神のいる町
海沿いの田舎町に住んでいる。今の仕事先の都合で引っ越してきた町だ。
隣に住んでるおばあちゃんは度々畑で採れた野菜を持ってきてくれる。
変わりに僕は時々おばあちゃんができない力仕事や、高いところについている電球を変えてあげている。
仕事から帰ってきて妻と一緒にテレビを見ながらご飯を食べていると
「そろそろ子供を作ったらどうかと思うの」
と妻が言った。
僕と妻は今年で結婚してから二年とちょっとだ。
「子供か」
と僕は答えた。子供のことなんて今まで考えたこともなかったので少し驚いた。
「子供、欲しいの?」
「うん、私とあなたの子供が欲しいの」
僕としては正直どっちでも良かった。子供がひとり増えてもやっていけるだけの経済的余裕もある。特に反対する理由も見つからなかった。
「じゃあ子供作ろうか」
僕が言うと妻は顔を明るくして「実はもう買ってあるの」と寝室から粘土を持ってきた。
粘土を包んでいるビニールには「明るい家族計画」と書かれている。
ご飯を食べ終わったあと、テーブルの上に新聞紙を引き、僕と妻は早速いっしょに粘土をこねた。
「目は君そっくりにしよう」
と言い、僕は妻そっくりの細くて長い目をヘラで描いた。
僕は妻の目の形が大好きなのだ。
「じゃあ口はあなたそっくりにするわね」
妻は僕そっくりの厚ぼったい口を作った。
次の日も朝早くから仕事だというのに、その夜僕と妻は遅くまで子供を作った。
子供を作った週の土曜日の午前中、妻と一緒に役所へ行き神の息吹の書類を貰った。名前や住所など必要事項を記入し、印鑑を忘れずに押してから受付へと提出する。
「ではお呼びするまで少しお待ち下さい」
受付の若い女性が笑顔で僕に整理番号のついた札を渡した。
美人な子だと思ったがそれを口に出すと妻が怒りそうなので、僕はその思いを心にしまっておいた。
妻といっしょに羊の話しをしながら待っていると、僕らの番号が呼び出されたので妻といっしょに受付に行く。
「書類のチェックが済みました。問題はありません。来週の火曜日の夜八時が空いていますがいかがでしょうか?」
夜八時なら仕事も終わっていて大丈夫だ。
「それでよろしくお願いします」
「では来週の火曜日、十八日の日に夜八時からで予約しておきますのでくれぐれも遅れないようお願い致します」
受付の女の子がまた先ほどと同じように笑顔で言う。
その笑顔がとても素晴らしいと思ったが、僕はその感情を再び僕の頭の奥深くへとしまっておいた。
十八日の火曜日、僕と妻は車で神のいる工場へと向かった。
助手席では妻がに子供の種である粘土が入った桐の箱を大事そうに抱えている。顔は終始笑顔だ。
妻の笑顔を見て僕は先週役所へ行ったさいにみた、受付の女の子の笑顔を思い出した。
「楽しみね」
妻が笑顔で言う。僕は受付の女の子の笑顔を頭で思い出していたので少し驚いた。
「そうだね」
僕も楽しみだった。きっと僕の顔も笑顔に違いない。
神のいる工場に近づくにつれて霧がたちこめてきた。
小学校の時に一度だけ神のいる工場を見学したことがある。学校からバスに二時間ほど乗って行ったのだ。その時、神のいる工場はいつも霧に包まれているという説明を聞いたのを思い出した。もう十年以上昔のことだ。
神のいる工場は町の離れにある。そのため道は舗装されてなくガタガタなうえに道幅も狭く、濃い霧で前がほとんど見えないので慎重に車を走らせていると、ようやく神のいる工場に辿り着いた。
時間を見ると七時半。濃い霧のせいで予定していた到着時間よりずっと遅かった。
余裕を持って出ておいてよかったと僕は安堵した。
工場はとても高い柵で覆われていた。
マンションの五階部分くらいまではあろうかという高さで、外部からの侵入を防ぐにしては少し過剰すぎる高さだ。
それか僕が知らないだけで、この柵は人間以外からの侵入を防ぐための柵かもしれない。
妻を車に残し、僕は車を降りて門の脇に小さな受付窓のついたプレハブへと行く。
受付窓の中には大柄な三十代くらいの男が本を読んで座っていたので受付窓を軽くノックする。
「すいません、今日の八時に予約したものですが」
男は本を机の上に置くと冬眠明けの熊のようにゆっくりとこちらを振り向いた。
「じゃあ身分証明書出して」
寝起きのような声で男が言う。
僕は免許証を受付窓から男に渡した。
免許証を受け取る男の手は毛深く、まるで本物の熊のようだと思った。
男は僕の免許証を受け取ると、乱雑に書類が散らばっている机から一枚のファイルを取り出し、ファイルと免許証を見比べた。
「はい、いいよ。じゃあ門開けるから」
男が言うと轟音と供に門が開き、門が密着してた部分から錆びのようなものがパラパラと落ちた。
門が開いたのは久しぶりなのかもしれない。
「最近は神の息吹なんかやる人も少なくなってね。この門を開けたのも久しぶりだよ」
男が受付窓の中から言う。
「最近はクローンだとか、遺伝子なんとかとかそういうのが流行ってるからなぁ」
男は眩しそうな目をしながら話した。
「もう何かを神に頼むような時代じゃないのかもしれないね」
そうかもしれない。男の言ってることは正しい気がした。
昔の小説家が言っていたように、本当の意味での神はもう死んでしまったのかもしれない。
「門入って左に駐車場があるからそこに車止めればいいから。あと帰る時にはまたここによって」
熊のような男はそう言うと再び本を読み始めた。
車に戻り「ここの管理人熊のような男だったよ」と妻に言うと、妻は「失礼よ」といいながらも顔は笑っていた。
門の中に入り車を駐車場へと止める。
駐車場には他に車は一台も止まってなかった。
外に降りると気のせいかもしれないが、先ほどまでいた柵の外よりも寒い気がした。
細道を奥に歩いていくと正面に社が見えた。
社は僕が子供の時に見た時よりも大きい気がした。
子供の時に見たものが大人になってから見ると小さく見えることはよくあることだが、小さいころに見た時よりも大きく見えるなんて不思議だ。
「この社に昔神様が住んでいたんですよ」
見学に来た時にガイドが言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。
社の隣には小さな工場があり、工場の屋根についてる煙突からは申し訳ない程度の煙が出ていた。
工場の扉の前には小男がタバコを吸って立っていた。足下には彼が捨てた物であろうタバコの吸い殻が何本か捨ててあった。
「君たちが神の息吹をやりに来た夫婦か」
そう言うと小男は時計を覗き込んだ。時間は遅れていない筈だ。小男は時計を見ると満足そうな顔でこちらを向いた。
「よろしい、きちんと時間通りだ。これからは親になるんだ、時間くらいきちんと守れないといけない」
そう言うながら小男は僕と妻の顔を品定めするような視線で見た。その表情はどこか下品で、狡猾なネズミを僕に連想させた。小男が僕の顔よりも妻の顔を長く見ていたように感じたからかもしれない。
「じゃあ中に入ろうか」
小男は僕らの品定めを終えると、扉を開け中に入った。僕と妻も小男の後へと続く。
工場の中はとてもボロボロだった。中に入ったとたんに強烈な、おそらく化学製品であろう刺激臭がした。高い天井に付いている明かりはチラつき、それが工場の中をさらにボロボロに見せている。
工場内にはベルトコンベアと溶鉱炉、裁断機、それから僕にはわからない機械がたくさん置いてあり、その機械は全て動いていた。なのに不思議と音は一切なく工場内はとても静かで、僕と妻と小男の足音だけが工場の中に響き、その音はなんだかとても場違いに思えた。
機械の工場の一番奥に神はいた。工場の地べたに座り壁にもたれかかっていた。
髪は長くボサボサで、服は着ているというよりは辛うじて体に引っ掛かっているという感じで、露出されてる肌は黒く汚れ、目には黒い目隠しが巻かれていた。体中には管やケーブルがついていて、それらは工場内に伸びている。
子供のころここに見学に来たときには工場の中は見れなかった。そのため神を見るのは初めてだったが、実在の神の姿は想像していた姿よりもみすぼらしかった。
「じゃあ子供の種を出して」
小男が言う。妻は桐の箱から大事そうに子供の種を出して小男に渡す。小男は子供の種を持って神に近づきトントンと足を軽く踏みならした。それまで生気無くもたれかかっていた神が小男のほうを向いた。
「今から!息!吹き込んで!」
小男が大声で、一言一言区切って神に言った。神は言葉にならないうめき声を出しながらうなずいた。
小男から渡された子供の種を大事そうに受け取ると、すぐ傍に置いてあった金属のストローのような形をしたものを手に取り、それを子供の種の頭のてっぺんに刺した。
神がストローに口を付け、子供の種に息を吹き入れる。
ただストローに口をつけて息を吹き込んでいるはずなのに、その姿はとても美しかった。周りの空気が全て神の口に集まっているような気がした。
数分間神の姿に見とれていると子供の種がほのかに光った。
光ったのを見ると小男が神から子供の種を取り上げる。神は小男のほうへと手を伸ばして子供の種を追いすがる様にしたがすぐに諦め、また生気なく壁にもたれかかった。
「さあどうぞ」
小男が妻に子供の種を渡す。それは神が息吹を吹き込む前と後とではぜんぜん違い、今では本物の赤ちゃんのようになっていた。
「温かい」
子供の種を受け取った妻が言う。僕は妻が大事そうに抱えている子供の種を触った。それは冬の朝の毛布のような幸せな温かさだった。妻はとても愛しそうに子供の種を見ていた。僕が妻を見ているのに気づくと、妻が僕の顔を子供の種を見ていたときと同じ表情で見た。
小男のほうを見ると、小男は僕と妻のやりとりをまた狡猾なネズミのような顔で見ていた。何かが気に食わないのかもしれない。
「それじゃあ用事も済んだことだしさっさと出ましょうか。危険はないはずですが、万が一のことがあったら私が責任を取らないといけないんでね」
妻が子供の種を慎重に桐の箱へと入れ、僕と妻は小男の後に続いて工場の扉へ向かった。工場を出る前に最後に振り向いて神を見ると、彼は僕らが来る前と同じように生気なく壁にもたれかかっていた。
「これで神の息吹は終わりです。帰りに守衛のところへ寄るのを忘れないように」
工場を出ると小男が言った。
「わかりました。今日はありがとうございました」
妻が小男に礼を言い、僕と妻が工場を去ろうと工場から出口のほうへ少し歩いたところで「旦那さん」と小男が僕に声をかけた。なんだろうと思い小男の傍へ行くと、小男は「いいですか。子供の種はくれぐれも丁重に扱ってくださいね」と言い、素早く僕のズボンのポケットに何かを入れた。
僕が小男の行動に驚いたが、小男はなんでもないように表情をまったく変えていなかった。
「いいですか。子供の種というのはちょっとしたことで壊れてしまいます。なのでくれぐれも気をつけてください」
小男の声はとても真剣だった。僕は何を入れたのかを聞こうと思ったが何も聞けず、わかりましたと答え妻の元へと戻った。
「丁重に扱ってくれだって」
何を言われたのだろうという顔をしている妻に僕は言った。嘘をついている緊張のせいで自分の声がいつもと違う気がした。
「ふーん、あの人なんだか嫌らしい人だと勝手に思っちゃったけど、もしかしたらそんなことなかったのかな」
どうやら僕の声はいつも通りだったようだ。僕は妻に対して嘘をついたことを後ろめたく思った。
妻と一緒に駐車場に戻りあの高い門をくぐり、外に車を停めてから妻を車に待たせ受付窓に行く。熊のような男来る前と変わらず本を読んでいた。
「終わりました」
男がノッソリとした動作でこちらを向いた。
「お疲れさま。うまくいったかい?」
「はい」
「そうかい、それは良かった」
「ところで……」
僕は先ほどのことをこの熊のような男に聞こうと思った。
「中にい人はその……、うまく言えないんですが、どんな人ですか?」
「どんな人とは?」
熊のような男がこちらを怪訝な表情で見た。
「実はこっそりと紙を渡されたんです」
「紙?」
「はい。神の息吹が終わった後に僕だけ呼ばれて、そこでこっそりと紙を渡されたんです」
「何て書いてあったの?」
「中身はまだ見てないんです。妻から隠す様に渡されたので、なんとなく妻の見ていないところで見て方がいいかと思ったので」
「ふうん」と熊のような男は言うと、車の方をチラっと見た。
「それじゃあ今見てみればいいよ。今なら奥さんには見られてないし、書いて有る内容によっては俺も上に報告しなきゃならんからね」
僕は車の方を見た。辺りには霧が立ちこめているので車の中の妻は見えなかった。あちらからもこちらの姿は見えないだろう。
僕はポケットから紙を取り出した。それはスーパーの広告が折られたものだった。野菜や果物の写真と値段が書かれている。普通のスーパーの広告だ。折られたスーパーの広告を開くと、中にはこんな言葉が書いて有った。
あんたのの妻は前にも来た事がある
書いてあるのはそれだけだった。
「なんて書いてあった?」
熊のような男が心配そうな顔で僕に尋ねた。僕の顔色が酷かったのかもしれない。僕は黙って紙を男に渡した。
男はメモを見て「ウーム」と唸った。それから紙を裏返したり、手で撫でて手触りを確認したりと十分に点検してから紙を僕に返した。
「悪いやつじゃないんだ」
熊のような男は僕に申し訳無さそうに言った。
「あんたへの親切心からそんなメモを渡したのかもしれない。それにもしかしたらその言葉は嘘かもしれない」
僕は黙って男の話を聞いた。
「というのもあんたは知らないかもしれないけど、あんな状態になってしまっても神ってやつの力は強くてね。神の近くに長くいるとだんだんとおかしくなってしまうんだ。だからもしかしたらあいつの頭も既におかしくなってて、あんたに嘘をついたのかもしれない」
そこで僕の心にひとつの疑問が浮かんだ。
中にいた小男は僕に紙を渡したが、あの紙はいったいいつ書かれたんだろう? 僕はずっと男の後ろを歩いていたが、彼が紙に何かを書いている姿を見ていないし、僕が見ていないあいだに紙を書いている暇なんてなかったはずだ。
「もしあんたが望むのであれば、俺が奥さんを見てもいい。俺はここに来たことのある人間の顔ならだいたいわかるから、あいつの言葉が本当かどうかも確かめられるが……」
「いいえ、大丈夫です」
僕は男の申し出を断った。
「妻がここに来たのは初めてのはずです。僕は妻を信じていますので」
その言葉は嘘だと頭の中にいる誰かが言っていた。
「うん、俺もそう思うよ。あまり中にいた男のことを悪く思わないでくれ。あれはあれで可哀想な男なんだ」
男がこちらを気遣うように言った。男が僕を気遣ったことが言葉に僕は苛立ちを感じた。
「ええ、わかっています」
僕はそれを表に出さない様に返事をしたつもりだったがうまくできたかはわからない。
「あんたの子供が健やかに育つ事を祈ってるよ。それじゃあお気をつけて」
車に戻ると、妻は笑顔で膝に抱えた子供の種が入った桐の箱を愛しそうになでていた。
「長かったわね。何を話してたの?」
「別に普通の話しさ。子供が健やかに育つ様にと言っていたよ」
「そう。私も見たかったわ。熊のような人間」
妻に過去にここに来た事はあるのか聞こうかと一瞬思ったが、止めることにした。
「じゃあ帰ろう」
車のエンジンをかける。
「安全運転でお願いね。パパ」
妻が笑いながら言った。その言葉に一瞬苛つきを感じたが、すぐにその苛つきを打ち消した。
霧の深い道を僕は妻の言う通り安全運転で走らせた。
小男に渡された紙は妻が窓の外の景色を見ている時にこっそりと窓から捨てた。