~了~ 天狗飴
――あれから、もうずいぶん経つ。
金木犀の香りが、きん、と鼻を抜けた。
いまでもたまに、そこいらの公園のベンチに、何でもないような顔をして座っているあの天狗がいるんじゃないだろうかと思ってしまう。
天狗、と言っても、普段は鼻は低かったし羽根も生えていなかった。
それでもまあ、確かに天狗だった。
「ねえ、お父さん、どうしたの? 早く遊ぼうよ! リカ、砂場で遊ぶ!」
「行っておいで。父さん、ベンチで少し休んでるから」
「えー! お父さんも行こうよ!」
「父さん、ちょっと疲れちゃった」
「もうっ! お父さんのばかっ! 知らない!」
しまった。娘の機嫌を損ねてしまったらしい。頬を膨らませながら砂場へ歩いていく娘を苦笑いしながら眺める。けれど、子どもは本当に元気なもので、たまには休みたくなるのも事実だ。
あれから、数十年。僕も大人になって、妻も、娘もいる。それでもたまに、あの天狗と過ごした数日のことを思い出す。
あの日は結局、警察も来て本当に騒がしかったし、次の日にもう一度こっぴどく怒られた。
集まっていた人達の中には、「神隠しに遭っていたんだろう」とか言う人もいたけれど、あの日のことは僕の心の中にだけしまってある。妻にも、娘にも話したことはない。
秋の、高い高い空を見上げて、一つ大きく息を吐いて目を閉じた。
しばらくすると、砂場の方から娘がぱたぱたと駆けてくる音が聞こえた。
「お父さん、お父さん!」
「どうした、リカ」
「あのね、知らないおじさんがね、これくれたの!」
「だめじゃないか。知らない人は怖いんだから」
「でも、お父さんのなまえ、知ってたよ! 二人で食べなさいって」
娘の手に握られていたのは、白い包みにくるまれた、いつかの飴玉だった。
弾かれたように立ち上がって辺りを見渡したけれど、人影はまったくない。
風が、通り抜けた。
「では、また」とあの天狗の声が聞こえたような気がした。
MBSラジオドラマ短編賞、第一回応募作品。
ラジオドラマとして聴いた時に、表情の変化や気候の変化で心情を代弁させることができない縛りがあったり、ターニングポイントになる部分をしっかり台詞の中に入れたり、普段とは考えることがまったく違ってオモシロかったです!
規約には、普通の小説の体裁でいいよと書いてありましたけどね。
やっぱり、ラジオドラマとして作り変えた時に映えるものにしたいではないですか。
ちょっと不思議な、天狗と少年の物語。
お楽しみいただけましたらば幸いです。