異世界のおじいちゃん勇者
たしかに『異世界とか楽しそうだな、いいな』と思ったことはある。聖女として召喚されるのも異世界ものの創作では鉄板の設定だろう。だけど、これはちょっと思ってたのと違う気がする。
「そっちじゃなくて右の道ですよ」
「こっちじゃな!」
神よ、なぜ私にこんな試練を与えたもうたのですか。この無駄なやり取りでどれだけ時間を浪費してるのかと思うと目眩がする。
「逆ですよ!」
「任せろい!!」
「だから!!逆!!右の道から行った方が近いんだって!!」
「あんだってー!?」
力いっぱい腕を引っ張ってるのに、私ごと逆方向に引き摺られていく。言うことを聞かない大型犬の散歩をしてるような状態だ。
「右の!道から!行きますよ!!」
「おう、なるほど!左じゃな、わしに任せておけ!」
上記は私と勇者の日常のやり取りである。
私の苦労が少しはお分かりいただけるだろうか。ここまで聞き間違えるってもはや嫌がらせかなって思う。
異世界にいきなり聖女として呼び出されたのもびっくりしたけども、魔王討伐パーティーが勇者と私しかいないっておかしくない?その勇者が80代オーバー(推定)、むしろもうすぐ90代っておかしくない?本当に魔王倒す気ある?と何度頭を抱えたことか。
約70歳離れてるとジェネレーションギャップどころじゃない。むしろ共通の話題の方がレアな気がする。まぁ耳が遠すぎて話が通じることが少ないので歳の差も何もない気もするけども…。
城に召喚された時に出迎えられた人々は高齢者だらけだったので、この国も日本と一緒で少子高齢化社会なんだろう。特に国の中枢にいくほどその傾向が強いのかも。
この勇者、普段は困ったおじいちゃんでしかないが、歴代最強の勇者だったというだけあって確かにすごく強い。彼が剣を軽く一振りすれば敵の雑魚集団がカケラも残らず消失するぐらい強い。ただ、耳が遠くて全然意志の疎通ができないのが地味に、いや、普通に困る。
「この国を救う役割が、なんでこの人と私なんだろうなぁ…」
まったくもって不可解だ。まぁこのおじいちゃん勇者は先代の魔王と戦ったことがあるらしいのでまだ分かる。
私は普通の大学生だったのに、なんでこんな所にいるんだろう。見上げた夜空には寒くもないのにオーロラがかかり、ひらひらと虹色の光を振り撒いている。
「聖女さん、夜ご飯はまだかのう?」
「…もう食べたわよ、おじいちゃん…」
ため息をつきながらそう答えると、おじいちゃん勇者は「そうだったかのう?」と嬉しそうに笑っている。毒気を抜かれるというか、本当に人の良さそうな笑顔だ。私は苦笑をもらした。長い旅の間に、私はこのおじいちゃんに情が湧いてしまった。
おじいちゃんは夜空を見上げて「今日はよく光っとるなぁ」などと言っている。その横顔をじっと見る。ピジョンブラッドなんて名前のルビーを思い出すくらい、赤くて輝きの強い瞳。
異世界の他の人たちの髪色や瞳は茶系やオレンジ系が多いから、この瞳は勇者固有の色なのかも。髪が真っ白なのは加齢によるものなのか、元々の色なのか判別がつかない。
黙ってれば結構渋くて素敵なおじいちゃんなんだけどなぁ。歳の割に背筋もしゃんと伸びてるし、戦ってる時なんかはすごく格好いいのだ。私が勇者と同年代のおばあちゃんだったら好きになっていたかもしれない。なんてね。
「聖女さん、夜ご飯はまだかの?」
「もう食べましたよー」
苦笑しながらおじいちゃんの背中をぽんぽんと叩くと「はて?」と首を傾げている。
魔王城までも結構な旅だったというのに、このおじいちゃん勇者はいろんな事をすぐに忘れる。プラス耳が遠いためそもそも話が正確に伝わらない。でもいつもニコニコ笑っていて、なんだか憎めない人なのだ。人としては全然嫌いじゃないし、もしも現代日本で知り合っていたら茶飲み友達くらいにはなっていたかもしれない。
そんなこんなでおじいちゃん勇者と珍道中を繰り広げること2年。長かった…。魔王城の情報や、その周辺や内部の様子、側近の情報を集めていたらかなり時間がかかってしまった。けれど、それは仕方のないことだ。いくら魔法が使える世界とはいえ、死んでしまった人間を蘇らせる魔法などないのだから。
強すぎる弊害なのか、おじいちゃん勇者は放っておくと『作戦?何それ美味しいの?』状態なので、私が慎重にならざるをえないのだ。
この旅は、もうすぐ終わる。
私たちの目の前には見たこともないほどの絶壁と、さらにその上に聳え立つ真っ黒な魔王城がある。
今夜、私たちは魔王城に奇襲をかける予定だ。魔王を倒せても、そうでなくても、戦いが終われば彼との旅は終わりだ。なかなかに感慨深い。
「おじいちゃん。ご存知の通り私は身体補助魔法と結界、回復くらいしかできないけど、崖を登って上まで行けそうですか?崖の上にめちゃくちゃ見張りの魔王軍並んでるけど…」
調べたので知ってはいたが、目の前にするとやはり怖い。怖気付いた私に向かっておじいちゃんは飄々と返事をした。
「んー?余裕じゃよ。聖女ちゃん優秀じゃし。前回来た時とは城の位置も形も違うし、魔王や幹部は直接会わんことには細かいことまでは分からんがのぉ」
おじいちゃんが結構傲慢な事を言っているが、人類史上最強の勇者がそう言うのだから事実なのだろう。
最後に立ち寄った街で耳の聞こえが良くなる魔道具(つまり補聴器みたいなやつ)を手に入れられたのは僥倖だった。かなりレアなアイテムらしく、目玉が飛び出そうな値段だったが即購入した。魔王城の前でいつものような大声のやり取りをしてたらすぐに見つかってしまう。
私の回復魔法は加齢にはあまり効かないのか、何度試してもおじいちゃんの耳はよくならなかったので大変ありがたい。
「さて、行くかの」
「はーい」
おじいちゃんはしゃがんで後ろに手を出している。私はおじいちゃんの背中によいしょ、とよじ登った。2年前まで普通の大学生をしていた人間が勇者の動きについていけるはずもなく、戦闘の時はいつもおんぶスタイルだ。
最初に提案された時は「ご高齢の方におんぶさせて戦わせるなんて」という罪悪感と、血まみれの戦闘を目の前で見せられる恐怖で他の方法がないか模索していたのだけど、結局はこれが最も効率がいい。結界も小さめでいいし、補助魔法もかけやすく、おじいちゃんが怪我したらすぐに分かる。
例えおじいちゃん勇者が兵器みたいな強さでも、細かい怪我は絶えないので私にも存在意義はあると思いたい。
「よし、OKだよおじいちゃん。レッツゴー」
「らじゃーじゃ!」
2年の間に変な言葉を覚えさせちゃったなぁ…などと考えてる間に、おじいちゃん勇者は私を背負ったまま絶壁を超速で駆け上がっていく。どんな脚力してるんだ。何度見ても人智を超えた身体能力だ。
絶壁の頂上に辿り着いたおじいちゃんはまっすぐに魔王城の門を目指し、私をおぶったまま足技だけで見張りの兵たちを蹴散らしていく。視界がスプラッタで軽く吐き気を催すが、結界と補助魔法を重ねがけしつつ私も相手に妨害魔法を放つ。
ここに来るまでに何人か中ボス的な魔族とも戦ってきたので、それに比べると一般兵は勇者と戦わせるのが気の毒なくらい弱かった。いきなり絶壁を登って来た戦闘狂のおじいちゃん(withおんぶ聖女)に怯えてる感じすらある。そりゃ怖いよね。
あっという間に門に辿り着いたおじいちゃんは、片足で門を蹴り壊した。門には大型トラックが突っ込んだような巨大な穴があいた。うん…この人は隕石か何かなのかな?
そのままとんでもないスピードで長すぎる階段を8段飛ばしで駆け上っていく。これだけ動いてるのに後ろの私は割と快適ってどういう事なんだろうか。体幹が強いとかそういう問題?必要なさそうだけど勇者の足に筋力補助と回復を強めてかける。
おじいちゃんは途中で出会った魔族たちを尋常じゃない速度の体当たりで轢き殺しながら、魔王城の1番上まで辿り着いた。なんか、この辺りで私は遠くを見ていた。最初から補聴器を支給してくれていたら、魔王の討伐も半年くらいで終わってたんじゃないかなって…。ダメよ、そんな事考えたら!心が折れる!この補聴器は超レアアイテムだから仕方ないのよ!
自分に言い聞かせながらも若干泣きそうになっていると、おじいちゃんが再び足で重厚な扉を蹴り壊した。扉の豪華さからいって、おそらくここがゴールの魔王部屋だろう。
さすがに魔王城の最上階だけあってすごく壮麗だ。そう、なんていうか、広い!天井が高い!柱が太い!置物が高そう!………脳内言語がアホすぎて自分にがっかりだ。
玉座で目を見開いているのが魔王だろう。横には腹心の部下っぽい人2人が控えている。3人とも綺麗な顔が引き攣っていた。
うん、わかるよ…過去の勇者のことはよく知らないけど、どう考えても崖の下からここに来るまでのスピードがおかしい。こんな敵が現れたら魔王であっても泣いても仕方ないと思う。味方の私ですら、このおじいちゃんの異常性が怖くてちょっと半泣きになってるもの。
「よ、よくぞここまで辿り着いた。だがたった2人で何ができる?それもよぼよぼの勇者とその勇者におぶわれた聖女とは…我らを笑わせに来たのか?」
魔王が若干どもりながらも威厳を保とうと頑張っている。おじいちゃんはここで初めて私のことを床に下ろした。
「ほー。お主、話さなければ父親にそっくりじゃな。危うく先代魔王が蘇ったのかと思ったわい」
「な、なぜお前が父上を知っている!ま、まさか…父上を倒した勇者パーティーの生き残りか!?あのパーティーは父上と相討ちになって全滅したはずだ!!」
「あぁ…先代魔王はまぁ倒せたんじゃが、卑怯な手を使われてな。おかげで今回のパーティーは前回と違う聖女ちゃん1人じゃ」
おじいちゃんが珍しく苦い顔をしている。こんなに強いおじいちゃんでも仲間を守れなかったのか…。思わぬ過去に私は思わずおじいちゃんの手をぎゅっと握った。
「私は自分の身は自分で守ります。思う存分戦ってきてください!」
おじいちゃんは一瞬驚いたような顔をしたが、ふっと微笑んだ。私も微笑み返すと、彼はとんでもない事を言い出した。
「魔王を倒したら結婚しよう」
「…は?」
「約束じゃぞ」
「いやいや、歳の差…!ちょ、まっ」
おじいちゃんは笑ったまま駆け出した。いや私は確かに年上の方が好きだけども、さすがに70歳差は許容範囲超えてるっていうか、え?待って、私の意思は?
大混乱しながらも、日々のくせで結界や補助魔法は完璧にかけてしまう自分がなんか嫌だ。でもわざと負けるのはあり得ないし、ていうか負けたら死ぬし、魔王に勝ったら結婚は正式にお断りしよう、そうしよう。願わくば忘れてもらえたら丸く収まるのだが。
おじいちゃんは大魔法を何発も連続でぶっ放しながら魔王に斬りかかっていく。さすがに魔王はその辺の兵士とは違い、その魔法を受け流しておじいちゃんと切り結んでいる。隣の2人は片方が回復役、片方が補助魔法をかけているようだ。
私は自分の体に補助魔法をかけると懐に入れていた短剣を抜いて走り出す。回復役に斬りかかると驚いたような顔をされたが、相手の頬に軽い傷がついただけで避けられてしまった。チッ。まぁいい、おじいちゃん勇者が魔王と幹部を1人、私はもう1人を受け持つという予定通りの流れだ。
「聖女が魔族に斬りかかって舌打ちするとは世も末だな。貴様は魔王軍の方が向いているのではないか?じいさんの嫁にするには惜しい人材だ」
「お断りします」
失礼だな、まるで人を悪女みたいに。そりゃ多少はこの世界に毒されてるのは否めないが、魔王軍幹部もおじいちゃんの嫁もまとめてお断りだ。私は地球に帰るんだ。絶対に帰る。帰って白米とお味噌汁を食べるんだ!誕生日にオークの群れを狩る生活は今日で終わらせてやる!!
「残念だ」
私を勧誘していた魔族が黒い炎をまとった手で私の心臓を狙って来たが、間一髪で後ろに宙返りして避けた。身体強化してればこれぐらいの動きはできるが、明日は絶対にひどい筋肉痛だな。
魔王と幹部1人を相手に戦っていたおじいちゃんがこちらを見て叫ぶ。
「今じゃ!!」
私はすかさずそちらへ軌道を変えて走り、2人の動きを止めてるおじいちゃんの横から聖なる光を帯びた短剣を魔王と側近にぶん投げた。
2人が怯んだ隙におじいちゃんは私を片手で回収して小脇に抱え、玉座の奥にある禍々しい鏡の前に辿り着くと素手で(そこは武器使えよと思った)鏡を叩き割った。
その瞬間、魔王と側近がこの世のものとは思えないおぞましい叫び声をあげて苦しみ始める。どうやらこの鏡が魔族たちに魔力を供給している根源だったようだ。結界を張っていても、鏡から漏れ出した異様な黒い魔力に全身が震えて止まらない。
魔王と幹部2人は意識を失って倒れた。鏡の奥から、黒い靄の塊がのっそりと顔を出す。こいつが私たちの本当の敵だ。こいつを倒さない限り、魔王は永遠に製造されるし魔物や魔族もこの世界に生み出され続ける。らしい。
巨人のような黒い靄が、こちらに向かって手を伸ばす。おじいちゃんは私に向かって微笑むと、いつの間にか繋いでいた手をそっと離した。
「大丈夫じゃ。いつも通り落ち着いてやるんじゃ」
「うん…」
おじいちゃんは自ら靄に飲み込まれてしまった。怖い。私がここで失敗したら、おじいちゃんは死んでしまう。
おじいちゃんの前回の経験から、魔族全体に魔力供給する存在がいることは聞いていた。前回は魔王は倒したものの、魔力の大元は絶つことができずにパーティーが崩されて敗走したことも。
今から決行するのは補聴器を手に入れてからおじいちゃんと何度も話し合って決めた作戦だ。だけど、本当にうまく行くのだろうか。
私は光り輝く掌から『祈りの杖』を引き出した。これは聖女に代々引き継がれている国宝の杖だ。祈りの力を何倍、何十倍、聖女によっては何百倍にまで引き上げられる。
杖の先端についている拳代のガラス玉に祈りをこめると、ガラス玉が光を帯びてくる。私は身体中の魔力をそこに集めた。この戦いが終わったら、私はもう2度と魔法を使えなくなるだろう。
チャンスは一度だけ。この黒い靄の、内と外から同時に力を加え、2度と力が集約しないよう魔力を爆散させる。もちろんおじいちゃんと私はさまざまな魔道具と結界で守りを固めているが、生き残れるかは微妙なところだ。情けで転がっている魔王とその側近にも結界を張った。彼らはそもそも闇の眷属だから、この靄が爆発しても私やおじいちゃんよりは生存率が高いだろう。
私は直視できないほど光を放つ祈りの杖を構えた。靄の中からは赤い光がチラチラと瞬いている。おじいちゃんも準備はできたようだ。
「おじいちゃん、レッツゴー!!」
「らじゃー!」
「「せーの!!」」
私は、手に持った国宝の杖を靄に向かってぶん投げた。ちなみにおじいちゃんが持ってるのは国宝の剣だ。この光景をお城のお偉い高齢者集団が見たら、みんな天国に行ってしまうと思う。
綺麗な放物線を描いた杖と、おじいちゃんの投げた剣が靄の中でぶつかって七色の光を放ちながら大爆発した。結界を張っていても爆風と光と爆音が防ぎきれず、私は吹き飛ばされてどこかの壁に思い切り背中をぶつけた。結界がなかったら即死だったな。
「いたたたた…」
煙がすごくて周りが見えない。結界や魔道具は爆発や叩きつけられた衝撃で全て壊れてしまったようだ。あと1つでも魔道具が足りなかったら死んでいたかもしれないと思うとゾッとした。やり過ぎなくらいだと思ってたのに。
「おじいちゃん!大丈夫!?」
返事がない。私は不安になって辺りを見回した。靄の中にいたおじいちゃんの方がダメージが大きかったのかもしれない。おじいちゃんが怪我をしていても、私はもう回復魔法を使えない。
おろおろしながら瓦礫の中を探しまわっていると、瓦礫から手が出ているのを発見した。あの白い服は間違いなくおじいちゃんだ。全く動かない手に鼓動が嫌な音を立てる。
慌てて瓦礫をどかそうとするが、重い。身体強化が切れたのだ。必死に瓦礫をどかそうとしてると、後ろから手が伸びて瓦礫をどかしてくれた。魔王だ。
「ありがとう」
「…我らをあれの支配から解放してもらったからな。礼には及ばん」
幹部の2人も生きてるようだ。それはよかったけど私は今それどころではない。
おじいちゃんはうつ伏せに倒れていた。真っ白な髪が粉塵で灰色に汚れている。砂埃がすごくて咳も止まらないし、目からは涙が出て視界が滲む。
「おじいちゃん!!おじいちゃん、生きてる!?」
「ん…」
膝の上に頭をのせ、こちらを向かせて顔を確認する。ぼやけた視界でも違和感がすごい。目をこすってもう一度覗き込んだ。
いや誰だこの美形。その人が目を開けると、ルビーのような瞳が私を見た。
「聖女ちゃん、無事だったか…よかった」
私は目を見開いた。この笑い方。補聴器、服装、壊れてはいるが身につけている魔道具の数々。そして真っ白な髪と赤い瞳。
「えっ、はっ!?おじいちゃん!?どうしたの!?若返ってるよ!!」
「………っ、ははは!最高!」
「いや、最高じゃないし!何これ!」
混乱する私の手を握り、元おじいちゃん勇者は微笑んだ。眩しすぎて目が潰れそうな笑顔って初めて見たよ。
「先代魔王を倒した時、魔王討伐に関わった人間は全員老人に変えられる呪いをかけられたんだ。大元のあいつを倒した事で呪いが解けた。解けるかどうかは賭けだったから黙ってたけど。ありがとう、聖女ちゃん」
「おじいちゃん…」
「いやもうおじいちゃんじゃないから。クーディスレジュートって呼んで欲しい」
「く、クー…なんて?」
元おじいちゃんは私を見て吹き出した。
「クーでいいや、よろしくね?俺のお嫁さん」
「いや結婚は無理です」
「なんで」
「元の世界帰りますし」
「ついて行くよ」
元おじいちゃんの声と表情が甘すぎる。背中からおかしな汗がドバッと出るのを感じて俯くと、「かわいい」などと言われて二の句がつげない。
「よそでやってくれ」
私たちのやり取りに呆れた魔王が口を出した。
その後、私と勇者が元の国に帰還すると城の人々は働き盛りの若者が大半になっており、召喚された時に見た人々の多くは呪いをかけられていたことが判明した。先代パーティーも普通にピンピンしてた。80代になっても魔王と互角に戦えていた勇者は異常だと言っていたが、それは全力で同意しておいた。
それから、先代聖女さんと筆頭魔法使いさんが頑張ってくれたおかげで、私は召喚された時と同じ日の夕方に家に戻ることができた。勇者は切り離してくれと頼んだのにクーは普通に私と手をつないでこちらの世界に来た。
彼らにはニコニコ笑顔で裏切られてしまったので、元の世界に帰してくれた感謝が7割、恨み3割といったところだ。戸籍がなかった上に日本人離れした容姿でどう見ても成人しているクーは、手続きがとてもとても大変だったのだ。
無戸籍の場合は役所が苗字をつけてくれるのだが、彼は下の名前も偽名を名乗ったので鈴木空人という名前になった。いや誰だ。
私が元の世界に戻るのについて来てしまった元勇者様は、近所でボロボロになっていた野良猫を拾い育て始めた。SNSの猫を見て、自分も猫自慢をしたいというので彼が猫を抱っこしている写真を載せたらとんでもない数の反響があってちょっと引いた。
ほとんど猫の写真しか載せていないにも関わらず、彼は今ではちょっとしたインフルエンサーになっている。
戸籍を得てから彼は髪を黒く染めて企業で働き始めた。が、戸籍を得たばかりで普通の賃貸契約をしたりするのは色々な縛りがあるらしく数年は難しいようで、なし崩し的にクーは私の1人暮らしの家に同居してしまっている。
と言っても、私たちの関係は一応まだ友人だ。
元の世界での立場を捨ててまでついてきてくれているのだから、本気なのは分かっているのだけど。まだ私の中では2年間一緒に旅をしていたおじいちゃんとクーが一致しないのだ。ずるいのは分かっているが、もう少し時間が欲しい。
買い物についてきてくれたクーが当たり前のように私の手から荷物を持ち、当然の権利という顔で私の手を引く。彼のそんな行動に、私も日毎に胸が高鳴って抵抗できなくなってきている。
今朝、彼がほっぺにキスしようとしたのを全力回避したら「そろそろ本気出そうかなぁ」などと小声で呟いていたが、気のせいだと思いたい。
数ヶ月後、勝手に遊びにきた妹がクーを見て鼻血を出したり、妹から光の速度で話がまわった両親にテレビ電話でクーを紹介したりして外堀がどんどん埋められて私が彼に白旗をあげることになることを、私はまだ知らない。
読んでいただきありがとうございます!