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35.残念令嬢、危機一髪⁉(後編)

 ジャネットが「バルド」と呼び、私がBBという名で知っていたその若者は、のっそりとこちらに近づいてくるなり、私を乱暴に立たせると、両手首を掴んで拘束した。


「い……っ!」


 痛い! と言いかけた私に向かって、BBは尖った犬歯を見せて唸るように吐き捨てる。

 

「騒ぐんじゃねえ、でぶ女」


 赤味がかった金色の前髪の間から、不機嫌そうに私を睨む瞳は、ルビーのような深紅色だ。


 ……ん? 赤味がかった金髪? 尖った犬歯?

 それに、「でぶ女」っていうこの口調……。


 ――『うっわ、すっげえでぶ! 誰だよ、あのでぶ女!』


「え、バルドって、()()バルド⁉」


 バルド・バイロン(BB)。バイロン伯爵家の嫡男にして、入学式のあの日、パトリシアを大泣きさせた少年が、平民の労働者のような恰好(なり)でそこにいた。


「思い出した? でも彼、今はただの平民よ。聖女事件の後で廃嫡されたから」

「聖女事件……」


 モートン家の男爵令嬢ミリア、別名「聖女ミリア」による王太子妃候補暗殺未遂事件である。

 大勢の取り巻きを引き連れ、ストロベリーブロンドの髪を揺らして王立学院の廊下を我が物顔で歩いていた少女の姿が脳裏をよぎる。その両脇にはいつも、オレンジブロンドとハニーブロンドの少女が狛犬(こまいぬ)のようにつき従っていた。

 

 事件後、ミリアは処刑こそ免れたものの、身分を剥奪された上、ケレス国内でも最果ての修道院に送られた。

 同時に、彼女に協力していた名のある貴族の子弟たちも、ある者は廃嫡され、ある者は「留学」という名のもとに国外に追放されたため、当時の宮廷はかなり混乱したと思われる。


 思われる、という言い方になるのは、〈パトリシア〉が詳細を知らないせいだ。

 というのも、彼女にとっては、事件の影響で自分の二度目のデビュタントが飛んでしまったことのほうが、よほど大きなショックだったからである。


「バルドって、ミリアさ……ミリアを崇拝してた男の子たちの中でも一番過激だったじゃない? だから、当時は廃嫡どころか処刑の可能性まであったんだけど、クラスメイトのよしみでファインズ家(うち)が救い出してあげたってわけ」


 ね、とバルドに笑顔を向けるジャネット。

 そういえば、ミリアの取り巻きたちの中では、ジャネットとイモラこそ一番近くにいたはずなのに、なぜかどちらもお咎めらしいお咎めはなかったようだ。

 ファインズ伯爵の政治力は、それだけ大きいということか。


「それで、私をどうするつもり?」


 小柄なジャネットが相手なら、万一暴力沙汰になったとしても、体格差で私が勝てるだろう。

 でも、バルドは昔から喧嘩が強かったし、こんなふうにがっちり拘束されていては、ろくに抵抗することもできない。

 ジャネットはにやりと唇をゆがめた。


「筋書きはこうよ。悪賢い豚鬼(オーク)令嬢は、ファインズ家の家宝と引き換えに、サンダルの意匠権を譲ると言って私を〈アマーリエ〉に(おび)き出したの。でも、いざその場になると、彼女は力づくで家宝を奪おうとした。運よくこのあたりを散歩していたバルドが騒ぎを聞きつけ、窓から踏み込んだおかげで私は助かったけど、オークは家宝を奪って逃亡。そのまま行方をくらました……」


 私は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 その筋書きだと、私がひょっこり戻ってきては、彼女にとってまずいことになるのでは。

 てことは、つまり……。

 ジャネットが、ふいにけらけらと笑い出した。


「なあに、その顔! 殺されるとでも思った? 馬鹿ね。そんな危ないことするわけないじゃない。ちょっと気絶してもらって、その間に南国(ガザズ)行きのうちの船に放り込むだけよ。幸い、このあたりはしょっちゅう胡散臭い商会の船が行き来してるみたいだし? 木を隠すなら森の中よね」


 その時だった。


「生憎だが、お嬢さん。うちの商会は人身売買はやってないんで」


 声と同時に、河に面したフランス窓からダリオが入ってきた。すぐ後ろに、万年筆と手帳を手にしたランドルフが続く。


「だっ、誰っ⁉」


 焦って声を裏返らせるジャネットに、ダリオは馬鹿丁寧にお辞儀してみせた。


「ダリオ・カルヴィーノ男爵。向こう岸の倉庫で、胡散臭い商会を営む者でございます。で、こっちのむさい大男はランドルフ。我が〈カルヴィーノ・ジャーナル〉が誇る腕利きの記者の一人でさあ」


 こんな状況にもかかわらず、私は「えっ!」と声を上げた。


「ランドルフ? あなた、お肉屋さんじゃなかったの⁉」

「……兼業なんだ。精肉場()経営してる」


 そんな私たちのやりとりを、ジャネットは両手をわななかせながら見ていたが、やがて「バルド!」と声を張り上げた。


「こいつら二人をどうにかして! あんたの腕ならできるでしょ!」

「無茶言うな」


 とバルド。


「いくら俺でも、王宮騎士団が相手じゃ勝てねえよ」


 その言葉を合図にしたかのように、今度は個室の扉を開けて、数人の騎士を引き連れたカイル様が踏み込んできた。


「ああっ。カ、カイル様……っ!」


 蒼褪めるジャネットに向かい、カイル様はたんたんと告げる。

 

「ジャネット・ファインズ。窃盗、脅迫、傷害および誘拐未遂の罪で貴女を拘束する」

「カイル様。これは……これは違うんです。お願いです。私の話を聞いてくだ……痛っ! ちょっと、私をどこへ連れていく気⁉ 放して。放しなさいったら!」

「連れていけ」


 カイル様の命令で、騎士たちがジャネットを連れて部屋を出ていくと。

 ダリオが、不機嫌そうな顔で私を振り向いた。


「嬢ちゃん。王宮騎士団を呼びつけるなら、俺らは別に必要なかったんじゃねえのかい」


 私は慌てて首を振る。


「いいえ。私が呼んだんじゃないわ!」


 ジャネットから招待状が届いたあの日。

 執事のピアースに「会うなら自分に有利な場所にしろ」とアドバイスをもらった私は、万一のことを考えて、ダリオに〈カルヴィーノ・ジャーナル〉の記者を待機させてくれるように頼んでおいたのだった。

 待ち合わせ場所を〈アマーリエ〉に指定したのも、倉庫街に近かったからだ。

 でも、建国祭で忙しいはずのカイル様や騎士団を呼ぶなんて、これっぽっちも考えてはいなかった。


「彼女は何も知らないよ」


 カイル様が言い、まだ部屋に残っていたバルドの肩をぽんと叩く。


「ご苦労だった、バルド巡回兵。よく僕たちに知らせてくれたね」

「ええっ!」


 私は呆気にとられてバルドを見る。


「だって、あなた……」

「ファインズ家の犬じゃなかったのかい」


 ダリオが私の言いたかったことを代弁する。私はさすがに「犬」とまでは思わなかったけど。


「ファインズ家には確かに恩がある。けど、俺を救ってくれたのはジャネットじゃない。彼女の兄のニコラス様だ。それに……」


 あんたには、いろいろと悪いことをしたからな。


 私にしか聞こえない声で、バルドは確かにそう言った。


 ◇◇◇


 そのころ、隣の個室では――。


 イサーク・グスマンとその部下が、ひっそりと帰り支度をしているところだった。


「いやはや、とんでもないご令嬢ですな」


 年輩の部下が感心したように口を開く。

 まったくだ、とイサークは思う。


(リドリー閣下から知らせを受け取ったときは、どうなることかと思ったが……)


「リドリー伯爵令嬢パトリシア、か」


 彼女の名をつぶやく自分の唇が、ほんのわずかに(ほころ)んだことを、イサークは気づいていなかった。

お読みいただき、ありがとうございました。

これにてSeason 2「王都編」最終回となります。


次回、Season 3は舞台をリドリー家の領地に移し「マナーハウス編」をお届けする予定です。

どうぞお楽しみに!

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