2:底知れぬ闇の底へ
実際には2人とも、反射的に前受け身で身を投げ出しただけだ。
ガガガガガ!と天井の梁まで粉砕し始めたドリルを前に、月比古と祖父は取っ組み合いを始めた。
「なんだよ!ジジイ!これはてめえの仕込みかァァァ!」
「そんなことするわけなかろーが!わざわざ家を壊してどーするッ!」
「それもそうだッ!」
月比古は頭を掻き毟った。「誰だよこんな地底戦艦みたいなのでカチコミかけてきやがった奴は!町内会の差し金か?あのアホ考古学者か?それとも学校のクソ教頭かッ?――とにかく出てこいッ!」
月比古が胴――回転するドリルの下は、ミミズのようなチューブ状になっている――を蹴りつけると、ドリルがゆるやかに動きを止めた。と思ったら、逆回転しながら地中へと戻って行く。
「あ、くそッ!逃げるなッ!」
月比古は叫んだが、胴は粘液に包まれていて掴みどころがなく、回転するドリルには二の足を踏んでいるうちに、ソイツはあれよあれよという間に床下に潜っていった。轟音が徐々に遠くなっていく。
あとに残されたのは、巨大な大穴だった。直径はおよそ1メートル。穴からは生ぬるい風が吹き上げてくる。
その穴の淵で、ゆらゆらと揺れていた一枚の畳が下に落ち、載っていたちゃぶ台がころころと乾いた音を響かせて暗い急傾斜のトンネルへと消えていった。
それが契機だった。
「……。追うぞ爺ちゃん!」
「おう!」
呆然とした気持ちを切り替え、月比古は号令一番真っ先にトンネルへと飛び込んだ。別に、そのちゃぶ台が、我が家でたった一つのテーブルだったからではない。カチコミをカケられて黙って逃げられると思われるのが許せないのだ!
祖父も小袖を派手に脱ぎ捨てて、フンドシ一丁で後に続く。
そして、二人揃って足を滑らせて仰向けに倒れた。
べちゃッ!
足元がぬるぬるしている。一瞬、下水管に飛び込んでしまったかとおぞけが走ったが、嫌な匂いは全然ない。
痛みに呻きながら、手の平にべっとりと付着した何かを顔の前に近づけてよく見ると、透明などろどろの粘液だった。だが、ぴくりと指を動かした途端、表面にヒビが入った。物凄い速乾性だ。大気に触れたところから即硬化を始めているらしい。
よく見ると、トンネルの壁一面にも、粘液が分厚く塗りたくられていた。こんなぬるぬるなのに、2人の体が傾斜の赴くまま下へと滑り落ちて行かなかったのは、粘液に接着性があったからだろう。
畳が立ったまま貼り付いているのはそのせいだった。くそ、ちゃぶ台も接着されていればよかったのに。
「凝ったことしやがって!」
べり、べり、と左右の腕を引き剥がし、月比古は傾斜を危なっかしく立ち上がった。滑るかも、と警戒したが、早くも粘液は硬化しつつある。なるほど、トンネル壁の固着剤みたいなものか。今どきはこんなものがあるのか。
壁に目をやると、粘液の向こうにうっすらと岩肌が見えた。何度か指で突付くと、硬い感触ののち、割れて液体が染み出してくる。とはいえ、硬化部分はもうかなり厚くなっており、液体がすっかり硬化しきるまで幾ばくもないだろう。固まったところは、透明ではなく、琥珀色に変わりつつあった。さながら蜂蜜みたいではある。
トンネルの内径はだいたい3メートルばかりだった。
(……ん?直径1メートルのドリルで……直径3メートルの穴を掘った、だと?)
どう頑張っても不可能な話だ。……まあいい。下手人を捕まえればすべてはっきりする。
怒りモードに入って、思考力はかなり鈍っていた。好奇心はある方だが、そもそも、今は行動あるのみだ。
と弓を引き絞るような気持ちの月比古の耳に、救援を呼ぶ祖父の声が割り込んだ。
「すまん月比古!全身の毛が貼り付いて取れん」
「爺ちゃんは毛が多すぎるんだよ。なんで全身くまなく生えてるんだよ」
危なっかしく、傾斜の高い方に貼り付く祖父へと上っていく。固着剤が硬化していくほど、滑り易くなっていくのが、足底の感触で分かる。どうしよう、靴は脱いだ方がいいのだろうか。
「手を出せ爺ちゃん」
「こうか」
差し出された分厚い腕を両手で掴む。
「……ン?ちょっと待て、そのまま引っぺがすつもりか。そんなことしたら爺ちゃんの背中の毛がッ!」
「おらアッッッ!」
大根に近い要領で引っこ抜いた。その瞬間、「NOOOOWッ!」と祖父の悲鳴が聞こえ、びっしりと薄茶の毛が付着した不気味な巨大な人型の凹みを目撃したような気がしたが――よく観察している暇などなかった。
祖父を引っ張った反動で両足が滑り出し、遥か後ろ――漆黒の下り斜面のトンネルを強制的にシュートし始めたのだ!
「ぅおおおおおおお~~~~~!」
月比古は立ったまま真後ろへと滑り落ちていく。並みの人間ならとっくに転倒していただろうが、運動神経が上に振り切れている月比古のこと、及び腰に尻を突き出し、両手をぐるぐる回して姿勢をぎりぎりで制御しながら急傾斜を後ろ向きに突き進む。傍から見たら滑稽だろうが!
見上げると、畳の上で四つん這いになった姿勢で滑り落ちてくる親父の姿があった。咄嗟に掴んだ畳だが、祖父の巨体を支えられるほどの粘着力はなかったらしい。
だが、あれは使える。
「爺ちゃん、場所開けてくれ!」
「そ、そうだなッ!」
滑り落ちながら姿勢を変え、胡坐をかくように座り込む祖父。だが、これでスペースはできた。
「よし!次はオレがッ!」
そう宣言すると、月比古は微妙に横向きになって速度を落とし、畳の接近を待ってジャンプした。一度で成功し、畳の先頭に飛び乗ると、滑る方向へと体の向きを反転させる。
だが、下に行けば行くほど穴は曲がりくねって行き、畳に乗り続けるのが難しくなり始めた。落下が続いて加速してしまっている為でもあったかもしれない。
懐かしき我が家の明かりは、とっくに頭上の果てに消え去った。流れる景色は、ただひたすらに漆黒の闇だ。
だが、祖父も月比古も夜目が効く。おかげで立ち上がった祖父ともども尻を振ってフリップターン、宙を回転して危うい急カーブをなんなく切り抜け、タタミライドは弾丸スピードで昏き地底へと突進する。
だが、とりあえず安定したと思い始めた途端、足元が明るくなり始めた。異変かと問われれば異変ではない。凄まじい速度の摩擦力で、畳の底が着火したのだ。
「まずい!親父!畳が燃えだした!」
「うむ、見れば分かる!」
だが、どうしようもない。傾斜が緩やかになることを祈るしかない!
なのに角度は一向に衰えず、
ボボボボ!
遂には炎が畳を底から貫通し、二人の足元を焦がし始めた!
月比古は靴を履いているからまだましだが、祖父は、
「うおおーッ!肉球が!焦げッ!」
「暴れるな爺ちゃん!転倒するぞッ!」
「し、しかしなッ!」
抗議の声もあらばこそ、炎はたちまち燃え広がり、ひときわ巨大な炎が月比古の足元から噴き上がる!
「うおおおおーーッ!」たまらず月比古は無意味に絶叫した。「ライドが猛烈にエンチャントファイアーーーッ!」
「おい月比古ッ!」
「むッ!」
足元に気を取られた一瞬だった――親父の指摘に視線をトンネルの先へと見向けると、手足を無駄にぶらぶらさせて横断してきた白い人影が目についたのだ。
「どけーッ!」と月比古は大声で叫んだが、音を越えそうなほどの速度を帯びて、果たして声は届いたものか。
衝突の瞬間、そいつは顔だけこちらに捻じ曲げて「!」みたいに驚愕したが、そんな暇があれば逃げていれば良かったのに!だが燃え盛る畳に乗った2人組が、揃って尻を振りながら唐突に闇を滑り落ちてきたのだ。すわ驚くのも無理はない!
ドムッ!
畳のへりが容赦なく横断者の腹部にぶち当たり、そいつはくの字になって吹っ飛ぶと、びたん!と大の字に壁に叩きつけられ、跳ね返って床に転がった。
一方、月比古たちも慣性の法則にならって宙に投げ出されていた。唐突の無重力と浮遊感。
「なんのぉッ!」
月比古は身を捻って合気道式前受け身で前転し、足底を地に滑らせて立ち上がる。
だが、親父はうまくはいかなかった。空中で回転したまま月比古の頭上を飛んでいき、まっすぐ尻から着地したのだ――うつ伏せで倒れ込む哀れな横断者の背中へと!
【ギィッ!】と叫んで仰け反る横断者。そして、ガクッと倒れ伏す。
「あ」
「あ」
さあっと地底に流れる冷たい沈黙。
「……」
「そんな目で見るな月比古!好きで尻から乗っかったんじゃあない!」
「いいさ……目撃者はいないしな」ぎょろぎょろと油断なく周囲を伺いつつ、月比古は足音を殺してそちらに近寄っていった。「どうだ?そいつ、まだ息ありそう?」
そろそろと見下ろした2人は、そいつの造形を目にして、同時に目を点にした。
なんとして――そいつは、人間に等しい大きさの巨大蟻にしか見えなかったのだ。
「……月比古」
蟻に目を落としたまま、神妙に祖父は呟いた。
「……なんだ爺ちゃん」
同じように月比古が応じる。
「言った通りだっただろう?巨大な蟻が闊歩していたと」
「……そうだな」
月比古はしぶしぶ認めた。「爺ちゃんが物の大小の混乱する病気に罹っていないのは分かった」
「それは分からんぞ?ワシら揃って脳の病気なのかもしれん」祖父が怖いことを言い出した。「そもそも、ワシら『外経名』の村の住民は、どうも普通の日本人とは認識が異なっている気がしてな……」
「……」
若干不安げに祖父が呟くのを無視し、月比古はしゃがみこんで巨大アリ?を仔細に観察してみた。
頭部は人間の大人より確実にデカい。昆虫らしく体構造は頭と胸と胴体に分かれ、胸からは6本の長い脚が生えていた。皮膚はてかてかと硬度がありそうで、よく見かける普通の蟻と比べると、胴は若干スリムに思える。体のサイズが影響しているのかもしれない。頭部はまさに蟻そのもので、左右に開いた牙めいた顎に、途中で折れ曲がった額の左右の触覚は、割と見慣れた形状だ。
ぞわっとしたのは、それら6脚の足先全てに、器用そうな細長い5本指がついていることだった。実際の蟻も案外と道具を使いこなすが、使用する部位はもっぱら顎のハズだ。手足を用いて道具を扱うなんて奴は見たことがない。それとも、世界のどこかには、こんな指の蟻がいるのだろうか。なにしろ、蟻の種類は無茶苦茶多かったと聞く。見たことも聞いたこともない蟻が世界のどこかに居てもおかしくない……。
「いやいや、こんな人間並みに巨大なアリが発見されたら、絶対にニュースになるって!」
「待て月比古……」祖父が鋭い目つきでゆっくりと見つめてきた。「考えてもみろ……こいつを新種として発表してみたら、大金が手に入るかも……しれんぞ」
「爺ちゃん……」月比古も祖父を見返した。「……その通りだ。こいつは大きなシノギの匂いがするぜ……」
と何気なく巨大アリの背に指を触れた途端だった。
【――!】
ガバッ!と蟻が大きな頭を激しく起こした!とほぼ同時に襲った打撃音。
――月比古が我に返ると、構えた鉄拳の下で蟻が頭部を陥没させて倒れていた。
「び……びびった~……」
「コラ月比古!お前!何ということを!金になると言ったばかりではないか!」
「そうは言うがな爺ちゃん」がくがくと襟元を揺さぶられながら月比古は反論する。「誰だってビビるだろ、いきなり起き上がられてはさ……。死んだと思ってたし」
と横目で見下ろした少年は、ぎょっと目を見開いた。「見ろよ爺ちゃん、こいつの目……」
「目?目だと?そんなものが……」同じように蟻の頭部を見下ろした祖父は、「うおッ?」と毛を逆立たせた。
「昆虫は複眼だと思ってたが、こいつの目……」
眼球と思っていたのは、どうたら硬い瞼だったらしい。月比古の全力鉄拳の衝撃の為か、今は瞼が見開かれている。その下にあったのは、人間を思わせる白目に黒い瞳孔だった。
「ぬう……まさか」祖父が呻く。「着ぐるみだったとは」
「いや、違うだろ爺ちゃん!首の下がすっごく細いだろ!胸から6本細い足が生えてるだろ。どんな着ぐるみを着たってこの体形は再現できねーッ!」
昆虫には詳しくないし、複眼=昆虫というわけではないのかも知れない。だが少なくとも、人間の眼球を持ったこの生き物は、昆虫と呼べないのではないか――。
「もしかすると、こいつらは……」
「知ってるのか爺ちゃん!」
「地底人……」
「まじめにやれよな……」ジト目で祖父を見やって、今度こそ息の根が止まった巨大アリを月比古は拳で突き始めた。こいつの弱点はどこだろう?
祖父は膝に手をついてヤレヤレと立ち上がった。「しかし、こいつはなんで我が家の下に居たんだろうな」
「居た、だけならまだいい。いや、良くはないが」
巨大アリの喉を叩きながら、月比古は顔を上げた。闇を透かし見る。この場所は妙に平坦だった。とよく見ると、横穴が通路を貫いて、いびつな十字路になっている。この巨大アリが出てきたのは、この横穴からだろう。それに、今から思うと落ちてきた途中にも、壁にいくつか穴が開いていたかのように思う。まるで……蟻の巣のように。「こいつさ……たぶん1匹だけじゃないんじゃね?それどころか、ここ、こいつらの巣……だと思うぞ……」
できれば全力で否定したい。しかし、未知の巨大空間があって、怪生物を1匹だけ見つけて、それで終わりとは考え難い。むしろ、もっと多量にうじゃうじゃいると考える方が自然だ。状況として実に芳しくない。
「こんな奴がいるなんてこと、きっと地上では誰も知られていない」ぞっと月比古は囁いた。「……なんでだと思う?」
「突然変異と言う奴かもな」
ぺち、ぺち、と太い尻尾を床に叩きつけながら、祖父は考え込むように顎に手を遣った。「アリの遺伝子が、なんかこう、変にいたずらして、変わった子供が生まれた、みたいな?」
「ウエイト100万倍ぐらいになってないか?100万は言い過ぎかもしれんけど……」
月比古は青ざめた顔で、考えを詰めていく。体が震えるのは、きっと、ズズズズ……と震え始めた地面の揺れの所為ばかりじゃないはずだ。
「こいつの事が誰にも知られていないのは、2つ考えられると思う。1つは、こいつが地上の生き物じゃなくって、ものすごく深い地底にある世界とか、宇宙とか、その……異世界からやって来たとか」
「ぷっ」
「笑うなジジイ!だったら理由を考えろよ!」
「そんなの知らん!」
「大学出なんじゃなかったのかよ!」
「……。専門外なんでな。専攻は……思い出せんが、もっとデカい凄いものだった」
「いくらなんでも、ふわっとし過ぎだろ!」
ズズズズズズズ……
「で、だな」月比古は咳払いした。「こいつが目撃されなかった理由のもう1つは、目撃した奴を、皆殺しにしてきたからかも知れない」全身から伝わる剣呑な雰囲気。この巨大アリは、平和的な種族には見えない。
「うぅむ……」祖父は腕組みした。「なるほど」
「何がなるほど、なんだ爺ちゃん。ちゃんと分かってんのか?」疑わし気に月比古は祖父を見遣る。
「お前が危険視する理由が分かった。お前が言ったその2つは、両立可能だ、ということだな?」
「そ、そうだ爺ちゃん。なんだ、人並みの頭はあるじゃないか」月比古はホッとして言った。「良かった。筋肉以外に脳みそもちゃんとあったんだな」
「それは無礼ではないか?」
「――で、脱出の方法だが」
2人は揃って頭上を見上げた。今となってははるかに遠い、地上の我が家へ。このツルツルと良く滑る傾斜を、どこまでクライミングできるものなのか。
「穴に飛び込んだのは短絡過ぎた気がする。今となっては後の祭りだけど」
映画好きの親友が1人いて、よく並んで観ていたが、洋画に同じような状況の作品があった気がする。
地底の奥深くで道に迷い、周囲の闇には凶悪な人喰いのモンスターどもがひしめいている。仲間も次から次へと殺されてゆき、結局、脱出できずにさ迷い続ける鬱エンドだったはずだ。
「いや、凶悪なモンスターと言い切るものでもないか。話せば話の分かる奴らかも……」
改めて巨大アリの造形を見下ろした。「……いや、ないな。こいつらはいかにも凶悪そうだ。凶悪っていうか、純粋に人類の敵みたいな……」
「月比古、ちゃぶ台を見つけたぞ」
横穴のヘリに引っかかっていた。ここまで落ちてきていたとは。床のデコボコを考えると、とっくに倒れていても良かったのだが、それは考えないことにした。
ズズズズズズズ……
「……この横穴、どこに続いていると思う?」
こわごわと月比古は真横に開いた穴を覗き込んだ。内径1メートルぐらいのものだ。傾斜は上に向かっているような気がする。落ちてきた穴を真下に続く内径3メートル穴は、ますます傾斜を増して落ち込んでいた。ここに入るわけにはいかないだろう。
「行ってみないと分からんなぁ」
なんで穴の大きさが2種類あるのだろう?いや、分からないでもない。直径1メートルのドリルを地上で見かけたのだ。だったら、こっちの大きい方の大穴は……。
……いや、今はあえて考えないでおこう。問題なのは、どうやって脱出するか、だ。この広さなら、四肢を突っぱねれば、なんとか這い上れるだろうか?
「地上に通じていないと意味がないしな……」
今一度、名残惜しく頭上を見上げた。なんとか気合で登れないものか。こう、爪みたいなもので。
「そうだ爺ちゃん、爺ちゃんの爪ならここを上れたりしないか?」
「ここをか?」頷いた爺ちゃんは、太い指の先に、にゅっ、と爪を露出させた。座り込んで、試しに傾斜に突き刺してみる。
「……」一旦手のひらを見つめ、今度は勢いよく2度3度突き刺して祖父はしばし考え込み、ゆっくりと立ち上がった。「……駄目だな、刺さらん。硬すぎる。滑らか過ぎて、爪研ぎにすら用を為さん」
「そうか……。ところで今言う話ではないが爺ちゃん、畳でもう爪を研ぐなよ」
「あれは寝ぼけてただけだ」
ズズズズズズズズズズズズズ……
「ところでさっきから」
「うん?」
「……地面が揺れてないか?」
「そりゃ、あのミニ地底戦艦が暴れ回っているからな……」と言った月比古は、ぽんとを手を打つ。「そうだ、あのドリルヤローを捕まえよう!捕まえて強引に乗り込んで脅して地上に連れて行かせるんだ」
「いい案だ!」祖父は、掌にこぶしを叩きつける。「よし、どこにいるかな……」
「耳を澄ませろ、奴は、近い……!」
その瞬間だった――!
ズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズーーードパアッ!
2人の背後の床がひび割れ、ドリルがまるで不意を衝く様にせり上がってきたのだ!
目を見開きながら、同時に振り返る2人。
――だが、びっくりする、みたいな当たり前の反応なんて、この2人がするわけなかった。
「よし、爺ちゃんやれーッ!」
「おうッ!」
飛び上がった祖父は、頭上に振り上げたちゃぶ台の平面をドリルの先端に叩きつけた。あっけなく貫通したドリルだが、直径1メートルまで大穴を開けたところで、それ以上先には進めなくなる。ドリル部分が突き抜け切って、輪のようになったちゃぶ台がチューブ状の胴に引っ掛かったのだ。そして、ちゃぶ台の4本の脚をそれぞれ祖父と孫が2本ずつ掴んでねじり倒したからでもある。
そこからやることは1つだった。
「降りろタコ!人んちの床をぶち抜きやがって!」
「出てこいハゲ!大事なちゃぶ台を壊しおったなぁ!」
「ただで帰すと思うなよ!このドリルヤロー!」
「壊した分は体で払え!」
ドゴッ!ボゴッ!ガスッ!ドゴッ!
2人してガンガンとドリルの胴体を蹴りつける。
そのたびに、ドリルは苦痛を訴えるように右に左へと胴体をしならせた。
さっきはドリルばかりに目が行ったが、胴体は巨大ミミズを思わせるぶにぶに体だ。
「このッ!このッ!」
「オラッ!オラッ!」
ゴスッ!ガスッ!ゴスッ!ガスッ!
だが、激しく蹴りながら、月比古は違和感を感じ始めた。
「これ!本当に乗り物かよ!なんかッ!表面がッ!ぐにょんぐにょんしてるし!」
「それに!なんかッ!ぬめってるな!血管も!走ってるみたいだぞ!内出血ぽくも!なってるな!」祖父は若干息切れしながら返す。
「……じゃあ」月比古は、嫌な考えにピタリと足を止めた。「もしかして、こいつは乗り物では無くて……うおッ!」
ついにちゃぶ台が壊れ、自由になった化け物は大きくしなると、ドリルの先端を2人に向けた。そして、くはぁ、と粘液を垂らしながらめくれる様にドリルが開き、中から尖った歯列が顔を出す。
「こいつッ!生き物だぞッ!」
「そんな馬鹿な!――うおッ!」
ブンッ!とドリル口が振られて、背後へと回避した祖父だったが、ここが坂だった――と空中で気づいた。
「うおおおーーッ?」
「爺ちゃん!」
びたんッ!と下り坂に四肢を広げて落ちた祖父の体が、斜面に爪を立てながらも、為すすべなくズルズルと闇底へと滑り落ちていく!
「くそッ!」
矢も楯もたまらず、月比古は後を追った。坂を滑り落ちながら上方を見上げると、ドリルが元来た穴へと引っ込んでくところだった。まあいい、今は許してやる!
だが、ひとつの確信を得た。
蟻人はおろか、あんなドリルのついた巨大生き物なんて、これまで見たことも聞いたこともない。もはやここは既存の場所ではない。自分と祖父は、きっと人類の常識外の領域に足を踏み入れてしまったのだ。それこそ――こう言っちゃあなんだが、不思議の国のアリスみたいに。望むらくは、物語みたいに可愛げのある世界であって欲しいが……そんな期待はするだけ無駄だと直感が教えてくれていた。