第陸種接近遭遇キッチンナイフ - 3
そんなこんなで、気が付けば入店から30分程経っていた。
まだまだ夜は始まったばかりでも、そこは悲しいかな学生の身。門限についてうるさい家じゃないけど、あんまり遅くなる日が頻発すれば、夜間外出禁止令を食らう恐れがある。あと単純に、私も親に心配かけるのは忍びない。もとから夜遊び大好きって性格じゃないんである。
そろそろ帰る旨を京さんとカード氏に伝え、それじゃあと自動ドアに向かって歩いていく。
店を出る間際で、私は何かに引っ張られたみたいに振り返った。
いったい何が私の足を止めさせたのかは、全く分からない。
実際その時、私の頭からは、ほとんどその事は抜け落ちていたのだ。
開いた人魂式自動ドアから流れ込んできた外気が、頬を撫でる。
私の停止が予想外だった事は、どこかきょとんとした顔でこちらを見ている、京さんの表情からも伝わってきた。つまり私自身だけじゃなく、誰にとっても、ここで私が足を止めて振り返るとは思ってなかったって事。
「……あのう、京さん……。
さっき言ってた殺人って……あの殺人、ですよね。聞き違いとか違う意味とかじゃなくって」
「……聞きたくない、と先程仰ったように、わたくしは覚えておりますが」
「聞きたくは、ないですね……」
口篭る私を、穏やかな、深い深い瞳がじっと見据えてくる。
……ダメ、嘘はつけない。
見破られる見破られないの問題とは違って、いつもいつもこれだけお世話をしてくれた人に、こういう事を誤魔化すのは絶対いけないと思った。黙ったままでいたなら良くても、一旦こうして口に出してしまったからには、本音を告げなくては。
「違いました。正しくは、踏み込みたくない、だと思います。関わるのは嫌だけど、事情はざっとでいいから知りたいっていう、どーしょうもない下世話な気持ちです。さっき包丁の事情を聞いた時から、たぶんこっちが私の本音だったんです。見て見ぬ振りしてました」
「やれやれ……」
「正直ナノァ、イイコトデスガネ……」
「……すみません。でも知ってるんですよね? 何日か前にお店に来たっていうなら……」
私へのはっきりした批判はしてこなかったものの、さすがに言葉を濁しているカード氏。京さんは呆れているのか苦笑いしているのか、判別が難しい。
そりゃ当然の反応よね、殺人事件の話を聞かせてくれだなんて口にしたら。
そんなものを見るのは怖い。関わるだなんてきっぱり御免だ。それはそれとして、使われた凶器がそこにあると知ったら、どんな事件が起きたのかを聞きたくなってしまった。
……きっとそれは、私にとって他人事だったからだろう。
口では怖いね酷いね可哀想だねと言いながら、テレビで事故映像特集を興味津々で眺めている時のような。
それにしても、凶器の包丁がどうやって店に流れてきたのかが気になる。殺人事件だったっていうなら、それって証拠品として警察に保管されてた物じゃないのかと。それとも、凶器は発見されないままだったのか。
どっちにしろ今までの事を考えると、物がその時どこにあるかなんて京さんの能力の前には関係ないんだろうし、ついでに言うなら、警察にあった証拠品が消えたらどんな騒ぎになるかなんてのも、京さんの立場と思想には関係ないのかもしれない。
叱られるのを覚悟で返事を待つ私に、京さんはやっぱりいつもと同じ口調で告げた。
「存じておりますが、あなた様のような年齢の御方に供するには、適切な話題ではございません。ですので、ごくごく限られた範囲に絞ってお伝えしましょう。
――普通の包丁でありたかった、何故だ。……でございますよ」
それはきっと、包丁の抱える満たされない想いの事だ。
何故だ、か。殺した側、殺された側だけじゃなく、それに使われた道具も、そんな事を思うんだな。
自分で聞いておきながら、何か、ひどく悲しくなった。
京さんは、それ以上の事は話してくれなかった。
私も、しつこく聞き出す気にはなれなかった。お礼を言って、今度こそ自動ドアを出る。今まで気に留める事なんて一度も無かった、包丁の鈍い鉄の輝きが、その夜はずっと頭の中をちらついていた。




