17.そしてやっぱりすらいちゃんは触手を荒ぶらせる。なんなの? 女の子に触手絡めないと死んじゃう病気なの?
「わたくしを辱めたスライムの主であるデヴィッドさんに責任を取っていただきます。その、わたくしのあのようなあられもない姿を見たのですから――末永くよろしくお願いします」
数分後――、身なりを整えたアンジェリカが、うっすら頬を赤く染めてデヴィッドに恭しく頭を下げていた。
「ちょっと――なにを勝手なこと言っているのよ。最初に辱められたのは私なんだから、責任とってもらうのは私よ!」
抗議の声をあげたのはジュリエッタだった。彼女も割と勝手なことを言っているのだが、辱められたのは事実だ。
「あの、すらいちゃんに責任をしっかり取らせますので……」
「駄目よ」
「駄目ですわ」
「ですよねー」
デヴィッドの力ない言葉は即座に却下された。
この惨状を作りだしたすらいちゃんは、一仕事終えた職人のような顔をしている。満足気なのが実に苛立たしかった。
「デヴィッドさん――いいえ、旦那さま」
「だ、旦那さま?」
「はい。旦那さまですわ。どうぞこれからよろしくお願いします」
潤んだ瞳をアンジェリカから向けられたデヴィッドはまさかの「旦那さま」発言に動揺する。
――この子、本気だ。
熱を帯びた小さな手がデヴィッドの手を掴む。
「わたくしよい妻となりますわ――っ、申し訳ございません。いきなり手を握るなんてはしたない」
「い、いえ。お気になさらず」
「それに、わたくしの手はあまり綺麗ではないことを失念しておりました。嫌な思いをさせてしまったら謝罪しますわ」
恥じ入るように引っ込めてしまった手をデヴィッドは断りを入れて掴んだ。
「あの」
突然のことに戸惑いを見せるアンジェリカの手は、確かに貴族令嬢と手とは思えない。薬の調合に薬品を使ったのだろう。肌は荒れ、火傷の痕もある。だが、綺麗だった。
学生時代の友人にも似たような手を持ち主は多かった。女の子だが、努力することを第一に考えている子の手は、同じかそれ以上だったことを覚えている。しかし、一度でも綺麗ではないと思ったことなどない。
努力した証拠だ。恥じることなどなにもない。誇るべき手だとデヴィッドは思う。
「努力している人の手だと思う。恥じることなんてない、とても綺麗な手だよ」
「まぁ――そんなことを言ってくださるのはジュリー以外初めてです。わたくし、とても嬉しいですわ」
「ぶー」
うっすら涙を浮かべ、頬を紅潮させるアンジェリカ。そして、まるで少女を口説いているのではないと誤解されてもおかしくないデヴィッドの言動に、成り行きを見守っていたジュリエッタはすらいちゃんを力強く抱きしめると、頬を膨らませていた。
とはいえ彼女は彼女で、同級生に裏切られたところを慰めてもらっている。なによりも以前からアンジェリカが自分の手を気にしていることを知っていたので、異性の言葉で頬を染めるのを見て――おもしろくはないけれど、これから恥じることなくいてくれればいいと思う。
ジュリエッタは親友の頑張っている姿が好きで、彼女の努力の証拠である手が大好きなのだから。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ」
涙をハンカチで拭ったアンジェリカは、惚れ惚れする笑顔を見せてくれた。
やっぱり女の子は笑顔じゃなきゃ、とデヴィッドも嬉しくなる。
「では、お話を戻しましょう」
「そうね、デヴィッドとすらいちゃんのせいで脱線しちゃったけど、できることなら早く次の目的を手に入れるためダンジョンに挑みたいの」
「あんなことがあったのに、もう?」
「そのためにはまずジュリーのご両親を説得しなければならないのですが、それはわたくしたちの問題なのでお任せください」
「是非そうしてほしい」
ジュリエッタに起きたことを考えると早すぎる気がする。それはアンジェリカはもちろん、当の本人であるジュリエッタ自身も理解しているはずだ。
「必ず説得してみせるわ。だって、一番手に入れることが難しい魔鉱石が手に入っているんだから、あとは火竜の血を手に入れるだけよ!」
「んん? 待って、ジュリエッタ。今、火竜の血って言った?」
「ええ、そうよ。火竜の血は火傷にすごく効果があるらしいわ。少し手に入れることが難しいけど、魔鉱石ほどじゃないの。だって――火竜のダンジョンにいけばたくさんいるじゃない」
「そのたくさんの火竜を倒すのがめっちゃくちゃ難しいんですけどぉ」
デヴィッドは少しだけジュリエッタたちとの冒険を甘く考えていたと反省する。
てっきり先日出会ったダンジョンに何回か潜るのだと思っていた。ときには中層に向かうことも覚悟していたのだが、まさか『火竜のダンジョン』に足を運ぶことになるとは思っていなかった。
冒険者になってから一度もいったことはない。火竜が巣くうダンジョンに、単身で乗り込むような馬鹿ではないし、行きたくもない。
学生時代、友人たちとパーティーを組んで何度か挑んだことはあるが、火竜の恐ろしさが身に染みただけだった。
ジュリエッタが求めている火竜の血は、火傷の傷によく効くことは確かだ。
特別な加工をすれば効果は何年でも維持できるのだが、普通は火竜から血を得たら一週間を過ぎると効果が少しずつ下がっていくと聞く。
つまり依頼をして入手するよりも、リスクがあっても自分の手で手にいれたほうがなにかと都合がいいのだ。ただし、危険はものすごく伴う。
特殊加工された保存が効く火竜の血は高額で、市場に出回ることが少ない。多くの場合が、病院や国が買っていくので手に入り辛いのだ。
「そんな危険を冒すよりも、いっそすらいちゃんに治してもらうのはどうかな?」
「怪我のせいでお心が弱っているお姉さまを触手責めにするわけにはいくわけないでしょっ。そんなことしたらショックで死んじゃうわ!」
「だよね。うん、言ってみただけ」
「ま、まさか、私とアンだけじゃ飽き足らずお姉さままで責任を取るという口実でお嫁さんにしようと企んでるんじゃないでしょうね!」
「勘違いにも程があるよ!」
もの凄い勘違いをするジュリエッタの後ろでは、アンジェリカが「さっそく浮気ですの?」と責めるような視線を向けているのに気づき、デヴィッドは「浮気ってなんだよぉ」と泣きたくなった。