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第陸種接近遭遇キッチンナイフ - 8

どんなに遠く思える場所でも、本気で行こうとすれば一日あれば行けてしまう。国内はもちろん、大抵の海外だって。その程度には、現代ってやつは便利にできている。まして京さんの依頼は、あくまで私の推測とはいえ、店の近場にあるものからチョイスされるのだから、尚更目的地に着くまでの時間は短い。だから私でもチャレンジできて便利だと今までは思っていた事を、今はちょっと参ったなぁと思っている。

自分で希望した事なのに、もう避ける訳にはいかないのに、むしろ早く着かなくちゃいけないのに、まだまだ着いて欲しくない気持ちが、電車に乗った時からずっと続いてるのよ、これが。高校受験の発表の時に味わった感覚に、似ていると感じた。あの時とは状況が違いすぎるし、ぶら下げている荷物のずっしりとくる重みも、別の意味で違うけれども。

駅へ降りて、固いホームの感覚を靴底に感じた時、ああ、と私は息を吐き出していた。

隣県。初めて来る県だった。


改札を潜って外に出る。

今日も秋風が気持ちいい、風だけは。

駅の中と外ってのは、分厚い壁で区切られてなくても、なんであんなに空気が違うんだろう? と、そんな事でも考えてないとやってられないくらい、私の中では緊張が高まっている。足がとても重い。思わず、乏しい予算をやりくりして、あそこの高級そうな喫茶店で休憩しようなんて誘惑に駆られるほど。

ええい、この期に及んでグダグダしてんな私!

行って、何とかできそうならそれで良し。失敗するならそれで良……くはないが仕方がない。

っと、そうだ、不在って可能性も考えておかなきゃいけないんだった。暦通りに休日がある人ばかりとは限らないし、休みなら休みで出掛けている事も普通にあるだろう。そしてまた、自然にそういう展開を期待している自分にハッとする。

見苦しいぞ!と小声で自分を叱りつけて、私は止まっていた歩みを再開した。

そんなに遠くはないので、駅前から出てるバスじゃなく、歩いていってみる事にした。その間にまた決心が鈍る危険もあるが、逆に、疲れて余計な事を考えずに済むようになっているかもしれない。


歩く事、暫し。

時々メモを見ながら進み、それらしき場所に到着した。

一度目は、この辺りかと思いながら通り過ぎた。

そのままちょっと先へ進んでから、もしかしてあれじゃないかなと疑いながら振り返り、視線で道を辿ったのが二度目。

踵を返し、ちらちらと横目で伺いつつ、再び通り過ぎた三度目。


あの家だ、間違いない。


四度目で確信して、建物2件分離れた場所から、緊張した目でその家を見つめた。

それにしても、てっきりアパート住まいだと決め付けていたので、一戸建てだったのはかなり意外だった。まあ一戸建てって言ってもすごく小さくて、言っちゃ悪いがみすぼらしいんだけど……。

実家なのか、借家なのか。ひとりで暮らしているんだろうか。


(さて……どうしたらいいんだろ……)


チャイムを押すか。

いや、そもそもチャイムがあるんだろうか、あの家。そう疑っちゃうぐらい、ボロい。それにチャイムを押して出てきてくれたとして、それだと状況的に玄関先か、下手すれば家の中で話をする事にもなりかねず、それは正直怖いし避けたい。勝手な話だが、正直に。

できれば家の中から出てきてくれて、辺りに他の人がほとんどいなくて、かつ見通しの開けた場所で、

話が始まる、そんな狙ったような展開になってくれればと思うんだけれど……。


結局、次にどう動いたらいいかが決められないまま、道をウロウロと行ったりきたりしていたら、気が付けば30分が過ぎていた。私はまた溜息をつき、一旦ここから撤退して考えを練り直す事にする。なにせ初めての町だけに時間を潰せそうな場所に心当たりもなく、私は来た道を駅に向かって戻った。

ファーストフード店で一回休もう。あそこならお財布にも優しい。

疲れを抱えて歩く私の手には、バッグに入った例の荷物がぶら下げられていた。


という事で、本当に駅近くまで戻ってきてしまった。明るくて賑やかな店内で、一人で緊張と焦りに捕まりながら、ぷちぷち携帯を弄って30分。


……はあ、何やってんだろう、私って。


時間潰しの手段も失くして、私は席を立って店を出る。

休んだおかげで足の疲れは消えたが、事態は全く進展していない。むしろ制限時間を自分で減らしてる始末だ。

飲んだコーヒーの感覚がお腹から消えた頃、私はまた、あの家が見える場所に立っていた。もう後が無い。ここでもし再び引き返したら、三度、この場所に来る事は絶対ないのは自分でも分かっていた。

さりげない風を演じて、家へ近寄る。横目を意識しつつ、玄関前を通り過ぎる。やや行った場所で立ち止まる。

あまりにも気持ちが高ぶっていたからだろうか。嫌でも激しく打つ心臓の音に紛れていたからだろうか。後ろから遠慮がちに声を掛けられるまで、私が全然その存在に気が付けなかったのは。


「あの……」


飛び上がりそうになった。

実際飛び上がっていたし、悲鳴のような声も出たと思う。相手も私のそんな反応で驚いていたようだから、お互い様――いや、この場合は向こうが完全な被害者だろう。

息を呑んだまま振り返れば、そこには、ひとりの男性が距離を取るようにして立っていた。明らかに私の反応と存在に引いている、が、逃げたりしようとはしない。


「どうしました?」

「え」

「少し前からいたけど、何か用ですか?」

「あ」


見られていた。その激しい動揺で、うまく喋れない。

そりゃ、この人のやった事を考えれば、他人からの視線には過剰なほど敏感になってる筈だ。しかも私は、合計すれば1時間近く家の周りをうろついていたのだから、怪しまれて当たり前だった。ただの不審者扱いじゃなく、もしかして自分に用事があるのか、自分を知っているのかと思った可能性もある。


普通の――男の人だった。

人を殺したかもしれないだなんて、見ただけじゃ絶対想像できないような。

髪型も平凡。顔も平凡。ちょっとだけ太り気味に見える。年齢は、うちのお父さんよりは若く見えるけど、ある程度を過ぎた男性の年齢は読み取るのが難しい。町で見かけても、お店で見かけても、なんにも気にせずに横を通り過ぎてしまう、平凡で善良な市民。

そんな印象の、そんな印象しかない男性だった。


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