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#14 イグトアを去った話

 『一人だけ』という言葉を聞いて駆けつけたのは、両親の部屋だった。

 きっと生きている、きっと元気に寝ている――――そう信じて。

 ドアを勢いよく開けると、そこには絵の具で荒らされたような温かな光に照らされた部屋だった。

 母と父の姿を見つけた。俺は二人に駆け寄るが、それを途中でやめた。

 最初から、希望を持つのが間違いだったのだ。

 ストロベリーソースのように垂れた血液が床に舞っていた。

 後からゆっくり来た聖騎士は嘲笑いながら、堂々と舞った血を踏み潰していった。ぱしゃぱしゃと、雨の中を歩いているような音がする。


「さて、じゃあここは魔物のせいにして行こうか」


 そう言って、レイガルドは俺の両脇を掴み上げると、肩の上に置いた。

 冷たい金属の感覚が体に広がっていく。下を見ると、さっきよりも小さく見える横並びの人々が見えた。

 なるほど、逃げられないように肩に乗せたのか。恐怖心を煽る。

 それにしても気になるのは、魔物のせいにするということだ。いくら何でも無理がある言い訳で、これを誰がどう見ても魔物がやったとは思えない。

 どうしても、宿の者に見つかってしまうのだ。そうなると魔物のせいにするのは難しい。これは誰がどう見ても剣で刺して殺したものだ。

 宿側に協力者がいるのか?


「レイガルド様、せめてその子にお別れをさせてあげてはいかがでしょうか」


 そうレイガルドに発言したのは革鎧を着た女性の聖騎士だ。特徴的な赤毛は短めで、クールな雰囲気だ。

 レイガルドは少し悩むと、そうだねと言って俺を肩から下ろした。

 ふわりと、下ろし方には優しさが感じられる。


「お母さんとお父さんにお別れしようね」

「············」


 はい、と言おうとしたが声が出なかった。

 あまりにも悲しくて悔しくて恨めしくて······感情が醜い方向に向かっているのが痛々しいくらいに伝わってきた。

 駄目だと自分に言い聞かせても、濁った湧き水のように醜い感情が溢れてくる。

 いくら汚れてもいい。この手が人間の血で汚れてもいい。俺の生きる意味は、兄姉と両親の復讐を成し遂げること――――そう思ってしまった。

 俺は冷たくなった母の手を触った。俺の手で温めようと強く握っても、力無く垂れ下がってしまう指が俺の手から零れ落ちた。

 大きく見開いた目には光がなかった。俺は母の手をそっと置くと、彼女のまぶたを包むように閉ざした。

 次に父の方へと向かう。

 ついさっき死んだのか、父の手はまだ温かかった。母より重い彼の手は柔らかく、今すぐに冷たくなってしまいそうで怖かった。

 父は目を瞑っており、安らかな笑顔のままだった。

 彼等は死の間際に何を思い、何を言い残したかったのか。生き残った俺はそれを知らぬままに、俺は父から離れた。


「失礼します。片付けはこちらの部屋で合っていますでしょうかねぇ?」


 そう言って部屋に入ってきたのは、受付にいたおっとりとした老婆だ。部屋の光景を見ても驚かず、水が入った桶を血塗れの床に置いた。


「ええ、この部屋です。いつもお世話になっています」


 老婆はにこやかに、布巾で床を吹いていく。始めは白かった布巾が徐々に赤くなっていった。

 これが日常、なのだろうか······?

 人は簡単に殺され、絶望のみが取り残されるような世界だったのか······? 一番大切なものが簡単に天に昇ってしまうような、残酷な世界だったのか······?


「では、後は任せます」

「わかりました。では行ってらっしゃいませぇ」


 レイガルドは部屋に背中を向けた。

 やはり今回も俺は彼の肩に乗せられた。髪の毛を抜いていくという嫌がらせができるというメリットがあるが、いつでも彼は俺を殺せる。殺されたくなければ言うことを聞け、か。

 部屋を出ていく途中で、受付の老婆に呼び止められた。彼女は両手で小さなナイフを持っていた。シンプルだが綺麗だ。


「そちらの子供の父親でしょうかねぇ。鞘に入れたままだけど、ぎゅっと握っておりましたよ」


 老婆は人の良さそうな笑みで俺を見た。まるで孫を見る目だ。

 温かな朝日に照らされたナイフは一つの曇りもなく光っていた。鞘は革素材で繋ぎ合わされているところはほつれかけていた。

 老婆からナイフを受け取ると、握っていた父の温もりを感じた。

 俺はふと考えた。このナイフですぐ横にある頭を刺せば復讐の一歩を踏み出せるんじゃないか、と。

 ナイフをゆっくり抜き、それの全体像を見ると見せかけてから、すぐ横の頭の頭頂部を狙った。

 振り下ろした俺の腕は、レイガルドの手に掴まれていた。途中で止まったナイフの先はレイガルドの髪にさえ届いていなかった。

 俺は諦めずに腕に力を入れるが、成人男性には力で勝てなかった。


「可愛い抵抗だね。でも無駄なんだ」


 そう言うレイガルドの顔は笑っていた。強制的に下ろされたナイフを持つ俺の腕が小刻みに震えていた。

 鞘に仕舞うまで時間がかかった。その時間の間、レイガルド達は宿を出て馬に乗っていた。

 肩に乗せられていた俺は馬の背に乗せられ、その後ろにレイガルドが乗った。

 レイガルドを先頭に、俺達はイグトアを去った。

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