最後の、
閑静な住宅街を抜けて石畳だった道がコンクリートに変わる。ぐっと木々が増えた細い坂道をゆっくり下ると、懐かしい光景に思わず微笑みが零れる。落ち葉だらけの道路も、野良猫が屯しているのも、10年前と変わっていない。こうして日が暮れると、光の少なさがやっぱり私を寂しさで包むのだ。
大晦日の夜直央が集合場所に決めたのは、私たちが出会った小学校だった。
正門ではもう直央が待っていた。もともと細い目が笑うことでなくなってしまう。そんな直央の顔がやっぱり好きだなあ、と思う。
「久しぶりだね」
「1年ぶりだ」
最後に会ったのは去年の冬、高校3年の冬。情けなくも、現実を突きつけてきた模試の結果に泣かされていたのを直央に見られた。
「成長したかい」
春になって私にも桜が咲いた時、自分からは連絡してやるものかと開かないようにしていた直央の連絡先から、ご飯に行こうときた誘いに浮かれて乗ってしまうくらいには、しかし私は弱かった。
「直央に追いつきたいなあって思うよ」
直央は私よりも20センチ背が高く、3年多く生きている。小3で出会った時、直央はもう最高学年だった。埋められない差はどうしても夢見心地な私を現実に引き戻す。その度に直央に縋りついて、きっと彼は優しいから逃げずに受け止め続けてくれているのだ。
依然として私は直央が好きだし直央も私が好きだ。それでも変わってしまうことはあって、私たちのこの母校は来年廃校が決まっている。
門に手をかけて小さく息を吐いたあと、直央は軽やかにジャンプしてそれを越えた。コートから覗く白いフードがふわりと向こうに揺れる。金属同士が擦れる鈍い音が夜にこだました。
「ほんとうに行くんだね」
「こっちおいで」
不法侵入とは自覚できても、直央が言うことは全て正解に思えるから不思議だ。直央が私の世界を作っているのではないか、とたまに思う。私の定規も構成成分も正義も直央だ。
昇降口から入らずに中庭へ歩を進める。うさぎ小屋の中をそっと覗いても、硬い床が広がっているだけだった。こんなに狭かったっけ。当たり前だけれどそんな静まり返った小学校は初めてだ。自分たちが見つけた抜け道から廊下にそっと忍び込んだ。
「土足で入るの?」
「小学生じゃないんだよ僕らもう」
目を細めて、成人男性とは思えないように大きく足を上げて歩いてみせた。ぺたんぺたん、と全然音は反響しなかった。立派な背格好をしているくせにスニーカーとパーカーが似合う、愛嬌のあるところは、6年生の時に廊下で泣いていた私の手を握ってくれた時から変わっていない。
初めて会った時から泣き虫だったんだね、私。そう呟くと直央は、怖いの。と問いかけた。
「別に」
「可愛くないやつだ」
「ふふ」
今度は二人の笑い声が真っ暗な廊下に反響する。月明かりは窓から斜めに私たちを照らし、その光に背を向けて教室の中に足を運んだ。
「まだ時間あるよね」
「うん」
教室の中には6組の椅子と机だけが並び、離れてから7年経ったことを実感する。がた、と直央が椅子を引いて1番窓際の椅子に座った。
「小さいや」
折り曲げられた足はそれでも机には収まらなかった。彼から2つ開けた机の上の埃を払って座る。彼はいつでも私の3つ先にいるのに、後ろですぐ泣く私を気にかけて私のペースに合わせてばかりいる。私は直央が好きで直央も私が好きだ。でも私が直央を好きなことは直央のためにはならないのかもしれない。
直央。
なに、
「卒業式しよう」
立ち上がって教壇に上がる。ぽかんと顔を傾げた直央が優しい光の中できれいだと感じた。
「どうしたのさ」
それでも立って、教卓の前まで来てくれる。要するに、彼のお人好しは寄ってくる人を放っておけないのだ。身長差は少し縮んだけれど直央には追いつけないままだった。
「直央のことが好きだ」
私の心を掴んだ顔が言葉を紡いだ。
「知ってる」
「だからもう直央とは会わない」
閉め切った部屋の中で真っ直ぐ直央に伝えた。1音だって外に逃がさせやしない。
直央、私もう泣かないよ。喉元に込み上げてきた全部を飲み込んだ。揺らぎそうになる視界は泣きそうな表情を作っている直央を映す。それが全ての答えだった。
強くなるんだ、お互いに。
私たちは母校を1つ失う。私が過ごした6年間も私たちが共有できた1年間も、ボロなうさぎ小屋も花壇も、思い出はきっと一瞬で壊されるのだろう。でも私たちは確かにこの小学校にいた。おそらく校歌も忘れてしまう。それでも、この通過点は必ず糧となるのだ。そして直央のことが大好きだ、この気持ちだけは一生変わらない。