冬戦【_WAVE_4】生きること。死ぬこと
・4
男は部屋で一人、無防備としか言いようのないくらいにくつろいでいた。その男のプレイヤー名は『ネイキッド2』。人からは、「キドニ」と呼ばれている。
彼は自分以外に誰もいない部屋で、「もしこんなことがあったら」と妄想にふけっていた。三分か五分ぐらいの切り取られた動画を選んでいくように、妄想の中で快感を得て興奮する彼は、くわえてどうしようもない後悔に飲まれていた。
騒動の日、気持ちが揺らいでフリーゲームの『WAVE』を起動した。彼ははじめは冬のイベントに参加する気はなかった。予定があった。次の日、仕事もあった。二日後にデートの予定も入れていた。それがなによりも楽しみで、充実した一週間を過ごすつもりだった。
「引き締まってて、あの胸とか。反則だろ」、「やっぱあのぐらいがいいよなあ。オレは」、「ああ、帰りてえ。もうどのくらい経ったよ? どうしてこんなことに。くそお」
キドニは独り言がとまらなかった。感情はこのとき激しく揺らいでいて、ふとした妄想が思いのほかよく、高まり捗ってしまい、そして突然と嫌な気分が雨のようにやってきた。
そんな彼は注意が足りなかった。一人ではなかった。
「声が大きい」
「ツガク? なんでおまえ」キドニは動揺して、思考が一瞬止まってしまう。
「てかやるなら、ここじゃない、ひとのいないところでやれよ」
「お前……、聞いてたのかよ。盗み聞きとか、最低だぞ」
「聞こえてきたんだよ」
ツガクはぼそっと言うと部屋を見回している。汚れた部屋だと表情に出ていた。
キドニはうなだれる。「ひとのやっていい行いじゃねえぞ」
「迂闊すぎるというか。さすがにキモいぞ」
「セーフハウスにいると暗くて頭おかしくなりそうなんです。だれにも言わないでください。お願いします。なんでもしますから」
「言わねえよ。言えるわけねえだろ」
ツガクは小さく息を吐いた。彼は壁に張られたポスターを見て、振り返ると部屋を出て行こうとする。
「なんだ? もう帰るのか? 何か用があったんじゃないのか?」
「なんでもない」
「はあ? お前、マジ。なにしに来た」
「アホづらを見に来た。用は済んだわ」
ツガクは出て行った。止めようにも彼を止められなかったキドニは、ふつふつと気に入らないという思いが強くなる。
「おっぺえ」「うっせえわ」『都市風守』東にある建物、部屋から廊下へと、おかしな言葉が飛んだ。
次の日、キドニは東から任務を与えられる。
特殊任務。推薦があった。キドニは望んでいたらしい、そういうことになっている。
恐悦至極でございます。
「クっソがあ」
非戦闘地域『都市ミーモル』に訪れたキドニは、まだあの時の雨のような気分を引きずっていた。ここでは余計な考えだと思い、明るければなんでもいいから別の事で頭いっぱいにすれば、思い出した後悔といったものはすぐにまた忘れてしまえるだろう。何回も経験した。しかし、どうしても頭の中にそれは戻ってきた。
苛立ちがおさまらない。悪い事が立て続けに起きているように彼は思える。
なんで、こんなことになってしまったんだろうな。いつ死ぬかもわからねえ。明日、死んじまうかもしれねえ。五日後かもしれねえ。くそが、くそが、くそが、くそが。
ほんと、ついてねえ。ふざけんなよ。
彼がこの街にやってきて特に不機嫌となった理由は、不注意で自分の持ち物を颯爽と盗まれてしまったからである。都市ミーモルに住む子供に、風守から持ってきたバックパックを奪われてしまった。ちょっとした考え事、休憩のつもりだった。古びた噴水で座っていたら、気付いたらそこにバックパックがなかった。
約束の時間には遅れるだろう。このままでは、荷物もどうなるかわからない。返ってこないかもしれない。
任務かあ。特殊任務。生きて帰れるかな。
だるい。急に始まった追いかけっこをする彼の気持ちを一言で表すとそれしかなかった。
「金はあったか?」「それがさ、まだ見つからなくて」「よく探せ。ないわけがねえんだから」「あのさ、あいつ、少し前噂になってた『兵隊』、じゃないのか? やばくないか?」「平気だよ」「は? へいき? どうしてそんなこと言えんだよ」「平気だから、平気なんだよ。言うとおり簡単だったろ」「てきとうだなあ」「あっ」「どうした?」「銃がでてきた。ほらっ」「貸せ」「おっ、おい」「やっぱりあいつ」「ちっ、なんだよ。これ壊れてんじゃん」
あんなもの入れてたっけ? キドニは思うと、追いかけることを再開する。
意識がバックパックに向いている。彼はおかげで暗い気持ちがすこしやわらぐ。
大声を出している。身体を存分に動かしている。それも、原因かもしれない。
「いつも通りにな。わかったか?」
「こんにゃろう。待ちやがれ、クソガキども」
都市ミーモルの子供を大通りから細い道へと追いかけて、キドニはとにかく走った。見失うこともあったが、建物に閉じ込められることもあったが、そこまでお互いが離れていなかったので、発見は容易である。
街の子供にとっては当然だろうとしても、彼もまたこの街のつくりはだいたい理解していた。彼らは想像よりもしつこいと感じただろう。普通、もう諦めるだろうと。
キドニは裏通りで立ち止まると、見失った「小さな泥棒」を探す。彼には、断念するつもりはなかった。なぜだか、捕まえる自信だけはあった。そしてこれまで、彼の予想は当たっていた。右を向けば奴らがいて、あるいはまっすぐ進んで次の角を左に曲がればそこにいる。ぼろい階段がこの近くにはあり、きっとガキどもはそこを歩いている。
この辺りはいくぶん人通りが多かった。キドニは飢えたオオカミのように続ける。
すると、彼は声を掛けられる。相手は若い女性だった。三人で立ち話をしていたらしく。
「兵隊さん。こんにちは。どうしたの? そんなに急いで」
「レジー、ここに子供が来なかったか? 男だ。黒のぼろい帽子を被っていて、左目の下にほくろ、バックパックを担いでる」
三人はお互いの顔を見る。そこからは、若き女性だけで話し出すわけではなく、一人はその幼い顔で知らないと首を小さく振り、雰囲気の柔らかいもう一人は声は出さない笑みを見せていた。
レジーはわずかに舌を出す。
「知らない。でも、あっちにいると思う。その男の子なら」
「あっち」彼は彼女の言っていることが正しいのだろうと判断する。協力してくれていると、すぐにわかった。
「それより、兵隊さん」レジーは腕を組んだ。「最近、ご無沙汰じゃない? 声を聞けないのは、さびしい」
「それはゴメン。近いうちに埋め合わせはするから」
「ほんとう? うそじゃないかなあ? ほんとかな?」
「今度ね。また今度。ゼッタイ。そうだ、前みたいにまた三人とか、それでどう?」
「三人って」レジーは大きく笑った。彼女は雰囲気の柔らかい女のほうを見る。「いいね。うん、わかった。待っててあげる。だから、そう、がっかりはさせないでね」
小さく手を振るレジーを見て、キドニは路地を走る。彼はもう「小さな泥棒」とはさらに距離を縮めている予感がする。
狭い道を進んでいくと、彼はそこで知り合いを見つける。いつ見てもがたいのいい男だ、女と話していた。
「ドット? なんでこんな場所に。あっ、そうか。だよなあ。そうだよな。あいつも、男だもんな。俺には、わかるぜ」
キドニが一人で納得していると、路地の先で荷物を持った少年が姿を見せる。
「あっ。ヤッベ」
「待てやこらあ」
そのあと、ふたたび不注意で彼は川に落ちる。
都市ミーモルの犯罪者の巣窟、一端だろう、そこは人気のない倉庫のような場所だった。中を覗けばわかるがもとは何かしらの工場のように見える。雨漏りする屋根、割れた窓ガラス、湿った空気、薬品のにおい、やっすい酒のにおい、人がここで寝泊まりしているとは思えない荒れた環境である。
「ホント使い物にならねえな」
周りと比べて身だしなみに気を付けているとわかるその男は、大声でそう言った。テーブルの上に座る彼の前には少年がいる。ミーモルの小さな泥棒。彼は顔にあざができていた。怪我をしており、先程男の仲間に蹴られ、地面で擦りむいた。
「なんにもできねえのか? 言われたことぐらい、やろうや、なあ?」
少年は目を合わせることはできなかった。「すみません。次こそは。ちゃんとやるんで」
男は見ていると苛立ちを抑えられないようで舌打ちをする。
周りで見ていた男の仲間、その一人が近寄る。すると出口側、いつ壊れてもおかしくない扉から喧しい音が聞こえてくる。
濡れて髪型はくずれ、しわ一つなかったであろう服に靴でさえもその清潔さはどこへやら。周りにいる犯罪者とたいして変わらない。水滴を垂らしながらキドニが入ってくる。
男はとくに指示はしなかった。彼の仲間たちはそこから動かず、わけわからん者が来たと、その姿が面白いのか、にやにや笑っている。
キドニが立ち止まる、男はそれまでじっと見詰めていた。
「だれだお前?」
「くたびれたモブ」
「は?」
「荷物を返せ」
男は冷笑を浮かべる。少年を一瞥してからテーブルを下りると、相手の左頬を殴った。
キドニがそんなことされて我慢できるわけがない。殴り合いが始まる。
たとえ喧嘩に、刃物が出ようがキドニは関係ない。ほどなくしてその状況で、彼に新しい仲間が加わる。
風守東のドットが現れた。
「ここのリーダーに話がある」
ちょっとした騒ぎは長くは続かずしばらくして収まった。荒くれ者の声がしない、姿を見せない、先に部外者の男二人のほうが壊れそうな扉から出てくる。
ドットはキドニの手にある物を見ている。彼の手にはお札が握られていた。
「まるでチンピラだな。誰にでもやってるのか?」
「ゲームだった頃から、元々お上品なことをやってるわけじゃねえだろ。それに戦利品だ。戦利品。飯代と治療費ぐらいはもらわないとな」
いるか、という彼の素振りに、ドットはやんわりと断る。
間を置いてキドニは言う。「お前だって大概だろ」
「オレは取られたものを、返してもらっただけだ。まあ、すんなりいかなかった」
「あっ、そうですか。で、ドット様は何を盗まれたんだ? 誰かにやらせたら楽だろうに、ここまで追いかけて、大事なものか?」
「自分の間抜けさに誰かを頼るわけにもいかないだろ」
「頼るのも大事だぞっと。それ、録音機か」
「失うわけにはいかない」
場所を移動し表通りの方から女の声が聞こえてくると、ドットは屋根の上に目を向けた。
「ここに来てから、時間の感覚がおかしくなった。お前は、思うことはあるか?」
「どうだかね。いや、あるよ。ある。無いと思う奴はそうそういねえだろ」
「いつ見ようと、ミーモルは素晴らしいな。日本ではないというのも含めて、あるはずの違和感がない。あのくらいではないが、子供を見ていると、自分の子供のことを思い出してしまう」
「……会いたいか?」
「会いたくなるな。ああ」
「待て、ドット。お前、結婚して子供もいたのか?」
「いるが、それがどうした」
「お前。それはどうかと思うぞ」
「何の話だ?」
「てなことがあったわけよ」
店のカウンターでキドニは約束の時間に遅れてきた事情を話していた。料理店セルブのタニア・フェルトンは「それは大変だったね」と聞き役に回っている。家のない子や街にいるチンピラについては、彼女も手を焼いて困っていたし、店に来る客からもそういった話は尽きなかった。
料理店セルブに新しいお客がやってくる。ガンスリンガーだった。キドニは(自分よりも遅れてきた)彼女を眺めてから、もうすこしとタニア・フェルトンと会話を続けようとする。彼は手元のお札に目をやった。
「おっと、待ちな。ジェーン、猫糞はいかんな」
くしゃくしゃの戦利品が、ジェーン・フェルトンに握られている。
「はあ? だれがババアだ」
「ばば? は? ちっげえよ。んなこと言ってねえよ」
「ったく、最近の若い奴は、口の利き方に」
「ごまかしてんじゃねえぞ」
ジェーン・フェルトンは店の奥へと行ってしまう。それを見て、ガンスリンガーはテーブルのほうへと向かった。賑やかだなと彼女は思った。
「遅れた。それで、何の話だ」
「わたしから、お話しましょう。そうですね、要点だけを言わせてもらいますと、わたしは廃都に行きたいのです」
過去に用心棒の施設にいた武器商人ケイカは、その望みを重々しい口調で語り始める。
戦闘地域『廃都』の北東。
現在、いつ見ても荒れた土地にみさやは訪れている。特殊任務をみさやは受けることになった。仕事をするために内容を聞いていると、東の力の入れようは、やけに奇妙に映った。
「ツガクは、なにを焦っている?」
背の高い瓦礫の横で、背中の鞄を揺らしガンスリンガーが不意に問いかけた。みさやは二人で行動していたこともあり、警戒しているなかそのような質問が飛んでくるとは思いもしなかった。
「そう、見えるか?」
「いつものゆとりがないように見える。わかりやすい」
みさやは考えた。ツガクに余裕がない。それは感じていた。うっすらではなく、だいぶはっきりしている。以前よりもぼやけておらず、かたちになっている。
「ツガクは、ずっと前に仲間を失っている。いや、仲間というよりは『友人』だ。長い付き合いの友人。そいつの結婚式にも行ったんだとかそういう話を聞いたことがある。それでそいつは、そう、ちょうど廃都だ、廃都の西側で死んだ。死因はボスネズミ『ガルバル』の投げた手榴弾。ツガクとそいつと他で、五人の任務だったらしいが、帰り道でかちあってしまったらしい。全然気づかなかったと言ってた」
「友人か」
「何か理由があるのだろうと思っても、心の中ではプレイヤーがプレイヤーを撃ち殺すのが許せないんだと思う。たぶん。平静を装っているんだろう。命辛々帰還してあれから、少し余裕がなくなったように俺は見える」
武器商人ケイカの依頼によって、みさやは廃都にやってきた。目的地は、廃都の北東にある建物、その建物の中にある武器庫である。数はケイカを入れて六名。では重要な目的はというと。
武器庫には――ケイカが闇商人との取引により――その闇商人が用意してくれた装備がある。それは強力な武器と言われている。今後の戦いに必要らしく。
ビジネスですわ。直接渡せないから、取りに行く。これが任務となったわけだった。
戦闘地域で武器が手に入ることは騒動の前からあった。たとえば今回のようにプレイヤーが武器庫に行って、それを風守に持ち帰るというのはよく見る光景である。
NPCの依頼、そしてそのNPCが出向く。そういった任務は、今までなかっただろう。みさやは聞いたことがなかった。
料理店セルブでの話だ。この特殊任務はただ武器を手に入れるだけで終わるものではなかった。ケイカは言った。「そのあいだ、わたしは、命を狙われています。どうか、この命、助けていただきたいのです」
彼女は事情を説明した。そこの部分は闇商人と関係があるとは思えない内容だった。
彼女は闇商人から自身の命の危険を知らされた。狙われてるぞと。
相手の名前はわかっている。その名前は『バンシード』。
差出人不明。ケイカは届いたという手紙を見せる。そこにも男の名前だけが書かれている。
「バンシードか」とキドニが言った。「『バンシード』って言ったら、最近よく聞く名前だなあ。亡霊だとか、腕のいいスナイパーだとかって」
「スナイパー」とみさやは呟いた。「あ、三日前、死んだ人が」
「そうそう。即死、頭を抜かれてしまって。そいつじゃないが、東じゃこのところ、バンシードって書かれた認識票が幾つか届いてる。東だけじゃなく西でも、困ったことに被害はあるようで」
「そんな奴がいるとわかってるのに、捕まえないのか?」ツガクは問う。
「そりゃあ東も西も動いてるに決まってるだろ。そして、こういっちゃなんだが、我々東は、そいつの認識票はとっくに持ってんだよ」
「うん?」
「いやよ。そいつはとうに死んでる。そいつは東にいたんだ、任務で、死んだ」
「ということは、ネズミか」ガンスリンガーが言った。廃都に狙撃手のネズミはいる。
「それがネズミではないんだな、ガンスリンガー。ネズミなら認識票に書かれているだろ。ネズミと。ないんだ。だから、相手はプレイヤーだ」
だから、亡霊なのか。
それで、いままで東も西も捕まえることができていない。
「特徴は、いなづまのような音だ。一緒にいたという奴らは全員同じことを言ってる」
なぜ、その男はケイカを狙うのか、それはわかっていない。闇商人の情報、差出人不明の手紙、ゲームでよく見る突発的に発生するイベントのように見えて、状況的には相手はプレイヤーらしい。
見つけ次第、俺が殺す。ツガクが言った。みさやは作戦会議で聞いた彼の言葉、その表情を忘れられない。よって、出会う前の出来事、彼のことを何も知らないガンスリンガーが気にするのも無理もなかった。
足のない人魚とは、あれ以来、彼女は会っていない。だから、任務に参加した。
ガンスリンガーは連絡を取る。彼はおそらく狙撃銃で探している。
「ツガク、発見できたか?」
「見つからない。話にあった可能性の高い場所は一通り見た。だが、どこにもいない」
「そうか。では、移動してくれ」
「それは構わないが。その、帰り際、であっているのか? もしものことはないのか?」
「それは間違いない。私ならそうする」
「わかった。次に移動する」
「すごい自信だな」聞いていたみさやは警戒をやめる。「いつも思うが」
「そうでないと、狙撃は。とても慎重な人物というのはわかってる。これまでを聞く限り、相手は一人でもないだろう」
疑ってるわけではなかった。みさやは話し合いでも文句はなかったし(スモークは使わないとか)、それぞれの役割についても理解している。
「そろそろじゃないか? 問題がなければ、キドニたちが倉庫に着くのは」
ガンスリンガーは時間を見る。彼女は空を見てから考え事でもしているのか動かなくなると、二秒ほどしてその視線を下ろした。
耳を澄ましている。
「キドニ、聞こえるか。そちらの状況はどうなっている」
「あ、ああ、はいよ、こちらキドニ。お嬢様のボディーガードを二人で絶賛継続中。不気味なおんぼろビルではありますが、優秀な、お掃除屋さんのおかげで、ネズミ一匹遭遇しません。静か過ぎて、びっくりするぐらい暇です」
「場所はいまどこにいる?」
「目的地、目と鼻の先。もう見えてる。話してたとおり、通信途切れるぞ」
「確保した後の行動は、予定通りで構わない。ケイカを頼む」
「任せてください。無事、帰還してみせますわ」ケイカの声だ。「わたし、じつはこの二人で、どうなるかと思っておりましたの。ですが、こうしてみふゆの声を聞けて、もうすっかり安心できて、何も怖くはありませんわ」
「はい。安心安全到着と。立派な倉庫だ」
さっそく武器庫の扉を開けようとしている。カードキーはケイカが持っている。
「こ、これは」
「とんでもねえですわ」
それを最後に通信は途絶えた。
「口の悪いお嬢様だな」
ツガクは聞いていたようで、独り言のようにつぶやく。ガンスリンガーは用心棒の頃からそれについてはよく知っていたので、あわせて付け加えた。
「とてもかわいらしい人だ」
「もう、あまり時間がないな。できれば、キドニたちが出てくる前に見つけたい」
「それは。このままだと捕まえるのも難しいだろう」
「もし、いなづまが先だと、東と西これまでと同じで、捕まえられないんだろ?」みさやが言う。
ガンスリンガーは返事らしきものを言わなかった。「いなづまのような音か」と小声で呟いた。
「いなづま」彼女は顔を上げる。「うん? そのバンシードという男の狙撃は、いなづまのような音が特徴、で間違いないのか?」
「らしいぞ」ツガクが答える。「俺もその辺は聞いてきた。あれは『いなづま』だとさ。弾はたしか」
「そんな弾はそう多くない。東も西も捕獲に失敗している。ツガク、いまから言うところを調べてもらえるか?」
彼女は確信している。見えない敵が、彼女には見えているようで。
「みさや。ツガクと走る気はあるか」
「標的」は建物内から外へと移動中。価値の高い武器を運んでいる。廃都のなかを標的が、大きな荷物を持って動くとは考えられない。
長距離狙撃を成功させるため、男はここでそっと呼吸を整えた。彼が目標に命中させるために必要な行為の一つである。そしてすこしだけ空を眺める。
これは仕事だった。趣味でやっているわけではない。彼の相方も同じで、遊びのつもりはこれっぽっちもなかった。
「やれそうか?」相方は状況を確認しながら問う。
男は銃から目を逸らした。「問題ない。一発で終わらせる」
「そうか。よかった。距離はあっても、記録更新とはならないから、モチベーションがないんじゃないかと心配してた」
「仕事だぞ」
「仕事も、遊びも、たいして変わらないんだろ? 違ったか?」
「……まあ。だな」
男には『その時』が間近に来ているのがわかっていた。外さない未来が見えていて、そのために準備してきたつもりでもあるし、これまでの経験が判断を濁さない。
やはり、彼の考えは当たっていた。
「目標確認」と相方が言う。「ケイカだ」
「三人」
「あの背の高い女がいないな」
標的は動いている。風もある。相方の言葉。
男は射撃するため安全装置を外す。
狙って、撃つ。作業を越えて――男の放った弾丸は思い描いたように飛んでいく。
距離があるわけで、彼は『その時』を待つ。難しいものだと知っていても、命中すると疑わなかった。
背の高い女が走っている。弾丸は到達。男は思わず声を出す。
「はっ?」
次に彼が見たのは鞄だった。
それは、投げ込まれ、割り込んできた『鞄』が弾道を変える瞬間だった。
「うそだろ」
信じられないものを見たと、男は思う。標的にかすりもしなかった。
相方も始めから終わりまでを見ていた。
「偶然、だよな? まさか分かってあわせたのか?」
男はその時間短く冷静さを取り戻す。理屈が頭の中を駆け巡った。
「場所を、変えるか?」と相方が言う。
「いや、位置ばれしている。急いで逃げるぞ」
まさしく危惧していたとおりだろう。後に、彼らはみさやたちに拘束されてしまう。
ケイカの命は守られた。闇商人が用意してくれた武器も、戦闘地域『廃都』から非戦闘地域『都市風守』に持ち帰ることができた。そして、一番の謎だった『バンシード』という男についても、その正体がいくらか判明する。
バンシードは観測手と二人で行動していた。これまでプレイヤーを狙っていた理由は、プレイヤーを殺すことが目的だったからであり、武器商人ケイカを狙った理由も同じで、それが仕事だからである。
確保したおかげで、彼は噂にあるような『亡霊』ではないことがわかる。それからプレイヤーでもなかった。この男が持っていた認識票には、「ネズミ」の文字があった。観測手もネズミだ。
では、なぜ、今まで死んでいった人たちの認識票に、彼の名前にくわえて「ネズミ」という文字が刻まれていないのか。
プレイヤーではない、狙撃手のネズミであり、不具合と考えるしかなかった。
たくさんの星が見える夜、料理店セルブの前で立ち止まっていたみさやは、入る前にそこで思考を整理していた。彼はここに訪れるより前に、都市ミーモルで西のフロントラインと会った。彼女との会話は不思議な気分にさせられた。
ガンスリンガーについてだ。彼女はいまでも相棒を探しているのか、と。
バンシードに尋ねていなかったか?
彼は初めて耳にする。ガンスリンガーの相棒とは?
用心棒は本来二人一組で動いている。
その相棒は、リボルバーを持っていた。
いなづまのような音。
銃の名は千山万水。
彼女がながく町に帰らなかったのは、その人物とも関係があるのだろう。みさやはそうとしか思えなかった。自分以外ひとりも、用心棒は誰も見つからなかったと彼女は言っていた。
みさやは料理店セルブの扉を開いて、先にガンスリンガーを見つける。彼女はいつものテーブルにいた。横にはケイカがいる。酒を片手にほろ酔いのツガクがいて、キドニもいた。
四人で麻雀をしているようだった。風守から持ってきたのだろう。
みさやはどう考えても営業の邪魔になっていないかと心配し、タニア・フェルトンとカウンターで会話をすると、彼らのテーブルに近寄る。
「みさや、いいところに来た」キドニが激しく手招きをする。
「うん?」
「麻雀、お前わかるか?」
「まあ、すこしは」
「なら、聞いてくれ。負け続けてんだが、これどう思うよ」
「どう思うって言われてもな」みさやはガンスリンガーを見て、ケイカに目をやる。卓上には牌が並んでいる。
「こいつら、強いNPCと戦っているみたいで、勝てねえの」彼は笑っていた。「なあ、ツガク。おれらぼろ負けだよな」
「負けた後のことは考えない。負けた時に考える」
「おい、賭け事向いてねえぞ」
「わたしに勝とうなど、百億万年はやいですわ」
ともかく任務を終えて、無事帰還できて、この夜を四人とも楽しんでいる。