ。そうしたら許しはしないが、見る目を変えてやってもいい」

 ケフェクスの横に立ち、前を向いたまま、ドスの利いた声で彼は言う。ケフェクスは苦笑を漏らした後で、横目でS.アルムを見やった。

「一応頼んではみるが、もしそれで事態が変わらなくても俺のせいじゃない。多分兄上は、絶対に下手には出ないだろうけどな。妥協せず、屈せず、惑わされず。兄上はそういう奴だ」

「へぇ。ま。なら、交渉決裂だな」

 2人の剣呑とした気配漂う会話の応酬を遠目に眺めながら、V.トールは何気なく視線を奥のほうに向けた。ケフェクスの背後、ビリヤード台の向こうに、壁際に寄せられた低い長テーブルが見える。その上に、何やら黒い塊が置かれているのを仁は発見した。目を凝らし、その正体が分かると、思わず声を上げていた。

 それは人間だった。顔も手足も胴体も、包帯でぐるぐる巻きにされている。包帯の上からは薄汚いえんじ色のダウンジャケットが着せられていた。横になり、ぴくりとも動かないその人物に生気はまったく感じられなかったが、死んでいるとも思えなかった。その身にうっすらと浮き上がる魂の形が、視界に敷かれたバイザー越しに見えてくるかのようだった。

「あれは俺の父上だ」

 V.トールが一体何に気がついたのか、その正体を察したらしいケフェクスが、空気にずしりとのしかかるような声を発した。

「俺を作った男だよ。俺たち怪人は、血が繋がっていなくても生み出してくれた人間を、親と呼ぶ。なんかよくわからないけど、そうなってるんだ」

「お前ら怪人を作ってるのは、黒い鳥だと聞いたが?」

 怪訝な語調でS.アルムが問いかける。V.トールも彼の疑問に同調する意味で頷いた。黒い鳥は怪人を作り出している魔鳥。現在、その行方は分かっていない。あきらからは、そう説明を受けていた。

「黒い鳥。確かにあれも俺たちを生み出した、いわば創造主だ」

 創造主、とは随分大きく出たなと仁は思った。怪人を生み出す源。黄金の鳥をベースにして製造された人為的な存在。それが黒い鳥、であるはずだ。

「だが怪人は黒い鳥だけでは生まれない。人間の、親が必要だ。もっと深く入り込んだことを言うなら、人の欲望が不可欠なんだ。鳥と人、その2つがあって初めて怪人はこの世に生を受ける」

「それは初耳だね。つまり、黒い鳥とそこにいる男の人。その2つの要素が噛みあって、君は生み出されたってわけかい? 君だけじゃない。怪人はみんな、そうやって生まれた」

 仁は彼の話を眉に唾を塗って聞きながら、自分なりに要約する。包帯に巻かれて死にかけている男に目を向けていたS.アルムはケフェクスを振り返ると、彼を睨みながら口を開いた。

「つまり、その男は黒い鳥がどこにあるか知ってる……怪人の創造主、ってことか。やったな。これでもう、俺たちは怪人をひたすら倒して運ぶ作業に従事しなくてもいいってわけだ」

 S.アルムは素早く背中から槍を引き抜くと、片手でくるりと回転させ、その切っ先をケフェクスの顎に押し当てた。そしてゆっくりと首を傾けながら冷酷な視線で、彼を射抜く。対抗する隙さえ与えない。流れるような動作だった。

「さあ。そうと分かれば教えてもらおうか。黒い鳥はどこだ。俺にとっちゃあ、割とどうでもいいが、ボスが求めているんでね。力をくれた恩義もある。できれば、あの人の喜ぶ顔がみたい。さぁ、情報をよこせ。さぁ、さぁ!」

 ケフェクスは武器を間近で突き付けられながらも、特に動揺する素振りはみせなかった。ただ視線を上げ、S.アルムをじっと見つめた後で、馬の口を開いた。

「俺の知っている限りだが、情報なら後で渡そう。包み隠さず、提供する心積もりだ」

「後で? 信用ならないな。今教えろよ。状況は2対1。お前が圧倒的に不利なんだぜ?」

「まずは話を聞け。俺たちはお前らに、仲間に加えてくれと頼んだ。だがそれは、単なる見返りだ。その本音、真意は、お前たちと取引がしたいんだ」

「取引?」

 その言葉がどうにも引っ掛かり、V.トールはビリヤード台に寄った。そしてケフェクスに切っ先の向けられた、その槍の半ばあたりを横合いから掴んだ。S.アルムがぎょっとした顔でこちらを見てくる。

「ちょっと彼の話を聞いてみようよ。どうせ形勢はこちらのほうが有利なんだ。少し会話を交わすくらい、どうってことないだろ?」

「だけど、それは……」

「それに僕はそんなに血気盛んな君を見たくない。君のいいところは、冷静で優しいところだ。落ち着いている君の方が、僕は好きだな」

 仲間からの無粋な横やりに渋っていたS.アルムだったが、仁の言葉にその態度は急変した。照れくさそうに俯くと、「お前がそう言うなら……」と槍を背中に戻し、もじもじしながら後退した。何となく菜原の扱い方が分かってきたことに、罪の意識と快感を覚えながらV.トールはケフェクスの前に立った。ケフェクスはV.トールを見上げると、小さな笑みを零した。

「どうにも助けてもらったみたいで。かたじけない」

「いいよ。戦いの途中、僕だって助けてもらったんだ。それに単純に君の話を聞きたいってのもあるしね」

 ケフェクスはもう1度嬉しそうに笑うと、そこからすぐに表情を引き締め、背後に視線をやった。目線だけで包帯の男を示す。

「俺たちの望みは、あの男を保護して欲しい。それだけだ」

「保護、だと?」

 S.アルムが不思議そうに彼の言葉を訊き返す。V.トールも「保護?」と思わず首を傾げた。

「御覧の通り、あの男は訳あって死にかけている。ここにはロクな医療設備もないしな。かといって俺たちはそうやすやすと医者にかかれる立場でもない。だから、お前たちに頼みたいんだ。願わくば、あの男の治療。それが無理なら、居場所を確保してくれるだけでもいい」

 ケフェクスは喋りながら1つ大きな咳ばらいを零した。さらに苦しげに胸を撫でる。大きな亀裂の走った傷口が痛むのかもしれない。彼は2,3度大きく息を吸い込み、呼吸を整えてから話を続けた。

「もちろん、これは取引だ。俺たちはお前たちのために戦うし、いかなる命令にも従おう。さっき言ったように、質問にも何1つ包み隠さず答える。それと……」

 そこでケフェクスは腕を腰のあたりに回した。再び取り出した手には、先ほどキャンサーが持っていたのと似たような、厚みのある板と、携帯電話の画面と同サイズの鏡が握られていた。鏡は束になっている。彼はその2つをビリヤード台の上に載せた。

「装甲服のプレートと、怪人を収納してある鏡だ。どちらもお前らに献上しよう。妙な仕掛けがないか、いくらでも調べてもらって構わない。これで、俺たちの提示できるものは全て明かしたはずだ」

 V.トールは板を手に取った。ずしりとした重みが掌に伝わる。色は銀で、その表面には『2』という数字と羽のマークが刻まれていた。鏡の束の方を手に取ったS.アルムも驚愕を表情全体で表し、それから「これは間違いない」とでも言うように、こちらに向かって頷きを返してきた。

「足りないものがあれば、言ってくれ。できるだけ融通しよう。だが、必ずこの男を助けてやってくれ。それが俺たち兄弟の願いなんだ」

 顔の前で手を合わせるケフェクス。その切実な様子を前に、仁はただ鼻白む。心の整理がつかず、S.アルムに助けを求めると、彼は鏡の束を羽に隠しながら毅然とした声で言った。

「なぜその男のことをそこまで。お前にとってそいつは命を賭し、身ぐるみ剥がされてまで救うべき人間なのか? お前はしょせん、怪人だろうが。化け物がなぜ、人に感情を入れこむ」

 V.トールもケフェクスを見た。彼が何と答えるのか純粋に興味があった。仁の中ではいまだ、"怪人"というのは掴みどころのなく、また触れるのも躊躇する、いわば魑魅魍魎の一種であり人間と怪人の間に愛情や執着があるという話は、なかなかに想像し難いものだった。

 しかし、怪人の作られ方について少し訊かされた今なら、何となく分かる。あの包帯の男は、黒い鳥を用いてケフェクスを作り出した人間なのだろう。だから、あの男は彼にとって、まさしく親なのだ。

 ケフェクスは少しの間だけ俯き、その後で目線を上げた。

「親だからな」

 諦め半分、しかし、大きな情愛の込められた声だった。そこから感じ取れるのは間違いなく、子から親に対する無条件の愛。生まれたときから知らず知らずのうちに抱いている、家族の繋がりだった。

「確かにこの男は人間の屑だ。強いものにはへつらい、弱いものには厳しくあたり、己の利益しか考えない。そういう男だ。だが、そんな奴でも親は親だ。俺たちはこの世に生を受けた瞬間から、この男を命がけで救う義務がある」

 仁は彼の言葉に、葉花の父親の姿を思い出していた。どういう理由があったのか未だに分からないが、彼は葉花を身勝手な理由で作り、そして捨てた。彼よりもこの馬型怪人のほうがまだ立派ではないか、と仁は胸を打たれる思いだった。怪人よりも酷い人間は、きっとこの世界に掃いて捨てるほどいる。

「だから俺は、自分を犠牲にしてもこの男を救いたい。特にこれといった理由はない。それだけだ。親だから、救うんだ」

 喉の奥から絞り出したようなその声を聞くうち、仁はケフェクスの要求を呑んでもいいのではないかと思い始めていた。罠かもしれないし、彼の話は嘘かもしれない。怪人が人間の親、というのもなんだか違和感が拭えない話でもある。だがそれでも、彼の思いを信じてみる値打ちはあるように思えた。

「家族か」

 S.アルムはV.トールの隣に立つと、正面からケフェクスを見た。そして笑いを噛み殺したような顔をしながら、落ち着かない様子で頭の後ろを鉤爪のような指先で掻く。

「その言葉を出されると、弱いな。俺の数少ないウィークポイントってやつだ。狙ってやったなら、お前は相当な策士だな」

「……受けてくれるか?」

 ケフェクスの声色に期待の火が灯る。S.アルムは腕組をし、彼を睨みつけた。

「いや。俺たちだけじゃ判断はできない。ボスに聞いてみるから、ちょっと待ってるんだな。お前はここに残って、こいつを監視してろ。外で電話、かけてくる」

「うん。分かった」

 S.アルムはV.トールにそう言い残すと、踵を返し、一秒でもこの場にいたくないとでも言うように、早足でドアに向かっていった。ケフェクスは頬を緩めると、今にも外に出て行きかける彼の背中に声を投げた。

「恩に切る。……そういえばお前、マスカレイダーの奴らに恨みがありそうだったな」

 S.アルムの足が止まった。ドアノブを掴んだ姿勢で、首だけで振り返るその横顔は凍りついている。ケフェクスは背中から赤い物体、パッケージに入ったカニかまを取り出しながらさらに言葉を続けた。

「あいつらと戦うお前からは、怒りとか憎しみとか、そういう負の感情が見えた。……家族と、関係があるのか?」

 V.トールはカニかまを渡された。あ、どうもと口には出すが、何の前触れもなく渡されたその練りものをどうするべきか少し悩む。しかしそんなくだらない煩悶は、S.アルムの言葉で簡単に打ち砕かれた。

「俺の弟はマスカレイダーズに殺された。……6年前のことだ。俺に家族のことはもう聞くな。この要求を呑んでほしいんだったらな」

 久々に聞いた、S.アルムの、菜原の憤怒を孕んだ声。その迫力に思わず仁はカニかまをとり落した。しかしすかさず、ケフェクスが別のカニかまをその手に渡してくれる。そのあまりに迅速な行動に断る気も失せた。

 それに仁の意識は完全に、菜原のセリフに向けられていた。交差点でのやり取りが思い起こされる。お前は俺の弟に似ているんだ。彼は喧噪に紛れてしまいそうな声で、そう言っていた。まさかその弟がすでにこの世にいないとは、考えもしなかった。

「そりゃ悪かった。以後気をつけよう。お前もカニかま、いるか?」

 彼が頭を下げると、S.アルムはふんと鼻を鳴らしドアの外に消えていった。彼がこの空間にいなくなったことで、ようやく仁の時間が動き出す。それでもなんだか、彼のセリフに現実味を見いだせずにいた。

「6年前か」

 ケフェクスが感慨深そうに呟く。仁も心の中で6年前、と呟いていた。6年前、2004年。それは仁にとっても忘れられない年だ。火炎が人々を舐めつくした日。大量の瓦礫が人々を押しつぶした日。充満した煙が、叫び声や罵声が、肉の焼ける匂いが、五感に蘇ってくる。

 駅の前に置かれた石碑を見上げる菜原の、寂しそうな後姿がそのイメージに重なる。2004年は仁にとって大きな転機となった年でもあった。

 "新宿の事件"――マスカレイダーズと彼の弟の死とが、その事件と関係があると決まったわけではない。しかしそれでも仁は、4年前という時代に込められた、偶然では済まされない共通の不吉なイメージに寒気を覚えた。




鎧の話 25

 直也と青年はバイクで並んで、片側二車線の道路を走っていた。都心から離れ、駅からも遠いこの辺りの道は日中でも比較的空いていた。目の前の信号が赤に変わる。ブレーキをかけ、停車した隙をついて、直也は隣の車線に停まる青年に質問をぶつけた。

「そういや、お前の名前、なんていうんだよ。聞いてなかったのを、思いだした」

「本当に今更だなー」

 ヘルメットのバイザーごしに彼は笑う。その後で、自分自身の鼻のあたりを指差した。

「俺は藍沢秋護。あきをまもるで、しゅうご。どうだ、かっけぇだろ」

「……あぁ、そうだな。あ、俺の名前は」

 名を答えてくれたなら、こちらも教えるのが礼儀だろう。しかし自己紹介しようとする直也を、秋護の声は素早く制した。

「あー、いい、いい。あんたはオウガの人だ。それでいいだろ。なんかそのほうが、未知との遭遇をした感じで、気分がいいんだ」

「なんだそれ。人を勝手に宇宙人にすんなよ」

「ま、いいだろ。人生を面白おかしくするのはさ、なんだかんだ言っても自分自身なんだよ。あんたは俺の中で謎の存在でい続けてくれればいいんだ。そのほうが面白いから」

 信号が青になる。車が滑るように動き出す。直也もブレーキを緩め、クラッチを入れながら、周囲の流れに取り残されぬようバイクを発進させた。秋護も後に続く。

 大きな道路から逸れ、一車線の裏通りに入る。白いワゴン車とすれ違い、速度を落として秋護のバイクを先に行かせた。その後にぴったりと張り付きながらしばらく行くと、3、4台停めたらそれだけでいっぱいになってしまいそうな、小規模な駐車場を構えたラーメン屋に突き当たった。その脇に、車は無理でも徒歩か二輪ならば何とか侵入できそうな、ひどく狭い路地が伸びている。その道をさらに進むと舗装のされていない、土がむき出しの場所にたどり着く。一切の水気がこの日照りと風でさらわれた、乾燥しきった地面が2人を迎えた。

 雑草がぼうぼうに茂り、家電や透明のゴミ袋など、そこかしこに不法投棄がばら撒かれているような場所だ。この道に出た瞬間、空気の色も匂いも一度に様変わりしたような気がする。日射しが当たらず、道全体がビルや家々の陰の中に置かれている。そのせいなのか不穏で、暗澹とした雰囲気が蔓延しているようだった。

 秋護の後を追いながら、直也はヘルメット越しに景色を眺めまわす。こんなところにあきらが本当にいるのだろうか、と不安になった。

 咲の死によって心を砕かれ、絶望の底にあった直也に救いの手を差し伸ばしてくれたあきら。その恩恵を一身に浴びた直後の自分であれば、この温和さや明快さとは無縁のこの地に彼女がいるはずはないと、こんな場所に連れてきた秋護に不審の目を向けていたことだろう。

 だが、今の自分は違う。あきらの人知れぬ過去もその暗闇も、覗き込み、足を踏み入れ、そして知ってしまった。こんなところだからこそ、あきらはいるだろう。そんな真逆の考えに図々しくも転換してしまっている自分が悲しく、情けない。だがここで向き合わなければ、おそらく彼女と正面から対話をする機会は一生訪れないような予感がした。そして、おそらくそれは、気のせいではない。

 あきらと出会えることを、直也の前に姿を見せてくれることを心の底から願って、祈って、乱雑するゴミの山の中に彼女の影を見つけようとする。周囲にくまなく目を光らせなければならないため必然的にスピードも落ち、反対にハンドルを握る手にはだんだんと力がこもっていく。

 空に3匹のカラスが過り、反射的にそちらを一瞥した、その時。突然前を走る秋護のバイクが停まった。直也も慌ててブレーキをかけ、目の細かい砂煙をあげながら彼の横に滑り込む。

 完全に2つの車体が動きを止め、エンジン音が穏やかになると、それだけでぎゅっと空気の濃度が上がったように感じられた。完全な静寂ではないのに、耳の奥がつんと痛むようだ。何か得体のしれないものが体にぴったりと張り付いているような違和感を覚える。

「おいおい。どうやらカノジョじゃなくて、別のやっかいなものが釣れちゃったみたいだ」

「別のやっかいなもの?」

 きょろきょろと周囲を窺う秋護の言葉に、直也もまた彼の視線を追う。その目は青々とした葉を茂らせる背の高い木のところで止まった。ここからの距離は目測でおそらく50メートル程。

「おい。もう、いることは分かってるんだ。かくれんぼは終わりにしようぜ」

 吹き抜ける強風で、のっぽの木はバサバサと大きな音をたてながら左右に激しく揺れている。その揺るぎの幅が最大までぶれた瞬間、その木から影が飛び立った。影は宙でくるりと一回転し、2人の前に着地する。

「お前は……」

 少しばかりの砂埃をたたせながら現れたのは、腕に赤い布を巻いたセーラー服姿の少女だった。先日、怪人に変貌して襲いかかってきた、その時の映像が脳裏にまざまざと蘇る。予告も何もない、唐突な登場に直也が息を呑んでいると、少女は無表情で乾いた拍手を送ってきた。

「まさか、ただの人間に見つかるなんて……。凄いですね。賞賛してあげましょうか?」

「俺の非現実センサーに引っ掛かったからな。お前、タダものじゃないな? というか多分、怪人だろ。どうだ! 俺の本能がそう告げている!」

 横に倒した手で、勢いよく少女を指し示す秋護。少女は抑揚のない声で、しかし今度は細い眉を上げた。

「ご名答。まさかこんなに早く正体がばれるなんて思いませんでした。そう、大正解。私は、怪人ですよ」

「お前、すげぇな……」

 直也は唖然とした思いで、隣の秋護を見やる。これで失敗したなら呆れるところだが、見事にその予想が的を射ていたからたちが悪い。一体この男は何者なのか、と直也は彼を二度見した。

 秋護は被っていたヘルメットを取ると、それをミラーに引っかけた。なぜか頭に巻いたバンダナも外し、それはハンドルに巻きつける。

 続けてジーンズのポケットをまさぐり、中からプレートを取り出した。色は銀。表面に印字されているのは羽のマークと『1』の数字。当たり前のことながら船見家の地下で見たものとそれは同じものだった。彼は直也に笑いかけると、それから少女に向けてなぜか得意げに言った。

「ま、怪人なら。戦う他ないよな。ちょっと痛いが、覚悟してくれよな」

「お前、俺をつけてきたんだろ。この前も警告って言ってたな。なんのためにそんなことをする。怪人に狙われるようなことをした覚えは、多分ないと思うんだけどな」

 嬉々とした表情をみせる秋護にうんざりとしながら、直也は少女に問いかけた。昨日の件と合わせてみるに、この怪人は明らかに直也を狙っている。しかし突然、怪人に目をつけられる理由に思い当たる節がない。死体の保存されている冷凍室を暴き、ファルスを攻撃したということが原因という線もあるが、その逆襲にやって来たというのはあまりに今更すぎる気がした。

 少女は風に長い黒髪をなびかせながら、困ったように頬を掻いた。

「教えない、というより、教えられないですね。これが私の使命だから。敵に自分の手の内を晒す馬鹿はいないでしょうに」

「……そうかよ」

 直也もヘルメットを取り、尻ポケットからプレートを抜き取った。表面に刻まれた『3』の数字が、太陽に光を反射して眩い輝きを放っている。その厚みのあるプレートを少女に向けて力いっぱいにかざした。

「なら、力づくで聞きだしてやる」

「……馬鹿な人たち。頭の悪い大人は、好きじゃなんですけど。まぁ、やろうっていうなら仕方ないですね」

 首を軽く傾げ、まったく感情のこもっていない声で少女は直也と秋護を嘲弄する。手を後ろに組んだ姿勢で、素知らぬ顔をみせる彼女は、どう見てもこちらを舐めきっていた。しかし秋護はそんな彼女の冷たい視線にも屈しない。プレートを天高く掲げ、意気揚々と叫ぶ。

「好きなだけ言ってろよ。いいか、中身は悪くてもな、いつだって俺たちの頭の中はワンダーランドなんだぜ!」

「俺は違うけど、とにかくいくぞ!」

 直也はミラーに、秋護はヘルメットのシールドに、それぞれ手に持ったプレートを叩きつける。一瞬の揺らめきのあと、反射物の表面から銀色の装甲が次々と飛び出してきた。交錯しながら宙を飛び交う2種類の装甲に巻かれながら、2人は各々の装甲服を身につける。

 顔面が覆われ、両手足が包み込まれ、胴体に最後のパーツがはめ込まれると、バイクにまたがったオウガとガンディがこの、湿り気とは無縁の荒れ地に誕生した。

 どちらともなく2人は呼吸を合わせ、共にアクセルを回転させる。唸り声のようなエンジン音が風の中に響いた。そしてクラッチを緩めながらバイクを発進させると、走らせながらその車体を力ずくで浮かせて、弾丸のように少女目がけて突っ込んでいった。

 オウガの乗る赤いボディと、ガンディのまたがるシルバーのボディが中空に二色の曲線を描きだす。低い放物線を辿り、2つのバイクが少女に首をもたげその身を食い千切ろうと迫る。

 しかし前輪が触れるかどうかというタイミングで、少女は怪人に変貌し、高く跳躍して突進をかわした。オウガとガンディはブレーキを踏みつつターンかけることでバイクを急停止させる。振り返った視界の中で先ほどまで2人のいた場所に、九官鳥の怪人、"ナイン"は抜群の身体能力を用い、片足で着地した。

「ったく、かっこよく決めようと思ったのに。随分身軽な怪人なんだなぁ」

 ガンディはハンドルに巻かれていたバンダナを引き解くと、それを装甲服のマスクの上から被り、後頭部で結び目を作った。力強く締め、満足したように手首をぶらぶらと振る。直也は彼の不審な行動にオウガのマスクの下で眉根を寄せた。

「おいお前。なんだよ、それ?」

「俺、気付いたんだよ。やっぱバンダナがないと締まらないってことにな。これがないのとあるのじゃやっぱり、魂のノリがダンチだぜ」

「よくわかんねぇけど、そういうもんか」

 しかしバンダナの巻かれた装甲服というのはどこかコミカルで、それでいて視界を歪められるような違和感があった。正直に言うと、まったく似合っていない。しかし当の本人はバンダナを両手で合わせ、どこか誇らしげだった。

「それにこっちのほうがかっこいいし、オシャレだろ? これがおしゃれガンディだ!」

「うるせぇよ! 語呂悪いし、ネーミングも外見もだせぇ!」

「冗談言うなよ。残念ながら、それは気のせいだぜ!」

 はは、と直也の発言を軽く笑い飛ばすと、ガンディは一転して緊張感をその身に滾らせバイクから離れると、怪人目がけて躍りかかった。なんだか釈然としない気持ちを抱きながらも、オウガは腰から先端の折れた刀を引き抜き、彼の背中を追いかける。

 ナインは両腰から拳銃を手に取ると、銃口をそれぞれオウガとガンディに向けて、発砲した。オウガは足を止め、刀で銃弾をはたき落とす。ガンディは両腕で体をガードしながら突き進むと地面を蹴り、ナインに強烈なボディーブローを叩きこんだ。

 呻き声をあげ、吹き飛ばされるナインをオウガは捕捉する。立ち上がったナイン目がけて、折れた刀を振るい、その身に一太刀を浴びせた。さらに連撃を加えようとするが、二丁拳銃による銃弾の嵐に邪魔をされあえなく彼女から距離をとった。

「オウガの人。ちょっと俺に任せろよ。あんただけに、いい思いはさせないぜ!」

 ガンディはあの地下室の時と同じように、心から嬉しそうな声を発しながら、ナイン目がけて駆けだした。銃弾を打ち込まれ、装甲に傷がついても、けしてその速度を緩めようとはしない。

 その果敢も無謀も超越した、なりふり構わなさに直也は戦慄する。彼は心から戦いや痛みを楽しんでいる。その思考回路はおそらく純粋そのもので、一点の曇りもないのだろう。それは直也では到達することのできない領域であることに違いなく、秋護の愉悦を理解することなどできない。だから彼の行動に恐怖を感じる。この男が敵ではなくてよかったと、心の底から安堵した。

 しかし、突然空から落ちてきた小さな竜巻がガンディの行く手を阻んだ。砂煙が一斉に舞い上がり、しばし視界が閉ざされる。それはさすがに秋護にとっても予想外の展開だったらしく、さらに強大な風圧には装甲服も歯が立たず、彼は螺旋状に渦巻く風の塊に弾き飛ばされ、草地をごろごろと転がった。

「ナイン。随分騒々しいと思いきや、またこんなところで暴れているんですね。あなたらしくもない」

 慇懃な声が耳を打つ。徐々に晴れていく砂埃の中に現れたのはもう1体の怪人だった。首から上は翼を広げた鷲で構築されており、首から下は鉄格子を捻じ曲げたようなデザインになっている。鳥がケージの上に止まっている。遠目にその怪人の全身を眺めれば、そんな風に見えるに違いない。

 空からの乱入を果たしたもう1体の怪人、それもまた人語を解するタイプだった。女性の声で流暢に日本語を喋っている。起き上がったガンディはその怪人の姿を認めると、大声で驚愕を口にした。

「お前は……グリフィン! なんだよ、首切られて死んだはずじゃなかったのか!」

「おいお前、あの怪人に会ったことがあるのかよ?」

 オウガが問いかけると、ガンディは"グリフィン"と呼ばれた怪人を指差しながら、悔しそうに地団太を踏んで答えた。

「俺の目の前で倒されたはずなんだよ、こいつは! なのになんで、なんでぴんぴんしてんだよ。非現実的すぎだろ!」

「謎でも何でもない。言ったはずですよ。私は風。風はどれだけ切り裂かれ、砕かれ、打たれても、すぐに元の形を取り戻す。あの時殺された私は、私の一部でしかない」

 グリフィンは鷲の羽の部分を撫でながら、自信に満ち溢れた声を上げる。それからナインを振り返り、その顔に口を寄せた。

「ナイン。あなたは自分の標的を狙いなさい。私は、あの男を相手取らせてもらうから。こんな仕事、だらだらと続けていてもしょうがない。時には短気に生きてみることも必要ですよ」

「分かりました、グリフィン姉さん。じゃあ、あちらはお任せします」

 ナインは素直に頷くと、顔をオウガに向けた。グリフィンはその場で右足を軸にし、くるりと身を翻したと思うと肉体を竜巻へと変化させ、ガンディ目がけて飛んでいく。数秒の間、そちらに持っていかれていた直也の意識は2つの銃声で本来あるべき方向に呼び覚まされた。

「よそ見をしている間に、首から上、持っていくよ」

 直也は柄と崩れた断面を覗かせている刀身だけで成り立った、刀とは到底呼べない刀を振り回し、弾丸を弾く。震動が指先から肘まで伝播し、刀を取り落としそうになった。

「せっかくしばらく観察していようと思ったのに。でも、先に刃を抜いたのはそちらなのだから、仕方ないですよね。死んでも」

「……うるせぇ!」

 さらに撃ち放ってくる銃弾を右に左に回避しながら、オウガは機を図ってナインの懐に飛び込んだ。腰に溜めた刀を、居合切りの要領で振り抜き、その怪人の九官鳥の絵を写し取った胸に一閃を浴びせようとする。

 だが、ナインは銃身で刀をぴたりと受け止めると、もう一方の拳銃でオウガの胸を撃った。大音量とともにその大きさにふさわしい衝撃が内臓に直接響くようだった。オウガは後ろに押しやられ、まず、咳き込んだ。それから胸部を刀のない手で軽く撫でる。生身に鉄パイプで殴打をくらったような鋭い痛みが呼吸の邪魔をしていた。

 だが苦悶の呻きを漏らす直也に構わず、ナインはさらに攻撃を加えてくる。ちかりとわずかな光が瞬いたかと思うと、2つの銃口から火花が散った。空気を突き破った2つの弾丸がオウガの足元と、肩先をすかさず削り取る。

「おい。俺さ、お前の正体、ちょっと分かったんだよ」

 油断や動揺に誘おうと発言したものではなかった。突然頭に浮かんだのだ。推理は終えていたもののなかなかタイミングがなく、こんな差し迫った状況になってしまったのは少し残念ではあった。しかも分かった、と断言したがそれは半分嘘で、その説は直也の憶測を多分に含んでいた。

「ふぅん」

 ナインは感心なさそうに言いながら、鉛玉で返事をよこした。オウガは1つ避け、もう1つを刀で叩き落とすと、乾いた地面をつま先で抉り、前に飛び出した。

「俺はお前を、ずっとどこかで見た覚えがあると思ってた。困ったことに全然思い出すことができなかったんだけど。だけど昨日、お前と2度目にあって、やっとその悶々としたものが晴れたよ」

 オウガは彼女の前まで接近するとそこで一度右にステップを踏み、フェイントをかけると、刀を鋭く突きだした。彼女本体にではない。左手に握られている拳銃にだ。引き金を絞ろうとするが、銃弾が飛び出るよりも前に、その手から拳銃を剥がすことに成功した。

 右手の拳銃が火を噴く。素早く後ろに跳んだが避けきれず、それはオウガの角の先端を砕いた。

「俺はずっと生きてる人間に当たりをつけて考えていた。だけど、その前提が間違ってたんだ」

 ナインは落した拳銃を拾う素振りもみせず、冷静に右手に残された銃口を真っすぐオウガに向ける。オウガも刀を前にかざすようにして構え、迎撃態勢をとった。2人の距離はおおよそ5メートル。一瞬触発の空気を伴いながら、激しいぶつかり合いは一時中断を遂げる。

 直也の話をナインは無言のまま聞いていた。その赤と金に光る双眸は先を促しているようでもある。警戒心を全身に漲らせ、刀を握る手に力をこめながら、直也は確信と動揺をふんだんに込めて、彼女の正体を口にした。

「俺はお前の死体と出会ったことがある」

 ナインは息を呑む。いや、鼻で笑ったのかもしれない。彼女の周囲の空気がわずかに乱れを生じたような気がした。

「あの女性の手紙に登場し、あの地下室で俺と会い、そしてニュースサイトにも写真が載っていた――11人目の被害者、滋野アヤメ。それがお前の正体だ」

 直也の脳裏に浮かび上がる、過去の映像。あの冷風渦巻く地下の部屋。全裸でガラスケースの中に入れられていた少女。その表情には苦悶が浮かび、右腕が切り取られていた。11人目の被害者。連続女性殺人事件で最後に殺された、人間。今度は女子高生が犠牲になったと、あきらが不安げにニュースを見ながら言っていたことも合わせて想起される。

 彼女を覆うガラスの天板にオウガのプレートを叩きつけ、始めて装甲を纏ったときのことは昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 初めてセーラー服の少女を見たとき、顔に既視感を覚えたのはそのためだった。すぐに気がつかなかったのはまさか死んだ人間がさも当然のように動き出しているとは、想像もしていなかったからだ。

「どういうことなんだ。俺は彼女の死体を確かに見た。なのにお前はなんで、あの女の子の姿を持っている」

 少女の歪んだ相貌。突然自分に舞いこんだ不幸に、誰も助けてくれた無情さに、10代半ばで命を散らされることの無念さに、死して尚、苦悶を浮かべていた表情が直也の脳裏にクローズアップされる。そのあまりの悲愴さに、直也の声も気付けば上擦っていた。

「怪人って一体、なんなんだよ。答えろよ。お前は何者なんだ。一体、なんであの子の姿を持ってるんだ」

「答えません。さっき、そう言ったはずですけど」

 ナインが初めてその場から動いた。片足で踏み切り、跳び蹴りを繰り出してくる。オウガは咄嗟に腕でその攻撃を防御した。

「あの子は……あの女の人はどこにいる。お前がさらったんじゃないのかよ! お前は一体なんなんだ!」

「耳障りですよ」

 空中で体を捻り、今度は逆の足のつま先をオウガの胸にめりこませる。さらに着地と同時に拳銃を発砲してきた。弾丸の直撃したオウガはたまらず身を引く。

 そこに生じた一瞬の隙。ナインの狙いはそれだったのだろう。ナインはもう一発銃弾をオウガの顔面目がけて撃ち放つ。直也は夢中で刀を振り回し、それを刃の腹で防いだ。しかし片腕を頭上まで上げたことで胴体ががら空きになる。そしてオウガの腹部目がけて、ナインは投げ放たれた槍のように鋭く、素早く腕を突き伸ばした。

 腹部、ベルトのバックル部分に構えられた『3』の数字のついたプレート。ナインはむんずとそのプレートを掴むと、力任せに引っ張り、オウガから引き剥がした。

「なに……!」

 ゴンザレスに一度、力ずくでプレートをかっさらわれた経験はあるが、装甲を纏っている最中に奪われたのはこれが初めてだった。ナインの回し蹴りを胸に浴び、オウガは背後に押しやられる。よろめくその体から、カチカチと擦れ合うような音を残し、装甲が分解されていった。

 すべての装甲が逃げるように離れていくと、後には生身の直也だけが残る。ナインはひと跳びで直也の目前まで到達すると高く足を上げてその胸を蹴りやり、そのまま有無も言わせぬ力でその場に押し倒した。ナインと直也の位置関係は、また昨日と同じ姿勢に持っていかれる。直也の胸を踏みにじりながら、ナインは片手にオウガのプレートを、もう1つの手に拳銃を構える。

「また私が勝ちましたね。呆気ない……あまりに、つまらない勝負でした」

 ナインはため息交じりに吐き出すと、銃口を直也の額に向けた。意地悪く口端を上げるその表情と、無表情な拳銃に直也は怖気を覚えた。

「オウガの人!」

 ガンディの直也を呼ぶ声が掠れる。グリフィンの投げた空気弾が顔面に命中したのだ。さらに首を掴まれ、大木の幹に叩きつけられる。とてもではないが、どう見ても直也を助けに来られる状況ではないようだった。

「1つ警告をしましょう。命は、大切にした方がいい」

「お前がそれを言うかよ」

「怪人ほど命の大切さを知る者はいないと思いますけど。それに私だって刀で殴られたの、痛かったですし。どちらかといえば、被害者は私ですから」

 プレートを持った手の小指を立てて、自分の鼻のあたりを掻くようにするナイン。いや、そこは攻撃してないけど、という釈然としない思いが過るものの、この状況で口に出せるほど悠長ではない。しかし代わりに、直也はある質問をした。ライの家で閲覧した動画サイトの映像を頭の中に思い描く。

「お前、本当にあの女の子、滋野アヤメなのか。二条裕美に殺された、女子高生なのか?」

「そうといえばそうですし、違うといえば違います。どちらにせよ、どうでもいいと思いますけど。そんな、些細なこと」

 どうせ死ぬんだから。カチン、と音が鳴る。撃鉄を起こした音だとすぐに判断がついた。引き金に指を添え、それぞれ色の違う瞳でナインは直也を見下ろす。抵抗しようと体を揺するが、もう1本の足で思い切り腹を踏みつけられると、呼吸が詰まった。ただそれだけで四肢のどれも動かすことができなくなる。

 瞬間、走馬灯のようにあきらの姿が頭に過った。それは彼女と過ごしたほんのわずかな時間を切り抜いたものだった。あきらはこの近くにきっといる。なぜ出て来てくれないのか。何が自分と彼女との距離をそれほどまでに遠ざけたのか。分からず、だから悩み、悶え、苦しんだ。その記憶が、痛みがフラッシュバックした。胸の奥で彼女の名前を思わず叫ぶ。記憶の中で、彼女は青いポニーテールを揺らしながらほほ笑む。

「ちょっと死期が早まっただけですから。それじゃあまた、地獄でお元気で」

 感情も抑揚もない、さもそうなることが当たり前とも言い出しそうな口ぶりでナインは引き金を絞る。弾丸がその狭い拳銃の口から吐き出される。

 次の瞬間、一陣の風が吹いた。影を引き連れた黒い烈風。ぴりりと空気の震える感触が直也の頬を打つ。そしてその直後、ナインの体が横薙ぎに吹き飛ばされた。

 何が起こったのか分からず、まだ生きていることにすら実感がわかず、混乱した頭で直也はもがくように身を起こす。悲鳴が聞こえ、そちらに反射的に首を動かせば、そこには上半身と下半身の分断されたグリフィンと、胸から硝煙を立ち昇らせながら倒れているガンディの姿が見えた。

 ナインの胸には大きな裂傷が走っていた。傷は深く、なかなか立ち上がることができそうにない。彼女もまた、自分の身に何が起こったのか理解していない様子だった。側には粉々になった銃の破片が散乱している。苦しむ3人の中で、直也1人だけが二本の足で立つ。困惑は深まるばかりで、未だに現実感がなかった。この全身を襲う気だるさと、胸の鈍い痛みがなければ夢だと思い込んでいたかもしれない。

 突然、濃い靄が視界を覆った。空は晴れ、太陽が燦々と輝いている中で湿り気のある白い煙が直也の周囲を埋め尽くしていく。戸惑い、きょろきょろと辺りを窺うが、そうしている間にも景色は白く潰されていった。

「直也さん」

 聞き慣れた、しかし懐かしい少女の声が聞こえる。直也は錆びついた機械のように、ぎこちないその声のする方へ体を向けた。すでに心臓は早鐘のように打ち、口の中は乾ききっていた。その瞬間だけ、体を蝕む全ての痛痒を忘れた。ただ、目の前の現実に心ごと奪われる。そして直也は、少しの間を置いたあとで、目をいっぱいまで見開いた。

 特徴的な青く染めた髪。後頭部で揺れるポニーテール。アーチ状の眉に、柔らかい眼差し。厚みのほとんどない唇には以前会った時と変わらぬ笑みが宿っている。

 桃色のパーカーとチェックのスカート姿。右手にはナインの手にあったはずの、オウガのプレートが握られている。少女は丸い目をぱちぱちと瞬かせ、わずかに首を傾げた。

「お久しぶりです、直也さん。こんなところで会うなんて、奇遇ですね」

「あきら、ちゃん……」

 彼女の白い肌にぽつぽつと落ちた血の染み。そしてそこに収まっているのが本来とばかりに、掌の中で身を潜めているメイルプレート。それだけで直也は状況を一度に理解した。あきらが助けに来てくれることは、何も偶然ではない。直也が誘われて、彼女のいるであろう場所にやってきたのだから。

 そしておそらくこの絶妙のタイミングからいって、あきらは最初、直也の前に姿を見せる予定ではなかったに違いない。これ以上見ていては直也が殺されてしまうから、状況に耐えられなくなり、慌てて飛び出してきたのだろう。そうでなければ、もっと前に、この怪人たちが現れた時点で駆けつけていただろうと予測した。

 会えなかった時間などまったく感じさせず、あきらは涼しい顔で直也を見つめている。直也は今すぐにでも走りだし、あきらに詰め寄りたかったが、はやる気持ちに反して足は大きく震え、動くことすらままならなかった。唾を呑みこみ、やっとの思いで声を絞り出す。

「今まで、どこに、いたんだよ」

 しかし、あきらは答えない。表情に笑みはなく、悲しみと憐みの浮きあがる瞳で、こちらを視線で射抜いてくる。その暗い色のこもった眼光の前に晒され、直也はたまらず叫んだ。

「今まで、どこで、なにしてたんだよ……答えてくれよ、あきらちゃん!」

 その絶叫さえも靄の中に混ざり、広がって、消えていく。数週間ぶりに顔を合わせた2人の間に架かる絆でさえも、その渦巻く乳白色が奪い去ってしまうようだった。

「ちょっと、お話しましょうか。直也さん。ボクもたくさん、聞きたいことがありますから」

 顔で笑い、心の中で燃え上がるような怒りを抱えている。そんな声をあきらは発した。彼女の手の中で鉄を引っ掻くような音がする。見れば、オウガのプレートを手の爪で引っ掻いているのだった。カリカリと、無機質で肌を粟立たせるような音が繰り返される。直也は立ち竦む。あきらは一歩一歩、直也に向けて近づいていく。足音はしない。跳ねるように、しかし土を踏み抜くような力を込めた足取りだった。

「あきらちゃん……」

 直也の前で彼女は立ち止まった。そしてその両肩をむんずと掴むと、顔を寄せ、そのまま直也の唇に自分の唇を重ねた。

 甘い匂いと、柔らかいキスの感触。それらの懐かしい感覚に溺れながら、それでも直也は足を伝わるわずかな震えを止められずにいた。思わず身を引こうとすると、背中に腕を回され抱きすくめられる。彼女の弾力のある、たおやかな体の感触が全身に覆いかぶさってくる。その温もりを肌で受け止めながらも、直也の背中にはじわりと冷たい汗が流れていた。


 


魔物の話 27

 強風が窓を叩く。ガタガタというガラスの揺れる音が病室に響く。レイは窓にしっかりと鍵がかけられているのを確認すると、ベッド脇の丸椅子に腰かけている佑に視線を戻した。

 ベッドの中で悠は眠りについていた。彼女は小動物のような寝息をたてており、その度に胸にかかった布団が小さく上下に動く。その寝顔はとても心地よさそうだ。窓は閉め切られていたが、エアコンは程良く効いていた。一眠りにするにはちょうどいい気温なのかもしれない。入浴の直後のためか、部屋中にシャンプーの匂いが漂っていた。

「よく寝てるな」

「そうですね。……可愛い」

 悠の横に広がった髪を優しく撫でながら佑が言う。レイは表情を緩めながら、その言葉に同調を示した。彼女の無防備な寝顔は母性をくすぐる、何ともいえない愛嬌に満ちていた。

「俺たちの気も知らないで、ぐっすり寝ちゃって。ああ、もう可愛いな」

 苦笑しながら、佑は悠の頬を指でつついた。悠はうーんと唸り、手の指をわずかに曲げ伸ばしするようにして動かす。

「だけど悠にはずっと、ずっとこのままで。怪人も何も知らないでいて欲しい。辛い思いをするのは俺らだけで十分だ」

 表情から笑みを消し、佑はしみじみと悠の白い手を包み込む。それは陶器を相手にするように繊細で、それでいて、命綱を握るように力強い仕草だった。祈るように目を瞑る佑の背中に、レイもまた強く頷いた。怪人の存在を知ったその瞬間から、無関係の人間を巻き添えにしないよう細心の注意を払ってきたからだ。悠をこれ以上危険に晒さず、非現実の世界に迷い込ませないこと。それがレイの抱く使命の1つでもあった。

 レイが一歩前に足を踏み出すと、佑は隣で目を開き、悠を見つめたまま言った。

「悠さ。一時退院できるの、明後日なんだってよ。やっとここまできた、って感じだよな」

「そうですね。これで、また悠と遊べます。……パーティもやんなきゃ、ですよね」

「ああ。だから、それまでに、決着をつけないとな」

「それが、今夜なんですか」

 佑はこちらを一瞥してくると、無言で頷いた。その後姿からは、先ほどの昇り階段の時のような憤激に駆られ困惑した様子は大分消えていたが、代わりに寂寥感が彼の心の中に居座り始めているようでもあった。力強く、しかし悲しい横顔。その張り詰めた表情にレイはそれ以上、声をかけることさえ躊躇った。

 3年前に何があったのか。なぜゴンザレスはレイを佑のもとに行くよう指示を出したのか。佑はこれから何をしようというのか。自分は何を手伝えばいいというのか。何も分からず、何も知らされず、何も答えられず、レイは名も知らぬ異国に放り込まれたような孤立感を覚える。ついこの間まではすぐ側にあった佑の存在も、やはり、今ではどこか遠かった。

 何が自分たちの距離を変えてしまったのか。それもまた、謎だ。

「そういえば、レイちゃんにどうしても見て欲しいものがあるんだ」

 佑は立ち上がると、テーブルの上に置かれたボストンバックを手に取った。ファスナーを開け、中に手を入れる。バックの中を探る彼の手を見ながら、レイはすでにその時から嫌な予感を覚えていた。胸に溜まっていた温もりが消えていく。代わりにおどろおどろしい空気が、病室内に満ちていくようだ。

「一体、なんでしょう」

 ようやく答えたその声も、ひどく上擦ったものになっていた。胸が締め付けられ、呼吸さえ辛い。佑は寂しそうにほほ笑むと、バックの中から手を抜きとった。まだ心の中で、秘密を明かすことに対する覚悟が決まり切っていないのだろう。実になし崩し的な取り出し方だった。ファスナーのすき間から手首が見え、手の甲が見え、関節が見え、指が見えた。そして指の先に摘まれて、一気に外界にそれらは引きずり出される。

「これが、悠を救う武器だ。手伝ってくれるレイちゃんだけには、見せておきたいと思って」

 レイは息を呑んだ。そして背筋が凍りつくのを感じた。

 佑が取り出したもの。そのうちの1つは、メイルプレートだった。それは怪人を倒すための兵器、装甲服を生み出すための道具。しかもゴンザレス曰く、マスカレイダーズに元から存在するシリーズの1つだった。穏やかな病室内の空気が一転して、血なまぐさいものへと変わる。

 色は銀色。表面には『5』という数字と羽のマークが刻まれている。二条や秋護、段田が持っていたものと同じタイプであることにはすぐ見当がついた。しかしそこに記された数字は、レイがこれまでに見た覚えのないものだった。二条が『4』、秋護が『1』、段田が『2』で、佑が取り出したのは『5』だ。残るは『3』と、存在するならば5以上の数字のものということになる。

「お兄さん。それって……」

 唇をわななかせながらレイが訊くと、佑はまた悲壮感を伴った笑みをみせた。頼むからそんな顔をしないで欲しい、とレイは声に出さずに訴える。佑のそんな無理に作ったその場凌ぎの表情は見たくなかった。笑ってなくてもいいから、彼には自然体を貫いてほしかった。しかし、その思いは届かない。

「これが悠を救う武器なんだ。俺も手に入れたんだよ。鎧をさ。ゴンザレスさんも気前いいよな。怪人を何とかしたい、悠を守りたいって言ったら、すぐにくれた」

「でも、そんな、いきなり」

「それからさ、あと、これなんだけど」

 意図的にレイの声をかき消すように、強めた語調で佑は続ける。彼からは必死さが伝わってくる。どうにかこの場をごまかしてしまいたい。この状況を終わらせてしまいたい。そんな欲求が剥き出しになっている。彼の声もまた上擦っていた。彼は顔に出すことなく泣いていた。

「あんまり、見せたくはなかったんだけどさ。昨日、実家から持って来たんだ。せっかくだし。レイちゃんも聞いただろ? 俺とゴンザレスさんが刃がなんだとか言ってたの。それがこれ。ゴンザレスさんとの、3年前の約束なんだ。ちょっと不気味なんだけどさ。見て欲しいんだよ。俺はこれで、悠を救うんだ。俺が今度こそ助けるんだ」

 佑は捲し立てるように言う。レイの方を振り向かず、悠の顔も見ようとはしない。俯き、床に向かってひたすら掠れた声を発する。その言葉は自分に向けて言い聞かせているようにも、レイに表明することで後戻りできぬよう己を諫めているようにも聞こえた。

 3年前の約束なんだ。彼はもう1度言う。レイは唖然として、ボストンバックから覗くそれを見つめた。やがて額に脂汗が滲み出す。続けて脳の奥に直接叩きつけられた非現実な情景に、目の前が暗くなる。

 佑が一息にファスナーの内側から引っ張り出したもの。それは血糊のついた刃物だった。

 刀を半ばから強引にへし折った、その片割れのようにみえる。その証拠に刃物に柄などはなく、ぎざぎざの断面で途切れており、全体的に見れば大きなガラスの破片のような形をしていた。

 俺はただの人殺しだ。数日前の休憩室で、佑の口から飛び出した一言が、レイの脳裏に生々しく蘇る。その疑問に解答を差し出すかのように――黄に着色された刀の先端は光を照り返し、禍々しい輝きを病室内に放っていた。


13話 完

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