第捌種接近遭遇ガールミーツビースト - 11
それにしても、と、私はまたも娘の顔をじいっと凝視する。
まさか、こうやってダイレクトに己の体験を相談してくるだなんて……。
自分の時と比べると、違いに愕然とさせられる。ありふれた悩みなら有り。彼氏ができましたでも、まあいい。でもこれはアレですよ、アレ。
当時の私は、とんでもない秘密を抱えながら、それを正面から親に相談しようだなんて考えもしなかった。こういうのは黙ってなきゃいけない事、素敵な優越感をくれる私だけの秘密、そう思って暮らしてたのに。それが「妖怪がやってるコンビニ見つけた! お話もしたよ!」である。いやはや、ずいぶん素直な子に育ったものだ。教育が良かったのか、判断を比較すると私の子とは思えない。
「私、どうしたらいいのかなあ……」
あ、そうだ、問題なのはそれだった。
「……疲れてたんじゃない?」
「そりゃちょっとは疲れてるけど、幻覚見るほどじゃないよー。
ちゃんとお爺さんと喋った内容とか、声とか、カウンター触った感触だって覚えてるし……」
「うーん……」
苦し紛れに私の持ち出した幻覚説を娘は否定したが、あんたそれ、幻覚じゃなかったら尚更まずいって事を分かってるんでしょうね……。
唸る私に、娘も唸る。さあどうしましょうか。
いや、どうしましょうかもこうしましょうかも、ここで私が取るべき行動なんてひとつだけである。勿論、止めるのだ。そんな気味悪い目に遭った場所には、もう近寄らないようにしなさいと。
お前がどの口でそれを言うかなんて、眉を顰めないで頂きたい。こういう時の親は、自分のしてきた事はさておいて、常識に則った判断と助言を与えるものなんである。人の親ってのは、子供に関してはそういう身勝手な生き物なのだ。
しかしながら、私は見てしまった。
不安と非現実の狭間で揺れながらも、娘の目の奥底にある強い光を。抑え切れない好奇の輝きってのを。
あっ、こりゃ止めても行くわねこの子。
瞬間的にそう判った。
これは、この場で私が止めたとしても、絶対にこっそり隠れて行く奴の目だ。
到底信じられない奇天烈な、最高の宝にもなり得る出来事を相談してくれた点こそ違うものの、根っこの部分でやっぱ私の血が流れてるのは争えないのだと、あんまり有難くない具体例を引っさげて、私は理解させられる事となった。うん、たびたび自分とダブって見える事があったのは錯覚じゃないわ。
それで、娘の相談よ。私はどうしたらいいのかな、だって?
相談した時にはほとんど答えは出てるだなんて言うけれど、実際に身内として遭遇すると、甚だ頭が痛い。引き止めても行くと確信できていても、好きなようにやれ、なんて間違っても言える筈がない。娘が私と同じ真似をしてるのを考えただけで、頭だけじゃなく胃まで痛くなってくる。
あの経験は、掛け値なしに私の青春時代の、最高に輝く一時だった。
しかし後から考えれば無茶も馬鹿も一杯したし、危険だってあった。
第一まず、妖怪の中に入り込む事自体が危ない。
見逃して、見過ごして、娘の身に万一があったら、どんなに自分を責めたって責めきれない。
それを避ける為に、親は子に口出しする。
面白味に欠ける常識を、精一杯に真面目な顔をして、小言としてぶつける。
臆面もなくそのパターンを実行できてしまう程度には、私も大人であり、人の親の道を知っていた。知らずにやられたなら手の打ちようがなかったが、こうして相談されて知った以上は、止めるのが務めだ。
「おかしな事には、近寄らないのが一番よ。決まってるでしょ?」
「そーだよね……」
曖昧に頷く娘。
あ、納得してない納得してない。
「またあんな事になったらヤだし、通う道変えよっかな……。
でもあそこ通らないとさぁ、けっこう遠い回り道になっちゃうんだよね……」
「回り道の苦労と妖怪に食べられるのと、どっちがいいのよ」
「回り道。なんか母さんノリノリじゃん」
「ふざけないの。いいから、明日からその道は通らないようにしなさい。ね?」
「はぁい……」
「……といっても、ねえ。時間がなかったり遅かったりで、どうしても通らなきゃいけない時もあるだろうから……」
私は、そこだけ実にわざとらしく声に強調をかけながら言った。
ヘタクソな流し目っぽい視線も、一緒に送ってみる。
それは行くなよと再度釘を刺すのと同時に、また別の意味をも含ませてあるのは明らかだ。
お前の考えてる事なんて全部お見通しなんだよ、という。
効果は覿面だった。
案の定というべきか、内心を読み当てられた人間が良くやるように、娘の肩がびくっと跳ねる。
……やっぱ行こうとしてたな、こいつ。
分かってたけどね。分かってはいたんだけれどね。
私は一旦言葉を切って、天ならぬ天井を仰いでから、もう一度、娘の顔を見下ろす。娘の表情は、急に話すのを止めてしまった母親と、まんまと目論見を見破られてしまった事とに、困惑しきっていた。
……しょうがないなあ、まったく。
不意に、ここまでの冷静な判断と感情一切を押し退けて、苦笑が漏れる。
それと共に、私の中にあった緊張と気負いが、急に途切れたのを感じた。
「……ふたつ、母さんからあなたに教えておく事があります」
「え、えっ?」
「まずひとつ。目上の人には、挨拶をきちんとしなさい。
そして注意をして頂いたら、真面目に聞くこと。
それからふたつ。相手の方に何か貰ったり、手を貸して頂いたなら、心からのお礼を忘れないこと。
いいわね? 挨拶とお礼、つまり礼儀と敬意を、必ず示すようにしなさい。
大人ぶりたくても、大人になったように感じてても、あなたはまだ、ほんの子供でしかありません。世の中にいる沢山のひとたちは、そんなあなたから見れば、だいたい全員が目上に当たるんだから」
「…………う……うん……?」
「うん、じゃなくて、ここはハイと答えなさい」
「は、はいっ!!」
「よろしい。でも、返事だけじゃダメよ。いま母さんが教えてあげた、とても大切な事は、肝に銘じて何が何でも守りなさい。そうすれば――」
唐突に謎の説教が始まったにしては、恐ろしく真剣な私の顔にびびったのか、途中、娘は畏まって何度も頷いていた。考えたらふたつじゃなくてみっつ言ってた気もするが、とにかく内容が伝わっていれば問題ない。
知らずにやられたなら手の打ちようがなかったが、こうして相談されて知った以上は、止めるのが務めだ。
――けれど。
止めたって、止められんものは止められんのよね、これもまた世の現実として。
まあ、この辺りが落とし所でしょう。
だって止めようにも四六時中監視している訳にはいかないし、最終的には娘の意思に任せるしかないのだ。そして我が子にこう言うのは誠に遺憾ながら、その意思には、完璧には信用が置けない。
仮に私から、そのコンビニに関する秘密を明かそうものなら、怖がらせるどころか好奇心を煽る結果にしかならないのは明白で、脅す為に経験を過剰に脚色しまくれば、娘はあれで案外鋭い所があるから、おそらく嘘に気付かれる。
やれやれと、嘆きながら肩を竦めたい心境だった。
行くなと厳命して、はい行きませんと答えて、事実従ってくれる子なら私もずっと気が楽だったんだけど、あいにく私自身の経験と、この子の親としての勘から、どうやっても100%接近遭遇を防ぐのは無理だと思う。
思うというか、無理。
誰よりも近くで見ているから、分かっちゃうのよ、もう。この後どうなるかが。
よって、私は諦めた。諦めたというと語弊があるけれど、投げたのだ。親が負うべき責任の一部を、懐かしい懐かしい、向こう側へ。
私はひょっとしたら、いや確実に、親としてやっちゃいかん真似をしでかしてるのかもしれない。この子の事だし止めようと絶対行く、なんて悠長に言ってないで、強くキツく引き止めるのが本当なんだろう。恐ろしいもの、危ないもの、理解できないもの、汚らわしいものには近付いてはいけない、と。
それは、私の時にも当てはまっていた、世の常識だった。
けれども今になって、じゃあその常識に従ってあの時間を無かった事にできるが、しても良いかと聞かれたら、お断りだと即座に断言できるくらいには、私はあそこで過ごした時間と、出会ったひとたちを愛していた。それを、あまりにも触れてはならない汚いものとして片付けるのは、方便にしたって苦しすぎた。
だからこそ、まあ、その、先輩として、待ったをかけつつも、ささやかかつ適切な傾向と対策を授けよう。
抑え切れない好奇心があるのなら、誠意をもって伝え、言葉に出して示すこと。あのひとが、私の知るままのあのひとだったら、きっと心を汲み取り、微笑を返してくれるから。
「――そうすれば、困った時には必ず助けてくれるものだから、ね」
告げながら、穏やかで理知的な瞳と、どこまでも深い声を思い出す。
人との出会いは、一期一会。
交わりは常に唯一であり、二度と再び帰ってはこないのだから、瞬間瞬間の縁に心を尽くす。
それは、正しい。
でも違う形で巡ってくる事って結構あるみたいですよと、私はあの優雅な老紳士に片目を瞑りたくなった。




