天狗小箱と夏の山
次の日。また、公園にあの天狗がいた。
着流し姿で、今日はベンチに胡坐をかいて座っている。ベンチの足元には、下駄がきっちりと並んで置かれていた。
「やあ、少年。また会ったね」
「あ、天狗のおじさん」
少年は少しはにかんで、それから礼を述べた。
「昨日はありがとう。飴玉を食べて、そしたらちゃんと話せた。手紙、書くって約束したんだ!」
「そうか、そうか。それはよかったじゃあないか」
「おじさんはさ、天狗なんでしょう?」
「そうとも、私は天狗さ」
少年は、学校の図書室で天狗について調べてた。そして、天狗にも色んな種類があること、普段は山に住んでいることなどを知った。
「それじゃあさ、どうして公園なんかにいるの? 天狗は山を守るんでしょ」
「うむ。少年が図書室で調べたことは間違っていないよ。そして、私はちゃんと山にいるとも」
「公園じゃん」
天狗は、遠くを見つめるように眼を細めた。ざあ、と一つ風が吹く。控えめに落ちている枯葉が一枚、二枚風に舞った。
「この辺りはねえ、少年。山だったのだよ」
「そんなことないよ。僕のお父さんも、子どもの頃にこの公園で遊んでたって言ってたよ」
「それよりも、もっと、もっと前さ。少年のおじいさんの、そのまたおじいさんの、そのまたおじいさんが小さかったころの話だからね」
「嘘だあ」
天狗はくつくつと笑って少年を見て頷く。懐から小さな箱を取り出した。
「そんなら、これを見てごらん、少年」
開いた箱には、小さな模型。木造の、小さな家。少年がそれを覗き込むと、家の模型はぐんぐん大きくなり、吸い込まれるように少年は箱の中へと落ちていった。
○ ○ ○
気がつけば、少年は見知らぬ木造の家の中にいた。周りには誰もおらず、どこか遠くから蝉の鳴く声が聞こえてくる。さっきまで、落ち葉がかさかさと降る公園にいたはずなのに。
「え、え……?」
慌てて少年が外へ出れば、家の外には井戸があり、その向こうには大きな山があった。深い緑に包まれた、夏の山。
夢でも見ているのだろうかと辺りをうかがうが、やはり誰もいない。
怖くなって、あてもなく少年は走り出す。
煩く鳴る蝉の音に、少年の吐く荒い息が混ざる。
走り疲れ、大きな木の根元に腰を降ろした時、上から声が降ってきた。大振りの枝に、やはり胡坐をかいて座っているあの天狗がいた。着流し姿で、いつも通り真っ直ぐに座っている。
「どうだい、少年。見事な山だろう。私の山だ。この頃は、天狗もたくさんいたのだよ」
「僕、帰れる?」
涙声になりながら見上げる少年に、天狗は高らかに笑った。
「いやあ、すまない。怖がらせるつもりはなかったのだよ。それでは、帰ろうか」
天狗が両の掌を、ぱぁん、と合わせればどこからか風が集まり少年の体を持ち上げる。突風に思わず目を瞑れば、いつの間にか少年の体は公園のベンチの前に浮かんでおり、尻から地面へと落ちた。
「あいてっ」
尻をさすりながら少年が立ち上がると、いつも見慣れた公園の風景がそこにあり、目の前にはやはり天狗が着流し姿で座っていた。
「いてて。僕、昔にタイムスリップしたの?」
「いいや、天狗小箱にそんな力はないよ。そうだなあ。中に入れる写真のようなものさ」
「へえ。おじさんの思い出なんだね」
「そうさ。この辺りに残っている天狗は、もう私だけだ」
「みんな、どこかへ行っちゃったの?」
天狗は二度、三度と顎をさすってから言った。
「山がなくなったからねえ。子を連れて別の山に行った者もいるし、人間と暮らしている者もいるよ」
「見た目、普通のおじさんだもんね。天狗はみんな着物着てるの?」
「いいや。人間だってみんなランドセルを背負ってはいないだろう? 私が着たくて着ているだけさ」
少年と天狗は笑い合った。この、どこか飄々とした、天狗を名乗る男性に少年はいつしか警戒心をなくしていた。
学校のことや、家のこと、将来はサッカー選手になりたいことなど、色んなことを話した。
それらの一つ一つを、天狗は頷きながら聞いてくれた。
やがて日も暮れ、カラスが西の空に鳴くのを聞いた少年は顔を上げた。
「僕、もう帰らなきゃ」
「ああ、気をつけて帰るのだよ」
そう言って天狗はおもむろに立ち上がり、「では、また」と言って歩き去った。
下駄の音をからころと鳴らしながら。