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第陸種接近遭遇キッチンナイフ - 11

足取りからも肩からも、重しが外れたようだった。

というとお気楽凱旋みたいだが、実のところ、私は今回の件が片付いたかどうか自分でも分かっていない。ただ、私のやれる事とやっていい事はやってきたと思っている。

あれ以上は、やろうったって出来ない。自分の中で一応の区切りがついたから、引っ掛かっていたもやもやが消えたんだろう。

私は、京さんにお守りを差し出して、お礼を言った。


「お守り、ありがとうございました」

「使わずに済み何よりでございます。発動していたら相手が消し炭になっていた所でした」

「ちょっと!?」

「冗談です。消し炭になるのは、都様に関しての記憶でございますよ」


心臓に悪すぎる爆弾を超真顔で落っことしてくれる京さんに、私はレジカウンターに突っ伏して大きな息を吐く。殺人犯の元に事情を探りに向かった結果、新たな殺人犯作成だなんて洒落になっていない。まずそもそも前提となる、殺人犯の元に向かうって条件が、まったく洒落になっていないんだけれども。


「加えて申し上げますならば、発動していたら、というのも冗談でございます。

……既に発動済みでございますので、相手の御方に対して」

「へっ!?」

「事が事ですので気を緩められては困ります故、あえて伏せさせて頂きました。

害意を抱かれようと抱かれまいと、最後に相手方の記憶は消去するようにしてあります。都様の意識に同調し、目標補足へ転じると同時に発動。距離と時間とを媒体に設定し、一定距離の確保並びに会話終了後一定時間が経過後……と詳細な条件指定はこの際省くとしまして、とにかく今頃は、都様と出会い、会話をした記憶はすべて忘却の彼方でございます」

「そ、そんな細かい事までできるんですか……すごいですね。妖怪ってホント何でもありって感じ」


今更ながら私が京さんの力に驚くと、なんだか微妙な表情をされた。

あれ、すごく褒めたつもりだったのに。

普段とほとんど変わらない顔のようで、私には分かる。

一見、私の感想に笑ったようでありながら、どこか寂しそうな陰のある顔だった。

うーん、何だろう。京さんにも、自分の能力についての思う所が色々あるのかな。

と、そんな私の表情は表情で、向かいの京さんに見られてたらしい。気を取り直すように、京さんが言った。


「ですので此度の件が、向こう様の人生に影響を及ぼしてしまう可能性に関しては、どうぞご心配なきよう」

「……そういうトコまで考えてくれてたんですね……大切なこと、全部忘れてた私と違って」

「途中で思い出されたのでしょう? まったく迂闊な事でございますよ。

わたくしとしましても、取り返しのつかぬ事態に陥り焦燥する都様を見物する意図はございませんでしたので、勝手ながら裏で手を打たせて頂きました。どうぞご無礼、ご容赦の程を」


いや、ご容赦とかとんでもねーです。

それが一番堪えた事だった、と私は正直に白状した。

だいぶ慣れてきた頃に大失敗をしでかして、初心に帰れ、と反省する。

自分に対しては、それでいい。でも、他人や周囲に対しては違う。

失敗した結果が、京さんの言うように取り返しのつかない事態を招いてしまってたら、自分は初心に帰れで反省して成長して終了としても、そんなものに巻き込まれた側はどうなる。


「一度の過ちで完璧に学び切る事は、内容如何に関係なく、実は難しい。

ですが二度繰り返せば――それでも完璧とは申し上げませんが、だいたいは慎重になれます。

二回とも最後はうまくいったのだから次もうまくいく、と妙な自信をつけて開き直る者もおりますが、都様はそうではありますまい。思い出された時は、さぞや肝が冷えたのではありませんか?」

「ええそりゃもう、このまま失神するんじゃないかって程に冷たい感覚が……」

「開き直った方面に行かれるなら行かれるで、わたくしにとっては面白い展開なのでございますがね。まァ今回の制止は、年寄りからの特別サービスという事にしておきましょう」


何だかんだでサービスの多い店だ。いや店長だ。


「それとは別に、ひとつ宜しいですかな」

「あ、はい」

「この問いは単純に、わたくしの疑問及び好奇心でございます。

都様は、己の行為がその御仁に及ぼす影響を思い出した時点で、次の考え方を選ぶ事も出来たかと思います。

『人殺し如きの人生が、どう滅茶苦茶になろうとまあいいや』

あるいは『知った事か』あるいは『むしろ苦しめ』

とうとう最後まで、そうお考えにならなかったのは何故でしょう?

なにゆえ同族殺しの身を案じておられるのでしょう?」

「それは……」


完璧に整えられた口調と表情で、この爺さんはとんでもない事をさらっと聞いてきやがりますよ!

ただ内容はとんでもなくても、困った事に京さんが真剣に知りたがってるのも伝わってきた。

……厄介な好奇心もあったもんね……つくづく、私と同じで。

そんな訳だから私も、ちゃんと真剣に考えた。

でも残念ながら、精一杯頑張って真剣に考えても、分からない事というのはある。


「……すみません、わかりません」

「わかりませんか」

「わかりません。

って言っても、あの人にはそういう気持ちにならなかっただけで、

他のひとご……犯人に対しては、そう思う事だってあるかもしれません。

だから、私が人道主義者って訳じゃないですよ」

「成る程、いい加減なものでございますな。……ああ失礼を、責めているのではございませんよ」

「代わりに私からもひとつ、いいですか京さん」

「はい、なんでございましょう」

「私のバカな好奇心と見当外れの情熱で、他人の人生を台無しにしちゃう危険があるのは、最初の依頼を引き受けさせてくれた時だって同じだったですよね。で、どっちも事前に教えてくれなかったのも同じ。けど今回、アフターケアは黙って完璧にしてくれてました。それは……どうしてですか?」

「……はて、先程申し上げたかと……」

「ですから、そうしようと思った動機は……」

「ああ、それでしたら極めて簡単な話でございます。

初めと現在とでは、わたくしの都様へ関わる度合いが異なります故に。

価値を見出したものには、自然と手間を割きたくなるのですよ。ここは、わたくしも人間とさして変わりがありません」


あ、どうも、と私は微妙に言葉を濁す。

嬉しいといえば嬉しいんだけど、微妙に恥ずい。

まぁそうなのかなーとは、質問する前から思っていた。でも言われてもいないのに、あの時より親しくなれたから助けてくれたんですよねと決め付けてしまうのは、図々しいというか。

……図々しいってのこそ、今更すぎだけどさ。

京さんは、カウンターに乗せっぱなしだったお守りを指先で摘み上げ、私の目の前で左右に揺らす。そんな仕草でさえ、いつもながら上品だった。


「ついでですので、申し上げましょう。

お守りの効果は、都様に対して発動させる事も可能でございます。

大事に至らなかったとはいえ、後々まで此度の経験を引き摺ってしまうのがご不安でしたら、今この場で記憶を消し去るのも一手でしょう。いかがなさいますか?」

「このままで」


そこだけは、私にも迷わずに答えられた。


「……難しすぎる問題を考えるのは、京さんから言われた通りに、もっと私が大人になってからにします。

ひょっとしたら、大人になった頃にはそんな事ころっと忘れてて、他の事ばかり考えてるかもしれません。ただ将来どうなるにしても、記憶だけは持っておきます。あと、もう二度とこういう事はしません」

「然様で。では、そのように」


京さんは一礼して、簡単に私の選択を認めてくれた。

閉じ気味の瞳がどこか満足そうに見えるのは、もしかして私がこの返事をするのを望んでいたんだろうか。そんな京さんの反応も含めて、私も、この選択をして良かったと、そして正しかったと思う。

今回の依頼を考えに考え悩みに悩んで引き受けた事が正しかったのかは、終わった今でもはっきりしない。というか結果と関係なく、引き受けたのは間違いだったと思える。たかが高校生如きが、踏み込んでいい件じゃなかった。

でも、やった事を忘れず、たとえ判断がずっと先延ばしになろうと、その時まで自分の行為の記憶を持ち続けるっていう選択だけは正しいものだと、私は自信を持って言える。


「……それでですね、京さん。

実は私、箱の中身を確認してないんです。だから正しくは成功報告に来たんじゃないんです。包丁の想いは満たされたかもしれないし、満たされてないかもしれません」


幾らかの後ろめたさを抱えながら、私はバッグからそっと箱を取り出した。

京さんが厳重に梱包をしてくれた木箱は、あの日に手渡された時と何ひとつ変わっていなく見える。これでもかと厚く詰め物をしてあったから、中身が揺れて音が鳴る事もない。重さが変わった感じもない。

手付かずの箱は、完全な密室だ。開けるまで成功か失敗かの解答は、謎。

なんかそんなような話をどっかで聞いたような……。

慎重に、京さんの前のレジカウンターに箱を置く。ことん、という小さな音を立てたのにさえ、緊張した。


「ごめんなさい。これじゃ、京さんにいっぱい面倒かけてまで、何の為に行ってきたのか分からないですね」

「しかし、何も考えずに戻ってきたという訳でもないのでしょう?」


京さんは、私が中身を確かめなかった事を責めなかった。

それどころか、私を信用するような事を言ってくれる。信用は最大の鎖って言うぞ、この策士め!

……と冗談は置いといて、その通りだったので頷く。

一切の当てもなく、迷惑だけかけて帰ってきた訳じゃない。といってもその当てが我ながら非常に頼りなかったせいで、自信に欠ける報告になってしまったのだ。

想いが満たされていても、満たされていなくても、あれ以上の私にできる事は正真正銘のゼロだった。中身がどうなっていたって、私は帰ってくるしかなかった。だから、もし失敗なら、それを見るのを先送りにしたい逃げの気持ちがあったのが、あの場で中身を確かめなかった理由のひとつ。

そして、もうひとつの理由は。


「私は、この包丁を持ってあそこにいました。あの人の話を聞きました。

ひとりの人の過去と心に触れて、答え……と言えるのかは分かりませんけど、最終的に、ひとつの気持ちに落ち着きました。だから、私とこの包丁が同じ話を聞いていたのなら……」

「開けてみましょう」


私が口を噤むと、京さんが木箱へ手を伸ばした。

繊細な指先が、手際よく包装を解いていく。あっという間に、カウンターには剥き出しの木箱が現れた。

そっと蓋が退けられる。私と京さんは、揃って中を覗き込む。

そこに包丁の姿はなく、朽ちた木片と、散らばる金属の粉末がサラサラした銀の光を放っているだけだった。


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