水曜日
高橋涼真が階段から転げ落ちて倒れていたという現場に僕らが到着した時、既に高橋は救急車で搬送された後だった。病院まで同行した生徒の話では、高橋は救急病棟に運ばれ、一命は取り留めたが意識が戻らず予断を許さない状況だとのことだった。
──あの時、体育館裏に行ったメンバーがまた事故にあった──
もはや偶然とは言えない。僕の心に戦慄が走った。ふと見ると古川がかなり怯えた様子でそこにいた。もともと気の弱い男ではあるが、それでもこの怯え方は尋常ではなかった。
そこで入江と僕は古川を寝室に連れ込み、問い詰めた。
「古川、お前一体何に怯えているんだ」
だが古川は黙って首を振るばかりであった。
「なあ古川、お前らはあの晩何か見たんだろ? 松島、天野そして高橋に起こったことはどう考えても偶然じゃない。頼む、僕らにだけでも話してくれないか」
「話したら……僕も殺されちゃうよ。君たちだって聞いたらどんな目に合わされるかわからないよ」
「このまま黙って見守っても何も解決しないさ。話してくれれば僕らにも何か出来ることがあるかもしれない」
古川はしばらく黙っ下を向いていたが、やがて顔を上げてゆっくりと話し始めた。
「あの晩、君たちと別れた後、僕らは体育館の周りを隈なく調べていたんだ。すると、ひっそりとした目立たない場所に小さな扉があるのを発見した。
『開けてみようぜ』
松島君が言うと、天野君が扉に手をかけた。すると扉は簡単に開いたよ。3人は吸い込まれるように中に入って行った。僕は怖くなって彼らに言ったんだ。
『やっぱりやめようよ、こんなこと。宿舎に帰ろう』
『おい、興醒めすること言うなよ、このビビリが。お前は来なくてもいいからそこで待ってろ』
松島君にはそう言われたけど、そこに1人でいる方が怖かったので結局僕はみんなについて行った。
進んでいくと階段があり、降りていくと人の話し声が聞こえた。それもガヤガヤと大勢の話し声だった。
階段を降り切るとまた扉があり、隙間から明かりが漏れていた。
『何だろう。覗いてみるか』
松島君の提案で扉の隙間から中を覗いてみると、そこは広いパーティースペースのような場所だった。そしてそこにはいかにも裕福そうな紳士たちと、白いドレスを着た少女たちがいた。彼らは互いに会話をしたり社交ダンスを踊ったりしていた。
『何かのパーティーか? これ』
高橋君が小声で言うと、いきなり誰かから腕を掴まれた。見ると、黒いタキシード姿の屈強そうな男たちだった。その1人が僕らに言った。
『貴様ら何者だ、ここで何をしている』
高橋君が部活の合宿で来ていて、道に迷ってここに来てしまった、と言った。するとタキシード男は脅して言った。
『理由はどうであれ、貴様らは見てはいけないものを見てしまった。本来ならここで処刑されなければならないが、今見たことを決して口外しないと誓うなら命は助けてやる。ただし今後ここのことを誰かに話そうものなら……その時貴様らの命はないと思え』
そうやって念を押されて僕らは帰された。帰り道、僕らは恐怖のあまり互いに一言も話せなかった。途中で君たちに会うまでね。
そういえば昨日シスターたちを見かけただろ、覚えているかい? 白いドレスを着てパーティー会場にいたのは彼女たちなんだよ」
僕はそれを聞いてショックだった。あの少女は真夜中に白いドレスを着て“見てはいけない”パーティーに参加していたのだ。どうやら彼女たちはただの修道女というわけではなさそうだ。あの少女は得体の知れない深い闇に引きずり込まれている……。
「もうひとつ気になることがあるんだ。松島君は亡くなる直前、加藤先生に相談すると言っていた。その後、天野君も加藤先生に話すと言っていた。その後に2人とも事故で亡くなっている。もしかしたら加藤先生も闇パーティーに関わっている人間かもしれない」
古川の話を聞き終えて入江が言った。
「よく正直に話してくれた。もしそうだとすると古川、お前も危ない。合宿期間中は僕らの側を離れないようにしろ、1人になるなよ」
「……ありがとう」
それから僕らは着替えてテニスコートに出た。とりあえずボールでも打っていないと気がおかしくなりそうたった。しばらく練習していると、加藤先生が病院から戻って来た。一旦全員集合させて気合いを入れるように言った。
「高橋は昏睡状態が続いているが、数日後には意識が戻るだろうということだ。お前らもこんなことが続いて気が滅入るかもしれないが、こういう時だからこそ精を出して練習に励んでくれ」
そう話す加藤先生を見ていると、右頬に痣があった。どうしたのだろうと思っていると、生徒の1人が質問した。
「先生、その右頬の痣はどうしたんですか?」
「ちょっと机の角にぶつけたんだが、大したことはない。さあ練習、練習!」
加藤先生はパンと手を叩いて解散させた。練習の合間に入江が僕のところに来て言った。
「加藤先生の頬の痣、あれは拳で殴られた痕だ」
「殴られた? 誰に?」
「保坂、ちょっと僕の頬を殴ってみてくれ」
「ええっ!?」
「いいから、早く!」
有無を言わさぬ様子なので、渋々僕は入江の頬めがけてパンチを出した。それを入江が素手で受けたので、少しホッとした。
「なあ、今どっちの頬殴ろうとした?」
「どっちって……左頬か」
「そうだ、格闘技をやっていない一般人が相手を殴るときは、殆どの場合利き手を使う。そして右利きの人間が相手の頬を殴るとすれば、まず今のように左頬を狙う筈だ」
「……ということは、加藤先生を殴ったのは左利きの人間か」
「そう。そして身近な左利きの人間と言えば誰を思い浮かべる?」
僕はしばらく考えた。すると合宿初日に松島が高橋に言った言葉を思い出した。
──この左利きのチャラ男めが──
「そうか、高橋だ! あいつフォアもバックも両手打ちだからあまり気がつかなかったけど、確かに左利きだ!」
「そうだ。つまり高橋は負傷する前に加藤先生と争っていたんだ。その最中高橋は不意に、或いは故意に加藤先生によって突き落とされたのだろう」
「そんな……でも松島も天野も加藤先生に相談した直後に殺されている。僕にもあの日何を見たかとしつこく聞いてきた……」
「やはり加藤先生は怪しい。問い詰める必要があるな」
僕と入江はベンチに座っている加藤先生に詰め寄った。そして僕は言った。
「先生、確かめたいことがあります」
「おう、何だ。後にしてくれないか」
すると入江が食い入るように言った。
「今すぐ話したいんですよ、加藤先生。あなたの右頬の痣……左利きの人間に殴られた痕です。つまり高橋ですよ。高橋はあなたと争っている拍子に階段から突き落とされた、そうですね」
「何を人聞きの悪い……」
「先生、高橋の左拳とあなたの右頬の痣を照合すればすぐにわかることですよ」
すると加藤先生はゆっくり立ち上がって言った。
「……ここでは何だから裏で話そうか」
そして僕たち3人は壁打ち用の壁の裏に回った。加藤先生はタバコに火をつけると、おもむろに話し始めた。
「お前らの考えている通りだ。俺が高橋と争っている最中にあいつを突き落とした」
「それは、高橋が“見てはいけないもの”を見たからですか、松島や天野も先生がやったんですか?」
「俺は松島や天野に手をかけてはいない。ただ、彼らから相談があったことを“やつら”に報告しただけだ。無論そうすればあいつらがどうなるか大方予想がついたが……俺には他に選択肢がなかった」
「選択肢がなかったってどういうことですか?」
「俺は教師としてあるまじき事だが、ギャンブルで借金が膨らみ闇金にまで手を出した。返済出来ないと闇金業者は俺を“やつら”に引き渡した。それ以来、俺は“やつら”の言いなりと言うわけさ」
「それでその“やつら”って一体何者なんですか、この学校の“見てはいけないもの”とどんな関係があるというのですか?」
「……それは知らない方が身のためだ。どうしても知りたいと言うなら、今晩俺の部屋に来れば話してやる。ただし聞いた結果どうなっても自己責任だぞ」
そうして僕らは練習に戻った。加藤先生はどこへ行ったのか、それっ切り練習には顔を出さなかった。
練習が終わって後片付けをしている頃、サンタマリア学園の生徒たちが慌てた様子でやってきて言った。
「大変だ! 君たちの顧問の先生が体育館で……」
僕たちは体育館へ急行した。そして体育館に入った僕らは愕然とした。
そこでは加藤先生がバスケットゴールに首を吊り下げてぶらんぶらんと揺れていた。そしてそれを絵画の中の聖母マリアが慈悲のまなざしで見つめていた。