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第捌種接近遭遇ガールミーツビースト - 10

「なに、どうしたの?」

「……えっと、ね……」

「うん」

「んー、ん……あ、やっぱいいや。ごめんね」

「こらこらこら、待ちなさい」


スイッチを切って火を止め、香り付けに使ったネギを菜箸で摘んで捨てる。

私は完全に作業を中断すると、改めて娘と向き直った。同時に、これは何かあったな、とピンとくる。こりゃもう私が親だからとかって訳じゃなくて、ここまでモジモジと露骨に何か言いたそうで言いたくなさそうな顔をしていれば、誰にだって察しがつく。

我が子ながら、隠し事には向かないタイプね……将来、詐欺に引っ掛からなきゃいいんだけど。


娘が次に口を開くまでの間、私はとっくりと見慣れたその顔を観察しながら、さて、どのような衝撃発言が飛び出すのやらと、素早く可能性の検討に移る。

無難な線では、悩み事。

友達と喧嘩したのか、部活で失敗したか。衝動買いして、お小遣いが足りなくなったか。無難じゃなくて、なおかつ言い出し辛いとなると、犯罪行為……は絶対にないと信じているのでパス。

となると残りはまさかまさかの「お母さん、紹介したい人がいるの……」とか!

せめて高校卒業まではお母さん許しませんよ。そんな報告されてお父さんがぶっ倒れたら誰が看病するの!


……いや、そうじゃなくて。


という感じで待ってはみたけれど、一向に娘が続きを話してくれる様子はない。どうも喉元までは出てきているものの、入口でつっかえているらしい。これは少々助け舟を出してあげる必要がありそうだと、なるべく気楽っぽさを意識して促してみる。

この手助けはそれなりに効果があって、娘の表情は幾らか上向いたみたいだが、口にするのはやはりまだ迷っている気配があった。娘は私の知る限りハキハキした性格なだけに、さすがにここまでくると、こっちもやや不安になってきた。かといって、不安さ丸出しの子供の前で親が不安そうにしてても情けないだけなので、再び問う口調は冷静に、あと明るく。


「……ここじゃ話し辛い事なの?」

「そんなこと、ないけど……」

「なら話したらいいじゃない。いつまでモジモジしてないで」

「うーん……でも、変って思われるかもしれないし……。

……ねえ、母さんは……信じる?」

「何を。……っていうか信じるか信じないかなんて、まず中身を聞いてみなくちゃ分からないでしょ。あんたを信じてるかどうかって質問だったら、迷わず信じてるって言えるわよ?」


その一言で、ふわっと娘の表情が軽くなった。

同時に、白状する決意も固まったようだ。いや、白状って言い方はアレだけど。

よっぽど後半の一言が効いたらしい。これは私の正真正銘の本音であると同時に、作戦でもある。とにかく、親に信じてもらえないっていうのは、子供にとっては怖い事なんである。よって最初にそこんとこの土台は万全だと教えてあげれば、意外なくらいに呆気なく崩せるものなのだ。まずは信じて、聞いてやる姿勢をどーんと示す所から始めなければ、お話にならない。

なーんて、私もいっぱしの親なんだなあとしみじみ思う。

こういう真似が、自然体で出来るようになっちゃってるのがね。


「……母さんは、不思議な話みたいなのって、好き?」

「へ?」

「だからぁ……そんな事あるはずない、って事が起こっちゃったりとか、信じられない体験をしたとか、その時奇跡が!とか。テレビでたまにやってるじゃん。ああいうの信じちゃうほう?」

「……まあ、世界は広いんだし、そういう事だってあるんじゃない?とは思うわよ。でもそれって、あんたとどういう……」

「……うーんーと。あのね!

笑わないで聞いて欲しいんだけど……ううん、笑ってもいいけど。

ていうか私だって話してて笑っちゃいそうだけど。

こう……学校帰りにいつもの道を歩いて帰ってたら、なんか……全然違う道?に迷い込んじゃったみたいで、あれって思った時には、なんか霧まで出てきてさぁ。周り暗いし、ちょっと怖くなってきちゃって、どうしよって思ってたら、先の方にお店が見えてきて……。

あ、そーそー、コンビニだったコンビニ。全然知らないコンビニ。それで安心してさ、ちょっと落ち着こーと思って入ったの。そしたらなんか気取った変なお爺さんがいてさ、ここはよーかい?のコンビニですなんて言ってくるの。よーかいってあれね、ほら、化け猫とか、オバケとか怪獣みたいなやつの、妖怪。人間でございますか、なんて驚いてたけど、驚いたのこっちだよ、いきなりそんな危ない事言われたらさ……。

それでね、そのすごい丁寧なんだけど変なお爺さんが――」


途中から、娘の声は私の所までしっかりと届いていなかった気がする。

冗談めかして語られた一言を皮切りに、記憶の砂に深く深く埋もれていた光景が、急速に像を結んでいく。フラッシュバックというのだろうか。あるいは走馬灯を見るとしたら、丁度こんな感じなのだろうか。かつての私。あの時の、あの記憶。全ての映像が鮮明に、凄まじい速さで私の脳裏を駆け抜けていった。過去が蘇り、現在が霞む。私の目は娘を見ているけれど、輪郭はぼやけ、まさに霧の向こうにあるようだった。


「――それで、頭クラクラしながらコンビニから出て、やっといつもの道に戻れたぁーって思って、で振り返ったらもう無いのよ、コンビニ! 道もないの!

ねー、不思議でしょ? こんな事ってあるんだぁって私ボーッとしちゃって――えっと……母さん?」


プツッと糸が切れたように黙り込んでしまった私に、これは地雷を踏んだか詰んだかとでも思ったのだろう。ああやっぱり言わない方が良かったと、後悔を露に見上げてくる娘の瞳が、私をどうにか現実へ連れ戻した。

慌てて、口元に浮かべる微笑み。

娘を安心させる為というより、ただの引き攣った愛想笑いにしかなっていない。ごめんなさい、少しの間お母さんアッチ側に意識飛んでました、確実に。

しかし――これは……心に決めた人ができました報告の方が、まだ受ける衝撃は少なかったような。

娘の口から語られた事実。彼女の体験した現実。その一言一言を、私の中にある記憶と照らし合わせていく。そうしている最中にも、言いたい事と聞きたい事は次から次へと胸中に湧いてきていたけれど、それらはうまく言葉になってくれなくて、目の前にいる娘の顔をまじまじと凝視するだけに終わる。

よりによって、と思う。

冗談でしょう、と思う。

けれども、冗談などではないのだろう。

作り話をでっちあげて私をからかおうにも、当然ながら私は、あの一年間の経験を誰にも話していないのだから。娘が、ヒラヒラと私の顔の前で手を振った。そんな事をされても、まだまともな反応ができない自分が情けない。母は強くあるべきなのに。しっかりしなさい、と己を叱咤する声さえ、どうにもこうにも弱々しい。


「母さん」

「………………」

「母さんってば、かあさーん」

「…………あ、うん。

そう……そういう事が、あったの……」

「はあ……やっぱり変だよね。私おかしくなっちゃったのかな?

あ、でもやばい薬とかは絶対やってないよっ!」

「当たり前です」


柔らかく握ったゲンコツを頭に落とすと、ひゃあと娘は言った。

娘の軽い反応に、私もやっと少し冷静さを取り戻す。

といっても、心臓が飛び出しそうに激しく動いているのは、治しようがない。

奇想天外な話を打ち明けたせいで、変な子だと思われたんじゃないかと心配そうな娘どころじゃない、莫大な不安やら混乱やらで、私の心はごった混ぜの洗濯槽状態だった。卒倒しないのは母の矜持……とはいえ事態を把握した瞬間は、そのまま倒れても不思議じゃなかったと思う。

あの一秒間の私は、確実に足の裏が床から浮いていた。

顔色は今も確実に最悪か、逆に一周回って紅潮しているかのどちらかだ。

なので、私が激しく動揺しているのは娘から見ても丸分かりだろうけれど、その動揺の理由は、子供が訳の分からない話をしてきたからという、娘の想像とはかけ離れている。


……だって、ねえ……と。

内心で誰にともなく呟き、現地が見える筈もないというのに、私はキッチンにある窓の方へ顔を向けてしまう。


私が大学を出て、会社を選んで。

仕事先で一人の男性と出会って、恋に落ちて結婚をして。

この街へ引っ越して、子供が産まれて、その子供が無事に育って、中学校にあがって、高校に入って――。

言うまでもなく、これらは全て偶然起こった事だ。

私がもし違う大学を目指していれば、就職先だってきっと違っただろうし、そうなれば今の夫と出会う事もなく、当然、今の娘が生まれる事もなかった。改めて考えてみれば、ひとつひとつの要素が奇跡に等しいこの偶然の連なりに、更に別の、超特大奇跡レベルの偶然が重なってくるだなんて事が、本当に有り得るのだろうか。

もう一度、言おう。

私が大学に落ちていれば。

就職先として、他の所を選んでいれば。

彼と出会うような配属でなければ。出会っても結婚までは進んでいなければ。結婚しても引っ越していなければ。引っ越し先に他の街を選んでいれば。娘の誕生がもう数年遅ければ。逆に早ければ。

どれかひとつ、たったひとつでも歯車が噛み合わなければ、こんな事は起こらなかった。

けれども、現実として偶然は起こってしまったらしい。

常識で考えれば夢のまた夢でしかないような現実が、正真正銘の現実として、すぐそこにある。


なんだか、私は猛烈に笑い出したくなってきた。

一旦堰を切れば、お腹が痛くなるまで笑って笑って、多分それでも笑い止まない予感がある。あのひとがこの偶然を知ったら一体どんな反応をするんだろうと思うと、これがまた余計に笑えるのだ。

娘の聞かせてくれた情報からして、間違いなく、まだ気が付いていない筈。

つまり現段階では私の方が手持ち札が一枚多い訳で、それも非常に愉快な事のように感じられた。


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