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第漆種接近遭遇ティータイム - 3

新しく満たされた中身を半分くらいまで減らし、体内の毒素が全部洗い流されたように思えてきた頃、不意に、京さんが聞いてきた。気楽な、世間話をする調子で。


「いかがですかな、学校の方は」

「あっ、はい、いいようです」


……自分で言っといて何だけど、いいようですって何よ。

これじゃあまるで他人事だ。うっかりそんな返事になってしまったのは、学校はどう?というのは、学生である私にとって尤も具体的なようでいて、実はとても曖昧な質問だったからだ。勉強はそこまでダメダメって程でもなく、友達関係で困った事もない。素行について注意された事もなければ、部活だってほどほどに頑張りつつ続けられている。つまり、学校生活において真剣に悩んだりしなくちゃいけないような事態に遭遇してなかったので、返事も抽象的になってしまうのだ。

幸せな状態では、あるんだろうけどね。

無難なぶん欠けてる刺激は、京さんのコンビニで充分に埋められている。知らず知らず蓄積していく鬱憤を自然と晴らせているからか、依頼を通して少しは成長したからか、なんか都って余裕があるよねと言われる事も、最近ではあったりする。


「……たぶん」

「多分、と仰いますのは?」

「うーん……」

「何か、悩み事でもおありですか?」


いまいち煮え切らない態度が気になったのか、京さんが聞いてくる。

私も無意味に思わせ振りな態度をとった訳じゃなかったので、適切な言葉を探しながら続ける。


「……悩みって程じゃないんですけど……先が見えない、というか……。私ってこの先何がしたいんだろうなーって、そんな事を考える日が最近増えてて。それが理由で焦るとか不安だって訳じゃないんですけど、でもちょっとモヤッとしちゃうんですよね」


誰かに相談するって程重大な事でもないなーと思っていたのに、一旦口をつくとどうにも止まらない。親にも話した事がないのに、なんて。でもこういうのは逆に、他人の方が喋りやすいのかもしれない。無難に平穏に、つつがなく過ごせていても、それでも日々何かしら思う所は生まれる。

……ん、違う違う。

高校に入って間もなく抱き始めた倦怠感が、京さんとの出会いによって一旦薄まっていたというのに、時間が経過していくのにつれて、また新しく思う所が生まれてきたんだ。

高校は、3年間しかない。終わりが近付いてくればくるだけ、そういうのは増える。3年間と聞くととても長いようだが、実際にはあっという間の出来事。それだけに、終わりが案外近いという事実に気が付いてしまうと、爆発的にこういったモヤモヤが増殖する。焦り、戸惑い、悩み、受け入れられず、道を逸れてしまう人も多いのかもしれない。


「進路の事でございますね」


少し違うかもしれないけど、そんなような気もしたので、私は頷いた。


「見える筈がありませんよ、そんなものは」

「うぉい」


思わず低い声で突っ込む。聞いといておい。

しかし京さんはあくまで真面目な顔だったので、私も睨むような目付きを修正する。


「これだけ様々な見るべき世界が世に溢れ、目に入ってくるのを拒めぬ時代、齢十八の身で進むべき道を確たるものとせよというのは、些か無理がありましょう。

昔の人間達は、もっと幼くして己の道を決めていましたが、それは選択肢が限られていたからの話。手にし得る情報が乏しければ、当たり前に選択は早まります」

「そうですね」

「自由は贅沢ですが、ある意味では厳しくもございますな。まだまだあなた様方は、か弱い雛鳥。迷うのも、決められぬまま進むのも、飛べずに落ちるのも自然なのですよ」


最後にちょっと怖い現実を告げて、京さんは口を噤んだ。

ゲンプク、なんて単語を私は思い浮かべている。

歴史で習った時は、昔の人はしっかりしてたんだなあ、なんて思ったけれど、確かに最初から「お前はこれをやれ」と決められていて、他を選ぶなんて許されない時代に生きていたら、早いうちから気持ちは固まっていくのかもしれない。だって、迷いようがないんだもん。将来が決め付けられているのは、ある意味じゃ楽で幸せな一面を持つのかもと、この頃になると考えさせられる。

京さんが、自分のカップにお茶を注ぐ。もう、あまり残っていなさそうだった。


「都様ならば、心配はないでしょう」

「へ? そ、そうですかぁ?」

「迷う事、遂に道を見付けられぬ事あろうとも、踏み外し、零れ落ちる事だけはないと断言できます。

平気で妖怪の間に割って入り、彼らを見ても動じぬ肝の太さ。その度胸があれば、大抵の退路は目前に現れますよ」

「進路じゃなくて、退路……」

「逃げ道は大切です。何につけても」

「……けど、度胸だけじゃ叶わない事は多いんじゃないですか」

「ええ。とはいえ、度胸は紛れもなく生命の基盤となる要素にございます。絶望へと落ちかけて尚、細い光が何処かにあらんやと食らいついてゆくのは、度胸なしにはあり得ませんから」


ずいぶん確信に満ちた目で、京さんは言った。


「そしてその無駄な度胸に加え、後先を考えぬ無鉄砲さ。他人の迷惑を顧みぬ傍若無人さ。人としてあるまじき適応性。それらを今後も保ち続けていけば、辛酸を嘗めようとも生きるという手綱を手放す事にだけはならないと――」

「京さん私の事嫌いですよね!? 嫌いですよね!?」

「いいえ、賞賛しております。

それらはいずれも生きる事の根幹に関わる性質でございますが、生き汚いというのは、とても有用なる能力なのですよ。いずれ近い将来に必ずや、都様にも実感を伴ってお判りになる時が来るでしょう」


近い将来に判るって事は、いろいろ苦労をする日が必ず来るって言われてる事であって、なんだか複雑だった。事実、そうなんだろうけどさ。働き始めたら何かと大変だってのは、お父さんを見ていれば分かる。


とにかく、京さんは私の底力的なものに太鼓判を押してくれたようだった。もうだめだと他の人が思ってしまう所でも、きっとまだまだ打てる手があるはずと考える力。度胸や適応力はともかく、無鉄砲だの傍若無人だのと聞くとあんまいい印象は受けないけど、ぎりぎりの極限状態で生きる手段を見付けるとなると、そのぐらい突き抜けてる要素が必要なのかもしれない。

……願わくば、そんな状態に陥りたくはないんですけどね……。

まあ、人生一寸先に何が待ち構えているか分からないものだし。

そうなった時に決して負けない、へこたれない人間ですと保証してもらえたのは、頼もしいといえば頼もしい。


私はお茶を啜った。うーん、甘露甘露。

ちょっとずつこのとんでもなさに慣れてきたとはいっても、溜息が出てしまう芳醇さは一向に変わらない。こういうのが手に入るって羨ましいな。ちらりと思いながら、私は京さんに横目をやった。京さんは目の前の、鳥居の向こう側にある細くて淋しげな道路を見ている。整えられた白い髭から覗く唇が、しみじみとした息を吐き出した。


「……この街へ来て、じきに一年ですか。早いものですなァ」

「早いですよね。私もさっき京さんに会う前、そう思ってました」

「おやおや。あなた様くらいの歳では、むしろ時間の過ぎるのは遅く感じるかと思っておりましたが」

「いろいろたっくさん、夢中になれる事がありましたからね!」


私は少し胸を張って、京さんを見た。

これまで自分のこなしてきた依頼の数を、内心指を折って数えてみる。

それは改めて、結構な数になっていた。

人間っていう、妖怪と比べたら無力な生物にしては、それなりに貢献したと言い切れそうなくらいの数。

京さんは私を静かに見下ろしながら、遠い記憶を手繰るように、ゆっくりと話し始めた。


「……正直な話、些か店というものに新鮮味を失いかけていた時でもあったのですよ。コンビニエンス・ストアという形態にしてから、そこまでの時間は経っていないとはいえ、店を構えて各地を回るという試みは、それなりに長く行っておりましたからね」

「……そうなんですか?」

「飽きつつあったのでしょう。

ですがこうして予想外の珍客を迎えられ、我々妖怪にはまこと貴重な、波乱を味わえました。そしてまた、こういう事も起こるのだという、可能性も。

わたくしにとって、どれだけ有難い事であったか」


期限がないぶん、逆に悩む事もあると京さんは言った。

時間が来れば、嫌でも前に進んで自分の道を見付けなきゃいけない人間と違い、妖怪にはそんな制約はない。いつ何をやってもいいし、いつまで何もやらなくてもいい。一見それは自由で羨ましく思えるが、逆に、何をやろうが何も生み出さないという事でもあった。何をしても、自己満足以上の結果は得られない。何故ならそれは最初から、する必要がない行為なのだから。

義務を持たない存在が、報酬を得る事はない。

結果、虚しくなり、いつしか何もやらなくなり、自分の置かれた状況を理解できる高等な妖怪ほど、徐々に精神をすり減らして無感動になっていく。

私が、そこへ飛び込んだ。

予期せぬハプニングだったには違いないけど、お店にも少しずつ飽きてきていた京さんに、新しいひとつの可能性――まだまだ意外な事がある、ってのを示したのも、また間違いなかったらしい。

続けてみるものだと思いましたよと口にする京さんに、私は、よかった、と素直に喜んだ。私は私の好奇心の為にワガママを通しっぱなしで、たくさん迷惑をかけたりお世話になったりしたけれども、実はそれらも心の栄養になっていたっていうんだったら、こんなに嬉しくて、ホッとする事はない。


飽きずにそんな真似を繰り返して、とうとう一年。

本当に、早かった。


「やっぱり、行っちゃうんですよね」

「ええ」

「次の行き先を……教えてくれたりは……」

「次に何処へ行くのかは、決めておりません。

此度この地を選んだのが偶然ならば、時至りて流れ行く先もまた、風任せでございます」


それは京さんが教えてくれたお店の方針であり、私の問いに対する静かな拒否でもあった。

わかっていた。

わかっていたけれど、ちょっとだけ期待もしてた。

出会いは一期一会だと、前に聞いた事がある。だからこそ、その瞬間の出会いを心から大切にしなさいと。

私は、大切にできていたんだろうか。

大切にしていたと、京さんに思えてもらえていたんだろうか。

何となくそれ以上は聞けず、他の話題も見付からず、無言の時間が流れる。

私は少しだけ残っていた中身を飲み干し、お礼を言って、水筒の蓋を京さんに返した。不思議な事に、この寒さに暫く晒されていたというのに、お茶は最後までちっとも冷めていなかった。

京さんが、すっと立ち上がる。動いた気配を感じなかった程の、相変わらず憎らしいほど綺麗な動作だった。


「それでは、わたくしはそろそろお暇致します。都様は?」

「私は……そうですね、もう少し」

「然様でございますか。ここには悪しきものの気配は感じられませんが、あまり長居はなさりませぬよう。じきに暗くなれば、寒さはより増しますので」


私は座ったまま小さな会釈を返して、立ち去る京さんを見送る。

一人になると、急に寒さを意識した。それを狙っていたかのように、風がぴゅうと首筋に吹き込んでくる。

もうじき一年。あの冬から一年。

忘れていたようで、忘れていなかった現実。

くすんだ紅色の鳥居を潜って去っていく背中に、私は、すぐそこにまで迫っている別れの時を感じていた。


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