第2話
「あ、アシェル様。すみません……。本当に、お待たせしてしまって……!」
「いや、別に。急に誘ったのはこっちだし」
騎士団寄宿舎の前。そこで、息を切らしながら自身の方に駆け寄ってくるセイディを見つめ、アシェルはふっと口元を緩めた。昼食時にセイディをお出掛けに誘えば、彼女は一旦は渋った。しかし、「仕事から離れろ」と言えば渋々という風に承諾してくれたのだ。ちなみに、その時のセイディの目は「貴方だけには言われたくない」とでも言いたげで。その目が不快だったので、頬をつねっておいたのは記憶に新しい。
「ほ、本日はどちらにお出掛けで……?」
「今日はララのところ。何でも、新作が入荷したって言うからさ」
セイディが呼吸を整えたのを見届けると、アシェルはゆっくりと歩き出す。それにセイディは慌ててついていく。しかし、アシェルの歩くスピードはとてもゆっくりなものであり、すぐに追いつけた。アシェルは口には出さないものの、セイディのことを思いやってくれているということは、セイディにも分かっている。少々口うるさいが、それも愛情表現なのだろう。それも、セイディは知っていた。
「ら、ララさんはお元気なのでしょうか……?」
「さぁ、知らない。俺も最近会っていないし。ただ、広告を送ってくるって言うことは、元気だと思うけれどさ。……元気じゃなかったら、それどころじゃないから」
前を向いたまま、アシェルはセイディの問いかけに答えていく。その最中、ちらりと視線だけでセイディを見れば、セイディは真剣に何かを考えこんでいた。その様子は、ここに来たばかりの頃とは似ても似つかないほどきれいで。少しだけ、アシェルの口角が上がった。まぁ、セイディからすればアシェルやリオが口うるさく言ったから、きれいになったと思っているのだろうが。そもそも、男所帯の中に住んでいるのだ。無防備で居られたら、いろいろな意味で困るのはアシェルたちの方。
「その、今日は、きちんとお金を持ってきましたので……」
そんな中、セイディは意を決したようにアシェルにそんなことを告げてくる。それは、きっと初めに服を買い与えたことに対しての不満だろう。セイディは物を素直に受け取るタイプではない。その裏にある思惑を考えているのか、いないのか。それは定かではないが、物を受け取る際に渋るのだ。それはまるで、警戒心の強い猫のようだと常々思ってしまう。
「俺はセイディにお金を使わせるようなことは今日もしない。そもそも、ここでの仕事だっていつ辞めるか分からないのならば、しっかりと貯めておくのが理想。……どっかに、嫁入りするのならば別だろうけれど」
そう言ったアシェルは、セイディの顔を見られなかった。なんというか、セイディの反応が怖かったのだ。いったい、この言葉に対してどういう表情をしているのだろうか。そもそも、セイディには結婚願望はあるのだろうか? そう思いながら、アシェルが前を向いて歩いていると、セイディは何を勘違いしたのか「お金は貯めています!」と宣言をしてくる。……どうやら、アシェルに対抗したらしい、別のところで。
「……言っちゃあ悪いけれど、セイディは騎士団でいい男を捕まえて嫁入りするって言う考えはないの? そうすれば、いろいろと楽なのに……」
ひきつった頬を出来る限りバレないように取り繕い、アシェルはそう言う。普通の娘ならば、こういうところに来ればまず婚活に励むはずだ。……まぁ、ここで婚活に励むような女性ならば、騎士団の面々は可愛がったりしないだろうが。特に、ミリウスが「不快」と言って団長権限でクビにすることは容易に想像が出来る。
「いえ、私婚約とかもうこりごりなので。だから、一生独り身でいるつもり……です。そもそも、結婚したいって思える相手が……その、見つかるとも限りませんし」
アシェルがセイディの方に視線を向ければ、彼女はそう言いながら苦笑を浮かべていた。……そう言えば、セイディは一度婚約を解消されたはずだ。それを思い出し、セイディの地雷を踏んだのではないかと警戒するアシェルだが、セイディは「別に、婚約の解消自体は正解だと思っていますけれど」と何でもない風に続ける。……何故かはわからないが、アシェルはセイディに嫌われたくない。多分、可愛がっている妹分に嫌われたくないという気持ちが大きいのだろう。
「そっか。まぁ、そう言う相手が見つかったら俺か団長、あとはリオ辺りに報告してくれたらいいけれど」
「……保護者ですか?」
「保護者代理」
セイディと話していると、少しだけ気が緩む。アシェルは騎士団の副団長として、ずっと気を張っている。そのため、気を許せる存在は貴重だった。初めはそうではなかったものの、今ではセイディもその対象に入っている。本当に、出逢った当初では考えられない関係だ。
「……私は、好きになってもきっとその恋心は抑え込むと思います。時々、思うのです。私が好きになった人は私には不釣り合いなほど素敵な人だろうって」
そう言ったセイディの声音は、とても寂しそうなものだった。普段は気丈に振る舞い、時に逞しいセイディが出した声とは、アシェルは到底思えなかった。もしかすれば、彼女は私生活では気丈に振る舞うものの、恋のことになると途端にポンコツ化する人種なのかもしれない。そう言う人種は、一定数いるものだ。
「……そう。俺からすれば、そんな奴を落とすのが楽しいって思うけれど」
アシェルは何でもない風にそう言ったものの、その声は微かに震えている。その理由は、アシェル自身にも分からなかった。……例えばの話だが、セイディのことを意識しているのかも――なんて。
(いや、セイディはそう言う対象じゃないから。別に意識しているわけじゃないな)
そもそも、セイディはアシェルからすれば妹分で部下なのだ。ただ、それだけ。彼女が誰を好きになろうが、悪い輩でなければそれで構わない。それが、アシェルの考え。なのに……何故、こんなにも心が揺れるのだろうか。
そう思いながら、アシェルは無意識のうちにセイディの頭に手を伸ばし、撫でていた。そうすれば、セイディは「子供扱いですか」なんて文句を言いたげな目でアシェルのことを見つめてくる。その目が、どうしようもなく可愛らしく見えてしまって。アシェルは、柄にもなく笑ってしまうのだった。