Prologue2.傷ついたスライムがかわいそうだったので介抱したら懐かれました。思い返せば軽い気持ちだったんです。まさか――このスライムが規格外なスライムだったなんて夢にも思っていませんでした。
最弱モンスターとはいえ王都にスライムがいることに驚きながら、デヴィッドはそっと近づき膝を着いて手を伸ばす。
「お前もひとりなのかい? ――いたっ、いたたたたっ、痛いっ、やめてっ、ドラマの真似してごめんなさい! 痛いから、お願いだから噛まないでっ! そももそどうしてスライムの癖に指が痛くなるほど噛めるんだよ、お前歯がないだろっ?」
くだらない言葉と一緒に不用意に手を伸ばした結果――ちょっとイラッとした様子のスライムに思いきり噛まれてしまった。
不思議なことに歯がないスライムの口撃はとても痛い。指が千切れることはないだろうが、しっかり治療をしなければしばらく激痛が残るだろう。
なんとか引き離そうとするも、みよんみよんと自在に動くスライムの体を掴むことができず難しい。
目じりに浮かんだ涙が零れそうだ。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ、本当に謝るから勘弁してください!」
両膝を着き、自然と地面に頭をぶつけながら謝罪すると、ようやくスライムはそのプルンとしているくせに噛みつけば激痛を与える口を指から放してくれた。
「痛かった……」
指を押えながら、さてどうしようとデヴィッドは考える。
未だ警戒した様子でこちらを睨んでいるスライムだが、王都に侵入したモンスターの大半が退治されることを知っている。
例え害のないモンスターであっても、どのような形で人間に被害を与えるのか想像できないからだ。
学者たちからすると、なんでも倒して解決するのは実に野蛮である――とのことだが、そちらは言うまでもなく少数派だ。
「かわいそうだけど、倒さないとな――」
腰から短剣を抜くと、びくり、とスライムの体が跳ね波打つ。
おそらく、デヴィッドがなにをしようとしているのか理解したのだろう。
「ぴぃぴぃ」
弱々しい声で泣きながら、体を引きずりスライムが逃げようとする。だが、その足取りは重い。
誰かと戦った形跡があることは一目瞭然。最弱モンスターと言われるスライムが、傷つきながらもこうして生きていることが奇跡的だ。
一説によるとスライムはとても賢く、知性は人間と同等という。さらに仲間として迎え入れ鍛えることができればドラゴンを超えるほど強くなる特別な個体もいるそうだ。しかし、そんなものは所詮おとぎ話でしかない。
「きっと弱り過ぎていたから王都の大障壁を抜けれたんだと思うけど、冒険者として退治しないといけない。ごめんな」
「ぴぃ……ぴぃぴぃ」
ナイフを構えるが次の行動に移ることができない。
冒険者であるデヴィッドだが、特別な理由があって冒険業をしているわけではない。モンスターに家族を奪われた過去もなければ、冒険者を目指すに値する尊敬する人間はいないし、幼少期に劇的なドラマがあったわけでもない。
単に就職活動に失敗したから冒険者になった、それだけなのだ。
モンスターを倒す義務があるわけではないが、見逃したせいで誰かになにかがあれば後味が悪いだろう。だからといって、弱々しく鳴くスライムを倒してしまうのも目覚めが悪い。
「ぴぃぴぃ、ぴぃぃぃ」
「か、かわいいじゃないか」
懸命に助けを請う姿が、実に保護欲を誘うものだった。
どういう仕組みなのかご丁寧に涙まで流しているスライムを見て、デヴィッドはナイフをしまうことにする。
「しかたがない、今日のところは見逃してやる。噛んだのは貸しておくからな」
まるで負け犬のような言葉を紡ぎながら、両手でスライムをしっかりと掴む。
――むにゅん。
「おおっ、想像以上に柔らかい。もしかしておっぱいのモンスターじゃないのか? 嘘、嘘です。だから噛まないで、いや、マジで噛むなよ。おとなしくしてたら手当てしてやるから」
馬鹿なことを言ったせいでスライムが腕の中で!口を大きく開けたが、手当てをしてやると言ったことが伝わったようで静かになる。
抵抗しなくなったスライムを抱きかかえると、自宅のアパートへ駆け足で向かう。
「大家さん、怖い人だから静かにしていてな」
小さく返事が返ってくることを確認すると、部屋の扉の鍵を開け、中へ入る。
真夜中ではないが、人によっては眠っていてもおかしくない時間なので極力静かに行動する。物音を立てて少しでもうるさくしてしまえば、怒れる幼女がフライパンで武装して突貫してくるのだから怖い。
スライムをそっとベッドに置くと、学生時代に学校から配布されたモンスター辞典を本棚から見つけ広げていく。
「教科書捨てずにいてよかったなぁ。金に困っていたときに売ろうか迷ったんだけど、我慢した甲斐があったよ。ふむふむ、ああ、なんだ、人間と同じポーションで治るのか。――うわぁ、量が必要なのか……また出費が、って、そんなけち臭い人間になるな、俺!」
頬を一度だけ叩き、スライムを水が張られていないバスタブへ移す。
「ちょっと冷たいぞ」
そして返事を待たずに、手持ちのポーションを片っ端から封を開けて浴槽へ流していく。
途中、
「うわっ、間違えて俺なんかじゃめったに買えない上物まで入れちゃった……これで治らなかったら泣くからな!」
などというご愛敬も挟むと、ポーションで満たされた浴槽に浮かぶスライムを見て満足げに頷く。
「あとはこの中で眠ればいいよ。わかった?」
「ぴぃ」
「じゃあ、ゆっくりしてくれ」
カーテンで仕切りをすると、デヴィッドは汚れた衣服を脱ぎ捨てシャワーを簡単に浴びた。少しだけ残っていたポーションを指に浸して、傷がなくなったことを確認すると、体から水滴を拭い着替えをする。
ベッドに寝転んだデヴィッドは、ちゃぷちゃぷと浴槽の中でスライムがポーションを揺らす音を子守歌にしてゆっくり瞼を閉じる。
「元気になれよ」
その声が届いたかどうかを気にする前に、疲れが溜まっていたのか簡単に眠りにつくのだった。