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第壱種接近遭遇ティーカップ - 4

私の後ろにいたそれには、頭がなかった。正確には、頭に見える部分がなかった。

虫みたいな胴体に、丸いトレイのようなものが乗っていて、そこには、一周り幅が小さい真ん丸の目玉が、これだけはやけに人間っぽい動きで、ぎょろりと私を見ている。鞄を投げ捨てなかったのは、奇跡だった。火事の家から枕だけ抱えて逃げ出すようなものか。

叫びながら、体はオートでドアに向かって駆けようとする。別に「本当に妖怪が出た!」とか、そんな単純にして複雑な思考の末に逃げた訳じゃなかった。ただ変なモノをいきなり見て、反射的に体が動いただけだ。せいぜいドア付近まで逃げて振り返るか、最悪ドアの外まで行って数歩進み、そこでやっと冷静になって、こわごわ中を確かめに戻ってくる程度の。

そこに、鋭い制止が飛んだのだった。


「お待ちを!」


その瞬間、ピタッと、魔法にでもかけられたように足が竦んでしまう。

驚いて止まったのとは違う。小学生の時に、先生に怒られた時のような――いやもっと違う、例えていうなら、そう、本当に、魔法のような力が働いたみたいに、私の両足は床に張り付いて動かなくなった。

あんまりの急な変化に、私は叫ぶのさえ忘れてしまい、こわごわとそちらを振り向く。

そこには、さっきの爺さん、もといお爺さんが、さっき通りに立っていた。

ついでに、化け物もそのままいた。

離れたおかげで思いっきり全身が視界に収まってしまい、うっと私は呻く。

コンビニレジを挟んで向かい合う、紳士然としたお爺さん店員と化け物。異常だった。ここら辺でレジ裏からカメラを構えたスタッフが現れて「ドッキリでーす!」とでもやってくれれば、ムカつきながらも笑って済ませられる展開だったっていうのに。


「大声を出してしまい、失礼を致しました。

しかし、迂闊に外に出ては危のうございます。

ここは既に逢魔路、万一悪意ある彼らと出くわせば、命の保証はできません。

……少々、お待ちください。安全に戻れるよう、手配致します」


穏やかに微笑んで、お爺さんは浅く頭を下げた。

喋ってる内容は相変わらず意味不明だけど、かといって他にどうする事もできなくて、私はあっちへこっちへウロウロ目をやったあと、最終的に、諦めてその場に突っ立ったままでいるのを選んだ。途端に、なんだか床に張り付いていた足が一気に軽くなった気がした。気のせいだろうけど。

さっきの洗面器目玉プラス虫の化け物は、皮のようなものをずるずる引き摺りながら、他の棚に歩いていった。仮装、キグルミ、と言い切るには、質感がリアルすぎる。なんか液体まで出てるし……服に付いてないよね?

最近の特殊メイクが凄いとしても、そんなものしてコンビニに来る理由はゼロだ。つまりアレは……いやいやいやいや。


化け物の姿が完全に消えるまで見送ってから、今度は、ピ、ピ、とレジを弄っているお爺さんの方を見る。

そうこうしているうちに、だんだんと私も落ち着きを取り戻してきた。

落ち着いた人が横にいると、こっちも落ち着いてくる効果、ってやつ。正しくは何て言うのか知らない。

それに、このお爺さんの見た目には、なんとなくリラックスできて、頼れるものがあった。こういうのを年の功っていうんだろうか。

まあ、そんな落ち着ける見た目で妖怪がどうのこうの言い出したからドン引いたんだけど、妖怪の話は抜きにして、この人は悪い人じゃないように思えてきた。確か、安全に、ってさっき言ったし。いや、妖怪ってのが本当ならそもそも人じゃないんだけど……いやいやいやだからそれは……。


「あの……」

「はい、何でございましょう」


後から自分で聞いたら絶対笑っちゃうぐらいの、しおらしい小声に、お爺さんはちゃんと返事をしてくれた。

相変わらず穏やかに微笑みながら話してくれる事に、思わず状況を忘れて微笑み返しそうになった時、横からにゅっと人影が現れて、私はまたしても短い悲鳴をあげる羽目になった。


(なによこれ、魚!?)


半魚人ってか魚だ、これは。そして何よりも、足が、ない。

足のあるべき場所に風船みたいな物が沢山ついていて、それで宙に浮かんでいる。

駄目押し。決定的。

魚はうるさそうにジロッと私を睨んで、レジに何か変な緑の塊を差し出した。

お爺さんがバーコードリーダーを当てると、魚はその変な塊を持ち、私の横を通って店を出ていった。ちなみに会計はしていない。


「失礼致しました。何でございましょう」

「ええと……」


何か、パニックが一周回ってどうでもよくなってきた。人、それを開き直りと呼ぶ。ああそうそう、妖怪専用のコンビニね、はいはい、ってなもんよ。

それにほら、衝撃で頭からすっかりぶっ飛んでいたが、考えてみれば、これって私の望んでいた非日常展開そのものじゃないの!

……いや、こういうのを望んでた訳じゃないと思うんだけど。

妖怪。妖怪か。あんまり人前で口に出したくない単語だったが、今はそれを使うのが一番適してそうだった。


「ようかい……の、コンビニってのは……」

「はい、妖怪のコンビニでございます」

「……私、人間ですよね?」

「はい、人間でございます。余程高等な御方が、人間に化けておられるのでない限りは」


自分でも何を聞きたいのか今ひとつ固まらないまま、とりあえずその場しのぎの言葉で会話を繋ぎつつ、私は密かにレジ周りを観察する。コンビニらしさの象徴である、肉まんとかが入ってるあのボックスもあった。中身は肉まんってか肉で、何の肉なのかは――深く考えない方が、たぶん今夜のご飯がおいしく食べられる。

それからふと、何気にものすごく重要な事に気付いて、私はじいっとお爺さんを見つめた。

妖怪のコンビニなんてのを、やってるって事は。

無駄に洗練されまくった佇まいは場違いといえば場違いだが、それでもやっぱり、人間にしか見えない。

と、さすがは年の功。私の視線の意図をきっちり汲んでくれたようで、微笑を深めて言った。


「はい、わたくしも妖怪でございます。

このような姿をしておりますのは、店の雰囲気作りの一環、つまり趣味、でございます」

「……そうでございますか」

「はい、然様でございます」


その割には服装がコンビニからずれてるけど、まぁ細かい事は突っ込まないでおこう。

ええとつまり、まとめると。

ここは妖怪専用のコンビニで、この店員の紳士風お爺さんもやっぱり妖怪で、んで、コンビニっぽい雰囲気を出すために人間に化けていると。

まとまってない、意味がわからん。

ああ、頭がクラクラしてきた。もういっそ何か、若さ故の好奇心から愚かにも道を踏み外してしまった私が、うっかり手を出したドラッグや飲酒のせいで見てる幻覚って事にした方が、よっぽど平和な気がする。一度限りの過ちと妖怪コンビニと、どっち選ぶかっていったらまだ前でしょう誰だって。


「……でも私、人間なのに入ってます」

「それは、あなた様が第三の目をお持ちだからでしょう」


あくまで真面目に、優しく答えてくれるお爺さん。

また怪しい単語が出てきた。確か、さっきもちらっと聞いたような気がするぞ。

その、絶対に人前で口にしない方がいい的な単語パート2を。


「第一と第二は、あなた様が生まれつきお持ちである両の目。第三の目とは、肉体の器官にあらず。形を持たぬ、この世ならざるものを視る為の目。

これは人間だけではなく、わたくしども妖怪においても概ね同じでございます。

格段に力のある者となると、第八や第九の目までを持つ御方もいるとか。更には第十の目さえもあると聞いておりますが、これなどは神話の域でございますな」

「お爺……店員さんは、いくつ持ってるんですか?」

「さて、どうでございましょうか」


思わず話に乗って聞いてしまったけど、これはハッキリと答えてくれなかった。


「野の獣や鳥であれば、大抵は三か四の目くらいまでは持っているものなのですよ。あなたがた人間も、昔はそうでした。今は……他のものを見るには、人の世界は眩しすぎますからな」


もっともわたくしは、その眩しいものを真似ている訳でございますが。

そう続けて、お爺さんは笑う。顔の皺が深くなり、影が濃くなった。


「でも私、今までそんな……妖怪だのお化けだのなんて、一回も見た事なかったですよ」


見た事がなかったから、ハプニングが起こらないかなーなんて期待していたのだ。これは予想外すぎたけど。

お爺さんは、ちょっと考えるように顎に手を当てて、私の目と目の間を見るようにして止まった。顔を真っ向から凝視される機会ってそうそうないんで、結構、居心地が悪い。


「それに関しては、当店の影響だと考えられます」

「……? どういう事ですか?」

「この類の力というのは、他者の力に触れている事で、影響を受けて高まってしまう場合があるのです。

わたくしがここに引っ越してきたのは、人の暦でちょうど今月の頭ほど。

その服装、学校帰りでございますね?」


私は頷いた。


「ここからは推測でございますが、それから今日までの間、あなた様はこの道を通る度に、繰り返しわたくしの力に”当てられた”のでございましょう。お気付きにならなかっただけで、何度も何度も、あなた様は当店の前を通り過ぎていたのでございますよ。そうした日々の影響が積み重なり続け、本日ついに、第三の目の開眼という形で現れた、と考えられます」

「――って、この店のせいじゃーん!!

こんな人通りの多い場所に作らないでよ、そんな危険なコンビニ!!」

「そう仰られましても、ここが地形、気の流れ共にベストだったのでございます。

それに、いくら頻繁に力に触れていたと言いましても、開眼まで行くような者は非常に稀でございます。そして仮に第三の目が開いたとて、この店へと続く”道”は、迂闊に迷い込む人間が出ないよう、わたくしが多少捩じ曲げておきました故に、生粋の妖怪か、相応の実力ある人間か、余程わたくしの持つ力と波長の合う人間でない限り、入る事ができません。

……ここへ来る途中、薄い霧を見ませんでしたかな?」


見た、と答えた。


「あの霧は、にわかに目覚めた程度の人間には見えない筈です。

まあ何でしょう、あなたの持ち合わせた素質が、わたくしの力に触れ続ける事によって非常に低い確率で花開き、更に今宵、この通路との波長がたまたま合った結果、偶然に迷い込んでしまったのでございましょう。

一言で纏めると、運が悪かった、と、こうなりますな」


そこはまとめないで欲しい。澄まし顔で。

真面目で上品そうに見えて、どっかトボけたところもあるお爺さんだ。

まあ、化けてる……そうだけど。

そこで、ひとつ嫌な可能性に気が付いて、やめとけばいいのに私はつい聞いてしまう。いつか絶対事故ると思う、この性格のせいで。


「ここに着くまでに、その、さっきみたいな妖怪……と出会ってたら、どうなってたんでしょう。私、もしかして食べられちゃってた、とか……?」

「そうした行為を好む者もおります」

「うぇっ、やっぱりっ!?」

「ですが、この店内においては、そのような暴力沙汰は決して起こりませんので御安心を」

「なんで起こらないんですか?」

「わたくしが、それを許しません故」


微笑したまま言うお爺さん。

何かちょっと怖いぞ。


「とはいえ、ここを訪れる程の知性と理性を持つ妖怪が、人間を襲う事はまずないでしょう。先程は、わたくしも少々先走ってしまいました。なにせ、人間の来訪は本当に久方振りでございましたので」

「初めてって訳じゃないんですね……けど、どうして?」

「このような時代ですので、妙な事があれば、即座に妖怪退治の専門家達に伝わってしまうのでございます。電話に、メールに、インターネットにSNS、ですか。加えて、交通機関の発達。

昔は、悪さをしてから広まるまでに時間がかかったものですから、その間に逃げてしまえば良かった。今は、早ければその日のうちに来ます。仕事の早い業者という評価が得られるそうで、商売上の宣伝になりますから、向こう様も必死でございますよ。いやはや、大変な時代になったものですな」

「……なんか、妖怪の世界もいろいろあるんですね……」


あと、世界って広いと思った。

妖怪退治の専門家って。

……やっぱり人間がやってるんだろうか。ナントカ霊能者みたいな。


「なに、これも時代の流れというものでございましょう。

……さ、もう出ても大丈夫でございますよ。通りの出口と繋いでおきました」


そう言って、お爺さんは優雅にドアの方を指し示す。やっぱコンビニって空気から浮いてる。

うーん、何かしたのかな。分からなかった。レジ打ってたくらい?


「以後夜間は、この辺りに近寄らない方が宜しいでしょう。

ご不便をおかけ致しますが、迂回をしてご帰宅なされるのをお勧め致します」

「それって、どのくらいの間ですか? もうこれからずっと?」

「ひとつの町に、一年間。それがルールでございます。その間は、どうぞご辛抱ください」

「……一年の理由は?」

「特に意味はございません。自分なりの取り決めでございます」


そしてこれもやっぱり真面目なような、トボけているような返答。

でも、この頃には何となく私にも予想がついた。姿と同じ、趣味、ってやつなんだろうって。確かに何の決まりもない遊びは逆につまらないもんね、なんて思わず同調。


「それから、もうひとつアドバイスを。

今後、もしもおかしなものを外で見ても、近付かない事です。

見えるようになってしまったのは仕方ありませんから、安全のためには、避けるのが一番賢い」

「それって、霊感が付いちゃったって事なんじゃ……」

「もしも、の話です。見えるからといって、滅多に出くわすものではございませんよ。それにわたくしの見立てでは、あなた様の力はとてもとても弱い。

先程も言いましたが、ここへ来れたのは、たまたまわたくしの力とあなた様の波長が合ったからです。他の事に対してはほぼ無力と見るべきで、関わらずにいれば、おそらく第三の目もじきに自然に閉じるでしょう」


どうもその第三のナントカ(素で呼ぶには抵抗がある、まだ)は、開くのと同じく、閉じる事もあるようで、ちょっと安心できる一言だった。って早くも信用する気になっているのがおかしいけど、この人は嘘は言ってないんじゃないかって思える。騙して危ない方へ行かせようとするならともかく、危ない方へは行くなって騙したって、何の徳もしないし。

私はお礼を言って外へ出ようとして、ふと思った事を言ってみた。


「妖怪も、自動ドアって使うんですね」

「ああ、あれですか。

人間のを真似て、わたくしが作ってみたものでございます」

「作ったって……」


と、妙な気配に視線を移動させれば、ガラスのドアの上には、青白い火の玉がふたつ張り付いていた。新しい客が入ってくると、その火の玉が、それぞれ左右にドアを引っ張って開けている。


「よく出来ておりますでしょう?」


たぶん、その火の玉と似た顔色になっている私に、お爺さんはそう言って、変わらない上品な微笑みを浮かべた。


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