3:宇宙からの侵略者!
「おおおおお~~!」
喚きながら先を転がっていく祖父の体は、いつのまにか横向きにゴロゴローッ!と転がり始めていた。タテガミとかと相まって、なんだかローラーみたいだ。
「止まれ爺ちゃんッ!」
月比古は斜面を駆け降りるが、なかなか差が縮まらない!
それでも懸命に手を伸ばす少年の視界の先が、唐突にぽっかりと黒く拓けた。
「えッ?」
急に平地になった地面を、月比古は横滑りしながらブレーキをかける。
だが祖父は横向きに地面を転がってゆき、穴の先に立っていた3つほどの異形の人影をなぎ倒して闇の中へと消えて行った。
「爺ちゃん!」
倒れた人影を全力で踏みつけて月比古は後を追う。足裏に汁気を含んだ硬い感触を感じたが、全く意識はしなかった。
進む先に小さな灯りが見えた――それと、ぷすぷすと鼻につく焦げた臭いもだ。間違いなく、月比古達が乗ってきた畳の残骸だった。そして傍には、倒れ伏す巨大アリが1匹。あの燃え盛る畳、どこに行ったかと思えば、どうやら月比古達に倣ってしぶとかったようだ。あれはあのまま無事この広間へと到達し――こいつに直撃したみたいだった。
いや、そんなこともどうだっていい。月比古はそいつもぶぎょりと踏みつけて走り続け、黒く霧がかったような闇を突き進んだ。闇の中でもぼんやりと見える。この先に――
(いた!)
祖父が立っていた。降伏するように、両手を上げている。そして、周囲を大きな筒状の武器らしきものを構えたあの巨大アリの一団が取り囲んでいた。こうなれば奴らはただの昆虫ではない。高度な知性を持ったアリ人間だ!
――地上の壁画を思い出す。銃の武器を構えた直立したアリの軍団。
(まさか……実在したとは……)
――だったら、あの地球を打ち砕く稲妻も――
「待て!待つんだ!」祖父は必死に叫んでいた。「話せば分かる!」
「くッ!」
分かるものか――!と涙ながらに月比古は手を差し伸べながら駆け続けた。
心の底から実感した。こいつらは、同じ人間なんかじゃない――人類の敵だ!人間の常識なんて通じるはずもない。
「逃げてくれ爺ちゃんーーーーッ!」
やはりと言うか、アリ人どもは祖父の言葉に聞く耳を持った様子もなかった。激しく興奮した様子で武器の撃鉄のようなものを起こし、容赦なく一斉にトリガーを引いたのだ!
シュビッ!シュビッ!
赤紫に輝くビーム弾が、四方八方から祖父へと襲い掛かる!
「うひょうッ!」
それを、祖父は高く片足を振り上げたY字バランスでくるくるバレリーナのように回転しながら、残像の様に包囲を潜り抜ける。
――代わって、アリ人どもの光弾は次から次へと味方を吹っ飛ばしていた。
「怪我はッ!」
駆け寄った月比古は間近で祖父の体を改めた。今のは未知の攻撃だった。全て回避し切ったように思えたが――。
「やられた!」
「どこをッ?」
「尻尾の先が……焦げた!」
長い尻尾を胸の前まで持ってきた祖父は、フーッ!フーッ!と先端の房に息を吹きかけた。だが、元から先端は色が濃いので、焦げているかどうかははた目には分からない。とにかく……まぁ、大きなダメージはないようだ。
それに安堵した月比古だが、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「……貴様ら、やりたい放題やりやがって……」
ぎゅぎぎ、と鳴るのは握りしめたこぶしの音だ。「ただで済むとは思うなよおッ!」
だが、隊列を整えたアリ人たちが一斉に武器を構えて振り返り、2人は慌てて尻に帆をかけて逃げ出した。
「うおッ!」
シュビッ!シュビッ!
(くそッ!)
ルパン走りで背後からの砲撃を躱しながら、月比古は内心毒ついていた。(どうしてこんなことにッ?)
戦いは一進一退を極めた。
これは驚異的だと言ってもいい。2人がどんなに強かろうとも、所詮は2人きり。しかも、完全にアウェイの上、寸鉄一つも身に着けてはいないのだ。
代わって、アリ人どもには強烈な武器がある。当たれば、頑丈なトンネル壁すら溶解する巨大砲撃兵器が。
命を懸けた本当の闘いは、いつだって均衡を保ち得ない。膠着したように思えても、いずれはどちらかが限界に達し、命の天秤はどちらかに傾く。
決定的な瞬間は必ず訪れるのだ。
戦闘が始まっておよそ20分。
戦いの趨勢は、すでに決しつつあった――。
【グハァッ!】
キリモミしながらアリ人が頭から地面に叩きつけられ、絶命したその腕から、カラカラと武器が転がっていく。
【クソッ!クソッ!】
アリ人たちは必死に射ちまくるが当たらない。それどころか、紙一重で肉薄され、一撃のもとに葬られていく!
【ウオオオオーーーーッ!野蛮人ドモメーッ!】
絶叫しながらアリ人の1匹が乱射しつつ闇の中へと駆け出して行ったが、やがて、ふつ、と射撃音が途絶えた。
【マズいッ!ソロソロ全滅しそうダッ!】アリ人分隊長は、冷や汗を流しながら叫んだ。
【な、ナンデこんなことに……】ひざまずいたアリ人兵士が、ぶつぶつとうわごとの様に呟いている……。【地の文的に、我々が勝利するのではなかったノカ?】
いかん、混乱しているッ!と分隊長は絶望に駆られた。激しい訓練を共に乗り越えてきたはずが、未知の化け物を相手に心が折れかかっているようだッ!
【第4小隊ハ壊滅状態ッ!撤退の許可を下されタシッ!】
数少ない一人の部下が武器を投げ出し、
【タスケテ!タスケテ!】と泣き叫びながら、脇をカポンカポンと開け閉じし始めた!降伏のサインだ!
【キサマーッ!それでも軍人カーッ!】
「む!月比古!あいつ何やらゲージを貯めているぞッ!」
「よし!挟み撃ちだッ!」
【ギャーーーーッ!】
頭部と腹を砕かれた部下が、ドシャアッ!と無残な骸を晒して地面に転がった。
【ヒ、ヒドいッ!降伏してるノニィィィ!】
だが、泣き叫びながらも分隊長は覚悟を決めた。戦うも死、降伏するも死、ならば戦って死するのみ!逃げるなんて、許されない!
【……こちら、第4分隊隊長……!これヨリ、最期の突撃を敢行スルッ!我ら……『クロノボロス』に栄光アレッ!】
だが、通信機に囁くアリ人分隊長の後ろに、剣呑な2つの影が差し掛かった。
振り返った分隊長は【ヒィィ!】と哀れな悲鳴を上げるが、同時に2つのパンチを喰らって、天高く仰け反り吹っ飛んでいく!
ドシャアッ!と頭から地面に落ち、
【う、うう……】眉間から体液を噴出させながらも、分隊長は最期の力を振り絞って通信機のスイッチを入れ、口元に近づけた。
【だ……第4分隊……全!滅!】ガクッ
「――今、こいつ何か喋ってなかったか?」
「うん、キュムキュム、みたいな声だったよな?」月比古はちょっとだけ考えた。「……なんか、そんな風に鳴く蟻の声を聴いた覚えがあるな……」
そう、確かあれは4年前――修行と称して祖父に連れられ連峰深く分け入って、道を失い1週間……空腹のあまり、木の実を拾い、雑草を口にし、野ウサギを捕らえ、冬眠中の熊を2人で襲って糧にしていた限界の日々の中――
走ってくるイノシシを奇襲すべく雑草に臥せっていた月比古は、もうろうとした意識の中で、地面に囁き合う何かの声を聴いたのだった。
そちらに目を遣ると、無数の蟻が連なっている。
――今の……蟻の……声?
それだけでなく――何か意志のようなものを理解しかかっていたような気がする。……疲弊しきって既に何か別のものが見え始めていたので、気のせいだったのかもしれないが。
しかし、今のアリ人のあの鳴き声。言語は一切理解できないが、どことなく意思を感じかけていた。脇をカポカポしていた奴、ノリでトドメを刺しちまったが、助けて、と言っていた気がする。もし、深く深く集中すれば、こいつらと意思の疎通ができるのでは……?
(いやいや……今さら対話はないよな)月比古は首を振って気持ちを入れ替えた。
戦端はとっくに開かれたのだ。だいいち、もう結構な数をツブしてきたので、言葉が通じたとしても今さら仲良くはなれまい。向こうが殺意を持つ以上、こちらも全身全霊をかけて戦うのみだ!
とはいえ、当初の予想よりも、こいつらは打たれ弱かった。ザコとまでは言わない。外骨格は頑丈だし、脚の可動域も大きく、関節技も効きずらそうだ。
しかし、明らかに頭が大きすぎた。そのせいで、首が頭部を支え切れていない。だから、顎をカチ上げさせての喉笛突きが簡単にクリティカルしてしまうのだ。一応その部位にも軟らかめの骨こそあるが、捨てられたブロックや公園のブロック、気に食わない家のブロック塀などを貫手で一発貫通させ続けた修行の成果が、今ここで本領を発揮しているのだった。
とはいえ、外見を裏切るまでのこの弱さには、違和感がある。
(体が重すぎる?)
まるで、この環境に適合していないような。
(もっと……重力が低い所で生きてきたとか?)
(例えば――宇宙とか?)
まさかな、と月比古は鼻で笑った。こんなのが宇宙人だとか。
だが、正体が何者であろうが、もはや関係ない。
(こいつらはオレ達を殺そうとしている……)
それだけ分かれば十分だ。ならば全力で抵抗するまで。たとえ、諸共に刺し違えようとも……!
【クッ!まさか精鋭揃いの航宙遠征部隊が、たった2匹の原生生物ニィ!】
アリ人第2分隊長は、闇のどこかを愉しげに駆け回っているらしい不気味な2体の原住民を憎々しげに睨みつけた。だが、その額を冷や汗が流れ落ちていく。怯え、恐れを感じている証拠だった。
彼は見たのだ。光学迷彩装備を作動させ、これで勝てると突っ込んでいった部下達が、あっという間に喉を貫かれて全滅してしまった姿を。透明化など、まるで意に介してはいないようだった。野生には、異常な知覚を持った生き物がいる。そういうことかもしれないが。
(……しかし、我らは精鋭……例え、この身が滅びようトモ……)
手汗でぬめる手に握るのは、爆弾だった。奴らは、接近戦主体だ。近づいた段階で、自爆すれば傷つけられるかもしれない……。
【フ……手コズッテイルヨウダナ……】
ひときわ巨大なアリ人が暗がりから姿を現した。
【ア……】とたん、アリ人分隊長は現金にも希望に胸を膨らませた。【……アナタハッ!】
そう、このお方こそ遠征軍の切り札!我らが海賊星クロノボロスの歴戦の勇士!面倒ごとは嫌いで、この星に辿り着く旅の間も一切協力しようとはせず、ひたすら苛々させられてきたものだったが、こんな非常事態のために存在すると言っても過言ではない奴だった。良かった!今まで我慢して!
【センセエッ!オ願イシマスッ!」」
「ドォ~~レ……」
巨大アリ人は、じゃきん、と超巨大な武器を両手に構えて立ち上がった。
だが、その背後へ無数の光弾に追われた祖父が飛び上がっていた。彼としても目の前の大きな障害を飛び超えるつもりに過ぎなかったが、僅かに高さが足りず、思わず蹴りを前に繰り出す。
【ホゲッ!】
一撃で首を飛ばされ、巨大アリ人が地響きを立てて崩れ落ちた。
【セ、センセエ~~ッ!】
「すま~~ん!」
なんとなくそう言わねばならない気がした祖父は一声そう叫ぶと、闇の中へと走り去った。
【ウワアアアアア~~~~ッッッ!】
絶望に落とされた分隊長は、泣き叫びながら手に持った爆弾を起動させた。
ちゅごぉぉ!と爆炎の中に消し飛ぶアリ人。
【残ッタ人員ハッ?】
小隊長の叫びに、部下が膝を付いて返答した。
【第5、第7分隊は戦闘続行可能です!他は全滅しましタッ!地底にてキャンプ中の第1分隊はほどなく『突入艇』にて到着予定!】
【だが……それだけシカ残ってイナイと……!】
そこで、ハタと小隊長は気づいた。【おい!『ガジューン人』はどうしタッ!アイツのドリルなら原住民ごとき粉砕できるダロッ!】
【メンタルに傷を負って出てきまセン!】
【ナン……ダト?】
ぬう!あの2人組に何かされたな?しかし、気持ちは分かる気がする。野蛮な原住民どもに痛めつけられてさぞや苦しかっただろう。我が身となって置き換えてみると、涙が一筋、頬を垂れる。
だがそれはそれとして、今この場にはあいつが必要だ。
【連れてコイ!】
【ハ!】
「はぁッ!はぁッ!くそ!あいつら、どれだけいるんだッ!」泣き言なんぞ言う気はなかったが、そろそろ体力も限界に近かった。「また爺ちゃんとはぐれてしまったし……!」
無限のように湧き続ける敵との連戦に次ぐ連戦。視界もほぼ通らず、武器も持たない中での戦いは、月比古の精神を著しく摩耗させていた。ちょっとでも集中を切らし、直撃を喰らってしまえば1発で即死するだろうという恐怖も、それを助長させている。大きな怪我こそないが、すでに擦過傷で全身傷だらけにもなっているのだ。
だが、ここにきて月比古にはなにか、奇妙な衝動が胸に込み上げてくるのを感じていた。
(――なんだろう。不思議な、力のような……)
超自然的と言っていいような、衝動。
見えないし、聴こえないけれど、耳の傍で誰かに大声で呼びかけられているような感覚。
自身の心の奥底に眠っていた、いわく言い難い第6感と呼べそうな何かが眼を見開くような心地。
(――何か)月比古は暗い頭上の岩盤を見上げていた。(何かが、遠くから近づいてくる)
魂が教えてくれる。まるで、心が共鳴するがごとく。
(――来る)
(何か、大きな……波が……)
不意に、何かが泣き叫ぶような悲鳴が耳朶を打って、月比古は我に返った。
闇を透かし見ると、あのドリル生物が首に縄をつけて壁際の穴から引っ張り出されているところだった。
「んン?」
ドリル生物はかなり嫌がっているようだが、左右のアリ人から蹴りつけられ、ずりずりと姿を現しつつある。
その有様に、敵でありながら月比古は義憤に駆られた。手向かい出来ぬ生き物になんて乱暴狼藉!「ひどいことを……!」
「月比古!」
息を切らして祖父が傍にやってきた。だが、月比古同様、健全とは言えないようだ。大ダメージこそ負ってはいないが、全身のあちこちの毛に血がにじんでいる。
一方、何を脅されたか、ドリル生物はついに意を決したかのようだった。一度大きく咆哮を上げると、開いた口をドリルに変え、遮二無二2人に向かって突っ込んでくる。
「躱すぞ!」
「おう!」
二手に分かれてドリルを回避する。
だが、背後から攻撃を仕掛けようとすると、素早く身をくねらせて地中へと潜ってしまった。蹴りは一応間に合ったが、ぬめぬめしていて柔らかく、手ごたえをほとんど感じない。
「輪っかだ!カウボーイが使っている輪のついた紐のようなやつ!」月比古は喚いた。「それさえ首に結べば動きを封じられる!」
「やむを得んッ!」一声叫んだ祖父は、嬉々としてフンドシに手をかけた。
だが、そこへアリ人どもの砲撃が襲い掛かった。
「ぬうっ!」
「よしッ!じゃあオレがアリどもを片付ける!爺ちゃんはあのドリルヤローをなんとか――」
――してくれ!と言いかけた月比古は、今度こそ虚空から襲い掛かる異次元的な衝動に魂が揺れた。
ドクンッッッ!
「うッッッ!」
間違いない。何か――何かとんでもないものが急接近しつつある!
――分かる!
――感じる!
そいつは、今月比古の家の直上5000メートルのところにまで到達した。そして、やにわ直滑降で真下に駆け翔び、雑多なパーツで覆われた頑丈な屋根をぶち破って床の穴にまで飛び込むと、トンネルをまばゆく反射させながら、一路、一路、遥か地下――
――この場所へと――!
ピカアッッッ!
――次の瞬間、地下空間には雷鳴を思わせるほどの膨大な白熱が荒れ狂っていた。
視界を埋め尽くす、完全な白!
白!
白!
すべての色も、音すらも!圧力さえ伴って白一色に塗りつぶされ、怒涛のごとき静寂が、あまねくこの場のすべての心をねじ込むように押し流す!
「……あ」
耳鳴りがするほどの沈黙の果て――ようやく視界を取り戻しつつあった月比古の見たものは、この遥か地底百メートルをなんなんとする呪われた地底空間に顕現した――女神だった。
――バサリと広げられた4枚の白翼。
――虹を帯びた、たなびく銀色の長い髪。
――白と黒、一部は金に縫い取られた、天界を思わせるシックな装い。
――虹色の瞳が果てしなく透き通る、例えようもなく美貌の――白き有翼の少女。
「おお……」
我知らず、月比古はひざまずいていた。祖父も同様だ。
アリ人も、そしてドリル生物すらも、動きを止めた。
いや、違う。アリ人の最も偉そうな奴が、ふらふらと武器を構えようとしている。
なんて不遜な!と月比古は心の中で絶叫した。現実には叫べない。それはこの白き静謐を壊してしまうような、おぞましい所業なのだから。
だが、心配は全くの不要なのだった――夢のようにたおやかに、少女が軽く握ったこぶしを差し出す。
とたん、獰猛な一条の赤い輝きがそのアリ人をドロドロに溶かして蒸発させてしまっていた。
まるで――それが天罰であったかのように。
しかし、殺戮はそれで終わらなかった。
少女の光線は途絶えることがない。途切れぬまま横に振られてドリル生物をすげなく切り裂いて蒸発させ、折り返してアリ人たちのことごとくを蒸発させ、そして――
月比古と祖父を薙ぎ払おうと襲い掛かる!
「――……」
間延びしたような時空の中で、月比古は彼女の顔をはっきりと見た。正確には、その瞳の奥の感情を。
彼女は微笑んでいた。
まるで良い夢を見るがごとく。
一切の汚れも揺らぎもない――
――邪悪の色を浮かべて。