第肆種接近遭遇ハミングバード - 1
草木も眠る、丑三つ時……。
という程ではないけれど、一応それなりに夜という状態に差し掛かってきた時間帯。私はひとり自室に篭って、沢山の蝋燭の揺れる炎で、顔を不健康なオレンジ色に照らされていた。
自分の名誉の為に言っておくと、断じて趣味でこんな事をやってる訳じゃない。というか、夕暮れに単騎部屋に閉じ込もって多数の蝋燭に火を点けるのが趣味の人間がいるなら、いっぺん真剣に自分の生き方について考えてみるべきだと思う。
全然心躍らないにも関わらず、私がこんな真似をしているのは、勿論というべきか例のアレの為だった。今回の満たされない想いを抱えた品物は、百物語が完遂できなかったローソク!
……ホントに何でも流れてくるな、あのお店。
という訳で、こうして旬の夏にはちょっと早い怪談タイムとなっている。
まったくもう、どこの誰よ今時こんな真似しといて、しかも途中でやめるなんて。やるならきっちり最後までやらんかいとブツブツ愚痴りつつ、私は用意した怖い話の本数冊や、それ系のサイトを開いた携帯を並べた。依頼にあった足りない怖い話の数は「26」で、そんなに知らないし覚えられないので、これらを順番に朗読していく計画である。ひとりで。主観的に見ても客観的に見ても、果てしなく暗い。
誤解されないよう言っとくと、私に友達がいないんじゃない。百物語に付き合ってくれる友達がいないだけで。
だって、そうでしょう。爽やかな春の日差しの下に歩く通学路。気怠い午前中の授業を終えて、ランチタイム後に迎えた昼休み、机を囲って他愛ないお喋りに興じている中、ふと私は笑顔で言うのだ。
「ねえ、今日私の家で百物語やらない? 蝋燭いっぱい立ててさ!」
どうしろと。
そんな事情で、簡単だけど簡単じゃないこの件は、私だけで決行するしかなかった。何かのイベントの最中……たとえば修学旅行だとか、中学の頃に行ったキャンプだとかなら、逆に怖い話は歓迎されるとしても、それだって百物語までやるってのは無茶である。大昔から生き残ってきたメジャーな娯楽でありながら、いざ本式にとなるとなかなか大変なのだった。
ま、とにかくひとつ怖い話を終えるたびに蝋燭を消していけばいいんだよね。いつもの如く当たって砕けろの心構えで、オリジナル都式百物語の開催と相なった運びでありますが――。
「こっわあああああああああ!!!」
いや、私、怖い話舐めてたわ。ごめんなさい。マジごめんなさい。
真っ暗な部屋で続けて朗読してたら、なんか本気で洒落にならず怖くなってきてしまった。話の合間に、同席メンバーと感想や冗談を言い合って、空気を和らげる事も気を紛らわせる事もできない。ひとりで暗闇に安物の蝋燭を並べて、ぶつぶつ空中に向かって恐怖譚の朗読大会。
怖い。そして暗い。
火事にならないように用意したポリバケツさえ、溜まった水の中から何か飛び出してくるんじゃないかと、チラチラ怯えた目を向けている始末である。鍵は掛けてあるけれども、こんな部屋へ親に踏み込まれでもしたら、真剣に私の今後の生活が危うくなる。
あ、ちなみに蝋燭は、その辺で売っている白くて細いフツーのやつ。私の懐にも優しい。依頼をしてきた蝋燭さんとは全然見た目が違うんだけど、それは問題ないと京さんは教えてくれた。昨今貴重な百物語なんてのが開催されたにも関わらず、結局おしまいまでやらなかった事が、この蝋燭の無念なのだから、肝心なのは最後まで行われたという事実だけなんだってさ。
一口に願い事って言っても拘る箇所は色々よね、なんて考えてると、ちょっと怖さが紛れてくれた。いっそ、奮発してアロマキャンドルの数本も混ぜてあげれば良かったかもしれない。
そんなこんなで進行していったやっつけ百物語も、どうにかこうにか25話まで終わらせる事ができて、最後に残った一本は、依頼をしてきた蝋燭。京さんの話によれば、100番目までの話を終わらせる事が達成条件なのだから、火を消す順番は何でもよかったのかもしれないけれど、ここは私がこだわった。
百の話が終わると同時に、ほろほろと崩れていく蝋燭。
最期を看取った私は、ここまでの恐怖も忘れて、静かな感傷に囚われる。
そして小さく呟くのだ。任務、完了――と。
……いやホラ、こういうのにノリって大切だと思うし、せめてノリくらい重視しないと悲しすぎる光景だし。それとも「願い、成就せり」の方がいいかなぁなんて考えたりしながら、私の唇が最後の章を朗読し終えた。
「……はー、やっと終わったぁ……」
開いたままの本を膝の上に落とし、心から飽き飽きした吐息を漏らす。
んで最後の蝋燭を吹き消せば、晴れて依頼は無事終了、と。
この時、私の頭は、今置かれている愉快とはいえない状況から、やっと抜け出せる安堵に占められていた。正直なところ怖いので、一刻も早く終わらせたい焦り。その焦りが、もっと大きな恐怖を私に忘れさせた。
百物語の、本来の目的。その終着点。
百の恐怖譚を終えた時、怪異が姿を現すという言い伝えを、私は意識の外へ追いやってしまっていたのだ。
よりによって私は、最後の火を吹き消す寸前になってそれを思い出す。今更待ったも効かず、尖らせた唇から吹き付けた息は、そのまま揺れる炎を直撃した。ボッ、と小さな音が響き、一瞬大きく広がったかと思うや、火は消滅する。私は暗闇の中、息を止めて固まる。一秒、二秒、三秒……。
「……ほ、ほーら、何も起こらないじゃん」
分かりきってた事を再確認、にしては我ながら裏返り気味な声だった。
そうそう、変な事なんか起こる筈がないんだって。
正式な作法に則って初めから通しで終えたのならともかく、私がやったのは足りない数を埋めるだけの、何もかもが適当な、シロート目にもいい加減な百物語だ。そんなんで呼び出される幽霊や異変なんて、いる訳ないしある訳ない。訳がないんだから、うん、さっさと電気つけよう。
この時までは、割合ビビリながらも、まだ私には余裕があった。
やっと解放されるよと立ち上がろうとした足が、床に縫い付けられたみたいに動かないまでは。
あれ、座りっぱなしで痺れちゃったのかな?
常識的な判断をしつつ、それが正解なんかじゃない事は、当の私が誰よりも良く分かっていた。
動かない、足どころか全身が。
まるで、噂の金縛りに遭ったように。
いや、ようにじゃなくて、これは正真正銘の金縛りなんだろう。
(冗談でしょ、こんな――!)
ひゅうっと、一度も聞いた事のない呼吸音が、私の喉の奥で響いた。
それが自分の息だと理解するまでに、少しかかった。
自慢じゃないけれど、あのコンビニ通いで、この類の現象には慣れた気でいた。遭遇するお客さんには、言葉で表現するのが難しいほど全身ぐっちゃぐちゃなのもいたし、だから、もう大概の妖怪や怪物を見ても、そこまで驚いたり怯えたりはしないと思っていたんだ。
でもそれは、あくまであのお店の中だったから。
そこに、京さんがいてくれたから。
ここは私の家。私の部屋。ただの平凡な女子高生の部屋。ここには、私を守ってくれるものが何もない。
バチッ!
視界の右隅で、乾いた音を立てて、唐突に青白い火花が弾ける。
悲鳴の代わりに、また私は息を吸った。そのくらいの事しか、できなくなっている。体のどこも痛くはない。動かせないだけだ。それだけなのに、恐ろしさで今にも吐きそうだった。再び火花が、見えるか見えないかの位置で炸裂する。まるで甚振るみたいに、私の視界ぎりぎりを保って。
きっと今、身体を掴む力がなくなっても、私はまともに立てないだろう。
立つどころか、声をあげて助けを求める事さえできないんじゃないだろうか。夢の中でどんなに大声を張り上げようとしても、何故か一向にうまくいかない、あの感覚みたいに。
そうだ、思い出した。
昔、私が今よりもっとバカだった幼稚園児の頃、うっかり迷子になりかけて、怖さのあまり歩く事も泣く事もできず、呆然とその場に突っ立っていた時が、これと同じ感じだった。怖いのに、恐ろしいのに、声ひとつ出せず、助けてと心で繰り返すしかなかった、あれ。
助けて。
助けて。
助けて、助けて誰か。
ここに来て。ドアを開けて。助けて!
助けて。お父さん、お母さん。
京さ――。
「……おい。おおーい、大丈夫かぁ? すっかり固まっちまってるが……。
てか、オレの声聞こえてる?」
霞みかける意識に、妙に通りのいい声が響く。
聞こえます、と答えようとしても、麻痺した喉じゃ返事はできない。
「なんかさ、好きでやってんのかと思ってたら、そういう顔でもなさげだな。
助け、もし要るんなら助けられるけど」
……助けて!
残りの気力全部を一点に集中して振り絞った瞬間、私の目の前を、真横に殴りつけるように風が吹いた。火花が幾つか、バチンと太いゴムが切れるみたいな音を立てて、まとめて弾ける。スパーク。室内がわあっと明るく照らされて、また暗闇に戻る。
その時にはもう嘘みたいに、身体が軽くなっていた。
今の今まで震えてたのもどこへやら、人生でここまで速く動いた事はないんじゃないかって速さで、私は飛び跳ねるように立ち上がり、闇の中スイッチへと一直線。掌を叩き付ける。電気がつく。
部屋が、明るい。
後から考えたら、スイッチ押すより部屋から逃げ出すべきだったんじゃないかと思うけど、その時はとにかくもう明かりが欲しくて仕方なかった。パニック状態だったし、冷静な判断は難しいよね。
近くて懐かしい自室の光景に、私は若干の涙目になる。
背後を振り返り、そこに何も異常が無い事を確認して安心しようとしたが、何も無くはなかった。
めっちゃいるし、部屋のど真ん中に。
「よおっ、もう安心していいぜ!」
そいつは気安いにも程がある態度で、片手をあげて挨拶してくる。
唖然呆然としている私の様子に、登場の仕方を間違ったかと不思議がってでもいるかのように、続けて自分の全身を、上から下へぱたぱた掌で叩きながらの服装チェック。
……いや、あのね……邪馬台国の住民みたいな個性的すぎる格好プラス棍棒装備の男に、身嗜みも何も……。
そんな思考はさておいて、とりあえず私の喉からは、お決まり通りに盛大な悲鳴がほとばしった。
お巡りさんこいつです。




