天狗との出会い
学校からの帰り道、少年は公園を通って家路を急いでいた。通学路から少し外れたその公園は通学路としての使用を禁止されていたが、禁止されれば通りたくなるのが小学生というもので、友達と集まって空き缶や小石を蹴りながら公園でひと遊びしていくのが通例だった。
けれど、その日は少年だけが一人で下を向いて、つまらなさそうに歩いていた。
「……ちぇ。なんだよ」
木々は徐々にその緑を枯らし、一つ、二つと落ちる葉もあった。
「やあ、少年。どうしたね、暗い顔をして」
少年の肩が跳ねる。急に声をかけられ、そちらを向けばベンチに見知らぬ男性が座っていた。青い着流し姿に薄い茶色の帯をして腕を組んで堂々と座っている男性だった。
少年は息を短く吸ってから、警戒するように男性を見た。ランドセルにつけられている防犯ブザーへと手が伸びる。
「まあまあ、待ちたまえよ。少年。防犯ブザーは不審者を見た時に鳴らすものだ。違うかい」
「だから鳴らそうと思ったんだけど。おじさん、だれ?」
男性は焦りの色など欠片も見せずに腕を組んだまま、真っ直ぐ座っている。ベンチにもたれかかる様子もない。
「私は天狗だ。天狗だろう、天狗に見えないか、少年」
「……着物着たおじさんに見える」
「そうか、少年にはそう見えるか。しかしなあ。目で見えるものがすべてでは……」
男性が言葉を終えるよりも先に、少年が防犯ブザーについている紐を力強く引っ張る。本来であれば「びぃっ!」と甲高い音を出すであろうそれはしかし、音を出すことはなかった。
「あれ? あれぇっ? 防犯ブザーが壊れたっ」
繰り返し紐を引くが、変わらず防犯ブザーは鳴らなかった。
「不審者に防犯ブザーは鳴るものだ。つまり鳴らないならば、私は不審者ではない。そうだね」
「そうかなあ……。おじさん、本当に天狗なの?」
「そうとも。風だって起こせるし、空だって飛べる。少年が、友人の転校のことで悩んでいることだって知っているのだよ」
少年は目を丸くする。確かに、いつも遊んでいた友達の一人が急に転校することを、今日知ったばかりだった。
特に仲のよかった相手だったこと、そして、本人が今日までそれを伝えてくれなかったこと、なにより、担任の教師から帰りの会でそれを告げられたことが、少年には悔しかった。
学校が終わるや否や、すぐさま校舎を飛び出し、友達が呼び止めるのも聞かずに走ったのだった。
「あいつ、昨日まで普通に遊んでたんだ。ちっとも、転校するなんて言わなかった」
「そうかあ。それは……さみしいねえ」
少年は下を向いて唇を噛んでいる。必死で、さみしさやくやしさをこらえているのだろう。もちろん、友達も意地悪をするつもりで転校のことを隠していたわけではないだろう。きっと、少年と同じ気持ちだったからこそ言えなかったのだ。
それを少年が理解するのは、少しばかり難しいようだった。
「少年。これをあげよう」
「……これ、何?」
「これは、天狗飴という。これを明日、友達と食べなさい。きっと仲直りできる」
着流しの懐から取り出されたのは、白い包みにくるまれた飴玉二つ。少年は不審に思いながらもそれを受けとった。満足そうに笑った天狗を名乗るその男性はすっくと立ち上がり、「では、また」と言っていやにゆっくりと歩き去っていった。からころと鳴る下駄の音を見送りながら、少年はその手に残された二つの飴玉を見やる。
「……天狗なんだったら、飛べばいいのに」
ぽつりと呟いて、それでも飴玉を大事そうに握り締めて少年は再び家路についた。
ふわりと吹いた風に、金木犀の香りがした。