第捌種接近遭遇ガールミーツビースト - 5
「……さて、都様。
時は着々と迫っております。別れは名残惜しゅうございますが、いつかは必ず訪れるもの。とはいえ、何の芸も無しにさようならというのでは、些か面白味に欠けます」
私は振り向いて、京さんの顔を見上げた。
品の良い眼鏡の向こうで、京さんが微笑む。
いつも通りに、しかしいつもよりずっと深く、心から愉快そうに。
直感的に判った。ああこれは、何か渾身の悪戯を仕掛けようとしている人の笑い方だ、って。
「これは、わたくしから都様への御礼でございます。
最後の一時、最後の一幕、”感謝”を礎とした特例により、当店は当店である事を止めると致しましょう」
パチン、と京さんが指を鳴らす。
そこから起こった出来事は、まさに塗り潰すという表現がぴったりだった。鳴らした指先を中心にして、ペンキをぶち撒けたみたいに、ばあっと新しい色彩が広がっていく。コンビニ内が、みるみるそっくり塗り替えられていく。カード氏も妖怪コンビも、上塗りされていく世界の向こうに消えていく。
姿が完全に見えなくなる直前、笑いながら手を振られたようにも見えた。
時間にすれば、10秒もなかったんじゃないかと思う。たったそれだけで、店内の様相が一変していた。所狭しと効率的に並べられたディスプレイは全部取り除けられ、広々とした空間が前後左右に広がっている。思わず見上げた天井は、おっそろしく高く、これまた広い。おまけに彫刻と絵画まで描かれている。
とどめに照明は、あの眩しすぎる蛍光灯から、豪華かつ繊細なシャンデリアに変貌していた。こんなの、写真やテレビでしか見た事がない光景だ。
「うっ、わあ……」
自然と、感嘆が漏れてしまう。いきなりこれを見たら、そうしない人はいないだろう。
これも、京さんの力なんだ。お店を作れるんだから、その延長で当然こういう事もできるんだろうけど、分かっていても、目の前に広がる御殿というか宮殿というか王宮というかな眺めには、呆然とするしかない。こんな場所には一回も縁が無かったし、アラブの石油王に見初められでもしない限り今後も多分無いだろう。
そんな、一生に一度の贅沢クラスの奮発をしてやっと入れるかなって場所に、いきなり放り込まれたんである。ぽけーっとするに決まっているが、そんな私を現実に連れ戻してくれたのは、続いて鼻に届いてきた、なんとも言えない、いーい匂いだった。
これまた自然に、視線がそちらへ向かう。
さっきは無かった場所にクロスを被せた長テーブルが出現していて、茶系統の肉類から原色に近いフルーツまで、色とりどりの大ご馳走が並べられていた。料理に詳しくない私のぱっと見でも、物凄い無国籍で、そして物凄く美味しそう。匂いで味が分かる。
そして今度は、どこからともなく低いクラシックの調べまで聞こえてきた。ホントどうなってんのこの場所は。
曲を、バイキングのスタート合図ね!と咄嗟に考えてしまった自分が、しみじみと物悲しい。だってクラシックにも縁なんて無かったんだもん。
「すっごい、ですね……」
「もてなしには、それ相応の舞台が必要でございます。さ、どうぞお召し上がりくださいませ」
「わーい!」
庶民丸出しな歓声をあげて、私は料理に飛びついた。
ナイフとフォークの並び順を求められずに済むように、ビュッフェスタイルで並べられてるのも粋な計らいね。
ハーブっぽい緑を散らした魚をお皿に取り、一口頬張る。
初めての味だけど、おいしい。期待通りの、匂いに忠実な美味だった。ああ、舌が幸せ。満足で目が細くなる私に、背後から京さんが声をかけてくる。
「おやおや、これはまた随分と簡単に口にされてしまうのですな。
このような話を御存知ではありませんか。黄泉の国の食物を口にしたが最後、人の世界には戻れないと……」
「ぐむっ!?」
二口目が喉に詰まる。
つまり、一口目はとっくに胃袋に送り込まれた後でして。
さながら私はぎぎぎぎと古いドアが軋む音でも立てるように、首だけ回して京さんを振り返った。
「……じょ、冗談ですよね……」
「はい、冗談でございます」
あっさり認めた。
おいこら、一瞬味覚が消失したぞ。
勿体無い……じゃなくて、ここでそういうのは洒落になってないから止めてくださいってばホント。気持ちを落ち着かせる為に、私は冷えたジュースをごくごくと乱暴に飲んだ。
「そうしようという目論見が、全く無かった訳ではございませんが」
「……マジで?」
「マジでございます。
都様は上客でした、それも人間という、極めてレアケースに当たる。強引にでも引き止めてしまえば、今暫くの間は、この遊興を長続きさせられるでしょう。
しかしながら、決してそうは致しません。
ルールとして、わたくしは人の世界にちょっかいはかけませんし、何よりあなた様の――人の持つ力は、人の世界で人の手により育ったからこそ、育まれたものであろうと考えます故に。
どうぞ大切になさってください、これからも、それを」
言い終えると、京さんは嫌味を感じさせないウインクを決めてみせた。
まったくもうこの人は、こういう時にまで……。
ほっとしたけれど、出てくる言葉がどれも別れに繋がっているものだと意識すると、ちょっぴり寂しい。
再び促されて、私は料理に戻った。せっかく用意してくれたんだし、今はおいしいおいしいと、夢中で食べまくるのがお礼であり礼儀ってものでしょう、きっとね。
私一人で食べてるのも微妙にやり辛いもんがあるので、京さんにも勧めてみた。気持ちは汲んでもらえたようで、京さんはお皿を取り、控え目に摘み始める。よし。
踊るフォーク、舞い飛ぶスプーン。閃く箸。
私は欲望に忠実に次々と手を伸ばしていったが、どれもこれも最高だった。肉に魚に野菜、豆に米に果物に何だか良くわからないもの、全部が飛びきり上等の味がする。中には口に合わないのがあっても不思議はないのに、少々の好き嫌いなんて打ち消されてしまう程だった。
飲み物もおいしい。前に飲ませてもらったあのお茶ほど強烈なインパクトはないけど、口の中をさっぱり爽やかに洗い流したり、直後の料理の味が一層際立ったりと、やっぱりどれもが、私達の手に入る普通の飲み物とは格が違っていた。お腹が膨れ始めてきた頃、すかさず差し出された水を啜ったら、重くなった胃がふわっと軽くなって、まだまだ食べられそうな気がしてくる。体重やダイエットといった単語を、今夜の私は完全に忘れる事にした。
でも、いくらマジカルドリンクの効果があろうと、残念ながらそのうち限界はきてしまう。
「あー……もう食べられません、降参……っぷ」
各種デザートまでしっかり胃に収めておいて、我ながらこの言い草もないもんだった。
うう、気を抜くと仰向けにひっくり返りそう。十年分は食べた気分……。
山積みの料理は、まだ大半が残っている。
というか減った筈の料理まで、知らないうちに元通りに補充されている。このパーティーが終わったらどうなるのかな、あれ。まさか捨てるって事はないと思うんだけど。
タッパー……はさすがに意地汚いから自重しておこう。
低く唸っていたら、京さんがさっきの水をまた渡してくれる。飲むとお腹がすっとして、だいぶ楽になった。となるとまだ食べられそう……なのもやっぱ自重。きりがない。
ご満足頂けましたかとにこやかに聞いてくる京さんに、それはもう、と頷きまくる私。
あとはお茶でも飲みながら、お別れの挨拶をして、さよならなのかな。
私がそう思っていると、京さんが腰を浅く折り、恭しく片手を差し出してきた。
芝居がかった仕草に、皺の寄った手をまじまじと見つめてしまう。
「えっと……?」
「これで仕舞いでも構いませんが、どうせでしたら、最後にもうひとつ華を添えましょう。
この世界に、人の手が届かぬものは山程存在致します、それを垣間見てみるのも一興でございましょう。どうぞ、お手を」
どうやら、京さんはまだ何か仕掛けを隠し持っているらしい。
ちょっとだけ、迷った。
気にかかる事はある。はっきり語られないその仕掛け内容への不安とか、豪華な会場と素敵な料理を楽しむあまり、つい忘れていた帰宅時間の事だとか。
でも、あくまでもちょっとだけだった。気になるといえば、手を取った先にあるものの方がずっと気になる。このお別れパーティーが目じゃない程の凄い何かを、望めば、私は味わう事ができる。
そう確信できるくらいに、京さんを、私は信頼していた。
私は大きく頷いて、その手に自分の手を重ねる。
節ばった、長い指が私の手を握った瞬間、視界が鮮やかに切り替わった。




