前編
今日もとってもいいお天気。
私は部屋の中で日当たりの一番いい窓際で、お気に入りのクッションの上で目を細める。
窓越しのベランダの隙間から見える、近所の公園のさくらがもう満開。いいわねぇ。ほんと春が来たって感じ。
ほかほかと温かくて自然と眠くなり、とろとろと瞼を閉じていると、突然ドアが開けられて、冷気ですっかり目が覚めた。
全く。私のお昼寝を邪魔するのはどなたかしら。自慢の爪でひっかいて差し上げるわよ。
「この子がうちのお姫様。名前は“さくら”。桜の時期にお迎えしたんだ」
そう紹介するのは私の飼い主、柳沢 修二。
そうね。自慢じゃないけど、私から見ても修二はイイ男よ。
有名広告代理店というお店で働いてて、キャットタワーよりずーーっと背が高くて、おっきな手で優しく撫ででくれて、私を大好物のまぐろチュルルンみたいにとろけそうな目で見てくれる。
だから私、修二が大好きなの!
「わ。可愛い。彼女って……」
誰よこの女。私っていう女がいるのに、修二ったらまた浮気しているわ。
懲りない男ね。後でお仕置きしなくっちゃ。
「“さくら”は黒猫のメス、獣医さんが言うには大体2歳くらいだろうって。保護猫でちょっと気難しくってね……なかなか気に入る人がいないんだ」
修二はため息交じりで過去の女達の事を話す。
私が猫パンチをしちゃったり、ちょっと爪をしまい忘れてじゃれついたり、怖くてかみついたりしたことを女に話して聞かせる。
でも理由があるの! だって匂いがキツいし、目があった途端、“きゃー、カワイイィィィィ(≧∇≦)”って急に駆け寄ってびっくりしたり、すっごく大きな音で音楽聞いたり、話すんだもの。
イヤになっちゃうわよ。
あ、でもこの女は違うわね。変なにおいもさせてないし、駆け寄ってもこないし、遠くからゆっくりとまばたきして私に挨拶してくれてる。
いいわよ。物分かりのいい人間に礼儀程度には仲良くしてあげるわ。
「だからもう契約でも何でもいい。さくらを大事にしてくれて、自分の夢が優先、そういう女性がいいという訳だ」
「猫は嫌いじゃないけど、好かれるかどうかは別ですよ」
私は友好のあかしに女の足元に自分の匂いが付くようにすり寄った。
「うん。君ならさくらも許してくれそうだ。よろしくね。佐倉 真帆ちゃん」
ええそうね。よろしく。私とおんなじ名前の“さくら”さん。
本当に修二にふさわしい女かどうか、私が確認してあげるわ。
※ ※ ※
私と真帆が一緒に暮らし始めて1か月。真帆は女優志願だけど全然売れないから、日々バイトとレッスンの毎日。
ところで女優って何? 壁に向かってお話しするのがお仕事なのかしら。変な仕事。
私達と一緒に住み始めたのは、お金がないから家賃を浮かせるための“契約”だって、二人が話してるのを聞いちゃった。人間って大変ね。
真帆は猫好きと言っていただけあって、私と強引に距離を詰めようとしないし、カリカリに私の大好きな“まぐろチュルルン”を修二より多めにトッピングしてくれるから、いっぺんに好きになったの。
私、チョロい猫かしら。
べべべ、別に、、、!! いっぱい猫じゃらしで遊んでくれるし、とても優しく撫でてくれるし、お布団に入っても邪険にしないからとかじゃないからね!!
勘違いしないでよねっっ!!
「さくら、修二さんってすごく素敵な人だけど、私、ほんとに隣にいていいと思う?」
私はテーブルで突っ伏して、凹んでる真帆の首の金ぴかに飛び上がってじゃれついた。
初めて見たとき、これにはかすかに修二の匂いがついていた。
「ニャッ! ぅニャッ!!」
いいわよ! いいに決まってるじゃないの!!
あの修二が首輪をつけるくらいあんたが好きなのよ!
今までの女達にだって首輪はあげてないの。もっと自信持ちなさいよ。
「こらこら、さくら。ピカピカしてるからって、ネックレス食べちゃだめよ。お腹壊しちゃうからね」
真帆は私をだっこしてテーブルから降ろすと、突然立ち上がった。
「さくら。私、超頑張る! うーんと売れて修二さんが自慢できる女優になる。そして修二さんの会社と一緒にお仕事するの。そうしたら自信も持てそう!」
まぁ、夢を持つことはいいことね。頑張りなさいよ。
という気持ちを込めて、私は「にゃっ!」と返事をした。
※ ※ ※
あれから結構経って、真帆は帰ってこなかったり、かと思えばとても疲れた顔をして夜遅く帰ってくる日があったり。
真帆ったら。ちゃんとご飯は食べてるのかしら。ただでさえ食が細かったのに今はもっと細いの。心配だわ。
きっと私のまぐろチュルルン食べたら元気が出ると思うから、今度会ったら分けてあげなくちゃ、と思っていたら……。
真帆はとっても綺麗な恰好をして、四角い箱の中に現れるようになった。
だけどそこにいるのに匂いはしないし、撫でてもくれないし、一緒に遊んでもくれない。
つまんないわ。そう思わない、修二? って私は修二の顔を見上げれば、修二はうっとりと箱の中の真帆を見ていた。
『わぁぁぁ! これカワイイっ。知ってる猫にそっくり!! 私、コレにします。視聴者プレゼント!!』
真帆は私そっくりの黒猫入りマグカップを手にしてとてもニコニコしている。
まさかあれ、私のつもり? 私、そんな不細工じゃないわ。
『真帆ちゃんは猫好きなんですよ。僕も好きですけど。そして今回のドラマ、しゃべるオスの三毛猫“コジロウ”が探偵役の……』
『“三毛猫は何でも知っている”、金曜深夜12時15分スタートです! ぜひぜひご覧ください!!』
修二は四角い箱を真顔でじっと見て「何なに、プレゼント応募は“インスト”か”ツイッピー”のアカウントフォローか。僕も真帆のサイン欲しいよ」とぶつぶつ言って何かをいじっていた。
「さくら。真帆はすごいね。とうとうドラマ出演だって。着々と夢を叶えてる。ほんとにすごい」
修二はとっても真帆を褒めてる。でも全然すごくなんかないわよ。
こんな箱、私なら一撃で仕留められるもん。
今、真帆を出してあげる。待ってて、修二!!
ぴょーんと飛び上がって、真帆の首輪に猫パンチしてやった。
箱はぐらぐらしたけど倒れない。なかなかしぶとい奴ね。
「こーら、危ないからテレビに猫パンチはダメだよ、さくら。真帆、ネックレスしてくれてるんだ。嬉しいな」
修二はそう言い、箱を押さえながらまぐろチュルルンくらいとろけた目で、そうっと真帆の首輪を撫でていた。
これは恋ね。経験豊富な私が言うのだから間違いないわ。
「さくらも真帆に会いたいよなぁ? 僕も真帆に会いたいよ。早く撮影終わればいいのに……」
修二は真帆の消えた箱の前でため息をつき、パジャマに着替えて自分のベッドに入る。
私も追いかけて飛び上がり、隙間から潜り込んだ。
はあー。あったかい。夏だけど夜は冷えるのよね。
私が修二にすり寄ると、修二もいつものように大きな手で撫でてくれ、ぴたりと止まった。
「真帆はもう僕らなんていらないのかも。どうしようさくら、僕がこんなに真帆を好きになるなんて。あんな事言わなければ良かった」
修二はべそべそと何かをとても後悔しているみたい。
お馬鹿さんね。ほら元気出しなさいよ、とぺろりと目じりを舐めたらちょっとしょっぱかった。
「早く伝えないと……。僕の転勤まであとふた月もない…のに……」
私がしっぽでほっぺをポンポンしてあげたら、修二は泣きながら眠ってしまった。
修二はとっても手間のかかる子ね。