『JADED』(プロトタイプ)
あらすじ。
魔学候補生ラリルの日常を綴ったファンタジー小説。
起きるべき時に起きれなかった、彼女の悲劇なる一日。
【最悪の契約】
今日も今日とて、いつもの詰まらない一日が始まる。
私は人里離れた山奥にある寂れた魔学院の一魔学生。名はラリルという、我ながらふざけた名前、かと言って自分ではどうする事も出来ないため今の名のままでほとほと諦めている。私は学院から少し離れた場所に在る寮で寝起きをしている。寝床とほんの少しの空間があるだけの狭い部屋に二人、窮屈で仕方がない、これもこれで文句を言った処で現状が変わる訳では無いので諦めている。私と同部屋の相手の名は、ジェーンという名の女の子である。私が彼女に抱く一番のイメージは、尻軽であり、実際に何度もこの部屋に毎回別の男子を連れ込んでいるためまず間違いない。そして、その度に私は外へと追いやられ、寮のロビーで読書を強いられる。たまに退室する際、引き止められる事があったりするのだが、あの手の者には一切興味なぞ湧きはしない、あの女も大概にして欲しいものだ。 今は朝、たった今起き、支度をし学院へ向かおうとする所なのだが、昨夜も先の理由で夜なべを強いられ寝不足の状態。いささか体が重い、まぶたも重い、どうも行く気がしない。あまりのだるさに実のところ、まだ上体すら起こせていない。気さえ許せば直ぐにでも深い眠りへ着くことが出来そうだ。いっそ今日は行くのをやめてしまおうか、そんな甘い考えが頭をよぎる。そう言えば前に一度、今と同じような状況で実際に一日の講義全て休んだことがある。翌日、理事長に呼び出しを食らいあまりにもくど過ぎる説教を受けた。理由を聞かれ、眠たいから、と答えると魔術師の精神論を語りだし、しまいには私の生い立ちについても責め始める。責めると言っても貶すわけではない、ただ捨て子の私を拾い育て上げた、その事についてもっと感謝を表しなさい、と。……余計なお世話だ。別にその時無視してもらって、そのまま餓死にして貰っても構わなかった。こんな詰まらない人生を送らされて感謝する事なぞ一切ない。それに、ただ学院に閉じ込められ、役にも立たない知識ばかり叩きつけられても困る。出来うるのならばこの学院を抜け出し、私が知らない世界とやらを旅してみたいものだ。いつものよう、頭の中に出てくる無理な野望に自然とため息が漏れる。もう所詮は今さらか……、二度も理事長の説教なんか聞きたくない。私はしぶしぶ鉛のように重たい体を起き上らせ、ふぁぁと欠伸を一つ、うーんと軽く伸びをして、ベッドからまず足を出す。今はまだベッドに腰を掛けている状態である。ああ……とても重力を感じる、逆らいたくない。起きたばかりで視界はぼやけ、現実に居る感覚が薄い。ぼやける向こうに時計の針がふっと目に入って来た。時計が示す時間は学院へ向かう時の時刻をとうに過ぎているようだった。まずい、事態の不味さに気づいた私は条件反射でベットから飛び上がるように脱出する。急ぎ、着てた寝巻きから、カーテンと同じように掛けていた紺の法衣を手にとって着替え、机に横たわって居るカバンを乱暴に掴み、部屋を飛び出る。勢いよくドアを開け、勢いよく閉めた、際に普段なら聞こえる筈のない、ミシッと何かが砕けるような音が聞こえた。少しだけ気になったが私は構わず寮の廊下を駆け抜け、学院へと向かうことにした。
寮を抜け、私は今、学院への道を走っている。いつもと違い、人一人居らずやけに静かで不気味だ。道の両側の木々がざわつき、私の足音や呼吸音が響くように聞こえる。一歩一歩過ぎて行くにつれて足が重くなってくる。正直、私は体力には全く自身がない。慣れないことはするものでは無いとつくづく痛感する。カバンを抱えている両手は力が入らなくなり、苦痛すら感じる。もうだめ……、度重なる苦痛に私の精神は限界へと達し、進み行く速さは走から歩に変わっていった。息は上がり苦しく体中が休息を求めている。物語のような魔法というものが使えれば、一瞬にして学院へと移動が出来、問題なく先を過ごせるのだが残念ながらこの世にそのようなものは一切存在しない。魔法と魔術は全くをもって別ものなのだ。もう再び走ろうなんて気なぞ起こらない、無理をして学院にたどり着く前に倒れたりしたら元も子も無いでしょう。既に、今にも倒れそうなくらい体がふら付いているのに……。此の侭で往けば間違いなく遅刻、私は、諦めた。たどり着くまでに、理事長の説教を最小限に食い止めるための適当な言い訳でも考えておこう。私は苦痛とだるさに包まれた体をのそのそと学院へ運びつつ、思考を理事長の対処に切り替える。やがて学院にたどり着くのだけど、時間はとっくに過ぎており、二つ目の講義が始まっている頃であった。
教授や生徒に会うことはなく、思いのほかすんなりと学院内に入ることが出来た。愛用の牛のレザーで出来たブーツから、学院指定の何とも悪趣味なスリッパに履き替える。このスリッパ、色は黒に近い茶色、やたらとテカテカしており、デザインに至ってはつま先部分を包むだけの歩くにも不便なもの。歩く時、気をつけなければパカパカと音が鳴る。走るなんて持ってのほか、そんな事したらまず間違いなく転んでしまう。だから私は、息が整った今でも急がずゆっくりと歩みゆく。どんな時でも無理はしない、これは私のポリシーと言っても良いくらいね。慎重に慎重に受講中の教室へと向かう。教室の戸の前、先生の声が聞こえ、直接と中を見ずとも抗議の真っ最中であることは明らかである。入ることは愚か、戸を開けるのすら難しい雰囲気が漂う。「……であるからして気と変化を成した水は不安定であり、危険でもある。水は空中浮遊の力も擁するのだが先の理由で術の使用には最善の注意が必要となる。はい、では試しに――」グルーゼ教授の講義か……。グルーゼ教授は私のクラスでは主に四元素の一つ、水、を担当している、歳は大体四十過ぎ位だと思う、言うなればオッサン。髪を決まって右に三割左に七割と別け、分厚いレンズの黒縁めがねがあまりにも似合いすぎている。性格は問題ない、だが真面目、確実に告げ口をするであろう。そうなれば私としてはとても面倒なことになりそうだ、うまく誤魔化さなければ……。私がしゃがみ込み、対策を思案していたところ、突然すぐ後ろの戸が開いた。「ラリル君、そんなところで何をしてるのかね」愈々まずい……。戸が開いた先にグルーゼ教授が立って居り、私を睨む。今この瞬間、私はなんと無様な顔をしたのであろうか、向こうに教授が見えた時に、ただ呆然と口を開けたままとなっていた。何も思いつかない、口を塞ぐことすら出来ない、完全に頭の中は真っ白となり今まで考えていた対処法を全て忘れてしまった。「まあ良いでしょう、あなたには今から私の助手をしてもらいます。……聞こえてますか?ほらカバンを席に置き、息を整えたら実験を開始します。君待ちです、なるべく急ぎでお願いしますよ」グルーゼ教授は黒縁めがねを右手で直しながら、私に実験参加の指示を出した。いきなり何を言い出すのだろう、まだ頭の整理が付かない内、「早くしてください」と私を急かしてくる。何故と聞き返したかったのだけど残念ながら遅刻をした身、自分の立場を憎みつつ言われた通りにする。「ありゃーバテバテねー」空いてる場所にカバンを置こうとした際、隣に座っていた女の子が私に声をかけた。知らない顔である。自分では平然としているはずだ、的を射ていない。なので私は、そうでもないわ、と言って少し強く言って見た。「無理しなくていいよー、息がまだ荒いしさー、額に汗びっしょりだよ」そう言われ私は自分の額に手を当てる、確かに汗が数滴ほど出ていた。此処に着いた頃は引いていた筈なのに、もしかして冷や汗だろうか、……私も大したことないわね。「クスクスクス……」何がおかしいのか、女の子は急に忍び笑いをし始めた。名を知らない上、親しくもないのに他人を見て笑うのはどうなのか。私は少々苛立ちを感じた。しかし疲れのせいであまり相手をする気もしない、とっとと用を済ましてしまおう。私は荷物を席にしまいまた前に出て教授の実験の助手を務めあげた。
三限目を終え昼食の時間となる。いつもながら私は弁当なぞ用意していない為、食堂にて昼食を済ます。食堂の入口にてトレイを手に取り品を取るため列へと並ぶ。料理は各場所に別れて並べてあるだが特に私にはこだわりは無く何時も適当に二三品程取る。今日はシーフードがふんだんに乗ったスパゲティと三日月型のクロワッサン一つ。スープが一つ欲しい所だけど、既にスープのある場所は通り過ぎた為諦める。品を取り終えどこかあいてる席に座って食事でもしようと思うのだがなぜか今日は人の密度が大きい。さっきから見渡していても安心して食べられそうな所が見つからない。いい加減早く座ろう……。トレイを持ったままの状態が暫くと続いている。「中々あいてる席が見つからないね」そうね……、と誰とも知らず私は不意に掛けられた声に返事してしまう。はっと顔を見てみればさっきの隣の子であった。「あの場所で良いんじゃない?」と彼女の指差した先、窓際の右から二番目、二人用のテーブル席が空いてる。つい先程見た時には先客がいたと思うが……もう食べ終えたのだろうか?気になり返却口に顔を向ける、横に大きい女の子二人がトレイを返す際中であった。何と無く納得する。早食いは良くない、私は気をつけよう、人の振り見て我がふり直せ、と。「何?ぼーっとして、早く座ろうよ」そう忍び笑いの女の子は私に座るよう催促する、私は、え、ええ……、と彼女の馴れ馴れしい態度に戸惑ったが大人しく応じた。正面から見て、左に私は座る。席にも着いたので早速食事を済まして戻ろうとしよう、この子、怪しいし。
早速、私はスパゲティに手をつける。まずフォークでパスタに埋もれていた海老を突き刺し口へと運ぶ。……予想通りの味。可もなく不もなくってところね。「こうして一緒のご飯食べるの初めてだね、前から一度お喋りしてみたいな〜なんて思ってたんだー。あ、別に物珍しいとかそんな理由じゃないから、なんてゆーかなー、仲間意識、かな?実は今日私もちょっと遅刻してたり何だよねー、ま、あなたには負けるけど」……うるさい。「でも余裕の大遅刻だったのにグルーゼ先生よく怒らなかったよね、やっぱり理事長の娘さんだから?」理事長の娘、表向きはそういう事になってるらしい。世話にはなってるけど血縁無いし。「いいなー役得だよねー、私なんかほんの十分遅れただけなのによ、ブル公の説教食らったり反省文書かされたり止めは課題の大量追加、おかげで週末はあそびに行けないなー」ブル公はカテゴリ1の生徒全て受け持っている存在、専門は金術。ブルの名の由来は、北の国ブルテリアに現れる白い毛の巨大なゴリラのような姿をした中型の怪物、ブル・ゴリ。周りが勝手にそう呼んでいるのだが別分私も瓜二つと思ったので何ら抵抗なく呼ばせてもらっている。ちなみに本名はキャサリン・グラス、女性である。「どうせさ、あなたはさ、私と違ってさ、将来有望の身ではあるだろうけどこの不平等は無いんじゃないかなー」明らかに皮肉、私だってブル公に呼び出しを食らっている。下手すれば彼女より酷い事なるであろうに。言われっぱなしはしゃくだ、そろそろ反論せねば。 三つ目の海老を口に入れたところで一旦フォークを手元に置き口を開く。言わせておけば……まだそこまでしか言葉を発してないにも関わらず「あ、やっと喋った」彼女は釘をさす。まあいい……続きに移ろう。あなたの勝手な思い込みにより私には一切処分は無いように勘違いしてるけど残念ながら違うから、私にもブルには呼び出しを食らっている、結果を予想すれば確実にあなたを上回る処分ね、と言ったのだけど一応訂正にはなってるわよね?後は相手の反応を待つだけ。「え、そうなの?じゃあこれからって事、あらら……あんたの場合だといろんな意味で格が違うから下手したらとんでもないねー。あ、でも上手くいけば大したことになん無いかな」私は上手くいけば――の部分について意味が分からないので聞いた。「そりゃ理事長の娘だもん、私みたいな凡人と違ってさどうせ皆えこひいきしてくれるでしょ」だから違うって、とは思ったがここで真実を話そうものなら事態はさらにややこしくなるに違いない為、理事長の娘の部分は受け入れよう。だが上手くいくとは限らない、むしろマイナスだ。この子は一体どれだけ理事長の娘の肩書が有効だと思ってるのかしら、そんな間違った考えは否定しなければならない。私はこう反論を口にした。ひいきは、確かにあるわね、この間数分ほど遅刻をしてブルに説教30分と補習2時間あと課題1か月分追加、理事長からも説教をねちねちと2時間、遅刻したあの日はおかげで確か睡眠時間3時間ってとこかしら、日付が変わったぐらいにようやく眠れたと思いきや日も出ていないくらいの早朝に理事長が来て叩き起こされ寝ようにも寝れなかったし……。今回は二度目か……前回を上回る罰を期待しなきゃいけないわ……あ〜楽しみ〜……。以上、反論終了。一部誇張有りだけど七割は事実。「マ、マジ?」彼女は顔を引きつらせ私の述べた事を再度確認を取る。私は深く頷いてあげた。「あはは……じゃあ私たち、今日は大変だねえー……」一応は態度を改めた様ね。私はまた海老を探すとしよう……もう無いわね。「……あ、あのさっ」彼女はまた話しかけてきたので私は、何?と返事を返す。「うう……顔怖いよ、怒らなくたっていいじゃん」怒る?そんなつもりは無いけどそう見えるのかしら?……どうせ元々こんな顔してるわよ。「今度の週末休みさ、一緒に課題やらない?共に同志としてさ仲良くしようよ、ね」よくもまあ……、答えは決まってる、NOだ。彼女と目を合わせれば私に怯えていることがよく解る。暫くは睨み、そしてはっきり、断る、と言ってあげた。「え、え〜何で?やっとこのクラスに昇っての友達第一号が出来たと思ったのにぃ……」クラスに昇っての友達第一号?最近ファーストに上がったばかりなの?こう聞けばたちまち彼女は笑顔を取り戻し「うん!よくぞ聞いてくれました!実は今日、ついに念願のファースト昇格なんです!」で、その念願の叶った初日に遅刻、と。私はきちんと後付けする、調子に乗られても困るし。「…………痛いとこ付くなぁ、だって興奮して寝られなかったんだもん、仕方ないじゃん。あんたよりはマシよぉ」あんた?「……ごめんなさい」自然と声に出てしまったみたいね。理性が効かないのも仕方ないわ。この子とはどうやら気が合いそうにない。「……あの、やっぱり無理かなぁ」かがみ頭の位置を低くした状態、彼女は何とか仲を直そうとする。私は、無理ね、と強く言い切った。「でも……」諦める気はさらさら無いのだろう。私は構う気も失せ、海老が無くなったシーフードスパをフォークで巻き取り口へと入れる。以外に塩味が効いててうまい。食堂が出す低コストのご飯も捨てたもんじゃないと今更ながら思う。
しばらくは私と彼女は無言となり沈黙が続いた。スパゲティは食べ終え、盛られていた皿に食べられるものは一つもない。後はクロワッサンだけが残る。食事の最中もチラチラとこちらの様子を見てくるの感じたが結局のところ一言も喋る事は無かった。私はクロワッサンを手に取り一口サイズになるようにちぎり、スパゲティの皿に残っていたスープにちぎったクロワッサンの先を付け口に入れる。……思ったより無味だった。どうやらクロワッサンにスープはあまりしみ込まないみたい、失敗した。横にあったコッペパンにすれば良かった。結局、普通にクロワッサンをちぎって食べる。こうして最後の一片を食べ終えた時、「野菜、残ってるよ」彼女は何か言った、でも耳障りだったので聞き流す。「偏食は良くないよ、私より小さいはずだね」な、に、が、小さいと言うのか。カンに障ったため言い懲らしめることにした。背の事?確かに低い、かもしれない。ただそれはたまたま周りの者より低かったと言うだけであり、特別、私が背が低いわけではない。もっと世界を広く見れば同世代で私より背の低いものは山ほどいるに違いない。軽々しく、偏った物見で人を侮辱するのはやめて欲しい。「べ、別に侮辱なんて……」だから一言多いのだ、そのつもりが有ろうと無かろうと二言目の、私より小さいはずだね、は侮辱にしか聞こえない。
もう疲れた。今日、今までの出来事で既に疲れきっているのに、これ以上この他人に構っていたら一日持ちそうもない。食べ終えた事だし、私は席を立ち勘定を済ませに向かう。「待ってよー、まだ私全部食べてないよー」もう相手にするものか。空の器が乗ったトレイを持ちこの場から立ち去ろうと、だがお会計手前で後ろから声をかけられ止められてしまう、今一番会いたくない人に。「おやラリルさん、丁度いいところに」やたらと重低音の声だ。嫌だ、たまらなく無視したい。素通りを試みる。「待ちなさい」……幾らなんでも頭を掴むことは無いのでは?「七限目終了後すぐ、私のデスクまで来なさい。……今みたいに逃げないように」最後の、脅しとも取れる一言と同時に頭が引っ張られ、なすすべなくうしろにとばされる。目の前に現れたのはやはりブル公だった。異様な迫力と姿の大きさは同じ女性とは思い難い。片手で持つトレイは私の物と同じ物なのだろうか。何を食べればあんなに大きくなるのだろうか。実はブルも怪物なのでは。見る度見る度疑問は尽きない。邪魔なぬいぐるみを退かすが如く私を片手で放り、反動で転びそうになる。トレイの上の食器はかろうじて維持できた。踏ん張った所、振り返りブルを睨む、当然、私と同じ目線ではないため見上げる……少し屈辱。見えるのはブルのバカでかいパーマ頭だった。特にこちらは気にしない様子、こちらの方を見る事無く勘定へ向かって行く。悔しい、と思えたがあらゆる意味で勝てない。此処は潔く身を引くとしよう。ブルがトレイの片付けを終えるまで暫く程待った上、自分の勘定を済ませる。横目で食堂を出ていくのを確認。気が沈まない為、本人には聞こえないよう、ブル公め……と小声で悪口を放つ。今、自分が出来る精一杯の抵抗。「ひどい扱いだったねー」いつの間にか背後にいた先程の子、笑い声交じりに話しかけてきた。「いつかは私もあんな風の扱いになるのかな。怖いなー」この子、絶対に私を馬鹿にしてるわね。「ひっ!!」彼女は何故か仰け反り、手を滑らせ片付け前だったトレイを落とした。慌てふためくもその辺に散らばった食器を拾う。落としてしまった原因は私にもあるかも知れないが面倒くさいからほっとくことにし、さっさと自分のを片付け、食堂を出て、クラスに戻った。
この学院には、年齢制限や学年なんてものは一切無く、7年、と限られし修学期間で己を伸ばす。学年もなくどうやって生徒を区分けするかというと、能力や修学年数等に応じ、きちんと格付けがされている。最初の一年はビギナーと呼ばれる等級を付けられ、魔術には一切触れず、主に学院のルールや社会性をみっちりと叩き込まれる、言うなれば研修期間みたいなものだ。もちろん私も体験した。あの一年、毎日のように怒鳴られ、膨大な勉強量をやらされたし、他だって訓練やら何やら、それはもう最悪だった。思えば、あの頃からすでにブルには目を付けられていた気がする。この研修期間を終えれば、次にはようやく魔術を学べるようになる訳だけど、最初は下級魔学生に位置づけされ、別名カテゴリ1と呼ぶ。基本的に皆カテゴリの方で呼んでいるかな。カテゴリの中でもランクが付けられ、そのランクが、サード、セカンド、ファースト、とあり、ファーストとなった上で……まあ、あれこれしてカテゴリが上げる事ができる。カテゴリには上限は無いものだとされているが、今までの学院の歴史を調べたところ、最高位はカテゴリ8のランクファースト。5年前、ダリア・アトムスという生徒が卒業した時の等級がそうだ。以外にも結構最近である。これは魔学生として途轍もなく凄い事であり、偉大でもある。私が3年半、修学期間が経ち、未だカテゴリ1のファースト。この調子でいけばカテゴリ3もしくは4辺りで修学期間が終わるであろう。……別に私が無能なわけでは、決して、決してない。私はまあ、周りと比べれば中の上ってところであって、悪くは無いはず。同時期に入学した子でもまだセカンドでくすぶってる子は大勢いるし、カテゴリ2に上がったのはごく少数。近々私も必ず……のはずだったけど、今日、また遠のいた。
無難に今日の必要量の講義をこなして、昼飯時にブルから言われた通り、錬金小屋にある、ブルが使うデスクを目指す。学院本館を抜け、小脇の林道を通る、そんな少し離れた場所に小屋は在る。補習である事には違いないと思われるが、いつもとはパターンが異なる。補習なら適当な教室で済ますし、内容を全く伝われていないのだ。いつもならば事前に、分厚い魔術本を手渡され、これについてのレポートを書いて来なさい、とか、他だと丸ごと一冊の書写もある。ダブルの場合もある。運が良ければ問題集一冊、でも今回の場合だとまずあり得ないわね。そもそも錬金小屋に向かう必要があるのか、全くもって理由が分からない。こんなの、考えれば考えるほど嫌な予感しかしない、気分が滅入る一方だ。まあ、いつもと言えど理由は違いながらも今回が四回目、私は遅刻常習者ではないから、勘違いなさらぬように。
錬金小屋への林道を歩いて行けば、やがて開けたところに出た。目の前にはボロ小屋が。……とうとう着いてしまったか。足元から小屋の扉にかけて黒こげた鉄くずや不気味な色をしたスライム状の物体がそこらじゅうに散らばっており、周辺から鼻に刺さるような強烈な臭いがして、反射的に鼻をおさえる。あまりの汚さに先に進むのをためらってしまう。外でこれだけ汚いとなると中は一体……。あまり考えたくはないが、行かないければならない……いや、別に引き返してもいいか。何をするか知らないが、こんな所に長い間居るより怒鳴られた方のがマシかもしれない。「うっわー汚いねー」行くかどうか悩んでいたら後ろから声が。この声は……。私は振り向き声の主を確認する。やはり食堂の、面倒くさい子だった。そういえばこの子も遅刻したと言ってたわね。「どったの?早く行こうよ」理由はよくわからないが、今イラッとした。……落ち着け、これっきり、これっきりなんだ。我慢して名も知らず知られずに黙っていけばいいんだ。私は小屋の方へと体を向きを変え、先に進む。足場らしい足場が無い為、足元を見て慎重に歩いて行かなければならない。後ろから「何かムニョッとした」とか、倒れるような物音の後に「助けてー」とか聞こえてきたが、面倒くさいので無視した。
小屋の扉までたどり着いたはいいが無事では無い、自慢のブーツが台無しとなる。完全に変色しきって、まだ確認してはいないが匂いも染み付いていることだろう。このスライム、洗って取れるの?ブルーな気分は増してブルーとなる、今日ほど最悪と思える日は無い。この先もペナルティが待ってる、しかし、引き返せば更に厄介な事になるであろう。深く溜息を一つ付き、取りあえず、小屋の中に入る前、扉をノックする。今にも崩れてしまいそうな扉、ノックしてもあまり音が響かない。ノックした後、少しほど反応を待ってみたが何も返ってこない。もう一度、試みることにした、次は少し強めに。リズムよく、連続で三回叩いて、最初の二回は何も変化なくノック音がしたが、最後叩いた時、ミシッとおかしなノック音となる。叩いた箇所を見れば、凹んでいた。……強く叩き過ぎたか?……何にせよ、しばらく待っても返事がないので、もう中に入ってしまおう。
扉を開け、一旦、中を見てみる。外に比べて、思ったよりもきれいであった、とは言ってもいまだ片付けられていない本がその辺を山積していて、錬金に使うものであろう使用用途が解らない道具が、ぶっきら棒な感じでその辺に置かれている。部屋の中央にある、長方形の形した私のベッドより少し大きいぐらいのテーブルに向かう。やはり、その上も散らかっていた。奇妙な形した器や、七色に光る石、他にも棒のような形した道具や、帽子みたいな形したもの、何やら色々置かれている。そして散らかったテーブルの中央には、テーブルの広さを半分占めるほどの大きさの紙が敷かれていた。書かれている内容を見てみれば、錬金の手順が図を使って説明されている。だが、正直言って私にはさっぱりだった。私でも一応は簡単な錬金なら知ってるのだけど、ここに表すものはクリブと言われる物質の錬金法。今ここで見るまでそんな物質があることすら私は知らなかった。錬金工程も複雑でどこから始まり、どこで終わるのすらわからない、恐らくこれを書いた者でしか理解出来ないであろうと思われる。テーブルに置かれている道具を見れば、幾つかがこの紙の図と重なるものがある。錬金の途中なのか、もしくは失敗して諦めたか、成功していないのは確かの様である。……外の荒れ果てた状態もこの錬金のせいかしら?そう思い、丁度向かいにある窓を眺めていたら、後ろで扉の開く音がした。ようやくブルのお出ましか……。私は、そうぼやいて扉の方に振り返る。そこに立っていたのは、私と同じ身長ぐらいのスライムまみれの女の子。……ついさっきのことだったけど、すっかりこの子の存在を忘れていた。あまりに悲惨な姿なので、一応、相手を心配して一言を掛けてあげる。遅かったわね、と。「何で無視したのよー……、何で無視したのよー!!」自分で勝手に転んだくせに、何を怒ってるのよ。もう、めんどくさいなぁ。「……ぅぅ…………」何、しゃがみ込んで、今度は泣くの?……まいったわ。仕方ない、さすがにこのままスライムまみれで補習受けさせるのも可哀そうだし、今日はもう帰してあげよう。私は、今日は帰っていい、と、彼女に告げた。「でも、補習が……」素直に帰ればいいのに、一々説得するのも少しめんどい。だが、後の事を安心出来なければ帰るわけないか。そこで、ブルにはうまく言っておくよう、彼女に約束する。「……ホント?」ほんと。「……ゴメンネ、よく考えたら私の不注意だったのが悪いんだよね。ホント、ゴメンネ」わかってるのなら、なぜ最初に怒るのだ、厄介極まりない。しかも今度は謝ってばかりで中々帰らない。彼女に、早く帰るよう促す、のだが。
「その必要は無いぞ」ブルが体全体で出口を塞ぎ、彼女が帰るのを止めた。……ふっ、でかすぎ、図体が大きすぎるため、小屋の入口に頭が入りきれてない。ブルは屈んで小屋に入ってきた。顔に光が当たらないためよく見えず、その姿は同じ人間とは思えない。はるか上の方から、また地鳴りのような声がした。「ユキよ、そこでじっとしとれよ」ブルはそう言い、左手のゆったりとした袖に右手を入れ、しばらく探った後に黒い石みたいなものを取り出した。あと、今初めてこの面倒くさい子の名前を、ユキと知る。ユキはブルの指示通りその場から石のように固くじっとしている。そして恐怖のためか床の方に顔を向け力いっぱいに目を瞑る。ブルはユキのもとに歩み寄り、手が届くくらいの場所で立ち止まった後、今度は持っていた黒い石を両手で包みこみ、何かをぶつぶつと呟く。いったい何を始めるというのか。「熱っ……」やがてユキの体に付いたスライムが煙を上げ出した。どうやら熱を発しているらしく、熱さに顔を歪ませていた。時間が少し経てばスライムは減ったように見え、更に時間が経てば付着していたものは極僅かとなる。残りがひとしずくくらいまでなった時突然に小さな爆発音がした。「熱ぅ!!」ユキは自身の右肩を押さえ元々歪んでいた顔をより一段とひどくさせた。恐らく最後残りと僅かとなり熱に耐えかねたスライムは軽い爆発を起こした。まああの程度なら大したことは無いはずであろうけど。ユキは大袈裟過ぎる、この程度黙って耐えれるものだ。「ふう……」ブルはため息をつき黒い石を元の場所にしまう。「教授ひどい!!」ユキは爆発の起きた個所をさすり半泣きでブルに向かって文句をつける。「あんな所で転ぶ方が悪い」間違いない、ブルの言う事は正しい。それでもユキは不満そうな顔をする。「何よー……その表情はー……」相手が悪いと思ったのか、今度は私に当たり散らしてきた。「ラリルちゃんまで私が悪いっていうの?!」ん?今私の事をラリルと言った……。いつの間に名前を知ったのだろうか、疑問に思った私はついその事を聞いてしまう。「え?だって有名人だもん、学院で知らない人はいないよ多分」なんと厄介なものだ。「ラリル、もしや今の今まで知らなかったのか」今度はブルが訊いてくる。知る筈がない、周りの声なぞ聞いていられない。私はただやりたいようにやるだけ、でもこうなるとそうも言ってられないかも知れない。
「そんなのはどうでもいいな、二人とも補習の支度をしろ、さっさ始めるぞ」ブルは部屋の奥へと向かった。私もさっさと済ませよう。中央のテーブルを囲むように置かれている椅子がある。私は一番手前に座り、テーブルの上に書くものを揃える。「え、何この流れは?皆で楽しく会話を楽しむ空気だったじゃん」ユキは背後でぶつくさ文句を言っている。この子は早く帰りたくないのだろうか。外を見れば日は暮れて日の光は残り僅かだ。「むー……」ユキは唸り声を上げ隣に座る。ようやく始める気になったようだ。
しばらくしてブルが奥から出てきた。手には数枚の紙切れ……それだけ?少ない、少なすぎる。日を越える覚悟は出来ていたのだがこれなら早く済みそうだ。「今から二人にはこの用紙に記入してもらう、いいな」ブルはそう言い私に二枚の紙切れを手渡す。ユキも同じように手渡された。たったこれだけで済むとは……何これ。助手申込書、もう一つは錬金許可申請書。「二人にしばらくの間私の手伝いをしてもらう。拒否権は無いと思え」強情にもほどがある。助手申込は、ブルの手伝いを学院に許しを乞うというもの。これを理由に講義を休める場合もある、だが相手はブルだ。散々扱き使われるのだろう。錬金許可申請書は、錬金には危険が伴う、そのため許可が必要となる。もちろんこの紙きれを書いただけでは受け入れられない。私には一切知識や経験といったものが無い為に上級錬金の資格を持つ者の講習、言わば手ほどきなどが必要となる。それ以外では学院の方でその者がふさわしいかどうか成績や各教授の講義態度、あと評価を見て査定される。正直私では査定の部分で引っ掛かるのではと思うのだが、取りあえずブルに聞いてみた。「ラリルの成績ならば問題はない、安心しろ」……あっそう。喜ぶべきかどうかこの場では困るわ……。落とされる可能性を完全に否定されたわけだから、尚更安易に引き受ける訳にはいかない。やはり今此処で断るしかない。「ラリルよ、まさか助手になるのを断るつもりではないだろうな。断ったりしたらどうなるか……長い間可愛がってきたそなたなら解らないでもあるまい」私が言う前に……このブル・ゴリ、最悪だ。今のは脅し以外何物でもない。そう来るなら理事長の名を出す、私の立場を存分に活用してやろう。「……ほう、理事長に、か」ブルは腕を組み目を瞑る。何か考えてるようだが無駄だ。理事長はトップと呼ぶべき存在、ブル程度ならば一捻りであろう。「……言いたければ言えば良い、だがそなたにそんな卑怯なマネをするとは到底思えんがな」不味い、私を完全に見透かしている。確かにそうするつもりは毛頭ない、ただ面倒を避けたいだけ。私がブルの助手をする、考えただけで身の毛がよだつ。私がこの最悪を断るべく最善の方法を考えてる中、横で珍しく黙っていたユキが行き成り手を挙げ余計な事を言った。「はいはーい!!私、全然いいですよグラス教授!!是非やらせて下さい!!」ブルは顔をユキに向ける、目線だけは私に、だが。「ほうそうかそうか、有難うユキ。これでラリルも引き受けてくれれば」この流れ、ますます不味い。それでも正直嫌なのでブルにもし断ったらどうするつもりかを聞いてみる。「断ったら、そうだな。別にどうするつもりは無い」なら!!「ただし!!折角今まで黙っていたラリルの悪事を理事長に告げ口でもしようか」……さすがにそれは困る。遅刻や無断欠席、図書室の禁書を読み漁った事、他だと倉庫から道具を持ち出し屋上で実験してた事、ブルは全て知っている。その全て理事長にばれたら、此処に居るのすら危うい。私は渋々、助手を引き受けるとブルに伝えた。「そうかそうか、ラリルならそう言ってくれると信じていたぞ」私は自然と深いため息を出した。拒否権はない、か、なるほどね。私に断るはある訳ないか、自分が今までして来たことを今更ながら後悔した。
私とユキはブルが出した二枚の紙を記入し終え帰り支度をしていた。ブルはまた奥に籠り何かをしているようだが興味は無い、とっとと帰るとしよう。「教授の助手だって、何かカッコイイよね」どこが……。「でもグラス教授、今の今まで助手いなかったのかな、私たちに助手を頼むって事はやっぱ居ないからなんだよねー……多分」別分助手が居ない理由は解らなくは無い。ブルは生徒に人気がない、それに尽きるだろう。私はこう思い素直にユキに伝える。「えーそーかなぁ?私は結構人気有る方だと思うよ。だって講義だって面白いし、見た目は恐いけど以外に優しいとことか有るし」それこそどこが、と言う感じだ。支度も終わったので席を立ち小屋の扉に向かう。「あっそう言えばラリルちゃんの悪事ってさーどんなの?ねえー教えて教えてー」……世の中、聞いていい事と悪い事があるものよ。「ごめん……」それ以降ユキは口を閉ざし沈黙のまま帰り道を歩いた。
今日私はブルの助手となった。疲れた、疲れきった……。明日からは恐らくブルに扱き使われるに違いない。一人、寮のベッドの上で私は最悪を約束された未来に意識が無くなるまで呪っていた。
この小説は、当初あっしが本気で書こうと思い立った一品。連載する気満々で、途中までは良かったものの気が付いたら一か月ぐらい書きっぱになっていた。これじゃあいけない、この話だけでも終わらせよう、と思い短編として書き上げやした。
JADAD……このタイトル通りのある有名な曲をイメージしそれが元となっておりやす。“人生投げやり”がこの小説のテーマ。どうでしょう?そんな感じ、出てやすか?