総長戦記 0062話 ニューヨークの惨劇 その⑪ 多発
1941年9月 『アメリカ ニューヨーク州&ニュージャージー州』
避難民キャンプ周辺の地域で犯罪が多発していた。
強盗、略奪の無い日は無かった。
原因は物資不足である。
避難民キャンプには約400万人の人々がいると推計されていた。
周辺の家や自治体もできるだけ多くの避難民を受け入れていたが、どこも満杯だ。
避難民の殆どは着の身着のまま逃げ出しており、それほどお金を持ってはいなかった。そのため遠方の親類を頼ろうにも交通費を捻出できず避難民キャンプにとどまり続けるしかない者は多い。
だが、避難民キャンプでもテントが足りない、食糧が足りない、医薬品が足りない、衣類が足りない、あらゆる物が足りなかった。
400万人という数字は大きすぎた。
政府と言えど、とても短期間に対応できる人数ではなかった。
各地から救援物資を満載した救援列車が続々と難民キャンプに近い駅に到着していた。
しかし、何もかも足りなかった。
軍の備蓄も供出されていたがとても足りない。
避難民キャンプ周辺の店は、あらゆる物が既に品切れ状態で次にいつ納品があるのかはわからない。
ニューヨークの惨劇の影響で物流経路が完全に破綻していたからだ。
食料と医薬品を求める者は最初のうちは鎮火した被災地域で焼け残った家屋や店、倉庫に入り込み入手できる物を無断で持ち出していた。
窃盗であり火事場泥棒ではあるが、消防隊も警官も兵士もみんな見て見ぬふりをした。
子供には何とか食べさせたが自分はもう2日も食べていないという男がいた。
重傷者へ優先的に薬と包帯がまわされているため、軽い火傷の者には薬がまわってこない。そのために日に日に妻の傷が悪化している。何とかしなくてはと薬を求める夫がいた。
老いた親のため、
幼い子供のために、
負傷して動けない兄弟姉妹のために、
家族のために、
食料を求めて、医薬品を求めて、
心ならずも犯罪に手を染めるしかない者達が大勢でた。
出てしまったのだ。
そんな悲惨な境遇に陥った者達に法だの何だの言い出す事はできなかったのだ。
だが、状況は更に悪化していく。
死者は毎日増えている。
毎日、誰かの家族が、大事な人が死んでいく。
21世紀という通信や交通手段が各段に発達した時代になってもハリケーンの被災地に水を届けるのに5日もかかったという記録がある。アフリカの後進国の話しではない。先進国であるアメリカでの話しだ。
21世紀でそうなのだから20世紀の1941年の未曾有の被災地においてどうなるかは、推して知るべしである。
そして、とうとう犯罪地域は拡大した。
被災していない地域へと。
持たざる者は持てる者より奪うしかない。
生きる為には他者を犠牲にするしかない。
被災していない地域で犯罪が横行した。
略奪が起こり殺人さえ起こり始める。
被災地で人のいない所での窃盗ぐらいは見逃せたが、流石に無辜の一般市民が被害にあうともなれば、治安を預かる者達も見過ごす事はできない。
警官と治安任務につく兵士が取り締まりにあたり、犯罪を抑止しようとする。
しかし、どこから持ち出して来たものか、銃による発砲事件さえ起こり、警官と窃盗犯が撃ち合うという事態さえ起きる。
そうした事件は減少するどころか日に日に増える一方だった。
その為、治安任務につく兵士が大量に増強された。
それにより、どうにか治安は回復の方向に向かったが、それでも犯罪が根絶される事は無かった。
生きる為に犯罪を犯すしかない状況に追い込まれた人達はあまりにも多かったのである。
【to be continued】