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12話「それが私のお母さん(前篇)」


鳥の話 25

 私はこの事件で、愛する女性を失った――。

 仁の耳に脳裏を伝わって男の声が響く。同時にその意識は数日前の新宿駅に舞い戻った。混雑した駅構内の様子が目の前に展開され、生温い風が肌を撫でていく。仁は疲労を抱えながら"新宿の事件"の記念碑の前に立ち、そして、口髭を生やしたスーツ姿の男と向かい合っていた。

 君は誰を亡くしたのかね? 無論。君はただの、群がることしか知らぬ愚かな野次馬ではないのだろう? 目を見れば分かる。君もまた、後悔を胸に抱いているはずだ。どうだ。いま、心の中で頷いただろう――。

 あの頃の仁は、己の決意を報告するべく親友に会いにいくため名古屋に日帰り旅行をした帰りだった。出先で見たのは、足と目を失った親友の姿、そしてくたびれた声を発する親友の妹の表情。容赦のない現実をこの身に叩きつけられ、仁は腹の底から突き上がる罪悪感にとり殺されそうになっていた。

 そして雑踏に流されるようにして、駅からふらりと足を踏み出したところで――仁は彼と出会った。

 だが安心しろ、君の負の感情はこの私が受け取った。私は世界だ。1人の人間では支えきることが難しい悲しみや憎しみも、この私は億単位で支えることができる。これも縁だ。私が手を貸してやろう。人1人の悩みの重さなど、世界の上では蟻1匹にも劣るわ――。

 男の声はどす黒い塊を飲み込んだようであった仁の胸の内を、少しずつ、軽くしてくれた。両肩に感じていた、のしかかるような重みを取り除いてくれた。その感動を、感謝の気持ちを、仁は今でもよく覚えている。その瞬間、確かに男の言葉によって、仁の心の蝋燭には再び火が灯された。男との出会いによって、心にあったしがらみを超え、少し前向きに生きられるようになったのは確固たる事実なのであった。

 しかし今、V.トールへと変化した仁の顔面を、その男の声が殴り飛ばした。

 周囲は赤く燃えている。ネズミ色の煙が充満した古い教会。随分と低い視界にあるのは"アーク"と自ら名乗ったマスカレイダーの顔。彼にマウントポジションをとられ、V.トールは。破壊された椅子や窓ガラスの破片が散らばる床に押しつけられていた。

 高く掲げられたアークの拳が、V.トールにまたも迫る。反射的に目を瞑る仁であったが、その攻撃が顔を打つことはなかった。目を開くと、そこには振り上げたアークの腕を掴むS.アルムの姿があった。

「また会ったな、アーク」

 S.アルムは皮肉っぽく口にしながら、赤黒い舌で自分の口の周りを舐める。アークは首だけで振り返り、その怪物を認めると不遜な吐息を漏らした。

「何者かと思えば。昨日、このアークの前に敗れ去った化け物ではないか。こんなところにどうした。まだ私に用があるというのか?」

「お前らを根絶やしにするまで、お前らに対して用事がなくなることなんてないな。さ、今日こそ、引導を渡してやるよ。覚悟するといい」

 S.アルムは空いている方の手で、モーションをかけることもなくいきなりストレートを打ち出した。アークはその攻撃に応じるべく腰を捻って、完全に姿勢をS.アルムへと向ける。

「そうか。だが……私をこの世から根絶できると、本気で思っているのかね?」

 アークはS.アルムの攻撃を避けなかった。顔面に拳をめりこませながらも、一切後には引かず、渾身のボディーブローを叩きこんだ。痛み分け。傍からみれば、申し合わせたように見事なクロスカウンターだった。アークは敵の身にめりこませた拳に力を込めながら、普段通りの調子で叫んだ。

「私をこの世から消すことは、神にも不可能だ! 覚えておきたまえ!」

 互いに一打をくらい、アークとS.アルムはそれぞれ背後に跳び退く。アークは空中で一回転することによって仁を軽々飛び越えると、椅子の上に降り立った。S.アルムもまた椅子の背もたれの上につま先で立つ。

「身を守るのではなく、迎撃してくるとは。さすがだな。アーク。俺の肉体を受け止めるとは」

「無様だな。何度やろうが、このアークの勝利に変わりはない。昨日、その体に教えてやったばかりではないか。もう忘れたのかね?」

「あぁ、都合の悪いことと敵から言われたことはすぐに忘れるタチなもんで。申し訳ない」

 S.アルムは背中から己の身長よりも長い、銀の槍を引き抜いた。片手でそれを軽々と振り回し、切っ先をアークの喉元に突きつける。

「それにお前は、運命がどうとか言ってたけど」

 さらに腕をまっすぐに伸ばしたまま眼下のV.トールを一瞥すると、それからアークを睨みつけ、嫉妬に歪んだ苛立たしげな声を吐き出した。

「こいつと運命の糸で繋がれているのは、この俺なんだからな。勘違いするな!」

 立てた小指を相手に突きつけ、剣呑な雰囲気を滲ませたS.アルムは床を蹴った。背中の黒翼を広げ、熱風に乗ってアークに跳びかかる。アークは右手首から銃口をせり上げ、銃弾をばらまいていく。

 躍起になるS.アルムを呆然とした思いで見送っていると、金属同士が擦れ合うような音が耳朶を打った。前方に顔を戻すと、そこにはパイプを全身のいたるところに張り巡らせた独特の形状をもつ装甲服が立っていた。

「……君は。そうか、また会ったね」

 仁はこの装甲服に出会ったことがある。忘れもしない。まだ夕立の気配残る廃材置き場で、怪人との戦いを終えたばかりのV.トールに襲いかかってきた奴だ。その戦いによって、V.トールは武器をへし折られ、仁は心を折られ、被害女性を残して撤退してしまった。

 あの時のことを思い出すと、口の中に苦いものが込み上げてくる。あの時に負った足の傷がじわりと疼く。もうあんな事は絶対にするまいと、意固地な覚悟が胸を満たす。今の自分は目的を取り違えて、いつの間にかあきらのために動いてしまっていたあの頃とは違う。自分のために、葉花を救うためだけに、戦場に出ている。だから、無駄な重荷を背負うことなく、全力でこの男と相対することができる。

「あの時は情けない姿みせちゃったけど。今度は負けない。僕はもう、逃げたりなんかしない」

 エレフは仁の不退転の決意をまったく意に介さぬように、言葉ではなく、銃弾で答えてきた。その手にある拳銃の引き金を引くと、鼓膜を破るような大音量と共に、弾丸が発射された。

 V.トールは椅子を蹴り飛ばし、転がるようにしてそれをかわした。弾丸は一撃で椅子3つを粉々に吹き飛ばし、その破片を天井や床や壁に突き立てる。V.トールの方にもそれは、鋭利なナイフのように飛んできて、その身をずたずたに傷つけた。

 口から転びだしてしまいそうになる悲鳴を喉の奥で押し殺し、V.トールは一息に立ちあがると、かざした掌から電撃を打ち放った。闇と煙とが混じり合った灰色の景色に、青白い光が過る。電撃は一直線に装甲服の胸を貫いた。

 しかし、相手の反応はまるで体に止まった蚊を払いのけるような仕草で、電撃を受けた箇所を撫でるだけだった。攻撃は全く通じていない。V.トールの攻撃は分厚い装甲の表面で無残にも弾かれてしまったらしい。

 何事もなかったかのように平然と立ち、さらに銃口を向けてくる相手にV.トールは戦慄する。

 だが、止まっていてもただの的になるだけだ。それに足を竦ませて動けなくなっているのでは、なんら成長していないことを自ら認めることになる。前回の内省が仁の背中を押す。そして気がつけば敵に対する恐れやしがらみを振り切るようにして、前方へと飛び出していた。

 両腕に電撃を溜め、片足で着地すると同時に殴りかかる。だが、装甲服は努めて冷静に銃のグリップに備えられたつまみを、2目盛り分動かした。

 突然、エレフの前に半透明の膜のようなものが出現する。色彩がおぼろげで空気に溶けているようにもみえるが、それは確かな実体をもっていた。無策に飛びこんでいったV.トールの体はそのまま膜に衝突し、大きく吹き飛ばされた。椅子を巻きこみながら転がるV.トールに目がけて、すかさず装甲服は銃弾を放ってくる。

「このっ……!」

 寝転んだ体勢のまま指先から電撃を迸らせ、銃弾を空中で四散させる。V.トールは爆風によろめきながらも片手で椅子の背もたれを掴み、起き上がった。首を捻り、反射的に敵のいる方角を目で探る。

 カチリ、という音がまず耳に飛び込んできた。視線を音のほうに移すと、爆煙の中で拳銃の引き金を絞る装甲服の姿が見えた。

 次の瞬間、耳をつんざく破裂音と共にゆっくりと銃弾がこちらに向かってくる様子を、仁の目は捉えていた。V.トールによる超人的な力の恩恵ではない。死に片足を突っ込んでいることで、周りの全てをスローモーションのように感じているのだと分かった。その証拠に、はっきりと銃弾自体を見ることができるにも関わらず仁の体は一向に動かない。

 仁は危機感を覚える。頭の血がサッと引く。指先は冷たくなった。しかしどうにもならず、その銃弾の細部にまで視界にとどめながら、己の身に攻撃が着弾するその時を待つほかない。

 しかし向かってくる銃弾は、横から割りこんできた大柄な影によって、V.トールに届く前に打ち落された。仁の前に突然現れた、巨大な車輪を背負うそのシルエットは黒い馬の怪人、"ケフェクス"のものだった。その怪人はフォークリフトをも一撃で爆砕するその弾丸を、素手で軽く弾き飛ばした。弾道の逸れた一撃は壁に激突し、爆発とともに窓のステンドグラスを散り散りに破壊する。

「エレフ、だっけか。その装甲服。なかなかおっかないじゃないの」

「……段田」

 これまで冷徹な兵器のように果敢に攻め立ててきた装甲服――エレフが初めて動揺をみせた。ケフェクスは胸のあたりを指で掻くようにしながら、くぐもった笑いをあげた。彼の馬の絵が描かれた胸部には、大きな亀裂を窺うことができた。

「狩沢、待ってたぞ。お前にやられたこの胸の傷、まだ痛むんだよな。こう、掻き毟りたくなる……その張本人が前にいると余計に」

「段田。二条は、どこにいる」

 エレフの声は低く、そのため背後で繰り広げられているS.アルムとアークの激突音にところどころかき消されてしまう、実際、仁も彼の言葉を全て聴きとることはできなかった。しかし、大きく首を捻ったケフェクスの耳には、その一部始終が届いたようだ。

「お前にしちゃあ、おかしな質問をするな。そりゃあ、ここにいるだろ。お前たちは二条裕美に埋め込まれたレーダーを追って、ここに来たんだろうが」

「やはり、知っていたのか、レーダーの、存在を」

「いかにもトヨさんがやりそうなことだからな。読めるんだよ……お前たちの手の内はな。ただし、お前らも分かってるんだろ? これは罠だ。マスカレイダーズを誘い込むためのな。言っておくが、ここにレーダーの反応はあるが、二条裕美はいない」

「あぁ、無論だ」

 エレフは断言した。そして銃を持つ手を上げ、その照準をケフェクスの額へと合わせた。引き金に指をかける。彼の答えに「ほーう」とケフェクスが面白そうに応じた。

「だが、罠だと分かっていても、お前たちを野放しにしておくわけには、いかない。俺たちは、マスカレイダー、だ」

「そりゃあ立派な信念だ。ま、たまには、肩の力を抜くことも大切だ。とりあえず、なんだ、カニかまでも食べるか?」

「……いらん」

 エレフはケフェクス目がけて、銃声を轟かせた。だがその弾道は大きく逸れ、椅子の背もたれを爆砕した。数秒遅れて、エレフの右手から血飛沫が舞った。その手から拳銃が落ち、床に小気味のいい音を響かせる。

「後方には注意した方がいい。特に、この僕がいる時にはね」

 エレフはわずかに首を動かし、目線だけで後方を窺うようにした。V.トールもそっと身を起こし、十分に警戒心を滾らせながら彼の背後を見やる。そこには金色の鎧に身を包んだ怪人、"キャンサー"の姿があった。その手には刃に血の付着した高枝鋏が握られている。

 その刃で後ろからエレフを切りつけたことなど一目瞭然だった。キャンサーは鋏を床に突き立てると、ケフェクスを顎でしゃくって示した。

「おい、ケフェクス。こいつやっちゃっていいのかい? なんかお前と確執がありそうで、実に手が出しづらい」

「どうせ何を言っても、兄上は好き勝手やるでしょうが。まぁ、この男と因縁がないこともないが、それとこれとは別だ。その代わり、俺も自由にやらせてもらうが」

「そうか……なら、好きなようにやらせてもらうかな。こいつを倒せば、僕はまた最強の男に近づける。考えるだけでも、胸が震えるぞ」

 キャンサーは足を一歩踏み出した。放たれたエレフの回し蹴りを片手でいなすと、もう一方の手を背中に回し、そこから何か四角いものを取り出した。それは『4』という数字と羽を象ったマークの振られた、厚みのある1枚のプレートだった。

 エレフが息を呑む。ケフェクスが口端から息を漏らすようにして笑う。V.トールは事態を把握しきれず、ただ状況を眺めて待つ。

 キャンサーは足元に落ちているガラスの破片のうち、できるだけ大きいものを選ぶと、それをつま先で蹴飛ばしてキャッチした。そしてその表面にプレートを叩きつける。するとほどなくして大量の金属片が、ガラスの中から飛び出してきた。

 キャンサーはプレートを腹部に押し付ける。その体はみるみるうちに萎んでいき、怪人の大柄なフォルムから華奢な人間の男性のものへと移り変わった。その顔が衆目に晒される前に、ガラスの中から出てきた装甲が彼の頭部を包み込んだ。さらにその装甲は手足や胴体も次々と覆っていき、全てのパーツが組み上がった時、そこには装甲服の戦士が誕生していた。

 鉄格子をはめ込んだようなマスク。頭からは王冠じみた白い角が伸びている。その装甲の色は――眩いまでの金色だった。胸には黒いインクで蟹の絵が描かれている。

「どうだ。驚いたか。これが父さんから受け継いだ、もとい、奪い取った力!」

 黄金の装甲服に身を包んだキャンサーは、腰に引っ掛かった鞭を手に取り、大仰に叫んだ。そして固唾を飲んで、あるいは唖然とその情景を見守っていた一同に向けて、人差し指を突き伸ばした。

「これが僕のファルス! そうだ、名付けて"スーパーファルス"だ!」

 振り放った鞭はエレフの足元を穿ち、その身を揺らがせた。未だ状況などまったく分からず、戸惑う仁であったが、ただ1つ、あの装甲服のカラーリングはかっこ悪いな、と。それだけははっきりと思った。




魔物の話 25

 空に渦巻く白い雲を見上げながら、レイはコンビニの駐車場でフライドチキンを食べていた。

 風が強くなってきたので、建物が作る影に逃げ込むようにして、壁を背に、せっせとその鳥の足にかぶりついている。気付けば正午を過ぎており、朝食も今日はパン1つだったので、腹が減っていた。

 隣では、バイクに横向きに座った秋護が電話をしていた。通話先はゴンザレスだ。レイはまだ聞かされていないが、どうやら秋護自身が考えるこれからの作戦について相談をしているらしい。

「そうだよ。オウガの居場所を教えろよ」と急いた様子で眉を釣り上げたかと思えば、「そうそう。あれならきっとおびき出せる」と楽しそうに頬を緩める。レイには彼が何を話しているのか全く分からず、再び視線を空に仰ぎながら退屈を持て余す。

 あきらが怪物へと変わり、怪人を瞬く間に殺害して持ち去っていった。その直後こそ混乱の極みにあった頭も、今では随分冷静さを取り戻している。あの時に湧いていた彼女に対する絶望は身を潜め、今はあきらにまた会いたいと思い始めていた。

 あれだけの人間味を持ちながらも、その実は異形の姿を隠していた少女、華永あきら。あきらと自分は様々な意味でよく似ている。その気持ちに変わりはない。彼女も自分も化け物であるという事実をひた隠しにし、できるだけ穏便に、平和に生きられるよういつも心のどこかで怯えながら毎日を暮らしている。

 レイは悩んでいた。怪人として生まれた自分がこれから、どう生きるべきか。最高の怪人という触れ込みばかりが1人歩きして力の伴わない、あまりにも弱い自分がいかにしてこの状況に立ち向かっていくべきか。いまだその答えを出せずにいた。

 自分が逃げたから、拓也はあんな重傷を負ってしまった。しかしだからといってあの場で、自分が何をすることができただろう。悔みはするが、具体的な打開策までは思いつかない。その罪悪感が、さらにレイの身も心も毟るようだった。

「レイちゃん、おい、レイちゃん!」

 そんな思考の迷宮に落ちていくばかりレイを現実に引き戻したのは、秋護の声だった。携帯電話を差出した姿勢で、眉をひそめている。「レイちゃん、どうした。大丈夫か?」と発した声も気遣わしげだった。

「なんでもないです。大丈夫です」

 レイは思い出したようにチキンの骨をしゃぶると、携帯電話に目を向けた。画面表示を見ると、どうやらまだ通話は繋がったままのようだ。

「それよりもこれ、なんですか? 私に?」

「あぁ、ゴンザレス。なんかレイちゃんに代わってくれってさ」

「ゴンザレスさんが……?」

 レイは携帯電話を受け取った。耳に当てると、すぐにお馴染みのガラガラ声が聞こえてきた。

「あ、黒城レイくん、だね。君にちょっと頼みがあるんだ。聞いてくれるかい?」

「まぁ……はい。一体なに?」

「実はね。君には新しい仕事を任せたいんだ。天村佑くんのところに、行ってほしい」

「お兄さんの?」

 今度はレイが眉間に皺を寄せる番だった。自分に課せられた役目は華永あきらと接触し、その真相を暴くことであるはずだ。確かにすでにあきらの正体は明らかになってしまったが、まだその詳細が究明できていない以上、ここで止めるのは仕事としては尻切れトンボのような気がした。

「君はよくやってくれた。ここまでくれば、あとは藍沢秋護くん1人で十分なんだよ。ごめんね。だから君には新しいお仕事を、任せたいんだ」

「でも……」

 大抵の任されごとなら、いつも二つ返事で了解していたレイであったが、今回はしぶった。あきらに会いたいという思いが胸の中で育ってきたばかりなこともあり、また、先ほどの仕事で沸いたゴンザレスに対する疑念がいまだ振り払えずにいた。

 思わず、腕に巻かれた発信器に目を落としてしまう。これがレイを守るためのものではなく、拘束するためのものだとしたら。ゴンザレスはマスカレイダーズのメンバーを安全と利便性という名の枷で、掌握しようとしているのではないか。そんな慄然とした感情を一旦覚えてしまうと、その刺のないデザインをした発信器が忌々しいものに思えてしかたがなかった。

 しかし次にゴンザレスが放った言葉は、レイの煮え切らない気持ちに刺激を与えるのには十分すぎるものだった。

「頼むよ。新しいお友達のことを、君に任せたいんだ。これもね、君にしかできないんだよ」

「新しい仲間? それじゃお兄さんは、マスカレイダーズに入ったんですか?」

 カニかまの男、段田のことはあれほど拒んでいたのに。組織の下っ端であるレイの紹介した一端の男子高校生をそんな簡単に入れてしまっていいのか。佑の願いが叶ったという嬉しさよりも、レイに胸を撫でたのはやはり猜疑心だった。何かがおかしい。レイの、秋護の知らないところで、一体ゴンザレスたちは何をたくらんでいるのか不気味に感じた。

 間が空く。耳を澄ますが、受話口の向こうからは何も聞こえてこない。一旦耳から話し、画面を見やってから、再び当てる。声が返ってきたのは、その直後だった。

「頼んだよ。君にしか、できないんだ。彼の心を決めるのは、君の存在がいちばん大きいんだからね。彼は病院にいる。頼んだよ。頼んだよ」

 一方的に言い募って、通話は唐突に切れた。質問にも答えてもらっていない。レイは思わず、耳から離した携帯電話をまじまじと見つめてしまう。ツーツーという無機質な音声をバックミュージックに画面上を過る文字は『通話時間 16分』。

「ゴンザレス、何だって?」

 レイの様子を眺めていたのだろう。秋護は怪訝な表情を浮かべていた。レイは携帯電話を彼に返すと「新しい任務を、言い渡されました」と端的に告げた。「藍沢さんと離れられるのは、ちょっと嬉しいですね」

「そういうなよ。ま、仕方ない。場所どこ? 乗せていこうか?」

「いや、大丈夫です。多分、ここから近いですから」

 レイは空に目を移し、病院があるであろう方角をじっと見つめた。確かに病院までそれほど距離はない。歩いて20分余りというところだろう。それにレイには1人で歩きながら少し考えたいことがあった。

 病院の中でゴンザレスと佑は何やら捉えどころのないことを話していた。あの時、佑のみせた暗い眼差しがレイの頭にふと過る。

 3年前の約束、とゴンザレスは言っていた。3年前といえば悠が二条裕美に誘拐されそうになり、佑がそれを救いだした時期と重なる。

 悠はその直後あたりからしばらく、佑のことを怖いと評していた。佑は自身を人殺しだと、寂しげな笑いを零していた。

 3年前。佑の身に、何かがあったことは間違いない。そしておそらくその鍵は、ゴンザレスが握っている。

 背筋に寒いものが走り、レイは思わず身を竦める。一体、自分の知らないところで何が起きているのか。本当に佑をマスカレイダーズに招待して良かったのだろうか。様々な得体のしれない思いが頭の中でぐるぐると渦を描く。

 どうするべきか、分からない。しかしここにとどまっていても何かが変わるわけでもない。レイはチキンの骨を手近にあるゴミ箱に放り込みながら、無理やりに気を引き締めた。




鎧の話 23

 駅まで歩いて戻り、電車に乗って、駐輪場に停めておいたバイクの前に立つ。そこまでたどり着くために、ゆうに1時間半は時間を消費した。バイクを押しながら駐輪場から出ると、直也はまず駅前のデパートに立ち寄った。そこでタンデムシート用の安いヘルメットを購入する。ライの希望により、色は黄色でよくわからない英語のスペルが前面に入ったデザインのものになった。

 ライが徒歩で来られてしまうくらいだ。彼女の家とSINエージェンシーのあった場所はそれほど距離があるわけではない。しかし、健康体とはほど遠い今の体で、強い風も出てきた猛暑の中、バイクを押しながら歩くのは非常に億劫なことだった。だったら安価なヘルメットを買って、ライと一緒にバイクに乗ったほうが楽でいい。提案すると、バイクに乗ることが初めてらしいライは大袈裟に喜んだ。

「一回、乗ってみたかったんだよなー。あれ。落ちないように気をつけなくちゃな」

「しっかりつかまってりゃ大丈夫だよ。あと曲がる時、一緒に体を傾ければ」

「バカ! 傾けたら落ちちゃうじゃないか! そこは平泳ぎだろ!」

「へぇ。やれるもんならやってみろよ」

 直也はバイクにまたがり、ライもヘルメットを被ってその後ろに乗る。腰にまわされた腕の感触と、背中に広がる柔らかい体温に直也は懐かしいものを覚えた。

 最後にあきらとバイクに乗ったのはいつだろうと、過去に思いを馳せる。自分たちはいつ頃から、こんなに疎遠になってしまったのだろう。関係が壊れるその音を、直也は終わるまで気付けずにいた。後悔をしても、何も変わらない。

「何してんだよ、おっさん。早く行こうよ!」

 ライが足をばたつかせながら、浮ついた声をあげる。直也は肩越しに彼女を一瞥すると、ヘルメットの中にため息を浮かべた。

「あぁ、そうだな。じゃあ、さっさと行くか」

 エンジンをかけ、クラッチレバーを握る。アクセルスロットルを回し、唸るような駆動音が弾けるとライの高い鼓動が背中を通じて伝わってきた。

 そこから約20分、バイクで風を切ると左手の方に見える、あまり上質とは言い難い白塗りのアパート。その3階がライの住まう部屋だった。直也も1度だけ、黒城に報告書を届けるためこの場所に来た覚えがある。その時も、この建物の佇まいに少し驚かされたものだった。威風堂々とした姿勢を貫く黒城のこと、高級アパートか豪邸にでも住んでいるものかと勝手にイメージを作り上げていたからだ。

 しかし実際は、直也の住んでいる家とそう大して変わりのない安アパートだった。こういうことに出会うと、いつも人のイメージの身勝手さを強く感じる。椅子でふんぞり返る黒城ばかり見てきたので、家庭的な姿など想像もつかなかった。人には1つの視点だけでは計り得ないほど、多くの側面がある。それを改めて思い知らされる。

「あー、気持ちよかった。バイクってすっげぇな! 爽快感マックスだ!」

「喜んでくれたならよかったよ。俺は痛かったけどな、お前に皮膚つままれて」

「そんなことより、ここまできたならうち、あがっていけよ。どうせ用事なんかないだろ?」

 ライは当然のように言ってアパートの階段に足をかけた。腕の中には先ほどまで自分が被っていたヘルメットを抱えている。直也は彼女の発言に顔をしかめた。

「お前、俺を暇人みたいに……まぁ、いいけど。お前の依頼に関する話もまだ途中だしな」

「そうこなくっちゃ! ほら、速く来いよ!」

 階段を意気揚々と駆けあがっていくライに嘆息しつつ、直也も後を続く。何だか昨日から、彼女に振り回されてばかりのような気がした。事実、その通りなのだろう。しかしそれは水が高いところから低いところに流れるように、どうにも逆らえない世界の原理であるようだった。

「そういやお前、本当に大丈夫なのかよ、首。羽刺さってたんだぞ?」

 直也は一段一段、小走りで段差を乗り越えていくライの首元を覗くようにする。確かにそこには戦闘中、黒いカラスのような鳥の羽が刺さっていた。首の骨を削ぎ、貫通して。喉からその先端が飛び出てしまっているのではないか。初見でそう疑いをもってしまったくらい、羽は深々と刺さっていた、はずだった。

 しかしやはり、その痕跡はまったく見られない。ライのうなじはまったくの無傷だった。ならばあれは自分の幻覚だったとでもいうのだろうか。釈然としないものを覚えつつも直也はとりあえずライが無事であることに安堵する。自分のせいで誰も犠牲にならなかったのは、本当に救われることだった。

 ライは足を前に前に、上へ上へと進めながら片手を手すりに預けた姿勢で、直也を振り返る。その表情にはこちらの胸をくすぐるような、無邪気な笑みが浮かんでいた。

「だから全然大丈夫だっての。きっと見間違いだよ、見間違い。そんなことより、おっさんのほうこそすげぇよなぁ、ああやって今までも怪人と戦ってきたんだろ?」

「ま。本当に最近だけどな。怪人を倒せたのは本当にこの前からだよ。まだ、力不足だ」

「すっげぇ。剣でガキンガキンやるんだよな。かっこいい!」

 ライは好奇心を剥き出しにして、目を輝かせている。その相貌に恐怖の色は微塵もなくて直也はまた安心した。ライを危険から遠ざけるために実行した戦いがトラウマの元になったのでは、さすがにやりきれない。

 駅までの道や帰りの電車の中で、かなりかい摘んで怪人や装甲服について話したのだが、ライはヒーローを前にした少年のような羨望の眼差しで終始直也の話に耳を傾けていた。その反応にはこれからさらに首を突っ込んでくる兆しもあり、心配がないわけでもなかったが、今は素直に、訝しむこともなく話を聞いてくれたことに感謝をした。

「サンキュ。一応礼は言っとくけどな、お前はもう関わるなよ。こんな世界、首を突っ込まないで済むなら、それでいいんだからよ」

「分かってるって! 分かったから、もうちょい詳しいところ教えろよな」

「お前、引く気ねぇだろ。もう教えることはなにもないよ。全部歩きながら話しただろうが」

「まだまだ足りないだろー。半分以上、チャーハンの話題で終わっちゃったし。おっさん頑張りすぎだろ!」

「お前が話せって言ったんじゃねぇか! 一旦話始めたら、意外と俺の中に焼き飯に関する引き出しがあったんだからしょうがないだろ!」

 また他愛もないやり取りをしている間に、部屋の前に到着した。持っていた鍵でライが錠を解き、ドアを開ける。

「ほら、早く来いよ! ただいまー!」

「おじゃまします」

 脱兎のごとく直也から離れ、ドアをくぐり、靴を脱ぎ捨て、廊下を走って行くライ。直也は一言挨拶を宙に浮かべると、靴を脱ぎ、左右てんでばらばらの方向に散らばったライの靴を直してやってから彼女の後を追った。

 通された居間は、そこもまた黒城のイメージにはそぐわない、随分とこぢんまりとした部屋だった。おそらく広さは3畳ほど。床一面に畳が敷かれ、中央には座布団に囲われた座卓が置いてある。座卓の上にはケージがあり、何かと思えば、中でカブトムシを飼育しているのだった。黒い塊が、がさごそと枯れ葉混じりの土を歩く音だけが部屋にしんしんと響いている。

「家族は今日、家にいないのか?」

 休職中という負い目もあって、黒城と対面したくはないなとわずかばかりの緊張感を抱いていたのだが、それはどうやら杞憂に終わったようだった。家の中に、ライ以外の人の気配は皆無だったからだ。その予想を裏付けるように、ショルダーバックを放り出したライが「うん、なんか今日朝早くでかけたんだって。寝てる私を残して、なんか無情だよなー」と答えながら伸びをした。

 "無情"という語彙はなんだか、ライの口から出るにしては大分背伸びをしたような言葉のような気がして、直也は思わず苦笑した。

「そうだな。無情だな」

「なんか飲み物とってくるよ。ウーロン茶とほうじ茶、どっちがいい?」

「お構いなく、と言いたかったところだけど、なんで似通ったその2択なんだよ! いやまぁいいけどさ。ほうじ茶で」

「残念。うちには麦茶と砂糖水しかなかったのでした! 引っ掛かったな!」

「え、今のクイズ? というか砂糖水って絶対、このカブトムシの餌の残りだろ! んなもん客人に出すなよな!」

「まぁまぁ。とりあえず持ってくるよ、グレープジュース。ちょっと待ってろよ」

「結局、そのどれとも違うのかよ。そういや、ちょっとパソコン使っていいか? 調べたいことがあんだよ」

 いいよいいよ、と手を上げて、ライは奥の扉に消えていく。おそらくその先に台所があるのだろう。直也は低いテレビ台の上に置かれたノートパソコンに目をやると、それを持ち上げ、座卓の上に移動させた。

 手際良く起動し、インターネットに繋ぐ。検索サイトに繋ぐと、キーボードに指を這わせた状態でなんと言葉を入力するべきか少し思い悩んだ。

 情報を得たい事件は2つ。どちらから先に手を出しても良かったが、まずは瞼に焼き付けた映像が消えてしまわぬうちにと、手を動かす。1つ目は直也が解決の糸口を発見した『連続女性失踪事件』もとい、『連続女性誘拐殺人事件』のこと。いくつかのキーワードを検索欄に打ち込む。表示されたいくつもの結果を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し、自分の目的に見合う情報を探し出していく。

 欲していた答えはすぐに見つかった。直也が知りたかったのは11人目の被害者――すなわち、この事件の最後の犠牲者に関することだった。テレビのニュース番組を投稿した動画サイトがあったので、音量のボリュームを0にした状態で開く。期待を胸に膨らませ、画面をじっと凝視する。

 そしてその画面上に、生前の被害者の写真が映し出された時、直也は不謹慎だと思いながらも指を鳴らした。それと同時に息を呑む。自分の確信の裏付けはとれたものの、それが真実であるとするならば、また新たな謎が浮上することになる。常識的には考えられないが、この非現実が素知らぬ顔で蔓延する世の中では、それもまた起こり得る可能性として許容の範囲内という気もした。

 2つ目は、鉈橋家の次女、鉈橋そらが事故死した事件についてだ。あの写真に写っていた幸せそうな一家が崩壊の一途を辿る、そのきっかけとなった出来事でもある。こちらは3年前の、しかもそれほど話題に昇らなかった事件ということもあり、なかなか目的と一致する情報と出会うのに難航した。しかしそれでも執念深く検索結果を辿っていくと、見つかった。それは事件の概要が簡潔に記されたページだった。

 事件当日。山には薄く靄がかかり、非常に見通しが悪く危険な山道だったらしい。自治会の催しで出かけた子どもたちと保護者数名を乗せたバスはそれでも目的地にたどり着き、一同は楽しいひと時を満喫したらしかった。

 そして帰り道。そこで悲劇は起きた。山道を半ば辺りまで降りた頃、ハンドル操作を誤ったバスは崖から転落し、乗客は1人残らず死に至った。

 直也は一通り文章を読み返してから、腕を組んだ。確かにこの事件で鉈橋そらは死んでいる。死体も発見され、親もそれを確認している。そうでなければ、母親が精神病院に入ったり、長女や父親が失踪を遂げることはないだろう。それは確固たる事実であるはずだ。おそらく間違いはない。

 だとしたら、ライと鉈橋そらの顔の一致はどういうことなのだろう。似ているどころの騒ぎではない。2人は目鼻の形から、輪郭、髪型に至るまでまったく同じだった。異なる部分といえば、鉈橋そらは黒髪で、ライは燃えるような金髪であるという点ぐらいのものだった。

 鉈橋そらの写真だけみせられて、これは誰だと問われれば、直也でもライと答えるだろう。そういうレベルの一致具合。まるで鏡合わせのようだった。本当の瓜二つとはこういうことをいうのかと、感心してしまったぐらいだ。

 ライは自分の過去の記憶がほとんどないと話していた。そして鉈橋家の庭に転がるゴムボールを見て懐かしいと呟いていた。その2つの要素のみを短絡的に結び付け、推理するならそこに生まれる結論がある。

 それはもしかしたら彼女が記憶喪失の鉈橋そらではないのか、というある意味荒唐無稽なものだった。あの事故の後、実は生きていて、記憶の端に微かに残る故郷を目指してここまで来たのではないか。

 そんな映画のような展開を一瞬、考えもしたがインターネット上の情報を読み進めていくにつれ、その可能性は徐々に薄らいできた。鉈橋そらは確実に3年前、息絶えている。その情報に偽りはない。ならば、ライと鉈橋そらの顔の件は本当に偶然なのか……。

「おい、なにみてんだよ!」

 その顔が横からにゅっと覗いてきたので、直也は仰天した。慌ててノートパソコンを閉じる。このことをライに悟られてはならない。鉈橋そらの映る写真を見た時から、直也はそれを決めた。死人と自分の顔が似ていると言われて、いい気分になる人はいないだろう。額に嫌な汗を浮かべる直也を見て、ライは不審げな顔つきになった。

「なんだよ。どうせあれだろ、エロ画像なんだろ?」

「違う! つか、人の家あがっていきなりそんなもん見始めるほど、俺が血気盛んじゃねぇ」

「じゃあ、なんだよ。エロ目的以外に、男がインターネット使うわけないだろうが!」

「他にも色々あるわ! まぁ、普通に仕事に関することだよ。探偵はリアルタイムでの情報が大事だからな」

 適当に取り繕う。するとライは要領を得ないという風に、唇を曲げた。そしてパソコンがあったのとは別の台に置かれている小型のテレビを指差す。

「テレビがあるじゃんかよ。こいつじゃ力不足っていうのか?」

「インターネットを使いこなさなきゃ生きていけない時代だとか、お前の親父さんが言ってたよ。ま、そうでなくてもやっぱり欲しい情報がすぐ手に入るのは便利だしな」

「ふぅん。そういうもんなのか」

 あぁ、そういうもんなんだよ。いまだ釈然としない様子のライをあしらうと、直也はふとあることを思い出した。床に置いたメッセンジャーバックを手繰り寄せ、ファスナーを開く。

「……そういやお前、前に俺が預けた写真見たか?」

「写真?」

 手に持っていたグラスを座卓に置くと、ライは首を傾げた。怪訝そうな表情で、こちらに視線を返してくる。その反応を予想していなかったわけではなかったものの、直也は呆れてため息をついた。

「お前の姉ちゃんだっけかな。大分前に、女の人の映った写真渡したと思うんだけど。お前にも見せといてくれ、って頼んでおいたんだけどな」

「あぁ、そういやそんなこと言ってたっけ。あれから色々あってさ。すっかり忘れてた。そっか。レイが言ってたあの探偵って、エロニートのおっさんだったんだな」

 ぽんと掌を叩き合わせるライを横目でみながら、直也は眉根を寄せた。

「……なんかだんだん、俺を呼ぶ名が酷くなってる気がするけど、まぁいい。とにかく、見てないんだな? ちょっと髪の茶色みがかってる、20代くらいの女の人の写真なんだけど」

「うん。見てない見てない。なに、今あるの? あるなら見せろよ」

「ああ。一応持ってきておいて、正解だったな。とりあえず、今俺が追いかけている事件に関係するもんだ。一応お前にも見ておいてほしいと思ってな」

 写真に写っている女性というのは、咲のことだった。携帯電話に残っていた写メールを印刷したものだ。咲に関する情報を聞き込み、有力な手掛かりを1つでも見つけるべく、知り合いに彼女の写真を回していたのだった。

 それにライとその姉は金に染めた髪の毛をもっていることもある。オウガの指に絡まっていたブロンド色の毛髪。咲の残した、唯一とも呼べる手掛かり。彼女たちがそちらの証拠に引っ掛かる可能性も十二分にあった。

 髪の毛も一緒に見せようと思ったが、それは止めておいた。あまり一気に証拠を広げるのは危険だ。まずは写真を見せ、そこから得た反応を元に、次の証拠を出すべきだと考えた。それはたとえ、子どもが相手だとしてもなんら変わらない。だからまずは、咲の写真からだ。

 様々な思考を練りながら、メッセンジャーバックに手を突き入れ、中から写真を取り出そうとした、その時。

 来客を知らせるチャイムが部屋中に鳴り渡った。直也はバックに肘まで突っ込んだ姿勢で手を止め、廊下に繋がるドアのほうを見やった。

「おい、誰か来たみたいだぞ」

「いいよ。そんなことより写真みせろよ」

「よくないだろ。ドアは開けなくてもいいけど、とりあえず穴から覗くぐらいはしてこいって」

「なら、おっさんが行ってきてくれよ。私、写真みてるから」

「いや、人の家で俺が出るのは変だろ」

「ごちゃごちゃ言うなよ、このエロチャーハンが!」

「それ俺のことか! もはやなにがなんだか分からないもんになってるだろうが!」

 催促をするように、2回、3回とチャイムの音が続けて鳴る。直也は音のする方角を一瞥するようにしてから嘆息し、写真を裏返しで畳の上に置いた。ライが写真に手を伸ばすのを横目で確認しながら、立ち上がる。

「しょうがねぇなぁ……。勧誘とかだったら、適当にあしらっとけばいいんだろ?」

「うん。ま、おっさんの好きにしていいよ」

「だから人の家で、そんな自由奔放に振る舞えるかよ。お前の親父じゃないんだから」

 そんなやり取りを交わしている間にも、チャイムは鳴り続ける。煩わしいものを感じながら畳を踏みしめ、早足で部屋を横切る。「はいはい、今出るよ」と愚痴っぽく呟きながら、ドアに手をかけようとする。

 しかしライの発した声で、直也は思わず硬直した。

「なぁ……おっさん」

 彼女の声は裏返っていた。わずか数秒前に聞いた声がまるで嘘のようだった。視覚で得た情報がそのまま理解も感情も飛び越え、そのまま喉先にスキップして転がりだしてしまったような、そんな素っ頓狂な声調だった。だがそれよりも、何よりも、直也の胸を突いたのは、その言葉の内容だった。

 ドアノブを握ったまま、首だけで彼女を振り返る。その目は丸く見開かれ、口は立ち木に穿たれたうろのように、ぽかんと開け放たれたままだった。

「なんでおっさんが、この人の写真持ってるんだよ」

 ライの声は、これ以上とないくらい上擦っていて、震えていて、覚束なかった。何度も目を擦っては、写真を見ている。そしてその度、覆らない現実に、砕けない幻想に驚愕しているようだった。

「なんでって……そりゃあ」

 お前にも話した、俺の救えなかった、今頃になって信じられなくなっている元恋人だからだよ。自嘲気味に心の中で答えてみる。あまりにも不甲斐なくて口に出す気には、さすがになれなかった。

 ライはもう1度だけ写真に目を落とし、それから顔を上げた。直也を正面から見る。その目は若干、涙ぐんでいるように見えた。

「だって、これさ」

 彼女の声は小さかった。萎んでいるわけではない。取り乱しているため、どんな大きさで声を発していいのかさえ分からなくなっている。そんな様子だった。

「だってこれ、私の母さんなんだよ。間違いない。私を残していなくなった……母さんなんだ」

 消え入るようだったライの声量が、その時だけ、ほんの少し大きくなった。しかし直也の耳には届かない。鼓膜の奥を流れる血流からの雑音が邪魔をして、高くなる心音が阻害して、その胸に何も響かない。

 そして先に直也の耳朶を打ったのは、けたたましく鳴り響くチャイムの方だった。思い出したように、直也は止まった時間の中を泳いで、玄関に向かった。ライにはとりあえず覗き穴から来客を窺えと言っていたにも関わらず、直也はいきなりドアを押し開いた。鍵をかけてはいなかった。

 ドアの外で待っていたのは、1人の青年だった。紫色のシャツに、ジーンズ。頭にはカラフルなバンダナを巻いている。年はおそらく直也よりも、1つ2つ下だろう。成人式をついこの間終えたくらいの青年にみられる特有の若々しさがその快活な表情からは滲みでていた。

「よお。やっと出てくれたなー。この暑い中、ピンポン押しまくるのはなかなか重労働だった」

「いや、非常識だろ。俺がここの家主だったら、確実にキレる」

「非常識じゃない。非現実なんだ。あんたもそうだろ? 非現実なものに取り囲まれている。そういう意味では、俺の憧れの対象だよ。非現実こそ、素晴らしい」

 青年の勿体ぶった、もう少し含みを持たさずにいえば、余裕のある物言いに、直也は捉えどころのないものを感じる。何にせよ、これ以上関わり合いをもつのは避けたい部類の人間であることに違いはなかった。ドアノブを握る手に力を込め、ドアを閉めようとする。しかしその目論見は、青年が前に出した足によって妨げられた。

「お前、何なんだよ。押し入り、勧誘、すべてお断りだ。帰れ」

「残念ながら、そのどれでもない。そんな現実的なもんはここにはない。俺がこう言ったら、あんたは非現実的だと思うか? オウガの人、こうして顔を合わせるのはこれが初めてだな」

 直也は眉をひそめた。手を止める。なぜオウガを知っているのかと怪訝に思うと同時に、その声に聞き覚えがあることに気がついた。そう遠い記憶でもないはずだ。最近の、それも戦闘中というシチュエーションの中で耳にした覚えがある。

 青年はジーンズの尻ポケットに腕を回すと、そこから何かを取り出した。直也にかざして見せたそれは、かまぼこ板のような形状をしたプレートだった。表面は銀色で塗装され、羽を象ったマークが刻まれている。

 羽の上に記された数字は、『1』。直也はその瞬間、船見家の地下室での戦闘で、共に怪人と戦った装甲服の男のことを思い出した。

「お前。あの時の、あいつか」

「その時の、そいつだよ。今日は折り入って話に来たんだ。ちょっと、顔貸してくれよ。いいだろ?」

「……悪いな、今は忙しいんだ。後にしてくれ」

 それは彼と距離を置くための口実ではあったが、あながち間違いでもなかった。今直也は事件解決のためライに写真を見せ、その反応を窺っている最中だったからだ。それは少なくとも、不躾な来訪者と対面しているよりは大切な事情だった。またライが最後に発した言葉の意味も、ちゃんと聞き直す必要がある。少し考えてみるだけで、やることは山のようにあった。こんな男と会話を交わしている場合ではないぞ、と自分に言い聞かせる。

 しかし、拒否の意を示しても青年が態度を変えることはなかった。片手でドアを支えた姿勢で自分のこめかみのあたりを掻きながら、彼は言った。

「華永あきら。あの女の子に関することでも、同じセリフが吐けるかな?」

「……なんだと」

 直也が表情を強張らせると、彼はその反応を楽しむかのように眉毛を上げて笑った。

「ま、話だけでもさ。いいだろ? 同じ非現実を体験した仲じゃないか」

 そんな仲間になった覚えはない、と憤りさえ覚えるが、あきらの話といわれて気にならないはずがなかった。現恋人。先週あたりから行方をくらまし、そして過去に人を殺したことが判明した、少女。真実を知り、絶望し、悲観し、諦めもしたもののやはり心の隅では、彼女に会ってちゃんと話がしたいという気持ちがくすぶっていた。そして青年の言葉で、その気持ちに再び火が灯された。シュボ、とマッチを擦る音さえ耳の奥で聞こえたような気がした。

 直也は廊下を振り返り、まだ部屋に残っているであろうライのことを気にかける。しかし結局は、あきらの名前を出されたその瞬間から胸の内で膨らみはじめた動揺に操られるようにして、青年からの申し出に浅く顎を引いた。




鳥の話 26

 V.トールは熱を孕んだ大気に巻かれながら、掌から電撃を放出した。青白い光はくの字の軌跡を宙に描きだし、重装甲の戦士――エレフの胸部を鋭く捉える。

 エレフは後ろに身を引き、右腕を振るって電撃を弾き飛ばした。さらに背後から迫る馬の怪人、ケフェクスの放った火球も身を反らし、すんでのところで回避する。

「くらえ、"スーパーファルス"の一撃を!」

 全身を金の塗装でくるんだ装甲服、ファルスが左手の鞭を投擲する。先端に鋭利な刃のついている、蠍の尾を彷彿とさせる武器だ。エレフは彼の大声に咄嗟に反応し、小さく跳び上がることで足の下に攻撃をくぐらせた。

「まだまだ!」

 ファルスの右手から、さらに鞭が飛ぶ。今度は全体に金属の突起がひしめいている有刺鉄線状のものだ。エレフはたたらを踏みながらも振り向きざまに銃の引き金を絞り、自分に届く前にそれを撃ち落とした。

 V.トールは電撃を掌中にかき集め、ボーリング玉大の球形にまとめて打ち出した。それは今度こそエレフの胸を捉え、眩いほどの光と火花と一緒にその体を壁際まで吹き飛ばす。彼は足元をよろつかせていたが、片手を壁につくことで、自らの体を倒れぬよう支えた。

 教会の前の方では、S.アルムとアークの戦いが白熱していた。

 彼らの戦っている周囲の壁や、椅子や照明、石像などは真夏に外に放置したアイスのように、どろどろに溶かされていた。S.アルムの口から吐きだされる、白く粘り気のある溶解液を浴びた影響だ。アークの装甲も端々が溶け、ぽつぽつと床に銀色の滴を落としている状態にあった。

 S.アルムの突き出した槍を、アークはつま先で蹴りやることでかわす。両肩のバインダーを持ち上げ、砲口から光の波状を放つ。S.アルムは翼を前方に回すと、自らの体を覆う盾のように使用し、その一撃を難なく防いだ。受け流し、周囲にむらなく弾き飛ばした光の向こうに立つ彼は、まったくの無傷だった。相手の攻撃を完全に無力化させると肩の上を通して、翼を元通り、背面へと広げる。

「アーク。この前の、黒城スペシャル、だっけか?」

 S.アルムが深海魚じみた歯をみせ、笑う。槍を頭の上でぐるぐると回してから、力強く床を突いた。白く滑らかな床が陥没し、破片を周囲に飛散させる。

「悪いが。あれ、俺もできるんだな、これが」

 嘲るように呟くと、彼はその尖った指先を胸に突き入れた。低い吐息を歯の隙間から吐き出す彼の体が、薄気味悪く白に濁りだす。まるで血管に白濁液を打ち込まれたかのように、ライトグリーンの肉体が少しずつ、白く変化していく。目は異様なほどに血走り眼球が飛び出してしまいそうだ。突然始めたぎこちない歯軋りは教会の空気そのものを震動させるかのようだ。

 S.アルムは白煙をその場に残して、跳んだ。しかしいつ足が床から離れたのか、それどころか、宙に描き出されたはずの跳躍の軌跡でさえも、全く視認することができなかった。その姿が消え、次の瞬間、アークの背後に出現した。少なくともV.トールの目にはそう映った。

 目にも止まらぬスピードとは、こういうことを指すのだろう。S.アルムが腕を振るったその時には、アークの体は後方に弾き出されていた。さらにあらゆる方向に現れたS.アルムの拳が、続けざまに、間断なく打ち込まれていく。

「これが、俺のスペシャルだ!」

 中空に現れたS.アルムが、槍を突き出す。反応すら追いつかない速度で放たれたその一撃は、アークの右バインダーを造作もなく削り取った。砕かれたバインダーから砲口が露出し、二撃目で今度は頭のアンテナが折れた。

 強烈なボディーブローをくらったのか、宙に浮いたアークの体を、白い光の帯のようにしか見えなくなったS.アルムがさらう。キリスト像のすぐ脇に叩き込まれたアークは、そこで初めて床に両肩を預けた。

「猿真似とは、ちょこざいな」

 アークはぼやきながら身を起こし、軽く尻をはたくような動作を行った。そして軽く前屈みになると、バウンダーから外れ、剥き出しになった方の砲口から光の塊を発射した。

 その照準は、自身の足元。直滑降に落ちていった光球は破裂し、破壊音を撒き散らすと共に大量の埃を空気中に打ち上げた。その砂塵の渦巻く空間の中へ、S.アルムらしき光の帯が飛び込んでいく。

「1を創り出せぬ者が、勝利を得られると思わないでくれたまえ!」

 砂埃の中に、おそらくアークの鉄拳が飛んだのだろう。砂塵を突き破って現れたS.アルムが床に叩きつけられ、最前列の椅子の方まで転がった。

 アークはマスクにべったりと張り付いた埃を手で拭いながら、悠然と砂埃の中から姿をみせる。そして拳を浴びた拍子にどこかに槍を放り投げてしまったS.アルムの元へ、1歩1歩、焦らすように歩みを進めていく。

「2日連続で私と出逢ったのは、運が悪かったとしかいいようがないな。憐れんでやる! とくと感謝したまえよ」

 疲労困憊な様子のS.アルムに迫りながら、アークは傲岸な言葉を投げかける。それにしてもS.アルムの疲れ方は異常だった。攻撃を受けた数だけで換算するならば、アークのほうが圧倒的なはずだが、拳1つで形勢はまるで逆転してしまっている。

 肩で息をし、恨みがましい視線をアークに突きたてながらも、それでもS.アルムは動けない。傍目からでは、彼は無言を守ったまま、アークの足裏が床の上を滑る音を聞いているようにも見えた。

「まぁ、何にせよ。私の二連勝だな。しかしこのアークに傷をつけたこと、せいぜい地獄で自慢して回るがいい。死しても尚、私の名を広めたまえ!」

 アークが口上を吐き出し終えた、それとほとんど同じタイミングで彼の手首に鞭が巻きつけられる。ファルスだった。彼はさらにもう一方の鞭も振るい、アークの胸の前の空気を切る。

 エレフの放った弾丸を電撃で撃ち落しながら、V.トールはいつの間に、と驚愕した。先ほどまでケフェクスと共にエレフを追い込んでいたはずなのに、いつから彼はアークとS.アルムの戦いのほうに気を向けていたのだろう。

 さらにそこで初めて、仁はS.アルムが窮地に追い込まれているのを知り、危うく彼の名を叫びかけそうになる。しかし今の自分の姿のことを思い出し、何とかその衝動を唾とともに胃の中に押し込む。そこで隙が生じてしまったのだろう。V.トールはエレフが放ったミドルキックを受け、大きく転倒した。すかさずフォローに入ったケフェクスが、銃口を絞るエレフに火炎弾を当て、背後に吹き飛ばす。彼は振り返り、V.トールを見た。

「悔しいが、油断して勝てる相手じゃないぜ。こいつは。仲間のことが大事なのは分かるが、まずは己の身から、だ。分かったか」

「う、うん。ありがとう」

 身元不明の怪人ではあるが、仁はとりあえず助けてもらった礼を言う。ケフェクスが再度火炎弾を放つのと一緒に電撃を迸らせるが、また半透明のシールドで防がれた。あの技はかなり厄介だ。どれほど威力とタイミングのあった攻撃であっても、敵に届かなくては意味がない。しかし打開策も思いつかず、舌打ちをしながら飛んでくる弾丸を避けるしか方法がなかった。これでは仁の苦手な長期戦、消耗戦だ。すでに激しい戦いの中で霞がかった頭と、途切れ途切れの呼吸を自覚し、仁は不安を胸に過らせる。

 一方でファルスは憔悴した様子のS.アルムを見るなり、まず鼻を鳴らした。

「ホモ野郎を助ける形になるのは気に食わないけど、僕もこいつには因縁があるんでね。前は邪魔をされたが、今日こそぶっ飛ばさせてもらおうか!」

 かわされた有刺鉄線状の鞭を手前に引きながら器用に操り、アークに一撃を浴びせようとする。しかしアークは後ろに跳び倒れた石像の上に飛び乗ることで、その魂胆をいとも容易く看破した。

 アークはファルスを一瞥すると、小さく首を傾げ、沈痛な思いを載せた声をあげた。

「なんだ。随分、気持ち悪い色になったようだな。ファルスの色だけは気に入っていたのだが、これは真に残念だ。いや、残念すぎる」

「腐った目で安直な感想は吐かないで欲しいな。このカラーこそ、僕の王者の証。父さんみたいな地味な色とは違うんだ。昨日徹夜して塗った甲斐あって、最高の高級感を伴い、この戦いに参加することができたというわけさ。どうだ、凄いだろ!」

「実際には、兄上は右足のつまさきだけで、あとは俺が全部塗装したんだけどな」

 掌同士を叩き合わせ、その手中から炎によって生成された剣を出現させたケフェクスが、その剣を肩で担ぎながら冷静に、キャンサーの発言内容を一部訂正する。

 しかしキャンサーことファルスはそんな話に聞く耳など持たぬようで、片方の鞭を腰に戻すと、意味不明な掛け声とともにアークに殴りかかった。しかしアークは僅かに身をそらすだけで、その攻撃を実に呆気なく回避する。

「つまらぬことを……貴様の話はくだらなすぎて、くしゃみがでるわ!」

「どういうことだ!」

 ファルスのいきり立った叫びに、アークは人差し指をたてて応じた。

「いいか。威厳とは体裁だけではなく、中身から滲みでるものだ。いくら姿を変えても、心が伴わなければそんなもの何も意味がない。王者だがなんだか知らないが、貴様からは小物の臭いしかせんわ、三下は引っ込んでいたまえ」

「鼻かめ、鼻ぁ! 鼻も腐ってるのか? 何をほざこうが、お前は僕に捕らえられているんだ。 その事実を受け止めたらどうだ」

 ファルスはアークの手首に巻かれた鞭のグリップを握り締め、不適な笑いを零した。しかしアークは静かに肩をすくめると、ファルスの左手の辺りを小さく指差した。

「うつけ者め。まだ気がつかないのか。捕らえられているのは、貴様も同じだ」

「なんだと!」

 ファルスは慌てふためいた様子で、自身の手首を返す。するとそこには透明のワイヤーが複雑に絡んでおり、その末端はアークの左手首に開いたハッチの中へと続いていた。それは偶然なのか、ファルスが一本の鞭でアークをがっちり捕えている形と、ちょうど同じような構図だった。

「いつの間にこんな……この卑怯者が!」

「お前が殴りかかってきたときに、つけておいた。もう少し早く気づくと思ったのだが、どうやら、期待外れだったようだな。たいしたことがなさ過ぎる」

「お前、この僕を小ばかにしやがって……もう許さん! 僕のスーパーファルスの力、存分にその身に刻みつけてやるからな。覚悟するがいい!」

「面白い。気色悪い色の鉄くずが。私のアークの足元にも及ばぬこと、その魂に打ちつけてやる。さあ、かかってきたまえ!」

 互いに互いの片腕を捕まえた姿勢で、双方は一気に距離を詰め、ほどなく激突する。

 その光景を横目に捉えながら、V.トールは電撃を拳に纏うと跳躍し、ジャンピングパンチをエレフに打ち込んだ。手に鋼鉄を殴りつけたような感触が伝い、手ごたえを感じることもなく、V.トールは慌てて後退する。実際、エレフは胸についた埃を払い落すような仕草を行っただけで、衝撃を受けた素振りすらみせなかった。

 お返しとばかりに飛んできたエレフの弾丸をかわす。爆砕音とともに壁が砕け、数秒遅れて大量の瓦礫がV.トールに降り注いだ。覚えたばかりの前回り受身と電流の放射を駆使することで、何とか瓦礫の山の下敷きにならずには済む。

 エレフは銃のツマミを1の場所まで回転させた。それから慎重な動作で銃のグリップを両手で握り締める。構えたその銃口から、溢れ出さんばかりの光が充満していくのが見て取れた。エレフの装甲から銃に向けて光は川のように流れ込み、その度、光の濃度はさらに増していくかのようだ。

 V.トールは危険を察知しながらも、避けることはしなかった。体が勝手に動き、気づけば腹部に掲げられた石版を強く体内に向けて押し込んでいた。立ち向かわなければ。数日前に味わった苦汁の味が舌に蘇るようで、その感覚が反射的に仁の心を呼び覚ましていた。

「攻撃が来るぞ。1人じゃ無理だ。急なお願いですまないが、力を合わせて欲しい。頼む」

 いつの間にかすぐ隣にやってきていたケフェクスが、内緒話をするようにV.トールの耳元に口を寄せる。V.トールが引き込まれるように頷くと、彼は馬の口をにんまりと歪めて「どうも、すまんね」と感謝の意を告げた。

 それが怪人の口から出たとは思えぬほど柔らかく自然なものだったので、V.トールの内側で仁は動揺してしまう。

 エレフの拳銃から光の直線が吐き出されたのは、その直後だった。

 じゅう、という音とともに直線は空気中に漂う塵を焼き尽くしながら、V.トールに飛んでくる。有無をいわせぬスピードで飛んでくる熱線から、すでに逃げる術はない。もとよりその気もなかった。正面から迎え撃つ。今の状況の最善、そして仁の心が叫ぶ行動はそれだった。

「行くぞ!」

 ケフェクスが勇ましい声をあげる。V.トールは頷く間もなく、右手1本に電撃を纏わせた。先ほど石版から直接粒子を指先に付加させたため、掌に密集した電流の量はいつもより増している。ケフェクスもまた左手に炎をかき集め、塊を作る。

 どちらが申し合わせたわけでもない。それでもV.トールとケフェクスは同時に、それぞれ自分の手中から青白い電撃と赤黒い火炎を投げ放った。青と赤、白と黒が混じりあい絶妙なコントラストを生み出しながら熱線に激突したそれは拮抗するような様子をみせたあと、稲妻のような輝きを生み出して、やがて敵の熱線と相殺された。

 その一瞬の煌きに乗じて、V.トールは大きく跳躍した。

 腹部から石版を取り外し、右手の中で握り締める。すると粒子を伴いながら、それは掌で伸長し、瞬きをする間もなく巨大な金槌へと変化を遂げた。

 槍のように長い持ち手と、ドラム缶じみた巨大な本体。色は青く、ハンマーの面の部分は白色にコーティングされていた。持ち手は吸い込まれるような黒色だ。これがV.トールの所持するサーベル以外の武器。使い勝手は悪いが、その破壊力は申し分のない仁の切り札だった。

 大きな唸り声を発しながら、V.トールは跳びあがりながら頭上まで大きく振り上げたそれを、今度は体をくの字に折るようにしながら一気に振り下ろした。エレフはその姿を認めると、避けている時間がないことを察したのだろう、拳銃のつまみを2のところまで動かし、半透明のシールドで自分をすかさず覆った。

 だが、それが仁の算段、目論見だった。V.トールは構わず、力任せにシールド目掛けて金槌を叩き落した。びりびりとした感触が腕を伝い、一瞬、空気が凍りついたような気さえした。ほんのわずかな沈黙の後、金槌に打たれた箇所を発端として亀裂が走り、音もたてずにシールドは木っ端微塵に粉砕された。

「だから言ったろ狩沢。力を抜けと。シールドに頼るとは、お前らしくもない」

 床に着地したV.トールと入れ違いになって、赤く燃え盛る剣を片手にしたケフェクスがエレフに躍りかかる。間髪入れずに踏み込まれたその攻撃に面食らったのだろう。エレフは一太刀をまともに浴び、その足元をふらつかせた。さらに一撃、ケフェクスは剣先を今度は彼の胸に突き立てる。そしてその場でくるりとターンすると、剣を炎に戻し、それを赤く光るボールのように変形させて、エレフの右手に投げつけた。その手から銃がもぎ取られ、床にけたたましい音を立てて落下する。

 V.トールは金槌を石版へと変化させると、火球に顔の中心を打たれてよろめくエレフ目掛け、大きくジャンプした。ケフェクスの肩を踏みつけ、そこからさらに高く跳ぶ。そして右足に電撃、左足にケフェクスから貰い受けた火炎を纏わせると、全身で空を切り、両足でエレフにドロップキックを叩き込んだ。

 エレフは続けざまに攻撃を浴びせかけられ、終いに蹴り飛ばされたエレフは壁に激突し、そのままずるずると力なく座り込んだ。

 V.トールが床に両足で到着すると同時に、エレフから光の粒が霧消し、装甲服が消失する。中から出てきたのは筋骨隆々という言葉をそのまま体現したかのような、30代後半とみられるタンクトップ姿の男だった。

 いかにも屈強そうなその男は、憎憎しげにV.トールとケフェクスを睨んだ後で、何かを掴み取ろうとするかのように腕を前に突き伸ばし、しかし、その手に何も触れることはなく、ゆっくりと目を閉じた。大きく肩を落とし、項垂れる。どうやら気を失ったようだった。

 V.トールはマスカレイダーの中身が人間であることをまざまざと見せ付けられ、多少の罪悪感を覚えながらも、頭を強く振り、その気持ちをふるい落とした。一歩間違えれば、自分がエレフに殺されるかもしれない。悔やんだり、良心の呵責に苦しむのは戦いが終わってからいくらでもすればいい。戦闘中は、弱さをみせることが命取りになりかねない。

 突然肩を叩かれたので、V.トールはその場で大袈裟に飛び上がってしまった。「そんなに驚くなよ。攻撃する意思はないんだ」と当惑をみせたのは、先ほど仁と、束の間の連携をこなしたケフェクスだった。

 彼は首をすくめるような動作の後で、V.トールに背を向けた。

「ちょっとついてきてくれ。あいつも、つれてな。最初に言ったと思うが、俺はお前たちに用があって、ここにいたんだ。なに、悪いことはしない。とりあえず話を聞いてもらいたいだけだ」

 一方的に言い放った後、顎でS.アルムを示す。彼は両手で椅子を掴み、下半身を引きずるようにしながら何とか立ち上がろうと足掻いているところだった。

「彼も連れてくるんだ。……仲間が巻き添えを食うのは、嫌だろうし。俺たちも彼を仲間外れにするつもりはない。ただし素早くだ。俺は決して待たないからな」

 ケフェクスの話す言葉の意味が呑みこめず、V.トールは鼻白んだ。しかし、さっさと教会の出口に向かって歩き出すケフェクスと、決死の形相を浮かべて身を起こすS.アルムを見比べているうち、無意識のうちに体が動いていた。S.アルムに駆け寄り、その肩を掴む。

「奴は、俺の獲物なんだ。あんな奴に横取りにされるなんて……」

 S.アルムは心底悔しげに、激しい火花を散らすファルスとアークの戦いを眺めている。その目は少し潤んでいるようにも見えた。V.トールはS.アルムの脇から腕を通すことで、彼の体を持ち上げた。

「そんなことより今は、菜原君の体の方が心配だ。結構辛そうじゃないか。さぁ、肩を貸すから早くここから離れよう」

 このままファルスを援護し、アーク――世界大統領の男に2人で立ち向かえば事は収まるのでないか。頭の端でそんなことを考えもした。しかし、ケフェクスの淀みない言葉が仁に一つまみの危機感を与えていた。このままここに留まっていたら、何かとてつもない災禍に巻き込まれてしまうのではないかという予感があった。

 しかしS.アルム、菜原がここまできて退散という選択肢に乗ってくれるだろうか。正直、仁はその答えは望めないだろうと思っていた。幾度となく、マスカレイダーに対する憎しみを顕わにしてきた男だ。俺の獲物なんだから手を出すなと声を荒らげ、マスカレイダーの名が出ようものなら、ひとたびその眼光は鋭くなる。仁の知っている菜原という男は、そういう人間だった。

 しかし仁の想像に反して、S.アルムは別段抵抗をみせることはなかった。惚けたようにV.トールを見つめ、それからいかにも幸せそうな柔和な声を発した。

「仁が俺のことを、そこまで思ってくれてるなんて……。分かった、ここは引こう。そしてお前に手当をしてもらいたい。ゆっくりと、じっくりとな」

「う、うん……とりあえず行こうか」

「あぁ。ありがとう。ようやく俺の気持ちが実ったんだな」

 にんまりと口角を釣り上げるS.アルムに怖気を感じながら、V.トールは彼に肩を貸した状態で入口に向けて走った。何がなにやらわからないが、とりあえず最後の難関は突破できたようだ。人間をはるかに超越した脚力で跳ぶことで、扉の前までにはわずか3歩でたどり着くことができた。

 男1人分の体重を支え、なだれ込むように外へと飛び出すと、そこにケフェクスは待っていた。振り向き、太陽の日射しを浴びた2人を見つけると表情を緩めた。

「来たな。時間制限、ギリギリだ。お前ら、なかなか運がいいじゃないか」

「どういうこと? それに、君は一体……」

 人語を解し、話し、獰猛さと優しさを兼ね揃え、思慮の深いこの怪人。その素性について問い質そうとしたV.トールを、ケフェクスは言葉で制した。

「おっと、質問には後で答える。――ちょっと、2、3歩前に出てくれ」

「……こう?」

「もっとだ」

 ケフェクスはV.トールに近寄ると、その背を軽く押しやった。V.トールと肩を組んでいる以上、自動的に菜原も前に押し出される形となる。仁はその真意を確かめたくてケフェクスに顔を向けた。しかし彼は、たったいま出てきたばかりの教会を仰ぐと、風に吹かれて音をたてる木と同じくらいささやかな声で誰にともなく呟いた。

「じゃあな、狩沢。今度は地獄で会おうか」

 彼がそのセリフを言い終えるかどうかというタイミングで、突然、教会を火柱が包み込んだ。

 爆発音はなかった。風になびく炎の音が一度に大音量となり、気付けば教会は真っ赤に染め上げられていた。空にはもくもくと黒い煙が立ち昇っている。それはあっという間に、足の速い雲を呑みこんでいった。

 最初からこのつもりだったのか、と仁はようやく彼の作戦を理解した。マスカレイダーズを何らかの手段でおびき寄せ、教会に火をつけ一網打尽にしようと考えたのだ。この燃え上がり具合からして事前に建物自体に細工を施していたに違いない。

 狡猾で残虐、そして無慈悲。しかしあまりに冷静な作戦。仁は炎を照り返して輝くケフェクスの黒い肉体を見やり、その満足げな表情に戦慄を覚えた。

「あの。仲間は、いいの?」

 それでも掠れた声で、仁は尋ねた。するとケフェクスは胸を張り、一切に淀みのない答えを返した。

「兄上の体はこの程度で傷つくほど柔じゃない。この作戦を言いだしたのも、兄上だからな」

「あ、そう……」

「いや、嘘だけど」

「嘘なの?」

「まぁ、兄上ならなんとかなるさ。あの人がいう最強の怪人って自称は、根拠のないものじゃない。それゆえの自信があっての発言なんだからな」

 それはあの怪人を信じての発言なのか、それとも侮っての行動なのか。呆気にとられるV.トールを尻目に、ケフェクスははにかんだ。

「じゃあ行くか。ここまで来たんだ。もうちょっと付き合ってくれても、いいよな?」

 ごうごうと燃え盛る教会を背にしながら、まるで何事もなかったかのようにケフェクスが告げる。中にはもう1人仲間がいるのに放っておいていいのかと口に出そうとしたが、止めておいた。そこまでする義理はさすがにないだろうし、それもまた作戦の内なのだろうと自己解決する。

 しかしここまで派手なことをされ、また命さえ救ってもらったのに、拒否するわけにはいかないだろう。そしてそんな打算を除いたとしても、単純に仁はこの怪人に対して興味を惹かれ始めていた。

 V.トールはS.アルムと顔を見合わせる。そしてうねる火炎の熱を浴びながら、ケフェクスに対して共に頷きを返した。




鎧の話 24

「あきらちゃんを?」

 直也は思わず、空に遠く響くような大声をあげてしまった。ライに断りを入れて玄関を飛び出し、階段を下って戻ってきた駐輪所、頭の上に直射日光を遮る屋根が敷かれ、地に熱が奪われたかのように冷たく薄暗い空間でのことだった。そこだけは夏の日差しも、少し遠くに感じられる。

 直也と対峙する、頭にバンダナを巻いた青年は玄関前での緩んだ表情とは一転した真顔でさらに続けた。

「ああ。マスカレイダーズは、彼女を捕まえるために動き出した。俺がその先陣を切らされた、ってわけだ。なんで捕まえようとしているかは……あんたなら分かるよな?」

 華永あきらを殺そうと思っている。直也に対して比較的広い理解を示してくれていたトヨが、一方で眼光を鋭く尖らせ吐きだした一言。

 トヨはあきらを強く恨んでいた。そしてその意思はマスカレイダーズ全体の総意でもあった。華永あきらという人間は7年前、黄金の鳥を祭り上げたリーダーの娘であり、トヨ達と完全な敵対関係にあった。そしていま時を経て、あきらは父の遺志を継ぐかのように自分でチームを再び立ち上げ、黄金の鳥を復活させようとしている。

 トヨにはあきらと相対する理由があった。彼女もまた、黄金の鳥の発展を阻止しようと活動し、その最中に命を落としてしまった息子の遺志を受け継いでいるのだから。

 それに加え、あきらはトヨの昔の仲間を殺害している。その時点であきらに狙いを集中させ、命を奪おうとする判断はマスカレイダーズにとって至極当然の流れだった。

 しかしそれの抑止力となっていたのが、速見拓也だったはずだ。彼はあきらのクラスを受けもつ教師であり、彼女を含めた生徒のことを何よりも大切に思っていた。同時にマスカレイダーズの方針を滞らせることができるほど、彼は強い立場におり、だからこそこれまであきらは直接的に狙わることなく済んでいたといえた。

 拓也の顔をここ数日見ていない。一体彼は何をしているのかと問うと、青年は後頭部に腕をまわしてバンダナの結び目をいじりながら、あまりにも意外な返答をよこしてきた。

「速見さん? あの人なら今、重傷だよ。ずっとベッドで寝てる。ああいうのを昏睡状態っていうのかな」

 昏睡状態。ベッドで寝ている。いつも快活で、ついこの間まで一緒に男の尾行をしていた。いつも溢れださんばかりの元気で直也の心を明るく照らしてくれる存在。彼がベッドの上で無数のケーブルに繋がれ、機械の力で生き長らえている光景は想像し難かった。

「……マジかよ」

「こんなこと冗談で言うわけないじゃないか。すげぇマジだよ。速見さんは、負けたんだよ」

 怪人にやられたのだという。強敵で、ダンテではまったく歯がたたなかったらしい。拳を血で濡らし、安定を失いかけてまで足掻いたが、結局は地に沈められ、そのまま意識を失った。それが昨日で、今この時も彼は眠り続けているらしい。

 その話を耳にした瞬間、直也は目の前が黒く滲むのを感じた。膝からくず折れそうになる。屋根を支えている、細い鉄製の柱に寄り掛かることで体を支えた。まさか、と思った。嘘といってくれ、と目の前の青年に懇願しようとするが、声はでてこなかった。

「だからゴンザレスは、動き出した。速見さんがいなくなったから、安心して華永あきらを始末できるようになったんだ。相変わらず、恐ろしい奴だよ、あいつは」

 彼の言葉に直也は弾かれるようにして前に飛び出し、青年の胸倉を掴んだ。脳の中で血液が沸騰しているかのようだった。抑えることのできない感情の爆発が、直也の体を動かしていた。

「そんなの……きたねぇだろ。あいつが寝てる間に全部物事終わらせて、それで済ますつもりかよ。冗談じゃねぇぞ。あいつはな、俺なんかよりずっとあきらちゃんのことを考えてて、ずっとあの子が標的にならないように必死にやってきたんだぞ。ふざけんな。速見の思いを、無駄にしてたまるかよ」

「俺もそう思ってたところだ。俺だって大切なカノジョって奴がいてね。ま、だからあんたの気持ちも分かるってわけさ。……だからまぁ、聞けよ」

 青年はその華奢な腕からは想像もつかないほどの、有無をいわせぬ力で直也の手を振りほどくと、この暗がりを照らすような明朗な笑顔をみせた。

「俺も今のゴンザレスの判断はどうかと思う。速見さんの意思を完全に無視した、いわば裏切り行為だ。だからさ、俺たちで先に彼女を見つけようぜ? いや俺たち、っていうのは違うな。あんただ。あんたのことなら、彼女も信頼するだろ? 多分。そうすればきっと、彼女を救う手段も見つかると思うんだ」

 どうだろう、と直也は自分のつま先を見つめながら思う。彼女が直也を本当に信頼してくれていたならば、もっと色々なことを、そしてもっと大切なことを話してくれたはずだ。

 しかしそれを抜いても、あきらと会って話がしたいという気持ちは大いにあった。とにかく彼女と話したい。そして彼女自身の口から紡がれる真相を確かめたい。

「……心当たりはあるのかよ。その、彼女がいそうな場所に。俺を頼ってきたのならお手上げだ。俺ももうあの子とは音信不通の状態なんだからな」

「もちろん、ある。俺たちが、彼女のことを調査してたのは知ってるよな。尾行をしたりして、黄金の鳥と本当に繋がっているのか確かめるために身の上を調べていた」

 直也は頷いた。拓也と会ったきっかけも、彼があきらの恋人である自分を尾行していたことだったからだ。青年は直也の反応を見ると、さらに続けた。

「その中で、どうにも不審な場所があるんだ」

「不審な場所?」

「あぁ、そのあたりに行くと。急に彼女を見失う。そういう地点がある。実際に行くとただの更地なんだけどさ。何とも非現実な場所だよな。だから俺たちの間では、そこをミステリースポットと呼んでる」

「そこに、あきらちゃんがいるかもしれないって。そう言いたいのか?」

 青年は指を鳴らした。しかし失敗したのか、掠れるような音が空気中に漏れただけだった。彼は残念そうに眉を下げた後で、人差し指を立てた。

「いないかもしれない。だけど、奇妙な場所であることに違いはないだろ? それに今のこの状況を彼女自身が気づいているなら、真っ先に俺たちの捕捉できない場所に逃げ込むはずだ。これまでの経験から判断して、まだ彼女はマスカレイダーズと交戦する気はないように思えるんだよな」

 確かに青年の言うことは、理に叶っている。問題はその情報が信じるに足るかどうかだ。直也はマスカレイダーズのことを、ゴンザレスのことを未だに信じられずにいる。直也はあきらの声や表情、その体を脳裏に再生させ、それから己の心に呼びかけた。そして跳ね返ってきた自分自身の声を、喉の奥で天秤にかける。

 そこで得た、答えは。

「分かった……そこに案内してくれ」

 その場所で呼びかけてみて、あきらが姿を現さなかったなら――やはり自分と彼女との関係はそういうことなのだろう。天秤が落ちるか上がるか、そのふり幅を確かめる意味も含めて、直也は彼からの提案を了承する。

「あんたなら、了解してくれると思ってたよ。思った通り。さすがだな、オウガの人!」

 なにがさすがなのか判断はつかないが、そう言ってはしゃぐ青年を尻目に、直也は高鳴る自身の鼓動を胸に置いた拳で確かめた。ずきりずきりと、痛みを伴う胸の騒ぎ。そこに刻まれる心音の意味を、直也は瞼を閉じて、静かに考える。


12話完

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