表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

がんの転移に新しい物があるか

作者: 高中 創太

Background(背景)


昼前の病態生理学の講義は医学生にとっては空腹感と興味の欠如から来る睡魔との闘いである。

「消化管を発生母体とする癌はその一番内側(食べ物と接する)粘膜面より発生する。

粘膜面より発生した癌細胞は消化管の壁(5層構造)を横方向と縦方向に広がる、

つまり細胞分裂と増殖しながら進行する。


この最初の段階では粘膜面に発生した癌細胞が増殖しながら、

周囲の正常粘膜細胞より分離し、自由に動き回る能力(遊走能)を獲得し、

その事により粘膜の下の組織の間を進む、その途中で壁の中に存在する血管やリンパ管へ浸潤する一方で、消化管の壁を突き破る。」

そこで講義を止めて学生がノートを取っているのを確認すると、広田講師はさらに講義をすすめた。

「この過程の中で血管浸潤したがん細胞は血液の中を移動し、リンパ球などの免疫系と言う防御システムをすり抜け、血流が豊富で親和性を持った組織(肝臓や肺、骨など)に遠隔転移する。

これが転移の1つ血行性転移である。また同様にリンパ管内を移動する、リンパ行性転移があり

これはリンパ管内に出た癌細胞がリンパ節に転移をしながら,より遠いリンパ節へ転移を進めていく。」

(リンパ節は関所のような場所でがん細胞を押しとどめようとする。)

「また消化管の一番内側より発生した癌が外側に向かい進展し、消化管を覆う

漿膜と呼ばれる膜をも突き破り、ここよりこぼれた癌細胞が散らばり腹膜に転移する

腹膜播腫と言う転移形式が癌の3つの転移形式である。

これが、一番簡単に説明した消化器癌の転移形式だ。理解したか?」

と黒板に書いた図を確認し、マイクを持ちながら振り返る広田講師。

「おい。そこ、何している。」と広田は叫んだ。 



Introduction

野島製薬会議室:課長の声が響く「現状ですが、一般薬のシェアーは一昨年、

昨年と微増しております。」そこで咳払いをして慎重に話し始めた。 

「その一方で、医科用の医薬品はシェアーを大きく落としております。この原因ですが

一つはジェネリック医薬品へ転換するという、政府主導の医療費抑制の方針があります。」

「10年の特許期間を過ぎた医薬品が、後発品であるジェネリックの製品に転換されシェアーを奪われているのが大きな要因です。ただこれは当社のみの話ではありません、他の先発品メーカーも条件は同じなのですが、新規薬の開発費の増大と相次ぐ治験段階での開発断念が続くという不運があります。それに当社の主力抗癌剤である、P-7ですが市場シェアーを落としております。原因としては、競合薬である亀山薬品の抗癌剤K-10に現時点では効果の点で負けております。」

「この理由としましては、販売当初は単剤の作用で他社製品に勝っていましたが、亀山薬品がスイスの提携先と共同で開発した、分子標的薬ZS-10とK-10併用効果のデーターをP-7単剤では上回れないからです。つまりZS-10が標的とする腫瘍内のZ酵素を抑えた上にK-10がZ酵素活性と相反し効果をもたらすという点がその相乗効果をもたらしていると考えられます。」

「他社の宣伝はもういらないがどう対処するのかね。」と部長がたずねると。

「対処としまして、ZS-10とP-7の併用を考慮します、その一方でP-7の作用機序を基盤とした

新規の分子標的薬を開発中です。以上が現状報告です。」

「それでわが社の活路はどこにあるのかね。」部長は尋ねた。丸顔で恰幅が良く、部下に威圧感を与える部長は、続けて「一時は抗癌剤で他社の追随を許さなかったのだが。現状では亀山薬品の薬剤開発、併用薬の治験で後れをとり、亀山のZS-10とK-10の併用がガイドラインに載る現状の他方で、弊社のP-7はガイドラインから外される始末なのだよ。判っているのかね。」と強い口調で言葉を重ね、まるでガイドラインに記載されなかったのが課長の責任であるかのように睨みつけた。重い空気が会議室を覆った。

 「その件に関しましては、開発部より報告があります。」とメガネを掛けいかにも研究者という感じの島崎研究所長より答えがあった。

「ほう、期待していいだろうな。」冷やかに専務が尋ねると、「関口より報告いたします。」と所長が答へ、関口研究主任へ報告を促した。

重役たちの視線を受け、やせ形で眼鏡奥から目を輝かせて冷静に見えながら、部下に当たり散らすために皮肉を込め、氷の関口と噂される彼がほほを紅潮させながら、「今、K大学の大田准教授の研究室とともに、開発段階にある新規抗癌剤P-1964-10を用いた実験を行っています。」「このP-1964-10ですが、フッ化ピリミジンなどの多くの抗癌剤と作用機所が異なり、DNA合成に必要なピリミジンではなく、プリン核にフッ化物を加えたものです、元々は痛風薬として開発予定であったのですが、痛風薬としては、副作用が強すぎました。具体的に副作用として白血球減少や高度の下痢や発熱などが出現し、その毒性の強さのために、一度開発を断念いたしました。」

「ただ毒性を効果と考え、特異的にプリン核を持つために、フッ化物を化合させて抗癌剤として使用できないか試験した所、セルライン(細胞実験)では社内実験で良い結果が得られました。これに伴い、K大学の開発した抗癌剤感受性試験の実験にのせた所、他剤つまりK-10併用療法より有効性を示せそうな目処が立っております。P-7との併用も可能で、其々の使用量を減量して副作用の軽減に寄与できうる、優れた薬剤であると考えております。また多くの薬剤とも作用機上が異なるために現時点では併用効果が期待できます。これがうまくいけば、」

部長が「それはK大からの報告になるのだな。」と言葉を挟んだ。関は引き締まった表情で「当方は抗癌剤を提供しただけとの形をとっております。ただ、早急に論文としての出来上がりをフォローする体制は整っています。」と答えた。「発表はまだ先だろう?」と専務が尋ねると。「半年以内には報告に持っていけるかと、ほぼ出来あがっている実験に組み込んでもらいましたのでそう長くお待たせすることは無いと考えます。」と関口は答えた。島崎所長は「臨床に近い抗癌剤感受性試験でのデーターであれば、臨床治験への後押しにはなると考えています。」と言葉を継いだ。

「P-1694-10の開発研究費は現在までの概算と今後の予測費用を来週までに提出をするよう。それの結果如何で継続開発するかを判断したい。」と社長が研究所長を見ながら言った。

それを受け関口開発主任が「P-7との併用薬として開発中の分子標的薬ですが、現時点ではあまりデーターは良くありません。さらに追加実験を組んで開発を進めてはいますが。難しかもしれません。ただ、優秀な研究者の引き抜きが出来そうです。現時点では微妙な問題を含んでいますので詳細の報告は出来ませんが。この件は専務の了解を得ております。」と発言した。専務に視線が集中すると「まだ、言えないがそれなりの成果になりそうだ。まだ予断をゆるさないが。」とだけ言った。

「いま最もいい話は開発コードp-1694-10だけということか?」と社長は誰に尋ねるでもなく言った。先代の社長の息子で、エリートコースを歩み、中央官庁にも顔が聞き、切れ者と言われる現社長、その人に挑戦するかの様に、関は「その通りです社長。」と答えた。P-1694-10の開発に対して、経営陣は一定の評価を下した。部長は「それでは、臨床試験を早期に行える様に開発を急ぐ方向で社長よろしいですか。」と同意を求めた。「データーしだいだよ。」とだけ社長は答えた。「とにかくZS-10との併用試験、P-7の分子標的剤、P-1694-10の三つを重点的に進めるように。」

現時点でP-1964-10以外に抗癌剤としてモノになりそうなものは、他にないのも事実であった。会議は続いていった。「それでは、引き続き役員会を行います。役員以外は退席をするように。」研究所長を含め研究者は退室していった。

 山田部長「それでは、資本提携関係にある、新居薬品との業務提携強化についてですが、現在の持ち株比率を13%から50%に上げる、つまり実質的な連結子会社になるかどうかについてですが。こちら側としては資金を出す余裕が無く現在の新居薬品の持ち株比率を12%からさらに積み上げることは出来ない状況です。」と発言した、野島社長は「現実問題として、新薬開発費を捻出するすべもなく、じり貧になるよりは今までの独自性を捨てても、会社を存続させたいというのが、役員会の意見なのか?」とだれに尋ねるでもなく周囲を見渡した。「まあ、子会社になった時点で今の役員の何人が残れるかは、自分も含めてだが判らないが、技術者だけは残してほしいものだな、そうすれば創業理念である『人を助ける礎たれ。』は彼らの内に残るだろう。」と机の上に乗っている、中国の薬と農業の神である神農像を見ながら言った。

「日本政府の財政再建への方法として医療費抑制が採られ、その一端がジェネリック医薬品への依存率を高めるための政策誘導をしている、大きな方向性としての理解と会社経営が苦しくなるという現実は別だ。力のない会社が排除されるのはある意味で市場経済の理想ではあるだろう、しかしながら市場の独占は必ずしも良い結果をもたらさない。」「なぜですか。経営基盤が強固になり、開発費も注げるのでは?」「たしかにその一面はあるただ多様性の中からもたらされる競争や製薬業界そのものが持つ強さの幅がなくなるだろう。つまり多くの会社には残念ながら新薬を開発から手掛けるための蓄積がなく、また研究開発には多くの失敗を伴うがその余力を持ちえていない。当然当社においてもその力を失いつつある。今回の開発がうまくいかなければ私の持ち分は失われ新居薬品の子会社となることは避けられないだろう。」すでに銀行はその準備をしているとの報告が入っていた。銀行には自己資本増強や不良債権を減らし、国際基準をクリアーするためのハードルが高くなり貸出先企業の選別に入っている。メイン銀行に先の状況を見越し積極的に資本提携を勧められている現状は望ましい事ではなかった。

「それでは社長、後は研究者の成果に期待しましょう。」と言いながら山田部長は野島社長を見た。


 半年後

「先生、本当に発表するのですか?」まゆみは尋ねた。高木の頭にはここ数ヶ月に事が夢のようだと思いながら「もちろんだよ。」と答えた。「論文はすでにジャーナルに提出済みで、追加実験も終わり、最終校正も終わっている。あと2~3ヶ月で掲載予定だよ。」かわいい後輩のまゆみに答えた。



Patients and Method(対照と方法)


6月2日 退屈なつまらない講義を聞きながら、あくびをかみ殺す、亮二。それに気がついて横でほほ笑む、まゆみ「佐藤亮二君、つまらない時は、ほかの勉強したほうがいいよ、寝ていたら先生、何も言わないけど分かるし。」「何いってんだよ、ボケ広田なんかに判るものか。」「忘れた?先日の学園祭の説明で教壇に上ったとき、田中のあくびを見て笑っていたくせに。」そういえば、そうだった。でも眠いのは、講義がつまらないのと、昨夜のゲームに夢中で寝るのが遅くなったからだけど。「教科書見たら寝ちゃうよ、後ろから出るぜ。」と言うなり、講師が黒板に向いた瞬間に走り去った。

もう、またノート見せなきゃいけないのかな?「もう面倒見ないぞ~。」小さな独り言が聞こえたらしく、田中が振り向いた、無視するまゆみ。「おい。そこ、何している。」「何か質問か?さっき講義した癌細胞の転移メカニズムを試験に出すぞ。」指されて動揺する田中、いい気味よ、とつい思ってしまうまゆみであった。

「先生、他の転移メカニズムはないのですか。」と救う気はなかったがふと疑問を質問した。

「現在の医学の教科書には載っていない、可能性を否定はしないが。」

考える顔をしながら「このクラスは癌の転移メカニズムに興味がありそうだな、今日の講義の所は試験に出すのでよく勉強するように。」一部の学生は失笑した。

笑いごとではない転移メカニズムなんて聞けば聞くほど複雑になるのにとまゆみは思った。

「本気かな?」と田中が後ろも振り向き尋ねると、「広田先生だから本気で出すかもね。」と原因となった田中に嫌味を言った。

講義の声は続く「いいかい癌細胞は原発層からの離れるために接着分子を破壊したり、転移巣にくっつく為に接着分子を利用する、ちょうど君たちが付き合ったり分かれたりするように複雑だよ。わかった!!」学生に笑いが起こる。


6月3日、K大学外科学講座の第3実験室のベンチレーターの前に座り、頭を抱え込む高木、「あー、癌細胞株の培養液の抗癌剤の濃度のミスに2週間も気づかないなんて、最低だよ。」つい大きな声が出た、「些細なミスなんか気にせず再実験しろよ。」と小田が声をかけた、「いいよな、計画どおりに進んでいる奴は。」 笑いながら小田は「計画なんてあってないものさ。失敗は成功の母だよ。」そんなものかと思いながら、シャーレを覗き込む高木、その時いつもと何か違うと気付いた、対照の正常細胞が変化をしているように見える、シャーレを実体顕微鏡に乗せ顕微鏡を覗き込み確認すると、正常細胞の一部にがん細胞があるとわかった。「わー、コンタミ(混入)している。」「高木先生、さすがにそれは無理だね」と、小田は自分の実験を続けながら言った。対照へのがん細胞の混入という2重の実験失敗か?と思いながらも、実験に費やした時間と費用を思うと簡単に止められないと思いながら次のシャーレを覗き込んだ、「何だ、これもそうか?」とつい独り言が出た、他の検体でも同様だった。『48時間前の培養液交換の時は問題なかったのだけれど。』 小田は『高木、早く失敗は破棄して、飯を食いに行こうよ。』と声をかけた。「わかったよ、行くよ。」と言いながら腑に落ちず、シャーレを保温器に戻した。「おかしいな、抗癌剤の一般的なMIC(癌細胞抑制濃度)の実験ではうまくいっていたのに。」と呻いた。


6月4日、前日の結果を再確認するとやはり、同様だった。准教授で指導教官である太田に報告するとやり直しの指示と同時に濃度を変えた実験系を再構築するように指示された。また一から実験といやになったが、省庁に科研費も申請しているので仕方がないと思い直した。

実験は当研究室にて、開発した抗癌剤感受性試験(細胞実験)とその結果データーをヌードラットに応用し感受性試験が、有用であることを証明するのが、主な主題であった。

「どこを間違えたのか検証しないと、また同じ失敗をするぞ。」との大田の苦言を思い出し

実験手順を再確認しながら失敗データーの記録を行った。「ああこれだ、抗癌剤P-1964-10の濃度を、やはり間違えている。10nMolの次が半分ではなく、十分の一の、1nMolになっている、これだ、急に実験系に抗癌剤P-1964-10が組み込まれたため、濃度を間違えたらしい。ただどうして対照までもがコンタミしているのだろうか。この10検体は細胞を入れる段階で癌細胞が混じってしまったのだと判断した。「ただ、10個とも間違えるかな?」と、つぶやいた。5 nMolとコントロールとついでに1nMolの検体を作り、再実験だなと、ゴム手袋を手に、ベンチレーターに向かった。


7月8日 「よし、終了時間だ。それでは、解答だけ回収するから、解答を裏返して机の上において、退室して。」と試験官が終了を告げた。頭を抱え込みながらげんなりとした表情で退室する佐藤亮二、講義室の外で20分前に退室していたまゆみが声を掛けてきた「今日で、本試験は終わりだね、追試いくつ?」まゆみが尋ねると、「聞くなよ、もう一杯だよ。」と亮二、それを聞いて「自分のせいでしょう、せっかく資料渡したのに、勉強しないなんて!」「もお~。サイテー。」離れていくまゆみ、こっちにも色々あるんだよねと思いながら。「ワリィ、そんなこと言わずに教えてくれよ、女神さま。 晩御飯おごるから。」と手を合わせながら後を追いかけ、外に向かって走り出した。ゆっくり振り返りながら「もういいよ、今度、外科の先輩の所に話を聞きに行くけれど一緒に行く?」とまゆみが尋ねた。「えらい先生の所にオレ、行っても構わないかな。筋肉馬鹿だと思われないかな。」

「なにを言ってるのよ、真面目で優しい人よ、高木先輩は。そんなにえらくないし大丈夫よ。」


7月14日 ドアをノックすると、「come in」留学の癖らしいが、これだけは好きになれないなと思いながら部屋に入り、宣言するように高木は「先日の実験ですが癌細胞は混入していないと思います、再度、実験を行いましたが、正常細胞が癌細胞に変わっているようです。」大田准教授に実験報告をすると、書類から目を上げ「どうしてだろう?ミス以外に何か仮説があるかい?」ミスを強調されたが、「この実験系、つまり生体内での抗癌剤の、作用を見るため正常細胞と、癌細胞を半透膜(癌細胞は孔のサイズが極小の為通過できない)で区切ってはいるのですが、孔のサイズを通過する物で正常細胞を癌細胞へと変化させた可能性は無いのでしょうか?」大胆すぎる仮説を思い切って発言した。「う~ん、1μMoLの濃度の時だけ、10μMoL抗癌剤は予想より効果が低く5は効果なし。1その濃度の時だけ転移したかのように正常細胞が癌化。 発癌なら違う癌に成りそうだが同じ癌細胞とは、実験の詳細データーをみせて。」手元の資料にゆっくりと時間をかけ眼を通した後で「たしかに、面白そうだな。」大田准教授は興味を示し「その方向でも追従実験をして。」と指示された。一人になり「まずいな。」とつぶやく大田。先ほどのデーターを見直したが、有効濃度である10nMolで、癌細胞だけでなく正常細胞も抑制していた。「副作用が強すぎる可能性があるな。」

この結果をはたして彼らは受容できるのだろうか。「いや無理だな。他の手段を考えなければ。」とつぶやいた。

部屋を出ながら、高木は「孔のサイズが0.5μmなのでそれ以下のサイズの物質だな、何だろう?とりあえず癌細胞に変化した培養液から分析だな。」(ちなみに真核細胞の大きさは5-100μmである。)

この実験うまくいくのかな、実験のキット一つで、数万円するのだけれどなどと考えたが、「うまくいくぞ。」と声に出し、自分を鼓舞し、廊下を歩いて行った。


7月15日 午前の診察が終わり病院の渡り廊下を歩いていると、「高木先輩~。」振り向くと、まゆみがいた、くりっとした二重瞼、人なっこい笑顔、まっすぐな性格、みんなの妹みたいでこの子は部活の時から、人気があったがなぜか、俺を慕って来ていた。

「今日はどうした。」「先輩がどんな事をしているか知りたくて。」「診察が終わって、今からしがない研究者に戻って、研究するんだよ。」「外科医でも研究するんですか?」「あのね、切った、縫っただけが、外科じゃないのだよ、これでも、自然科学者のはしくれだよ。」本当に端っこだけど。と思いながら答えると。「oncologisit 癌学者ですか。」とのまゆみの答えに、驚きながら「へーえ、よく知っているね。それはそれとして、ベッドサイドも終わり来年は卒業試験と国試だろう、人のところに来る暇があるのか?」

「実は外科志望なのですよ。」と、まゆみが答えた。

「変わっているな、今人気ないよ。」と高木が言うと、「ニッチな所にチャンスが、あるんですよね?」「昔はメジャーだったのに今はニッチ(すきま)と認識されているのかい、悲しい限りだね。」「前に『ピンチがチャンス、人と違う事をしろ.』て、言ってましたよね。」「確かにそうだよ、また、色々と腹腔鏡下の手術やダビンチ(ロボット)手術が出てきて、ぼくの学生の時とは変わって面白いよ。」と言うと、まゆみは「それもあるんですが、彼氏も外科希望だし。」

「なんだい結局男かい。」妹に彼氏ができたみたいで、複雑だけれど、まあそれでも外科希望者と聞くと、崩壊寸前の外科のホープになるかなと思い直し「勉強してるの?」と聞くと。

「私、努力家なんですよ。前期試験終りで追試なしですよ。」と答えるまゆみ、「いや、彼氏だよ。追試のない女子学生が優秀かどうかは疑問だが。外科希望者が減るのは困る。」と言うと。「わたしが、勉強させます。」 「そうか、何か困ったことがあれば何でも言えよ、微力だが力になるよ。」「お願いがあります、外科の臨床以外の仕事を見てみたいんです。」

「今、やっている実験の一部を見せようか。」「やったー」と喜ぶまゆみの姿を見ていると新入生の時と変わらないなと、思った。「昼飯食ったか?」「当然まだですよ。外科志望の彼氏もいいですか。」「ちゃっかりしているな。まあ、将来の外科医ならいいよ。」

「今からメールしますね。」

「病院のカフェに行くよ。」と答えた。    

カフェテリアでランチを3人分と、まゆみのデザートの支払いを済ませ、窓際の席に着き

「亮二君、なぜ外科希望なの。」と聞くと、亮二は「実は家が病院で外科ですが、初めは違う方向で考えていたのですが、、だけれども、みんなが目指す精神科は、相手の心理状態を考えながら治療するような事は自分には向かないし、眼科や耳鼻科は手術が細かそうで、合わないし、外科医は、かっこいいですよ、ベットサイドの時に、緊急手術をして、手術後に患者さんが良くなっていくのを見たらとってもやりがいがあるなと感じたんです、いいですよ。」

「3K職場と言われているけど?」「関係ないっすよ、かっこいいし、自分がしたいと思いましたから。」

「そうだね、自分がやりたいことをすることが一番だよ。だけどそんなにかっこいいものじゃないよ、どんな医師でも、そうだけれど特に外科医は、患者さんの命を預かる覚悟と、危機に直面した時に踏みとどまる勇気が必要だよ。それと外科医は完全な師弟制度の上に成り立っているよ。まあ、体育会系だから心配ないか。」と高木が言うのを、まゆみは真剣に聞いていた。

「それと後から見せる実験はそんな世界観とは全く無縁だよ、だけれど自分の知らない事に出会える楽しさがあるよ。」 「高木先輩は実験のほうが好きなんですか?」まゆみが尋ねた。

「ちがうよ、どちらもそれなりに楽しさや苦労があるし、まだ結果が出ていないから、実験の方が苦しいかも、准教授に与えられた課題だから自分で始めていないというところもあるし。

だけれど、これが少しでも臨床の役に立つと信じているから、やれるのだよ。」

「全部は理解できませんが、高木先生、宜しくお願いします。」笑いながら「気が早すぎるよ、君は国家試験を受けてから聞くよ。」高木は答えた。


8月14日:18時 「それで、結局培養液の変化は、何だった?」と大田准教授は尋ねた。「MW(分子質量)約40kDaのタンパク質です。ウェスタンブロット法にてピークも確認しています。」と答えると「当然、作用機序は解らない。」「残念ながら。判りません。」眼鏡の奥で目が光って見える「仮説は?」「今のところ、癌細胞(NKYU0905)が作り出した、タンパク質が膜を通過した後に、正常細胞のエンドサイトーシスにより細胞内に入り、取り込まれたタンパク質により正常細胞のDNA合成に変異をもたらし、発癌したのではないかと。思っていますが。抗癌剤p-1964-10の可能性も考えましたが、他の癌細胞種では認めない現象ですし、正常細胞に加えても変化しませんから違うと思います。」

「大胆な仮説だね、結果として蛋白質が出た可能性はどうなの?たとえば、そのタンパク質だけを、抽出して、加えた正常細胞培養を行い、癌細胞へと変異したのであれば、そうかもしれないが。」と大田が言うと、「まあ、そうですね。」「高木、余分な実験があったが、少なくとも3剤の抗癌剤に関しては予測通りの結果が出た、もう十分だよ、博士号論文として。それ以上は研究室で継続実験を行うよ。」高木にとって大田准教授の言葉はヒントになった。「それはそうと当直に遅れそうだ、急がなきゃいけないな。」と高木は呟き廊下を急ぎ足で進んだ。

部屋を出ていく高木を見つめ「抗癌剤P-1964-10は完全な失敗だな、癌細胞(NKYU0905)では、発癌性の恐れすらあるのかもしれない、もう動きだしたものは止められないか。」と呟いた。



9月18日 「よし、胃空腸吻合終了、洗浄止血を行う、吸引を。」腹腔鏡の画面を見ながら白山教授が言った。「ガーゼカウントはいいか。」 「カウント問題ありません。」とオペ出しナースが答えた。「摘出も問題ないな。ドレーンの用意。」と言って、ドレーンを腹腔内に鉗子孔より吻合部に挿入すると。「後の閉腹は任せたぞ。」と高木に言って、手を降ろした。

「先生、腹腔鏡の手術はすごいですね。」と研修医が糸結びをしながら高木に言った。

「そうだね、ここ数年のことだよ、僕が研修医のときはまだなかったからね。さあ長い手術ももうすぐ終わりだ。最後まで気を抜くな、もうひと踏ん張りだ。」と答えた。

約束の20時に大田准教授の部屋の前、実験データーを持ち、ノックした。いつもの返事はなく、不在のようだが、すぐ戻るだろうと思い、2~3分待つことにした。あまり、教授達が通る廊下に立っているとまるで教授に悪いことで呼び出しを受けた学生の気分で嫌だと思っていると、オペ着で外科の青木准教授が通りかかった、「どうした、失敗して立たされているのか?」と冗談を言われたが「その様です、理由は解かりませんが、大田先生に20時に来るように言われたので、持っているのですが。」と困った表情で訳を話すと、「今日は、彼の手術は緊急でもないはずだけれど。珍しく忘れたのかな。電話してあげるよ。」PHSを鳴らす青木、「出ないね。」「ここでは待ちにくいだろう、隣の僕の部屋においでよ。」隣の部屋に入ると、「コーヒー飲むかい?と言いながらコーヒーメーカーから二人分を注ぐ青木、「すいません。」と言いながらあたりを見回す、シンプルで整理された部屋。「研究どう、進んでいるの?」「そうですね、ただ思ってもいない結果がでました。」とかいつまんで内容を話した。「来月の中間発表会には提出します。」「大田先生は何か言ってないのかい、内容が内容だけに十分に吟味しないと袋だたきに会うよ。」「医局内の発表でだめなら論文なんか無理だよとは言われましたが。」「へー、勝算ありなんだ。あまり聞いたら応援しそうだからもう聞かないよ。そろそろ良い時間じゃないかな。」話に夢中で30分以上過ぎていた、「ごちそうさまでした。」といいながら紙コップを捨て、あわてて部屋を後にした。再度ノックしたが、応えは無かった。「いなかったので、怒って帰ったのかな?」今度は自分で電話したが院内PHSに応答はなかった。「あきらめて帰るか。」明日の実験を再確認して帰宅した。


9月20日 朝より医局が騒がしい、「どうしたの?」と聞くと、医局秘書の木戸が「大田先生がいないのです、朝の講義の準備に、行ったら部屋が荒れていて、先生の携帯に電話しても出ないし、大変なんです。」「病欠じゃないの?」「自宅に電話したら、奥さんの話では、出張中ですが、との答えだし、まったくわかりません。代講で青木先生に行ってもらいます、それと講義の出席カードを配りに先生行ってもらえますよね。」有無を言わせぬモードで告げられた。「了解です。」緊急事態じゃしょうがないとあきらめた、青木准教授についていくと、「太田先生はどうしたのかな?昨日から何かおかしかったかな?」「午前中に約束した時点では何も変わりなかったのですけど。」と答えると、「ところで、今日の研究中間発表どうするの?指導教官不在では難しいよね。その辺は教授に話しておくよ。今回パスでもいいと思うよ。」「ありがとうございます。でもある程度は出来上がっているので、発表しますよ。」「そうか、頑張れよ。」まったくよく気が尽くし、いろいろな面で自分にとっての、人生の師だな、この先生は。「それにしても太田先生、心配だね。」「まったくです。」と答えた。「とりあえず講義だな、1つひとつ解決するしかないよ。」といいながら講義室に入っていった。

夕刻の発表は散々だった、直属の上司が居ないとそこまで言われるとは、青木に「一人であれだけ出来れば十分」とねぎらいの言葉をかけてもらい、「でも先生泣きそうでしたよ。」とつい本音が出てしまった。


9月19日 

「やったぜ。いい金づるが出来た、いい車も手に入ったしこれもあの女が、あいつをたぶらかしたおかげだな。」と山道を駆け抜けながらタバコを取ろうと手を伸ばす、誤って何かスイッチに触ったが気にせず加速するためにアクセルを踏み込むと、いきなりリアが滑り出す。500馬力の車はコントロールを失いガードレールが迫る、スローモーションで周囲が動いていく。カウンターをあてパワーオバーステアーの状態を立て直す力はなかった。


激しいスキール音を立てながら、山道を走る山田、いつものカーブを抜け、加速しようとした、一瞬炎が目に付き、減速した。どうやら、崖の下で物が燃えているらしい、次のカーブを抜け路側帯に車を止めると、先のカーブのガードレールが無くなっていた、「車落ちたか?」知り合いじゃなければいいが、走り屋仲間の顔を思い浮かべながら、崖下を覗き込んだ、叫んでみたが、返事はなく、かなり下に落ちているらしい。近くに外車のエンブレムが落ちていた。しょうがなく警察へ連絡した。

その1時間後に山田は警察の事情所聴取を受けていた、「ちゃんともう一度事情を話してもらおうか。」と巡査が低い声で尋ねた。山田は「知りませんよ、勘弁して返してくださいよ。」どうも、山道でレースをして一台が落ちたと思われているらしい。

「山田さん、帰っていいですよ。」他の巡査が声をかけてきた。「城山さん、ナンバーから持ち主がわかりました。」それを耳打ちされると「もう帰っていいぞ。」「誰なんすか?」と山田が聞いたが、ジッと睨まれ、「関係ないことに首をつっこみたいなら、拘置所で話を聞いても良いぞ。」と言われると、「せっかく通報して、2時間も待たされたのに。」と明け行く空をみながら帰って行った。


9月21日 温暖化の影響か暑い日が続く、研究室に入ると、「先生至急、第一会議室に来てください。」といわれた。何事かと行くと、磐田主任教授、青木准教授、3人の講師、病院のめったに会わない事務長それと、目つきの鋭い2人が待っていた、「高木くん、大変なことが起こったよ。」と教授が口火を切った。「こちらの二人は刑事さんだ。」警察手帳を見せながら平警部と名乗った男性が「実は、太田先生が事故で、亡くなられたと思われます。」「は?冗談でしょう。いなくなったのは心配しては、いましたけど。」青木先生を見るとうなずき「真実らしい。」「どうして亡くなったのですか?事故ですか?今朝のニュースでは何も伝えていませんでしたが。」「それを調べるのがわれわれの仕事なのですよ。」鈴木警部補が答えた。「事件性があると言うことですか?」「それも含めて調査しているのですよ。」疑われている?「とりあえず関係者は調査を受ける必要があるとのことなので、協力して下さい。」と事務長が発言した。「大田先生はどこで亡くなったのですか?」と尋ねると。平警部が「奥秩父の山中だよ。何か思い当たることがある?」「特には。」と答えながら、学生時代にそういえば車を走らせ、事故で落ちたが、無傷のやつがいて、後日、色々、拾いに行ったことを思いだした。「ところで、院内で最後に連絡したのは君なので、いろいろ聞かしてもらうよ。」「かまいませんよ、実験内容以外であれば。」「高木君、平警部は僕の友人で信頼していいよ。」と青木が告げた。「わかりました。青木先生が言うのなら。」「急なことなので動揺して当然ですよ。」と鈴木警部補がフォローした。後日警察署に出頭するよう告げ2人は去っていった。部屋を立ち去るときに教授へ教授会への報告をするように告げる事務長の声が聞こえた。ふと、なにかしら腑に落ちない点があった。

研究室に戻ると色々な噂が飛び込んできた、「遠藤先生も来てないらしいよ。」「あの二人は出来ていたからな。」「ショックで出てこられないらしい。」「事故って車が炎上したらしいよ。」「身元確認は奥さんと、親戚が行い、かなり損傷がひどかったけれど、持ち物などから、簡単に出来たらしい。」どこから来たのかわからない情報だらけだった。

「遠藤君が?関係しているの。」小田は「噂だよ、学生時代の彼女だから気なるよな。」「あたり前だろう、まったく無関心というわけには… 」「彼女が亡くなったわけじゃないから。あんまり深入りするなよ。」「何、言っているの。そんなんのじゃないよ。」「いつもの知的好奇心かい、ホームズ先生。」無言でいると、「ごめんよ、言いすぎたよ。」と小田。「いいよ。」自分に関係する人だとこんなに動揺するのかと自分自身に驚いた。医局スタッフに尋ねると、「遠藤先生は病欠ですよと告げられた。」そういえば、ふと亡くなったらしいといわれたことを思い出し、なぜ断定でないのだろうか、不思議だった。


9月23日 高木の下に一通のメールが届く、「今日の20時にAホテルのロビーで待っている、来てほしい。」と遠藤杏子からだった。元気かどうかと、行く事をメールにて伝えた。


ホテルのロビーで彼女を見つけるが、一瞬立ち止まり、(やっぱりこいつ美人だよな、負けそう。)と思いながら、意を決して近づくと、不意に立ち上がり、「来てくれてありがとう。」とキスをされ完全に舞い上がった。なぜと問う前に手を取り、エレベーターに向かう、2人だけでエレベーターに乗り、10階を押す、「助けてほしいの、部屋で話しましょう。」と言いながら、2階でなぜか4階を押し、降りる。「今度は忘れ物をした。」と下に向かう、B2駐車場にあったカローラのレンタカーに乗るように言われ従う高木。車が走り出すと「本当に助けが必要かと、拉致されたみたいだけれど?」「本当よ。助けてほしいの、」「何かから?」

「今は言えないわ。」ホテルに着くと、熱い抱擁と潤んだ瞳で、「解からないの、でも私は太田先生とは関係ないわ。」との一言が待っていた。

9月24日 朝目が覚めると彼女の姿はなく、メモがあり伝言は「ありがとう。」の一言だけ。飲みながら話していたので一部記憶がない、なんとも釈然としない気持ちで、自宅へ帰ると、荒れ放題の部屋が待っていた。これが昨日の報酬かな、良い事も悪い事も一緒に遣って来る、と思いながら、警察へ通報した。巡査が来るまでそのままの状態で待たされた、巡査と一緒に現場検証をすると、全部の部屋が荒らされ、机の引き出しに入っていた少々の現金が無くなっていた。「他になくなっているものはありませんか?」と訪ねられた、もう一度部屋の中を見渡し、いつもの場所と違うところを考えたが、特に思い当たらず、「ありません。」とだけ答えた。

部屋を後にして車に乗り、大学に向かった。車を降り研究室へ向かうと、研究室の前に人だかり、窃盗事件らしい、警官に訳を話し、中に入ると、鈴木警部補に呼び止められた、「先生の周り物騒ですね。」「自宅でも盗難届を出された様ですね。」「盗みに入られたのですよ。」と答えると。

鈴木「なぜだと思いますか?」 「僕が何か悪いことしたのでしょうか?」と逆に高木は尋ねた。「すいません、仕事の性です。」と鈴木。「何となくわかりますけど、僕が一番の被害者のような気がします。」「青木先生に聞きましたよ、いろいろ大変そうですね。」一緒に部屋に入ると、「何か無くなっていますか?」と尋ねられ、「ああ、まだ触らないで下さい。」とも言われた。

遠目に見ろと言うのか、「ざっと見たところ自分のパソコンがありません。」

「ほかにも医局のコンピューターが何台か無くなっています。」と鈴木が付け足した。

PM19時、警察署に行くと、医局の仲間数人とすれ違った、雰囲気が雰囲気だけに会釈だけをした。黒衣を着た大田先生の奥さんともすれ違った、声もかけれず、目だけを合わせ会釈をした。取調室に入ると「さっきの女性をご存じで。」と聞かれた。「大田先生の奥様で、自宅で食事に呼ばれたこともあり、面識はありますよ。」と答えると、メモをとりながら、2人の刑事は「研究室でほかに何か無くなったものは?」と尋ねてきた。「なぜか実験用のノートが。」「そうですか、大田准教授の資料一式も無くなったみたいですが。どう思われます。」容疑者のAかと思いながら「え?どういう意味でしょうと聞き返すと。」「よくわからないのですよ、実験の資料はどんな意味があるんですか。」と尋ねられた。「そうですね、わかりやすく言うと、あくまで、博士号を取るための、学位論文用の実験で、実験では抗がん剤の作用副作用を同時に調べるために特殊な膜を使い右に癌細胞、左に正常細胞を入れ、細胞培養をします、抗がん剤は一般に対象と別に培養し効果を判定するのですが、着目点は生体内に近い状態での効果、副作用判定の為の特殊シャーレを使用し臨床に近い状態での結果が出るのじゃないかと思っていたんですが、まったく違う結果が出たのです。」「それって失敗ですか?」「ある意味そうです。ただその結果に意味があると実験を続けていたのです。」発表の時のような反応に腹立たしさを感じていた、「ところで、18日は大田先生とどんな約束をしていたのですか?」

「中間発表会の資料の事で来るように言われていたのです。」「その時、青木先生に会われた、そうですね。」「そうです。」二人は耳打ちすると「それではお帰り下さい。」といった。あっけなく終了したけど、青木先生の尽力か?と思いながら、イスから立ち上がると「ああそれと、ご自宅でもパソコン取られたのですよね、お困りですよね。」額に右手を添えながら聞かれた、コロンボ警部かと思いながら、「ハイと」答え、部屋を出た。     

自宅に帰りぼんやりと実験全体を思い起こす、

実験は細胞培養と半透膜を組み合わせ抗がん剤の作用副作用を同時に調べ、抗癌剤感受性と副作用を同時に判定し、臨床応用の基礎と成るべく計画されていた、癌細胞と正常細胞を特殊な膜(細胞周囲を覆う、コラーゲンマトリックスにて作られ、膜への浸潤を阻止するためコーティングされている。)で、分けながら同時に培養液、抗癌剤のみが循環され、これにより生体での、抗癌剤の抑制効果と同時に正常細胞への副作用を判定できる。ところが、癌細胞NKYU0905と抗癌剤P-1964-10の組み合わせは違っていた。細胞培養を始め6日目には両側に癌細胞を認め、失敗であることは、すぐに理解できたが、IC50の濃度(抗癌剤が癌細胞を向治療に対して50%抑制する濃度)の間違いには気が付いていなかった。十分量の濃度の抗癌剤P-1964-10を使用した場合は抑制効果の発現を見たが、他の薬剤と、そん色ない結果であった。 抗癌剤P-1964-10による発癌性も考えられたが、その場合は他の癌細胞に認めない事、また、細胞形態より、特殊膜の左右の癌細胞がほぼ同一と認められた事より抗癌剤の発癌は否定された。そこで大田准教授は「他の抗癌剤の濃度を低くし、すべての実験に使用した癌細胞との関連を調べろ。」と命じたのだった。「もしすべてが同じ結果を示すのであれば、この抗がん剤感受性試験そのものに欠陥がある。」とも、大田は言った。この時点で抗癌剤P-1964-10は抗癌剤としての効果に疑念が生じ、感受性実験の対象より外れた。両方に誤って癌細胞を入れてしまったか、再度検証実験を行ったが結果は同じであった。何が癌細胞への変化をもたらしたのか、膜そのものに問題があったのか。そこで追従実験を行い、

癌細胞自体が膜の孔を通過しないのは、孔のサイズと、癌細胞の動きの記録により判明した。

培養液中を調べると特殊なタンパク質(T-NKYU0905と命名)が存在すると判った。これが、発癌と関連するか、In vitro(試験管内)では正常細胞にある一定上の濃度で培養液に加えると正常細胞を癌細胞へと変化させた。一方で、蛋白質を血液投与したヌードラットの実験ではうまくいかなかった。

これがまだin vivoで検証するには十分でないと太田先生と話した。「新しい癌転移メカニズムとして、治療に役立つだろう、理論がはっきりしなのでノーベル賞は無理だが。」

翌日、指導教官となった青木准教授に実験の詳細を話すと「それは教授も知っているはずだよね。」「もちろん太田先生が話しているはずです。」「ただ先日の発表内容について教授は知らなかったらしく『なんなんだ!!あの内容は。』といっていたよ。」「そうですか? 大田先生はこれから先について自分の研究室全体で研究すると言っていたのですが。」「まあ、内容は理解した、もう2年ぐらい実験に専念する気があれば、ある程度の臨床応用が出来そうだが。その気ある?」「考えさせてください。臨床も捨てがたいのです。」今の大学での安月給と臨床、研究と、アルバイトをしながらの生活と、一般病院での給与を天秤に思い描きながら答えると。「なにも研究だけを専属で、と言っているわけではないよ。もちろん大学での臨床をしながらだけど。」と至極簡単に研究者らしい答えが変えてきた。

「まあどちらにしても今後の研究は僕が直接指導するので、何でも相談してくれよ。ちなみに研究データーはどうなっている?」「コンピューターがなくなった日にデーターが出たのでたまたま、バックアップしていました。」「よかった、データーなければ最初からだよ。」

ノックの音がして平警部が入ってきた、立ち去ろうとすると、青木に呼び止められ、さっきの話をするように言われた。一通り話し終わると、「単純な保険金殺人でもなさそうだよ、どちらかというとその研究がキーに成りそうだ。」青木も「そうだね。大田君の動きがおかしすぎる。」といった。「あのよく分からないですが。」「青木はこれでも首席で、僕より優秀なので時に知恵を借りるんだ。」と平警部、「それはいいすぎだろう、素人探偵だよ。」「彼がポワロで僕は相棒だよ。」高木が「ヘイスィングス大佐ということですか?」と尋ねると、平警部は「そうまさしく。」「冗談はそれくらいにして、それはいいから用心したほういい。」と青木は言って、じっと目を見つめながら高木に「それと実験は進めること。」釘を刺した。

どうも、保険金が掛っていたために、未亡人である奥さんにも、容疑がかかっていたらしい、

冷静に考えればわかるが、金銭面だけを考えるのであれば、夫に黙って働いてもらったほうが得なはずだが、それ以外の理由が判れば別なのだろう。警察組織で調べれば、色々わかるのだろうとひとり納得した。


9月27日 その日の実験が終わり、車に乗ろうとしていると、いきなり後ろから羽交い絞めされ「おとなしくしろ。」「なにをする、離せ。」と高木が言うと「おとなしくすれば危害は加えない、ついてきてもらう。」と男は答えた、うらみを買う覚えはないが「何を言ってるんだ!離せ。」と声を上げた。

「先生!」いきなり犯人もろとも押し倒された、亮二だアメフトキャプテンは伊達じゃない、一瞬の隙を突いてすり抜けると、対峙した。あまり大柄ではない、覆面をした男が立っていた。

多勢に無勢と思ったのか犯人が逃げ出した、そこに亮二がタックルして倒し、馬乗りになり殴ろうとした瞬間、「動くな。」と鈴木警部補が飛び出してきて犯人を取り押さえた。「学生さんに先を越されました。申し訳ありません。」と鈴木がわびた。「とんでもない、ありがとうございます。なぜ此処にいるのですか?」と聞くと、「先生の周囲に張り付いてろと警部に言われています。」答えがあった。近くで急発進する車がありそれを見た鈴木がナンバーを報告し、「仲間かもしれません。」といった。

亮二に「偶然とはいえ、ありがとう、助けてくれて。」「違います、帰ろうと駐車場を通りかかったときに、変な男が先生の車を見つめていたので、盗難でもするのかと気になって探っていたんです。」と亮二。「まあ古い車だから本当に盗んでも金にならないと思うけど。」と愛車のミニを見つめた。「オレ、古い形のミニ好きなんですよ。」と横に立ちながら、亮二が言った。


9月30日

「高木君。」と教授に呼び止められた、「先日の報告と内容をレポートにして出すように。青木君に聞いた仮説の部分を含めてだよ。」と告げられた。

「 いま、確認の追加実験を行っていますが、このデーターが出てからでよろしいでしょうか。」

「いや、明日の18時までに出してくれ、20時の便で学会に行かねばならない。」

「はい。分かりました。」イエスの答え以外は教授には答えられない。

機中の読み物か、目に留めてもらえたことは幸運かどうか、今日の実験を早めに切り上げ

レポートを書くことにした。研究室に戻ると鈴木警部補がいた。「どうしたんですか。」

「先生の仕事を見せていただきたくって。」

「今日は、お話できませんよ。」「かまいません。」

コンピューターに向かいながら「ところで鈴木警部補は何歳ですか?」「自分は29歳です。」

「お若いですね、いろんな人を診察しますが、苦労した方は実年齢より、老けて見えがちですが、20台半ばにしか見えませんね。」「それは言い過ぎでしょう、先生もお若いですよ。」

「30を超えてあまり若く見えると患者さんに信頼していただけなくて、あまりよくはないですよ。」「今からレポートを書きますので、しばらく動きませんよ。」

「かまいませんこれも仕事です。」との応えだった。「ところで先日、僕を襲ったのは何者ですか、捜査秘密で話せませんか?被害者になりそうだったのでぜひ教えてほしいのですが。」

「気持ちはわかりますよ、でも、実際よくわからないのです、ネットで仕事をしたと言っているんですよね。」高木が「どういうことですか。」とたずねると。「今よく問題になっている、裏の仕事の求人情報で見つけたと、言っているんですよ。」鈴木が言うと。「見ず知らずの人間、実在するかどうか分からない話に乗るわけですか、怖い世の中ですね。」彼らはなにを信じているんだろうかと思いながら高木は素直な感想を口にした。


7月30日N製薬、第二会議室にて:「どういう意味かね。」島崎が尋ねると、「困ったことですが、抗癌剤感受性試験はうまくいっていません。他剤との試験結果にて優位性どころか発がんの可能性があるというデーターが出たと、大田より報告がありました。」と関が答えると。「どう責任を取るつもりだ。」「大田の話もなしだな。」と言い放ち、立ち去ろうとする島崎に「待って下さい!所長、続きがあります。」必死に食い下がる関、「実は新しい転移メカニズムを発見した可能性があります、これを阻止出来れば十分以上に効果の上がる抗癌剤が作れます。」

「どういうことだ。」研究者心理を刺激したらしく、食いついてきた。ここぞとばかりに説明し始める関口「P-1964-10は、抗癌剤として不完全でしたが、実験に使用した癌細胞と感受性試験のデーターよりの結論としては特定たんぱく質により、正常細胞が癌化することが判明しました。」と言って一息入れると。

「続けろ。」と島崎は言った。「はい、それ機序を治療薬の開発にしようと……。」


9月30日 取調室にて「刑事さん、もう全部言いましたよ。インターネットの掲示板で、おいしい仕事を見つけ、一日50万、誘拐とは知らなかったんです。まず契約金として20万円受け取り、残りは、終了後にもらう約束でした。人をただ送るだけということで。」

「営利誘拐は重罪だぞ、わかっているのか。子供を送るわけではないんだぞ、それだけで金銭をもらえるかは考えればわかるだろうが。」「だから頼まれただけです。ここに電話してください、分かりますから。」

「そういい言い訳が通用するかは、身をもって体験するといい。」と鈴木は言い放った。

鈴木警部捕が報告のため平の元へ向かった。

「警部、どうも詳細は知らないみたいです、指示された地点まで、人を運ぶだけだと云われたとしか言いません。他の言葉を知らないみたいです、指示された電話番号は公衆電話でした。」

「余計なことは知らないほうがお互いのためと犯人は考えているらしいな。」と平警部は言うと「高木先生、嫌がるだろうがガードをしろ。」と指示した。

「それと、大田准教授の車に乗っていたのは別人らしい、DNA鑑定が出たぞ。」と平が言うと、「それって、どういうことなのでしょうか。」と鈴木が尋ねた。「そう簡単ではないってことだな。」と平警部は答えた。また、掲示板の書き込みはネットカフェが使用されていた。

ネットカフェの利用者はサングラスをしたひげの男が若い路上生活者にバイト感覚で頼んだと判明した。「どういう感覚なんでしょうね、犯罪のにおいがする書き込みをする男とは。」鈴木が呟くと。

「まあそれだけ厳しい世情だろうな。」と平警部は答えた。


10月4日 朝に小さな記事に高木は気がついた。『替玉保険金殺人か。』新聞によると、自動車事故死と思われた死体が別人であると県警が発表したとの報道だった。

その日の夕方、高木は「生きているのだったら、なぜ大田先生は出てこないでしょうか。殺人者てこと?ですか」と、青木に尋ねた。「おいおい、僕は警察じゃなんだよ、一部の情報は平が捜査協力者の名目で教えてくれるけれど、全部じゃないのだよ。」「すみません。」と謝ったが、目が訴えていたらしく、「まあ、そういえば遠藤君には会ったかい?」「最近はあっっていませんが。」なぜか動揺した。(どうしてそんなことを?)青木は続けた「妹さんがいるって知っていたかい?」

「いいえ、知りませんが。」と答えると、「それなら、この話はまた今度、ところで実験はどこまで進んだ。」「培養液をA社からB社に変え実験しましたが、同じでした。」と答えると。「そこまでの結果をまとめよう。とりあえず、一度論文にして出しておく。その先は次に発表する。」

「どうしてですか?」と尋ねると、「発見は先に報告した者のみが評価される、二番手ではだめなのだよ。君と似た実験をしている人はいるはずで、結果も似た様のものが出ることが予想される、条件が同じなら答えが一緒になるから、発明や発見が歴史上で、ほぼ同時に報告されることが多いだろう、科学者はそれが解かっているから早く発表しようとするのだよ。一流の科学雑誌ほど掲載が早いのはそのためだよ。」「それと、内容の報告は僕だけにして、たとえ教授であっても発表会以外ではしない様に、内容に不備があるとまずいので、十分に検討してからだよ。」

「先日レポートを出しましたが。」と答えると。「仮説部分も含めてだろう、それがよくない、

結果と理論で固めて、いかないと、仮説のままでは話にならないよ。」と言われた。

「ところで、なぜタンパク質に注目したのかい? 」「口蹄疫、スクレイピーです。」「なるほど、狂牛病(BSE)の原因はタンパク質ということか、人も発症すると、伝染性海綿状脳症(TSE)になる。それがヒントかい?」「そうですね、それと、癌細胞が転移するメカニズムは多段階に渡り、かなり難しいですよね、高度に特定機能を持つ様に分化した細胞が、先祖がえりをするかの如く、低分化となり、一個だけの単核細胞のように自由に動き回るのが不思議だったんです。それより情報伝達のように相手を感化するほうがやさしいのではないかと考えたのが始まりです。」「ついにその相手を見つけたわけだ。」「そうかもしれません。」と高木は答えた。


10月6日 大田准教授が警察に保護を求めて出頭した、「鈴木君何か知らないの?」と聞くと

「秘密ですよ、でも捜査に関係ないことだけ、保護を求めたのは2人で。」「二人? どういうこと。大田先生とだれか、ということ?」「そうです、女性で名前は遠藤。」胸が締め付けられそうだ。「高木先生、大丈夫ですか?顔色悪いですよ。」「大丈夫だ。続けて。」「遠藤涼子と言う女性で愛人らしいです。この女性の事で色々もめて、家族トラブルや、金銭トラブルで逃げ出したみたいです、不幸なことに車を盗まれ、知り合いのところに身を隠していたらしいのですが、

替え玉殺人の容疑者になりそうなのでどうも出頭したみたいです。」別人なのかとほっとしたが、

そういえば、以前ほとんど会わない妹がいると言っていたことを思い出した。

10月5日

「大田先生、あなたが身を隠したために大勢の人に迷惑がかかっているんですよ、分かっていますか。」  「もちろん、だけど身の危険を感じ、隠れていたんです。」「奥さんは心配していましたよ。」「身内の事で、言いづらいのですが、すでに別居していたんです。もう家内のことなんかどうでもよかったのです、ただ、涼子と居たかっただけで、前の男が悪い男で逃げざるを得なかった。その途中で車も盗まれたし、犯人は事故を起こして死んだみたいですが。悪人のために自分たちの身をあえてさらすつもりはありませんでした。」と疲れきった表情で話した。

「本気なのですね。」と鈴木警部補が尋ねると、黙ってうなずいた。

平警部に報告すると、「女もほぼ同じ話をしている、信じるのなら、どちらにしても犯罪者ではないし、死亡者は窃盗の常習犯だったのは事実で、監視をかねた保護の方向で調整するしかないだろう。いつまでも逃亡するわけにもいかず、出てくるタイミングが欲しかったんだろう。」

「二人はどうなるんでしょうね。」同情したように鈴木が言うと。

「なるようにしかならなのが人生だが、どうなんだろう。」と警部は答えた。

10月10日

大田准教授が顔を出した、辞表を教授に提出するため。大田先生の部屋に入ると高木は「先生…」と声を詰まらせた。 大田は「高木君迷惑をかけたね。」と言った。

やつれた元上司を見ると、文句を言う気は無くなった。「先生、辞められるのですね。」「自分でまいた種だ、しかたないよ、実験は進んだ? 蛋白はなにか分かったかい。」「その件は少し進みましたが、やっぱり難しいです。」「どういう様に、研究を進めているの?」「先生が以前に言っていた様に、蛋白質のみを、正常細胞培養に追加してみました。」「そんな事をしたのかい。」と笑いながら大田が聞くと、「ええ、やってみました。」「それで結果はどうなんだい?」

「濃度とは関係しないことが解かりました。」「え!なんだって。どう言う事なんだそれは?」と問いただした。「ある一定濃度は必要ですが、接触時間が重要みたいです。」と実験内容を説明した、「初めは、正常細胞にタンパク質を加え、72時間培養を、濃度を変え行ったのですが。変化なかったんです。1つだけ、その後3日間を日付間違いで、放置してしまったのが。あったのですがそれは癌の発現を認めました。」(俺は間違っていたのか?)と思いながら、「それでどうした。」「濃度を変えて実験しましたが同じでした。」「なぜだ?理由は。」「それがわかれば苦労しませんが、よくわかりません。」「本当にタンパク質なのか? 結果としてタンパク質が出現するのではないのか?」「先生はほかの物質が、転移の原因で、その結果タンパクが出現してきたと考えているのですか?」と高木がたずねると。「可能性を否定しているわけではないが、君はタンパク質にこだわりすぎだ、他の可能性を否定している。」 そういう風に考えたわけではなかったのだが、そう指摘されると完全には否定できないと高木は思った。「ですが、最初から蛋白ではなく結果としてタンパク質だけが残ったのです。」と自分を納得させるように高木は答えた。

高木と小田がひっそりとしたたたずまいのバーで。飲みながら

「失敗実験と最初考えていたからね。論文に出来るのは、青木先生のおかげだ。」と高木が言うと。「考えだけれどタンパク質て肉だよね、人に肉を食わせて癌に出来る?暴論だけれどそんな話がよく論文に出来たよな。」と小田が酔って言った。

「まあ理論的には可能かな、ただヌードラットてやつは、免疫がないから癌の移植が可能だし

成功した例もかなりの濃度を皮下に打ち込んだからね、確かに消化吸収のメカニズムを考えると狂牛病は奇跡だよ、ヒツジから牛へと種の壁を越えてなおかつ、地球上の生態系のトップである人に発病するなんて、まったく大したものだというのが実験したものの感想だよ。だけど実験は癌の転移、あくまで固体内の話だから。考えようによってはもっと単純だよ」

「お前が奇跡というなら本当だろう、ところで遠藤とは、どうするの?復縁するの。」と小田が尋ねた。

思わずせき込みながら高木は「まあ気まぐれな娘だから、どうだろう。でも自分でもよりを戻したいのかよく分からない。」あの時は確かに会いたいと言ったのは彼女からだったことを思い出しながら答えた。

「でも、あった日に盗難事件とは災厄を持ち込む女性だな。」小田が言うと高木が「偶然だよ。」と、言ったとたん必然であることに気がついた。「遠藤涼子、遠藤杏子二人は他人じゃない、姉妹?似ているから大田先生と付き合っていると噂になった。理由はよく分からないが、実験データーが必要だから呼び出された?なぜ?その理由が分からない。」と、言うと小田は「大田先生は関係しているのか、それなら 2件の窃盗は偶然と思うか?」と聞いた、「たぶん違う。だけれどまさか。理由がわからないよ。」いよいよ灰色の脳を利用する時が来たと頑張ろうとしたが、アルコールには勝てないらしく、「アイデアが浮かばない。」降参し、小田に「アイデアある?」と顔を見合わせ二人で笑い出した。「今日は忘れて飲もう。」


大田研究室の部屋にて:予定の時刻に部屋をノックすると「come in」 との応え、3人で部屋に入ると怪訝そうな顔をして出迎えた、すっかり整理された部屋に入るなり「先生どうして、研究の邪魔をしたのですか?」と高木とは切り出した、「どういう意味かね。解らないな。」と冷静に答えた。「遠藤杏子を使い、呼び出させ、僕の部屋と研究室からデーターを盗ませた理由です。」「知らないな。」「杏子は涼子に頼まれ僕を呼び出したと認めましたよ、二人が姉妹なのは先生ご存知なんでしょう。」

と聞くと。「さすがに二人が姉妹である事は、知っているけれど。どう関係するの、杏子君が涼子に頼まれたことなど知らないよ。ところでなぜ青木先生が一緒なの、それとそちらの人は誰?」

「僕が頼んで来て貰ったんだ、僕の学生時代の友人で県警の平警部だよ。」

「はじめまして、大田教授。」と間違った挨拶を平警部がした。一瞬驚いた表情をして「はじめまして、どうして警察の方がご一緒なのですか。」「公僕なので中立の立場で判断してくれるだろうと思ってね。」と青木が答えた。

「それはどういう意味、何かを判断するのに第三者の介入が必要かい?科学実件には不向きな人選のようだけれど。」

平警部は「太田先生、車は盗まれたのですよね。」とたずねた。

大田は「そうだよ。」と答えた。 「おかしいですね、鍵はつけたままだったのですか?」と平 「その通りですよ、間抜けなことに、急いでいたのでたまたま付けたまま離れてしまったんですよ。」「ロックせずにですか。」「そうですよ。」「事故でなくなった人のことはどうですか。」「盗んだ人が分かれば、警察へ通報しますよ。」と大田が答えると、「そうなんだよね。どうして、警察へ通報しなかったの?」と青木が尋ねると、「涼子の件は隠しておきたかった。迎えに行ったところだったので、本当のことを言うと、妻とは別れようと思っている。」

「それは大変だ、前教授の娘と離婚するなんて本気かい?准教授といえども医局に居づらくなるよ。」と青木が言うと、一度目を伏せ、決心したように「本気だよ。」と大田が答えた。

「そんな、いい奥さんじゃないですか。」「高木君、周りからどう見えようともだめなことはあるのだよ。結婚していない君には分からないかもしれないが。」

「なるほど、理由は解りました、ただそれだけですか?」と平警部が聞いた。

黙ってうなずく大田を見て平は冷ややかに「真実を明らかにした方が良い時ですよ。」と言った。

「運転していたのが、遠藤涼子の男でなければその言い訳は通るでしょう。」と鈴木が言った。

「どういうことですか。」と高木が聞くと、青木が「事故を装った殺人可能性があるということだよ。」平が言葉を継いだ「警察の情報収集能力を甘く見ないほうがいい。」

「そんな話にしかならないと思っていたよ、ただ誓っても良い、僕らは事故とは無関係だ。

何があろうと彼女を守る。」と大田は憤慨しながら言った。「その続きは警察署で詳しく聞こう。」と平が言うと。大田は自らコートーを手に持ち、ドアのほうに向かい歩いていった。ドアを開けながら「高木君、実験は是非成功させてくれ。」といった。ドアから出て行く2人を見送り青木は「少なくとも遠藤君の妹の件は本気らしいな。」高木が「それではどうして研究の邪魔をしたのでしょうか。」と尋ねると、「今の時点では不確定要素が多すぎわからんよ。」と青木は答えた。



「大田が警察に連行されました。」「そうか、優秀な弁護士が必要だな。事故の件は大丈夫なんだろうな。」「それはまったく問題ないと思います。大田に真実があればですが。」「昔から知っているが、やつは女で正気を失いはしないぞ。それより女だな。」「それと渡した金がどうなったか調べろ、井上専務の周囲も含めて。」「了解いたしました社長。」と大熊部長は答えた。


鈴木が「よくデーターが残っていましたねと尋ねると。」「それはこれですよ。」とSDカードを見せた、「これが、64GBでほとんどのバックアップデーターが入っていて、いつも背広の内ポケットに入れていたから助かったのですよ。」

「高木君、きみは真実を知りたい?」と青木が尋ねた、「もちろんですよ。いろいろ巻き込まれひどい目にあいました。真実を知る権利はあるかと思います。」「そうだね、君が考える関係者と、鈴木警部補に連絡して、平にも来てもらって。場所はそうだね、僕の研究室にしようか。事件の発端の隣の部屋ということで、日時は今週末の金曜日の19時、これで集まれるか確認して。」

「さて、今までの経過、結果を元に考察しようか。」と青木が言った、「あらすじは、製薬会社がらみの、研究者と結託した大学助教授の研究成果の略奪と、金と女がらみの殺人だよ。」と平警部が断言した。「確かに、その一面はあるだろう、大雑把すぎるけれど。」「他の見方があるのか?」と平警部は尋ねた。「まず最初に、事実の確認だけれど製薬会社と、大田准教授に金銭の授受はあった?」「現金で受け渡しがあった様だが、名目は契約金で大学を辞めて、野島製薬に勤務する支度金ということで渡っている。其の内の500万円は元妻に慰謝料で渡したらしい。」

「何か法に触れる事実がある?」「なにも関係ないが、他の500万円が不明だ。」「太田先生の説明は?」「遠藤涼子と前の男を別れさせるために使ったといっている。」「その通りよ。」と遠藤杏子が言った。「妹はあんな男と別れ太田先生が本気だから本気で一緒になりたいといっていたわ。3人で会ったときに、太田先生に『うそなら許さない。』といったら。不思議かもしれないが本気だよと言われ、真剣な顔をみて大田先生が本気だと思ったから。」ふうと一息ついた後で「今まで不幸だった妹が本当に幸せになれると思ったから、博には悪いと思ったけれど呼び出したわ。」「それはどういう事だい。」と高木が聞くと、「大田先生の転職先の研究室の所長から、大田先生の研究の邪魔になりそうな研究をしている研究者がいるのだが、それは昔のあなたの彼氏で危害を加えなくていいように、データーの略取をしたいので手伝ってほしいと言われたの。」 

「つまりそれは、君は大田君が生きているのを知っていたし、妹さんが幸せになる様に協力したかったという事かい?でも、彼はそんなことは言わなかっただろう、違うかい。」と青木が尋ねた。「確かに太田先生からは直接言われたことはないわ。」

「当たり前だ、先生は僕の指導教官で誤った方向へ導くことも出来たはずだし、それでもそんなことはなかったよ。」と高木が反論すると、青木が「確かに彼がしていた実験と相反する結論を高木君が導き出してはいたけれど、真実の追究という方が彼の研究者としての本能に訴えていたと思うよ。」

「そんな。」と杏子が絶句した。

「指示したのは誰?大田君ではないだろう。違うかい。」

「大田先生に言われたと思っていたけれど、就職先の研究室所長だったかも。」

腑に落ちないなと高木は思いながら話を聞いていた。


薬剤提供企の野島製薬から実験について

話があると呼び出されたのは3日後であった

「実験はうまくいったのですか? 論文を出そうと言うのならば。」 「そうですね、ある意味で結果を出せました。」と高来は答えた。「指導教官も不在でたいへんだったでしょう。」「まあ周りの協力のおかげです。」

「残念ながらうちが提供したZD1694はお役に立てませんでしたね。」「いえ、僕の実力不足です。」「論文についてお尋ねしますが、どのような内容ですか?」「抗がん剤作用の確認のつもりが、新しい転移メカニズムを発見したものです。...」少し説明が長くなったがなんとか伝えきったと高来は思った。

「わが社の薬を用いた実験系で癌転移。

発癌をもたらす薬ですか?」言いながら顔つきが変わっていく野島社長

「そんな事はありません。ただ偶然で見つけた転移のメカニズムです。決して癌を誘発した訳ではありません。」」

ドンと机をたたきながら「発癌効果を持つ薬。」  「そんなものはあってはならない…わが社には不要だ!!」突然立ち上がり

机からナイフを取り出した。「太田とお前が余計な事しなければ!」一瞬青い顔と目が合い現実かと我を取り戻し、転げながら逃げ出す、高来。

その時入口のドアが開き「逃げて。」と叫ぶ彼女がいた。「涼子?」と一瞬野島の動きが止まった、そのすきにドアから駆け出し、彼女の手を取り逃げ出す二人。エレベーターホールに着くと野島は追っては来なかった。

「杏子、なぜウイックを付けて?妹かと思ったよ。」扉が開くと1階を押しながら

「社長を驚かせるためよ。一瞬判らないでしょう?」「そうだけど。なぜあの場に?」

「私のボスは彼よ、社長付きの役職なの。」「それは?」「ノーコメント。」

1階に着くと先に杏子が飛び出した。

「行きましょう。」と2,3歩で歩みを止めた、誰もいないはずの出入り口の前に野島が立っていた、手には物騒な物を持ちながら。 「なぜここに!?」2つ目の疑問には野島が答えた「モニターで位置確認に15秒、乗り込みを確認しエレベーターが一階に着くまで45秒。私がこれを取り出すまで10秒、脱出エレベーターで降りるのに20秒、待ち時間はエレベーターからの距離の差も含めて約5秒。計算の通りだね。」と右手に銃を持ちながら野島は答えた。」「もう一度上に行こう。」

エレベーターに乗り込むと屋上を目指した。「まさか涼子の格好で現れたのは意外だったよ、杏子。でも来るのは判っていた。

お前はそんな女だ!!」と野島は銃口を向けながら言った。「違うの」と泣きながら杏子は答えた。

「さあ着いたぞ、降りろ。

その先は二人で行ってもらう。」

ゆっくりと二人は震えながら歩みだした、その後ろを歩きながら「二人で飛び降り自殺してもらう、私を裏切った代償だ。」

「違う。」と二人は同時に叫んだ。

僕にはもう気がないことは判っていた

杏子は「貴方が高来さんを傷つけるのは見たくなかった、犯罪者になってほしくない。」と続けた。「この場で命乞いか?」

「もう遅い、賽は投げられた。」

「やはりあんたは狂っている、判らないのか?」「狂ってなどいない、君の実験成果は間違っている、このまま発表すればわが社に被害を及ぼす、うまく使えば利益を生み出すが。さらに俺の女を奪った。」

「それが狂気だと言っている。」

「死ね。」銃を高来に向け発射した。

スローモーションの様に杏子が前に動いた

倒れる彼女。胸に赤い模様が現れ徐々に広がっていく。

自らの行為に呆然とする野島。

ハンカチを銃創にあて止血処置をしながら

野島には目もくれずに、左手でダイアルしながら「救急車をお願いします、場所は野島薬品、住所は・・・。銃創です。」焦る気持ちを抑えながらなんとか伝えた。

「あの人を許して・・。」と消え入りそうな声で杏子が呟く。必死に命を繋ぎとめようともがいた・・・

遠くでサイレンの音が聞こえ、暫くして

「大丈夫ですか。」と救急隊員に声をかけてきた。

ふらつきながら立ち上がり、野島が居ないことに気が付いた。「ご家族ですか?」

「違います、友人です。」

救急センターの廊下で待っていると。

鈴木警部補が歩み寄り無言で肩をたたいた

「なぜ鈴木さんが?」「実は21時過ぎに杏子さんから電話を受けました。」

鈴木警部の話は

「刑事さん、高来さんが危害を受けそうです。」「おっしゃる意味が解かりませんが?」「私は野島社長の指示で高来さんのデーター略奪に関わりました。その後で私と高来さんが以前恋人同士であった事を知られ、その関係が今もあるのではないかと疑われ。研究データーが会社に損害を与えると考え、発表させないように危害を加えると会社に呼び出しています、止めてください。」「分かりました、直ぐ向かいます。」「なぜあなたがそれを伝えるのですか?」「野島を愛しています。愛している人が誤解で他人を傷つけることは、嫌です。」


「そんな事・・ですか。」彼女の言ったことに嘘はなかった。


その後に、社長室で一言も発せず野島が逮捕護送された事を伝え聞いた。

許せない、その一方で人を信じきれない考えに寂しさを感じた。

conclusion

「なぜ、失敗の研究なのに発表するのですか?」まゆみが尋ねると、笑いながら

「実験は必ずしも成功するわけでないのだよ。発表することによって、ネガティブデーターにもある意味をもつと信じているからで、今回はある一部の癌細胞が、特殊条件においてタンパク質にて癌への変異を起こさせると判ったけれど、他の癌において同一転移メカニズムが無いとは言い切れないし、逆に条件を整えてあげればタンパク質による発癌のメカニズムの解明になり、治療法の開発にもつながると信じているからだよ、楽天的に考えないとやった事が無駄だったなんて悲しすぎるじゃないか。失敗は成功の母で、無駄な科学実験などというものは無いよ。」自分に言い聞かせるように「それに一般的知識なら秘密でないから守らなくていいし、気が楽だろう。それと追加の実験はデーターが出ていて今回の論文を元に科研費を申請するつもりだよ、じつは蛋白ではなく、その構成するアミノ酸がどうも転移メカニズムに関係しそうだよ。」と笑いながら伝えた。先生は転んでも只では起きない、そういう強さが必要なのだと思い、まゆみは微笑み返した。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ